人間の醜さ
亜人の勇者たちは、英雄の戦いを目の当たりにしていた。
老齢を言い訳にせず、若者たちへ規範を示すように、もっとも強大な戦士へ挑む、偉大なる英雄。
その彼には、やはり尊敬の念を抱く。その強さを抜きにしてさえも。
ましてやその強さたるや、平伏したくなるほどだ。あれだけ強ければ、十万以上という、亜人の想像もできない人数を従えていることも納得せざるを得ない。
だがやはり、崇拝したくなるのはクツロに対してであろう。
魔王の姿に転じ、さらに強大な力を発揮しているクツロ。
彼女は爆発にもひるまず、むしろ悠然と受けながら、その力を示していた。
まさに、魔王と英雄の一騎打ち。
それを目の当たりにする彼らは、思わず手に汗を握っていた。
これは正に、亜人の誇り。
この世でもっとも強いはずの英雄と、互角以上に戦う亜人の誇り。
弱いものをいじめるのではなく、より強いものと戦う。
亜人の王、その偉業であった。
(……これほどか!)
クツロが戦う姿を知っているキンカクたちは、彼女の本気、タイカン技に震撼していた。
普段ならば、Aランク中位を倒すことがやっとのクツロが、今はAランク上位をさらに超えている。
例えるのなら、デット技の上乗せ。この後を考えぬ、滅多に使えぬ大技の大技。
それは分かる。分かるが、『その程度』で英雄と戦えるとは思っていなかった。
作戦は理解していたが、それでも見ると驚きを隠せない。
魔王の切り札、タイカン技。
それは余りにも、この世界の常識を逸脱している。
それが他の三体も使えるのだから、それを従えている狐太郎は四冠を名乗れるのだろう。
だがそれでも、それでもなお、戦況は五分がやっとなのだ。
(……ここはまだいい、名誉も栄誉もある。だが……)
この一騎討ちには、美がある。
だが反対側の戦場に、それはあるまい。
※
曰く、シュバルツバルトの討伐隊は、大将軍が率いる十万の軍勢を、ほぼ単独で一方的に殲滅したという。
それだけでも驚くべきことだが、さらに驚愕なことは犠牲が一切出なかったことだ。
千に到底届かない数でありながら、文字通り完勝したのである。
カセイは崩壊したが、到来した軍勢の規模からすれば仕方ないだろう。
この事実は、まさに伝説となり、希望となっていた。
だからこそ、どうしても甘く考えている者がいた。
今回も同じように、誰も死なずに勝てるのではないかと。
もしもそこまで簡単な話なら、そもそも最初から王都に乗り込み、殲滅している。
わざわざ兵を募り、武器を配り、訓練を課す意味がない。
もちろん募集の段階でも、命をかけて国家を取り戻す危険で名誉ある仕事だと、はっきり言っている。
当然だが、将軍たちもしっかりとそれを説明し、緊張感をもって臨むようにと言明していた。
だがそれでも、なんとかなるのではないかと思う者がいた。
前回は千人で十万を打ち破ったのである、次回も十二万程度ならば案山子程度に徹すればいいと思っていた。
だがあれよあれよという間に、最前線に並ぶ兵士たち。
彼らは横に並び、盾と槍を手にして、ゆっくりと歩くように指示をされた。
それに従って進んでいくと、目の前にも同じような敵が大勢いた。
大丈夫、大した敵ではない。
十二魔将様が何とかしてくれる。
これだけいるんだから、俺が死ぬわけがない。
そんなことを考えながら、彼らは前に進む。
同じようなことを考えているであろう敵と、矛を交える。
戦場の高揚で、高く叫ぶ者が出た。
それにつられて、吠える兵たち。
そして衝突が起きる。
何とかなる、どうにかなる。
そう思って、実際に目の前の敵軍を倒す兵がいた。
同じように思っていたのに、あっさりと殺される兵がいた。
それはマシな方で、苦しんで死ぬ兵がいた。
まだ助かるのに、味方に踏まれて死ぬ兵がいた。
どう考えても助からない怪我をして、それでも即死できない兵がいた。
家族を想い、故郷を想い、子供を想い、恋人を想い、慕う誰かを想い。
そんな人たちが、片っ端から死んでいく。
敵も味方も、特に何の成果もなく死んでいく。
兵の削り合い。それも双方の思惑が合致した、完全な捨て手である。
お互いの持っている『手札』が多すぎて、下手に動けばそのまま壊滅する。
それを避けるために、手駒を策もなく進ませて、策もなく殺させているのである。
数と数をぶつけ合わせて、自分のコマを消費しながら、敵のコマを消費している。
なんという愚か、なんという非道。
価値ある筈の命が、すり合って潰れ合っていく。
いっそのこと双方で申し合わせて『お互いの兵を十万ずつ下げよう』とでも言えばいいのに。
どうせ死ぬだけなのだから、紳士的に解決すればいいのに。
なぜ双方申し合わせて戦っているのに、わざわざ律義に、実際に死なせているのか。
死んでいく兵士たちは察することもできず、そして指揮をしている者たちも説明ができない。
確かなことは、最初からこうなると分かったうえで、双方が戦っているということ。
それを理解している第二将軍ショウエン・マースーは、苦々しい顔をしていた。
(この光景を、狐太郎様に見せなくて良かったと考えるべきか……)
精強なる竜騎士を従えていながら、しかしそれを投入できない。
上手に戦わず、ただ潰し合う戦い。
無能極まる我慢比べを、彼は歯がゆく見守っている。
「今のところは、ほぼ互角です。ですが、黄金世代であろう武人がそこかしこに配置されているため、場所ごとに押され気味です」
「……一点に集中していない、か。目に見えて押されれば、麒麟君……六席へ連絡を」
いっそ一点に集中してくれれば、以前のようにまとめて潰せるのに。
相手はそれを警戒しているので、あえて普通に運用している。
ある意味当たり前すぎる、まともな戦略だ。
(……まずこの国が血を流すべき、か)
若い将ほど、逸ってうまく戦おうとすることを彼は知っている。
大胆な策によって、成功することもあるが、失敗することも多い。
それを戒めてきた彼だが、これを見ていると安易に咎められない。
もっと上手いやり方があるのではないか、彼らを死なせない道があるのではないか。
そう思って、大胆な策を脳裏で巡らせてしまう。それがどれだけ罪深いのか、理解していながら。
(相手にも、あの封印の瓶がある……突出させても、相手を侵入させても、結局そこから大いに叩かれる……!)
もちろん、まったく手がないわけではない。
だがそれは、こちらの手札を切るということ。
限られた手札を使えば、そのまま相手も札を切ってくる。
それは大敗を招きかねない。
(……だが、言い訳の余地はない)
もしも亜人の傭兵を大量に雇用し、こちらに置いていれば、とは思わないでもない。
だがそれは狐太郎やクツロが嫌がっていた。
目の前の、目を覆いたくなる現状。それに彼らを参加させるのは、やはり心苦しい。
とても悲しいことだが、彼らは無償で、善意で、誰かのために戦っているのではない。
彼らは自分の国のために、自分の生活を守るために、自分のために戦って死んでいる。
そこにややこしい要素など、一切ないのだ。
だが、それでも、これは耐えがたい。
結果として、大勢死んでいるのだから。
世の中には、戦争に反対する者が多くいる。
戦争を憎み、軍隊を憎むものが多くいる。
戦争のない平和な世界を望む、多くの『平和ボケ』の声がある。
だがそれは、これを見れば納得だろう。
ここには、醜悪しかない。これを美しいとは、軍人たち自身が思えない。
理解しているのは、その醜悪が必要だということ。
もしも醜悪を理由にこれを放棄すれば、それこそもっと悲惨なことになる。
(まったく……まったく!)
確かに、央土の戦術は無茶苦茶だ。
総大将を主戦場の反対側に放置するなど、頭がおかしいとしか思えない。
だが一番おかしいのは、やはり西重の総大将だ。
(負けられない戦いなど、仕掛けてくるな……!)
全軍を投入してきた、国家の命運をかけてきた、退けない戦いを仕掛けてきた。
西重の若き大王、コホジウ。彼に対して、憎悪を抱かざるを得ない。
彼らにも言い分はあるのだろうが、これでは現場の裁量もへったくれもない。
なにもかも使い潰しての勝利、兵士たちをすりつぶしての勝利。
それを目指す戦いなど、現場としては許容の範囲外だ。
いっそ、なれ合いの戦場ならよかった。
政治的な事情で、ある程度勝ち負けの決まる戦いならよかった。
そんな、汚濁に満ちた戦いの方が、ずっとましだ。
彼は歯を食いしばりながら、最悪の戦いを指揮していた。
※
北の戦場における、最大の戦い。
アカネ率いる竜たちと、スザク率いる昏の戦いである。
既に人間たちの戦いが始まり、激化する中。
余りにも大きな竜たちと、余りにも小さな昏たちがにらみ合っている。
「お久しぶりですね、アカネ様」
「……」
「ふふふ、以前に比べて、格段に凛々しいお姿。まさに竜王、モンスターの王に相応しい」
いつもと変わらず、軽い口を叩くスザク。
だがその表情は、笑っているようで決然としていた。
「長々おしゃべりは嫌いですか? まあ、この状況では無理もない。ですが……私も、それなりの覚悟を決めてここに来ております。以前と違い、負けそうになったら頭を下げて許しを請う、ということはないですよ」
アカネたち、Aランクのドラゴン七体。
本来なら、それこそ英雄を呼ぶしかない戦力である。
だが相手は、上位を含むAランク十体、Bランク三十体。
ありていに言って勝算は薄いだろう。
いや、ない。まったく、ない。
だからこそ、アカネたちも『手札』を切っているはずだ。
「では、潰し合いましょうか」
むしろ勝ち目がないのは、昏の方だ。
ドラゴンたちだけにこの戦場を任せるわけがないのだから、だからこそ逆に昏たちは劣勢だ。
だがそれでも、瞬殺されることはない。
それができるほど、央土も潤沢ではない。
昏の役割は、央土の手札を、リソースを割かせること。
勝つことではない、だからこそ……死なずに戦うまでのこと。
彼女たちは、やはり守勢の我慢比べへ身を投じるつもりなのだ。
「人授王権、魔王戴冠。タイカン技、竜王生誕」
いっそ淡々として、アカネは竜王に変わる。
巨大な火竜と化したアカネは、著しい炎を吐きながら威圧する。
「……多くは語らず。英雄が心配ですか?」
歯がゆいだろう。
スザクはアカネの心情を察する。
だがそれは、哀れむのではない。
これが強敵だと、心胆が震えるばかりだ。
「では私たちもこれ以上多くは語らず……やりましょうか!」
竜王アカネに、スザクやミゼットでさえ圧倒される。
ましてやAランク上位モンスター以外を元にしている他の昏たちは、逃げ出したくなるほどだ。
だがそれでもスザクが行くのだ、行かない理由はない。
燃え盛る炎の翼を広げる彼女には、それだけの威厳があった。
「……みんな、行くよ!」
それはアカネに従うドラゴンたちも同じ。
今のアカネに逆らうなら、敵に向かったほうがマシだ。
今この瞬間、彼女は恐怖をもって君臨している。
「シュゾク技、ヘルファイア!」
アカネに続いて、ドラゴンたちが咆哮する。
七体のブレスが、小さすぎる昏たちへ襲い掛かる。
それはもはや、嵐が殺意を持ってぶつかってくるようなものだ。
Aランクであっても手痛い傷を負うであろうし、Bランク上位如きでは耐えきれない。
「隊長」
「ええ、分かってる」
そう、そもそもの時点で、昏のモンスターは本来のモンスターそのものではない。
小回りが利く、頭がいい、コミュニケーションが取れる、などの利点もある。
だがその一方で、体が小さく軽く、防御力や攻撃力が劣るという点もある。
完全上位互換ではなく、同位互換。
メリットもあれば、デメリットもある。
オリジナルに劣っているわけではないが、優れているわけでもない。
オリジナルと戦って、必ずしも勝てるわけではない。オリジナルとの体格差が著しければ、そのまま負けることもあるだろう。
ましてや、相手はドラゴン。
同ランクの中では、特に強いと言っていい種だ。
からめ手に優れた悪魔が同ランクの中では弱いのとは逆に、ドラゴンは同ランクの中では強い側に分類される。
もちろん彼らは同種の中ではやや劣っている側なのだろうが、それでも別種の彼女たちには関係がない。
ではなぜ、Bランクまで連れてきたのか。
それは、彼女達にも奥の手があるからだ。格上さえ食いかねない、一時的なパワーアップが。
「コンウ技……ドレスアップ!」
スザクとミゼットを中心に、ブレスを押し返す光の波が生じる。
それは奇しくも、何時だったかラードーンを相手にした時の、アカネたちにも似ていた。
「悪魔と戦った時は、必要なかった技……悪魔に呪われた後は、使えなかった技……私たちの全力、オリジナルを越える力……ウェディングドレスです」
モンスターたちの姿が、艶やかに変わっていた。
ショクギョウ技と違って、単に服装や装備が変わったわけではない。
タイカン技のように、著しく体形が変わったわけではない。
だが、彼女達の服が、体毛が、豪華に変化していた。
「婚羽というものを知っていますか? 一部の鳥は、繁殖期になると羽根が生え変わり、異性を誘惑するための姿になります。つまり人間でいうところの花嫁姿……あるいは勝負服ですね。まあそれとは違うのですが……こじつけめいていますが、私たちの本番の姿というわけです」
ドラゴンたちは理解した。
今の彼女たちは、タイカン技ほどではないにしても、強化されていると。
一段階、すべての能力が強化されていると。
「婚の宝によって生み出された、私たちの力……コンウ技! さあその力を味わっていただきましょうか!」
格上にも通じかねない力を、最強種を元にしているスザクとミゼットも発揮している。
それがどれだけ絶望的なことか、ドラゴンたちはひるみかけた。
魔王の残した宝、婚の宝。
モンスターの国を生み出すための宝は、決して温くない。
「……」
だがアカネは、平然としていた。
この状況で喜ぶ趣味など、彼女にはない。
「じゃあ、お願いね」
「ええ、分かったわ」
スザクは、何かの手札を予期していた。
だがまさか、ここまでの反則とは思うまい。
彼女は、大きな手を打った。
だから、失敗したのだ。
「コユウ技、アルティメットレゾナンス」
歴史を重ねたモンスターパラダイスで、なおも『最強のラスボス』と呼ばれる究極のモンスター。
最高のパートナーが、最悪の鬼札が、花嫁となった昏を迎え撃つ。
魔王の宝、何するものぞ。量産品、なにするものぞ。
人間の悪意、オーダーメイド。
反則中の反則が、オープンした。
 




