冷や水
この空論城における抗争のルールは、狐太郎が決定し、評議会が許可を出していた。
とはいえ参加を決定する前ならば、八人の支部長にも口出しする権利があった。
だがそれは、実行に移されることはなかった。狐太郎の決めたルールに文句を言って、この抗争への参加権を失う可能性があったからであろう。
とはいえ、それだけではない。
狐太郎の決めたルールが、破綻していなかったからだ。
とくに重要なのが、『自軍の手形は支部長が持つ』という点だろう。
もしもこのルールがなかった場合、八つの組織すべてが手形を隠すはずだ。
勝利にこだわるのならば、まず敗北条件を潰そうとする。
加えて言えば、もし自軍が勝利できなかったとしても、他の組織にも十二魔将の席が渡らなくなるのだから、最悪のことは避けられる。
だがその最善を尽くした場合、ゲームとして成立しなくなるだろう。
八つの手形がそろう可能性が、ほぼなくなるのだから。
勝つためには最善を尽くすべきだが、最善を尽くした結果ゲームが成立しなくては本末転倒だろう。
ゲームを成立させるためにルールはあるのだから、制限を加えるのは当たり前だ。
最適解とは、面白さから遠いものである。
だがだからこそ、やられる側にとっては絶望的なのだが。
※
戦い続け、傷を負う悪魔たち。
彼らは『その時』を待っていた。
当然ながら、彼らの敵である昏たちも、その時を待っていた。
何かを仕掛けてくる、その時を。
必ず迎え撃ち、倒す。
それが副官であるミゼットとの約束だった。
そして、スザクの鼻を明かしてやるのである。
「……頃合いか」
大悪魔たちは、自分達や配下の負った傷を確認する。
十分であると判断し、合図を送った。
「者ども! 勝利に徹した悪魔の禁じ手……見せてやれ!」
悪魔たちが吠えた、雄々しく吠えた。
下位も中位も、セキトもアパレも。
狐太郎という男へ報いるべく、悪魔の群れの奥義を発動させる。
悪魔らしからぬ咆哮に、狐太郎たちやスザクたちも緊張する。だが、戦闘している昏たちはひるまない。
この程度の木っ端に後れを取るようでは、悪魔と知って悪魔と戦っていたうえでひるむのなら、自分たちに価値などない。
悪魔たちから吹き上がる闇のオーラに、ひるむことなく迎撃態勢を整えた。
そして……。
「い、いったい、なんなんだ、これは?」
バリアに守られたままの狐太郎は、慌てて周囲を見る。
否、他の面々も、昏たちも、スザクもミゼットも周囲を見る。
何が起きているのか、まるでわからなかった。
違う、悪魔使いの三人だけはそれを知っていた。
「おお……まさか自分の目で見ることになるとは……これが悪魔の群れの、最終奥義!」
「人間へ忠義を誓った悪魔でさえ、滅多なことでは使わないという……幻の戦術!」
「狐太郎さんが、ここまで彼らを動かしたなんて!」
ダイもズミインも、ブゥも。
その奥義の存在を知ってはいても、実際に見たことはない。
それどころか、使われたという記録さえ見たことがなかった。
その奥義を使えと命令することは、侮辱であるとさえ教えられていた。
それを自発的に使わせる、狐太郎の威光に震えていた。
だが、他の面々は、何が起きているのかわからなかった。
そう、魔王であるササゲでさえも。
「ぶ、ブゥ君、これは一体?!」
狐太郎は、バリアの中からブゥへ問う。
何が起きているのか、まったくわからないがゆえに。
「これが、悪魔の群れの奥義……ガン逃げです!」
千体以上もいた悪魔たちは、一体たりとも残っていなかった。
下位も中位も上位も、全員が一目散に逃げ散ったのである。
四方八方へ、背中を向けて、散り散りになりながら逃げ去ったのである。
「……ガン逃げ?」
「はい、ガン逃げです!」
なるほど、確かにガン逃げである。
これはもう完璧に、逃げることしか考えていなかった。
むしろ、逃げた後である。
「……ササゲ、悪魔逃げたよ?」
「殺すわよ」
ぽかんとしたアカネが、思わずササゲへ問う。
魔王であるササゲもよく理解していないのだが、馬鹿にされていることは知っている。
「なるほど、そういうことか」
「え、コゴエわかったの?!」
「ああ、確かに恐ろしい必勝法だ」
悪魔使い達に次いで状況を理解したコゴエは、分からないクツロへ説明を始めた。
「今悪魔たちは、逃げて隠れて、遠くから呪っているのだ」
「……あ!」
シンプル極まりない説明を聞いて、クツロは把握した。
なるほど、簡単なことである。
そしてその声を、昏の戦士たちも聞いていた。
全員が慌てて、懐の中の藁人形を確認する。
「……わ、私の身代わりの藁人形が……ぼ、ぼろぼろに朽ちてきてる!」
「呪いを代わりに受け止めてくれているけど……このままじゃ朽ち切ってしまうわ!」
「ど、どうするんだよ! このままじゃ不味いだろ!」
身代わりの藁人形。
それは少々のデメリットと引き換えに、持ち主を悪魔などの呪いから守るアイテムである。
しかしながら、呪いに対して完全無欠になるというわけではない。
身代わりになるという性質上、藁人形自体の耐久力、許容量を超えると、藁人形が崩壊してしまうのである。
もちろん、即死級の呪いならば、一撃で砕け散る。
しかし能力が低下する程度の呪いなら、しばらくの間請け負ってくれるだろう。
そして呪いを注いでくる間、悪魔たちも戦闘の手が緩む。その間に叩けば、確実に勝てるはずだった。
だがしかし、悪魔たちは見えない。おそらく付近にさえいないだろう。
その間も人形は朽ち続けている、今から悪魔を探して倒しても間に合わないだろう。
「……え、なに、こんなのアリなの?」
なるほど、合理的である。呪いをかけるという意味では、むしろ正道だろう。それ故に、敵にしてみればたまったものではない。
だが今までの悪魔が、相手と相対せずに呪うところを見たことがない。だからこそ狐太郎は、この状況に驚いていた。
「基本的に呪いというのは、相手と向き合っているほど、相手と関わっているほど、威力や効果が増します。ですが逆に言えば、相手から離れていても発動自体はするのです。効果が弱いだけで」
長兄であるダイが、淡々と返答をした。
「この戦術を一体の悪魔で行った場合、ほぼ意味などありません。効果が弱すぎて、相手は認識できない程でしょう。ですが、複数がかりなら話は違います」
「……そりゃそうだ」
「この戦術は、安全圏から一方的に呪い、効果の弱さを数で補うというもの。悪魔の好まぬ、無粋な戦い方です」
安全なところからの呪いは、効果が薄い。だから頭数で補う、集団で呪うことで成立させる。これは、人を呪うからには危ない目に遭うべきだ、という悪魔の美意識に反する。
呪いを行うからには相手の反応を見たい、という嗜好にも反する。或いは相手にも抵抗の余地を残す、という思想にも反する。
しかも、弱い呪いの重ね掛けであるため、自分は同じことの繰り返しであり、冗長になってしまうということもある。
つまり悪魔たちは、一番合理的な戦い方を、あえて封じて生きているのだ。
今回はそれを、完全に解禁している。
「本来ならば、一体を相手に行うもの。ですがこちらが千体もいるのですから、効果は十分でしょう。この呪い方ならば、下位の悪魔も参加できますしね」
「ハメ技だ……」
狐太郎の言葉の意味は分からずとも、魔王や侯爵家四人も同調している。
現に昏の戦士たちは、どうしていいのかわからない、と混乱していた。
呪いの対抗策は機能しているが、その猶予時間を無駄に消費している。
「ど、どうするの?!」
「どうするって……!」
経験不足が、もろに出ていた。
実力の勝負では圧倒できていただけに、この劣勢へ対応ができずにいる。
そう、悪魔が真っ向から来てくれたから、圧倒できたのだ。
こうした特殊能力を活かす戦いになれば、悪魔の土俵である。
結局のところ同ランクでしかないため、逃げに徹する相手を殲滅するなど不可能だった。
むしろ、さっきまでがおかしかったのである。
相手は数の利、相性の利を生かしているだけだ。
ルール上、なんの問題もない。これで負けても、納得できないというだけで。
「ああ……!」
そして、ついに藁人形が朽ち切った。
その瞬間、彼女達へ千体の悪魔の呪いが襲い掛かる。
即死攻撃ではないが、能力値を低下させる弱い呪いが、怒涛のように押し寄せる。
一つ一つなら意識しないほど効果は薄いが、それを補うほどの量がのしかかってくる。
「ではいくか、ズミイン。ここまで矜持を捨てさせたのだ、応えねばなるまい」
「もちろんです、兄さん」
満を持して、悪魔使いの兄妹が武器を構えながら前に出た。
だが戦うのは二人だけではなく……。
「狐太郎様、よろしいですね」
もう一人。
狐太郎が過ごした館で、悪魔たちの側近を務めていた女性が、参戦しようとしていた。
「……あ、ああ。大丈夫かい?」
「もちろんです。既に私は、貴方様の道具。いかようにもお使いください」
つまり、空論城の最強戦力。
悪魔たちの推薦した、十二魔将最後の一人。
「ああ、分かったよノベル……頼む、戦ってきてくれ」
「お任せください」
悪魔に長年仕えてきた彼女にとって、悪魔たちの喜びは自分の喜びである。
その悪魔たちが、ここまで尽くしているのだ。であれば、彼女も、ノベルも奮起するのは当然であろう。
「斉天十二魔将十席、ダイ・ルゥ。これより昏との戦闘に参加します」
「斉天十二魔将十一席、ズミイン・ルゥ。同じく」
「斉天十二魔将末席、ノベル。参陣仕ります」
討伐隊に参加しなかった戦士たち。
ハンターではない三人は、しかし未知のモンスターへ決然として立ち向かおうとしていた。
「……ず、ずるい! 弱体化が終わってからくるなんて!」
「そうよ! 卑怯よ! こんなので勝って、何が嬉しいのよ!」
「お前達に誇りはないのか?! このタイミングで仕掛けてくることが、おかしいと思わないのか?!」
その決然さが、昏たちには白々しく見える。
相手を罠にハメて、弱り切ったところで出てくるなど、卑怯としか思えない。
一切ルール違反を犯していないとしても、彼女達には納得できなかった。
(確かに)
もちろん狐太郎も、四体の魔王も、侯爵家四人衆も、かなり同調していた。
もしも自分達なら、かなり躊躇してしまうところだ。
「それが戦術だ」
ダイは、まったく動じずに断じた。
「悪魔たちが呪詛を用いて弱らせること、役目を終えたので離脱すること、その機を我らが叩くこと。戦術として、まったく正常なことだ」
その顔に、いっさいの後ろめたさはない。
大きな矛を手に、弱った彼女たちへ平然と切りかかる。
「きゃ!」
「ううっ!」
「お前達が呪いを防ぐ道具を持ってきたこと……」
悪魔使いであるダイ・ルゥは、現在悪魔を使っていない。
素のままの彼はBランク中位程度であり、当然ながら十数体のBランク上位に勝てるわけがない。
だが現在の昏は、悪魔によって能力値が大幅に下がっている。悪魔を使っていない悪魔使いに、力で押し負けてしまうほどに。
「お前達が、悪魔より強いこと……」
「ぐぅ!」
「あぅ!」
こうなると、大矛を持っている分、ダイの方が圧倒的に優位だった。
既に彼一人で、相手を押し込めるほどの優勢である。
「それらが、まったく卑怯ではないようにな」
もちろん婚によって生み出された彼女たちは、素手でも強い。
爪や鱗によって、きっちりと防御している。
しかし普段なら浅い傷を負う程度の攻撃でも、今の彼女たちには負担だ。
体の防御力も下がっているため、防ぐことに成功しても傷を負ってしまう。
「調子に、乗るな!」
これがサイクロプスなら、野生動物なら、勝ち目がないと判断して逃げるだろう。
もしも力に溺れただけの小物なら、スザクたちに助けを乞うだろう。
だが彼女たちは戦士である。相手より弱くなった程度で、戦闘を放棄することはない。
人数の利を活かすべく、大矛を振るうダイの背を狙った。
「ふん!」
更にその背を、ズミインが叩く。
不意打ちに対する不意打ちとして、容赦なく無防備な背中を斬っていた。
「ああっ!」
体が深い毛皮でおおわれていたからだろう。背中を無防備に斬られてもなお、弱体化してなお、致命傷ではなかった。
だが大ダメージであり、体は動かなくなる。
「卑怯ですか?」
追撃をする。
なんのためらいもなく、矛を振るう。
「うぐ!」
地面に倒れた昏の戦士へ、容赦なく追い打ちをかける。
「卑怯だったらなんですか?」
何度も何度も、何度も何度も攻撃する。
「それを指摘して戦況に変化が出るのですか?」
動かなくなっても、ただ叩き続ける。
「やめろおお!」
そんなズミインへ、昏の戦士が襲い掛かる。
真正面から、その爪を振るおうとする。
「止めろとは、懇願ですか」
ズミインは、地面に転がっていた昏の戦士を、真正面へ蹴り飛ばす。
つまり自分へ襲い掛かってくる戦士へ、蹴ってぶつける。
「あ……!」
「私は貴方の命令を受ける立場ではありません」
動きが止まった瞬間、真っ向から頭を割る。
「懇願は受け付けません」
矛による刺突。
既に気絶している仲間ごと、新しい敵にも深手を刻んでいく。
「ち、ちくしょう……この程度の奴に……!」
彼女たちは悔しかった。
本来なら、こんな二人に圧倒されることはないはずだ。
自分達一人でも、二人まとめて、一方的に叩きのめせるはずだった。
「悪魔に呪われてさえいなければ……! お前なんて!」
「悪魔使いに言うことではありませんね」
ぐしゃあ、という音がした。
大悪魔さえ下す実力者二人が、地面へ倒れて血を流す。
しかしズミインは、何の達成感も感じないまま、他の敵へ向かっていく。
「悪魔の住む城へ来て、悪魔に呪われる……当然でしょう。少々の道具で身を守った気になって、悪魔を退治できると思っているのなら……専門家を侮りすぎている」
ダイもズミインも、劣勢の相手を襲うことになんの躊躇もなかった。
流石は兄妹、息を合わせて互いの死角を補いながら戦っていく。
二人はブゥと違い、単純に強い。
ジョーやショウエンにも劣らぬ武人であり、悪魔を使わずとも地力を発揮できる。
「流石は、悪魔使いのお二人。見事なものです」
この街の誰もが憧れた、十二魔将末席。
その座を得た女性、ノベル。
「お、お前、降りろ! この、クソ!」
彼女は既に、ドラミングゴリラの戦士を踏みつぶしていた。
骨を折って動けなくしたうえで、上に乗っているわけではない。
ノベルに踏まれている戦士は、なんとか起き上がろうともがいている。
「お、重い?! お、お前重力属性か?! クソ?! なんだよ!?」
いくら力が下がっているとしても、一応はBランクのそれである。
ましてやドラミングゴリラならば、筋力は特に強い。
にも関わらず、女性一人に踏まれて動けないなど、ありえないことだ。
「私が、重力属性? いえ、いえ、違います。私はそんなことなどできません」
「その子から降りろ!」
ただ立っているノベルへ、別の戦士が襲い掛かる。
組み付き持ち上げ、なんとか下ろそうとする。
しかし、まるで動かない。
単純に、重すぎる。
「お、お前何でできてるんだ?! 体重はどうなってるんだよ!」
モンスターである彼女たちは、人間であるノベルが化物に思えていた。
「私が何でできているのか、気になりますか」
そして実際、彼女は化物であった。




