同盟におけるリスク管理
西重軍は、かくて決戦の決断を下した。
央土国を相手に、一世一代の大勝負である。
元々六人の将軍たちも乗り気ではあった。
だがチタセーがこうして決断を下したことには、それなりに疑問があった。
なぜこんなにも重大な決断を下すことができたのか。
六人の若者は、それこそ己たちの祖父ほどの老雄へ質問をせざるを得なかった。
「チタセー閣下……お見事なご決断でした」
「ははは……見事な失敗だと笑うか?」
「いえ、そのようなことは……」
西重国の寒さは辛いものがある。
しかしこの央土の王都は、一気にそれを越えてきた。
敵地ゆえに気にするまいと、適当に家財を壊して薪にしている暖かな部屋の中で、将軍たちは改めて会議を行っていた。
既に昏たちは与えられた別室に向かっており、そこで『交信』とやらをするらしい。
よくわからないが、特に問題もないので放置することとなった。
「あの色っぽい視線とユーモアに惹かれてのう!」
わざとらしい笑いをしながら、チタセーは決断の理由を明かす。
もちろん、誰も信じていない。ただ白けて、いらだった雰囲気になっているだけだ。
「ふふ……冗談じゃよ」
大将軍への、尊敬の念が消えそうだった。完全に冗談が失敗している。
今は場を和ませてほしいわけではない。話を進めて欲しいのだ。
それを察して、チタセーは改めて判断の理由を明かす。
「正直に言えば……儂は第五の道を選ぼうと思っていた。奴らと手を組む、組まない。戦う、和睦する。それらではない、第五の道をな」
彼は、あっさりととんでもないことを言った。
「全面降伏するつもりだった」
これには、六人全員が黙る。
激しく黙る、という状況であった。
表情は激しいが、発言ができない。
しかし、一笑も一蹴もできない。
相手の強大さ、自分たち自身の力の差は理解できていた。
「戦う力を保持した上で、央土に降伏する。さすれば我らに外交権はなくなり、他の三か国との約束も守り様がなくなる。もちろん三か国は不満を持つだろうが、東は手を出せんし、北と南が攻めてきてもお主たちと央土で追い返せよう」
力を借りておいて、踏み倒し、なおかつ追い返す。
詐欺以前の最悪の手口だが、それでも自国の存亡には代えられなかった。
「央土も不満はあるじゃろうが、矛を収めたいのは同じ……儂と大王陛下の首で勘弁してくれるじゃろう」
静かに、自分だけではなく大王も一緒に死なせるつもりだった、と明かす。
これにも反論したいが、少なくとも大王はそれを受け入れるだろう。
一旦チタセーは、大王へ判断を任せた。
その大王がさらに判断をゆだね返したのだから、何をしてきても文句は言うまい。
少なくとも、自分の首を惜しむお人ではない。
「その場合、我等は央土の尖兵と化していたわけですね」
「さよう……信用されぬがゆえに、前線で使い潰される尖兵としてな。まあ……冴えたやり方ではないが、この老いぼれにとっては唯一のアイディアであった」
もちろんチタセーも、自分はともかくコホジウを巻き込んで死にたいわけではない。
ましてや央土を相手に首を差し出すのだ、それこそ『首』で済む保証さえない。
文字通り、楽には死なせてくれないだろう。それだけのことをしたのだから、それもやむを得ない。
あるいは人質として、央土の手元に置かれるかもしれないが、それも楽ではないはずだ。
「それでも、祀などに存亡をゆだねるよりは、大いにマシであろうさ」
チタセーは、祀をまったく信用していなかった。
大王はそれこそ苦肉の策として協力を申し出たのだろうが、見込みが甘いと老雄は思っていた。
思っていた、である。
「だが……昏に接触し、奴らの内情を概ね察した」
「どのような、内情ですか」
「てっきり奴らは、我等に寄生するか、あるいは乗っ取るつもりかと思っていた。実際にそう思っていたのだろうが……状況が変わった」
老雄の目は、敵の戦略を見抜いていた。
「例の……四つの冠についてですか」
「そうじゃ……おそらく、奴らにしてみれば最悪であろうな。央土と偽りの魔王とやらが、完全に一蓮托生というのは」
一蓮托生。
弱みでもあり、強みでもある。
そう、強みでもあるのだ。
「狐太郎を脅かす者を、央土は許すまい。公私を問わず、全力で排除しようとするじゃろう。少なくとも狐太郎が裏切らぬ限りはな」
「……祀にとっても、昏にとっても、央土は強大ですか」
昏の娘たちは、確かに強かった。
少なくとも、思い上がるだけの実力はある。
この場の英雄たちからしても、それなりに面倒と思える相手だ。
だが、英雄には勝てない。束になっても、絶対に勝てない。
もし祭の宝とやらが完成しても、英雄には勝てない。
英雄に勝ち目があるのは他の英雄か、魔王の冠とEOSだけだ。
「しかし……奴らは歴史の長い組織です。その割には小さい規模のようですが、それは潜伏を長期にわたって行っていたということ……狐太郎が老いるか、死ぬのを待てばいいのでは? そうすれば、魔王と央土の関係もいずれは……」
「儂も、そう思っていた。自分では無理でも、次の代ならば……とな。あるいは奴ら自身が、それなりに長命なのかもしれぬが……」
まあ、なくはないのだろう。しかしそれなら、少しおかしい。
「ならば初手でそうするべきじゃ、我等に声をかける意味がない」
「おっしゃるとおりですね……では奴らの狙いは、別にあると?」
「うむ……沈みかけた我が国を、救ってやろうとしている……理由は、一つしかあるまい」
今回の契約は、やはり相互的なものだ。
老雄はやはり読み切っていた。西重ほどではないとしても、彼らにもそこまで余裕がないのだと。
「彼女達にも敵がいるのだ」
※
「西重軍との交渉が成りました。彼らは我等と手を組み、央土を迎え撃つ算段です」
『そうか……余り無茶はするな。お前達が欠ければ、それだけ悲願が遠のく』
「もったいないお言葉です」
『だがそれはそれとして……成長を期待している。勝てばそれが最善だが、負けたとしてもより強くなって帰ってこい』
「承知いたしました」
カンヨーの豪邸、その一つ。
そこに拠点を構えた彼女たちは、現状の報告をしていた。
これで央土が無傷のまま和平となり、より狐太郎の守りが硬くなる、ということは避けられた。
このまま勝てば、それはそれで御の字である。冠を手に入れることにより、四つの内三つの宝を確保できるのだから。
もちろんそう簡単に勝てるとは、誰も思っていないのだが。
情けないことだが、彼らは既に鼻を折られている。
だからこそ逆に『相手が馬鹿だから失敗するだろう』とは思っていないのだ。
それは現場で実際に戦う者の士気を下げるものではあるが、油断して戦って、負けて死ぬよりはいいだろう。
「ふぅ……さあみんな! 先に言っておくけど、今回の敵は強大だよ! 勝てなくても仕方ないし、負けても腐らず頑張ろうね!」
相変わらず先に言い過ぎだった。
だが自分達よりもはるかに強大な七人の英雄を見て、その英雄が寒波に怯えているところを見れば、文句を言う気も削がれるというものだ。
「隊長、聞きたいことがあるんだけど」
「なにかしら、トーチちゃん」
しかしそれはそれとして、言いたいことはあった。
タールベアーのトーチは、挙手の上質問をする。
「いっつも最終的な破滅最終的な破滅って言ってるのに、なんだってこんな危ない橋を渡るんだ?」
確かに西重は強いが、央土はもっと強い。
このまま戦えば、五分以上の確率で大敗するだろう。
それでも西重としては『今勝てば解決する』という事実と、『負けても引いても衰退する』という事実によって、戦うことを選ばざるを得なかった。
「言いたくないけど……私たちよりもずっと強い奴らがたくさんいる戦場だろ? 私たちが全滅したら、それこそ最終的な破滅に近づくんじゃないか?」
昏の面々は、替えが利くと言えば利く。
だが替えが利かないと言えば利かない。
母体として生み出された彼女達は、子を産むことができる。
しかし婚の宝は、一種につき一体しか母体を生み出せないのだ。
多くの危険なモンスターが生息するこの世界においてさえ、Aランクの種類はそこまででもない。
ましてやAランク上位ともなれば、本当に数えられるほどだ。
「ん~~! いい質問! 実にいい質問だね!」
「は、はあ……」
「皆~~! トーチちゃんを見習おうね! いつもはミゼットちゃんが私にいろいろ聞いてくれるけど、まずは自分で不思議に思ったことを、私や周りの人と話し合おうね~~!」
彼女はやや大げさに振舞いながら、他の隊員にも微笑みかけていた。それこそ、幼児番組めいている。
やはり滑っている。彼女は仲間の士気を上げるのが苦手らしい。
「本題に入れ」
「んぎゃ!」
ミゼットからの的確な攻撃が、体の中に突っ込まれた。
ツッコミとは話の筋を本題へ戻す役割だというが、まさにそれであろう。
「そうだねえ! 部下の子からの質問に、分かりやすく答える……それが隊長の仕事だもんね!」
「そうですよ、だから早く話せ馬鹿」
「馬鹿……」
不死鳥も、傷つくときは傷つく。
流れるように罵倒されて、少し落ち込むスザクである。
「そうだね、じゃあ本題。最終的な破滅だけは避けなければならない……その考え方が、間違ってるんだよ」
スザクはにっこり笑って、部下たちに状況を説明した。
「確かに西重にとって、今回の選択は最終的な破滅につながりうる。なにせ負けたらそれまでだもんね。でも私たちはそうじゃない、負けても次があるし、戦う必要さえない」
昏にとって、負けてもいい戦いだ。
その点では、前回と大差はない。
「でもね……絶対に勝てる戦いだけしていたら、先なんて知れてるんだよ」
絶対に勝てる戦いとは、つまり弱い者いじめである。
戦略とはつまりどれだけ戦力を用意できるかであるのだから、多数で少数を袋叩きにするのが理想だろう。
つまり戦う前の段階、始まった段階で、『絶対に勝てる戦いかそうでないか』は決しているのだ。
どれだけ策を練ったとしても、どれだけ相手の内情を探っても、どれだけ運が良かったとしても。
相手がものすごく弱くない限り、絶対に勝てる戦いとはならない。
相手が強いのなら、こちらも強くなるしかない。
強くなるとは、負荷をかけること。課題を解決していくことである。
「絶対的に有利な状況、絶対的に優位な数、絶対的に負けない実力差……それが整った状況以外では戦わない、なんて惰弱にもほどがある。それでは避けられない戦いに勝てない」
なるほど、戦えば勝てる、勝てないなら戦わない。そんな状況が最善なのだろう。
だがそれは、避けられる戦いでしか成立しない。
戦うことが避けられぬ状況をこそ、想定して備えなければならない。
そうでなければ、その本番であっさりと終わってしまう。
「避けられる戦いだからこそ、経験を積むために臨むのさ。いつか来る、私たちにとっての決戦……私たちを狙うものとの、避けられぬ戦いのためにね」
最終的な破滅だけは避けなければならない。
しかしそれは、安易な道を進むことではない。
やがて遭遇する、最終的な敵に備えなければならない。
リスクを選択し、コストを確かめ、リターンを得る。
それを繰り返して、大きく成長しなければならない。
「それならさ、退くことを提案したのはなんで?」
「退いたら退いたでいいじゃないか、彼らと協力関係になれる。あの七人の英雄とお友達になって、場合によっては守ってもらえるんだよ? 最高じゃないか」
自分たちが経験を積むこと、それは確かに大事だ。
だが強大な仲間を得るのなら、それはそれで悪くない。
今の西重と祀は一蓮托生ではないが、それなら今からそうなってもいいと、彼女は考えている。
「少なくとも、一人目の英雄はそうやって強く大きくなった。今の彼は、もはや『冠の支配者』などに収まっていない。魔王の主であるというだけじゃない、央土という強大な国家さえ仲間にしている」
狐太郎は央土を守るために四苦八苦しているが、央土もまた狐太郎を守るために四苦八苦しなければならない。
実際のところ央土の英雄が恐ろしいから、祀は狐太郎へ直接手を伸ばせないのである。
「とにかく……今すぐに西重と仲たがいする必要はないのさ。関係を一旦切ると、結びなおすのは大変だからね」
彼女は笑いながら、残酷なことを言う。
「まだ西重には、利用価値がある。まだあの七人がいる」
残酷だと知って、残酷なことを言う。
それはそれで、彼女の優秀さの表れだった。
「この前の小競り合いでは、得るものがなかったけど……今回は勝ちたいね、あの七人を手にするために」
以前に英雄と戦い、敗北した。
その経験が、彼女をより優れた指揮官にしていたのである。
※
「……どう思う?」
この世の何処か、とも定かではない場所にて。祀たちは、相談を行っていた。
スザクが言っていることは、今のところ正しい。
負けても逃げられるし、戦えば成長が見込めるし、勝てば目標達成に大きく近づく。
四つの冠がすべて手に入り、西重が味方になることで領地が手に入り、なおかつ同盟になることで保護も得られる。
四つの宝の内三つが手に入るのだから、先祖から引き継いだ大望は達成寸前になるだろう。
それが、半々より怪しい可能性ではあっても、だ。
半々で大望が達成できるのなら、悪いわけがない。
であれば、どう思う、というのは『戦争について』ではない。
「スザクの自主性についてか。確かにあの娘は、自主性が強い。今回も勝手なことを相手へ申し出たそうだからな」
「ミゼットからの報告か……彼女はどうにも、スザクと和合していない」
「それは結構だろう。少なくとも今の規模ならば、問題にならない」
「そうだな、今の規模ならば、だ」
彼らが問題に感じているのは、昏の隊長であるフェニックスのスザクについてだ。
まったく反抗的ではなく、従順である。知的であるし、指導もできている。
だが昏に自主性がありすぎると、それはそれで問題だった。
「我等から独立する、という可能性か。……スザクがそんなことを、態々するか?」
「そういう野心があるとは思えないな。何よりも、現時点でまったく裏切っていないことが、その証明だろう」
言うまでもないが、昏は祀よりも強い。
そして祭の宝も婚の宝も、どちらも祀が管理している。
つまりスザクがその気になれば、祀を壊滅させ、両方の宝を奪うこともできる。
現時点ですでに、祀が必要ではないのだ。それでも裏切ってこないのだから、その心配はないだろう。
「スザク以外の隊員は、むしろ自主性のありすぎるスザクへ反発的だ。彼女たちも裏切るまい」
「そうだな……だが、裏切られないように、密接にかかわるべきではある」
「……手抜きは良くないな。あの時の二の舞はごめんだ」
「慕われているからと言って、対価などを惜しんではいけないな……」
失敗から学ぶのは、現場の人間だけではない。
プライドの高い祀たちは、だからこそ空論城での敗北を糧にしていた。
悪魔に対して、悪魔が望む対応をしていれば、今の状況も違っていたはず。
それを理解しているからこそ、今手元にある者へも誠意を見せることにしていた。
「祭の宝が完成しても、彼女達が用済みになるわけではない。むしろ出来上がってからが本番だ、今から労いの準備をしておこう」
「旨いものでも準備するか、好みを確認しておかなければな……」
「勝手にやるとまずい、アンケートも準備しよう」
彼らは彼らで、真剣に『最終的な破滅』を避けようとしていた。
どれだけ格好悪く見えたとしても、それは見る側の問題であろう。
「……国家経営の準備と思えば、大したことではない」
「……国家の経営とは、こういうものだものな」
なお、彼ら自身にも問題意識がある模様。




