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タイラントタイガーは、デスジャッカルを従えるBランクの中位モンスターである。
決して積極的に動くことはないが、その一方で尋常ならざる防御力と、頭の半分が吹き飛んでも戦う生命力を持っている。
以前にササゲはこのタイラントタイガーと戦い、キョウツウ技で倒すことができず即死攻撃によって倒していた。
Aランクモンスターが『伝説の英雄』以外では倒せない以上、Bランクの中位というのは常人が倒せるぎりぎりの線である。
だからこそ逆に現実的な範囲での強敵であり、ハンターの中では試金石となるモンスターの一種だと言っていいだろう。
もしもこの種を倒せたならば、Bランク相当の実力があると認められる。
とはいえ、それはこの森の外の話。
シュバルツバルトにおいて、このタイラントタイガー一体に手間取るようなら、討伐隊に参加することはできないだろう。一方的に叩きのめして殺せなければならない。
だがしかし、それは十人以上で襲い掛かることが普通だ。一対一で圧倒できるのは、前線基地の中でも五人だけである。
ピンイン、ケイ、ランリ。
この三人とその配下では、悲しいことに倒すことがやっとだった。
だがブゥ・ルゥとセキトにとって、大した敵ではない。
八本の腕が、八個の鉄球を回転させる。空気が渦巻き、漆黒の何かがきしむ嫌な音がする。
世にもおぞましい、あまりにも暴力的な光景だが、タイラントタイガーは逃げることができない。
四本の足は棘に貫かれ、びくりとも動かない。
これは杭で足を縫い留められているのとは違い、拘束の呪詛のようなものが作用しているのだろう。
しかし、そんなことはタイラントタイガーにはわからない。
この個体にわかるのは、その鉄球がどれだけ『痛い』のかという一点だけだ。
デビルギフト、アビュース。
遠心力で加速した鉄球が、全く同時に放たれる。
円回転していた鉄球は直進し、一発も外れることなくタイラントタイガーに命中した。
しかし、それに対して精度はない。騎乗したままファングラビットを射抜いていた、ケイに比べれば大したものではなかった。
なにせタイラントタイガーは大きいのだ。その上両者が動いていないのだから、鉄球をぶつけることが難しいわけもない。
もはや練習や児戯の域、只の的当てである。
「……あれ?」
八発八中、会心の当たりだった。
鉄球を命中させたブゥは、これでタイラントタイガーを仕留めたつもりだった。
全部が都合よく急所に当たるなど期待していないが、当たりさえすれば殺せると思っていたのである。
しかし、タイラントタイガーは健在だった。鉄球をぶつけられても、豆腐のように崩れることはない。
内出血ぐらいはしているのだろうが、見た限り骨折さえしていなかった。
もしも拘束が解ければ、今すぐにでもブゥへ襲い掛かるだろう。
「死んでない……なんで?」
「仮にもBランクの中位、当たったぐらいじゃ死にませんねえ」
「面倒だなあ」
まあ、拘束が解けるわけもないのだが。
「はぁ、やだやだ」
命中した鉄球を、巨大な腕が引き寄せる。鎖が一瞬だけ張り詰めて、鉄球が落ちると一瞬でたるむ。
如何なる原理か鎖そのものが縮んで、再び巨大な鉄球が回転を始める。
特に強化されているわけではなく、数が増えたわけでもなく、特別な細工が施されたわけでもない。
もう一度、同じことが行われようとしているだけである。
「早く死んでくれないかな」
逃げられない的に、死ぬまで鉄球をぶつけるだけだった。
まさに文字通り、俎板の鯉。なんの変化もなく、ただ続けていくだけだった。
鉄球の旋回する音、鉄球が激突する音、鉄球が地面に落ちる音。
それがただ交互に繰り返されていく、単調な時間。
最初こそ闘志を維持していたタイラントタイガーだが、しかし途中で自分の運命を悟っていた。
なんのこともない、自分の拘束はこのままで、相手はひたすら叩いてくるだけで、そのまま勝負は終わってしまうのだ。
生存競争どころではない、もうとっくに死んだようなものである。
「死なないなぁ」
「面倒ですねえ、もう少し追加しませんか?」
「そうだね、もう十分下がっただろうし」
どぷんと、水たまりができるように、ブゥの足元に影が広がっていく。それは彼自身の影ではなく、明確な闇だった。
なんでもなさそうに、ブゥはその闇の中に自分の手を突っ込んだ。
「デビルギフト、アパシー」
闇の中から現れたのは、もはや兵器だった。
彼が握っている柄だけは人間の手で持てる太さだったが、他のあらゆる部位が尋常ではなく大きい。
たとえるのなら、武将が使う長物の武器を、破城槌の大きさに変えたような、そんな馬鹿々々しい武器だった。
「さすがに、死ぬよねえ」
「だといいですねえ」
「無責任だなぁ」
ブゥは両手で持っている巨大な武器を、振り下ろすために担いでいた。
恐れるべきことに、鉄球八個は未だに回転を続けている。もちろん、タイラントタイガーの四本の足を拘束している棘も、一切緩みを見せない。
彼は何かをしているのではなく、全部を続けていた。
「せえのっ!」
ブゥの見た目も相まって、彼の攻撃は『子供のお稽古』だった。
親に言われて、やりたくもない訓練を嫌々やっている、そんな雰囲気だった。
だがしかし、叩いているのは人形でも的でもない。今なお生きている、タイラントタイガーだった。
ぶぅん、と風が切られた。
ぐしゃり、と骨が潰された。
拘束されているタイラントタイガーは、自分の頭ほどもある巨大な得物を食らって、今度こそ出血していた。
今までも内出血ぐらいはしていたのだろうが、今回は大量に出血をしている。
加えて、頭部の形が変わっている。どう見ても、頭の骨が破壊されている。
「まだ生きてる……どうなってるんだろう」
「後二三回で死ぬんじゃないですか?」
「適当だなぁ」
居残りで補習をさせられている子供のように、拗ねた顔で攻撃を繰り返すブゥ。
拘束は続き、鉄球は命中し続け、長物は振り下ろされ続ける。
まさに素振り、ただの打ち込み稽古と化していた。
逆に言えば、彼は普段からこれぐらいのことを練習しているのだろう。
それほどに、難しいはずのことが淡々と行われている。
暴君の名を持つ凶暴な虎は、何もできないまま原形を失っていった。
※
思わぬ冷や水だった。
ランリもケイもピンインも、ブゥがここまで強いとは思っていなかった。
狐太郎に従っている四体や、前線基地のハンターたち。
その面々に劣等感を受けることも、仕方がないと理性的に納得できた。
だが自分たちと一緒に試験を受けるブゥに対して、こうも劣等感や嫉妬を覚えるとは思ってもいなかった。
「すげえ……タイラントタイガーがひねりつぶされた……」
それは狐太郎も同じだった。
説明を聞いていなかった、聞く前にここへ来たのだから当たり前だが、ブゥの強さに驚いている。
周囲の情報を集める斥候役の精霊使いや、仲間を強化できる壁担当の亜人使い、機動力を活かして牽制や奇襲を仕掛ける竜騎士。
どれもが求めていた人材なのだが、最後のブゥは純粋な戦力だった。
「そうです、凄いでしょう? ブゥ・ルゥさんはとても強いのです!」
とても誇らし気なリァンは、他の三人を褒めたときのように紹介していく。
「ルゥ家は代々Bランク上位の悪魔であるセキトと契約をしており、当主はセキト本人と融合することで力を高めあうのです。悪魔使いということで正当な評価はされにくいのですが、セキトの力を引き出した当主の強さは最低でもBランクの上位に食い込みます」
紹介されているブゥへ、他の三人や亜人たちは畏怖の目を向けていた。
家の都合で嫌々来たはずの彼は、自分達三人やそのモンスターが束になってもかなわない相手だったのだ。
「その上で、ブゥさんの悪魔使いとしての資質は歴代最強! 今はまだBランクですが、経験を積めばAランクも夢ではありません!」
「ガイセイ並みってことか。流石は大公様の紹介してきた人だ……弱いわけがなかった」
「ええ、そうです! お父様は大公として、貴方を守るために最善を尽くしているのですよ!」
だがそもそも、驚くこと自体が失礼なのだろう。
リァンが言うように、大公が集めた少年がただの少年であるわけもない。
なにか隠し事をしていたわけではない。ただ話の流れで、実力が明かされるタイミングが今になっただけなのだ。
「ふっふっふ……私がブゥ様を当主にしたのは、タダの嫌がらせではないのです。ブゥ様に類まれなる資質があればこそ、当主になるよう要求したのですよ」
「資質って……僕の力は、お前がほとんどなんだけど」
自分の選んだ当主が褒められたということで、誇らしげなセキト。
しかし褒められている当人は、少しもうれしそうではなかった。
戦力的にはガイセイと同等に語られているが、それは彼だけの資質ではない。むしろ逆で、セキトを扱う才能だけが評価されているのだ。
悪魔使いの家系に生まれていなかったら、明らかになることさえなかった才能である。もちろん、当人はこれっぽっちも喜んでいない。
「何をおっしゃる、当主様は必死に努力なさっているではありませんか」
「そりゃあ父さんや姉さん、兄さんもみんな稽古をつけてくるけど、そんなの誰でもやってることだろう? 全然自慢にならないよ。僕が強いのは、Bランク上位のお前とルゥ家が契約しているから、それだけだよ」
ブゥが強いのは、何一つ不自然ではない。
悪魔使いの家系であるルゥ家に生まれ、大悪魔セキトに資質を認められ、既に鍛錬を積んでいた家族から英才教育を施されている。
彼は嫌々ながらも稽古に耐えて、今の力を得たのだ。これで弱い方がどうかしている。
「……努力、ですか。やはり悪魔使いも大変なんですね」
「そりゃそうじゃないですか、ケイさん。適当にやってたらみんな怒るし、今みたいなことができるようになっても、みんな褒めてくれないし」
ケイにとっては、少し救いだった。
何もかも大悪魔セキトがやっているのではなく、ブゥがもつ天性の資質だけでもなく、家に伝わる地道な鍛錬があってこそだったのだ。
ブゥはきちんと努力をして、タイラントタイガーを圧倒するだけの力を得たのである。
何もかも奇跡や偶然だったのなら、世の無常を呪っていただろう。
「それは私も同じですよ。今でこそ家の代表として送り出してくれていますが、昔は普通の竜騎士見習いよりも厳しくされていました」
才能があったからと『家業』を押し付けられたブゥに、自分で望んで『家業』に参加しようとしたケイは共感していた。
「普通の見習いよりも厳しかったんですか?」
「身内だからといって甘やかせば、周りに示しがつきません。それに竜はマースー家の人間にも厳しいですからね」
「大変ですね……」
特別な家に生まれ、特殊技能を引き継いだ二人は苦労を語り合った。
しかしその一方で、ランリは現実を受け入れかねている。
「……努力なら、僕だってしたさ」
ランリには才能がある、きっと姉にも負けていないだろう。
ランリは魔女学園の精霊学部で学んでいる、国内では最高水準だろう。
向上心だって人一倍だ、嫌々やっているブゥとは比べ物にならない。
だがしかし、ブゥのほうがずっと強い。
さきほど前線基地で起こった戦闘を見ても、彼ならさほど驚かず嫉妬することはないのだろう。
精霊使いが、悪魔使いに劣っているとは思えない。
ただ単に、ランクが違うというだけだ。
彼の前に、どうしようもない現実が立ちふさがる。
年上の姉に、いつか追いついて追い越すつもりだった。
しかし、当人の実力が追い付いても、精霊の格が違えば勝敗は明らかである。
結局のところ、魔物使いの強さは契約している魔物の強さで決まってしまう。
「……あの、公女様」
そして、目の前にはセキト以上のランクを持つモンスターがいる。
Bランク上位のセキトでさえ、ただ茫然と見ていることしかできないほどの実力があった。
であればAランク上位である四体はどれほどか、確認せずにはいられない。
「大公様にも確認をしましたが、狐太郎さんのモンスターの強さも確認させていただけるんですね?」
狐太郎のモンスターがどれだけ強いのか、それは護衛になるかならないかの判断材料になる。
なによりも、Aランクモンスターを知らなければ、前線基地で暮らすかどうかの判断はできない。
その正当性を掲げて、ランリは森の奥へ進むことを要求していた。
「え? そんな約束をなさっていたんですか?」
「はい、その通りです。護衛の候補である四人の方にも、狐太郎さんの実力を吟味する権利はありますから」
「俺の実力って……」
魔物使いの格が魔物で決まってしまうなら、Aランク上位のモンスターを四体も従えている狐太郎こそ、最強の魔物使いである。
たとえ当人が弱かったとしても、なんの努力をしていなかったとしても、戦闘中に足手まといだったとしても。
それを加味して尚、狐太郎はAランクハンターだった。
「まあ、そうですよね……遠路はるばる来てくださったんですし……皆、頼んだぞ」
ここに来るまで、ランリもケイもピンインも亜人も散々驚いた。
前線基地の一般的なハンターに驚き、隊長たちの実力に驚き、ただ立っているだけの四体に驚き、同じ立場であるはずのブゥにさえ驚いた。
そして、Aランクの戦いを見る。この世界の頂点に位置する、望みうる最高峰の戦いを見ようとしていた。
「ようし、ラプテルちゃんの為にも頑張るぞ!」
「仕方ないわね、キョウショウ族も私のことを信頼してここに来てくれたんだし」
「同胞がいいところを見せてくれたんだもの、私も張り切りましょうか」
「氷の精霊として、踏ん張らねばな」
 




