契り
コホジウは頭を悩ませていた。
相手の情報が伝わってきても、その確実性がつかめない。
果たして本当に、Aランクモンスターを従える手段などあるのだろうか。
「……いや、そういう問題ではないな」
たとえば、である。
今集めた情報を、カンヨーを占拠しているチタセーたちに送れるだろうか。
到底信じられない情報の出所が『現地の諜報員が見た』だけでは、余りにも不確実すぎる。
せめて、現地へ赴いた交渉役も確認した、ぐらいのことは必要だろう。
しかしそれはそれとして、本当だった場合はどうなのか。
他に仕事があるのならともかく、それを想定する時間があるのなら、対抗策を練るのが正しい王の在り方だ。
「……」
そして、今更気付く。
敵は三対三で、互角の人数で、ウンリュウとクモン、キンソウを打ち破ったのだと。
「……奇跡のような話だな」
戦術の基本は、どれだけ相手より強いコマを用意するか、或いはどれだけ多くのコマを用意するか、である。
そして戦力差が圧倒的であればあるほど、勝った方の被害は少なく済む。もしも同数ならば、多大な犠牲が想定されるだろう。
とはいえ、少数同士ならその限りでもない。
三十万の軍勢が二つ、真っ向からぶつかり合えば、双方に膨大な死者が出る。
よほどのことがない限り、勝った側に死者やケガ人がいない、ということはないだろう。
だが三対三ならば、勝った方に被害がなくても不思議ではない。
少なくとも、絶対にありえない、とはどんな戦術家も言わないだろう。
現実的に起こりえる範囲で、奇跡のような大勝利、と評されるはずだ。
十分の一の確率、或いは二十分の一ぐらいの確率だろうか。
狙っていい可能性ではないが、ありえないとは言い切れない程度のことである。
「とはいえ……狙っていいことではない」
コホジウにも常識はある。
敵が三対三で被害なく勝てたのだから、自分たちにも同じことができる、とは思っていない。
七対三で、一人も欠けずに勝て、というのがどれだけ難しいのか知っている。
如何に倍以上の数がいるとはいえ、相手も英雄。
被害なく勝てるほどの戦力差、ではないだろう。
対してあちらは、一人か二人を道連れにすれば、それで勝利である。
なにせあちらには、まだ戦力が残っているのだ。
南の領地を諦めれば、怒り狂った南の大将軍とAランクハンターが襲い掛かってくる。
そうなれば、いよいよ全滅しても不思議ではない。
「その上、相手にはAランクのモンスターもいる……到底、抑えきれるものではない」
Aランクモンスターを御す術がある、という前提でコホジウは想定を練っていた。
もちろん疑わしいが、相手の戦力を軽く見ることはできない。
「……あるいは、その方法で勝ったのかもしれないな」
彼はこの時、正解に至っていた。
まず三人の英雄で、こちらの大将軍たちを抑え込む。
その間にAランクモンスターが、十万からなる軍勢を切り崩す。
大将軍たちの動揺を誘って、その隙を三人の英雄たちが叩いた。
「ウンリュウに通じる手ではないが、クモンやキンソウならば通じるだろう……」
単純な強さだけではなく、精神的な隙の少なさも英雄の条件であろう。
逆に言えば、精神的な隙の多さが、未熟な二人にはあり得たことだ。
「……キンソウ!」
自分で名前を口にして、自分で思い出してしまった。
個人としての情が、彼を逸らせた。
この感情は、悪だ。彼は当然、それを知っている。
そもそもこれはこちらが仕掛けた侵略戦争であり、こちら側が卑劣な先制攻撃を仕掛けたのだ。
キンソウがどれだけ殺したのか、それを思えば死体が辱められても文句は言えない。
「……ああ、キンソウ!」
だが兄弟同然のキンソウが、既に死んでいる。
抹消のホワイトなるスロット使いが、彼を殺したのだ。
それを知って、心になんの情動も芽生えないだろうか。
もしも彼が、冷徹なる現実主義者ならば、もうとっくに諦めている。
適当なところで手を打って、全軍を王都から撤退させている。
立派なハンターが仲間や恋人、家族や親友よりも仕事を優先するように。
立派な王もまた、仲間や恋人、家族や親友よりも理屈を優先させるべきだ。
キンソウが死んだから、戦争を続行してかたき討ちをしろ、とどれだけ言いたかったとしても言えない。
それを口にした瞬間、彼は己が最も軽蔑する暴君になり下がる。
『陛下、行ってまいります。必ずや、貴方に勝利を。そしてこの国の民に、安心して冬を迎えられる暮らしを』
キンソウは国を想っていた、民を想っていた。
この状況でキンソウ一人の死を理由に、戦争を続けるなど狂気の沙汰である。
他でもないキンソウこそが、それを止めるはずだった。
だが、思わずにはいられない。
それは彼が、情愛深い王だからに他ならない。
「……わかっている、お前を理由に戦うことはない! あくまでも王として判断してみせる!」
彼は気づいていた。
そもそも戦争を続ける理由を探している時点で、既にキンソウを裏切っていると。
彼は戦争を続けたくて、その為の理由を探しているのだ。
いっそ見つからなければいいのだが、そういうわけでもなかった。
「……お前の死を無駄にはしない!」
コホジウは気づいている。
キンソウの死を、無駄にするべきだと。
損切りし、切り替えて、次の国家戦略を練るべきだと。
彼の、彼自身の理想とする大王ならば、そうしているはずだと。
「……キンソウ、私は……大王として決断する!」
なんとか、彼は死者への悼みを切った。
自分でも冷静ではないと分かっているが、それでも国家戦略を練り直す。
「相手は冬までに結論を出すと言っていた。そしてそれを抜きにしても、三方の国家も限界があるだろう。どのみち我等も、占拠を長引かせるわけにはいかない」
戦争とはカネがかかるものである。
ましてや相手の領地へ攻め込めず、膠着状態に持ち込まれればなおさらに。
現在四か国からなる共同戦線を張っているが、いつどの国が戦争を中断しても不思議ではない。
そしてそれは、咎められるものではない。むしろ現時点で、文句を言われるべき立場だった。
「三か国の王も、私たちと心中することはあるまい。むしろ我が国と央土が、相討つ可能性をこそ喜ぶだろう」
彼はまともだった。
敵の戦力を過小評価せず、可能な限り強大なものだと考えようとした。
そして実際、西重の視点ではそう見えるのだ。
「それが正しい……であれば私も……!」
キンソウが殺されたことを諦めよう。
負けちまったもんはしょうがないので割り切ろう。
いっそ、そうできればどれだけマシか。
兵士をコマだと思う人でなしなら、どれだけマシか。
戦争をゲームだと思っている、ゲーマー気取りならどれだけマシか。
今の彼は、それ以下だ。
「……」
目を閉じる。
体をかきむしる。
なぜキンソウが殺されたにも関わらず、諦めなければならないのか。
まだ戦う力があるのに、戦う前から諦めなければならないのか。
自分だけではなく、王都を占拠している者たちもそう思っているはずなのに。
「わ、私は……!」
いっそ自分が強ければよかった。
いっそ自分が戦士ならよかった。
ただ突っ込んで討ち死にしても、それでもよかった。
だが大王に、そんな権利はない。
「私は、大王として……!」
敵の大王、ジューガーはこちらへ和平を申し出た。
こちらの軍が、彼の兄や甥を殺しているにも拘わらず、形の上とは言え戦いを止めようとしている。
その器量に、敗北感を覚える。今自分は、それができる自信がない。
ただ『戦争をやめよう』と提案するだけならいい。
だが『戦争を続けるべきだ』という者たちへ、『もう戦争を止めろ!』と言える自信がない。
自分と同じように、ウンリュウ軍の犠牲を無駄にするのか、とか、他の国からの侵攻を抑えられるのか、とか。
そんなことを言われて尚、戦争を止めるべきだと言えるだろうか。
「私は……若い!」
今更、彼の理性が、彼の若さを咎めた。
自分がどうしても戦争を続けたがっていると、自分で認めていた。
「……必要だ。納得させる方法が、必ず勝つ方法が」
だが、それでもあがいてしまう。
破滅の選択肢を破滅でなくすことを願って、彼は禁忌へ手を染めようとしていた。
「祀ならば、あるいは……」
安易な選択だった。
彼は必勝法を求めてしまった。
極めて具体的で堅実な勝利ではなく、犠牲を伴わない安楽な勝利を探ってしまった。
しかし、彼は賭けすぎた。そして、負けに慣れていない。
勝たなければならない戦いに勝ってきた彼は、負けることに慣れていない。
この状況で、彼の若さで、退けるものがどれだけいることか。
「あらゆる手を検討する義務が、私にはある……!」
だがそれでも、責任者に罪はある。
※
空論城。
そこは大悪魔、が支配する城郭である。
そこは大悪魔の領地であり、そこだけが悪魔の法によって管理されている。
城壁で囲まれているがゆえに、彼らは彼ら自身の掟によって、そこを出ることが許されていない。
だからこそ、その城の中は雑多だ。
あるものは地下を掘り、ある者は建物を積み重ねた。
地下に穴を掘りすぎたせいで、地面に大穴があく。
あるいは建物を増築し過ぎたせいで崩れる。
そんなことがしょっちゅうな、建築基準法の重要性を教えてくれる街である。
そんな街の上に、一つの屋敷が浮かんでいる。
この街のどの建物よりもシンプルで、だからこそ洗練されている屋敷。
積み上げればいいというものではないと教えてくれる、『美』の有る屋敷だった。
そこで暮らしている者たちは、当然ながらこの街の最高管理者。
まさに天守閣ともいうべき屋敷に住まう、大悪魔たちである。
彼らには、人間の発音できる名前がない。
なぜなら人間に忠義を誓っていないからだ。
アパレやセキト、ササゲのように人間の支配下になく、だからこそ名前がない。
もしもまかり間違って、彼らに名前を与えれば、それは侮辱となる。
彼らにとって名前を受け取るというのは、勝者への敬意であり、最大級の降伏の証。
ユーモア、センス、インテリジェンス、ラック、或いは……リアクション。
各々の美意識によって敗北を認めた相手以外が、自分達へ名前を与えることを許さない。
破った場合、それが明らかになった場合、彼らは己の尊厳をかけて戦うのだろう。
よって彼らは、『評議会のメンバー』だとか『ナンバー1』だとか、そんな風に呼ばれている。
彼らの暮らす屋敷には、屋敷の管理を行う者たちを除けば、ほぼ人が来ることはない。
あるいは、誰も来ていない、ということになっている。
大悪魔たちは配下の悪魔から報告を聞いて、満足げに悪魔の笑みを浮かべている、ともいう。
その彼らの住まう屋敷に、『人』が訪れていた。
彼らはヒトではなく、それに酷似した雰囲気を持つ何者かであった。
「やあ初めまして諸君。特に議長君……それとも~~~と呼ぼうか」
その何者かは、彼らの『名前』を呼んだ。
それは人間が発音できない、彼ら自身の、本当の意味での名前だった。
それこそが、彼らが人間ではない証拠であろう。
「どちらでも結構ですよ、御客人。各々で呼ぼうとも、総称で呼ぼうとも、名前で呼ぼうとも」
大悪魔たちは、礼をもって彼を迎えていた。
酒ではなく発酵させた茶葉をもって、彼をもてなしていた。
「人間の作る茶、というのは我等には味気ない。しかし……香りがいい。手間をかければその分良くなることも含めて、我等は好みます。貴方はお嫌いですか?」
「別に……いや、嫌いではないな。飲むことも含めて、嫌いではない。もっとも……そうだな、人間に由来しないものであれば、なおよかったな」
「では今度は、ハーブだけのものを用意しましょう。野草だけですが、香りは楽しい。味は……我等とは嗜好が違うかもしれませんね」
「……では今後も、これにしてもらおう」
悪魔たちは、基本的に食中毒というものと縁がない。
一応食べるのだが、毒をそのまま食べても死なないのだ。
だがどうにも『彼』はその限りではないらしく、普通に飲める茶を求めていた。
「それでお客人……いいや、貴人よ。こうして我らの屋敷まで、どのような用向きで?」
代表者である大悪魔、大悪魔の中の長老ともいうべき悪魔が、茶の香りを楽しみながら切り出した。
「王冠が見つかった」
端的な発言だった。
だがそれを聞いて、大悪魔たちは慄いた。
それを見て、彼は笑った。
少なくとも、嬉しそうになっていた。
「我らにとり、王冠と言えば……力を持つ冠ですな」
「その通りだ。王の証、モンスターの国をつくるための、最初の器だ」
竜や悪魔、亜人たちは知っている。
かつてモンスターの国があり、栄え、そして滅びたと。
その国を治めた四体の王は、それぞれが強大な力を秘めた王冠を持っていたと。
「だが業腹なことに、その冠を持つ者たちは、全員が一人の人間へ服従を誓っている」
「……冠頂く四体の王が、皆そろって人に」
「左様……許せることではない」
彼は憤っていた。
暴れだすことはないが、不満を覚えていた。
「なんとしても取り戻さなければならぬが、生半ならぬことに……その人間も、偽りの王も、既に英雄によって守られている」
「よもや、我等にそれをどうにかしろと?」
「いいや、それも分が悪い。なにせその王の中には、諸君らの同胞もいる。呪い合いでは、うまくいくとは思えん」
にやりと笑う彼は、ただ一つのことを要求した。
「もうすぐここへ奴らが来る、諸君らを従えるためにな。諸君らには……それを断ってほしい」
「……断るだけでよいのですか」
「もちろんだ。従わないだけでいい、それだけでいい」
大悪魔たちは、緊張していた。
その貴人は、とんでもないことを言った。
「ここを襲われたくなければ、そうしろ。今この場で、確約してもらう」
「……やむを得ませんな」
「そうだ。さあ、言え」
「我等空論城の悪魔は……何があったとしても、魔王や人間、その仲間に従うことはありません」
「よし、では私たち祀もお前たちの安全は保障してやろう」
貴人は当然、悪魔を信じていなかった。
内心で、どんな顔をしているのかわからない。
しかし、約束は約束だ。
これでもう奴らは、強大な悪魔の助力を得ることはできない。
「……ではまた。この城の外の国が滅びた頃に、お伺いさせてもらう」
満足げに笑い、貴人は去ろうとした。
その彼へ、一体の『なにか』が付き従っている。
真に悪魔たちが恐れる、強大すぎる力を秘めたもの。
それが、物騒なことを言った。
「よろしかったのですか、ご主人様。予定では、何体か焼くはずだったのでは」
全員を相手にしても負ける気がしない。
そう思うにたるだけの実力を持った怪物は、予定の変更を確認していた。
「構わん。それにもう、私も手出しはできない。お前もな」
「さようですか」
抑揚のない言葉だった。
その何かは、単に予定を確認しただけで、暴れることへの執着を見せなかった。
だからこそ逆に、恐ろしいともいえる。
特になんの理由もなく、言われるがままに暴れる強者。
それは弱者にとって、畏怖の対象だ。
「では帰るとするか……ほどなくすべての器がそろい、国が復活する。その時はこの城郭など必要なくなる……好きに振舞える日が来るぞ」
恐怖を振りまいて、貴人は屋敷を出ていった。
空中に浮かぶその屋敷から、如何に出ていったのか。
それはおそらく、あの恐ろしいものによる何かであろう。
「よろしかったのですか、あのような約束をして」
屋敷の中に潜んでいた『人間の女性』が、大悪魔たちへ問う。
対等な契約に見えるが、彼らの恫喝に屈したようなものだ。
「構わない……いや、止むを得んのだ」
大悪魔の長は、やや悔しそうな顔で、屋敷の外を見た。
屋敷の外の、雑多な街を見た。
「……悪魔らしからぬことだが、我等はこの街を愛してしまった。この街へ執着し、この街の維持を一義としてしまった」
寿命というものを持たぬ悪魔だが、その振る舞いには老いが見えた。
手にしているものを失いたくない、新しいものを求めない、老いが見えた。
「これでは、国家を求め続ける祀を笑えんな……」
今この日、先手が打たれた。
悪魔が支配するこの空論城に、くさびが打ち込まれたのだった。
もはや悪魔たちは、自らの力によって、これを破ることができなくなったのだ。




