迷走
祀たちは、とても苛立っていた。
それこそ、護衛達が声をかけられないほどに。
(忌々しい……この、まともな学もない、下等な人間の中でも特に下等な者に負けるなど!)
(弁舌で人間に負けた……なんという醜態だ!)
彼らは自分の知性にも自信があった。
だからこそ、相手に何もかも見透かされて負ける、という状況へ屈辱を感じていた。
ぷふふふふ!
あはははは!
ははははは!
この空論城に住まう悪魔たちの、笑い声が聞こえてくる。
おそらく祀たちの醜態を、既に予測していたのだろう。
だからこその、大笑いである。
(奴らは……このことをこの街の住人へ教えていなかった……)
(話術でごまかせる範囲のことを、我等はごまかせなかった……!)
祀たちが失敗したから、面白いのだ。
祀たちはどうにかできる範囲のことを、警戒もせずに失敗したのだ。
これはもう、大失敗である。
「……どうする?」
「どうするもこうするもない……別の手を使う」
祀たちは、決して愚かではない。
この状況をある程度理解し、打開策を練っていた。
少なくとも、このままこの街を練り歩いても、なんの成果も見込めない。
「平和的な解決と言うのは、全員の合意があってこそだ。我らは一つの組織から不信を買った……いや、ちがうがな。ともかく、他の七つから言質を得ても同じことだ」
「そうだな……他のすべてがいいのなら、と言われればそれまでだ」
であれば、別のアプローチを仕掛けるまで。
この街の下も、上も、まとめることはできない。
ならば、街の外へ話すのみ。
「おい、『~~~』! やつらの上位組織がいる場所へ案内しろ! そちらへも顔は利くんだろう!」
「ええ、もちろんでございます」
この空論城にいる者たちは、誰一人として街の外へ話題を持ち出そうとしなかった。
この空論城の外にこそ、優れた実力者がいるにも関わらず、である。
別の支部や本部へ連絡をしなかったのは、それが不都合なことだったからだ。
「十日後に勝者が決まり、そのすぐあとに十二魔将が決まったとしても。奴らが復讐をしたいと思っている、本部が即日崩壊するわけではない。ならばそこへ声をかければ」
「うむ、この街の者よりは損得勘定ができるだろう」
重ねて言うが、祀はこの街の住人の利益など考えていない。
この街で大規模な争いがおこり、安全が脅かされなければそれでいいのだ。
この街の人間が、どれだけ罰を受けてもどうでもいいのである。
「八つの支部、それぞれの本部へ声をかけるぞ。それで、この街のトップは全員終わりだ」
「急ぐぞ。この国に優れた移動手段はない、早く声をかけなければ介入が間に合わない」
彼らはワープによる移動手段を持つが、流石に相手は信じないだろう。
だからこそ彼ら自身の移動力に頼るしかなく、時間は危ういところだ。
「十日あって助かったな……」
「ああ、無駄に長くしたおかげだ。人間の愚かさに救われた」
彼らは、十日も準備期間があることへ、合理的な理由を見いだせなかった。
十日もあるおかげで、自分たちはこの手を打てるのだから。
まさかこの手を打たせるためだけに、この期間にしていたとは思うまい。
※
さて、それから数日間、この空論城は騒がしく、しかし同じ動きが続いていた。
たった一つの報酬、分割できない地位、そして公的な栄誉。
空論城にある八つの組織は、それぞれがそれぞれ、低レベルながらも必死で武装していた。
適当な廃材を加工して武器防具を作ったり、敵の下っ端へ甘言を用いて誘導したり、或いは本拠地にバリケードを設置して守りを固めたり……。
あるいは不都合な道を潰したり、逆に避難用の道を作ったり……そして、いざという時のためにランニングをする支部長たちの姿もあった。
基本的に、支部長たちは悪魔から完全な束縛を受けていない。
街の周りをぐるぐる回る分には、なんの問題もない。
ランニングをしている支部長たちは、同じような同類を見て微妙な現実を意識し始めていた。
先日祀へ言ったことは、嘘ではない。
どの陣営も、絶対に勝てると言い切れる戦力がいなかった。
それは『二、三人有望株がいる』とかではなく、一人もいないのである。
だからこそ逆に、どの陣営にも勝ち目がある。
しかしその一方で、どこも勝てないのではないか、という状況を意識し始めていた。
とはいえ、じゃあ諦められるのか、と言えば微妙である。
自分の持っている手形をくれてやる、というのも癪だし、何よりも乗り気になっている他の者たちへ示しがつかない。
およそ、この国でも屈指の権力者となった狐太郎。その狐太郎にとってさえ、破産しかねないほどの賞品。
それは当然、この街の人間たちには魅力的すぎたのだ。
「……ふふふ」
評議会に名を連ねる大悪魔たちは、連日パーティーを開いていた。
この街で下っ端たちを束ねる、Bランク中位悪魔たちを招き、茶や酒を楽しんでいたのである。
もちろん彼ら悪魔にとって、酒のほうが『肴』。本命は、街の争乱、人々の熱狂ぶりであった。
「いやあ……あの酒太りした連中が、必死になって走り回り、汗だくになって帰ってくる姿……なんという滑稽!」
「しかも周りの連中も同じようなもの。むきになって競争になって……見栄を張ってアジトに戻って……十日で体力がつくものか!」
「浮浪者どもを見たか? 全員満腹になったものだから、逃げ出す算段を立てていたそうだぞ」
「武器もあるのだし、なんとかなると思ったのかもな!」
「あの祀……あははは! 何度思い出しても笑える!」
「偉そうにこっちへ来たと思ったら、一つの組織へ行って、いきなり看破されて……そのまま逃げやがった!」
「賢いなあ! 諦めが早いもんな!」
「で、どこが勝つと思う?」
「いやいや……予想できる段階じゃないぞ。支部長辺りはうんざりしてきたが、諦めるのは癪らしい」
「うむ……前哨戦がないからな。本番の一発勝負を前に、諦めるのは難しいだろう」
「こうなると、一晩での決着……というのが惜しい気もするな」
「いやいや、何日もやっていたらダレるだろう。熱狂している間に終わらなければ、いっそ興ざめだ」
楽しそうな悪魔たちは、酒や茶の匂いが満ちたパーティー会場で、激論や噂に花を咲かせていた。
その姿は正に悪魔の巣窟。悪魔の自治区、ここに完成と言ったところだろう。
「視聴者か読者みたいだね……」
(そうだなって言いたいけど、言ったら角が立ちそうだな)
そんな悪魔たちを見て、アカネは人間のようだと評した。
視聴者や読者が直接審判をやっている、というのは参加者としては辛いだろう。
しかし実際、そんな感じである。狐太郎も、ネット上の掲示板を見ている気分だった。
「ああ……ご主人様の生み出した熱気……鼻高々だわ……」
「これが楽しいって……悪魔は残酷なものね……」
「どの種族にも、そう思われる点はあるということだ。クツロ、あまりあしざまに考えないことだぞ」
ササゲは魔王として、目の前の状況を喜んでいた。
自分の主が生み出した熱狂に、誰もが満足している。
まさに王の器、主催者としては大成功だろう。
彼女自身もうっとりである。
なお、クツロはそれに引いていて、コゴエはそれを諫めていた。
ちなみに、現時点でクツロはかなり酒を飲んでいる。
「でもさあご主人様……私飽きてきたんだけど……悪魔は飽きないのかな?」
「いや、飽きると思うぞ。ただ……祀の動かしたことが、どうなるのか待ってるんだろうな」
「……外の人を呼ぶってあれ?」
「そうだ。ここの連中は所詮支部だからな、本部は別にある。そして……」
「そして?」
「本部がどう動くのか、俺はわからない」
狐太郎が準備期間を十日としたのは、祀が外部と連携を取れるだけの、十分な時間を与える為だった。
この街にいる闇社会の住人にとって、共通の敵と言える、自分達を僻地に追いやった者。
彼らとて、今回の件では他人事ではない。
なにせ狐太郎本人が『証拠さえあれば悪人を告発できるよ』と言っている。
このままでは、誰が勝っても破滅するだろう。これを知れば、確実に妨害してくるはずだ。
とはいえ、この街の住人たちは、それをまったく警戒していない。
まず『十二魔将が賞品だよ』という時点で、既にまったく現実味がない。
支部長自身が現地へ行って、十二魔将になれるチャンスですから戦力をください、と言っても信じることはないだろう。
ましてやそこらのチンピラが『やつら企んでますぜ』と言ったところで、到底信じないだろう。
そもそも、本部の偉いお人へ、会えるわけではないのだから。
「だが、祀がまともなら、そっちへ手を伸ばすはずだ。そうなれば確実に動く、どう動くのかはわからない」
しかし、悪魔が介入すれば話は違う。
悪魔たちは、間違いなく祀たちへ協力する。
祀たちがもたらした情報を信じるのなら、動かざるを得ない。
問題は、どう動くか、である。
その一点については、外部にいる悪人たちの、自由意思にゆだねられていた。
悪人の自由意思、なるほど恐ろしいものである。
「あらあら、ご主人様……人が悪いわねえ」
ササゲがにやにや笑いながら、狐太郎を正面から抱きしめる。
そこに一切の情欲はなく、親愛にあふれているが、邪悪な笑みに満ちていた。
「人間が、そんなに賢いわけないじゃないの。ましてや悪党が……!」
話し合いとは、そもそも面倒なものである。
だがその面倒なことが世界に蔓延しているのは、面倒なことが結果的に楽だからだ。
その面倒から逃げて短絡的な解決を望むのは、大抵短慮な輩か、追いつめられたものであろう。
賢いとは、二律背反である。
無理だと思ったらあっさり諦められること、正しい道を選びそれを行い続けること。
矛盾しているようで、しかし矛盾はない。
しいて言えば、無理なのか可能なのか、それを見極められることこそが真の賢さなのかもしれない。
その意味では、祀は賢いとは言えなかった。
※
狐太郎による宣誓から、およそ一週間後。
空論城の外は、にわかに騒がしくなっていた。
いいや、空論城自体も、騒がしくなっていた。
四角い城壁に囲まれた、空論城。
その門の前に、大勢の荒くれ者が集まっていた。
彼らはこの街の住人とは、明らかに格が違った。
浮浪者らしきものは一人もおらず、ほぼ全員が歴戦の古強者のような雰囲気を纏っている。
多くの修羅場、鉄火場を越えた顔をしていた。
「祀……とか言ったな、そこを退いてもらおうか」
「断る」
その彼らは当然空論城へ入りたがっているのだが、祀はそれを止めていた。
祀の代表と、荒くれ者たちの代表。その双方が、真っ向から苛立たし気ににらみ合っていた。
「……この街で、十二魔将の末席が選ばれるって話だろう? それを教えてくれたのは、そっちだろうが」
「ああ、そうだとも。それを平和的に解決してほしい、と頼んだのだがな」
祀もまた、護衛を連れている身である。
お偉方が護衛を連れて中へ入り、支部長を止めるか、あるいは殺してもよかった。
その程度なら、祀は喜んだだろう。
「どこからどう見ても……お前達は平和的に解決する気などないだろう。大いに暴れる気のはずだ」
この街の人間を皆殺しにするか、あるいは抗争へ本格参戦するか。
そのどちらか、としか思えない風体である。
「仕方ないだろう、こっちも命がかかっている」
「なにせそっちで、八つの組織全部へ報告しちまったしな」
苛立っている、血気盛んになっているのは裏社会の連合も同じだった。
もしも一つにだけ話をしていたのなら、その一つが『じゃあウチが大戦力を送り込めば、ウチが勝つのが確定じゃん』となっていただろう。
それはそれで、他の七つが諦めて、事前に解決していたかもしれない。
しかし祀は、八つすべてへ声をかけた。
その結果が、これである。
しかし、仕方ないともいえる。
祀にしてみれば、誰がどの程度動いてくれるのかわからなかったのだ。
場合によっては『準備をしている間に時間が経過した』だの、『強硬な抵抗を受けて断念せざるを得なかった』だのが想定された。
とはいえ、想定以上に優秀で有能とも言えた。
八つの組織は、すべてが過剰なほどの戦力を用意して、同じ日にここへたどり着いたのだから。
「……なぜだ、お前たちはこの空論城の輩よりはまともなはずだ。なぜわざわざ、多くの流血を選ぶ」
争わないで済む道がない、というわけではない。
むしろ争わないで済む道が、最初から用意されていた。
悪魔という約束を順守させる存在があるのだ、それを使えば約束を反故にされることもあるまいに。
「我らはお前たちの利益になる、最善の道を示したのだぞ。なぜわざわざ、それから離れたことを選ぶのだ」
裏社会の住人など、どうなっても構わない。
だがそれはそれとして、陥れる道ではなく利益の有る道を示したのだ。
誰も傷つかずに済む、とまではいわないが、彼らにとって重要な人物は傷つかずに済むのだ。
「私たちの情報を、信じていない、というわけでもあるまい」
「ああ、その通りだ。確かに本当のことなんだろう」
さて、なぜ彼らは争うことを止めないのか。
「だがな、俺達が傷つくことを恐れているとでも?」
つまり、平和に価値を見出していないからである。
「お察しの通り、俺達だってそこまで馬鹿じゃねえ。大したことじゃねえのなら、手打ちにもするさ」
どうでもいいことで、人は争わない。特にある程度の地位を持つものは、一々危険など冒さない。
今回の賞品が大金や金塊程度なら、彼らも祀の顔を立てただろう。あればうれしいが、どうしても欲しいものではないからだ。
「だがな、十二魔将末席の地位は、俺達にだって命をかける価値があるんだよ……!」
十二魔将末席。これを欲しがるのは、この街の住人だけではない。
空論城の住人は、それを利用して外の人間を追い落としたい、とも思っていた。
だがそれを抜きにしても、魅力的すぎる賞品である。
裏社会、闇社会の住人。そのトップ層でさえ、喉から手が出るほどに欲しいものだ。
手に入るはずもないと諦めていたものへ、手を伸ばせる唯一の好機なのだ。
「代表者を選出して戦って、それを受け入れる? 確かにそうするさ、それしか手がないのならな! だがそうじゃねえだろ!」
この名誉は平和よりもなお価値がある、ありすぎた。
そもそも平和を何より大事と思う者が、荒事の中に身を置くわけもない。
「俺達が、犠牲を恐れているとでも思うのか!」
「……そうか、ならばいい」
その様子を、空論城の誰もが見守っていた。
このまま通されれば、間違いなく、彼らの中から十二魔将が選ばれる。
間違っても、この街の住人からは選ばれなくなる。
それは確定してしまうことだ。
「如何しますか」
祀の護衛を務める女性たちが、是非を問う。
「……我らの役目は、空論城の安全を保障することだ」
祀の者たちは、目の前の相手を誘致した。
まさに外患を誘致してしまったのだ。
「やれ」
「承知しました」
仕方ないので、安全を守るために戦うしかなかった。
安全を保証するのは、本当に大変である。
(何をやっているんだ、我等は……)
まさか本当にこの空論城を守るために戦うとは。
しかも自分たちが呼んだ敵と戦うとは。
賢いはずの彼らは、自分が何をやっているのか、分からなくなっていた。
馬鹿みたい……!
阿呆だ……!
何やってるんだよ……!
悪魔が笑っている。
もしかしたら、悪魔を楽しませるために頑張っているのかもしれない。




