岐路に立たされる
亜人たちの住まう魔境。
そこはシュバルツバルトほど無体なモンスターが出没するわけではなく、かといって過酷な環境でもない。
しかし、人間が切り開けない、亜人にとって過ごしやすい魔境である。
現在そこでは、大戦へ向かう前の前祝いが行われていた。
この世で最も強い戦士、人間の英雄。
それに対して、己たちの代表である魔王が挑む。
その供を、各種族最強の醜男たちが務める。
勝っても負けても、亜人の歴史に残る、名を刻む偉業であろう。
文字を持たぬ彼らではあるが、未来永劫己たちの名前が刻まれるとあっては、大いに奮起せざるを得なかった。
「はぁ……こういう日が来ることを、待ってたんだぜぇ……!」
「あの人間の英雄様を、俺達の代表様がぶちのめす……夢にまで見た光景だ!」
「しかも勝てば、人間の国からご褒美がたんまりだろう? こりゃあ、この時代に生きててよかったぜ!」
亜人たちにも、名誉というものはある。
いいや、いつ病気やケガで命を落としても不思議ではないからこそ、むしろ名誉を強烈に求めている。
特に戦士たちは、大きな戦に身を投じることへ憧れていた。
今回ピンインが出世し、その部下たちにも多くの報酬が支払われたということを聞いた時には、少なくない勇者たちが嫉妬したのである。
しかし勇者たちは部族の戦力であり、滅多なことでは大きな戦争へ参加できない。
そこへクツロが戦力を求めてきたのだから、大いに喜んでいた。
そして、その役目は最も重い。
その上、クツロと英雄の戦いを砂被りで見れるのである。
おおいに喜ぶのは、無理もないことであろう。
さて、肝心の狐太郎の護衛達だが……。
「姐さん……なんてことをしてくれたんですかい……」
「……なんでこんなことになっちまったんだろうねえ」
「姐さん……あっしら、死ぬんですかねえ……」
「……すまないねえ」
「……皆、死ぬときは一緒だな」
「ドラゴンズランドに行きたかっただけなのに……」
「バブルのせいだわ……全部バブルが悪いのよ……」
「いや……ここまでくると、バブル関係ないような気がするぞ……」
お通夜だった。
全員、酒を一滴も飲めない心境だった。
多分胃が受け付けないだろう、それぐらい落ち込んでいた。
七人の将軍が率いる十二万の軍隊を相手に、国家の存亡をかけて『ほぼ裸単騎』である。
餌で囮である。戦術的に言って、捨て駒扱いである。
提案する方もどうかしているが、受け入れるのが一番おかしい。
全てを諦めている狐太郎は、普段通りにふるまっていたので、側近たちも気付けなかったのだ。
「狐太郎様……なんだって、そんな大事なことを教えてくれなかったんですか……」
如何にBランクハンターへ昇格したとはいえ、相手は四冠の狐太郎。
普段は恐れ多くて話しかけられないピンインだが、流石に文句を言っていた。
「軍事機密だからです」
納得の理由であった。そんな大事なことだから、今まで黙っていたのである。
「……知りたくなかった」
「現地で知りたかったですか」
「……現地に行きたくない」
戦術的に必要なことなのだろう、寡兵を囮にして敵を誘導するのはよくあることだ。
だだっ広い平野で、ぽつんと孤立させるなど、そうそうないのだが。
死んでね。
そう言われているとしか思えない。
助かる見込みは、限りなく無に近い。
「貴女の腕前は、私も知っております。まわりまわってこんなことになりましたが、どうかよろしくお願いします」
「ずいぶんと……ずいぶんと肝が据わるようになったねえ」
「とんでもない、逃げたくて逃げたくて……貴女と同じですよ」
まあ仕方がないか、と受け入れるにはあまりにも重い状況である。
いっそ諦める、というのは正しいのかもしれない。
だが何の突拍子もなく、いきなり国家の命運を預かることになったのだ。
それで納得できるわけもない。いや、狐太郎も納得しかねているようではあるのだが。
「……勝てますか」
彼女は、すがるような敬語で問う。
「相手が馬鹿でグズでどうしようもない輩の集まりなら、勝てるでしょうね」
狐太郎は、泰然とした答えを返した。
「そうでなかったら」
「俺にできることは、もう全部やり終えました。後は命をかけるだけです」
「……アンタ、英雄だよ」
いつか少しだけ一緒に狩りをした男は、本当に英雄としてふるまっていた。
※
央土の王都、カンヨー。
西重に占拠されているそこへ、人に近い形をしたモンスターたちが現れていた。
あらかじめ連絡されていたとはいえ、モンスターが大勢現れれば、西重の兵士達も慄くのが当然だ。
特に、Aランクとされるモンスターたちは、その見た目だけで威圧感を与える。
人の形に近づいてなお、その強さが伝わってしまうのだ。
それが群れを成していれば、それこそ軍隊でも道を譲ってしまう。
「ねえちょっと……臭いんだけど」
「あ? 何が?」
だがしかし、道を譲られている彼女たちは、あくまでも自然体。
なにせ彼女達は、Aランクモンスターの遺伝子を宿している。
であれば、なぜそこいらの人間に興味がわくのか。
人間が道の小石へ気を使わないように、自分へ怯えている人間たちへ、まったく気にしていなかった。
「アンタの存在が臭いんだけど! さっきまでは我慢してたけど、もう限界なんだけど!」
「そうかなあ……自分では気づかないものよねえ……」
とても大柄な女性が、もしゃもしゃと『黒いもの』を食べている。
なにやら汁が詰まっているらしきそれは、食べるたびに口の周りを汚している。
「臭い上に汚いってどうなの?! ちょっとはこう……品ってもんがないの?!」
「ええ? アンタに言われたくないなあ……食べるとき凄いぐるぐるするじゃん」
「アレは食べるときじゃなくて、攻撃する時だから! 獲物を捕らえるときだから!」
Aランク下位モンスター、タールベアー。同じくAランク下位モンスター、海渡。
それぞれモンスターの特徴を濃く受け継いでいる彼女たちは、やはり価値観の違い、本能の違いからくる衝突を繰り返していた。
「二人とも、それぐらいにしなさい」
そんな二体を、隊長であるスザクが諫める。
これから挨拶に行くのだから、ケンカをしていては失礼だ。
「トーチちゃんはそろそろおやつを食べるのを止めて、口を綺麗にして。イナバちゃんはハンカチか何かを貸してあげてね」
「ええ……これおやつじゃなくて、お昼なんですけど~」
「こんな奴にハンカチ貸せませんよ! アブラですよ、アブラ! 雑巾だって貸したくない!」
まるで子供の引率めいていた。
少なくとも、軍隊や組織の規律らしいものがあるとは思えない。
はっきり言えば、緊張感に欠けていた。
「二人とも、いい加減にしなさい。えぐりますよ」
「はい……わかりました」
「はい、雑巾を貸します……」
「ミゼットちゃんには忠実ね?!」
流石に見かねた副隊長が注意をすると、二人も慌てて従っていた。
礼儀や規律を知らないわけではなく、ただそのつもりがなかっただけらしい。
「っていうか……本当にこんなところへ来る価値あるんですか? みんなすっげえ弱そうなんですけど」
「私たちはおろか、Bランクの子にも勝てそうにないのばっかり……低レベルにもほどがありません?」
無理もないだろう。
彼女たちからすれば、ここは無害な虫の巣同然。
危機感を覚えるどころか、自分が傷を負うかもしれない、という可能性さえ感じられない。
Aランクモンスターという性質は、それだけの傲慢さが許されるのだ。
なぜならば、実際に強いからだ。この場の兵士たちが、束になっても敵わない。
それを本能的に、相互で理解してしまっている。
「二人とも……これは祀からの正式な任務だと言っているでしょう」
「あらあら、いいじゃないの。どうせそんな気も、直ぐに失せるわ。本人たちの前で、その言葉を言えるとは思えないしね」
一行は、宮殿とはまた別の区画、軍の本部として扱われている建物へ入った。
最低でもBランク上位、一番上のAランク上位さえ二体もいる。
そんな集団が、本部の奥へと入ると、表情が一気に変わった。
(し、死んだ?! 私、死んだ?!)
(す、すごい威圧感……これが、人間の英雄!)
皆一様に、経験不足を露わにし、遠足気分が抜けていた。
とてもではないが、歓迎しているというふうではない、威圧感をむき出しにした七人の男たち。
彼らを前に、笑うことなどとてもできなかった。
(これが、人間の英雄……! 本当に、人間なの?!)
(この星で最強の生物……それが、七人も!)
この場の昏全員が、束になっても勝てる気がしない。
それも七人が相手にではなく、一人が相手でも、だ。
まさに一気にひっくり返る。
この場で弱いのは、彼女達の方だ。
「どうも初めまして、西重軍の将軍様がた。私どもは祀より派遣されてきました、昏と申します。私は隊長のスザク、この度は交渉役を仰せつかっております」
しかし、スザクは流石に対応を誤らない。
しっかりとした挨拶をして、相手へ礼儀を欠かなかった。
少なくとも、相手から軽くは見られていない。
その胆力を見て、昏の隊員や、副隊長のミゼットも改めて彼女を尊敬していた。
「スザク、とやらか……私は西重国大将軍、チタセーという。よくぞ来てくれた、歓迎するぞ」
「ははは、ありがとうございます」
堂々としたものである。
彼女の振る舞いには、他の六将軍たちも感心するほどだった。
今のチタセーは、まさに一軍の長、一国の司令官。
老雄である彼の威厳は、配下である六人でも畏怖せざるを得ない。
しかしスザクは、わざとらしいほどに普通だった。
もちろん、彼の前で普通を装えること自体が、既に大したものではあるのだが。
「其方に時間の余裕はないでしょう。ということで、まずは私どもの品をお見せします」
スザクが合図をすると、副官であるミゼットが八つの宝石を取り出した。
それぞれが『宝石』というよりも『原石』という具合の大きさと形なのだが、その中にはそれぞれエナジーが揺らめいている。
何かの力を持った石であることは、見るからに明らかだった。
「氷属性の攻撃を軽減し、なおかつ氷の土地でも凍えずに済むアイテム、懐中火山。同じく雷属性の攻撃を軽減する避雷沈。能力低下を無効化し、即死攻撃も防ぐ退魔蛍。そして物理攻撃を軽減する鉄壁城金。それぞれ二個ずつ、八個お持ちしました」
つらつらと述べているが、実際の効果は怪しいものだ。
少なくとも彼らの常識で、持っていたら攻撃を防いでくれるアイテムなど存在しない。
「効果を確かめるが、よろしいか」
「ええ、それはもちろん。使い方は後で説明いたします。流石に誤った使い方をして、破損してしまった場合はその限りではありませんけどね」
効果が本物ならば、大したものだ。
実際に使ってみていいのなら、確かめても悪くはない。
「なにせお察しの通り、これは盗品。それもかなり高いものなので、替えがないんですよ。はっはっは!」
あっけらかんとしたものだった。
西重の誰もが感づいていたことだが、まさか交渉役からそう言われるとは思っていなかった。
少なくとも、昏の他のメンバーは大分慄いている。
「盗品は、お嫌いですか?」
「いや……すでに我等は侵略者。強盗が偉そうに、盗泉の水を飲まずとは言えまいよ」
「それはよかった! ではこれで共犯ですね! あっはっは!」
効果が本物なら、盗品だろうとかまわなかった。
特に悪魔の呪いを防ぐ退魔蛍は、無ければ話にならない程だ。
千を超える悪魔を狐太郎が従えていることは、既にチタセーも知っていることである。
「皆さんならお察しの通り、私どももそれなりにはやります。特に相手のモンスターへは、それなりに対応ができるでしょう。ですが……」
一種の売り込みだった。
スザクは隊長というよりも、営業めいたしゃべり口だった。
なにせ彼女はこれから彼らへ、祀と協力することへ前向きにさせなければならないのだから。
「ぶっちゃけ、央土と講和しませんか?」
しかし、それを彼女はあえてぶっちぎった。
これには流石に、全員驚きである。
「おい、鳥女……舐めてるのか?」
第六将軍、ヘキレキ。
内政干渉どころではない口の挟み方に、怒りをあらわにする。
「なんで俺達が、お前に指示されなきゃいけねえんだよ……!」
もっともなことだった。
確かに現状、チタセーに判断がゆだねられている。
であれば彼が央土と和平をすると言ったら、大王でさえ従わざるを得ないだろう。
だがしかし、あくまでも決めるのはチタセーだ。
まだ正式に手を組んでいない、祀や昏に指図されるいわれはない。
「舐めてなどいませんよ。ただ提案をしたまでで」
「その態度が、俺達を舐めてるって言ってるんだよ……!」
一触即発の雰囲気であった。
そして実際に戦えば、スザクなど一たまりもあるまい。
「黙れ」
だが、チタセーが命令した。
黙れと、命令した。
この場で最強を誇る男が、怒りを味方に向けていた。
「……申し訳ありません」
そこから先、何を言われるまでもなかった。
ヘキレキは、あっさりと引き下がる。
肝をつぶしていた彼は、体を震わせていた。
「部下が失礼をした。さて、提案についてだが……それは、其方と手を組んだうえで、講和をするということでよろしいか」
「ええその通りです、閣下。これは私の提案であり、祀の意思ではありませんが……祀も異を唱えないでしょう」
交渉を行う二人だけが、平然としている。
あくまでも話を進めていた。
「先に申し上げておきますが……勝ち目がない、とは申しておりません。四冠の狐太郎が悪魔を配下に置いた以上、状況は大きく変わりました」
被害なく央土の王都奪還軍に勝ち、さらに他の前線を後ろから叩く。
それがどれだけ難しいのか、考えるまでもない。
だが狐太郎が悪魔を完全に支配した結果、盤面に変化が生じえた。
「悪魔と契約する以上、必ずリスクを負います。正しく言えば、リスクから逃げることができなくなります。つまり、四冠の狐太郎も、確実に戦場へ現れる。彼を貴方が捕らえれば、それだけで相当有利な条件を引き出せるでしょう」
王都奪還軍の戦力、そのほとんどが狐太郎とその配下に依存している。
今狐太郎が集めた戦力のほとんどは、央土ではなく狐太郎とその魔王に従っているのだ。
もしも狐太郎が西重に捕らえられ、人質となり、引き渡しの条件にされたのなら。
央土は、その内容が多少無茶でも従わざるを得ない。
それこそ、空論城の悪魔とドラゴンズランドのドラゴンが、まとめて敵になりかねない。
「西重が占領している土地を正式に奪うだけではなく、東や南北の国境も譲歩させられるでしょう。そうなれば、実質的に西重は約束を果たしたことになる」
「然りであろうな。それで、勝算は?」
「我らが協力すれば、十中八九は……いえ、十回戦って、十回勝つでしょうね」
はっきりと、勝てると言い切っていた。
犠牲は出るだろうが、戦争に勝ったうえで、狐太郎を捕まえられると言っていた。
それだけ聞けば、自信家だろう。だが既に、彼女は敗色を匂わせることを言っていた。
「ですがそれは、我等の把握している範囲のことです。もしも敵に、我等の把握していない何かが複数あれば……一気に押されるでしょう」
西重の王都襲撃軍が、アッカというイレギュラーがあったにも関わらず勝てた理由。
それは単純に、戦力に余裕があったからだ。運が良かったとかではなく、余力を使い切る形で勝利したのである。
王都へ投入された戦力は前情報からすると、悪く言えば過剰で、よく言えば余力を持つものだったのだ。
そして今、それがまったくないのである。
「今我らのすべてを使い切って、ようやく『我らの把握している央土』に勝てるのです。それがどれだけ無謀なことか、貴方なら分かるはず」
「……賢明じゃな」
「ええ、ここは退くべきです。失敗を恐れるなとは言いませんが、破滅があり得るのなら下がるべきかと」
石橋を叩いて渡る、どころではない。
例えるのなら、設計上耐久値ぎりぎりの重さで、橋を渡るようなものだ。
何かあれば、そのまま破綻する道理である。国家という重荷を背負っているのなら、渡るべきではない橋だ。
「……では聞くが、相手の実像が『我らの把握している央土』を越えていると思うか?」
「越えていないでしょうね、相手が馬鹿でグズでどうしようもない輩の集まりなら」
「そうであろうな」
そもそも、相手はウンリュウを破っている。
お互いに不意の接敵だったにもかかわらず、一方的に勝っている。
それで、相手の無能を期待するのは無謀だ。
「あえて申し上げますが、我らは旗色が悪く成ればすぐに逃げます。そちらが我らと一蓮托生、我等のために命を捨ててくれるのなら別ですがね……」
「それは応じられんな、確かに。そして、道理でもある」
西重の、存亡をかけた戦い。
それに参戦を表明しておきながら、同時に危うくなったら逃げるとも意思表示している。
不義理ではあるが、西重が祀や昏のために存亡をかけて戦うかといえば、それも否であろう。
一方的に命をかけろとは、なんとも横暴な話である。
「しかし……退けば、祀と契約を結べば……足元を見るであろう」
「もちろんです。それはもう、実質的な支配下に置こうとするでしょうね。ですが戦う上で契約を結べば、それはそれで足元を見ますよ」
「そうであろうな……そうでなければ、破綻しかけた国へ出資する意味がない」
祀と契約を結んでなお、進むも地獄、戻るも地獄であった。
しいて言えば、勝てれば光明が見える程度であろう。
「スザクと言ったか」
「ええ、チタセー閣下」
「……まずは、このアイテムの効果を見せてもらう」
「もちろんです、どうぞお確かめを」
双方の陣営は、どちらも若いものばかり。
だからこそ、ここまで聞いて、ようやくこの話し合いの真価が分かっていた。
組織の長になるとは、こういうことなのだと。




