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不器用な自己主張

 視点、というものは大事である。


 狐太郎や央土の人々からすれば、いきなり四方八方からタコ殴りにされたあげく、西を食い破られ王都を占領され、大王も十二魔将も壊滅してしまった。

 なんとか立て直そうとしているが、やはり状況は切迫している。北や東、南へも応援をよこせない状況だった。


 気風がまったく違う三つの国を、短期間でまとめ上げたコホジウの手腕。

 さぞ見事なのだろうが、央土からすれば『主人公補正』にしか見えない。


 しかしながら、西重にしても想定外の計算外であった。

 なにせ自軍の総力を注ぎ込んで奇襲を加えたうえ、他の三か国とも協調しているのである。

 それでも全軍の半分が壊滅し、さらに全滅したはずの十二魔将もあっさりと再編された。


 央土からすれば、狐太郎たち新十二魔将はありあわせの間に合わせだ。だが戦力的に考えれば、先代を越えている。

 西重からすれば、裏十二魔将とか真十二魔将とか極十二魔将とか……まあそんな『ご都合主義』の代物だ。



 現在央土の西側をほぼ占拠している西重。

 一時治安が崩壊していたが、央土の王都から兵が戻ってきたことによって、山賊たちや無法者たちも大分収まってきた。


 まあ山賊というのは央土の残存兵であり、無法者というのも央土の国民だ。

 侵略した側が治安を求める、というのも一種倒錯しているようにも思える。


 先住者を追い出した後の土地で、安心で安全な日々を過ごしたい、というのは人間らしいのかもしれない。

 しかしながら、西重の民からすれば正当な行為なのだろう。実際にどうだったかは置いておいて、彼らの先祖は央土の土地から追われた、ということになっているのだから。


 もちろん、新天地への移住など簡単ではない。

 労力を支払ったのだから、いい思いをするのは当たり前。

 なにも罪悪感を持たず、新しい生活を満喫していた。


 その暮らしを守るのが、西重の政府である。

 今彼らは、重大な岐路に立たされていた。


 央土と和平を結び、他の三か国へ多額の違約金を払うか。

 あるいは央土との戦争を続行し……その勝敗にすべてをゆだねるか。


 その選択は、西重の若き大王コホジウと、その重臣たちにゆだねられていた。

 そしてその最終的な状況確認のために、央土から戻ってきた使者の話を全員で聞いていた。



「……はい、間違いありません。私もこの目で確認しました、央土がドラゴンや悪魔を従えていることは本当です。他にも、多くの精霊使いをチョーアンに集めています」



 情報の裏は取られた。

 これで一応、チタセー達に報告ができる。

 密偵が見ただけではなく、使者による確認もできたからだ。


 だがしかし、これで状況は悪くなった。悪かったことに気付いたのではない、時間経過とともに悪くなっていたのだ。

 西重が情報確認や情報伝達で右往左往している間に、失われた戦力を拡充していったのである。

 これ以上は戦力を出せない西重を置き去りにして、広大な国内から戦力をかき集めていたのだ。


 和睦の話し合いをしている間に、なんと卑怯な。

 そう言いたくもなるが、そもそも先に攻め込んだのは西重である。


「王都奪還のための軍は、着々と訓練を進めておりました……」

「そうか……敵の本拠地から、よく戻ってくれた。しばらく休むがいい、お前のような素晴らしい人材を使い潰すことはできない」

「光栄の至り……」


 央土から奪った城の中で、会議は開かれていた。

 奪った時は晴れがましい気分だったが、今となっては敵の掌中で暮らしているようで、落ち着かなくなってきた。

 央土を倒せていれば、話も違ったのだろう。だがなおも超大国として存在している現状では、家主が帰ってくることに怯える空き巣のような心境だ。

 

「……あえて、聞く。コンコウリよ、ここで和平を結んだとして……三か国から戦費の要求をされると言っていたな。どの程度をお前は想像している?」


 コホジウは弱気な姿勢を見せないまま、確認を行う。

 この場の面々も無能ではない、大王がコンコウリの意見をそのまま聞くとは思っていない。

 だがそれはそれとして、コンコウリの言葉を誰もが待っていた。

 大王が質問をしたのは、どちらかといえば、周囲の皆のためであろう。


「まず、南万ですが……我らが央土から奪った領地、その半分をよこせとでも言ってくるでしょうな」

「……半分か」

「大目に見て、です。交渉次第では少なくできるでしょうが、その場合魔境から離れた安全地帯は奪われるでしょうな」


 三か国のうち一つだというのに、もうすでに暗い話であった。

 とはいえ、ありえないとも、理不尽とも言えない。

 このまま和平を結べば、南万は梯子を外されたようなものだ。

 多くの戦費を費やして戦争をしたのだから、その対価は求めるだろう。

 戦果として奪った土地の半分、というのは妥当である。


「次いで、東威。戦力を求めていましたので、生き残った将軍の内数名をよこせと言うでしょうな」

「……既に七人しかいない状況で、数名か」

「妥当でしょう。とはいえ、相手も乗っ取られることを懸念するでしょうし、多くて三人、現実的には二人でしょうな」

「それでも、痛手には変わりがない」

「ええ。我らが彼らに支払わせた痛手にも、一切変化はありません」


 東威は、以前の戦争で痛手を被っている。

 それでもなお今回の戦争に乗ってくれたのだ、さぞ無理を重ねているだろう。

 それを思えば、英雄二人はむしろ軽いぐらいだ。


「最後に、北笛。ここは、そもそも話し合いにさえ応じないでしょう。央土を攻めているその足で、そのままこちらへ攻め込んで、略奪の限りを尽くして帰るでしょうな」


 ありえない、とは言えない。

 三つの国を戦争に巻き込んだ結果、三つの国へ賠償を支払うことになる。

 とても当たり前で、なにもおかしくない。


「……コンコウリ、それでもお前は和睦を結ぶべきだというのか」

「もちろんです」


 悪びれもせずに、コンコウリは答えていた。


「残った戦力。そのすべてを失うよりは、圧倒的にマシです」


 断固たるものであった。

 暗い未来を見据えたうえで、あえてそこを進むものであった。


 そして、言っていることももっともだった。

 このまま戦争を再開すれば、ほぼ確実に負ける。

 それも戦力の過半、あるいはすべてを失う大敗だ。

 その場合、今言ったことなど可愛く見えるようなことになるだろう。


「皆に問う。コンコウリの言うように、多くを失うと知ったうえで和睦を結ぶべきか」


 コホジウは、厳しいことを聞いていた。


 誰も、返事ができない。

 誰もがコホジウよりも年上であり、彼が生まれる前から政治の世界にいた者もいる。

 だが、一人も返事ができなかった。


 発言には、責任が伴う。

 だからこそ、うかつなことが言えない。

 責任の重大さを知っているからこその、消極的な沈黙であった。


 その意味で言えば、コンコウリもコホジウも、どちらも豪胆だと言えるだろう。

 重大な責を背負ったうえで、忌憚のない発言をしているのだから。


「陛下、演出は結構。腹案を出していただきたい」

「……」

「何の案もないのなら、こうももったいぶる意味がないでしょう」

「そうだな、ここはそういう腹の探り合いをするべきではない」


 コホジウは己の非を認めた。

 そしてこれから口に出すことにも、一定の覚悟を決めていた。


「皆も既に察しているだろう。これから話すことは、到底受け入れがたいことだ」


 コホジウの言うように、全員が既に嫌な顔をしている。

 コンコウリでさえも、苦虫を嚙み潰したような顔だった。

 コホジウだけが、真顔をしていた。


「祀に接触し、援軍の要請をした。散々嫌味を言われるのかとも思ったが、すんなりと助力を請け負ってくれた」


 こうして話をしているだけで、祀が西重へどのような態度をとっていたのか、分かるというものであろう。


「Aランクモンスターを十体、Bランクモンスターを三十体、戦力として出してくれるそうだ」


 さらりと言っているが、とんでもない話である。

 当人たちが亜人であり、狐太郎という前例がいなければ信じられないことだろう。


「だがそれだけではない。Aランクの氷の精霊、およびAランクの悪魔への対抗装備も何とか用意する、と言っていた」


 おそらくは、こちらが本義であろう。

 氷属性を防ぐ装飾品、あるいは呪いを防ぐアイテム。

 それらがあれば、英雄さえ超えるモンスターたちにも勝ち目が生まれるだろう。


「もちろん、頭から信じているわけではない。だが効果が確認できれば、チタセー達へ送るつもりだ。そして……」

「チタセー殿たちへ判断を仰ぐというわけですか」

「そうだ。どうやら奴らの事情も変わったらしい、今言ったもの以外にも多くの物資を供給してくれる。それ次第では、光明も見えるだろう」


 この場で適当なことを決めるなどありえない、あくまでも専門家の意見を聞くべきだ。

 だがそれはそれとして、提案できるだけの援軍は用意できた。

 この腹案、検討に値しない、とは言えまい。


「コンコウリ、お前はどう思う」

「陛下、貴方はこの国の大王です。であれば、決定権は貴方にある」


 コホジウの問いに、コンコウリはあっさりと答えた。

 しかし、その顔は真顔である。だからこそ、全員が彼の心中を察していた。


「……言いたいことがあるようだな」

「お暇を頂きたく」


 短い辞意に、誰もが言葉を失っていた。

 内政において若き大王を支えていた男が、この非常時に辞意を示すなど暴挙である。

 新しい土地を手に入れ、混乱にあるこの国を、彼は放棄しようとしている。


「大きく出たな」

「大きくなど……私の後任など、いくらでも用意できるはず」


 その言葉には、断固たる決意があった。

 もはや何を交渉しても、絶対に曲げない。その意思がみなぎっている。

 だがしかし、本人の自己申告と違い、彼が抜ける穴はとても大きい。


「お前が私に反対して職を辞すれば、周囲への影響は甚だしいだろう。実務の穴はどうにかなっても、その影響は抑えられん」

「そうですな」

「ならば、なぜ辞する」

「貴方に愛想が尽きたからです、陛下」


 直接的で、雑な言い方だった。

 発言に責任が伴う場において、取り返しのつかなくなる言葉だった。

 だが彼には、覚悟がある。この場で斬り殺されてもいいという、己の命を捨てる覚悟がある。


「……何時からだ」

「今、この場でです」


 腹を割って話すという言葉があるが、これはもはやノーガードの殴り合いに近い。

 火花が散る幻覚さえ見えるほど、お互いの譲れぬ思いがぶつかっていた。


「私は決して、今回の戦争の責任を貴方に求めているわけではない。むしろ逆です、高く評価しております」


 当初の西重は、破竹の勢いで快進撃を続けていた。

 央土の西を打ち破り、そのまま中央へと進軍していった。

 しかし、肝心の王都とカセイで痛手を被った。

 未知の戦力によって、大損害を受けたのだ。


「私たちは神ではない、ありとあらゆることを知るなど不可能です。であれば、今の状況も諦めるしかない」


 責任者は責任を負うべきだ。

 だがそれはそれとして、最善を尽くしても、絶対の正解を得られるわけではない。

 それを求めてしまえば、どれだけ費用や時間があっても足りなくなる。

 実務の人間にも限界はある、決して無理などさせられない。

 時間をかけすぎて機を逸すれば、それこそ失敗だ。


「我らは想定外の戦力によって、多くの犠牲を払いました。ですがそれでもなお、交渉ができる状態になっている。それは貴方の手腕と言わざるを得ない」


 事前に調べることができなかった、隠れた英雄たち。

 彼らによって軍は半壊したが、それでも三か国を巻き込んでいることによって、なんとか相手も譲歩してきた。

 もしも三か国を巻き込んでいなければ、今の時点ですべての国から袋叩きだっただろう。


「しかし貴方は今、すべてを知ったうえで賭けようとしている。それだけなら問題ではないが、侵略戦争(・・・・)で全賭けなどありえない」


 万全の勝利など、そうそう望めるものではない。

 よって、賭けに出ざるを得ないこともある。

 だが国家のすべてを賭けるなど、正気ではない。ましてや、退く道があるのならなおさらに。


「防衛戦争ならば、それも仕方ないでしょう。ですがこれは侵略戦争です、退けるのなら退くべきです」

「どれだけの犠牲があったとしてもか……!」

「それが戦争でしょう、何を被害者面をしているのですか」


 コンコウリに対して、コホジウは退かない。

 彼の指摘は、言われるまでもないことだった。

 知ったうえで、彼も決断を下したのだ。

 だからこそ、許せないこともある。


「全てを賭して勝ったところで何だというのですか、国家経営はギャンブルではない」

「……私がギャンブルに出ていると」

「勝てば借金が帳消しという、程度の低いギャンブルです。勝算がどれだけあるかなど些細なことだ、勝って繁栄しようが負けて没落しようが付き合いきれない」


 王都への進撃に関しては、把握している範囲において勝ち目が濃かった。

 少なくとも、投入した戦力が全滅するなどありえないことだった。

 そして実際、最悪のことが起きてなお、全滅はしていない。十分立て直せる、国家の滅亡などない。

 しかし今回負ければ、全滅があり得るのだ。


「これが押しつけだとは分かっています。民意を問えば、或いは周囲の者ならば、貴方の提案に乗るでしょう。ですが私は乗らない、それだけです。国家の命運は貴方が判断すればいい、ですが私の進退は私が決めさせていただく」


 チタセー達へ装備を送り、援軍を送り、それで判断を仰ぐとは笑わせる。

 それをしてしまえば、退路は完全にふさがれる。彼らは戦うしかなくなる。


「……コンコウリ」

「陛下、私も貴方の気持ちがわからないわけではない。むしろ、貴方よりもよくわかっています。耐えて忍ぶことの、辛さと苦しさを」


 コホジウに私情がないとはいえない、しかしその私情は国家全体の私情でもある。であればそれは、もはや民意だ。

 ここで諦めれば、どれだけの不満や反発があるのか、想像もしたくない。

 だが、そこで耐えるのか、挑むのか。その一点だけが、二人を隔てている。


「陛下……国民の誰もが、勝利の美酒の味を知ってしまった。もはや、知らなかった時には戻れぬのでしょう。ですがそれでも貴方には……負けを収める王になっていただきたかった」

 

 勝つか負けるか。それは相手次第であり、時の運。

 ましてや前線に立つわけではない大王が、その戦場へ干渉しきれるわけではない。

 であれば、勝っても負けても、勝ち過ぎず負け過ぎぬようにする。それが王の器であると、コンコウリは信じていた。


「国家への愛が消えたわけではない、貴方の賭けが成功することを祈っております」

「……許すと思うか」

「酷なお人だ、私の進退さえ決めようというのか」


 結局、相互理解は完璧である。

 ただ解釈が、行動が違うだけのことだった。

 だがだからこそ、歩み寄る余地がない。


「たとえ飾りであっても、今の位置にいてもらう」

「そうでしょうな、それが最善だ。少なくとも……このまま私を去らせるよりはよい」


 コンコウリ自身、そうなるだろうと思っていた。

 しかし今の彼には、もう一つ選択肢がある。


(国家に奉仕してきたが……その先が国賊とはな。先だった妻はともかく……息子たちには迷惑をかける。とはいえ、それは今更だな)


 ここにきて、彼は笑った。

 何かを諦めた、捨て鉢な笑みだった。


 それは、彼らしからぬものだった。

 もしや服毒自殺でもするのか、と身構えたほどだ。


「コンコウリ、滅多な真似は……」

「陛下、あえて告白いたします」


 自決を選ぼうとすれば、力づくで抑える。

 自分が傷を負う可能性さえ理解した上で、大王は踏み出そうとしていた。

 その彼へ、どこか晴れがましいほどに、コンコウリは自白した。



「私は現在、央土国と密通しております」



 聞き逃したくなるような、聞かなかったふりをしたくなるような、最悪の自白だった。

 だが他でもない大王コホジウは、それを聞かなかったことにできなかった。


「……平時ならまだしも、この戦時中にそれを口にするとはな。一族郎党、皆殺しにされても文句は言えんぞ」

「覚悟の上です」

「お前の子供や、孫にも及ぶぞ」

「事実ですので、仕方のないことかと」


 淡々としている、を通り越して、飄々としてさえいた。

 だがだからこそ、危うさがあった。


「……そこまでして、お前は私から離れたいのか」

「既に何十万も死んでおります。今更私やその親族が全員死んだところで、誤差のようなものでしょう」


 ここまで言われれば、政治の席を残すことさえできない。

 彼の決意の固さに、大王も、他の者も諦めざるを得なかった。


「最後に、言い残すことはあるか」

「……陛下。ご決断されたこと、それ自体は素晴らしく思います」


 場合によっては、この場で斬り殺されることもあり得る。

 そのうえで彼は、最後に忠告を与えた。


「貴方の決断に、感謝する者もいるでしょう。むしろ、私の考えに従うよりも、よほど多いかもしれません。ですがそれでも、全員から合意を得るなどできません」


 つまりは、咎めなかった。

 コンコウリはあくまでも、大王を慰めていた。

 自分の提案に乗らなかったことを、愚かとは言わなかった。


 コンコウリの提案に乗っていれば、また別の者が同じようなことをしたかもしれない。

 追い詰められた状態での決断とは、そうした犠牲をはらむものだと教えていた。


「……コンコウリは乱心している、自宅に軟禁しろ。一族の者には、接触だけを禁じろ」


 そして大王は、彼を殺せなかった。

 それが甘さだとは、誰も言えなかった。

 それほどに、彼は国家へ忠を尽くしていたのだ。



 自宅に軟禁。

 それは門の外に兵がたち、さらに扉の前にも兵が配置され、中にいる給仕たちにも様々な制約が施される状態であった。

 もちろん、コンコウリ本人が外出することは許されない。もちろん、家族でさえも中に入ること、手紙を送ることは禁じられていた。

 それでも敵国と通じていると告白したのだから、穏当と言っていいだろう。


 央土から奪った豪華な屋敷の中で、彼はある程度自由に振舞うことができていた。

 そして重責から解放された彼は、自室に飾ってある一枚の絵を見ていた。


(……これが間に合ったこと、それだけは幸運だな)


 その顔は、少しばかり嬉しそうだった。

 酒を飲むことぐらいは許されているが、彼は水も飲まなかった。

 もちろんハンガーストライキなどする気はない、ただ自室で待って(・・・)いるだけだった。


「さて……いるのかな」


「ええ、もちろん」


 声は聞こえども、姿はない。

 しかしこの状況で、話しかけてくる客など一人しかいない。


「もう姿を見せる気もないか」

「万が一に備えてのことです……無茶をなさいましたね」

「やはり見ていたか」


 コンコウリは、椅子に腰を下ろした。

 小さな声で何処かにいる獅子子へ話しかけつつ、その眼はやはり一枚の絵を見ていた。


「笑ってしまうだろう、追いつめられた小国などあんなものだ」

「……いえ、我が国も同じようなものです」

「お世辞でも嬉しいよ」

(悪魔が大笑いするぐらい酷いって、信じてもらえるかしら……)


 明らかに、気が抜けている話し方だった。

 あるいは本当に、僅かに乱心しているのかもしれない。


「全て放り出す、というのは気分がいいものだ。これでは陛下を咎められん。それで、私を殺すかね?」

「まさか……私は密使ですので」

「ああ、そうだったな……では、現状をそのまま伝えてくれ。さぞ笑ってくれるだろう」


 戦争は、避けられない。

 どちらも戦う準備を本格化させ、衝突に備えていた。


「……私は少し疲れたので、しばらく休むと言ってくれ」

「承りました……」


 彼の捨て身の行動は、そのまま彼の戦後へ影響する。

 彼は多くの命を危険にさらして、一つの可能性に賭けていた。

 賭けに負けることを願いながら、最悪に備えたのだ。



「……ところでその絵は、以前ありませんでしたね」



 コンコウリが見ている一枚の絵。

 まだ乾ききっていないのか、絵の具の匂いを部屋の中に漂わせていた。

 だからこそ、獅子子は嫌でも気づく。

 その一枚の絵が、以前にはなかったと。



「ああ……取るに足らん、画家の卵の習作だよ」



 一枚の静物画にはワインのボトルと、二つのワイングラスが描かれていた。

 本当に、ただそれだけの、練習のための画だった。



「……何か意味があるのですか?」

「何、何でもないさ」

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― 新着の感想 ―
[一言] 賭けるも守勢に入るのもどちらも正しくてどちらも間違っている この戦争の結果次第でこの判断の正しさは決まってしまうんでしょうね
[一言] コンコウリの言い様にこの上ないくらい胸打たれる……この作品主人公ムーブする人達が多すぎて困る。推せるキャラが多すぎる! ですが、今後を見据えた戦略としてはコジホウの方が優勢な気がするの…
[一言] 氷の精霊と悪魔だけへの対抗装備ならアカネとクツロをぶつければメタれる・・・?
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