心からの笑顔
それは、まさに伝説だった。
山賊の頭や田舎の少年では、見たことがある筈もない領域の衝突だった。
ハンターとモンスターが戦っている、という単純極まる非日常。
一流のハンター……Bランクハンターですら躊躇う怪物が、たった一人の剣士に屈しつつある。
なまじ、戦力に極端な差がないからこそ、サイクロプスが正真正銘の怪物だと分かる。
こんな化物が、この世にいることが信じられないほどだ。
肉をえぐられ、皮を引き裂かれ、骨を砕かれ、臓腑にさえ刃が達している。
それでも、大いに暴れている。
巨木をへし折りながら、力の限り暴れている。
だが、ハンターはそれ以上の化物だ。
この巨大なモンスターを一人で責めさいなみ、押し込んでいる。
反撃を避けることもあるが、ほぼくらっている。くらっているうえで、まるで堪えていない。
怪物の攻撃を全身で受け止めて、返す刀でさらに重くダメージを与えている。
もうどちらが怪物なのかもわからない。
巨大なはずの怪物は、ついに諦めた。
泣き叫びながら、逃げ出そうとする。
「逃がすか……!」
だが、麒麟は討伐隊のハンターである。
危険なモンスターを相手に、油断も慢心も、危機感の欠如もない。
このモンスターを、一歩でも歩かせれば。それだけで周辺に被害が生じる。
ここは魔境ではない。木の一本さえ、折れれば被害が出るのだ。
巨人の巨大な目の、そのすぐ前に、麒麟が現れる。
巨大な瞳の、その巨大な瞳孔。それのすぐ前に、麒麟がいる。
瞳孔よりも小さな剣を振りかぶっていた。
それがサイクロプスの、最後に見た光景である。
「おおおおおお!」
最後の一撃が振り抜かれ、一つ目の巨人は膝から崩れ落ちた。
山よりも大きく見える巨人は倒れ、小さな丘のようになっていた。
「ふぅ……」
山を征服するという言葉がある。
山の如き巨人を独力で打倒し、その背に乗っている。
これは山を征したと言っても過言ではない、どころかそれ以上であろう。
それを成した彼は、疲れ切っていた。
山を崩し、倒すという偉業は、彼にとっても負担であったらしい。
疲れてよろよろと、少年二人の元へ行く。
「あ、あの……」
麒麟の姿は、ぼろぼろだった。
斉天十二魔将の一人である彼が、ここまでぼろぼろになったのは、自分を守るため。
そう思うと、ウンサクは何も言えなかった。
そんな彼に対して、麒麟は笑う。
「ふふふ、危ないところでしたね」
Bランク上位モンスターとの死闘によって、疲れ切った麒麟。
彼は意趣返しとばかりに笑っていた。
最初は何を言っているのかわからなかったウンサクも、途中で気付いて思い出す。
これは、不遜にも自分が麒麟へ言ったことだった。
「僕がいなければ、貴方は今頃踏みつぶされていたでしょうね」
不遜にも、十二魔将を助けた気になっていた。
それを恥じる気持ちがある一方で、自分との話を覚えてもらっている嬉しさもあった。
「まあ僕にすればこの程度、なんてことはありませんよ」
「……すごいっす、さすが十二魔将様!」
「ええ、首席じゃなくて申し訳ありません」
「うっ……」
物凄く失礼なことも、きっちり覚えていた。
少し意地悪く笑う麒麟は、やはりさっきまで彼の後に続いていたそれである。
しかし、そうも和気あいあいと話せるのは、麒麟とウンサクだけだった。
あろうことか、これだけの強者を真似た、カリの心中は如何に。
「も、も、申し訳ありませんでした~~!」
慌てて平伏するカリ。
もはや疑う余地など一切ない、原石麒麟の本物。
Aランクという世界を知らぬ亜人の少年にとって、最強無敵の英雄にしか見えない麒麟。
それを前に、彼は平伏以外の選択が取れなかった。
「あ、貴方様のお名前を騙り……村の人たちを、騙してしまいました……お許しを~~!」
彼にとって、強者とは常に畏怖の対象である。
機嫌を損ねれば、ただ許しを乞うしかない。
「僕は気にしませんよ。貴方が山賊の一味ではなく、脅迫されていたことは明らかですし、何より……楽しんでいませんでしたからね」
カリは体毛でわかりにくいが、体がやせている。
おそらく、普段からまともに食事をもらっていなかったのだろう。
先ほど食べていた何かも、干し肉のようであったし。
彼は山賊行為に加担していたが、それによって利益を得たわけではないのだ。
これでぶくぶくと太っていたら、流石に見逃すことはできなかった。
「ですが、この村の人が許してくれるとは限りませんね」
「うっ!」
もっともな理屈である。
山賊行為、詐欺に加担していたのだから、被害者には文句を言う権利もあるだろう。
共犯であることは事実なのだから、暴力を振るわれても文句は言えない。
「大丈夫だって!」
しかし、泣きそうなカリを慰めたのは、被害を受けていた、騙されたはずのウンサクだった。
「俺の父ちゃんも母ちゃんも、そんなこと気にしねえよ! 俺も一緒に謝ってやるから、な!」
「で、でも……」
「でもじゃねえよ! 十二魔将様が許してるんだ、村のみんなも文句はねえよ!」
やはり、優しい少年だった。
なんともほほえましい光景に、麒麟はなごんでいた。
願わくば、ウンサクの言うように、村の人が許してくれることを願うばかりだった。
※
さて、村である。
麒麟に叩き起こされた山賊たちは、お頭を背負って村まで歩いていった。
もちろん逆らえば、麒麟が首を切るだけである。
麒麟が倒したというサイクロプスの死体を見た彼らに、歯向かう気力が残っているわけもない。
粛々と従うばかりだった。
そんな彼らを率いる形で、ウンサクは村へと戻った。
気分は十二魔将様の部下、同行している麒麟やカリが笑うほどに、上機嫌に興奮していた。
「父ちゃんも母ちゃんもびっくりするぞ! 偽者の十二魔将を、本物がやっつけてくれたんだもんな!」
「信じてくれるといいですねえ、その旗を見せても偽物だって言うかもしれませんし」
「んなことねえよ! 言ったらぶっ飛ばせばいいじゃん!」
「十二魔将がそんなことをしたら不味いですよ。まあ……ガイセイ隊長ならやるでしょうが」
「……二席のガイセイ様の、舎弟だってのは本当なんですか?」
「ええ、そうです。僕なんかよりもずっと強い、十二魔将最強のお人です」
「へ~~……じゃあ首席様は?」
「あの人は……おや」
村についてみると、多くの人たちが表に出ていた。
それこそ、村の総人口の数倍であろう。
おそらく、あのサイクロプスとの戦いによって、近くの村から人が集まったに違いない。
「へへへ! みんな集まってるな~~!」
悪戯っぽく笑いながら、ウンサクは村の人たちのところへ走っていく。
「みんな~~! 見てくれよ、これ! すげーんだぜ!」
ウンサクは、まだ渡されたままの、旗が入った筒を開けようとした。
それを村の皆に見せて、自慢しようというのだ。自分のじゃないのに。
「ほら、十二魔将様の……」
村に集まった誰もが、その旗を見ていなかった。
無視したのではない、慌てて平伏したのである。
「十二魔将様、ようこそお出でくださいました!」
ぽかん、とする少年たちと麒麟。
これには山賊たちも驚きである。
「あの、一応念のため聞いておきますが……それは、彼らではなく……」
「もちろん、貴方様でございます!」
この村に来て大騒ぎしていた山賊たちは、自分のことを十二魔将だと名乗っていた。
そんな彼らが見る影もなくボコボコにされている姿を見て失望して、という感じでもなかった。
「……あの、もしかして。彼らが十二魔将ではないと、最初から気づいていたんですか?」
「さようでございます!」
これには、山賊たちもウンサクもカリもびっくりである。
「最初から怪しいと思っておりました。山賊を退治しに来たというわりに、村の家を借りて飲み食いするばかりでしたし……」
(本物も似たようなものだということは黙っていよう……)
「山賊退治に来たというのに、一向に解決しない。本物の十二魔将様であれば、たちどころに解決されていたはずでしょうに」
なるほど、田舎者もバカではないということだろう。
「そういえば、僕がここに来たのも、十二魔将を騙る不届き者がいると報告があったからですね……現地の人から通報があったってことですよね」
「じゃあなんで俺には教えてくんなかったんだよ!」
「お前に教えたら、すぐに突っ込んじまうだろう」
「うっ……」
山賊たちが『バレたら暴れるだけだ』と言っていたように、村人たちも『山賊に山賊って言ったら殺されるだけだろ』ということに気付いていたのだ。
分別のある大人だけが察し、分別の有る大人だけで相談して、分別の有る大人だけで共有されていたらしい。
「じゃあなんで不味いもんを食わされてたんだよ! うまいもんを全部山賊にくれてやったのはなんでだよ!」
「俺達がうまいもんを食ってたら、バレるだろうが。それに不届き者には最初から濃い酒を飲ませて、味が分からなくなったところで、腐りかけたもんを食わせてたしな」
切なそうな顔になる山賊たち。
見事に騙してやった、と得意げに見下していた相手から、逆に騙されていたのだ。
しかも食べていたのも、半分ぐらいゴミだったのだ。騙し合いとは、かくも悲しいものである。
「じゃあ美味いもんはどうしたんだよ!」
「奴らの相手をしてくれてた、若い女の子に食わせてた」
(これが社会の形か……)
田舎の人々も、必死に生きているのだ。
必死に生きるということは、助け合うということ。
そして負担をかけた人をねぎらうということであった。
「……だそうですよ。良かったですね、騙せていなくて」
「はい……」
カリもまた、せつなくなっていた。
騙していることを気に病んでいたのに、騙せてさえいなかったのだ。
そんなしたたかさに、彼は戸惑ってさえいた。
「とはいえ……よもや十二魔将様自らいらっしゃってくださるとは……御足労いただき、感謝しております」
やはり、サイクロプスと戦った麒麟を、彼らも見ていたのだろう。
あんな化物を倒せるものが、十二魔将以外にいるわけがない。
そう思って、周辺の村から慌てて集まったのだろう。
「私共の息子も助けていただいたようで……山賊どころか、あのように大きな化物まで退治していただいたとは……」
「いえいえ……アレは私の不手際が招いたことでして……」
とはいえ、彼らの行動に非はあるまい。
被害者であることに変わりはないし、怯えていたことも事実だ。
危害を加えていた山賊や、手際が悪かった麒麟が悪いに決まっている。
「あのモンスターの死体は、僕が始末しておきます。それから……」
さて、麒麟は考える。
どうすればこの周辺の人々の心が救われるだろう。
お金を渡すだけで、救われるだろうか。
もっとこう、寄り添ったことをしてあげたかった。
「お頭以外の山賊を、好きにしていいですよ」
「おお! ありがたき幸せ!」
麒麟は基本的にアウトローであり、大王も殺していいよと言っていたので、割と法律を無視した対応をしていた。
死刑ではなく、私刑を推奨したのである。
ひぃ、と山賊たちが恐れおののく。
主に山賊の接待をやらされていた女性たちが、憤怒の笑顔で農具を手にしていた。
「あ、あ、あの……おい!」
「ま、まった! 止めてくれ!」
「お、お前達も楽しかっただろ!?」
「馬鹿、オイ!」
女性の尊厳を傷つけたことは、死に値するだろう。
少なくとも彼女たちは、それぐらい怒っているのだ。
女性を甘く見てはいけないし、傷つけてもいけないし、下に見てもいけないのだ。
彼女たちも立ち上がり、力を合わせるのである。
「うふふふ」
「あははは」
「おほほほ」
山賊たちの接待をしていた時と違って、輝くような笑顔だったという。
やはり女性には、笑顔が似合うのだ。
「こ、こえ~~……」
「ひぃ~~……」
なお、ウンサクとカリは、女性に恐怖を覚えていた。




