王侯将相寧んぞ種あらんや
英雄が民衆に殺される、つまりは罰を受けいれて死ぬ、というのはこの世界でもよくあることだ。
もちろん中には不満に思って他の国へ逃げるものや、或いは反逆する者もいる。
しかし大抵は、政治的な理由での死を受け入れて死ぬ。本気で暴れれば、あっさりと覆せるにも関わらずだ。
これに対して、疑問を持つものは多い。
反逆するだとか祖国を裏切るだとかは、余り褒められたことではない。だがそれを抜きにしても、大人しく謀殺されるというのは納得できないだろう。
規格外な力を持つ、この星で最強の生物でありながら、なぜ肥え太った役人たちの都合に従うのか。
これを突き詰めると、なぜ大将軍は大将軍なのか、という疑問に達する。
なぜこれだけ強いのに、好き勝手に振舞わないのか。あえて他の軍人と同じように、政治家に従って生きているのか。
これを大将軍たちに聞くと、むしろ不思議そうな顔をする。
なんでそんなバカなことを、自分たちに聞くのか。それが分からないのだ。
彼らにしてみれば、愚問愚答の極みだというのに。
たとえばボクシングの世界チャンピオンに向かって
『なんでわざわざ強い挑戦者と戦うんですか? 貴方は大抵の人より強いんですから、わざわざ選んで強い人と戦わなくていいのに』
と聞くぐらい馬鹿である。
ボクシングの世界チャンピオンが強い理由。
それは才能があるとか努力をしているとか、そういう理由もあるのだろう。
だが『ボクシングの世界チャンピオンになりたい』という目標、動機があるからこそだ。
ボクシングの世界チャンピオンが、世界で一番強い理由。
それは最強を目指して鍛えたからであって、最初から最強というわけではないし、なんとなく鍛えたから世界で一番強くなったというわけではない。
そしてそれは、とても普通のことだ。なぜ質問をするのか、そっちの方が間違っている。
むしろ、何も鍛えていないのに世界チャンピオンになる奴や、あるいはただ何となくトレーニングをしていたらチャンピオンになった、という方が驚きだろう。
世界チャンピオンになるには、物凄いトレーニングを積み続けなければならない。
同じぐらいトレーニングを積んでいる連中と競い合い、殴り合っていかなければならない。
もちろん途中で体を壊すこともあるし、むしろ世界チャンピオンになった後でも壊れるだろう。
とても真似できない、苦難の道。
それを歩み切った者たちが、チャンピオンなのだ。
だからこそ、その道の人間からは尊敬されるのである。
これは大将軍やらAランクハンターも同じだ。
英雄になるには物凄く大変なことがわんさかあって、実際に英雄になっても物凄く嫌な仕事ばっかりで、しかも雇用者に従わないといけない。
それでもいい、それでも頑張る、という人間が英雄になるのである。
そんな英雄に向かって『なんで英雄の義務なんかしたがってるの』と聞く方が馬鹿だ。
英雄が苦労してないとか、英雄に恩人がいないとか、そんな極端な考え方をしているのだろう。
英雄だって凡人と同じように苦労しているし、正規兵と同じように鍛錬を積んでいるし、一般の成功者と同じように恩人がたくさんいるのだ。
好き勝手に振舞うことが目的なら、適当なところで鍛えるのを止めている。
Bランク中位を倒せればそれで十分実力者扱いなのだから、そこで甘んじてしまうだろう。
英雄とは基本的に、真面目で志高いものだ。
そうでなければ、強くなどなれない。
だからこそ、王都を占拠している英雄たちも、一人として逃げようとしなかった。
たとえ己よりも強大な存在に挟まれようとも、自分だけ逃げて楽をしようと思わない。
それが、英雄になった者だ。
※
普通に行われる季節の移り変わりと、コゴエの影響。
その双方が合わさって、王都は寒さを増していた。
既にちらほらと積雪が始まり、日が照っても一向に溶ける兆しを見せない。
まさに、冬本番というところだろう。
さて、宮殿である。
無駄に広く、無駄に天井が高く、無駄に通路が多い。
だからこそ人々が大勢入っても大丈夫なのだが、だからこそ問題も多かった。
ただでさえ閉鎖的な生活を強いられていた人々は、さらなる閉鎖に苦しんでいた。
元より宮殿の壁の外には、西重の軍勢がひしめいている。そんな状況では、人の心も荒んでしまう。
中には宮殿の物を懐に、という者もいた。
しかしそのうち飽きて、元の場所へ戻してしまう。
この状況では、換金できないし、できても使うことはできない。
唯一、食料ぐらいは価値があったが、それはほぼ飽和している。
この冬が終わればいいという状況なので、避難民には十分温かい料理が振舞われている。
よって、食料にさほどの希少性はない。この非日常では、窃盗さえ不能に陥る。
そんな大人たちと違って、子供には娯楽があった。
寒さに負けない元気を持つ彼らは、無人となって広くなった屋外に出て、雪合戦などを始めたのである。
夜は特に冷えるが、日が照っていればそこまでではない。
直ぐに室内へ入れるということもあって、子供たちは時折室内へ戻りながら、疲れるまで雪で遊んでいた。
「はあ……子供は元気だねえ」
現在王都の民を守る、唯一の戦力、圧巻のアッカ。
屈強な彼は特に冬らしい恰好をすることもなく、半そで半ズボンのサンダル姿で子供たちを見ていた。
もちろん自分の小さい子供も遊ばせているが、他にも多くの子供たちが戯れている。
その姿を見て、彼は荒んでいた心を癒していた。
「……俺にあんな時代はなかったな」
人並みの親の幸せ、それは子供の健やかな成長を見守ることであろう。
彼はそれを満喫しているが、どうしても若いころのことや幼いころのことを思い出す。
自分を省みると、親にろくなことをしなかったなあ、としか思えなくてへこむ。
今自分の目の前で、子供が転んで泣いている。
しかしそのうち起き上がって、また遊ぶ。
そんな姿を見ても、どうしても共感しきれない。
「俺は、酷い子供だったなあ……」
たくさんいる子供たちが、子供同士で雪をぶつけ合っている。
だんだんと泣き始める子供がいて、面白そうに更にぶつける子も出てきて……そういういじめる子を、さらに諫める子も出てきた。
それを、ただ見ているだけでも満足できる。
もしも現役時代の自分なら、少し見ているだけで飽きて、どこかへ行ってしまっただろう。
「そのうえ、酷い伯父だったな。おまけに今は、大して強くもなくて……過去の栄光にすがってるだけのおっさんだ。そりゃあ勘当した親父たちも、慧眼ってもんだ。人生は、これからが本番だってのに」
独白する、毒を吐く。自虐し、自嘲し、自罰する。
もう現役ではないと口にしていても、やはり負けたこと、勝ちきれなかったことが悔しかった。
いや、情けない。悔しいのなら、それこそ奮起していただろう。情けない、というのは反発さえない感情だ。
「力を振りかざして、威圧して……いうことを聞かせて……嫌な男だ、まったく」
過去の行状を、しみじみと後悔していく。
それができる現状を、それなりに憂い、しかし激しいものは湧き立たなかった。
諦念、達観。
それが彼の、行き着いた感情だった。
「はっはっは! 最強の男が、ずいぶんとしょぼくれたもんじゃのう。今ならわし一人で殺せそうじゃわい」
「……アンタか」
どかりと、大柄な老人がアッカの隣に座った。
本来なら、この場に居てはいけない男。
しっかりと武装し、自分の身分や役職を露わにしている男。
西重軍総大将、チタセーである。
「お主をぶち殺し、そのまま槍にでも飾って、央土の軍へ晒す……やってみたいのう!」
「ん、やるか?」
「はははは! できればよかったのじゃが……ま、言ってみただけじゃ」
「格好悪いなあ」
「ほほほ、その通り。口だけの男は恰好が悪い」
老雄というには、まだ若いアッカ。
そして引退寸前といった風貌のチタセー。
両者は特に気負いなく談話を始めた。
「結果のともなわない男は、何をしても、何を言っても、何を考えても恰好が悪い」
「まったくだな。歴代最強のAランクハンター様も、御覧の通りだ」
「いい人生ではないか……子供がいて、妻がいて……」
「爺さんにもいるだろう」
「もちろん。もうとっくに、妻には先立たれたがのう。大将軍になって尚、躍起になって手柄を求めて、戦場でその報告を聞いて……」
両軍の最強戦力とは思えない、男同士の会話だった。
「どうだった?」
「どうとも思わなかった。それよりも、戦況が大事だった」
「酷い男だなあ……だが軍人の鑑だ、恰好がいいぜ」
「そうじゃな……戦場では、何人も死んでいる。感覚がマヒしたのかもな」
二人は、迂遠な話をしていた。
本題などごめんだと、両方とも考えているようだった。
「お主は、人相手ではなくモンスター相手の専門家だったそうな……やはり、人々から無心の感謝をされたのか?」
「ぜんぜん。多分俺が守ってた街の連中は、俺の顔も名前も、役職だって知らねえよ。そんなもんだろ、英雄なんて」
「ははは! そうじゃな! 英雄なんてそんなもんじゃ!」
ああ、どうしてこんな会話だけで人生が終われないのだろう。
どうしてこの平和が、世界全てに、永遠に続かないのだろう。
「英雄にならず、妻を愛し、子を愛し……普通の人間として生きて死ぬ。それが豊かな人生だったのかもしれんな」
「それをぶっ壊したことのある俺からすれば、のんきなことだぜ。豊かだろうが何だろうが、守れなきゃ意味がねえ」
「違いない。それを守るために、儂は英雄を志したのかもしれんな。まあ……もう憶えておらんが」
「憶えてないなら、そんなに大事じゃねえんだろう。俺が英雄になろうと思った理由は、一度だって忘れてねえ」
父と母、婚約者と義理の弟。
まっとうに生きていたはずの、いい領主たち。
「家族に復讐したかったが、正当性が欲しかった。だから英雄になろうと思ったのさ」
「陰湿じゃな……趣味が悪い。もっと剛毅な男かと思っておったがな」
「ははは! はあ……まったくだ。腐ってるよ……俺は」
自分は、いい父になりたい、いい夫になりたいと思っている。
しかしいい子供ではなかった、それだけは貫徹してしまった。
「で、剛毅な侵略者様。なんの御用で?」
「この王宮の人間を皆殺しに来た」
「ほ~~……いよいよ最後の戦争か。つまりは……王宮のやつを殺されたくなかったら、俺に手を出すなと」
「そういうことだ」
「いいさ、最初からそのつもりだ。どのみち、誰かがこの王宮を守らないといけないからな」
剛毅な侵略者。
その言葉を聞いて、反芻して、テンポを遅らせて、チタセーは笑った。
「ははははは!」
「何がおかしい?」
「剛毅な侵略者……なるほどなるほど、儂は、剛毅な侵略者か」
「そうだろう」
「ふっ……儂は剛毅か、そうか」
まるで北笛の大王のようだ。
いっそあそこまで突き抜ければ、なるほど汚名にしても清々しい。
「お主の前にある、この平和。儂が踏みにじる!」
「もう踏みにじった後だろ、何言ってるんだ」
「ははは、違いない! まあとにかく……うむ、我らが大王陛下にも、そちらの大王にも……開戦の報せを送った。後はもう、戦うだけじゃな」
もう、戦うだけだ。
彼は自分の手元にあるすべて、国家のすべてを賭けて戦うだけだ。
「ウンリュウを討ち取ったお主の後輩ども……儂が全員ぶっ殺してやるわい」
「はっ、無理だな。アイツらは強いぜ~~? 俺がいなくなった後も、あそこで戦ってたんだ、肝の据わり方が違う」
「自信満々じゃな」
「当たり前だろ。退くべきか否か、なんて贅沢な悩み、アイツらにはねえんだからな」
さきほどまでしょぼくれていた男とは、とうてい思えない覇気にみなぎった顔と口調だった。
「ジョーやリゥイ、グァンやヂャン。あいつらにはヒトを使う素質がある。元々軍人向きだった奴らだ、将軍だってこなすだろう」
歴代最強のハンターは、自分の元部下を自慢げに語る。
そこに、一切の影はない。
「ガイセイとシャインは、そういうのはあんまり得意じゃねえ。だがその分とっても強いぜ。特にシャインは天才だからな」
彼は知っている。
己の在り続けた戦場が、どれだけ過酷だったのか。
そこに踏みとどまり続けた者たちが、どれだけ偉大な戦士なのか。
真のハンターへ、彼は賞賛を惜しまない。
「他の隊員だって、他所の連中とは比べもんにならねえぐらい強いぜ。心も体もな……奴らは、絶対に負けねえよ」
勝つではなく、負けない。
その言葉には、光がある。
「大した自信じゃな。じゃが、お主の後釜はどうかな? 噂では、地位を与えられただけの男とか」
「ははは! アンタもずれてるな! わかってるだろ?」
歴代最弱、評価のしようがないほどの弱い男。
四冠の狐太郎が、もうじきここに来る。
「ただここに来る、その意味がな!」
「違いない……ただここで待つ身としては、な」
国家の命運を背負って、ここに来る男。
そこには、弱さがあるわけもない。
「央土の運命を背負う男……相手にとって不足はない。我がすべてを賭して、打ち砕くのみ」
「砕けるのは、お前だぜ」
「それならば、本望。砕け散り、血路を開くのみよ」
混じり気なしの軍人、兵士、男。
この世でもっとも純粋な戦士が、腰を上げて去っていく。
余分なものは、もうすでに吐き出し終えていた。
「我は西重国大将軍、チタセーなれば!」
現役の大将軍は、正に気骨をもって立ち上がり、背を向けて出ていく。
「……格好いいねえ」
老雄、憂いなし。
万人が望む英雄の体現者を、アッカは敗北感を味わいながら見送った。
数日後、西重の首脳たちへ開戦の意思が届き。
そして、チョーアンにもまた、再開の意思が示された。
戦いが、再開する。




