次の幕が上がる
かくて、空論城の騒動は終わりを迎えた。
予定調和を前提としていただけに、比較的短時間で終わったと言えるだろう。
しかしBランク上位同士の戦いは、当然ながら空論城を大いに揺さぶっていた。
いくつかの建物が崩壊し、数人のケガ人が出てもいた。
もちろん、これでは守り切れた、とは言い難いだろう。
だが守るために全力を尽くしたことも事実である。
よって、これで狐太郎と彼らの契約は果たされたのである。
「ええ、まずは皆さんに謝罪させていただきます。この度は私の持ち込んだ騒動によって、多くのご迷惑をおかけしました」
倒壊した家屋から、悪魔たちは人々を救助した。
この世界の住人は頑丈であり、しかも最初から襲われることを想定していたため、死者の類は出なかった。
そんな彼らを、狐太郎は、空論城の外に出した。
中には空論城の外に出られないような呪いをかけられている者もいたので、空論城の壁をぶっ壊し、それをばらまくことで『壁の中』という判定にもした。
ともあれ、空論城は一度空になった。全ての人間とすべての悪魔が、狐太郎の前に並んでいた。
広々とした、視界の開けた場所に、こうして集まる。
彼らにとっては、久しぶりのことであろう。
「守ると言っておきながら、守り切れなかったことも事実。お詫びということで、皆様には一律で補償金を出させていただきます。もちろん契約外ですが、これも誠意です。どうかお気になさらず、受け取ってください」
しかし、そんな彼らは、晴れがましさから遠かった。
いくら狐太郎が補償金を出してくれると言っても、それに納得できる者はいないだろう。
たとえそれが、彼らが持っていた財産の数倍、数十倍だったとしても。
それでも、彼らの夢の『対価』には遠かった。
何より、誠意というには、軽すぎた。
狐太郎はそもそも大金持ちである。
仮に今回彼が全財産を吐き出したとしても、しばらく働けば取り返せる額だ。
誠意とは言うが、狐太郎は実質的に損をしていないのである。
これは主観的にも客観的にも、同じことだった。両者の認識に、一切の齟齬はない。
一般的には法外な額でも、狐太郎がまったく一般的ではないのだ。
「さて、その上で……皆さんとの契約ですが、そもそも期限を設けておりませんでした。よって継続可能という解釈もできますが、逆にここで終わらせても問題はありません」
彼らは、ほとんど狐太郎の話を聞いていなかった。
彼らが見ているのは、整然と並んでいる戦力である。
それこそが、狐太郎の得たもの。
この空論城のすべてを、彼は掌中に収めている。
それは、悲しすぎる世界の無情。
富める者がさらに富を蓄え、貧しいものはさらに落ちていく。
彼らは悔しさで涙さえ流していた。
結局、偉い奴がもっと偉くなっただけで、そこに逆転の要素などないのだ。
彼らは悔やむ。
あの狐太郎と同等、とは言わないまでも、あの傍に行くことはできたのだ。
ほんの先日前までは、目の前にそれが置かれていたのだ。
本当に、その余地があったのだ。
自分たちにも可能性があったのだ。
隠していたわけではないし、暗示されていたわけでもない。
この上なく明確に、本人の口から、最初に言われていたのだ。
「よって、皆さんさえよろしければ、ここで契約を切らせていただきます。異議のある方は、どうぞ挙手を」
もしもひねた考え方をするのなら、天邪鬼の心理が働いていたのだろう。
自分達で思いつくか、或いは部外者から『一致団結して出来レースにすればいいだろう』と言われていれば、或いはそれもあり得た。
だが主催者本人が最初に『不都合ですがそれも勝利とします』と言っていたのだから、祀から言われた時も『そんなことは最初から分かっているよ』と思ってしまった。
しかし、これを誘導と言えるだろうか。
主催者へ向かって説明不足や、説明過多でごまかしたことならともかく、普通にわかりやすく説明したことをどう怒ればいいのか。
「異議なしということで。これにて契約は終わらせていただきます」
彼らは、幸運をふいにした。
どれだけ後悔しても、機会が巡ってくることはないのだろう。
そんな彼らだからこそ、気づいていないのだろう。
一回の幸運をふいにしたぐらいで、取り返しのつかないことになった、彼らの人生に問題があるのだと。
彼らは彼らの選択によって、ここに来てしまった。
彼らはそれに気付けないし、気づいても認められない。
思うことは一つ。
争わなければ、益を得られたという、一事のみ。
平和の尊さを、彼らはかみしめていた。
尊さ。それは素晴らしいとか、希少だとかではなく。
価値、有益、ということだ。
「私は翌朝、この地を発たせていただきます。どうもありがとうございました」
彼らは、己の選択を後悔して生きていく。
自分の不利益に働いた、自分の選択を呪い、自分を呪って生きていく。
もうとっくに、かなり前段階でそうしておくべきだったはずのことだった。
この街に来る前に、やっておくべきことだった。
※
祀達の基地、その一つ。
あるいは、この世界の何処かにあるのかさえ、定かではない場所。
そこに退避した昏の戦士たちは、そろって回復用のカプセルに収まっていた。
しばらくの間身動きが取れず、意識も戻らず、しかも起きてもしばらくは体が慣れない。
しかし後遺症も残さず、全回復させるという代物だった。
それに収められた部下たちを、ミゼットは見ている。
見ているだけで何もいいことはないのだが、それでも見舞いに来ていた。
その一方で、隊長のスザクは祀たちへ報告に行っていた。
もちろん見舞いをしていないわけではないが、それでもミゼットより早く切り上げていた。
「以上です」
彼女の顔は、涼し気なものだった。
惜敗どころか惨敗して、それでも平然としているのである。
その胆力は、まさに傷ついても蘇る不死鳥であろう。
少なくとも、報告を受けた祀たちは、微妙に納得がいかなそうだった。
しかし悪いことではない。彼らは賢いので、咎めることはなかった。
「……そうか。それで、今後の方針は? もう一度戦えば、勝てるか?」
「無理ですね。何度やっても勝てません」
「はっきりとしたものだ……」
「戦力の適切な運用ではない、と申し上げましょう」
「ならば仕方ないな」
おそらくミゼットたちは、『次こそはあの悪魔たちに勝ってみせる』と思っているだろう。心に誓っているだろう。
だがおそらく、その雪辱をする機会は、永遠に訪れないと思われる。
「そもそもあの状況は、いびつなものです。一人目の英雄は悪魔だけ使っているわけではない、一般的な戦士や亜人や竜さえも従えて編成すれば……わざわざあんな戦術を使うまでもない」
スザクの言う通りだった。
悪魔の群れの奥義、禁じ手中の禁じ手、ガン逃げ。
これはデバフ要員の悪魔が、悪魔だけで戦うための戦術である。
「逃げながら呪ってアレです。もしも逃げなければ、多くの前衛に守られながら戦えば……」
「より一層、数が生きるな」
本来悪魔は、他のモンスターや人間と連携しない。
しかし今回狐太郎は、悪魔を従えたうえで、他の多くのモンスターも傘下に加える。
元々精強なハンターを仲間に入れたうえで、である。
通常戦力に加えて、大量のデバフ要員を得る。
それは戦術の広がりを意味し、より一層倒すのが難しくなったということだった。
もしかしたらそれは、無数の悪魔をブゥへと統合し、決戦戦力へ変えることより恐ろしいのかもしれない。
「奴らの故郷で、なぜ人間が繁栄を遂げたのか……我らの同志であった魔王を、どうやって倒したのか……今更ながら、よくわかるというものだ」
複数のモンスターを従えている、という意味では、今の祀も相当なものだ。
だがどのモンスターも、ただの強力な戦力にとどまっている。
天使や悪魔、妖精や精霊のような、特異な能力の持ち主はいない。
しかし『楽園』では、人間一種で賄える上に、天使も悪魔も従えていた。
それでは他のモンスターに、勝ち目などないだろう。
「スザク、お前はどう思っている? 今回の作戦、見事に失敗した。私たちの失態だ、呆れたか?」
「問題ないでしょう」
なんの含みも持たせずに、スザクは言い切った。
「最終的に目的を達成できればいいのです。逆に言えば、破滅的な選択だけは避けなければならない。今回のことは、何も失わぬ敗北でした」
「そうだな……その通りだ」
失敗はした、だが破滅はしていない。
リスクを負わずコストを支払わず、雑にやった結果失敗した。
だがだからこそ、失敗しても問題がない。
全身全霊で挑んで失敗したのとは、わけが違う。
教訓だと思って受け入れて、それでおしまいだった。
その点も含めて、空論城の面々とは違う。
失敗したぐらいで破綻するような、どうしようもない組織ではない。
「だが今後に活かす必要はある。さて、西重との協力、どこまでやるべきか……」
※
十一日目の早朝。
本来の予定ならば、八つの組織の抗争が終わり、勝者が決定していた時間である。
一晩の苛烈な抗争によって、多くのケガ人が出て、場合によっては死者も出ていただろう。
その戦いが未然に防がれたという意味でも、今回の結果は最善だった。
そんなことを考えながら、狐太郎たちはウズモの背に乗って、チョーアンへ帰ろうとしていた。
行きとは違って、大量の悪魔がウズモの周囲に編隊を組んでおり、同時にノベルが狐太郎の傍についていた。
そして狐太郎を抱えているササゲの、その表情が違っている。
「はあ……ご主人様最高……」
「ああそう」
狐太郎は、もう取り繕う気力もなかった。
騙した相手が、裏社会でも使い道のないような、どうしようもない連中の集まりだったとはいえ、騙したことも事実なのだ。
如何に嘘を並べなかったとはいえ、詐欺は詐欺であろう。そういう詐欺もあると、狐太郎は知っている。
とてもではないが、気分はよくなかった。
ある意味では、戦争に参加していることよりも、気が滅入ることだ。
「正直あの戦術はどうかと思いましたけど、だからこそ逆に! みんなご主人様へ心酔なさっている証明でもあるんです!」
「うん……」
慕ってくれるササゲには申し訳ないが、狐太郎は悪魔に慕われている己を恥じていた。
もしもチョーアンに戻って、民衆から石を投げられても甘んじて受け入れてしまうかもしれない。
悪魔よりも悪辣、と言われたことが今でも結構傷ついている。
ベッドで横になった時、涙ながらに言われたことがフラッシュバックしている。
それが呼び水になって、ジューガーを騙したときのことまで思い出してしまった。
正直今の狐太郎は、身に迫った危機に心を配れなかった。
「ねえコゴエ、聞いてほしいことがあるのだけど……」
「昏、婚の宝についてか」
「ええ、そうよ」
その分の頭脳労働は、クツロやコゴエがしていた。
祀の下部組織を名乗る、昏。
二つの組織があるというよりも、一つの組織の部門ごとの名前がある程度だろう。
西重と祀が分断することはあっても、祀と昏が分離することはまずあるまい。
「婚の宝……それがモンスターを改造する装置だったとして、おかしなことがあるわ」
クツロには、一つの疑問があった。
新しいモンスターを生み出すこと自体は、彼女の認識においてもあり得ることである。
だがだからこそ、疑念がわいていた。
「なんでわざわざ、全部違う種類だったのかしら」
「そうだな。祀が如何なる技術によって、昏のようなモンスターを生み出したのかはわからない。だがクローンの類ならば、一つの種類であるのが自然だ。それこそ、ホムンクルスのようにな」
魔王がどういう思惑で『婚の宝』を生み出したのか、それは想像に難くない。
Aランク上位モンスターを、飼いならす。あるいは飼いならせるように改造する。
それが実現すれば、実質的にAランク上位モンスターを無害化できる。少なくとも、対抗することは可能になる筈だ。
だがだとすれば、態々Bランク上位モンスターを生産する意味が分からない。
もっと言えば、フェニックスを複数生産しない理由がわからない。
「おそらく、利己的な理由ではあるまい」
「そうよね……そうせざるを得ない理由があったから……つまり、『婚の宝』はモンスターをいくらでも生産できるわけではない……」
一種類につき、一体しか生産できない。
そう考えるのなら、さほどおかしなところはない。
「そしてもう一つ、分かることがある。ノベルの強さが実在する素材に由来し、それ以上強くなれないように……」
「昏の強さも、Aランク上位で頭打ち、ってことね……つまり、英雄よりも強いモンスターは作れない」
ノベルは確かに強い。
この世に存在する金属や岩石、宝石に変身する能力を持っている。
それを使い分けることで、変幻自在な戦い方ができる。
しかし、最も硬い金属でさえ壊せるAランクモンスターならば、おそらく彼女でも太刀打ちできないはずだ。
彼女の戦闘能力の上限は、そのまま金属の上限に依存する。
同様に、昏にも上限はある。
Aランク上位モンスターに似たモンスターは作れても、それよりも格段に強いモンスターは作れない。
もっと言えば、英雄と戦って勝てるモンスターが作れない。
「それは当然よね、もしもそんなことができるのなら、魔王の冠なんていらないわ」
「西重に協力する必要もなく、悪魔との接触を妨害する必要もない」
魔王の奥義、タイカン技。それをもってすれば、英雄にさえ勝ち目がある。
この世界における最強の存在さえ、下す可能性がある。
その可能性が、彼女達にはない。
だからこそ、魔王の冠とEOSを求めているのだろう。
「逆に言えば、葬の宝にはそれができるということだろう。それに祭の宝とやらも、どんな能力を持っているのかわからない」
「祀と昏……西重よりも厄介だわ」
更なる戦いの予感に震える二体。
逃れようがない強敵の存在に、覚悟を固めていた。
「……あのさあ、私気持ちの悪いことに気付いたんだけど」
その一方で、アカネは不快感をあらわにした顔になっていた。
真剣な顔をしている二人へ、思わずそれを漏らしていた。
「気持ち悪いこと?」
「私たちの持ってる冠は、それこそ魔王の冠じゃん。でもさ、婚の宝で新しいモンスターが生産できるっておかしくない?」
普通のモンスターが、魔王の冠をかぶってパワーアップ、というのは分かる。
しかし『婚の宝』で、新しいモンスターが製造できる、というのはおかしい。
「名前のこじつけでしょ? そもそも冠婚葬祭の冠は成人式って意味で、一般的には戴冠式じゃないんだから」
クツロは、少し呆れながら否定した。
そもそも葬式の宝が、大量破壊兵器と言うのがおかしい。
彼女の言う通り、かなりのこじつけである。
「まあそうだけどさ、こじつけにしても無理があるでしょ」
「それは、まあ……」
「それにたくさん作れるんならともかく、一体しか作れなかったらそんなに意味ないじゃん」
「……何がいいたいの?」
昏を見るに、『婚の宝』がAランク上位モンスターを手懐けられるようにするための道具、であることに疑いはない。
しかし人間がモンスターを、家畜を手なずける場合、それはただ飼育するだけでは足りない。
繁殖させることができなければ、後に続かないのだ。
「もしかしてさ、あの子たちって……異類婚で生まれたか、それをするために生まれたんじゃないの?」
二体はそれを聞いて、思わず納得しかけた。
神話に曰く、イブはアダムの肋骨と泥でできたという。
それが『結婚』であるのなら、新しい生物を生み出す宝が『婚の宝』であることは納得だ。
そして男と女の両方を作れるのなら、女だけ送り込むのは不合理だ。
女しか作れない、と考えるべきだろう。その場合、彼女達は他の種族と結婚するということになる。
「……気持ち悪いこと言わないでよ!」
だがしかし、異類婚という言葉自体が、かなりの禁忌である。
それを聞いたクツロは、露骨に不快そうになっていた。
「ありえないとは言えないな」
「ちょっとコゴエ?!」
だがそうした生理的嫌悪感は、生理的な存在である大鬼や火竜だからこそ。
雪女であるコゴエには、縁が遠い考え方だった。
もちろん周囲が不愉快に思っているという理解はあるが、自分が不愉快になることはない。
「それならば、彼女達が一体ずつであることも、そこまで不合理ではない。だがその場合、また別の疑問がわく」
「その仮説をまず認めたくないのだけど……」
「なぜその母体を戦場に立たせる。普通に考えれば、繁殖をさせた後か、子供の方を戦場に立たせるべきだろう」
昏の彼女たちが『母体』であるのなら、強いは強いだろうが使い潰せない。
だから使い捨てずに撤退を選んだのだろうが、最初から戦場に立たせなければいいだけである。
「おそらくだが、奴らにもそこまで時間がないのかもしれない。少なくとも、あの母体が完全に成熟し、子供を産み育て、さらに繁栄させていくだけの時間が……」
今日明日に時間切れというわけではあるまい。もしもそうなら、もっと焦っているはずだ。
だが少なくとも、その割には冗長である。
「可能性があるとすれば、奴らが宝を奪ったという英雄だな。おそらく奴らは……英雄から宝を奪うことができても、倒すことはできなかったのだ」
「……そうね、スザクがあれだけネガティブだったのも、それが理由かもしれないわ。その英雄が……私たちの世界の英雄が、この世界へ追ってくることを懸念しているのかも」
ありえなくはない。
少なくともこの世界と元の世界は、行き来した存在が多くいる。
祀に至っては、独自にその技術を確保しているほどだ。
だからこそ逆に、祀でさえも、その可能性に怯えているのだろう。
「じゃあ私たち……帰れるかもしれないの?」
アカネの言う通り、可能性はあった。
祀、昏との接触は、彼女達に危機と可能性をもたらしていたのである。
竜の頭に乗っている魔王たちは、状況の変化を感じ取っていた。
次回から新章です




