33
前線基地の内部には、広場がいくつかある。
ただの何もない空間であり、公園のような遊具があるわけでもなく、地面があるだけだった。
これは有事の際、というか有事が終わった後に、とりあえず瓦礫を置いておくスペースということになっている。
ようするに『余白』なのだが、これがあるとないとでは片づけの速さはだいぶ変わってくる。
城壁が壊れたのなら城の外に置けばいいが、城壁の内部が壊れると置き場が必要になるというわけだ。
当然だが、修理などが終わっているときは何も置かれていない。
よって亜人やラプトルは、そこで待機していた。
「こちらがケイの戦友であるラプトルで、こちらはピンインさんの従えている亜人のキョウショウ族です」
「そ、そうですか……」
大公が紹介するほどの魔物使いに、従っている亜人と竜である。
元々強い種族であることに加えて、過酷な訓練や数多の実戦を乗り越えた強者なのだろう。
きっと狐太郎は、彼らを見れば怯えてすくむはずだった。
なのだが、ラプトルもキョウショウ族も、蛇に睨まれた蛙のように怯えていた。
先ほどの四人が金縛りにあっていたように、どちらもアカネとクツロを見て震えていたのだ。
そんな哀れな姿を見て、狐太郎はただ同情するだけである。
なお、クツロとアカネは、物凄く嫌そうな顔をしている。同種から怖がられて喜ぶ趣味は、彼女たちにないのだ。
「ぷふふ、二人とも怖がられてるわねえ! 同種を威圧するだなんて、酷い王様だわ!」
そんな二人を見て、ササゲは小笑いしている。
彼女の場合は同種と完璧にコミュニケーションが取れたので、マウントを取りにはいったのだ。
「おかしい……なんでササゲだけ怖がられてないの……ずるい」
「そうね、なんでササゲだけ……あら? そう言えばコゴエは? 貴女は怯えられている?」
ササゲに対して劣等感やら羨望を抱く二人だが、ふと雪女であるコゴエが同種からどう思われているのか気になった。
さて、精霊使いの連れている精霊はどう反応しているのか?
「逃げられた」
氷の精霊にして氷の魔王であるコゴエは、明後日の方を向いていた。
その表情は相変わらず凍っていて、何の感情もうかがえない。
おそらく、正真正銘なんとも思っていないのだろう。
「先ほど精霊使いにあった時、私に驚いた風の精霊は逃げ散った。精霊使いが心配らしく、こちらの様子をうかがっているようだな」
風の精霊だけに、風のように去っていったらしい。
「あらあら、貴方以外全滅ね?」
「はっはっは! 陛下には劣りますが、私もBランク上位の大悪魔、おびえて逃げ出すことはありませんよ」
「なんでそんなことを言うのかな……」
直接的に他の護衛候補たちをバカにするセキトを、ブゥは恨めし気に見ていた。
別に他人を侮辱しなくてもいいだろうに、何かあったらどうしてくれるのだろうか。
ちらりとブゥが他をみれば、ケイやランリは拳を握りしめて震えている。
相当悔しい気持ちになっているようだった。
「はぁ……普段なら何を怯えてるんだい、ってケツを蹴っ飛ばすところだけどねえ……私も似たようなもんだったしねえ」
なおピンインだけは、現状を受け入れていた。
もともと格上の亜人がどれだけの者か、度胸試しに来たようなものである。
肝をつぶされてしまったが、ある意味では予定通りだった。
これでは結果も見えたものだが、意気込んでいた二人には辛いことだろう。
「ううぅん……あの、ケイ……さん? 私ちょっと、この子と友達になりたいんだけど、いいかな?」
「え、え、え? あ、はい……」
「よし!」
そんな二人とは反対方向で落ち込んでいたアカネが、怯えているラプテルにゆっくりと歩み寄る。
「ほら、怖くない、怖くないよ~~私はドラゴン、お友達だよ~~」
(どう見ても違うけどな)
必死でドラゴンアピールをしているアカネだが、狐太郎の目線ではどうみても同種ではない。
下半身だけ見ればかろうじて同種なのだが、上半身は完全に別の生き物である。
(むしろ、この世界のドラゴンがわりと普通……というか恐竜っぽいのに、なんでアカネを見てドラゴンだとみんなわかるんだろうか……)
今まで異なる世界の同種同類と言えば、アカネとラードーンぐらいだった。
しかしこうして亜人やら悪魔やらがそろってみると、アカネだけこの世界から浮いている。
ササゲやクツロは悪魔や亜人の群れに入っていても馴染むだろうが、アカネだけは似ても似つかない。
(もしかして、俺の目が悪くて現実を認識できていないのだろうか……)
いよいよ自分の認識している世界との齟齬さえ気にし始めた狐太郎だが、とりあえずアカネとラプテルは互いの距離を詰め始めていた。
「ほらほら、怖くない、怖くないでしょ~~」
アカネはラプテルの顔に手を近づけている。
ラプテルの顔、というか頭部は竜のそれであり、どう見てもアカネより怖い。
しかし怯えているのはラプテルの方で、しかも本当にアカネの方がずっと強いのだ。
「よしよし、いい子いい子」
鱗だらけの頭を優しくなでるアカネ。
どうやら本当に仲良くなれたらしく、ラプテルの方もアカネの手をべろべろと舐めている。
その舌がやたら長く、遠目にもザラザラしているので、見ているだけでも狐太郎は背筋が凍っていた。
「見て、ご主人様! 私仲良くなれたよ!」
「ああ、うん。凄いな」
「でしょ!」
(凄い負担がラプテル君にかかっていると思うけどな)
アカネは誇らしげな表情で手を舐めさせているが、ラプテルの方は必死で気に入られようとしているのではないだろうか。
思うに、靴を舐めろとか足を舐めろと言われても、ラプテルは必死で舐めるだろう。
コゴエよりもさらに表情の読み取れないラプテルの顔なのだが、なんとなく察してしまう狐太郎である。
「まあ、アカネさんはすぐに仲良くなれましたね」
(かなり無理やりな気もする)
なお、それは狐太郎の勝手な所感である。
リァンは二体が仲良くなっているように思っているので、案外其方が正解かもしれない。
「普通はこんなに簡単には仲良くなれないんですよ、ねえケイ」
「え、ええ……うかつに手を近づければ、指を食いちぎられるどころか、そのまま喉に噛みついてきます」
(想定以上に殺意高いな……)
ライドドラゴンは乗りやすいわけではない、という説明だけはなんとなく覚えている。
しかしうかつに近づいたら喉に噛みついてくるドラゴンを、なぜ飼育しようと思ったのだろうか。
キノコやフグを食べようと思うよりも、はるかに難易度が高いと思われる。
「ええっ?! そ、そんなことするの、貴方!」
物凄く驚くアカネ。
彼女の基準では、殺処分される案件だった。
「駄目じゃない、人間に噛みつくだなんて!」
(いや……軍人が乗る竜なら、敵の人間に噛みつくこともあるのでは?)
「もうしちゃだめだよ、ね?」
何気に尊厳にかかわる部分を無理強いしてくるアカネだが、ラプテルは頷いた。
なお、その頷きにどの程度の意味があるのかはわからない。
「ねえ、ご主人様! この子は噛まないって約束したから、近づいて乗っても大丈夫だよ!」
「いや、絶対大丈夫じゃねえよ。何言ってるんだよ、お前」
つい素で応じてしまう狐太郎。
Aランクの竜であるアカネに雑な対応をしたことで、周囲から驚かれるがそれにも気づいていない。
「自分で言うのもなんだけど、馬に乗っても落ちる自信があるぞ」
「でも、この子は騎乗用に飼われてるんでしょう? だったらきっと大丈夫だよ」
「こんな言い方はどうかと思うが、俺が想像もできないような特殊な訓練が必要なんだよ。ラプテル君の方だけじゃなくて、乗る人の方も」
ライドドラゴンというだけあって、体形的には乗りやすそうである。
しかし乗りやすそう、と乗りやすいでは天と地ほども差がある。
そもそもライドドラゴンは、二足歩行なのだ。狐太郎は素人だが、二足歩行の方が四足歩行よりも揺れることぐらいは想像できる。
そしてライドドラゴンは、乗れることが特殊技能扱いされるほどだ。それも軍人のなかでも、選ばれた者扱いらしい。
如何にラプテルの方が気を使っても、狐太郎は落ちてしまうだろう。
「そうじゃないんですか、ケイさん」
「……はい、そうです。私がラプテルに乗るまで、とても長い時間がかかりました。餌をやることさえ、二年もかかったんです」
「……餌を食べさせるのに二年ですか、そりゃあ大変ですね」
狐太郎にケイの年齢はわからないが、おそらく二十歳ぐらいかそれ以下だろう。
餌を食べさせるのに二年かかったのだから、乗るのにはもっとかかったはずだ。であれば彼女は、十歳になる前からずっと頑張っていたのだろう。
狐太郎は本心から彼女を褒めていた。
しかしその一方で、ケイは我が耳を疑って目を見開いていた。
確かに自分は努力したし、それを周囲からも認められている。
この年齢で竜に乗れていることは、将軍である父でさえも称賛していることだ。
だがしかし、それは竜騎士としては最低限のことだ。
竜王であるアカネを従えている彼が、なぜその程度のことを褒めるのか。
まさかとは思うが、その程度の努力さえ彼はしていないのだろうか。
「まあとにかく……ラプテル君はケイさんの竜なんだ。俺が乗ったら怒られるだろう?」
「ええ? お願いしたら、いいって言ってくれるかもしれないじゃん」
「じゃあ俺が、お前に向かって他の人を乗せてくれって言ったらどうする?」
「……うん、わかった、ごめんなさい」
竜王アカネは、あっさりと引き下がっていた。
言葉が通じることを差し引いても、きちんと意思の疎通ができている。
手綱はないが、手綱を握っているようなものだった。
「ラプテル君、ごめんね~~」
アカネは謝って、ラプテルから離れていく。
それをラプテルは見送っているが、惜しんでいるのか安堵しているのか、その表情は読み取れない。
「ま、まあご主人様と仲良しにすることはできなかったけど、私はラプテル君と仲良くなれたよ!」
「そうね、いろいろ軽挙が目立っていたけど……私はどうかしら」
改めて、クツロである。
彼女は震えている亜人たちを見下ろしていた。
その表情は、結構困っている。
「あの、ピンインさん? よかったら、私のことを彼らに紹介してくれないかしら?」
「あ、ああ~~どうしようかね」
鬼王クツロから紹介をお願いされたピンインは、しばらく迷った後自分の部下を見た。
屈強なはずのキョウショウ族は縮こまって、両手をこすり合わせながらピンインに何かを懇願している。
「……その、なんだ。アンタがやたら美人なんで、ビビっちまってるのさ。ちょいと勘弁してくれないかね?」
「そう……無理強いは止めておくわ」
気遣いの言葉は、何時だって胸に痛いものである。
ピンインの配慮に対して、クツロは心を痛めながら下がった。
「では最後は私だな。できればこの世界の同類とも仲良くしたいが……」
空の彼方を見ているコゴエは、少しだけ冷気を上げた。
冷気を上げる、というのは変わった表現だが、とにかく周囲の温度が下がっていく。
「な?!」
コゴエが戦闘中にやっていることに比べれば、はるかに規模も効果も小さい。
しかしそれでも、精霊の専門家であるランリには驚くべきことだった。
「こ、氷の精霊が日中に外で力を出して、平然としているだなんて!」
専門家だからこそ、わずかな所作から多くを読み取ることができる。
どうやらコゴエが何気なくやっていることは、精霊の専門家からすれば異常なことのようである。
(春に雪が積もるようなもんだしな……確かに異常か……)
狐太郎の着ている服は温度変化に強いのだが、他の面々はそうでもない。
突如として温度が下がり始めたことで、やや震えはじめていた。
その一方で、空の彼方の空気が歪んだ。
それは白昼の幽霊か、あるいは透明な蝶か。
何十もの大きな空気のゆがみが、コゴエの周囲を旋回し始めた。
「ふむ……やはり感情豊かだな」
一種幻想的な光景に、誰もが息をのむ。
Aランクの精霊であるコゴエの出した冷気の中で、風の精霊たちが戯れていた。
光がわずかに屈折する点が、無数に踊る。それに誰よりも目を奪われていたのは、ランリだった。
なお、狐太郎はあんまり目を奪われていない。
「コゴエ、どのあたりが感情豊かなんだ?」
「ご主人様には……いえ、人間にはわかりにくいかとは思いますが、力の波が高くなっているのです」
「ごめん、言われてもわからない」
「私の力が大きすぎることに驚いていましたが、冷気から敵意がないことを感じ取ってくれて、嬉しそうに遊んでいるのです」
「ま、まあ、仲良くなったということかな?」
「そう思ってくださって構いません」
どうやら精霊同士のコミュニケーション手段があるらしく、コゴエと風の精霊は仲良くなれていたらしい。
風の精霊が余りにも生物の形から遠いため判別もできないが、とりあえず良好な関係を築けたようだ。
「ランリと言ったか、精霊使いよ」
「は、はい!」
「精霊を操ると聞いたのでどのようなものかと思ったが、精霊からは慕われているようだ。よき主としてふるまっているらしいな」
「え、ええ! もちろんです!」
「今後も、我が同種に良くしてほしい」
「そ、そうですか! わかりました!」
精霊の王から褒められたことで、精霊使いの少年は胸を弾ませていた。
その顔は赤らみ、頬はゆるみ、目は潤んで開かれている。
「もうしわけありません、ご主人様。私だけ仲良くなれませんでした……」
「お、落ち込むことはないぞ、クツロ。俺達がいるじゃないか」
「ううう……そう言っていただけると、慰めになります」
なお、クツロ。
落ち込んでいたので、狐太郎に慰めてもらっていた。




