賽は投げられた
富める者のところに、より富は集まるという。
実際のところ、元手がある、既に教育を受けている、などの理由で富の有るものは有利だ。
もちろん、猪も七代続けば豚になるというし、驕る平家は久しからずともいう。
有利であるというだけで、それが恒久的に維持されるわけでもない。
とはいえ、有利である、というのはとても大きい。
場合によっては、有利でなければたどり着けない場所もあるほどだ。
そして今、精霊と精霊使いは、極めて物理的に到達困難な場所にいた。
王都の東にある霊峰コンロン山。
とても高く、非常に切り立っている、尖った岩山。
万年雪の積もるその地で、王都奪還軍第四将軍コチョウの率いる一団は、山頂から王都を見下ろしていた。
「……度を越えて騒がしいな。人が寄り付かぬこの地に、お前達や私が現れたことで、興奮している様子だ」
しかし、その視界を膨大な精霊が遮っている。
コゴエや人間が現れたことで刺激された氷の精霊たちが、その周囲を楽しそうに旋回しているのだ。
一体一体なら可愛らしいものだが、文字通り雲霞となって周囲を満たしている。
今まで何度か見た光景であるが、それでも精霊使い達は息を呑む。
いいや、ことさらに力を増している、コゴエの姿に見入っているのだろう。
コンロン山という氷の精霊が優位となる場所で、彼女は魔王にならずともその強大さを増している。
普段は自らの力で急激に周囲の環境を変えている彼女だが、やはり最初からそういう環境にいる方が強くなれる。
まだ秋の中頃であるが、今の彼女はそれこそ冬場の状態である。
「……なんという美しさ、まさに自然の猛威」
「素晴らしい……何時にもまして、力が溢れている」
「これで魔王になれば、一体どれだけ強くなれるのだ……」
なお、コチョウは何度か見ている姿でもある。
(相変わらず、というべきよね……)
シナジーが最悪な火竜のアカネと共に戦って尚、他の三体と比べて見劣りしなかった。
その彼女の本領、なるほど他の三体ですらかすむだろう。
「うっとうしい」
彼女は怒りを漏らした。
彼女はそうそう怒らないので、よほど苛立っていたらしい。
滅多に怒らない彼女だからこそ、ただの一言で恐ろしい。
それは精霊たちも同様で、己たちの王の怒りにより、稚魚の群れのように逃げ去って、他の精霊使い達の影に隠れた。
とはいえ、精霊使い達も怯えている。感情が希薄な彼女の怒り、それに触れることが恐ろしかった。
万年雪の張り付いた岩肌に掴まっているのだが、そこから落ちそうになっていた。
もちろんこれだけの極地なら、精霊の力も増大する。その分彼らも強い術が使えるので、落ちても死ぬことはないだろうが。
しかし、落ちて死ぬことはないとしても、彼女の怒りで死ぬ可能性はあった。
「こ、コゴエ様」
「……申し訳ない、驚かせる意図はなかった。ただ今は、機嫌が悪い」
「……狐太郎様のことですね」
普段から親交のある二人は、山の頂上から『戦場』を眺めていた。
もうすぐここで、大戦争が起きる。先日の規模を、はるかに超える大戦争だ。
そして、それですべてが終わる。
「ご主人様はご自分に、命をかけること以外に価値がないと、本気で思われている方だ。だからこそ、命の危機へ、身を置かれてしまう」
「……ええ、そうですね」
「心をすり減らせながら……ご立派という他ない。しかし、私としては……いや、私たちとしては」
眼下の、広大な世界。
竜の背に乗ったのと同じような、俯瞰の視点。
そこに立つ二人は、しかしこれから血で血を洗う戦争に入ることを嘆いていた。
「別に、無理をしてほしいわけではないのだ」
狐太郎が立派なことは誇らしいが、それはそれとして命をかけて欲しくない。
そんな状況に、身を置き続けて欲しくない。従者として、素直な心境であった。
「……皆さん、そう思っていますよ」
「そうだな。だが、この状況……いや、祀と昏の有る限り、うまくはいかぬだろう」
コゴエは精霊であり、感情に乏しい。
だがだからこそ、先日のスザクを観察していた。
アレは、手ごわい。
端的に言えば、負けても屈さない心を持っている。
諦めてくれない、というのは強敵だ。
「コチョウ」
「はい」
「話を聞いてくれて助かった。多少だが、苛立ちも収まった」
彼女の内心でどんな情報が渦巻いているのか、コチョウにはわからない。
だがコゴエは確かに、コチョウと話をしていることへ、価値を見出していた。
「それは、何よりです。私も……コゴエ様のお役に立ててうれしいですよ」
そう言って、彼女はコゴエの手に触れていた。
現在コチョウは火の精霊と同調しているので、とても熱い。
しかしコゴエは、それを受け入れていた。
「……精霊使い、とはやはり。うむ、好ましい。あのランリもそうだった、悪気はなかった」
「……」
「本当は、私が止めるべきだったのだ。あのときは……情けないことだが、あまりのことでご主人様を守ることしか考えられなかった」
リァンの怒りは、コチョウも何度か見てきた。
彼女の苛烈さは、それこそリゥイに勝るとも劣らない。
過激で極端、だが正しくもあった。人として、間違ってはいなかった。
「ご主人様は、良くおっしゃっていた。ランリやケイが、もしもいてくれたらと……あの二人とも、ブゥのような関係になれれば、と」
「もったいないお言葉です」
「白々しいことを言った、許してくれ。さて、やるとしようか……皆へ指示を」
「はい」
コゴエからの気遣いは、彼女にとっても暖かだった。
これだけ彼女が優しいから、ランリは甘えてしまったのかもしれない。
もうどうしようもないことだが、やはりコゴエは素晴らしい精霊であった。
「では、皆さん。そろそろコゴエ様が戴冠されますので……?」
なお、他の精霊使い達は、とても恨みがましい目で見ている。
クラウドラインと一緒に空を飛ぶショウエンを見る、他の竜騎士たちと同じ視線であった。
嫉妬、それである。氷の精霊の王と、私的な付き合いがある。
ああして話ができる、というのはとても羨ましいのだろう。
人との縁、精霊との縁、それも資産である。持たざる者は、嫉妬せざるを得ない。
「……ええ、では皆さん、お願いします」
改めて、コチョウはお願いした。
指示と呼べるほど、力強いものではなかった。
「……承知しました」
なお、その請願は一応届いていた。
無軌道だった周囲の精霊たちが、その動きをそろえていく。
そのさなかに立つ、山頂のコゴエ。
切っ先ともいうべき山の頂点で、彼女は微動だにせずその中に身を置いている。
「人授王権」
彼女は、改めて願う。
人から王であると認められた、己の力を発揮する。
「魔王戴冠」
直後、である。
まさに爆発的にその規模を拡大させた彼女は、氷の精霊たちが吹き飛んで四方に散ってしまうほど、圧倒的な威厳を解き放った。
膨大極まる冷気の中では、もはや呼吸するだけで肺が凍り付きそうである。
彼女はまだ、意識して技を使っていない。
それこそ昔話の絵に描かれるような、吹雪の中でたたずむ雪女のそれである。
ただ、立っているだけだった。
にもかかわらず、この山だけではなく、ふもと、或いはその先の王都にまで寒波が達していた。
「……氷の精霊使い以外は、下がったほうがいい。これよりタイカン技を使う」
タイカン技とは、シュゾク技の強化版。
であれば雪女の得意とする周囲の環境変化の、上位技も存在する。
ただでさえ寒く、雪の積もっているところでそれを使えば、まさに八寒地獄かコキュートスであろう。
氷の精霊使い以外では、いよいよ生存が保証できない。
コチョウを含めて、風や炎の精霊使い達は、慌てて山頂から離れていった。
しかし、離れながらも、何度も見上げなおしている。
氷の精霊、その王の『理論値』。一度見逃せば、今生では見れまい。
それどころか、三度生まれ変わっても、千年経っても見れるかどうか。
風の精霊使い達は、高山ゆえの強風を利用して、距離を取りつつもその姿を見ようと空を飛んでいた。
火の精霊使い達は、酸素の薄さゆえに無理ができていないが、それでも風の精霊使い達に援護してもらい、やはりその姿を見ている。
しかし、氷の精霊使い達は、そんな彼らを恨みがましく見ていた。
いいからさっさと距離を取れ、そうでなければ技が使えない。
一瞬一秒の遅れさえ憎悪になるほど、彼らの心中は焦燥で傷ついていた。
「……タイカン技」
そしてコゴエにとっても、この技は軽々に使えぬもの。
まさに天変地異の大技故に、一世一代の大仕掛け。
それを狐太郎に見てもらえないことを、正直惜しんでいた。
「全球凍結」
そして、技が発動する。
これ以上があるのかという過酷な環境が、さらに悪化していく。
Bランク上位モンスターでも即死するような環境から、さらに温度が下がり熱が死んでいく。
低温下で生息しているAランクモンスターでさえも、一瞬で全身が凍結してしまうような極低温。
氷の精霊使い達が張り付いているコンロン山が、どんどん肥大化していく。
岩肌に張り付いている万年雪が、さらに層を増していく。
地形が変わり、気候が変わる。熱砂の砂漠さえ氷山に変えるような技が、高山で使用される。
「……」
絶句、絶景。
もう誰も、何も言えない。
隕石の衝突による大規模な環境変化、それにも匹敵する勢いで世界が変わっていく。
これが攻撃でもなんでもなく、ただ場を整えるためだけのものだとしたら。
この整った場で行使される力は、一体どれだけなのか。
「……おお」
もしかしたら、ここで戦えば、一人でもあの大百足を倒せるのではないか。
氷の精霊使い達は、そんな意味のない想像さえしてしまう。
実際にできるかどうかなどわからないが、そう思えるほどに周囲は氷の天下となっていた。
※
そもそも西重軍がいるのはカンヨー、央土の王都である。
そこに対して、本気で攻撃するわけがない。
コゴエが本気で凍り付かせているのは山頂付近だけであり、そこから遠く離れている王都にまで技を及ばせていない。
氷の精霊使い、風の精霊使い達も、なんとかその影響を抑えようとしている。
だがその、漏れ出た余波だけで、王都は大寒波に見舞われていた。
積雪こそ些細だが、とにかく低温に悩まされていたのだ。
宮殿の中では今も多くの避難民が暮らし、肩を寄せ合っている。
もちろん宮殿自体がかなりいい建物なのだから、隙間風云々で寒さに震えることはない。
皮肉なことだが、多くの人々が肩を寄せ合っているので、結果的にある程度暖もとれている。
しかし宮殿を建設する時に想定していた寒さを、現時点で大きく超えている。
積雪云々ではなく、単に寒すぎる。壁でも遮断しきれない寒さがあるし、そもそも換気をしなければ窒息死するのは当然だ。
息が白くなる低温の空気を、定期的に入れなければならない。
それが避難民たちを、大いに苦しめていた。
それに対してアッカは『やっぱあの家具燃やしちまうか』と言い出し、管理者たちを怯えさせた。
これにはさすがにラセツニも『それより服を配ったほうがいい』と横やりを入れている。もちろんこれも『毛布も絨毯も高級なのも配れ』というものなので、やはり管理者たちをうなだれさせた。
とはいえ、それは王都の中央、宮殿の中でのことである。
その外側で暮らしている西重の兵士たちは、それこそ適当な家財を暖炉にぶち込んだり、高級そうな毛布やじゅうたんを外套のように着込んでいた。
何分全員兵士なので、体の弱った者はいない。
ましてや元々屈強な人々である。野戦ならともかく、食料の有る籠城で問題になるわけがない。
しかしながら、西重軍のトップたちは閉口していた。
奇しくも懐中火山の効果を確認することができたのだが、それがまさに気休めだった。
七人全員で襲い掛かれば勝てるかもしれないが、あいにくとそういうわけにもいかない。
なぜならまだ、央土と西重は戦闘を再開していない。
その状況で央土の兵と交戦すれば、それこそ相手も『なんでもあり』に走るだろう。
その場合、ほぼ無防備な西重の民や王は、残酷なことになるに違いない。
「勝負は鞘の内にあり……いやはや、やはりそう簡単にはいきませんねえ」
昏の面々も、改めて『冠』の猛威を痛感していた。
そんな中で饒舌なのは、最初からこうなると分かっていた不死鳥、スザクだけである。
燃え上がっている彼女は、寒さなど知らぬとばかりに笑っていた。
「重ねて言いますが……他にも悪魔やら竜やら、豪華な敵がわんさかです。それも私たちと違って、一蓮托生でスクラムを組んでいる……強敵ですねえ」
昏と西重は、まだ手を組むとも決めていない。
それに対して、央土と狐太郎は良くも悪くも一心同体だ。
央土は狐太郎が人質に取られたら奪還しなければならない、という制約があるのだが、それは逆に狐太郎も央土へ協力を惜しまないということでもある。
罰則があるから、死んだら困るから、だからこそ関係は強固になる。それは西重と祀、昏では成立しない関係だ。
「これを見て、まだ『隠し事があるんじゃないか』とか『余裕で勝てるだろう』とか言えますか?」
「言えぬな。それどころか、犠牲は出るが確実に勝てる、という言葉さえ嘘に聞こえる」
話しているのは、やはりチタセーとスザクだけだった。
楽観していた将軍たちは、二番底に達していた。
この忌々しくも怪しい連中へ多くを差し出して協力を得て、それでも勝ち目が確かでないという現実にぶつかったのだ。
チタセーの言う通りで、少々のアイテムがあっても勝てるとは思えなかった。
「……四冠の狐太郎、か。器の片鱗を見たが……片鱗であってほしくないほどの度量だな」
これが狐太郎の全力なら、まだ救いはある。しかしこれは、実質四分の一に過ぎない。
この星で最強の生物である英雄たち七人をして、これが後三組も来るなど想像したくないことだ。
「いやあ、参った参った。貴方達はここで降りることもできますが、私たちはそうもいかないわけで……本当に笑っちゃいますよね」
さて、いよいよ結論を出す時であった。
スザクは今まで通りの調子で、チタセーへ決断を求める。
「それで、如何しますか。退くのか、退かないのか。私たちと手を組むのか、組まないのか」
結局、問題はそこであった。
いろいろなことを確かめたうえで、材料が手元にある上で、決めるのはチタセーであった。
「改めて言いますけど、私たちと手を組んだうえで下がったほうがいいですよ。ちょっと巨視的に立って、歴史の教科書にどう描かれるのか考えましょうよ」
ちょっと巨視的、というのは矛盾している。
だが近代史というレベルで見れば、歴史のごく一部なので間違っているようにも聞こえない。
「引き下がったら臆病者扱いされるでしょうが、戦って負けたら戦犯どころじゃない。貴方の手元にある材料だけでも、神の視点を持たなくても、勝機があやふやなことは明白でしょう」
「そうだな……歴史は私を、世紀の大バカ者とするだろう」
チタセーは、やはりスザクの意見を肯定した。
彼女は蔑んでいるのではなく、事実を並べているだけだ。
嘲りさえなく、気を使っているだけである。
「戦う前から、戦争の大筋はほぼ決まっている。であれば……余裕のない作戦に、国家の命運など賭けられるだろうか。兵法書、歴史書を読み解けば、そう答えるしかない。先祖に申し訳が立たぬし、後世の人間にも説明できぬ」
だが、事実に変化はない。
勝ち目があるということ、勝てば解決するということだ。
「だが私は、歴史や兵法に仕えているわけではない。先祖や後世の人々に忠義を誓っているわけではない」
絶対に勝てる戦いしかしないというのであれば、そもそも戦うことさえ稀だろう。
そう都合よく、戦場や状況を選ぶことはできない。
「そして私の視点からすれば……ここで退く方が、よほど恐ろしい。央土が何もせずとも、我等は他の国から叩かれて、君たちに乗っ取られるだろう」
「……そうかもしれませんね」
「であれば……勝つしかない」
それもまた、英雄であろう。
そもそも困難を前に退けるのなら、英雄になどならない。
彼は、英雄の決断を下していた。
「……英断ですね」
スザクは、少し不思議そうだった。
だがそれだけで、この返答を待っていたようでもある。
「その勇気をくれたのは君だよ、スザク君」
「私がですか?」
「もしも祀が来て同じようなことを言えば、或いは退いていたかもしれない。だが……」
老雄は、にやりと笑う。
「君は馬鹿でグズでどうしようもない奴ではなく、食えないところのある有望な隊長だった。そんな君と轡を並べるのなら、十分に勝ち目はある」
「ぷふ」
スザクも笑った。
「ははは! そうですかそうですか、しゃべりすぎた私のせいですか! こりゃあ一本取られました!」
賽は投げられた。
あとは、丁と出るか半と出るか、であろう。




