地獄の箸、天国の箸
滑稽とは、必死なものを笑うことである。
当人が全力を賭して望むからこそ、生まれる笑いである。
間違った努力をしていることに気付かず、それでも顔を赤くしているからこそ生まれる笑いである。
傍から見れば面白いが、当人たちはたまったものではないだろう。
彼ら自身は、笑われるために必死になっているわけではないのだから。
もしかしたら自分でも十二魔将になれるかもしれない。
そう思っていた、実際にその可能性があった、空論城の人々。
彼らは現在、ここ数日に味わった熱狂の反動を味わっていた。
だれもが疲れ切り、弱り切っていた。
特にトップの八人は、酒に逃げることもできずに茫然としていた。
逃がした魚は大きかった、大きすぎた。
なにもかも、祀や狐太郎の言う通りだった。
とにかくさっさと、誰でもいいから勝たせるべきだった。
周りにたくさん悪魔がいて、とても協力的だったのだから、『勝者を決めた後でもう一回相談しよう』ということにすればよかった。
なにせ今回の賞品は、十二魔将の指名権である。
別の組織の人間を指名してもよかったのだから、勝利の権利が評議会の大悪魔へ移動しないようにするべきだった。
そのあと争えばよかった。
なぜそうできなかったのか。
悔やんでも悔やみきれない。
その場合、狐太郎がものすごく困っていただろうが、それはそれで仕方ないことである。
ともかく彼らはもう二度と、この幸運を得ることがないのだ。
そして今後の人生もまた、その幸運を得られなかったことを悔やみ続けるものである。
まさに、呪いという他ない。
それも、悪魔の呪いよりも甚だしい、自由意思や夢の中さえ蝕む呪いである。
※
平和的解決、合理的解決。
それは今回の場合、決して不可能ではなかった。
狐太郎は十日間の猶予を参加者たちに与えたが、それをただ抗争に費やす必要はなく、話し合いの猶予に使うこともできた。
十二魔将の席そのものは分かち合えずとも、それによって得られる利益は分かち合える。
少々貧乏くさいが、『十二魔将になることで得られる利益の分割』ということならば、それなりに現実的だろう。
それならば、他の七つの組織もある程度納得して、一つの組織とその構成員を勝者にすることもできただろう。
悪魔によって約束を強制できるのだから、十分に可能なことだった。
誰も傷つかず、誰も争わず、円満に解決できた。
だがそれを、彼ら自身が拒んだ。
平和的解決とは、つまり『全員が幸せになること』であろう。
それが、嫌なのだ。自分だけが幸せになりたい、自分以外を不幸にしたい。
そのためなら、自分や仲間が傷つくことさえいとわない。
それこそが、勝利だ。
彼らはそんな勝利を求めていた。
なるほど、落ちぶれることも当然である。
なるほど、幸せを掴めないのも当然である。
世の中には、『おてんとうさまが見ている』という考え方がある。
たとえ報われなくてもいいから、周囲の仲間と協力することが大事だと、清く正しく生きることが大事だという考え方がある。
それを愚かだという、バカな考えだと蔑む考え方もある。
確かに、その考え方だけでは、うまくいかないこともあるだろう。
しかし互助の精神がない人間の集団は、慎ましい生活さえできなくなる。
互いの足を積極的に引っ張り合う集団が、自分以外の幸福を許さない者たちの集まりが、幸福になるなどありえない。
※
いよいよ状況が動く段階に入った。
狐太郎一行は、ササゲやセキト、アパレを除いて一か所に集まっていた。
もちろん全員が状況を把握しており、祀側からの契約破棄と、その経緯を理解していた。
(意味が分かんない……狐太郎様、これ全部読んでたのかな……)
(わからん……本人はどうなるのかわからない、と散々言ってたからな……)
(でも全部想像通りだったんでしょ……)
(悪魔も祀もこの街の奴らも、街の外の奴らだって、初手で全部誘導しきりやがった……)
侯爵家四人衆は、物事の流れを全部聞いて、今更のように震えあがっていた。
祀の契約解除、悪魔に好かれること、賞品として出した十二魔将の席の回収。
それらをすべて、完璧に一手で終わらせていた。今回の賭けを言い出した後は、ただくつろいでいただけである。
四人の社会人からすれば、狐太郎は神算鬼謀の大軍師、千里眼の預言者に見えるだろう。
少なくとも、そう思えていた。実際は、そうでもないのだが。
「狐太郎さんは凄いですね、僕には全然予想もできませんでしたよ」
「俺もびっくりしてる。まさかこうなるとは……」
「いえいえ、全部あてたじゃないですか」
「他の可能性もあったよ。うまくいかなくても『こうなると思った』って言ってたさ」
狐太郎はいくつかの未来を予測していた。
何通りかの可能性があり、そのうちの一つがはまっただけだった。
狐太郎にとって一番いい結果だったことは、言うまでもないことだが。
「それに、これだけうまくいったのは、趣旨が逆転していたからだ。祀が事前にここに来て、空論城の悪魔がうまいこと誘導してくれていたからだ。それを知るまでは、どうしたものかと悩んでいたよ」
狐太郎の仕事は、戦力を集める外交官である。
行きました駄目でした、では仕事をしたと言えない。
だからこそ必死で考えていたのだ。
当然ながら、うまくいかないことばかりだったのだが。
「この街を守ろうとする祀を困らせるだけなら、そこまで難しくないよ」
「それじゃあ、終わった後に祀が攻めてくることについては? アレがなかったら、十二魔将の席は……」
「だから、その時は諦めたって」
悪魔たちは嘘をついていない。
この空論城にいるどうしようもない輩の中から、誰もが羨む十二魔将が選ばれてほしかった。
実際のところ、最後に祀があの宣言をしなければ、そうなっていた可能性はあった。
「ただ、祀が諦めるときっていうのは、つまりこの街の人から邪険に扱われて、余計なことをするなって追い出された時だろう? そりゃあ暴れるだろう」
「……そうですね」
約束事には常に『約束をしない』という選択肢がある。
空論城の支部や外の本部は、結局祀と契約をしなかった。
それ自体は構わない。信頼できない相手とは、約束をしないのが一番だ。
だが悪魔たちは、信頼できないと、約束を破ると知って、なお祀と契約をした。
なぜなら、相手が強いから。約束をしなかった場合、どうなるのかわかっていたからだ。
弱者が約束をしなかった場合、強者は殴り掛かってくるだろう。
それを想定しないのは、明らかに甘えだ。
不公平だろうが不平等だろうが、約束を結ばないといけないときはあるのである。
「……結局、うまくやり込めようってのが、まず失礼なのさ」
何も差し出さずに、何かを得ようとする。
それが既に、誠意に欠けている。
誠意に欠けている者には、相手も誠意を見せない。
「皆も、俺が損を嫌がって、保身を考えて、得だけを欲しがったら、嫌いになるだろ」
彼の言葉に、アカネもクツロもコゴエも頷く。
そう結局は、得だけを欲するものに、残るものなどないのだ。
「失礼をいたします」
部屋がノックされ、中へ一人の悪魔が入ってきた。
先日狐太郎たちを案内した、『口だけ』である。
頭の前後に口だけがある、奇怪な悪魔が、ドアから入ってきて、狐太郎の前に跪いた。
「狐太郎様。空論城の悪魔が、広間に集まっております。どうかいらっしゃってください」
先日の彼を見た者たちは、以前との違いに慄く。
同じ役目を背負っているが、しかし所作が違い過ぎる。
「陛下もお待ちです」
「……そうか、分かった」
掌返しに対して、狐太郎はなにも言わなかった。
ただ静かに、その変化を受け入れる。
ここで勝ち誇り、高圧的に相手をののしるほど、彼は目的を失っていない。
だがそれをされても、『口だけ』は甘んじて受け入れるだろう。
彼らは既に、狐太郎へ全面的に敬服していた。
執事のような振る舞いをする彼の後に、全員がついていく。
空論城の真上に浮かぶ館の、その中を進んでいく。
そこには、Bランク下位の、下っ端悪魔たちが並んでいた。
異形ぞろいの彼らが、姿に反して整然と並び、笑いなく礼を示している。
愉悦や快楽のとりこである悪魔たちは、まるで無欲な兵士のように、一切の私心なく頭を下げている。
もしも踏まれても、それを振り払うことはあるまい。
(すげえ……)
侯爵家の四人も、ブゥたち兄妹も、この光景には息を呑んでいた。
まさに、神を迎える儀礼であった。
あれだけ人をバカにしていた悪魔たちが、居住まいを正しているのだ。
その礼儀を受ける側に、自分たちがいる。
それへ一種の困惑さえ覚えた。
ある意味、当然だ。
十二魔将首席にして次期大王、征夷大将軍にしてAランクハンター。
竜の王と精霊の王、亜人の王、そして悪魔の王を統べるもの。
天帝、冠の支配者、四冠。
その名を背負う者が、相応しい待遇を受けているだけ。
「お待ちしておりました、狐太郎様」
大広間の入り口、大きな両開きの扉。
その前に待っていたのは、大悪魔セキトとその眷属であった。
ルゥ家に仕える彼らは、あくまでもこの広間に入らず、しかしその扉を守る任に就いていた。
彼の眷属は、ゆっくりと、扉を開けていく。
そこには、Bランク中位の悪魔たちが待っていた。
彼らは拍手をもって彼を迎え、花道を彩る。
床には赤いじゅうたんが敷かれ、その上に魔王ササゲが立っていた。
既に戴冠している彼女は、その闇に包まれた手で狐太郎の手を取る。
「こちらへ」
「ああ」
ここで、狐太郎以外が足を止める。
魔王ササゲは『口だけ』と同じように、最大級の敬意をもって、最大級の歓喜をもって、彼の手を取って一緒に進むことを喜んでいた。
狐太郎の顔は、固い。
面白みのかけらもない、緊張と諦念に満ちた表情だった。
「……ふぅ」
ササゲに先導された先には、やはり整列している大悪魔がいた。
九体の大悪魔は、長老だけを例外として、全員が手形を持っていた。
今回の賭けの『チップ』でしかないただの紙切れを、まるでメダルのようにもって並んでいる。
「鎮まれ」
評議会の長老が、静かにそう言った。
直後、大広間は無音に包まれる。
「狐太郎様。この度は我等との約束をまっとうしてくださり、感謝の念に堪えません」
武力を背景にした、不平等な契約。
それを押し付けられた悪魔たちは、ここに解放されていた。
祀に対して、悪魔らしからぬ対応を強いられた大悪魔たちは、悪魔らしく勝者を称賛する。
「『できるだけ面白おかしくしていただきたい、若手が腹を抱えて嗤うような』そんな無理な注文まで、貴方は応えてくださった」
悪魔にとって、知恵比べで負けることは恥ではない。
己の尊厳を差し出すに足る『神』との遭遇が、不名誉であるわけもない。
「我らの統べる城に住まい、多くの悪魔を知る者から、貴方は『どんな悪魔よりも悪辣だ』とまで評された。ああ……完敗でございます」
彼の悪に、悪の振る舞いに、悪魔たちは立っていることさえできなかった。
「我らのすべてを捧げましょう……どうか、我等の主におなりください」
「……」
狐太郎は、周囲を見渡した。
改めて、この広間には、多くの悪魔がいる。悪魔が多すぎる。
これだけの悪魔から、自分は崇められている。
それは足元の人々を犠牲にしたもの、燃やし尽くしたからこそ。
一体どれだけ他人を犠牲にして、どれだけ笑い者にして、どれだけバカにして。
それで得た賞賛だろうか。
「……俺は、とんでもない悪人だな」
弱音を吐く。
結局、賭けに勝った。
何もかも、己の掌中に収まった。
気分がいいわけがない、いっそ失いたかった。
いいや、失った。
自分の心は、空虚だった。
「ササゲ」
「はい」
うっとりしているササゲへ、狐太郎は問う。
今まで幾度となく狐太郎のために戦ってきてくれた、心身を捧げてくれた、臣下の礼をとってくれた、親愛なる悪魔の王へ問う。
「俺は、君へ報いれただろうか」
「もちろんでございます」
「そうか」
では仕方ない。
悪魔の王をこき使っておいて、善人面など許されない。
「お前達のすべてを、俺に捧げろ。これは命令だ」
この上ない、高圧的な命令。
悪魔たちは、喝さいをもって応じていた。
「喜んで!」
※
一方そのころ、祀たちは会議を開いていた。
お世辞にも楽しそうではないが、喚き散らさない程度には敗北を受け入れていた。
彼らは賢いので、敗北を引きずり過ぎなかった。
そもそも、彼らは何も失っていない。
リスクを負わずコストを支払わず、デメリットも対策していた。
その慢心が敗因ではあるが、しかし失っていないことは事実である。
結局、妨害工作に失敗しただけ。
相手の戦力は拡大、肥大化したが、損失もない上に情報も把握した。
であれば、気に病むほどでもない。悔しい程度のことだ。
「私たちを切ってもよろしかったのですか、西重にも秘匿していたはずですが」
「別に構わん。元より西重を動かすにはお前達を切るしかないし……これも反省というものだ」
祀たちの護衛を務めていた女性たちは、祀を気遣っていた。
不必要だと知ったうえで、勝てぬと知って、なお手を出さずにいられない。
それほどまでに苛立っている主たちを、気遣っていたのである。
「反省……ですか」
「そうだ。我らは結局……手抜きをした。スマートに解決した気になって、いい加減なことをした。アレならば、何もしないほうが良かったほどだ」
どう言い訳をしても、妨害に失敗したことも事実。
まだやれたことがあったにもかかわらず、勝ち誇りながら高みの見物をしようとして、逆に高みの見物をされてしまった。
知恵比べでの敗北は、彼らに反省を促していた。謙虚さを得て、己の怠慢を認めていた。
「負けは負けだ。それも我らが勝手に介入して、負けたのだ。横やりを入れてなお負けたのだ、恥は知っている。これ以上恥をさらす気はない」
「では、なぜ」
「……我慢できぬことがあるからだ」
狐太郎は、誠意をもっていた。
誠意とは、損を受け入れる心である。
街のチンピラに十二魔将の席をくれてやる、という損を受け入れていたのである。
だからこそ、彼は悪魔に心酔されていたのだ。
だが、敵としてはたまったものではない。
あの街のチンピラと、ことあるごとに対峙する羽目になるなど、彼らの自尊心が許せない。
せめてあのクズどもには、夢を失ってもらわなければならない。そうでなければ、腹の虫が収まらない。
「スザクよ……昏の長よ。配下を率いて、奴と戦え。おそらく今回ならば、死闘には至らぬはずだ」
そしてもう一つ。
今回の襲撃は、狐太郎への支援でもある。
そうでなければ、わざわざ予告をしない。
それを察知している狐太郎も、ある程度は相手をしてくれるだろう。
死者が出るような、大規模な戦いにはならないはずだ。
「強くなって帰ってこい。お前達もまた、本番に備えて強くならなければならないのだからな」
「……ご配慮に感謝を。必ずや、成長してまいります」
そして、祀とその護衛、昏にも信頼関係はあった。
知恵比べはここまで。
本番に備えての前哨戦が、いよいよ始まる。




