泥船に乗る
さて、その日の夜である。
兎太郎は『この高床式の家でハンモックに揺られたい!』という無茶を言い出したが、流石に人数分しかないので無理と断られた。
しかたなく……でもないが、一行はナイルに戻り、食堂車で会議を始める。
はっきり言えば、短命組の方が複雑な心境だった。
狼太郎を筆頭とする長命組は、あてもない旅になれている。ただ生きていくだけ、という時間の過ごし方になれているのだ。
だが兎太郎やその仲間、そして蛇太郎たちは、ただ漫然と海の上を進むことに飽き飽きしていた。
いや、倦んでいた。
快適な食事、快適な寝床。
それをもってしても、腐敗には耐えられない。
限られた命を生きる者は、目的を持たないことに耐えられないのだ。
よって、兎太郎の仲間である四体も、今のこの状況へ大声で異議を唱えることができなかった。
実際のところ置き去りにするのは心苦しいし、人助けでもすれば気がまぎれるのだろう。
だが一方で、あのノットブレイカーを倒せる人間の暮らす国、なんて行きたくないわけで。
「しかしまあ……愛の奇跡を感じるな~~……」
その気持ちに拍車をかけるのが、最年長である狼太郎の陶酔だった。
どうやら彼女のツボにはまったらしく、さっきから二人のラブストーリーにどっぷりと浸っている。
「当人たちは言ってなかったが、きっと央土にいたときから二人は惹かれ合ってたんだ……そうでなかったら、こんな島に来た時点で世を儚んで身を投げていたはず……ラブ、ラブ、ラブだな!」
(全身のほとんどがサキュバスなだけのことはあるな……いや、サキュバスは関係ないかもしれないけども)
「誰も知らないところで、結ばれぬ運命の恋人と生活する……くぅ~~! 実にラブストーリー!」
うっとりしている狼太郎。実際のところ、敵対している国家の要人同士の恋なんて実を結ぶものではないだろう。
それこそここのような、誰も知らない島でもない限り、見つけ出されて始末されるはずだ。
だがその『誰も知らない島』では、未来などないのも事実だ。
それこそ、二人そろって身を投げていてもおかしくはない。
まあそもそも、二人だけではなく、男も女も多くいたのだが。
「ところで……皆さん、一応お伺いしますが、あのゴーという人が嘘を言っている可能性はありませんか?」
蛇太郎の質問は、それなりに真面目なものだった。
それ故に誰も茶化すことはないが、彼の顔を見るとその限りではない。
異様に真剣だった。
まるでここに存在しない、出土品の真贋を見極めるようだった。
「……言っていないことはあるだろうな。それこそ俺が言った様に、彼女を南万へ送る前、船に乗る前からお互いに憎からず想っていたこととかな。だがそれは惚気話だ、言う必要がなかっただけだろう」
「では言ったことは本当だと?」
「そう考えるべきだな、少なくとも俺はそう思った」
狼太郎は蛇太郎に対して、真摯に向き合っていた。
「なんのことはない、遭難したから陸地まで送ってくれ、と頼むだけでいいだろう? あの兄ちゃんも言っていたが、お互い無関係なんだ、腹の探り合いをする意味がない」
「……それもそうですが」
「お前が何を懸念しているのか、わからないでもないが……こんな孤島で、通りかかった誰かを態々騙すのか?」
「たとえばこの島に呪いがかかっていて、必ず誰かがいなければならないようになっていて……彼らが脱出するためには、私たちが残らなければならなくなるとか……」
「無くはないな。だが……その時はその時だ」
「……あえて虎口に身を投じると」
「あえてもないだろう、蛇太郎。結局疑ってかかれば、キリがない。それにだ……わかっていたって、どうにもならないことだらけだろう」
疑心暗鬼に陥っている若人を、狼太郎はやんわりと認めていた。
「蛇太郎、お前はいい奴だ。俺も結構いろんな奴にあったし、まあそもそも親が親だったんで苦労もしたが……だからお前がいい奴なのはわかる。疑ってるのも本当だが、助けてやりたいのも本当だろう」
「ええ、まあ……」
もしも悪党なら、それこそ関わらずに済ませるだろう。一々疑うこと自体ない。
だが蛇太郎は善良だ、だからこそ助けたいし、疑ってしまう。
「なら疑っておけ、疑っていると伝えろ。それぐらいは相手も認めるさ、無理を言っているのは向こうだしな」
「……」
「お前はいい奴なんだから、無理をするな。ストレスになるぞ」
貴方を疑っているので警戒させていただきます、と言う。
なるほど、確かにそれぐらいは許されるだろう。
見ず知らずの相手、初めて会った相手を同じ乗り物に乗せるのだ。
客観的に言って、疑うのも無理はない。
「安心しろ、蛇太郎。お前はまともだし、異常な行動もしていない。疑うこともおかしなことじゃない、お前はいい奴だよ」
「狼太郎さん、なんか論点をずらしてない?」
せっかくいいことを言っていたのに、水を差すのが兎太郎だった。
説得をしていた狼太郎も、説得されていた蛇太郎も、これにはがっかりである。
「あのな、兎太郎。この蛇太郎君はだな、相手を疑ってる一方で、疑ったら気分を悪くさせちゃうんじゃないかとか、遭難して困っている人を疑う自分は悪い奴なんじゃないかって悩んでるんだよ!」
「言ってくんなきゃわかんないっすよ」
「映画が好きなら、こういう行間を読め!」
「俺そういう、後で説明してもらわないと分からない伏線、大嫌いなんですよ。こう、考察好きにはたまらないだろ、みたいな監督の自己満足的な奴」
「なんだと?! 俺も大嫌いだ!」
真面目な話をしていたのに、脱線した。
「だがそれは映画のことだろ! 蛇太郎は若いんだ、その辺り気を使え! 赤裸々に『君は繊細で臆病なんだね』って言われることの羞恥を考えろ! いい子だねって言ってごまかしてるんだぞ!」
(俺……面倒な奴なんだ……)
なお、蛇太郎は絶賛落ち込み中である。
やはり会話には行間が必要であるらしい。
「まあとはいえだ……わかったことも多い」
今回現地人と接触したことで、分かったことがいくつかある。
それはこの世界に人間がいるということと……この世界の人間と言葉が通じることの理由だ。
「アイツらがエフェクト技だのクリエイト技だのを使えると言っていただろう。アレは魔王の時代に使われていた、とんでもなく古代の技、魔王の軍が使っていた技だ」
他でもない魔王軍の生き残りである彼女は、エフェクト技やクリエイト技の存在を知っていた。
「つまりここは……」
「俺達タイムスリップしたんですか?!」
兎太郎が絶叫した。
それは違うだろうと頭をひっぱたきたくなるが、確かにそれはそれでありえなくもない。
少なくとも文章的には、さほどおかしくない話だ。
「いや、違う。いくら古代だからって、あんなモンスターがいれば化石なり伝承なりで残っているからな。ここが異世界であることに変わりはないだろう」
「ん? じゃあなんで魔王軍で使ってた技がここにあるんですか?」
「可能性は一つだろう。魔王が元々この世界にいて、なんかの手段で俺達の世界に来たんだ」
中々の珍説である。
しかし魔王直属であった彼女からすれば、むしろ符合するところが大きい。
「蛇太郎。お前が持っているEOSが、この世界でも最強のモンスターたちに通用するのは、カセイ兵器よりも強いモンスターに効くのは……最初からそのために作られていたからだ」
「コレが……」
「あるいは、その上……この世界の英雄に勝つためだろう。まあそれが分かったところで、じゃあなんだって話だがな」
どのみち、往復する手段などないのだ。
であれば魔王のルーツ、EOSの目的が分かったところでどうにもならない。
「改めて、悪いな。俺があの恥さらしを捕らえておけば、こんなことにはならなかったんだが……」
「何言ってんだよ、捕まえてたらもう帰ってるだろ? そっちの方がヤバいって」
(たしかに……)
狼太郎の謝罪を、兎太郎は切って捨てた。
六人目の英雄、結構まともだから困る。
こうして合理性と非合理が合わさらなければ、冒険の神など務まらないのだろう。
「はあ……まったく、狗太郎もそうだったが、普段ふざけている奴が時々まともになると、ギャップでくらくらするから困る。普段からちゃんとしている奴が報われないな」
(まったくだ)
「まあそれはそれとして……ナイルの修理……整備って言ったほうがいいが、そっちが終わり次第連中を乗せて北西へ向かう。このわけのわからん世界だが……力が及ばないわけじゃない」
皮肉にも、この場にそろった三人の英雄と、その仲間たち。
この戦力をもってすれば、余裕とは言わないまでも何とかなる範疇だ。
「頑張れば、道は開ける。気合い入れていくぞ!」
狼太郎の言葉を聞いて、蛇太郎でさえも顔を引き締める。
余りにも波乱万丈な日々を過ごした、英雄の中での変わり種、魔王の娘にして太古の神。
彼女の宣言に、誰もが前向きになっていた。
※
カセイ兵器、最後の勝利者、ナイル。
純血の守護者が狗太郎とその仲間によって破壊され、久遠の到達者が未完成なまま兎太郎によって壊されたので、正真正銘最後のカセイ兵器となったもの。
これは当然ながら、誰がどう見ても技術の結晶体である。
元をただせばこの世界の存在である魔王の冠の効果や、ショクギョウ技による武装とは大きく違う。
誰がどう見ても『どこから来たんだろう……』という気分になることは確実だ。
それこそ開拓者たちがアメリカ大陸に現れたときよりも、よほど現地人たちを驚かせただろう。
つまり……ゴーやホウシュンたちにとっても、この状況は望ましい一方で、物凄く驚きなのである。
蛇太郎が彼らへ疑いをもったように、彼らもまたどういう状況なのかと疑わずにはいられなかった。
ナイルに一行が戻った後、ゴーたちもまた話し合いをせざるを得なかった。
たとえ一切選択肢がなかったとしても、そうせずにはいられなかったのである。
「あの車、いや船かもしれませんが……どう思われますか」
蛇太郎たちは、この世界の住人が大きいことに驚いていた。
彼らの価値観で、人間が大きくて強いことは異常である。
しかしゴーたちからすれば、そういう亜人もいると教養の範囲なので、驚くほどではない。
他にモンスターがいても、そこまで驚くに値しなかった。
だが当然、ナイルには驚いている。
まあ日本人でも海上を列車が走っていたら驚くと思うので、彼らならより驚くだろうが。
「どうもこうもない、明らかに異国の技術だろう」
驚くのは当たり前だが、それはそれとして選択肢がない。
子供たちを寝かせた後、高床式の家の外で、大人たちは火を囲んで話をしていた。
その内容はわかりきったものであり、一種の愚痴を言い合うようなものだろう。
「ですが、彼らは明らかに……」
「ああ……明らかにおかしい。海上を移動しているのに、一切航海術を持っていなかった」
さて、空論城の悪魔たちである。
彼らは機械的な盗聴器という技術を知らずとも、祀が盗聴している可能性に至っていた。
それは彼らの振る舞いからくる不自然さからの推理であり……同時に祀が『盗聴器なんか知らねーから仕掛けてもバレないだろ』と甘く見て適当に振舞った結果である。
別に騙す気があったわけではないが、狼太郎一行も不自然なふるまいをしていた。
つまり『よくわからんが北西にいきゃいいんだな?』という適当な話で終わらせてしまったのである。
彼らが南万へよく行くのならともかく、彼らにとっても南万への航路は未知のはず。
にもかかわらず、詳しい情報などを聞こうともしなかった。どう考えても、全員素人である。
もちろん専門家がナイルの中に残っている可能性もあるが、それならむしろ、その専門家を呼ぶはずだろう。
「我等と同じように、航海の専門家を失ったのかとも思ったが……その割には一切不安がなかった」
「一体どうやって、北西へまっすぐ向かうのでしょうか……」
太陽が見えるのなら東西南北はわかるだろ? というのなら方位磁針も航海士もいらないのである。
何も障害物がない遠洋では、だからこそ逆にまっすぐ進むということが難しい。
ましてや北西に向かってくれと大味に言って、そう素直に頷けるものだろうか。
彼らはおかしいのである。
まあ細かく『専門的な話を聞かせてくれ!』と言われても答えられないのだが。
「分からない。だが……おそらく可能なのだろう、そうでもなければ頷けまい」
「遠洋から戻るには、熟練の航海士が必要だというのに……」
さて、もしも双方に凄腕の航海士がいたとして。
どうしても会話がかみ合わない事態が発生する。
それは魔境である。
何度も言うが、魔境の中では空間が歪んでいる。魔境の中から魔境の外を見ると、目印になる筈の天体も、その方向が歪んでしまうのだ。
もちろんそれだけではない。まっすぐ進んでいるつもりでも、魔境を通過するとどうしても角度がずれてしまうのだ。
海の上で天体が当てにならない、というのはそれこそ大問題だろう。
この世界では熟練の航海士がその勘で何とかしているが、当然ナイル達はそれを知らないわけで。
「では、あの船は大きく見えても泥船なのでは?」
「そうは思えない……彼らは長く航海をした者特有の倦怠感を持っていたが……その割には水にも食糧にも困っていなかった。一切要求しないどころかこちらへ分け……さらには無駄飯ぐらいである我等さえ乗せると言い出した。つまり……水も食料も潤沢ということだ」
そのうえで、ゴーは推理する。
確かに彼らは飽き飽きしている一方で、切迫はしていなかった。
すくなくとも、そう見えたのである。
「我らを騙す気では?」
「我らを騙してどうする? 実際には水も食料も少ないが、見栄をはったと? それで何の得がある」
「……ありませんな」
まったくもって当たり前だが、今のゴーたちには何の価値もない。
騙す価値がないので、騙される心配がない。
「水も食料もあると見せかけて……それで実際は少ないとしたら……我等も彼らもまとめて死ぬだけだ」
金銭が意味を持たないこの世界では、かえって嘘がはぎとられる。
余裕を示す、という行為さえ意味がなくなるのだ。なぜなら、不可能だから。
「では、あの子供についてはどうお考えで」
「狼太郎か……確かに彼からは、見た目以上の威厳を感じたが……大人ぶっているわけでもなかった。それに周囲からも一目置かれていた……おそらく首魁だろうが……彼は見た目が若く見える亜人なのでは?」
「それにしても、おかしなものでしたが……」
見た目は幼い子供である狼太郎を、誰もがリーダーと認めていた。
最初こそ蛇太郎が仕切ろうとしていたが、結局彼が仕切っていたのである。
なるほど、おかしく見えても不思議ではない。
「そ、それもそうですが……本当に帰るのですか?」
女官の一人……ホウシュンについていた者の一人であり、既に母となっている者が泣きながら問う。
このままこの島で暮らすことも恐ろしいが、故郷に帰ることも恐ろしかった。
留まるも地獄、帰るも地獄である。
それしか道がないのならともかく、実際には一行の語ったように、別の適当なところでおろしてもらってもいいのだ。
少なくとも、物理的に不可能ではない。
「……ど、どこか、他の地で……!」
「やめなさい」
ホウシュンは、しっかりと部下をしかりつけた。
「確かに、事がことです。せめて私が清らかなままならよかったのですが……いえ、それも通らぬ話でしたが……こうなった以上は、責任を果たすべきです」
どう言い訳をしても、このままでは逃げたようなものだ。
それだけでも罪深いのに、実際に逃げるなどあってはならない。
「それに……私たちはそれに耐えられるのですか?」
女官たちは、黙ってしまう。
確かにここでの暮らしは楽ではなかったが、だからこそ逆に、それが罪悪感を打ち消していたともいえる。
だからこそ、故郷の家族がどんなめにあっているのかと想像しても……。
でも自分も辛いから、と我慢できたのだ。
悪人なら耐えられるが、この場の誰もが善良で、真面目なのである。
「帰りましょう、沙汰を受けるとしても……」
ホウシュンは、今更のように覚悟を説くのだった。




