後悔先に立たず
よほど特別な事情がない限り、冷えた水というのは喜ばれるものだ。
ましてや南の海の上で育った子供なら、よく冷えた真水はご馳走である。
それを振舞われた子供たちは、大喜びで飲んでいる。
「ミルクの方がおいしいと思うんだが……」
(どうだろう、コメントしにくい……)
ちょっと残念そうな狼太郎だが、その言葉は否定も肯定も難しかった。
確かに牛乳と水ならどっちが好きか、という話になれば、そこそこに意見が分かれそうである。
極端に差が出なさそうなので、誰も何も言えなかった。
「よし、お前ら! わかってるな! ちゃんと残さず頂けよ!」
「……ご主人様はこういう時張り切るから困ります」
「確かにマナーだもんね……」
「お肉なら食べられませんって言えるのだけど……」
「まあまあ、いただきましょうよ」
なお、出された果汁やスイカを前に、兎太郎の仲間たちはちょっとためらっていた。
兎太郎本人はそうでもないが、文明人である彼女たちは衛生観念が強く、目の前の食べ物飲み物の安全性を疑ってしまうのだ。
というか、出してきた本人たちも、精いっぱいのおもてなしとして出しただけで、そんなに美味しいとは思っていないようであるし。
とはいえ、出された物に手を付けないのは失礼である。
一行は生ぬるい果実や、甘みのない筋張ったスイカを食べた。
マズい。
当たり前だが、一切品種改良をされていないので、まったくもってマズい。
でも食えない程ではないので、なんとか食べていた。
なお、インダスは吸血鬼なので、流石に飲んでいない模様。
「御馳走様!」
「ええ、ご馳走様」
「こういう時、人間とかオークって強いですよね」
「なんでも食べられるもんね……私たちは結構神経を使うのに」
「エルフのお二人も、あんまり気にならないから何でも食べられるものね」
兎太郎とオークのイツケは、不味いなあ、と思いながら飲み干した。
ちょっと冒険をしている気分なので、現地感を味わえているのである。
やはり図々しい方が、生き残りやすいのだろう。
「……」
さて、もちろんだが、まだお互いの贈物を吟味し合っただけである。これで『じゃあな~~』とはいかない。
蛇太郎たちも困るし、もちろんゴーたちも困るだろう。むしろゴーたちの方が、ずっとずっと困っているのだが。
だがしかし、どこからどう切り出していいのか、蛇太郎にはわからなかった。
(なんて説明すればいいんだ?!)
見た限り、相手の文明レベルは極めて低い。
バカにするわけではないが『違う世界から来ました』とか言っても理解してくれないだろう。
しかしそう都合よく適当な嘘が思いつくわけもないので、蛇太郎は固まっていた。
話の順序として自分たちの状況を伝えなければならないのに、それを伝えられないのだから話が進むわけもない。
「……お恥ずかしいことですが、我等は大変切迫しております。どうか私共の話を聞いていただけないでしょうか」
それを察したゴーが、あえて下手に出た。
あるいはとても単純に、彼らこそが一刻も早く自分たちの事情を教えたいのかもしれない。
「お、お願いします……」
「では……ホウシュン殿」
「はい」
身重の女性……この中では一際身分の高いであろう恰好をしている女性が、ゴーに呼ばれて前へ出た。
もちろん近くには女官らしき者もついているが、しかし誰の着ている服も傷んでいた。
それは彼女達もまた、この海風の荒れる島で長く過ごしてきたということだろう。
「まず私は……央土国という国の貴族であり、軍人としての任に就いておりました。そしてこちらのホウシュン殿は……」
「紹介に与りました、ホウシュンと申します。私めは央土国の隣国……南万国の女王の娘でございます」
身重であることに加えて、両者の距離感。
それはどれだけ鈍感な者にも、二人が男女としての関係にあることを伝えるものだった。
「おお……」
それを聞いて、狼太郎は嬉しそうにしていた。
既に他人と恋仲にある、と知ってもがっかりはしない。もちろんその方が好ましい、というわけでもない。
異国の姫が軍人と結ばれている、というのが好ましいのだろう。
もちろん、他の者も同じような反応をしていた。
客観的には面白いことであるし、なんとも興奮することだろう。
とはいえ蛇太郎をはじめとして、ハチクやイツケのようにまじめな者たちは『ちょっとどうなんだろう』とさえ思っていた。
「……お察しの通り、私は彼女と子を成しております。ですがそれについて、詳しく説明させていただきたく」
まさに見ての通りの関係である。それは何も言わずに相手へ自分の私的な関係を知らせてしまうことであり、ゴーもホウシュンも恥じらっていた。
だが問題はそれで終わらない。というよりも、そこまで重要ではないのである。
「央土と南万……両国は国境を接しているため、頻繁に戦争状態へ突入していました。ですが戦争といっても様々……あらかじめ落としどころの決まっている、なれ合いのような戦争がほとんどです。時折本気で衝突することもありますが、それでも大規模な侵略を行うことはありません。やはり政治で話がつくことが多いのですよ」
ゴーの語ることは、人間の愚かしさであった。
上の人間の話し合いや騙し合いで、現場の兵士たちが死ぬのである。
とはいえ、楽園の英雄やその使徒たちも、過激な理想論者ではない。
むしろ大真面目に大虐殺などしあっている、という方が不満を覚えるだろう。
「その戦争も、少し規模が大きく成れば、王族やそれに近いものが現地へ赴く。そうして……互いに貴人を捕らえ合い、人質として交換し合い……という遊戯めいた戦争になることもしばしばです。そしてホウシュン殿は、その一人。今でこそこの通り戦えない姿ですが、以前は将として戦っていました」
やはり一種の紳士協定に基づく戦争、ということだろう。
相手を殺すことを目的とせず、ある程度の条件を相手に呑ませるもの。
お世辞にも真面目ではないが、まあ分かることだ。
「央土に捕らえられた彼女は、当然ながら人質交換として南万に返されるはずでした。私は引き渡しまでの護衛を担当し、彼女と同じ船に乗って移動したのです。ですが……」
とても真面目で、深刻な顔をしていた。
健康な妻子を持つ男性らしからぬ、追いつめられた顔だった。
「船は途中で嵐にあい、船の乗組員が全員モンスターに喰われ、護送の船ともはぐれ……何とか生き残った我々も漂流するしかなく……幸運にもこのサンゴ礁にたどり着き、遭難生活を送っていたのです」
「人質として返されるはずが、帰ってこない、か」
「はい……本来無傷で返すはずの彼女へ、手出しをしてしまった私は愚か者です」
「いやまあ、それを俺達が怒るのもおかしな話だから、気にすんなよ。だがあんたらは気にしているわけだ」
「おっしゃる通りです」
狼太郎は事情を概ね理解した。
彼ら彼女らは、意図して駆け落ちをしたわけではない。
よって一応国に帰りたいと思っているのだ。
その場合どうなるのか、分かっていないわけでもないだろうが。
「あの車……どういう仕組みかわかりませんが、この海を移動できるのであれば、どうか我らを南万まで送っていただきたく」
「……一応聞くが、他の土地じゃダメか? いや違うな、他の土地の方がいいんじゃないか?」
狼太郎は、あえて尋ねた。
この島に長く暮らしたくない気持ちはわかる。
確かに生きていくことはできるが、夢も希望もあったものではない。
如何に彼ら彼女らが『普通の人間』から遠く離れたバイタリティと、優れた知恵と技術を持っているとはいえ、楽園とは言い難いだろう。
食生活もそうであろうし、この環境では病気でも蔓延すればおしまいだ。
ましてや子供がいれば、子供だけでも出してやりたいだろう。
だが、故郷に帰るかどうか、となれば話は違う。
二人の話を聞く限り、南万に帰ってもおとがめなしとはいかないだろう。
まず定刻通りに帰していないし、そもそもお手付きにしてしまっている。
これでは殺されても文句は言えまい。文化や宗教によっては、子供もまとめて殺されかねないだろう。
「……いえ、これは子を作るときに、皆で話し合って決めました」
こんな孤島で、子供を作ってしまう。
それはまともな人間にとって、どうしても葛藤することだろう。
事前に話し合いをしたことは、想像に難くない。
「もしも万が一救いの船が訪れれば、その時は何があっても帰ろうと」
「いいな、惚れそうだ。お前が他の女と一緒で良かったよ」
ゴーを認めた狼太郎に対して、蛇太郎は何かを言いたそうにしている。
しかしそれを言うのもおかしなことだと思い、なんとか呑み込んでいた。
「このままの流れだと、みんなでナイルに乗って南万へ、って感じなんだろうが……その前にいいか?」
楽しそうな顔をした兎太郎が、ゴーに対して質問を始める。
「これが映画なら……いいや物語なら、皆さんが漂流したことも、誰かの作為ってのが定番なんだけども」
「ちょっと、ご主人様?!」
失礼極まりない発言に、普段は諦めがちな彼の従者たちも、流石に怒っていた。
遭難者の前で事件を面白がっているのである。マナー以前に、モラルの問題だろう。
「いや! いや、どうかその方を咎めないでいただきたい。確かに故郷へ連れて行ってもらうよう願うのなら、その可能性も伝えておくべきでした」
だがゴーは、あえてそれを止めた。
確かに彼らの視点でも、おかしなことは多々あったのだ。
「元々、不自然なことはあったのです。央土から南万へ帰るのなら、わざわざ船を使う必要はない。海路でも可能ですが、陸路でも事足りるのです。にもかかわらず、南万はあえて海路でホウシュン殿を返すように依頼し……護送として央土の軍人を乗せるように依頼してきました」
不自然というのは、絶対にありえないというほどのことではないのだろう。
当時はおかしいと思いつつ、それでも反発するほどでもないので従い、しかしこの状況になれば都合が良すぎると思わずにいられない。
「今のこの状況は、つまり央土が南万へ姫を返さなかった、ということです。実際そういわれても文句は言えませんが、南万と央土の関係を悪化させるのなら、ここまで都合のいいことはありません」
ゴーは真摯に説明をする。
それに対して、周囲の者たちは冷や汗をかいていた。
もしもの場合、楽園の英雄たちは彼らを見捨てるかもしれないのだ。
その場合、困るのはゴーたちだけである。
「それを抜きにしても、私やホウシュン殿が死んで、喜ぶ者もいるでしょう。であれば、そうした者が意図して我らを陥れた場合……我らを連れて帰るということは、貴方がたもその敵と衝突するということになります」
そこまで言わずとも、と思う者もいる。
とにかく乗せてもらって、南万でおろしてもらえばいいではないか。
そう思わないでもないが、隠し事をしてもバレたときに海へ捨てられかねない。
ならばいっそ、素直に明かしたほうがいいだろう。不都合な情報を隠さない、それこそが誠意である。
「面白くなってきたな」
「面白がってる場合ですか?!」
「なんか国家的な規模の陰謀に巻き込まれてるんですけど?!」
「少なくとも面白がったら駄目じゃない?!」
「もうちょっと考えましょうよ!」
乗り気の兎太郎に対して、四体は大いに慌てている。
少なくとも気楽に関わっていい案件ではない。
「んじゃあこの人たちを置いていくのか? 絶対に後悔するぞ」
兎太郎の問いに、四体も返事ができない。
高いモラルを持っているため、困っている人を見捨てられないのだ。
「元々目的の有る旅でもないし……兎太郎のいうように、放置していたら目覚めが悪い。どうだ、お前ら。ここは一丁人助けと行こうぜ」
「人助けというか、他人の恋路を応援したいだけでしょ」
「まあいいですけどね~~……流石にこのままだとかわいそうだし」
「こうして明かしてくれたんです、こちらも協力しましょう」
もしかしたら一国に潜む巨悪と戦うかもしれない。
それを抜きにしても、一国と戦うことになるかもしれない。
だがそれでもいいと、英雄たちは請け負っていた。
「……そうですね、確かに彼らは責任を果たすべきだ」
尊敬する先人たちの、素晴らしい決断。
それを見て蛇太郎も、覚悟を決めていた。
「何処かの新天地で楽しく暮らすというのなら、俺は協力できませんでしたが……咎めを受けるために帰るのなら、それには協力します」
罪もない子供はともかく、大人たちは罰を受けるべきだ。罰の程度は現地の人間が決めればいい。
それが蛇太郎の倫理観である。
「……ま、まあ、確かにおいていくのは無しですよね」
「うん……ただでさえナイーブになっているのに、寝覚めが悪いっていうか寝れなくなるっていうか……」
「私はどちらかといえば、新天地に逃がしてあげたいんだけど……」
「そうね、蛇太郎さんは少し潔癖な気も……」
結局、兎太郎の仲間たちも賛同せざるを得なかった。
蛇太郎の心の闇が少し見えたが、それはそれとして放置はできない。
根が善良な彼女たちは、結局反対できなかった。
「ってことで、いいぜ、連れて行ってやるよ」
「ありがとうございます!」
「感謝いたします……ほんとうにすみません」
漂流した大人たちは、安堵の涙を流していた。
やはりここでの生活に、限界を感じていたのだろう。
子供たちはそれがよくわかっていないが。
「とはいえ……ナイルもしばらく修理したい。今すぐ出発ってわけにはいかないぞ」
「ナイルとは、船のことですね? 構いません、むしろ万全にしていただきたい。この周囲の海は、とても危険ですから……」
「……そうだな、ここにくるまで大変だったぞ」
一定以上の文明に達すれば、海の脅威とは天候や岩礁だけになる。
少なくとも、サメや蛸に襲われてどうこう、とはならない。
だがこの世界ではそうでもないようで、物凄く頻繁に、とんでもない生物の脅威にさらされていた。
「特にかっとんでくる甲殻付きのイカとか、一瞬で巨大化して食いついてくる鮫とか、マジでヤバかったからな」
「……ノットブレイカーやテラーマウスに遭遇したのですか?!」
物凄く驚くゴーだが、他の面々も同様である。説明が端的だが、それだけ分かりやすい特徴を備えているモンスターなのだから仕方がない。
「よく生きていますね……アレに襲われれば、英雄が同乗していない限り、海の藻屑になるしかないというのに」
「大げさに聞こえねえな……マジで死ぬかと思ったからな」
うんうん、と英雄たちとその仲間は頷く。
「イカは俺達総出で戦ってようやく勝てたぐらいで、鮫の方はなんとか逃げたぐらいだしな……」
「Aランク上位モンスターを倒したのですか?! 英雄以外で?!」
「俺達も故郷では英雄って呼ばれてるんでな……って、おい。お前の知っている英雄ならアレに勝てるのか?」
共通認識として、同じモンスターに脅威を感じている。
だからこそ、お互いにそれを倒せることが驚きでならない。
「一体どうやって?!」
「どうやってと言われましても……力ずくと聞いていますが」
「……それ、人間か?」
それを聞いて、楽園の者たちは慄いていた。
この世界にも人間がいて、文明を築いているだけでも驚きだが、アレを倒せるほどの人間がいるとは思っていなかった。
ここに来てようやく、一行は危機感を覚えた。目の前の彼らを見れば、そこまで高い文明を持っていないと分かる。
文明の高度さが武力だと思っている面々は、一国が敵でもそこまで脅威とは思っていなかった。
少なくとも、ナイルが出れば勝てると思っていたのだ。
「……その、失礼ですが……お二人の国で、その二体を倒せる者はどれぐらいいらっしゃるんですか?」
「私の国では……十人程度ですね」
「私の国では、四人ほどでしょうか」
「……そうか、結構いるんだな」
ちょっと後悔する狼太郎たちであった。




