OP前
カセイ兵器ナイルは、現在の人類勢力が製造しうる最高の性能を持っている。
もしも三人の英雄にこの列車がなければ、道中の移動は安全どころの騒ぎではなかっただろう。
ただ、そのナイルをして、この世界は恐るべき死地であった。
先日のイカ、ノットブレイカー。または鮫、テラーマウス。
それら最強種に遭遇することはそうそうなかったが、それでも強大なモンスターとの遭遇はままあった。
なまじナイルが大型であるからこそ、遭遇戦を避けることはできなかった。
せっかく修理を終えたナイルなのだが、連戦に次ぐ連戦でかなりぼろぼろである。
このままだとまた最強種と遭遇した場合、敗北する可能性があった。
万全の状態で走行するために、再び修理をしたい。そのため、陸地を求めて移動していた。
「はぁ……」
そんなぎりぎりの旅が、楽しいわけがない。
特に兎太郎に従っている四体のモンスターは、昼も夜もない連戦に疲れていた。
もちろん四六時中戦っているわけではないのだが、戦っていないときはいつ襲われるのかと思ってびくびくしているのである。
衣食住のいずれもナイルによって整ってはいるのだが、ある意味シュバルツバルトよりも辛い環境だろう。
頼れる者が一切なく、先は見えない。
兎太郎と蛇太郎が語っていたように、何をどうすればいいのか、目標が立てられない。
最低限、安全が欲しい。しかし果たして、この世界のどこにそれがあるのやら。
「どうしてこうなっちゃったんでしょうね」
現在四人は、食堂車でテーブルについていた。
本来なら、夜の海、食堂車から眺める夜景は最高だろう。
だがうんざりするほど海にいる彼女たちにとって、夜の海は敵が無限湧きする地獄にしか見えなかった。
そして質が悪いことに、実際そうなのだ。多分それを知ったら、彼女たちはなおうんざりするだろう。
「……本当なら私たち、都市で楽しく暮らしていたはずなのに」
ハーピーのムイメが、ストローで紅茶を飲みながら愚痴る。
幸か不幸か、ナイルの中では食料に困ることはない。食べたいものを、いつでも食べることができる。
だがそれでも、この過酷な労働条件に救いはなかった。
「ぜ~~んぶ、あのご主人様が悪いのよ! あんにゃろう、いっつも適当なんだから!」
ワードッグのキクフは、大げさに両手を広げながら嘆いた。
兎太郎が月に行こうと言い出さなければ、あんなことにはならなかったのだ。
少なくとも、ここに来ることにはならなかった。
「そうは言うけど、その場合世界は滅びていたんじゃないかしら? ご主人様や私たちが頑張ったから、七人目さんの時代でも世界は続いていたんだし」
ミノタウロスのハチクが、やや疲れた顔でフォローする。
運命とは残酷なもので、兎太郎が月に行こうと言い出さなければ、世界は滅びていたのだ。
「……正直、実感がわかないわね。ご主人様が六人目の英雄になって、私たちがその僕として語られるなんて」
オークのイツケは、冒険の結果を受け入れかねていた。
彼女たちの時代では既に、近代の英雄という考え方が広まっている。
教科書には世界を揺るがした重大事件と、その解決者である英雄たちが載っている。
そしてもちろん、テストにも出ているのだ。
七人目である蛇太郎曰く、兎太郎のこともテストに出るらしい。
自分たちは歴史になったのだ、名前のない英雄の仲間として。
「……なりたくなかったわね」
イツケはしみじみ、そうつぶやいた。
それに対して、他の三体も静かに肯定する。
「きっと、他の英雄さんたちも……蛇太郎さんもそうなんでしょうね」
近代の英雄とは、事件を解決する者たちだ。
少なくとも兎太郎は、そういう英雄だった。
たまたま偶然事件に遭遇し、解決する必要性に迫られただけなのだ。
「そうね……二人目の英雄である馬太郎さん、三人目の英雄である猫太郎さん、四人目の英雄である狗太郎さん。その人たちに会ったことがある狼太郎さんは、そう言ってたわね」
ハチクは、せめてもの慰めを見出した。
自分たちが安寧を得ていたのは、やはり先人の尊い犠牲あってこそ。
五人の良き神が社会を守ってきたからこそ、誰もが幸せに暮らせたのだ。
そして自分たちが、その番だった。
なりたくもない英雄になって、世界を救う羽目になったのだ。
「ああ~~……なんで私たち、ご主人様と一緒にがんばっちゃったんだろ」
キクフが、疲れた顔で自嘲する。
わざとらしく、間延びした声でそう言っていた。
「もういっそさ……皆で死んじゃったほうが良かったんじゃないの?」
止めてくれることを期待しての、自暴自棄だった。
突っ込み待ちをしている彼女に、苦笑しながらムイメが同調した。
いわば、悪ノリである。
「いいですね! みんなで死んじゃうの! そっちの方が、綺麗に終われたかもしれないですね!」
「そうだよね~~! あの時は本当に、死ぬのなんか怖くなかったもん……今は凄く怖いのに」
やはり、一同は黙った。
なぜ自分たちは、今生きているのだろうか。
悪しき神との戦いで、派手に死んで終わればよかったのではないか。
そうでなくても、この世界に絶望し、命を絶ってもいいのではないか。
あるいは、憎らしい己たちの主人を、袋叩きにするべきではないか。
脳内に選択肢が浮かぶ。
思いもしない、ではない。思いはしている。
しかしその一方で、そこまでしなくてもいいとは思っているのだ。
「私たち……世界を救ったのね」
ハチクは、しみじみそういった。
そんなつもりはなかった、そんな気がする。
あの時は世界を救う気なんてなかった。
ただ、熱狂の中にいた。
あの身勝手な巨悪を許しておけぬと、一塊になって挑んだのだ。
「後悔は、しているわ……でも、勝ったのね」
イツケの言葉は、やはり全員の総意だった。
負けたくなかった、勝ちたかった。
だから全員が、全力で抗ったのだ。
「あの……悪しき神に、私たちは勝った。それを聞けて、私は満足だわ」
達成感はあった。それが今も、胸でわずかに燃えている。
※
月面基地。
それは人類が初めて作った、母星の外の拠点である。
既に民間人へ開放されているが、以前は軍事施設としての色を多く持っていた。
現在も封印された多くの技術、武器やアイテムがあるとかないとか。
「つまり、ロマンだ!」
クラウドファンディングのパンフレットを持っている彼は、四体へ力説していた。
何気に一人で自分と四体分の旅費を稼いでいる、大したご主人様である。
もちろん『月に行くからみんなでバイトしようぜ』と言っていれば、全員嫌がっただろうが。
「俺達の出資で宇宙船を作った。それに乗って月まで行って、月面基地で二泊して、また宇宙船で帰るんだ!」
「意外と普通……」
「ま、まあ何か月も行きたくはないし……二泊ならいいんじゃないの?」
「そうねえ……何か月も訓練して、とかだったらいやだったものね」
「訓練するなら、それこそ出資の桁が増えるでしょうしね」
月面旅行のパンフレットを見ている四体は、思いのほか普通のツアーに安心していた。
イメージとしては、昔のお城に泊まるツアーみたいなものだ。
ワープ装置があるのにわざわざ宇宙船でいくのも、一種の遊覧船みたいなものだろう。
「あの~~……一応聞くんですけど、宇宙船の中ではどれぐらい過ごすんですか?」
「ああ、一日ぐらいの予定だ。つまり行きと帰りで二日だな」
「ええ……狭いところで一日か~~……」
ハーピーであるムイメは、余り狭いところが好きではない。
にもかかわらず、乗る予定の宇宙船はとても狭かった。
ある意味当たり前だが、一日を過ごすには窮屈だろう。
「それじゃあ残る? 私はみんなで行きたいけど……」
「んん……ハチクはいいんですか? 正直、狭いと思うんですけど」
ミノタウロスであるハチクは、当然この場で一番大きい。
宇宙船には彼女に対応する大きさのシートもあるが、やはり普通よりも狭苦しく感じるだろう。
「私は、一日ぐらい狭いところで大人しくするの、そんなに心配じゃないけど」
「ええ~~? 私はちょっと自信ないな~~……そもそも、なんでこんな構造しているの、この宇宙船」
文句があるのは、比較的小柄なワードッグのキクフだった。
彼女が文句をつけているのは、その宇宙船の特異な構造だろう。
いわゆる円盤型の宇宙船であるにも関わらず、ハチの巣のような構造をしているのである。
乗客たちは狭苦しい独立した個室から行き来することができず、それぞれの部屋にあるドアから外に出るのだ。
操縦席に当たる部分は中央にあるのだが、やはり他の部屋と出入りはできない。
「ああそれな。一部のマニアが『狭くない宇宙船なんて宇宙船じゃない』って言ってな。俺もそう思ったから、賛成した」
「馬鹿なの?!」
「いやいや、その分安上がりになったって言ってたぞ。それぞれのブロックが避難船みたいになってるから、いざってときは切り離せるし、一部が壊れても他は平気なんだって」
(私たちの部屋が壊れた場合、他の部屋へ逃げられないってことなんじゃ……)
遥か古の時代、先人たちは大量の燃料と巨大なエンジンによって、身動きが取れない程小さな『宇宙船』を空の彼方へ飛ばしていた。
今のご時世は重力制御もあるのでそんな必要はないのだが、今回はわざわざ居住区画を狭くしているのである。
つまり、ロマンであった。
「緊急避難用のボートを連結した構造の宇宙船……まあ確かに、区画ごとの遮断は完璧なんでしょうけど……」
改めて仕様を見たイツケは、まさにロマンだと解釈していた。
イカダやカヌーで海を渡る企画めいており、この宇宙旅行以外では使い道がない。
本当に観光客の気分を盛り上げるためだけの宇宙船だった。
「大丈夫だって、トイレは個室で二つつけてもらったから」
「……確かにそこは大事ですけども」
暇を持て余した神々の遊びであった。
プライベートエリアがトイレ一つ。
しかも道中はほぼ無重力。不自由を楽しむための、大掛かりな道楽だった。
「……正直に言うけど、私はちょっと参加してみたいわ」
イツケは比較的乗り気になっていた。
「二泊の間に、月面基地の公開されている区画を見学するらしいし……こういう機会でもないと見れないところが多そうなのよね」
気分は、古都の寺社仏閣を見学するもの。
現地に行かなくても資料はたくさんあるのだろうが、実際に行ってみたほうが面白いに決まっている。
「窮屈な空間でのストレスっていうのも……まあすぐ終わる分には」
「じゃあ私も。昔の人がどんな気分で宇宙に行っていたのか、少し体験してみたいわ」
「私、シートベルトが怖いんですよね~~……翼が折れそうで」
「ハーピーの骨って、中身スカスカだもんね……私は臭いが怖いな~~……密室でずっといたら、鼻が変になりそう」
「私たちが臭いってことですか?」
「仕方ないでしょ、ワードッグは臭いに敏感なんだもん」
お世辞にも、快適な旅にはならないだろう。
そういう趣旨ではなく、ちょっとした冒険旅行なのだから。
だがしかし、だんだんと乗り気になっていく。
どうせ旅が終わったら『行かなきゃよかった』と思うのだろうけども、それを含めて旅行なのだから。
「で、出発は……来月の末ね。ご主人様にしては、期限が開いているじゃない」
「俺が企画したわけじゃないからな!」
「なるほどね」
「ご主人様の自己分析、正確~~」
「分かってるなら、普段から余裕作りなさいよね」
「あらあらいいじゃない。私、それまでにいろいろ揃えたいわ~~」
人類の技術は大いに発展していた。
民間人が出資し合うだけで、簡単に月へ往復できる宇宙船を作れるのだから。
以前は国家プロジェクトとして、競うように実験を繰り返していたのだが……。
それらを下地にして、現在の技術がある。
「よし! じゃあ改めて、月に行くぞ!」
「お~~!」
お遊びの気分で、訓練もなく月に行ける。
彼らは、いい時代に生まれていた。
そして彼らは、時代を守る英雄になる。
祝、評価者600人!




