虎を含む故事成語
王都奪還軍、第一軍。
その本陣では、ジョーが説明を行っていた。
ショウエンと同じように、秘密にしていたことを詫びたうえで、何が起きたのか伝えたのである。
もちろん自分が作戦を考えたと、はっきり言っていた。
「以上が作戦の概要だ。恥ずかしい限りだが、これが私の限界だった」
ジョーは、自分の作戦を恥じていた。だからこそ、自分が考えたのだと告白したのである。
兵は詭道なりとはいうが、些か以上に無茶苦茶な作戦だった。
作戦に参加した者、全員の協力によるものであり、彼はただ無茶ぶりをしただけだ。
「もしも一つ間違えれば、大敗につながっていただろう。特にブゥ君……十二魔将三席殿には負担を強いた。だがどうしても、確実に、全員を一気に仕留める必要があった」
絶対に勝つという言葉には、様々な解釈が生じうる。
単に物凄く頑張りますという時も使うし、堅実で失敗のない作戦をとる場合も使う。
また同時に、どれだけ負担を強いられても、確率に頼らない勝利を目指すという場合にも使う。
失敗しました、負けました、では済まされなかった。
だからこそ、危うくとも確実に全滅させられる手を選んだのである。
だが、作戦の達成目標が無茶だったため、結果として無茶苦茶極まりない作戦になった。
そんな無茶な作戦に国家の命運をかけたことを、彼は謝っていた。
それを聞いた幕僚たちは、困った顔のまま黙っていた。
(意味が分からん……)
彼らはわからなかった。
もちろん、スタートラインは分かる。
なんとしても七人の英雄を倒さなければ、央土に勝利はないのだから。
だがそれはそれとして、どうしてこんな作戦を思いついたのか、なんで誰も反対しなかったのか、なんで実行に移したのか、なんで成功したのか。これらがまったくわからなかった。
全部順調だから結果に至ったのだろうが、彼らには成功までのプロセスが想像できなかった。
(このお人はまともだと思っていたのに、そんなことはなかった。完全に頭が虎になっている……)
後に、ある将校がそう日記に記した。
これによって『狐馬に見えても虎』という故事成語が誕生した。
意味は『組織の中で浮いているように見えても、実際には組織になじんでいる人』ということである。
ともあれ、誤解はない。
常軌を逸脱した作戦を実行に移したジョーへ、呆れていることは事実だった。
「し、しかし、上手く行ったのですから、我等からは何も……」
「正直に申し上げて、事前に相談していただきたかったのですが、成功したのですから……」
だが、何とか取り繕う。
少なくとも敵の将七人は死んだ、これで西重は終わっている。
国家を維持するための、最低限の武力。
それを完全に喪失したのだから、このあと何が起きてもまったく問題ではない。
改めて言うが、これはこの世界の一般的な認識である。
よって第二軍と同じことを考えても、まったく不思議ではない。
「いや……心苦しいが、そうでもないようだ。どうやら私の策は、完全に読まれていたらしい。既に対応が始まっている」
だがこの戦場は、普通ではない。
「サイクロプスが複数個所に、時間差なく出現した。間違いなく我等の警戒するワープ技術によるものだ」
「で、ですが、単に自暴自棄になっただけでは? 相手は英雄をすべて失ったのですから、慌てて残った戦力を投入してきただけでは?」
「だが、昏が残っている。事前に打ち合わせをしていなければ、彼女達は全員撤退してしかるべきだ。であれば、チタセーは戦争が始まる前から、この状況を予測していたのだろう」
ジョーの言葉は、極めて論理的だ。
なので幕僚たちは、納得せざるを得ない。
(なんで?)
納得したが、なぜチタセーがこの状況を予見したのかわからない。
誰もが疑問を禁じえない。
味方にも秘密にされていた、というよりも、終わった後で説明を聞いてもよくわからない作戦を、なぜ敵のチタセーが事前に理解できていたのか。
相手が如何に大将軍とはいえ、限度があるだろう。
チタセーもジョーの作戦はわかっていなかった、むしろ作戦は読み切れないと諦めていた。
だが目指す戦果は想定していたので、事前に話していただけである。
それはそれで恐ろしいことだが、真実を知りようがない彼らは慄くばかりだ。
この場にいた軍師たちの一人が後に手記でこれを記し、『虎の策は死んだ男だけわかっている』や『虎の策は後で聞いてもわからない』という故事成語になったという。
その意味としては、『優れた人物の作戦は、優れた人物にしか読めない』ということであった。
「し、しかし……それはつまり、祀に国をゆだねるということでしょう。チタセーは事前に売国を指示していたということですか?」
国家の主権は、武力によってのみ主張できる。
その武力を他者にゆだねるということは、発言権を差し出すに等しい。
そうでもしなければ相手は力を貸してくれないだろうし、そもそもそれだけの実力者には逆らえなくなる。
「相手は亜人、或いは悪魔や天使のような高い知性を持つモンスター、なのでしょう? 聞けば昏も同じようなものだとか……そんな相手に国を差し出してまで戦うとは……」
「もっともなことだが、それを指摘する権利は我らにあるまい。王都奪還軍、その戦力は半分以上が四冠の配下だと忘れたか」
まさに鏡を見ろ、であろう。
四冠の狐太郎とは、次期大王であることも含まれている。
他国の魔物使いに次期大王の座を約束し、なおかつ王都奪還軍の戦力の半分以上をゆだねている。
この戦争の準備段階で、央土は主権を狐太郎に差し出しているのだ。
「彼らも我等と同じだ。同じ人間、古くから知る隣人。其方に負けるよりも、得体の知れぬ友人に下ることを選んだのだ」
狐太郎のことを得体の知れぬ友人、と呼ぶことには抵抗がある。
しかし実際、彼自身が認めるところだろう。
なお彼の発言は、後世で『敵に負けるより虎に食われる方がマシ』という故事成語になっている。
「……人間は愚かだ。それに付き合わされている者たちに、申し訳ない気持ちでいっぱいだよ」
俺はお前の部下になってやるから、俺のために命をかけて戦え。
それが西重と央土の、大変お偉いお方の決断なのだ。
無力、例えようもなく愚かで無力。
「もうすでに、四体の魔王も倒れている。彼女達も……いや、彼女達こそ被害者だ」
彼は静かに嘆いた。
結局、あの森にいたときと何も変わっていない。
相手が人間になったというだけで、愚かさを押し付けられているだけなのだ。
「……ならば、我等は最善を尽くそう。それがせめてもの誠意だ、我等こそが血を流すべきだ!」
彼は大いに声を出す。
「戦況は、絶望的でもなんでもない。想定していた戦力が、想定されていた方法で送り込まれただけだ! 対処できないわけでもなく、訓練を怠ってきたわけでもない。事前の訓練通りに戦えば、必ず活路は開ける!」
相手は確かにBランク上位モンスター、軍とも戦える怪物である。
だがこちらは軍であり、戦うことを想定して訓練を積んでいる。
そして数で潰すのならば、大きい方がかえって簡単だ。
昏の隊員は、全員が人間の大きさである。
オリジナルに比べて、攻撃力も防御力も低いという短所を持っている。
しかし、大きいというのは狙いやすいということでもある。
軍隊が数でかかるのなら、どこにいるのかわからない小さな相手よりも、どこからでも見える大きい相手の方が簡単だ。
なにせ『アレを射ろ』というだけでいい、的が大きいとはそういうことである。
「で、ですが、元々戦っていた西重の兵は……それに六席の麒麟様も、三人の将を守るべく向かっておりますし……」
「もともとこちらの方が数は多い。そして黄金世代たちも、数でつぶせる範疇だ! であれば戦えぬ相手ではない!」
そう言って、彼は立った。
元よりシュバルツバルト討伐隊で、最強の部隊を率いていた男である。
その彼が立てば、話は一気に変わってくる。
「私も白眉隊を率いて前線へ向かう! 麒麟君には劣るが、それでも前線を支えるには十分だ! 全体への指示は君たちに任せる!」
元よりAランクモンスターの闊歩する森で生きてきた彼である、相手がBランクならば恐れるに足りない。
「で、ですが、その……肝心の南はどうするのですか? あちらが負ければ、そのまま敗北です。救援を出す余裕はありませんが、第二軍や第三軍へ要請をするのですか?」
「南は問題ない! 狐太郎君に任せる!」
盤石の信頼をもって、ジョーは断じていた。
「今は三つの軍も、完全に抑えられている! うかつに動けばそのまま壊滅し、かえって全体が不利になる! ならば南に配置した戦力に、我らが総大将にゆだねるのみ!」
この戦い、崩れたほうが負けである。
知恵比べは終わり、我慢比べの力比べが再開するだけだ。
ならば狐太郎に失敗はない。
「浮足立つな、相手の作戦はこちらの想定を超えていない! もうすでに、十分な戦力が配分されている!」
ジョーは、自分が欺瞞を言っていることを自覚していた。
救援を送らないこと、それ自体が戦場に不和を招くと知っている。
だがそれを抑えるのは、やはり我慢を強いれる優れた指揮官だけだ。
狐太郎には、それができる。
「では行くぞ! 我等は愚かだが、せめて勤勉であることを示せ!」
※
主戦場の反対側、南にて。
頼もしい戦力たちが離れていく中で、取り残されたのはピンインとキョウショウ族、そして四人の貴族である。
彼らは目視できる範囲で行われる戦争に慄きながら、しかし狐太郎とダッキ、動けなくなったクツロを守っていた。
「……」
狐太郎は、相変わらずクツロを抱きしめている。
その表情はとても冷静なもので、逃避は感じられない。
到底、逃げる気配などない。
もとよりワープ技術がある相手にそんなことをしても無駄ではあるが、それでもあがく気はなかった。
彼はただ、前後から挟まれている状況で、腰を据えているだけだ。
戦っている戦士たちに運命をゆだね、ただ役目を果たしている。
(なんでこうなったんだ……!)
ピンインは顔を押さえていた。
キョウショウ族も、涙を流しながら盾を構えている。
あれよあれよという間に、最後の砦である。
もう本当に、気付いたらこうなっていたのだ。
なんで総大将の最後の守りが自分たちになっているのか。
いや、最後の守りではない。唯一の守りである。
彼ら彼女らは、自分たちの身の程を知っている。
大王直属のBランクハンターに抜擢されたが、それはあくまでもコネ。
彼ら彼女らの実力は、それこそ武将一人分にも劣っている。
もしも黄金世代が一人でいきなり現れたら、ただそれだけで壊滅である。
「……なあバブル、最後にいいか?」
「なに、キコリ」
「俺さ、お前のことが好きだったんだけど……よく考えたら、そんなに好きじゃなかった」
そして侯爵家の四人も、いよいよ追いつめられていた。
ダッキは狐太郎と一緒に死ぬ覚悟を決めているが、それを見ているといろいろと自分を省みてしまうのだろう。
「お前を好きになるんじゃなかった……」
キコリ・ボトル。
彼の最後の言葉は、青春からの卒業だったのかもしれない。
「お前を幸せにしてやりたいと思っていたけど……お前はちっとも俺を幸せにしてくれなかった……!」
情けない言葉、みっともない言葉だ。
だがそれでも、言っておきたかったのだ。
「じゃあ私たち、生きて帰ったら婚約破棄しようね」
バブルの言葉は、そんな彼を追い詰めるものだった。
バブルとキコリ以外、全員笑っている。
完全に不意打ちだったので、肩を震わせていた。
「おま、おま……俺が言うのもどうかと思うけど! 最後の言葉がそれかよ!」
「違うの?」
「生きて帰ったらその時は聞かなかったことにしようよ! 心にもないことを言ったってことにしてくれよ!」
「本音じゃん」
キコリは酷かったが、バブルはもっとひどかった。
むしろ怒っている。
「大体みんな怖くて泣きそうなのに、なんでそんなことを言うのかな。キコリは無神経だよ!」
「……」
キコリは何も言えなかった、言っていることは正しかったからだ。
「アンタにだけは言われたくないでしょうね……」
代わりに、マーメがそう言った。
思わず笑ってしまったが、笑っている場合ではない。
そして笑うのは、苦楽を共にしたキコリに失礼なことだった。
「三人とも、無駄口を叩くな。四冠様の前だぞ?」
苦笑しながら、ロバーが諫める。
要人の護衛中、戦争の最中で、近衛兵がやっていいことではない。
「いいさ、好きにしなよ」
だが狐太郎は、淡々としていた。
笑っていたが、決してバカにはしていなかった。
「四人とも、よくここまで来てくれたじゃないか。だからいいんだ、無駄口ぐらい叩いても怒らないよ。公式の場でもないんだし」
緩くなった雰囲気の中で、彼はダッキのことも慰める。
自分よりも大きく、力の有る彼女を、やんわりと撫でていた。
「いいじゃないか、婚約破棄すれば」
なかなか人生で言わないことを、とても穏やかな口調で言っていた。
なんとも珍妙な状況である。
「生きて帰ったら婚約破棄……俺もしたいよ」
「狐太郎様?!」
「俺は……戦後何がしたいとか、全然思いつかないんだ。精々クツロ達と一緒に旅行をしたいぐらいで……」
「ちょ、え?! この流れで?!」
ダッキが文句を言う。
だが狐太郎は取り合わない。
「俺は……何にもできないし、何にも決められないんだ」
不自由な男は、自嘲した。
彼は逃げることも許されないまま、ここまで来てしまった。
(酷い話だよ、まったく……)
ピンインは、狐太郎を呪った。
いっそ彼が、ここで馬脚を現してくれればよかった。
西重にくれてやってもいいような、鼻持ちならない相手ならよかった。
だがそうするには、狐太郎は弱すぎた。
彼はピンインと同様に、地位や立場で何も得をしていないのだ。
彼は決して不幸ではないが、かといって何不自由ない生活を送っているわけではない。
むしろ彼こそが、不自由の権化だ。
だが、だからこそ……。
彼には、この状況でも反乱者がいないのかもしれない。
「?!」
その時であった。
狐太郎たち本陣のすぐそばに、魔法陣が現れる。
僅かな予兆の後で、十人ほどの兵士たちが現れた。
言うまでもなく、西重の兵たちである。
まさに電光石火の奇襲、前線で戦う者たちが間に合わぬタイミングであった。
余りにも突然、余りにも鮮やかな襲撃であった。
気が緩んでいたピンイン達だが、瞬時に構える。
キョウショウ族は盾を向け、ピンインは強化を行い、四人は狐太郎とダッキ、クツロを守る。
だがそれでも、現れた兵士たちを見ると、顔がこわばった。
「四冠の狐太郎だ! 必ず捕えろ!」
率いているのは間違いなく黄金世代、率いられているのは間違いなく精鋭。
ありふれた策ではあるが、それでも致命的であった。
「おおおおおお!」
たった十人、されど十人。
余りにも近距離に現れた彼らは、狭い間合いを詰めるべく走り出す。
「あああああ?!」
その一歩目で、地面が爆発した。たったの十人を吹っ飛ばすには、余りにも十分な火力であった。
勝利への数歩は、一歩目で吹き飛んだのである。
他でもないピンインやキョウショウ族が、四人の若者が、物凄くびっくりしていた。
もちろん、爆発属性の使い手などいないのだ。
「ぐ、が……! チタセー様の為にも……!」
完全に不意打ちだったため、十人のうち九人は倒れて動かなくなった。
少なくとも足をやられ、狐太郎を捕えることはできなくなっただろう。
だが黄金世代であろう若い隊長は、這い上がるように槍を杖にして立った。
何が起きたのか、考える必要はない。とにかく狐太郎を確保しなければならない。
「お、お、お……?!」
だが、その彼の体が変色する。
内出血などとは違う、明らかな毒によるダメージ。
致命的なそれを受けて、彼は呼吸もできないまま地面に転がった。
「いやはや……儂たちに出番が回ってくるとはねえ」
「まったくまったく! こんないい役をもらえるとは思わなんだ!」
迷彩属性で隠れていた、蛍雪隊の隊員たちが姿を現した。
爆発属性の付与された矢を大量に持ち、森の中のための短い弓を持っている。
お世辞にも強そうではないが、この状況では心強かった。
「狐太郎様、ご安心ください。我等ネゴロ十勇士、命を賭してお守りいたします」
「最後の守りに参加する名誉……働きにて報恩したく存じます」
そして闇の世界の住人、ネゴロ十勇士。
彼らもまた、毒矢を手に参じていた。
「正直、期待してましたよ」
か細くとも、最後の一枚が生きた。
これよりは正真正銘、ただの我慢比べ。
ごまかしの効かない、本当の勝負である。




