艱難汝を玉にす
世の中には、難しい数字を使って、ずれたことを言っている者がいる。
例えば、ソーシャルゲーム、あるいはオンラインゲーム。
これらはガチャやらなんやらで、遊び続ける限り多くの出費がある。
それらに対して、『1%っていうのは、百回引けば必ず一回引けるって意味じゃないよ』というのは、的外れもいいところだ。
考えてもみて欲しいのだが、一万円をゲームのガチャに投じている時点で、既に確率論に意味がない。
当たっても一万円、外れても一万円。出費に変化などないのだ。
競馬のようなギャンブルなら黒字になる可能性もある、という者もいるだろう。
しかし黒字云々を言うのなら、普通に働いたほうが絶対に儲かる。
計算式を考えるまでもなく、胴元がいるギャンブルで黒字を期待するほうがどうかしている。
つまりは、単純な足し算引き算である。
月収2000万円の金持ちならば、一月にガチャを10万ぐらいぶち込もうが、まったく問題ではない。1990万円も残るからだ。
だが月収20万円ぐらいの比較的一般的な社会人が、一月にガチャを5万円でもすれば叩かれるだろう。15万円しか残らないからだ。
バイクだろうがスポーツカーだろうが乗り鉄だろうがドールコレクターだろうが、出費している以上全部同じである。
収入がいいのなら多額を突っ込んでも問題ないし、収入が悪いのなら少額でも問題になるのだ。
そして、これはおよそあらゆる出費に言えることである。
これには遊びかそうでないかの垣根さえない。
国家だろうが、会社だろうが、家計だろうが、全部同じだ。
有益だと分かっていても、予算に余裕がないのなら諦めるべきである。
もしも予算がないのに、無理をすれば。
成功した場合はいいが、失敗したとき、あるいは半端な結果になった時、一気に情勢を悪化させる。
結局のところ、西重は借金をしていたのだ。
今手元にあるお金、対価を支払って、三つの国に動いてもらったわけではない。
儲け話を持ち込んで、その成功報酬だけで三か国を動かしたのだ。
成功すれば、問題はなかった。
だが失敗してしまった以上、三つの国へ借金が発生する。
大国を倒すために協力を要請したといえば聞こえはいいが、自分が持っている以上の力を借りたのだから、返済の義務が生じるのは当然だ。
そして国家間の借金は、それこそ容赦なく襲い掛かることで清算されてしまう。
それを避けるために、大王は戦争の続行を判断した。
結局のところ、全財産を投じた賭けを、途中でやめることなどできなかったのだろう。
※
央土国王都、カンヨー。
宮殿内部に央土の避難民が、そこ以外を西重軍が占領するという形になっている。
当然ではあるが、備蓄は膨大だった。
ただ籠城をするだけでいいのなら、避難民と西重軍を合わせても、数年は持ちこたえられるだろう。
王都を占領していたことで達成感を得ていた兵士たちは、流石に熱狂から醒めつつあった。
もちろん更なる武勲を求める者もいたが、家族の元へ帰りたいという声も大きくなっていた。
その彼らへ配慮したわけではないが、大王から『治安維持のために兵を戻せ、央土とは交渉済みだ』という命令も届いた。
それによって、何度かに分けて、三万の兵士をこのカンヨーから出していた。
ある意味では、死地を脱したのかもしれない。
残ることになった兵士たちの中には、それを羨むものも多かった。
だがしかし、軍の最高司令官となったチタセーは、どちらに対しても悲観した感情しか抱けなかった。
西重国で最も古株だった大将軍、チタセー。もはや最後の大将軍となった彼は、先日届いた文書をまた読み返していた。
「……まったくもって、申し訳ない」
彼の元には、まだ大王からの『祀へ援軍を要請した』という手紙は着いていない。
よって手元にあるのは、あくまでも『戦力を戻すように』という手紙だけだ。
だがその手紙からは、多くを読み解くことができる。
つまりコホジウは、勝利を諦めきれずにいたのだ。
だからこそ、全面撤退を選べていない。であればこれから先に、徹底抗戦の指示が来ることは当然だった。
「……まったく、本当に、呪わしい」
若き大王に忠義を誓い、若き将兵を束ねるチタセーは、己の無能を呪っていた。
結局のところ、自分たちが勝っていればよかったのだ。
アッカという異分子の存在も、ある程度は調べがついていた。
知らなかったわけではないのだから、なんとか勝ちきればよかったのだ。
「己の無力が、呪わしい……!」
戦力を保ったまま勝っていれば、こんなことにならなかった。
ただ勝つだけではなく、戦力を保って勝つために全軍の三分の二を投じたのだ。
にも拘わらず、これだけの犠牲を出してしまった。
それに対して、彼は極めて正当に己を責めていた。
大王はやれるだけのことをしてくれた、兵士たちもここまでついてきてくれた。
彼らがどうにもならない領分を、自分たちが受け持った。
そして、戦力を失った。
だからこんなことになっている。
「シュバルツバルトの討伐隊……奴らが、奴らが……妬ましい!」
この世界で最強の生物、大将軍。
規格外の才能を持ち、なおかつそれを高める努力を怠らず、そのうえで同種同類としのぎを削ってようやくたどり着ける場所。
その地位に立つ、相応の実力を持つ彼は、しかし敵を羨んでいた。
敵の強さを、羨んでいた。
「たった一人で我らを押し返したアッカが妬ましい……不意を突かれてなお、ウンリュウたちを返り討ちにしたガイセイ達が妬ましい……!」
自分達が弱いから、大王やコンコウリに負担を強いている。
自分に彼らほどの強さがあれば、今頃彼らは小躍りしながら祝典の準備をしていただろうに。
自分がもっと強ければよかった。
安易すぎる話だが、敵はそうしたのだ。
自分にそれができないのは、無能としか言いようがない。
「ギョクリン……ウンリュウ……儂を置いて、先に行きおって……! こんなところに、こんなときに……儂一人でどうしろというのだ!」
許されるのなら、自決していただろう。
それほどに、彼は己の無力を咎めていた。
彼は己を知っている。
若手たちに向かって、後は儂に任せろ、と言えるほどの度胸はない。
とても単純に、三人の大将軍の中で、彼が一番弱いのだ。
「儂にできる責任の取り方は、罪を背負って死ぬことだけだというのに……! それさえも、許されぬとは……!」
彼の脳裏には、選んではいけない選択肢が浮かんでいた。
大将軍の名を使って勝手に交渉し、西重政府の国家戦略を無視して帰国したかった。
戦果も栄誉も、交渉材料も放り捨てたかった。
いっそ最初にそうしておけば、大王に亡国の責任を負わせずに済んだかもしれないのに。
「許されぬ……おお、許されぬ! 儂は、儂は許されぬ男だ……!」
彼は最強の大将軍でもなければ、傑出した大将軍でもない。
下の世代のウンリュウやギョクリンと比べて、劣ってしまう大将軍だ。
だが、そうした彼らから、後を任されるほどの男だ。
彼は、嘆き苦しむ。
まっとうな大将軍だからこそ、自棄にならず棚上げもしなかった。
そうした姿は、獅子子のような密偵ならずとも見てしまう。
チタセーの側近や、或いは給仕たち。
彼らは国家の命運を背負う彼の苦しみを、誰よりも近くで見ていた。
※
国家戦略さえ覆しうる『個人』、それが最強の生物である英雄たちだ。
若き英雄たち六人は、そろって決然たる表情になっていた。
ホワイトがそうであるように、英雄とは苦難を前にしてくじけ続けない。
圧巻のアッカ相手に何もできなかった彼らは、しかし心身ともに立ち直っていた。
否。
今自分たちが何を背負っているのか、既に理解していた。
もうすでに、自分たちの失態をぬぐってくれる大将軍はいない。
なんとか踏みとどまり、責任を取ろうとしてくれている老雄がいるだけだ。
自分達の未来を守ろうとしてくれている彼へ、これ以上何を押し付けるのか。
彼らは奮起した、奮起せざるを得なかった。
「皆、傷は癒えた。つまり稽古を再開できるということだ……ああだこうだ議論をする意味などない、我らにできることは鍛錬を積むことのみだ」
繰り上がりという不名誉な形で、西重軍の第六将軍へと昇格したヘキレキ。
彼は生来の大きな声を抑えながら、他の五人へそう言っていた。
そう、結局はそうするしかない。
これから何が起きるとしても、六人にできることは強くなることだけだ。
そして実際、彼ら六人が西重の主力であることに変わりはない。
彼らが強くなり、敵将であるガイセイやホワイトを討ち取ることができれば、状況はそのまま優勢へ傾く。
そこから先、大王がどんな判断を下すかわからない。
だが可能な限りいい成果を出すことだけが、死んだ仲間たちへ報いることだった。
「クモンも死んだ、キンソウも……もう俺達しか、この国のために戦えない。俺達が西重を守るためにも、今強くなるしかない」
繰り上がりで第二将軍となったセンカジは、悔しそうに顔をしかめながら、しかし決意していた。
「俺は……あの二人を越えて、黄金世代の筆頭になるつもりだった。だが、その機会は失われた。たとえあいつらを討ち取った、ブゥやホワイトをどうにかしても、アイツらに勝ったことにはならない」
強くなるために、強くなる理由を口にする。
第二将軍となってしまった彼の言葉は、そのまま他の将にも当てはまる。
出世と言えば聞こえはいい、なり上がったと言えば聞こえはいい。戦時中に他がミスをし、武勲をあげた者が順当に地位を駆けのぼったと言ってもいい。
だが西重に、彼らより優秀な人材はいないのだ。どんな無理難題が起きても、彼らが解決できなければ、そのまま被害が出続けるだけだ。
「俺達が奴らを越えることはない……だが、代わりに戦うことはできる。俺達にしかできないことだ」
もはや、妬むべき相手も頼るべき相手もいない。
必要最低限、そのぎりぎりに近い状況。
だからこそ、才あるものはより輝く。
英雄の英雄たるゆえんは、たった一人の奮起や覚醒で戦況を変えうるからに他ならない。
「二人組を三つ作り、死に物狂いで試合を重ねる! 一人の脱落者も許されん、なまった体をよみがえらせ、さらに強くするのだ!」
この場に残った、たったの六人。
しかし彼ら一人一人が、祀の先祖が数多の犠牲を払っても、結局勝ちきれなかった程の存在だ。
その覚醒は、国家の軍事バランスを再び変え得るものであった。




