仰げば尊し
さて、現状である。
隔離政策によって、最低限の衣食住をあてがわれた避難民たち。
彼らのほとんどは、現状に満足しつつあった。
なにせ、仮設でもなんでも、他の人と同じ新築の家があるのだ。
まともに家がない生活を送っていた者からすれば、夢のような話であろう。
お世辞にも治安がいいとは言えないが、それは元々悪いところで暮らしていた者からすれば誤差である。
配給制の食料と言うのも、考えようによってはただ飯だ。
ぎりぎり十分という量でも、ただ飯なのだから悪くはない。
とはいえ、それに甘んじることができるものばかりでもない。
中には、チョーアンで生活をしたい、と思う者も多かった。
なまじ入ることが難しいからこそ、壁の向こうはとんでもない極楽に違いない、という勝手な妄想がある。
中にはそんな妄想を利用した、あこぎな詐欺事件も起きているという。
そして、そんな市民たちの要望……もといクレームを聞くのは、専門の係であった。
一応設置していますよ、というだけのお飾りである。
「だから! 私たちは一灯隊の隊員の、その家族だって言ってるでしょう!」
「そうなんですか」
「そうなのよ! あのリゥイ将軍の、直属の部下なのよ! その親族を、何だと思っているの!」
「それでは、其方へお伝えしておきますね。次の方~~」
「待って! 本当に伝えてるんでしょうね!」
「ええ、お伝えしておきます」
いくつかの区画ごとに設置されている、臨時役所。
その中にあるクレーム処理係では、日々多くの不満を受け付けていた。
怒鳴られるサンドバッグ役なのだが、いるとありがたいのも事実である。
他の職員がクレームを受ければ『あっちがクレーム処理なんで』と言って投げられるのだ。
もちろんサンドバッグになっている方は、たまったものではないのだが。
「では次の方~~」
「……三日前に、チョーアンへ入りたいと言った者だけど」
「ああ、はいはい。確かにその話を受けておりますね」
「なら! 返事はあったんでしょうね! 三日もあったんだから!」
「申し訳ありません。何分多くの皆様から要望を受けておりますので、処理が追い付いていないのです」
「じゃあどうしろって言うの! お金ならあると言っているでしょう!」
「それならば、直近の都市を紹介いたします。そこならば速やかに移住が可能です」
「それも三日前に言ったわ! 私たちはそこから逃げてきたのよ!」
「あそこが陥落した、攻撃を受けたという話は聞いておりません」
「これも三日前に言ったわよ! ここに十二魔将様がいるから、守ってもらうために来たのよ!」
王都を敵軍に占拠されているのだから、何時その敵が攻めてきてもおかしくはない。
戦術的、政治的にありえないことではあるが、物理的には可能である。
そして『んなわけねえだろ』と考えられるのは、極めて阿呆である。
危機感を持って大都市から逃げる者は多い。西以外の、多くの軍が駐留している場所へ避難する者が多かった。
そして、一番人気はやはりチョーアンである。
ある意味では一番攻め込まれやすいが、逆に最大戦力がそろっているともいえる。
もしも西重の敵が攻めてきても、ここならば撃退してくれるだろう、という期待によるものだ。
だがそれも壁の中の話である。
壁の外の避難民は、見るからに冷遇されていた。
ここに交じっても蹴散らされるだけ、というのはあり得る。
壁の中に入らなければ、安心は得られなかった。
「左様ですか」
「今すぐ中に入れなさい!」
「申し訳ありませんが、私共にその権限はありません」
「じゃあ誰ならあるのよ!」
「大王様、およびその直属である十二魔将様、将軍様たちです」
「その人たちはどこにいるのよ!」
「壁の中です」
堂々巡りだった。
最初からゴールへの道がなかった。
「どうすればいいのよ!」
「三日前も申し上げましたが、上へ申請し、さらに審査の上、許可を頂くことになります」
「……お金ならあるって言ってるでしょう! アンタたちじゃ話にならないわ、もっと上の人を呼んでちょうだい」
「申し訳ありませんが、上の人間は壁の中でして……」
流石はクレーム担当、とぼけたものである。
「ああもう面倒! いくらほしいの!」
「……衛兵の方、こちらへ。贈賄の現行犯です」
そして、一線を越えてしまったのはクレームをつけた側だった。
臨時とはいえ、役場の中で違法行為を口にするのはアウトであった。
「ちょ、ちょっと、私をどこへ連れていく気?!」
「少しお話を聞かせていただきますね」
「はい、どうぞこちらへ」
おそらく、彼女の行き先は壁の中ではなく檻の中であろう。
よほど強力なコネクションでもない限り、小金持ち程度が今のチョーアンへ入ることはできなかった。
そもそも襲撃を受けていない都市から、この避難所へ来ること自体迷惑である。
収容人数に限界がある以上、受理が認められないのは当然だった。
※
チョーアンで鐘が鳴った。役場、終業の時間である。
職員たちは待たせている人を帰らせると、役場内の食堂へ向かい、やはり配給されている食料を食べていた。
お世辞にも美味ではないが、この状況ではやはりありがたい。誰もが今日の糧に感謝していた。
「……ワインが飲めるってのはありがたいもんだ。前の自分がそれを聞けば、こんなことで感謝しているなんて落ちぶれたもんだ、っていうだろうよ」
「いやはや、まったくだ。こっちこそ言ってやりたいよ、お前がヘタこいたからだろうな、ってな」
その中でも、クレーム処理を担当していた職員たちは、配給された安物ワインに浸っていた。
先日までシュバルツバルトの前線基地で勤務していた彼らは、避難所各地に設置された役場でクレーム処理を担当していた。
相手は怖い輩ばかりであるが、それは前線基地で慣れっこである。
ある意味で以前と同じ仕事であり、度を超えた相手は衛兵に任せるだけの簡単なお仕事であった。
「わざわざ俺達用に、ワインやらエールのない配給品を用意するのが面倒だからなんだろうが……まあ悪い気はしないな」
「合法的に酒が飲めるのはありがたいもんだ。前ならびくびく飲んで、酔うどころじゃなかったからな」
「抜山隊はげらげら笑って大いに酒を呷っていたからな。目の毒ならぬ、鼻や耳の毒だったぜ……」
以前の彼らは、飲酒さえ認められていなかった。
実質的な死刑囚だったので仕方ないが、彼らとしては不満だったのである。
なお、彼らが生きていることに不満を覚える者も、多々いることは事実である。
「その抜山隊が、この間酒場で飲んでただけで通報されて、そのまま逮捕されたらしいぞ」
「ははは! 聞いた聞いた! なまじ憲兵がやっちまったもんだから、俺達役場の人間には周知されてるもんな」
「見るからに怪しいからなあ、アイツら。そりゃあ通報されるわ」
とはいえ、食堂で愚痴を言うことぐらいは許されていた。
クレームの処理も適材適所、肝の据わった彼らがいないと、その仕事を他の人がやることになるのだ。
大王直属である抜山隊のことを嗤っているので、他の職員たちは顔をしかめていたが、しかし彼らが首になると困るので黙っていた。
ある意味、討伐隊と同じことである。
汚れ仕事をやっていると、ある程度は許されてしまうのだ。
「……まあ、俺達もあんまり図に乗るとまずいんだがな」
「ああ……一応ここに就けてもらったが」
「大公閣下……いや、今は大王陛下か……恐ろしいお人だ」
とはいえ、そのある程度、は、とても基準が厳しい。
なにせ彼らは死刑囚のようなものだ、一線を越えればそのまま殺されるだろう。
『お前達は他の職員と同じように扱うが……もしもの時は、お前たちがここで働いていることを、おまえたちの親族へ教える』
大王となったジューガーの言葉は、まさに神の宣告である。
そして親族は地獄の使者となって、彼らを襲うだろう。
なお、彼ら自身が悪人である模様。
「……お前ら、賄賂を受け取るなよ?」
「この状況でか? 賄賂も何も、衛兵が近くにいてそれどころじゃねえよ」
「それでもやるのが俺達じゃねえか、まったく……」
彼らは各々が悪人であると自覚し、なおかつ同僚たちも悪人であると知っている。
そのため、ここから先が陰鬱であった。自分も仲間も、誰も信用できない。
特に、自分が信用できない、というのは悲しいものである。
なお、彼らの親族はなお哀しいものである。
「俺達は親戚が殺しに来るのに怯えてて、討伐隊様は親戚が増えることを憂いている。なんとも面倒なことだよ」
「親戚って言えば、ブゥの兄貴や姉貴ももうすぐ来るそうだぞ」
「ああ、あのキツイ姉ちゃんか……兄ちゃんも同じようなもんかね」
「どっちにしろ関係ないさ、俺達にはな」
※
斉天十二魔将の四席に位置する、抹消のホワイト、ホワイト・リョウトウ。
彼はチョーアンの市内で、十二魔将のための屋敷の中で、手紙を眺めていた。
手紙を読んでいるのではない、手紙を眺めているのだ。
蝋による封を破らずに、ただ眺めるばかり。
それでも彼は、物凄く幸せそうに浸っていた。
「ねえねえ、ホワイト。いつまでそれを眺めてるの?」
「いいじゃないか、しばらく眺めさせてくれ」
貫通形態、幼女の姿の究極が、そんな彼を見ていぶかしがっていた。
手紙を読んでにやにや笑うならまだしも、封も切っていない手紙を見てにやにや笑うのは異常であった。
「中身も確かめないで……誰からの手紙なの?」
「ナタ様だ」
「あのナタ様?! 早く読まないと駄目じゃない!」
究極とホワイトは、共にナタに会ったことがある。
ただ遠くから見ただけとかではなく、直接会って話をしたことがあるのだ。
その当時はアッカも一緒にいただけに、現役と引退済み、そして将来の有望株がそろっていただけなのだが……。
今は三人全員が、状況の当事者になっている。世の中、分からないものであった。
「そうなんだよ。内容の見当もつくんだが……それでも早く読むべきなんだろう」
「じゃあなんで開けないの?」
「みろ、この封蝋を、そしてサインを!」
今更だが、ナタは公爵家の出である。
物凄く上等な手紙を、正式な形で送ってきた。
「現役Aランクハンター様にして、元斉天十二魔将であらせられる、大志のナタ様からのお手紙だぞ! これは家宝にできるものだ!」
「あのさ~~……今はホワイトだって、Aランクハンターで十二魔将じゃん」
ホワイトの反応は、ある意味まともだった。
大志のナタから直接手紙が届くなど、たいていの場合一大事である。
それこそ額縁に飾ってもいいぐらいだ。
だがそれは、今のホワイトがやると滑稽である。
自分がAランクハンターで十二魔将なのに、同じ立場の人間を崇めすぎている。
「それは分かる! だがそれを含めてもだ、俺も英雄の仲間入りしたんだな、という感慨があるじゃないか」
(逆効果になってる……)
手紙をありがたがって、読まずに眺めるというのは、手紙の趣旨に反している。
サッサと読んだ方が、ナタも喜ぶであろう。
「この封を切るのが惜しい……わかるな?」
「読みなよ」
「……ロマンのわからん奴だな。その通りだけども」
究極に促されて、ホワイトは手紙を読んだ。
やはり綺麗な字で文が書かれているが、その内容は正に鬼気迫る勢いであった。
「なんて書いてあるの?」
「俺はそこへ行けないから頑張ってくれとか、大王様やダッキ様を頼むとか、そんな内容だな。ただ……物凄いパワーを感じる」
ナタにとって、ギュウマやゴクウ、コウガイは同僚以上の存在だったのだろう。
討伐隊のように、どこかドライな関係ではなく、もっと親密な何かだったのだ。
だからこそ、その仇討ができない無念さが、文面からあふれ出しそうになっていた。
「ナタ様、いい人だったもんね。きっと大切な人が死んで、悲しんでるんだよ」
「ああ、そうだな……」
ホワイトにしてみれば、いきなり何の前触れもなく十二魔将になった。実力的にも戦果的にも、不足があるわけではない。
だが思い入れ、という一点では不足があった。正直に言って、Aランクハンターになったことも実感がもてない。
しかしこうしてナタから頼まれると、実感がわく。彼の代理として、役目をまっとうしなければならない、という意識がこみあげてきた。
そして、それと別のことも思い出していた。
「待てよ……そういえば」
手紙を丁重にしまうと、ホワイトは書類を探し始めた。
個人として戦うことが多い十二魔将には、あまり縁がない書類なので、ただ流し読みしただけのものだ。
「あったあった。動員された学徒兵の中に、ハンター養成校もあったんだ。俺の母校だよ!」
「あのね、学徒動員ってろくでもないと思うんだけど、なんで嬉しそうなの?」
「うっ……と、とにかく、俺の母校の人もこの近くにいるんだ! ちょっと会いに行こうぜ! 紹介してやるよ」
「ご両親にアタシを?」
「お前話が完全に飛んでるぞ」
※
ハンター養成校。
そこはCランクハンターになれる人間を一人でも多く育てるための、国家公認施設である。
普段はハンターの技術だけではなく、法的なことや礼儀作法なども合わせて教えているのだが、今回の事態によって教員も生徒も集められていた。
究極が言っていたように、お世辞にも褒められたことではない。
だが結果的に、ホワイトは恩師へ会うことができたのである。
壁の外にある急遽建設された兵舎で、彼は恩師と再会を果たしていた。
「お久しぶりです、シュウジ先生」
「うむ……この国難にめでたいとは言えないが……立派になったな」
数年ぶりの再会であった。
ホワイトにしてみれば人生を変えてくれた恩師であったが、シュウジからすれば数多いた生徒の一人である。
もうすでに忘れてしまっているかもしれない、と思わないでもなかったが、彼はきっちりと憶えていた。
「まさか我が校からAランクハンターが輩出されるだけではなく、十二魔将まで出るとはね」
「それはまあ……俺も驚いています」
ハンター養成校は、その意義としてAランクハンターの輩出を目標にしていない。
もしもそんな高い目標を設定したら、ほとんどの生徒は死ぬか再起不能になるだろう。
その養成校からAランクハンターが出たのは、史上初のことであった。
「もう私が偉そうなことを言える相手ではなくなってしまったね。敬語を使ったほうがいいかな?」
「いえ、先生には……御恩がありますので。敬語などは結構です」
「そうかね? 今まで会いに来なかったのに」
「うっ……」
確かに、今更感が強い。
ホワイトは何かと忙しい日々を送っていたので、恩師へ会いに行く暇がなかったのだ。
それはシュウジも知っていること、ただの冗談であって皮肉ではない。
「ははは、気にしなくていいとも。君が忙しいことは知っていたし……シュバルツバルトでハンターになってからのことは、ジョー君から聞いていたからね」
「ジョーさんから?」
「ああ、手紙でもいろいろと教えてくれた。それに彼は、将軍としてここを担当している。忘れたわけではないだろうが、彼もここの卒業生だからね」
「……」
「彼には、私から口止めを頼んだのだよ。あまり恨まないでやってくれ」
シュウジからすれば、彼が直接会いに来てくれたことは嬉しい。
しかしこの状況を思えば、催促するようなことではなかった。
もっと言えば、あまり恩着せがましいことはしたくなかったのだろう。
「……ホワイト君。君は私へ恩義を感じているようだが、そこまで深く考えなくていい。私など、ちょっとしたきっかけに過ぎなかったさ」
「そ、そんなことないですよ。俺はあの言葉があったから……ダメな奴から変われたんです」
「こう言っては何だがね……」
教師として多くの生徒を導いてきた先生は、とても含蓄のあることを言った。
「駄目な奴はね……何言ってもダメなんだよ。何か言われて奮起するのは、それだけで駄目じゃない証拠だよ」
「確かに……!」
凄い説得力であった。
ホワイトもそこそこに旅をしてきたが、どうしようもないクズは沢山いた。
「言われて頑張れる君は、それだけで立派だよ。……君に酷いことを言ったとは思うが、もっと酷いことをガンガン言っても、屁とも思わない生徒がキツイ」
(いい先生なんだろうけど、言ってはいけないことを言っている……)
ある意味真面目で、ある意味真摯だからこその発言だろう。
本当にただ職業として先生をやっているだけなら、そこまでガンガン言うこともあるまい。
しかし駄目な生徒がいるよ、と教師が言うのはアウトな気がする究極であった。
「それで、君が究極だね?」
「あ、はい。私が究極です」
自分が名前を嫌がりまくったせいとはいえ、他人から『君が究極だね?』と言われて『はい、私が究極です』と名乗るのは悲哀であった。
ゲームのキャラクターの名前を『あああああ』とかにして、そのキャラクターとして転生したのと、同じような苦しみである。
「Aランクモンスターとも戦える特別な能力を持っているそうだね。私よりも君の方が、よほどホワイト君の役に立っただろう」
「え、えへへ、そう思いますか?」
「ああ、もちろん。私が何かを言ったことよりも、実際に一緒に戦った方が意義があるさ」
自分でもそう思っていただけに、究極は嬉しかった。
自負を肯定してもらえると、苦労した身としては嬉しいものである。
「あんまりコイツのこと褒めないでください、先生。コイツすぐ調子に乗って、変なことを言いだしますから」
「そ、そんな言い方はないじゃん!」
「お前は自分の出自を省みろ」
「うっ……否定できないよう……」
ののしるホワイトと、抗議する究極。
その二人を見て、シュウジは笑っていた。
「ある意味では、これからが本当に辛い戦いだろう。君たちに国家の命運がかかっていると言っても過言ではない。どうか全力を尽くし、最善を尽くしてほしい。教師としては、それだけしか言えないよ」
「……はい、頑張ります」
ホワイトの中から、つかえが消えていた。
恩師へ成果を報告する。それを達成したことで、どこかに刺さっていた罪悪感が抜けていた。
恩を返せた気がした、いいや返せたと確かめられたのだ。
「……この国を頼んだよ」
※
「ふふふ、聞いたかね教頭先生。我が校から出たハンターが、十二魔将に選ばれたと」
「ええ、しかもわざわざ会いに来てくれたとか……」
ハンター養成校の校長と教頭は、物凄く晴れ晴れとした顔をしていた。
「我が校の卒業生で、Aランクハンター……しかも十二魔将の四席! これは偉業だよ!」
「望外の喜びですねぇ……サインでも書いてもらいたいですね、家宝として額縁に飾りたいです」
「ははは、それは私も同じだよ。彼と握手でもしようものなら、その手は洗わないね!」
「楽しみですなあ!」
ホワイトがシュウジに会って、そのまま直ぐに帰ったこと。それを彼らが知るのは、しばらく後のことである。




