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狐太郎一行は、当然ながら自分たちの力を知っている。
加えて、この森のモンスターとの実力差も相対的に把握している。
それはリァンも同じことであり、必然的に楽観をしていた。
狐太郎たちにしてみれば、試験を受けに来た四人は相応しい能力を持っていることがわかった。
全員の合格は決まっていて、あとはどれだけ合意をもらえるかである。
リァンにしても、四人がこの森で通用する実力を持っていることを証明できた。
大公の代理として、売り込みに成功したことを喜んでいるのである。
「リァン様……本当にありがとうございます、こんなにいい人たちを連れてきてくださるだなんて……大公様には感謝の言葉もありません」
「いえいえ、カセイを守る大公として、当然のことをしたまでです。狐太郎様にご満足いただけて、私も嬉しいですわ」
ランリが索敵を続ける中、一団は森の奥へと進んでいた。
実力を確認できた護衛隊に守られていることで、二人は森の中でもリラックスしていた。
あるいは、単に緊張の糸が切れてしまったからかもしれない。
ともあれ、双方が楽し気でいることは良いことだった。
「改めて……斥候の方や護衛の方に機動力に優れた牽制のできるお人がいると、奇襲への対応が本当にありがたく……」
「狐太郎様への一助になれば、それで十分です。本来であれば、感謝をするのは私の側なのですから」
とても素晴らしいことに、二人は幸せだった。
これで四人の内一人でも役立たずだったら、こうも手放しで喜ぶことはできなかっただろう。
(あ~あ~……残酷だねえ……)
そんな若い二人を見て、ピンインは憐れんでいた。
二人はできれば全員が合意して欲しいと思っているのだろうが、そんなことには絶対にならない。
ふと視野を広げれば、周囲の視線に気づくはずだった。
ブゥは相変わらずやる気がなさげであったが、ケイとランリは表情が明らかに変わっている。
はっきり言えば、嫉妬である。四体のAランクモンスターを従えている狐太郎へ、今更のように嫉妬の視線を向けていたのだ。
(質が悪いのは、あの二人がこれっぽっちも悪くないってことだ)
ピンインのいうあの二人とは、狐太郎とリァンである。
楽しそうにしている二人は悪くなく、ケイとランリにこそ根本的に非があるのだ。
ピンインはランリとケイのことを道中で少し聞いただけである。
生粋のハンターであり、特別な経歴を持たない彼女は、当然ながら専門外のことに詳しくない。
しかしながら、二人が同じような人間であることは把握している。
この二人は、自分たちの努力が認められたと思ったのだ。
精霊学部の学長や、将軍である自分の父から、大公へと推薦された。
そして大公から直接依頼を受けて、公女と共に前線基地へ向かったのである。
上澄みだけ見れば、自分たちが必要とされていると思っても不思議ではない。
だがしかし、実際には違うのだ。それこそ根本的に、最初の最初から違うのだ。
なぜなら大公は、狐太郎の護衛ができる人物を求めていたのだから。
大公は四人へ『護衛を断ってもいい』とは言っていたが、これは裏を返せば『お前達である必要はない』ということである。
真に替えが利かないのは狐太郎とそのモンスターであり、招集された四人とそのモンスターは『贈呈品』のようなものだ。
実力者であるはずの四人は、狐太郎の命を守るため、狐太郎のご機嫌を取るために集められたのである。
そして、それは最初の最初から、誰に隠すことなく明かされていたことだった。
大公へ推薦されたことで舞い上がっていた二人は、今更気付いただけなのである。
とんでもない間抜けであった。
他でもない二人こそは、そのことに気付いてしまっている。
自分がとんでもない間抜けであるということさえ含めて。
(ま、自尊心がズタズタになってもしゃーないか。この程度で済むなら、まあマシだわね)
二人とも嫉妬しつつ羞恥しているが、別に恥をかいたわけではない。
へまをしたわけではないし、失敗をしたわけでもない。
ランリもケイも、求められていることはこなしたのだ。あとで断っても、評価が落ちることはない。
経歴に傷がつくことはなく、むしろ大公へ推薦されたことがある、という箔を得たのだ。
二人の今後はむしろ明るいだろう。
ランリもケイも、明るい未来が待っている。
世間の大半が熱望している、成功者としての未来だ。
Aランクになれない、伝説の英雄にもなれない、ごく普通にいくらでも替えの利く、優秀で有能な魔物使いとしての未来だ。
ランリが言っていたように、それでさえ一般人には遠い夢だ。どれだけ熱望しても届かない、雲の上のお話だ。
だがしかし、雲の上にはまた雲があった。そして、その雲こそ本当の意味で最上位なのである。
おそらく二人とも、頭ではわかってはいたのだろう。
しかし実際に体感したのは、これが初めてのようだった。
後で振り返ればどうでもよくなる、世界の誰もが体験している現実である。
(若いねえ~~)
そして、そんな若者を生温かく見守るピンインもまた、世界を知った気になって若年者を笑う年長者であった。
もとより正式な契約ではなく、戦う必要がないということで彼女自身も気が緩んでいる。
この場で唯一まともなのは、陰鬱な気分になっているブゥだけだろう。
(凄い強いのが出てきたら嫌だなあ……Aランクでも下位なら僕でもぎりぎり何とかなるけど、この森にはAランクの上位もいるらしいしなあ……)
タイラントタイガーとマンイートヒヒが同じBランクであるように、Aランクのモンスターにも幅はある。
もちろん下位に属していたとしても、常人では歯が立たない。
そのうえで上位に属するモンスターは、Aランクハンターですら手こずることがある。
その上位でさえ、この森ではゴロゴロといるのだ。
「ひぃ?!」
嫉妬をしていたランリが、突如として悲鳴を上げた。
その表情に、先ほどまでの悔しさは一切ない。
彼は従えている精霊から伝えられた情報だけで、情けない悲鳴を上げた。
彼へその情報を伝えた精霊は、当然のように逃げてきた。他の方向へ放っていた精霊たちも、ランリを通して脅威の接近を悟り、持ち場を離れていた。
逃げた先は、コゴエの近く。
それは正に、子供が大人にすがる姿そのものだった。
「ひぃ!」
それに遅れる形で、他の面々も脅威を目にした。
それは伝説でも神話でも空想でもおとぎ話でも絵本でも図鑑でもない。
実物の、怪物だった。
剛毛大熊が、ケルベロスが、フルアーマーレオが、ミノタウロスが、マトウが、ギガントグリーンが。
食われている。
前線基地を拠点とするハンターたちをして、追い返すこともできない怪物たちが捕食されている。
むしゃむしゃと、ぼりぼりと、ただ普通に餌として食われている。
「あ、ああ……」
狐太郎は腰を抜かした。
だがそれを、誰も恥と思わなかった。
ここまで意気揚々と森を歩いていた人間たちは、全員同じように腰を抜かしたのだ。
大公が招集したはずの実力者たちは、リァンや狐太郎同様の反応をしていたのだ。
大公自身が言っていたが、この森で半端な実力者などなんの役にも立たない。
狐太郎もリァンも、他の面々も、まったく同じ反応しかできなかった。
ただの餌として、なにもできなかった。
「あ、ああ……」
その、捕食者たちは、群れだった。
一体一体が顎で獲物をむさぼりながら、それでも飽き足らずに狐太郎たちへ接近したのだ。
人間が何かをほおばりながら、他の料理を物色していたように。
頂点に立つ捕食者たちは、下位や中位のAランクモンスターを食べながら、のんびりと品定めをしにきたのだ。
「うげっ……!」
言葉にならない嫌悪感が、狐太郎の口から洩れた。
絶望と恐怖だけではない、気色の悪さ、おぞましさ。
まるで外宇宙の生命体に遭遇したような、自分達とは違い過ぎる存在への嫌悪感。
(こ、これは……!)
しかし、それは知っていた。
あまりにもスケールが違い過ぎるが、形はよく似ていた。
それはムカデだった。
それは百足だった。
象を顎で噛めるほど巨大な、百足の群れだった。
ラードーンやベヒモスと並ぶ、この森における頂点捕食者。
Aランクの中でも上位に位置する、超巨大な節足動物。
好んで竜を捕食することからついた名前が、ドラゴンイーター。
あるいはその巨大すぎる姿から、山に八回も巻き付けると例えてエイトロール。
他のAランクさえも平然と捕食する、百足の化け物である。
つまりは現状が示すように、Aランクを頭から貪るモンスターが、群れを成して現れたのだ。
この現実を前に、人間の個体差など意味を持たない。
森の奥へ奥へと進んだ生半可な勘違いどもは、後悔さえ忘れて恐怖にとらわれていた。
「ササゲ、お前は先日魔王になったばかりだな?」
百足に囲まれた中で、雪女の声が聞こえた。
「無理をすることはない、ご主人様のお傍にいてくれ」
コゴエの周りでおびえていた風の精霊たちが、ゆっくりと離れていく。
そのままあるべき場所へ、ランリの下へと戻っていった。
その精霊たちが少しだけ安心していることを、ランリは感じ取っていた。
「そうそう! ここは私たちに任せておいて!」
勇猛なはずのアクセルドラゴンであるラプテルは、主を落としたことにも気づかずアカネの背後で震えていた。
しかしアカネが軽く頬やのどをなでてやると、落ち着きを取り戻して落馬して動けなくなっているケイの下へ戻っていった。
「キョウショウ族とか言ったわね? 貴方達、よく見ておきなさい」
大鬼が、前に出た。
巨大を極める百足。その群れへ悠然と歩んでいく背中を、亜人たちに見せていた。
その雄姿を見ていると、自分たちの醜態が恥ずかしく思えてしまう。
「大鬼の魔王、鬼王、鬼神クツロの百足退治を見たこと、故郷で一族に自慢なさい」
共に人間に仕える知恵あるもの、力ある者として、代表のように進む。
「行くわよ、二人とも!」
「うん!」
「承知」
人間では倒せない、絶対的な怪物。
人間を食らうモンスターに、人間に従うモンスターが立ち向かう。
それは当然の摂理であり、宿命であり、彼女たちの意志である。
つまり、その戦いぶりを示す。
そのことに、一切変更はない。
「人授王権! 魔王戴冠!」
専門家たちが見抜いた力を、秘められていた魔王の姿を、三体は発現させる。
「タイカン技! 竜王生誕!」
「タイカン技! 鬼王見参!」
「タイカン技! 氷王顕現!」
人間から戴冠を許された魔王が、人間と、人間と共生する道を選んだモンスターたちに背中を見せた。
法に従い、人のために励む者を守る。如何なる外敵が立ちふさがろうとも、何も怯えることはないと行動で証明する。
まさしく、王の姿であった。
「鬼神様……」
キョウショウ族が涙して、ひれ伏し、崇める。
己等を守る偉大なる姿に、平伏せざるを得なかった。
風の精霊も、ラプテルも。
人間や亜人とは違う形で敬意を示す。
王の戦う姿を間近で見ることができた感動で、むせび泣いていた。
そして各々の専門家たち、魔物使い達は確信した。
大悪魔セキトが多くの悪魔を従えているように、彼女たちもまた数多のモンスターを従えるべき王なのだと。
と同時に、再始動する。
自分たちがただの置物ではなく、まだ生きている人間だと思い出す。
「狐太郎様?! ご無事ですか?!」
前回狐太郎が死にかけたことを思い出して、リァンは周囲を見渡した。
場合によっては、既に死んでいるかもしれない。
「な、なんとか……?」
「私が守っているけど、このままだと心もとないわ。回復技が使えるのなら、お願いできないかしら」
唯一魔王になっていないササゲは、狐太郎をきつく抱きしめていた。
ササゲが強いことはわかっているし、抱きしめてもらえば心理的に安心できる。
とはいえ、周囲からの圧力も強い。少しずつだが、狐太郎は弱っていた。
「お任せください! ヒーリングクリエイト、セラピーエリア!」
文字通りの意味で、気休め、気を安らげる技を使うリァン。
彼女の周囲、つまり狐太郎の一団をまとめて、精神的に回復させていく。
もちろん多少恐怖が安らぐ程度で何の解決にもなっていないのだが、狐太郎以外の面々は行動を起こすことができていた。
「お前ら! リァン様と狐太郎の旦那をお守りしな! もしも二人を傷ものにしてみな、鬼神様が怒り狂うよ!」
「お、おおっす!」
なんの意味があるのかわからないが、キョウショウ族は横並びで盾を構えて壁になる。
少なくとも視覚的には遮られて、一定の安心感を得ることはできている。
「大丈夫、ご主人様」
「うぅ……な、なんとか、まあ、これぐらいなら」
「そう、よかったわ……」
この世界の住人でさえ死を覚悟する状況である、狐太郎が素面で耐えられるわけがなかった。
しかしある程度保護してもらえれば、慣れもあってこらえることができている。
であれば、今度こそやり切らなければならないことがある。
「コゴエ、アカネ、クツロ! 俺は大丈夫だ!」
前回と違って、きちんと聞こえるように声を張り上げる。
「頼む、頑張ってくれ!」
周囲は地獄と化していた。
ありえないほど巨大な百足の群れが、うねりながら木々に絡みついている。
既にモンスターを食べ終えており、いよいよこちらへ食いつこうとしている。
そのうえで、逃げていいとは言わなかった。
「任せといて、ご主人様!」
「ええ、私たちで何とかできますので!」
魔王になった姿を見ても、狐太郎は普段通りだった。
そのことに安堵して、アカネとクツロは応援に応える。
「……ご無事で何より。これより寒くなりますので、どうか温かくなさってください」
人形同然の顔になったコゴエは、普段通り静かに応えた。
ただ、その周辺の温度が、一瞬で下がっていった。
それが彼女の感情を、表していたのかもしれない。




