樹海をさまよう虎
かくて、チョーアンの避難民たちはカンヨーへ帰ることになった。
ドラゴンズランドの長老の背中に乗って。
完全に想定外の状況ではあるが、まあ仕方がない。
このままだと暴動に発展しかねなかったので、渡りに船と言えばその通りだ。
渡りに船といっても、宇宙戦艦が艦隊を編成して、ぐらいの渡りに船である。
避難民たちは大慌てで荷造りをし、それに自分の名前を書いて、他のドラゴンたちが運ぶ籠に乗せることになった。
ぶっちゃけ歩いて帰りたいぐらいなのだが、竜神様の親切を無下にするのもどうかと思ったのだろう。
避難民たちは、まるで沈みかけた船から逃げるような勢いで、逆にクラウドラインへ乗り込んでいったのである。
やんちゃな子供たちはドラゴンの上で飛んだり跳ねたりすることもあった。
その場合親や周囲の大人が怒鳴りつけるか、気絶するまで殴るかの二択である。
当たり前だ、場合によっては皆殺しにされかねない。
とはいえ、流石はクラウドラインの長老。
一旦乗ってしまえば、後は極めてスムーズであった。
竜の背に乗るという中々珍しい体験を味わう彼らは、まるで観光船に乗っているように感銘を受けながら、空の景色や同行している竜たちの姿に見ほれていた。
コゴエが同行しているわけではないので、精霊が騒がしいということはなかったが、それでも一生に一度の体験をした彼らは、そのままカンヨーに下ろされたのだった。
『では我らはこれで失礼する。アカネ様の体調が良くなったころ、快気祝いに訪れるつもりだ。それから我が孫とその舎弟共は、今まで通り好きにこき使って構わん』
嵐は去った。
ドラゴンたちはチョーアンにいた民を、あっという間にカンヨーへ移動させていた。
実質乗り降りに時間がかかったぐらいで、移動そのものはとても速やかであった。
それでいてほぼ揺れは感じなかったのだから、匠の技と言えるだろう。
「……玉手箱騒動が可愛く見える珍事だったな」
民と一緒にカンヨーへ着いたジューガーは、去っていくドラゴンたちの後ろ姿を見ながらそうつぶやいた。
どうにもドラゴンたちにとって、人間を乗せて運ぶというのは、さほど気にならない仕事らしい。
人力車の車夫とか駕籠の担ぎ手のような認識ではなく、ハムスターをケージに入れて電車で運ぶ程度のことのようだ。
毎度のように頼まれれば腹を立てるだろうが、ちょっと悪いことしたな~~という時にお願いされれば快く引き受けてくれるようだ。
とはいえそれも、狐太郎の人脈あってのことだろう。
「……さて」
困った顔の大王は、改めて己を迎えている将軍たちを見た。
ショウエンは違うが、他の誰もが困ったり苦笑している。
問題が解決したのはいいことだが、予定がめちゃくちゃになったので苦笑いするしかないのだ。
「少々予定は変わったが、迎えてくれて感謝する」
本来は軍を再編成した後でチョーアンまで迎えに行くはずだったのだが、カンヨーで出迎えることになった。
手間が省けたと言えばそれまでだが、剛毅すぎる事態に戸惑いを隠せない。
「まったく……うちの征夷大将軍様は、なさることが大変派手だ! おかげで王都の民が安全かつ迅速に移動できて喜ばしい!」
「……そうだな」
なお、リゥイはとても怒っている。
彼は基本的に真面目なので、特に労力を支払わずに株を上がるのを嫌う。
長老たちが助力してくれたことはありがたいし、それが狐太郎の手柄であることは認めているのだが、狐太郎があんまり苦労していないことにイライラしている。
実際長老たちもウズモ達がみっともない行動をしたから、その罪滅ぼしとして行動してくれたのである。
こじつけに近いが、ウズモの手柄である。それは狐太郎も概ね認めるだろう。
だがウズモはアカネの部下だし、アカネは狐太郎の仲間だし、そもそも狐太郎が……。
という、言語化すると非常に器の小さい話になるので、彼は怒っていたが暴れていなかった。
「……その、なんだ、うむ。情けないことだが、一番肝心なことを忘れていた。大変申し訳ない」
微妙な空気を切り替えるべく、ジューガーは謝罪してからきちんと感謝を口にする。
「よくぞ西重を滅ぼし、王都を奪還してくれた。央土の民を代表して、君たちに感謝する」
大王から、直接感謝が語られた。
それはとても大事なことである。
(……集中が乱されている)
誰もふざけていないのだが、集中が乱れていた。ショウエンはちらちらと竜の背を見てしまっているし。
今この空気で言うのは、かなり無理があったのかもしれない。
少なくともジューガーはそう思っていた、他の面々も微妙な顔をしていた。
だがジューガーも忙しい。
この後他の者たちにも話をしなければならないので、この空気がぬぐわれた後であらためて、とはいかない。
だいたい功労者に対して真っ先に言うべきだったことを、後回しというのは良くないだろう。
「おのれ、征夷大将軍……!」
その配慮が分かるだけに、リゥイは怒っていた。
「……ところで、アッカとナタ、ラセツニはどうした?」
この状況だと何を言ってもずれがあるので、とりあえず大王は話を進めた。
将軍たちはそこまで疲れていないのでここまで迎えに来てくれたが、十二魔将たちはまだ動けずにいるらしい。
それ故に一々怒ることはないのだが、元気なはずの三人がいないことは意外だった。
迎えに来ていないことを咎める気はないのだが、すこし疑問だったのである。
もちろん、話題を進めたかった、というのも本音だが。
「そのことですが、アッカ様から伝言を預かっております。俺達は最後でいいぜ、とのことで」
「……奴も気を遣うようになったものだ」
アッカやナタと話をするとなれば、そこそこに長引く。
本当に労うべきは、今回戦った王都奪還軍、十二魔将たちである。
まずそちらへ見舞いに行ってから、ゆっくり話をしよう。
現役世代に対する、なかなかの配慮である。
「そうですか? アッカ様には私もお世話になりましたが、以前から剛毅ながらも配慮をしてくださる方でしたが」
「ずっと前はそうでもなくてな……奴がアッカと名乗る前の話だから、お前たちが知らないのも当然だが……」
お互い歳をとったものだ、と思いにふける大王。
(よし、仕切り直しができたな)
内心、ちょっと喜んでいた。
「そういうことであれば、まずは狐太郎君達のところへ行くとしよう。同行は不要だ、君たちは仕事に戻ってくれたまえ」
※
アッカのおかげで気分を切り替えることができた大王ジューガー。
彼は四体の魔王と同じ部屋におり、弱っている彼女達の看病をしているらしい。
戦勝により大喜びすることなく、ただ労わる。
当たり前ではあるが、身を持ち崩す者たちの多いこの世界では、とても大事なことであった。
大王ジューガーは狐太郎という友人が、変わりないことを喜びながら部屋へ入った。
「だ、大王陛下!」
「ふふふ、そう固くなることはないだろう。相変わらず君は律儀だな」
大王が入ってきたことで、クツロの傍に居る狐太郎は慌てていた。
その表情は、とても切羽詰まったものである。
「それにだ、君がドラゴンたちを手配してくれたのだろう?」
「それは、そうなのですが……」
いつものように、申し訳なさそうにしている狐太郎。
彼はやや視線を外しながら、謝罪をした。
「竜の民に依頼をしたあとで、ジョーさんたちに今回のことを話したのですが……そのタイミングで『勝手なことしてないかな』と気づきまして……」
「ははは。確かに予定を少々切り上げたが、そう気にすることはない。おかげで安全で快適だったよ」
さっきまでジョーや大王がしていたのと、同じ顔をしている狐太郎。
彼も自分の失敗に気付いてから、ずっと心を痛めていたらしい。
「それにだ、国家のために奮戦してくれた一般兵たちを、カンヨーからチョーアンまで往復させるのは心苦しいだろう?」
だが大王にとっては、既に通り過ぎた道である。
彼はぶりかえすことなく、余裕をもって対応できていた。
「君も知っての通り、護送は神経を使う。私が一緒ならばなおのことだ、その負担をやわらげた君に、感謝している者も多いだろう」
「そう言っていただけると、助かります……」
仲間が大量に倒れていく戦場で生き残ったと思ったら、休憩をした後に民の護送である。
大王も一緒で、しかも往復である。このまま解散して家に帰りたいぐらいなのに、大王のすぐそばでまだ仕事が延長するのだ。
全軍を吐き出したのだから仕方ないが、末端からすればたまったものではない。
それが分かってしまうだけに、狐太郎は己の失態を前向きに考えることができていた。
「いえ、ですが……やっぱり一度指示を仰ぐべきでした。私はやはり自分で判断することに向いていません……」
「本当に律義だな、君は……」
先ほどまで同じような心境だったので、彼の恥じらいもよくわかる。
だがしかし、そんなことは大したことではない。
「狐太郎君」
大王は個人として、彼の手を取っていた。
とても小さい、子供のような手だった。
この小さくて柔らかい手が、国家を救ったのだ。
「ありがとう」
「……」
感極まった狐太郎は、思わず涙した。
やはりシンプルな言葉こそが、思いを伝える。
「本当は君以外の四体にもそれを伝えたいのだが……まだ早いようだ」
「クツロ以外は時々起きるんですけど、やっぱりみんな疲れているみたいで……」
改めて、申し訳なさそうにする狐太郎。
「本当は軍の責任者として、戦死者の慰霊とか一般兵へ労いとかしないといけないんですけど……全部断っていまして……ダッキちゃんもリァンさんも配慮してくれているんですけど、申し訳なくて……」
「それを言えば、私こそが一番やるべきことだ。今の君は名義上王族だが、他にもいるのだからそこまで気に病まないでくれ。それとも起きない彼女たちが悪いとでも?」
「いえ、そんなことは……」
「今彼女たちをせかすなら、それこそが罪だ。君をむやみに動かすこともね」
大王は、淡々としたものだった。
「聞けば、既に亜人の勇者たちや竜の民もここに来たのだろう。彼らからすれば、君が人間の行事でここを抜けていれば、少々不愉快になっていたのではないかね? その内容が真面目なものだったとしても、だ」
「……そうですね」
「君に四つも役職を押し付けた私が言うことではないが、君の体は一つしかない。そして君の判断は間違っていない。王族でできることは我等で分担する、正式な場で挨拶してくれればそれでいいさ」
こういう会話も、二人の間ではよくあったことである。
「君の重荷を取り除くことも、その後でいいだろう。君以外にも、できるだけ多くの報酬を用意したい。これだけ国家が荒れた後では、難しいかもしれないがな」
「報酬、ですか」
「ああ。身内びいきではないが、特に侯爵家の四人にはいろいろと便宜を図りたい。彼らこそ貴族の規範と言えるだろう」
そこで狐太郎は、あることを思い出した。
「彼らについて、実はご相談がありまして」
狐太郎は思い出していた。
あの土壇場の鉄火場で、自分の護衛達が言っていたことを。
「侯爵家の四人……キコリとバブルなんですが、婚約者であることはご存知ですか?」
「ああ、もちろん知っている。ロバーとマーメもそうだったな」
「キコリなんですが、クツロが倒れた後なんですけど……」
異常事態に思ってもいないことを口にすることはある。
だがあの時の会話は、心からの会話であった気がした。
「婚約破棄をしたいと言っていました」
「……なぜそうなった」
思わず聞き返してしまった。
クツロが倒れた後といえば、戦争も終わる間際のはず。
その時期に婚約破棄を言い出すのは、狐太郎や大王にはわからないことだ。
なにせあの四人は、仕事中は私語を慎んでいたのである。
少なくともバブルの異常さについては、気付くことがなかった。
「私もよくはわからないんですが、どうやらキコリは私の護衛に乗り気ではなかったようで……バブルに対して不満もあったようなのです」
「……それで、追いつめられたので、本音として出たと」
「はい。バブルもキコリの意思を尊重して、婚約破棄を受け入れていました」
狐太郎も、ダッキと望まぬ婚約をしている身である。
彼らが婚約を破棄したいというのなら、力になってやりたかった。
「ただ侯爵家ですから、個人の意思が尊重されるとも限りませんし……」
「確かにな。家と家の都合、というものはある。それに婚約者がそろって君の護衛をしているというのは、分かりやすい美談だからな」
「もしも二人が真剣に婚約を破棄したいと思っているのなら、力になってあげたいです」
「まあそれぐらいであれば、政治的に解決できる範疇であるし……」
あくまでも政治の問題、家族の問題である。
大王が『当人の意思を尊重しろ』といえば、それで済む話だ。
「分かった。では後で各々から話を聞いて、お互いに別れたがっていれば婚約破棄に協力しよう」
「ありがとうございます」
問題が解決する見込みがあって、二人は笑い合った。
笑いあった後で、ふと冷静になった。
(……今ここでする話か?)
なぜ国家の一大事が解決したあとで、そんな話をしているのだろう。
しかも、四体の魔王が寝ている状況で。
二人は黙って、自分たちの言動を見返していた。




