いたちごっこ
植物型最強種、Aランク上位モンスター、ダークマター。
その説明をした際に、酸素というルールについても語られた。
現状ほぼすべての生物は酸素に適応しており、不自然な偏りが生じない限り、酸素が原因で死ぬことはない。
しかしそれは、酸素があっても生きていける、という意味ではない。
むしろ逆で、酸素に適応してしまったため、酸素がないと生きていけなくなったのである。
だがそれは、必ずしも悪いことではない。
例えば人間は呼吸をしないと思考能力さえ失うが、呼吸をして酸素を体内に取り入れれば、思考という高度な機能を扱えるということでもある。
酸素に適応した生物たちの楽園である地球は、極めてダイナミックな生物にあふれている。
それが酸素という猛毒を自らの燃料に変えた、生物の進化といえるだろう。
さて、瘴気である。
これの存在を現在認識しているのは、祀と昏だけである。
だが酸素が発見されていない時代からも鞴などがあったように、この世界のモンスターたちは何となくその存在を知っている。
魔境のモンスターは、魔境から長く離れられない。もしも長く離れていると、どんどん弱って死ぬ。
それを経験則として、彼らは知っている。それこそ知性の有るドラゴンたちだけではなく、エイトロールやベヒモスでさえそれを理解している。
その理由の根源こそが、瘴気なのだ。
魔境には瘴気が存在し、その瘴気がないとモンスターは生きていけない。
だがその瘴気に適応し生命のシステムに組み込むことによって、この世界のモンスターたちは他の世界とは懸絶した力を得るに至っている。
雑に言えば、瘴気とは魔境にある物質で、モンスターの力の源と言っていい。
だが厳密には順番が違う。正しくは、瘴気のある場所が魔境になるのだ。
瘴気が噴き出していることによって、異常な環境になっている場所のことを、魔境と呼んでいるのである。
魔境でモンスターが無限に湧き出すのも、山や森が吹き飛んでも元通りになるのも、空間が歪んで内部と外部の広さが一致しないのも、すべて瘴気が原因である。
瘴気という物質は特定の場所から間欠泉のように噴き出しており、その場所によって噴出する量も違う。
その量が多ければ多いほど周囲の空間を強くゆがめ、一旦固定された環境を維持する力が強まり、さらに湧き出るモンスターも強く多くなる。
つまりシュバルツバルトやドラゴンズランドのように、Aランクのモンスターが大量に生息している魔境は、それだけ瘴気の量が多いということだ。
逆にランクの低いモンスターしか生息していない魔境では、瘴気の量が少ないということである。
そして当たり前だが、大きく強いモンスターほど、生きるのに多くの瘴気を必要としている。
例外がいないわけではないが、基本的にはそうなのだ。
さて、これの意味するところは分かるだろうか。
実は強大なモンスターを弱い魔境に配置すれば、それだけでモンスターが湧くことを防げるのである。
とはいえそれは、強大なモンスターにとって餌が湧かないということでもある。またシュバルツバルトやドラゴンズランドのように、膨大な瘴気を噴出させている魔境では原因の改善にならない。
だが、発想の方向は正しいと言えるだろう。
つまり魔境の瘴気を、モンスターが湧くこととは別の形で消費することができれば、モンスターの発生を抑えつつ利益を生むことができる。
そして魔王の遺産、祭の宝、瘴気機関とは……。
本来ほぼ固定されているはずの魔境の環境を、ある程度好きなように改良できる宝なのだ。
※
西重という国は、現在丸々央土へ移住している。
内乱によって荒れ果てた国土を捨てたということだが、当然西重内部の魔境は普段と変わることがない。
その魔境の一つに、祀と昏は集まっていた。
会わせても百に足りないメンバーではあるが、それでも全員が活気づいている。
西重は実質滅び、央土も力を大きくそがれ、他の三か国も力を落とす中。
唯一何も失わず、唯一成果を得た祀と昏。
彼らは現在、悠久の時を超えて完成した、瘴気機関の試運転に乗り出そうとしていた。
「永かった……遠い先祖より数えて幾星霜……本当に長かったが、ついに完成した……!」
魔境から溢れる瘴気を動力源として、望んだ方向に活用する宝。
その完成品を前に、祀たちは誰もが歓喜にむせび泣いていた。
彼らにしてみれば、先祖から受け継いだ悲願の成就である。
それこそ楽園の世界で魔王と人類が争っていた太古の昔よりも、さらにずっと大昔である。
そんな昔から熱狂した人間の魂を集め続けた彼らは、その達成感にむせび泣いていた。
「これでお腹いっぱい食べてもいいんですね……」
「お代わりし放題か……夢みたい」
なお昏の者たちは、別の意味で感慨にふけっていた。
元がモンスターである彼女たちは、見た目よりもずっと多くの栄養を必要とする。
もちろん大本ほどではないが、それでも食料問題は深刻だった。
なにせ食料はそのまま兵糧である。
本来モンスターの種類の数だけ生産できる昏が、三十程度になっていたのはそれが原因だ。
食糧問題が解決すれば、それだけで戦力を一気に増やせるのである。
「さて、それではまず……この魔境を一旦更地にして、空白を作る必要がある。スザク」
「お任せください!」
フェニックスたるスザクが、燃え盛る翼を広げた。
先日の戦争において、ほぼ何もできずに終わった彼女だが、その一撃は一瞬で小さい魔境を吹き飛ばしていた。
そこで暮らしていたモンスターは当然のこと、その魔境を構築していた常緑樹も消し飛んでいる。
普通の森なら何十年もかかって回復するのだろうが、ここは弱小なりに魔境である。
およそ一週間もあれば、先ほどのように戻っているはずだった。
だがそれは、このまま放置すれば、の話である。
「では始めるとするか……収穫祭だ」
祭の宝、それは楽器である。
祀の面々は、四つで一つの宝を、同時に演奏し始める。
丸太をくりぬいて皮を張った太鼓、皿のような形をした金属製の打楽器摺鉦、木管楽器の横笛、そして弦楽器の三味線。
まさに祭囃子が始まり、踊り出したくなるような、賑やかな音楽が奏でられ始めた。
それに合わせて、魔境そのものが光っていく。
魔境から噴き出る瘴気が可視化され、祭の宝のためのエネルギーとして変化しているのだ。
ずずず、と地面の中から祭り櫓がせり上がってくる。
祭の宝を演奏している彼らは、せり上がってくる櫓に乗る形で上へ登っていく。
それに合わせて、魔境を囲むように木の柱が立つ。
文字通りの意味で縄張りを示すように、その木の柱同士が飾りや提灯のついた縄で結ばれていく。
そして演奏が終わった時には、祭り櫓を中心とし、木の柱と縄で囲まれた魔境には、穀物らしき植物の芽が生えていた。
演奏を終えて汗を出していた祀達は、その光景を見て達成感に震えた。
本来開拓できないはずの魔境が、手入れ無用の畑へと変化したのである。
「間違いない……魔境植物の一種、マムギの芽だ。瘴気を溜めこむ性質があり、これを補給すればそれだけで魔境の外でも動けるようになる穀物だ」
スナアブラゼミとタールベアーしか生息していない、大量の原油が浅い地中に埋まっている、砂漠の魔境セミ砂漠。
そこは極めて人類に有益な魔境であるが、現在この地はそれに近くなっていた。
魔境の瘴気が、すべて有益な形で消費されているのである。
翌日にはすべて成長しきっているであろうし、収穫をしたとしてもさらに翌日には元通りである。
まさに夢のような土地、エルドラドといっても過言ではない。
「くっくっく……この世界の人間どもは、いまだに旧時代の不安定な農業をしている。亜人たちは魔境のモンスターを狩猟しているが、それもまた危険を伴う。だが我らは違う……もはや我らは、食料問題から完全に脱却したのだ!」
この魔境は、食料を生産する畑に変わった。
それも完全に自動的であり、まったく手入れの必要がない。
楽園に存在する食料生産工場よりも、数段上の『施設』といっていいだろう。
「これで明日には、マムギを収穫できる……その翌日も、その翌日もだ!」
「そしてそれによって、昏の戦力は上がる……あとはEOSと冠さえ手に入れれば……! 世界は我らのものだ!」
祀はここに、その本懐を達した。
先祖から受け継いだ宝を完成させ、実際に使ったのだ。
四つの宝はすべて所在が明らかになっている。
二つは己の手に、残る二つは分断されている。
もはやすべてそろうのは時間の問題であろう。
もちろん昏の者たちも、同じように喜んでいる。
スザクでさえ、祀や仲間が喜んでいるところを見て、安堵の涙を流している。
だがしかし、彼らはまだ気づいていなかった。
労働からの脱却が、如何に難しいのかを。
仕様書通りのものが完成したとしても、実際に試してみないと問題点があらわにならないということを。
※
翌日である。
祭の宝は正常に機能し、瘴気によって『維持される環境』が、マムギだけがある魔境として固定されていた。
マムギは確かに成長し、見た目は麦や米と変わらない、首を垂れるずっしりとした稲穂になっていた。
それを適当にむしって、草食性のモンスターを元にした昏達が食べる。
あまりおいしそうではないが、もしゃもしゃと咀嚼している。
「ん~……これ、食えますよ」
「そりゃあ貴方達は草ならなんでも食べられるでしょうよ……そういうことじゃなくて、瘴気が補給されているかどうかを……」
「ここ魔境ですから、瘴気は不足してないんで」
「……それもそうね」
婚の宝で生み出されたモンスターたちは、原種が食べるものを好物とする一方で、大抵のものは食える。
この大抵、というのはそれこそ面倒な定義なので説明が追い付かないのだが、未調理未加熱の草や穀物を食えるのは草食性や雑食性の昏だけである。
肉を主食とするモンスターたちは、流石に稲穂をもしゃもしゃ食えない。そして昏のモンスターは、強さを選考基準としているため、ほとんどが肉食性である。
つまりマムギも、一旦調理してからでないと食べることができないのだ。
「まあ大したことではない、これで食糧問題は解決したのだからな」
うっとりとしながら、祀たちは金色の畑を見ていた。
見渡す限りの穀物畑だが、実際には見ている範囲以上に『潜在的な価値』がある。
実際の黄金よりも価値がある『黄金の山』を前に、彼らは恍惚の笑みに至っていた。
「あの、大変失礼なのですが……」
そんな彼らへ、ミゼットが声をかける。
彼女はとても青ざめた顔で、祀達へ質問をしようとしていた。
「これを、誰が、どうやって収穫するのですか?」
それを聞いた面々は、無表情になった。
昏も祀も、互いの顔を見合った。
「……」
「……」
自分達の周囲を見る。
もちろん、農業用重機の類はない。
そして、もう一度、見渡す限りの畑を見る。
自分たちが、丹精込めて、手作業で収穫しなければならない、膨大な『仕事の山』を見ていた。
げんなりした顔になった。
そう、収穫しないといけないのである。
百人以下で。
「しまった……」
この世界の人間どもは、いまだに旧時代の不安定な農業をしている。
それはつい昨日、祀の一人が言った言葉である。
つまり祀や昏がどれだけ強くとも、近所の農家から盗めるのは鎌や鍬ぐらいなのだ。
一日で全部収穫する。
それがどれだけ無謀なのか、彼らは思い知っていた。
※
「お、終わりましたね……」
「ええ、凄い大変だったわね……」
「……脱穀は、誰が、どうやるんですか?」
※
「終わったわ……もう夜だわ」
「凄い大変でしたね……」
「製粉……」
※
「もう朝……」
「あの、畑が元通りに……」
「あの、粉のまま食べるんですか?」
※
美味しいごはんを食べるには、多くの試練が待っていた。
まあ普通の農家の仕事なのだから、それだけ普段の食事では農家へ感謝しなければならないということだろう。
「……芋類にしておけば、まだ楽だったな」
「そうでなければ、果実類だな……」
後悔先に立たずであろう。
とりあえずマムギで、という選択を祀は後悔していた。
昏たちの忠誠心が目に見えて減っていくのが分かったので、それこそ真剣に後悔していた。
もちろん身体能力的には、普通の人間よりもはるかに優れている、昏や祀ではある。
だが慣れない野良仕事を一日で終わらせるとなれば、それこそ大変である。
ましてや『ようし、明日は食べ放題だ~~』と思っていたのだから、ものすごいがっくりであった。
「……この世界の人間は、なんと愚かなのだ!」
人のせいにすることにした。
人類のせいにすることにした。
人類がもっと文明を進めていて、もっと便利な農業機械を作って置けば、盗んでこれたのに。
「いや、人類のせいにするのは良くないな。確かに我らは、もううかつに人類が支配する世界に行けないが……この世界の人間が劣っていることは承知のはず。我らの落ち度と考えるべきだろう」
「そうだな、問題を解決することに意識を向けるべきだ。よりにもよって脱穀などの手間がある穀物に手を出したのは良くなかったが、それを抜きにしても手間だ」
祀達はとりあえず問題の改善に乗り出すことにした。
流石にこのままだと、面倒すぎる。
無限の富が無限の労働を生む、というのは社会の闇である。
「人間をさらってきて奴隷にするのはどうだ?」
「農奴か……悪くないな」
物凄く『悪』な話なのだが、昏たちは誰も咎めなかった。
実際に農家の大変さを思い知ったからこそ、これ以上頑張りたくなかったのである。
社会性の動物とは、知性が発達するとこうなるのかもしれない。
「しかし農奴といってもだな、人権やらなんやらは無視しても、直ぐ死んだら意味がないだろう」
「そうだな、住むところぐらいは作ってやらないとな。それから服に食料もだ……」
「誰がどうやって用意するんだ……それも拐って来た人間にやらせるのか?」
「そうなると……実質国をつくるに等しいな。相当に手間だぞ」
無限の食料を手に入れたと思ったら、無限に労働力が必要になってきた。
面倒な手間を誰かに押し付けたいだけで、その誰かを尊重する気など一切ないのに、馬車馬のようにこき使うつもりなのに、まるで解決に向かわなかった。
「おのれ、一人目の英雄……奴さえいなければ、西重を乗っ取ってそのまま労働力を確保できたものを……!」
甲種魔導器EOS。その所有者、七人目の英雄、蛇太郎。
その命を狙う祀と昏たちだったが、一人目の英雄の手によって阻まれていたのだった。
 




