29
大公ジューガーは、己の治める大都市カセイに帰還した。
書面の上では儀礼をおこない、恭しく崇められながら、試験を行ったということにしてある。
もちろん狐太郎はとても礼儀正しく、大公や大王を敬い忠誠を誓い、拝謁できたことにむせび泣いた、とでも書いておく。
定型文のようなものなので、どうせ誰も気にしない。
その一方で、護衛を募集する点に関しては下駄をはかせる気はない。
自分が確認した狐太郎の弱さを、こき下ろしていると思われるほどに書かなければならなかった。
これに関しては、真実以外の要素を入れるわけにはいかない。
なにせBランクハンターか、それに相当する人物への依頼である。
真実以外のことを書けば、彼らからの信頼を失いかねない。
ここで重要なのは、Bランクハンター相当の実力者、ではないということだ。
Bランクのハンターになれるのは、生まれや育ちがはっきりしている、一定の身分に達している者のみ。
信頼と実力を併せ持つものだからこそ、真実を伝えなければならないのだ。
「リァン、お前は彼をどう思った?」
「とても勇気のあるお方だと思います」
「ほう、勇気か」
少しばかり文面に悩んだジューガーは、娘に評価を問うた。
あの前線基地で働くハンターの全員を崇拝している彼女だが、それでも意見は意見である。
「あれだけ弱いにも関わらず、責務から逃げようとしない。実に勇気のあるお方です!」
「……そうだな、信頼できる男だ」
ややほめ過ぎているし、そんなことを依頼書に書けるわけがないのだが、それはそれとして正しいとは思える。
たとえばアッカやガイセイにとって、あの前線基地は稼ぎ場である。自分が倒せる範囲のモンスターしかいないのだから、一々怯える方がどうかしている。
だが狐太郎は話にならないほど弱い。恐怖に対して鈍感というわけではないし、刺激を求めているわけでもない。
彼は普通に怖がっている。死ぬかもしれないと思っていて、実際死にかけていて、それでも残っているのだ。
「だが、その勇敢さに甘えることはできん。勇気だけでは擦り切れる、当たり前の話だ」
だがこのままでは、確実に心身を駄目にする。
そうなれば流石に狐太郎やモンスターはシュバルツバルトを離れてしまうし、誰もそれを止めることはできない。
そもそも無理に引き留めても、前線基地を守れなければ意味がないのだ。
「Aランクのハンターも、Aランクのモンスターも、我等には用意できない。我らにできることは、ハンターの負担を軽減することだけだ」
「そうですね……情けない話です。もしも私にAランクハンター相応の実力があれば……」
「それは言うな、私も似たような物だ」
ここで愚痴を言い合っても何も意味がない。
とにかく次にAランクモンスターが襲来するまでに、狐太郎の護衛ができる人材を選別しなければならないのだ。
「魔物使いに分類される兵科の者たちへ、推薦できる人間がいないか聞いてみるとしよう。人数に上限があるわけでもなし、多少多くとも問題はない」
「そうですね! できれば多くの方がお役目を受けてくれればいいのですが……」
「こればかりは、数を試すほかないな」
二人とも、すんなり護衛が決まるとは思っていなかった。
少しでも客観的な視点を持っているのなら、そう思うのが当たり前である。
※
カセイは多くの人が行き来をする大都市であり、よってハンターの護送隊が拠点としている。
護送とはつまり、移動しながら商品や人々を守る仕事である。長期間、長距離、様々な地形と様々なモンスターを相手に、安全と安心を提供する。
Cランク以上のハンターでなければ就くこともできないため、護送できてこそ一人前という風潮さえあった。
当然ながら狐太郎の護衛にぴったりのハンターが多数在籍しているのだが……。
全員一人前なので、仕事にもカネにも、名誉にも困っていなかった。
「なあおい、聞いたか? 前線基地の護衛隊募集」
「あそこが討伐隊を募集しているなんて、年がら年中だろう?」
「違うって、護衛隊だよ、護衛隊。なんといっても、大公様直々の募集だ」
「ふざけんな馬鹿野郎、あそこは大公様が直接管理していらっしゃる場所だぞ? 討伐隊の募集だって、大公様直々だ」
「そうなのか?」
「そうだよ」
前線基地で討伐隊が複数のハンター部隊によって構成されているように、護送隊もまた複数のハンター部隊によって構成されている。
加えてカセイでは向かう先が多岐にわたっているため、護送隊の拠点もまた都市の中に大量にある。
その中の一つで、シュバルツバルトでの新しい動きが噂になっていた。
「あそこは年中人手不足だからな、大公様も人集めに余念がないんだよ」
「ま、そりゃそうだ。あそこに行くのは、よっぽどカネに困ってる馬鹿ぐらいだ!」
しかしあくまでも噂である。
自分が行くだとか、誰かが行くだとか、そんな話には一切なっていない。
カセイを拠点とするハンターにとって、前線基地は『対岸の火事』だからだ。
近くにあるが、態々行くことはない。行くのは物好きか馬鹿だけ、賢明で一人前のハンターはそう思っている。
ホワイト・リョウトウや鶏口隊がそうであったように、出世に焦った若者や借金で首も回らなくなったクズの処分場。
そういう意味合いの方が、よほど強いのだ。
「しかしまあ……護衛隊? 護送隊じゃなくてか?」
「ああ、そうそう、そうなんだよ! これが面白いんだぜ、今度のAランクハンターは魔物使いらしいんだよ」
「……だからなんだ? Aランクハンターなら、どんなモンスターだって従えられるだろう。それこそ、ラードーンを従えたって不思議じゃねえ」
「どの首に首輪をつけるのかわからねえがな……まあ聞けよ。確かに従えているモンスターはAランクモンスターだ、けど従えている本人は赤ん坊並みに弱いんだと」
「……はあ?」
「悪魔に氷の精霊、亜人に竜。全部がAランクだってのに、当人はクソが付くほどの能無しらしいぜ!」
「そんなわけねえだろ」
「これが、大公様のお墨付きなんだって! だからその能無しを、護衛するハンターを募集しているんだと。まあハンターだけじゃなくて、魔女学園やら軍部やら、お貴族様にも声をかけているらしいな」
大公はハンターにも広く募集をかけた。
もちろん最低でもBランク相当の実力がなければならないのだが、カセイだけでも相当の数がいる。
その中で一人ぐらいは、狐太郎の護衛を名乗り出てくれるかもしれない、そう思っていたのだ。
「で、お前は行くのか?」
「バカ言うな! 俺には愛する妻と子供がいるんだぜ。しかも一組どころじゃないんだ、死ぬかもしれない仕事なんて御免だね!」
「まったく、調子のいい奴だ」
とはいえ、真剣にそれを志す者が現れるわけもなかった。
所詮は酒飲みの噂話、タダの暇つぶしである。
しかし、どこにも怖いもの知らずはいるものである。
「お前ら、どうだい? 例のシュバルツバルトへ行ってみないかい」
そう提案したのは、一人の女性である。
他のハンターに比べればやや細い体をしているが、それでも一般人よりは屈強な肉体をしている。
比較的大柄な彼女は、自分の配下へ提案をしていた。
「へ、へえ?!」
「あそこは地獄ですぜ?! 知らねえんですかい、姐さん!」
彼女の配下は、『常人』よりも屈強で大柄で、明らかに彼女本人よりも強かった。
それが十人もいるのだから、なんともアンバランスな話である。
「うちんとこの爺様が言ってたんですがね、あそこは化物しかいねえ、地獄の入り口だって……」
「でなきゃあ、化物の口の前だ! 俺ら全員、餌にするつもりですかい!」
「ぎゃーぎゃー怖がってんじゃないよ、まったく……誰があそこで仕事をするなんて言ったのさ」
しかし、上下関係ははた目にも明確だった。彼女は人間であり、他の十人は亜人だったのである。
隷属契約ではなく、雇用契約。人間のハンターが亜人を部下として雇い、共に仕事をこなすことで金銭を得る。
それが彼女たちの関係であった。もちろん、彼女が死地に行くと言えば、彼らは拒否する権利もある。
「考えてもみてごらんよ、今あそこにはAランクのハンターがいるんだろう? そのAランクのハンター様の護衛がお仕事だ」
「へ、へえ……」
「超強いモンスターどもの取りこぼしから、Aランクハンター様を守るお仕事なんだろうよ」
「そ、そりゃあそうなんじゃあ?」
「わかってないねえ、Aランクモンスター同士の戦いを、この目にできるってことだよ」
彼女の名前はピンイン。
狐太郎同様に個人として認定されている、Cランクハンター。
「普段なら誰も守っちゃくれないが、今回はAランクモンスターに守ってもらえる。んで実力不足だったので帰ります、とでも言えばおしまいじゃないか」
「な、なるほど……」
「それなら、村の連中にも自慢話ができますねえ……」
平均的な人間よりも屈強な肉体を持つキョウショウ族、その若者十体を率いる魔物使いであった。
「Aランクの亜人……いったいどんな化物なんだろうねえ?」
※
さて、これはこの国の貴族の話である。
シュバルツバルトの前線基地と言えば、一定の身分の者にとって流刑地としての意味合いが強い。
不倫したとか横領したとか、度を超えた無礼をしたとか。とにかく、死罪にするほどではないが、死んでもいいと思われている連中が、役場の職員として送り込まれる死地である。
一度送り込まれたが最後、生きて出ることはできない。
それどころか、墓に死体が埋められることもない。
凶暴なモンスターたちの餌にされる、そんな恐ろしい牢獄だった。
「なんでシュバルツバルトに! ブゥを送らないといけないんですか! あの子が一体何をしたって言うんですか!」
「だまれ!」
「いいえ、黙りません! あの子をシュバルツバルトになんて行かせるもんですか!」
言い争いをしている夫婦がいるのは、カセイから遠いところに居を構える貴族の屋敷であった。
大公から直々に『使える戦力をよこせ』と命令されてしまった、不幸な貴族の家である。
「シュバルツバルトに行ってきたなんて話になったら、あの子の将来はどうなると思っているんですか! 縁談なんて、一生来ませんよ!」
「そういう問題ではないと言っているのだ!」
皿が割れ、絵が破られ、椅子が投げられ、机がひっくり返る。
夫婦の喧嘩は、いよいよ本格的な殴り合いに突入しそうであった。
「あんなところでモンスター退治なんて、下民の仕事でしょう! 貴族の仕事じゃありません!」
ヒステリックに叫ぶ妻だが、これは貴族の女性としては一般的な感性である。
むしろリァンの方が、よほど奇異で奇怪だった。
貴賤への考え方はともかく、母親としては真剣に子供の未来を案じているのである。
「適当な理由を付けて断ってくださいな!」
「……どうしてもか」
「ええ、どうしてもです!」
「貴族ではなくなり、下民になってもいいのだな」
「当たり前じゃないですか! ……はぁ?」
しかし、一般的な常識が、絶対的な正義と言うわけではない。
「待ってください、下民になるってどういうことですか!」
「ようやく聞く気になったようだな……」
ため息をついた夫は、あわてている妻へ椅子に座るよう促した。
青ざめた妻は慌てて椅子に座って、夫の説明を待つ。
「……いいか、これは大公様からの命令だ。正当な理由があるのならともかく、そうでなければ命令に反したということになる。つまり、爵位を取り上げられても文句は言えないのだ」
「せ、正当な理由って、どんな理由ですか?!」
「私やブゥ本人が病気になったので、手が離せない、などだな」
「それぐらいなら、でっち上げればいいでしょう?」
「大公様が、調べないと思うか? 隠し通せると思うか?」
民間のハンターへ広く募集をしているのと、特定の貴族へ名指しで命令をしているのでは話が全く違う。
民間のハンターなら受けなくても特に困ることはないが、貴族にとって大公の命令に反することは反逆に値する。
その内容がシュバルツバルトというカセイの維持に関することなら、国家反逆罪に指定されても不思議ではない。
「お、大げさよ。いくら何でも、モンスター退治を断ったぐらいで、下民にされるなんてことは……私たちは貴族なのに……」
「だからなんだ、相手は王族だぞ? むしろ貴族だからこそ、王族の命令には絶対に従わなければならない」
大公とは、大王の弟である。
それもたくさんいる弟の一人ではなく、実質的な国家のナンバー2である。
その命令の内容が絶対に実現不可能な内容ならともかく、『戦力を一人よこせ』という簡単なものなら逆らうことはできない。
これに従えないなら、貴族でいさせる価値がないのだ。特権階級とは、特別な義務を背負うものでもある。
「ですけど、我が家は先祖代々大王様にお仕えしてきたんですよ? 一回ぐらい断ったって、別にいいじゃないですか」
「……まあ考えてみろ。お前がどこかへ旅行に行くとして、適当なハンターへ護送を依頼したとする。相手が断ってきても、まあどうでもいいかと思えるだろう?」
「まあ……怒るのも面倒だと思うでしょうね、所詮野良犬みたいなものですし」
「だがだ、先祖代々仕えている兵士が、当日『腹が痛いので休みます』とでも言い出したらどうだ? しかも、当人が家でゴロゴロしていたら」
「……その家を潰します」
「そういうことだ」
この時、妻の脳内では相反する感情がぶつかり合っていた。
理性的に納得している一方で、感情的に拒絶しているのである。
「何とかならないんですか!」
「じゃあお前は、どういう理由だったら兵士が命令を断ることに納得できる?」
「……」
「……」
「私たちは貴族なんですよ!」
「相手は王族だ!」
結局反発するが、そもそも夫を説得しても何の意味もない。
貴族であり続けたければ、大公の命令に従うしかないのだ。
「王族だったら、貴族を潰せるんですか?! そこいらの兵士といっしょにするんですか?!」
「王族からすれば、大公様からすれば、我等も兵士も大差はない! 身の程を弁えろ、上の人間に従え!」
妻は絶望した。
貴族は偉い、自分は偉い、嫌なことは他人がすればいい。
ずっとそう思ってきたのに、間違っていると思い知らされたのだ。
大量にいる貴族の一人でしかなく、大公と言う国家の頂点には逆らうことさえ許されない。
子供を差し出すことさえ、拒めないのだ。
そして、そんな二人の話を扉越しに聞いていたのは、シュバルツバルトへ来るように命じられた本人であった。
「はぁ……」
とても、気弱そうな少年である。
陰気な顔をして床に座り、膝を抱えて世を嘆いている。
彼の名前はブゥ・ルゥ。
ルゥ家の『現当主』であり、言い争っていた先代当主の息子であった。
一応明言するが、父親はまだ現役を続ける年齢であり、ブゥは明らかに現当主としては若すぎる。
あらゆる意味で当主として未熟な彼は、しかし当主としての責務を継承してしまっている。
「どうして僕が、当主なんだろう……」
この世界の基準でいえば小柄な彼を、どうして大公は招集したのか。
当然ながら嫌がらせでもなんでもない、大公が態々呼び出すほどの実力者だからである。
「はっはっは! それは私が決めたことですからねえ!」
ブゥの背後から現れたのは、凶悪な表情をした怪物だった。
人間のような骨格をしているようで、肌の色や目の形などは明らかに人間離れしている。
「セキト……」
「ええ、そういう契約ですので、ご主人様」
大悪魔セキト。
このルゥ家と長きにわたって契約を続けてきた、多くの悪魔を従えるBランクモンスターである。
非力な少年に対して下僕としてふるまいながら、その表情にはあざけりがあった。
このルゥ家が繁栄してきたのは、この大悪魔との契約あってこそ。
彼本人もさることながら、その配下の悪魔たちがルゥ家の戦力であり続けたことにより、長年にわたって多くの武勲を挙げてきたのである。
一体どのような経緯で、Bランクの悪魔と契約をすることになったのか。
それはルゥ家ですら誰も覚えておらず、セキトだけが当時のことを知っているのだ。
とはいえ、そのセキトにも対価は支払われている。
セキトの契約する相手、つまりルゥ家の当主は、奴隷であるはずのセキトに決める権利があるのだ。
もちろん当主の血を継ぐ者の中でしか選べないが、セキトの悪戯心によっては現当主が健在でも代替わりをさせることもできるのだ。
もちろん、常に『最悪の当主』を選出するわけではない。そんなことをしていたら、とっくにルゥ家は途絶えている。セキトも普段は当主に相応しい者を選び、その者へ適切な助言をしつつ家を盛り立てている。
現に先代当主であるブゥの父は、とてもまともな貴族の当主だった。
しかしそこは悪魔、数代に一度の割合で嫌がらせで選んだとしか思えないような当主を指名するのだ。
その嫌がらせで選ばれたのが、ブゥである。
彼には優秀な兄や姉、親戚がたくさんいたのだが、その中でも一番弱いであろうブゥが選ばれてしまったのである。
嫌がらせで選んだので反対意見も多数あったが、最終的には認めざるを得なかった。
もしもセキトが指名した者以外が当主になった場合、セキトを頂点とする悪魔との主従がひっくり返る。
つまりルゥ家は大悪魔セキトや、その配下の奴隷になってしまう。考えるだに、恐ろしい契約と言えるだろう。
「はぁ……嫌だなあ、危ないなあ……」
「ははは! 大丈夫ですよ、私が貴方をお守りしますから」
「お前が僕を選ばなかったら、兄様や姉様にお願いできたのに……」
悪魔と契約した家に生まれた不幸、それを全身で味わうブゥはため息をついた。
強大な悪魔との契約だからこそできることも大きいが、その反動も大きい。
Bランクでこれなのだから、Aランクとはどれほどなのだろうか。
「Aランクの悪魔との契約って、どれだけ重いんだろうね……」
「さあ、会って聞いてみればいいじゃないですか」
※
実績と実力のある者は、既にどこかで活躍しており、容易に引き抜けるものではない。
であれば実力のある若者、まだ世に出ていない学生の中から有望なものを探すのが手っ取り早くはある。
大王のおひざ元、首都に存在する『魔女学園』。
魔女と言っても男女共学で、女尊男卑などの悪習も特にないこの学校。
その一角である『精霊学部』にも、大公は依頼をかけていた。
「ふうむ……」
広義における魔物使いの一種、精霊使いを育成する学部。
その学部長は、依頼の内容を何度も確認していた。
「……チャンスではある」
とても俗な話ではあるが、大公は金持ちである。
精霊学部から送り込んだ実力者が正式に採用されて実績を上げれば、当人だけではなく精霊学部そのものへも多くの援助が期待できるだろう。
魔女学園の本質が『優れた戦士の育成』である以上、当たり前の話である。
「ピンチでもある」
とはいえ、逆もまた然り。
ろくでもない奴、なんの役にも立たない奴を送り込もうものなら、精霊学部が潰される可能性さえあった。
であれば、精霊学部の学部長は、真剣に候補を選ばなければならない。
行く先がシュバルツバルトである以上、容姿や家柄、弁舌や学園への献金など毛ほども役に立たない。
野生のモンスターが貴族と平民を一々区別するわけがないので、学部内のヒエラルキーなど一切考慮せずに実力だけで選ぶ必要がある。
普段なら『どうしてウチの子が選ばれないのか』だの『ウチはどこの家よりも献金している』だの『教師のくせに世間の常識がわかっていないようだな』だの、様々な兼ね合いを考えなければならない。
大公へ推薦する、代表として送り出すとは、大変に名誉なので家の箔になるのである。
まあ、行き先がシュバルツバルトなので、逆に『絶対にウチの子にするな』という声が来そうであるが。
「ご家族から反対のなさそうで、かつ実力のある生徒は……二人。人数制限があるわけで無し、両方を送り込んでもいいのだが……悩ましい」
現在精霊学部には、大公へ推薦できる学生が二人いる。
問題なのは、その二人の仲が悪いということだろう。
ただ反りが合わないだけではなく、思想の問題で対立している。
二人を同時に送り込めば、現地で醜い言い争いになりかねない。
そんなことになれば、推薦した学部長の責任問題になってしまう。
であればどちらかを選び、どちらかを取り下げなければならなかった。
風の精霊使い、ランリ・ガオ。
炎の精霊使い、コチョウ・ガオ。
名前の示す通り家族であり、コチョウは姉でランリは弟だった。
「できれば姉のコチョウにお願いしたいのだが……」
実力で言えば、コチョウの方が上である。実績でも、コチョウの方が上である。彼女は学友と協力して、Bランクのモンスター一体を撃破したことさえあるのだ。
とはいえランリも相当の実力者であり、実績がないのも単に学生として真面目に頑張っているからだった。
だが彼女の方が上なのだから、送り出すべきはコチョウだろう。
ただ、躊躇してしまう理由が一つだけあった。
「……仕方がない」
学部長はしばらく悩んだ後、ランリを自分の部屋に呼び出した。
程なくして学部長室に、目を輝かせている少年が現れた。狐太郎よりも背が高いが、この世界の水準ではやや背が低い。
「ランリ・ガオ! 参上しました!」
「うむ、よく来てくれた」
学部長に呼ばれて喜んでいる。
必ずしもよい報せとは限らないのだが、彼はかけらも悪い報せだとは思っていないらしい。
「まあ前置きはいいだろう。君も例の噂は聞いているかね?」
「はい! この魔女学園において、他の学部ではなく精霊学部から生徒を派遣するようにとの要請があったそうですね!」
「そうだ……シュバルツバルトで戦うという、非常に重い任務だ」
学長はここまで言って、ランリの顔を再度確認する。
その表情には、自信がみなぎっていた。
まずは第一段階はクリアである。
ここで怖気づかれれば、それこそコチョウの方を推薦しなければならなかった。
教育者にあるまじきことだが、生徒が正常な判断力を発揮して拒否してきた場合、それを受け入れるしかなかったのだ。
言うまでもないが、学部長に逆らったランリは学園から罰を受ける。しかし誰のことも推薦できなかった場合、学部長は大公から罰を受けるのである。
その度合いは、到底釣り合うものではないだろう。
「これは、私が推薦していただける、と言うことでよろしいですね!」
「うむ、その通りだ」
「ありがとうございます! 必ずやご期待に応えてみせます!」
とはいえ、無理強いをしたくなかったことも本当である。
彼がやる気なら、それに勝るものはない。
ランリほどの実力者ならば、シュバルツバルトで惨殺される、と言うこともないだろう。
「よろしく頼むよ」
後はランリ次第であるが、そこまで悪い結果にはならないだろう。
ランリには強い向上心がある。もしもシュバルツバルトに現れた新しいAランクハンターと意気投合すれば、そのまま森に残ってくれるだろう。
「では失礼ながら、お伺いしたいことがあります!」
「何かね?」
「なぜ私なのですか?」
物凄く嬉しそうな顔で、優越感に浸りながら聞いてくるランリ。
「失礼ながら、私の姉であるコチョウ・ガオでも十分だったと思いますが!」
姉ではなく自分が選ばれた。
その理由が如何なるものか、彼は知りたくて仕方ないのである。
「……まあそもそも、この学園で精霊学部が名指しされた理由は知っているかね?」
「新しいAランクハンターが、魔物使いだからと聞いていますが」
「そうだ。この魔女学園で『魔物使い』に分類されるのは、我が学部だけだからね」
そもそも世間の想像する魔物使いというのは、物凄く大雑把にモンスターを飼いならしている連中、という程度である。
精霊も一応はモンスターに分類されるので、精霊使いも魔物使いの一種と言うことになる。
もちろん、それを精霊使いが喜んでいるわけではないのだが。
「その上でだ……新しいAランクハンターが連れているモンスターの中に……Aランクの氷の精霊がいるのだよ」
「なんですって?!」
「うむ、驚く気持ちはわかる。私も同じ気持ちだ」
言うまでもないが、Aランクの精霊などそうそう見つかるものではない。
それどころか、この精霊学部でもBランクが数体いるだけなのだ。ランリ自身も、Cランクの上位としか契約できていない。
Aランクの精霊がどれだけ珍しいのか、語るまでもないだろう。
「そうですか……氷の精霊ですか」
「そうなのだよ……。おそらく大公様も、君の姉を呼ぶつもりだったのだろうが……」
「姉は、炎の精霊使いですからね」
運が向いてきた、ランリは僥倖に震える。
「大公様は精霊に関して専門家ではない。おそらく精霊使いなら魔物使いともうまくやれる、その程度の認識なのだろう。だが炎の精霊は水や氷の精霊と、極端に相性が悪い」
雪女であるコゴエは、全力を発揮するために周囲へ雪を降らせる。
氷の精霊である彼女にとって、周囲に雪が積もっている環境こそ最も力を出せる場所だ。
しかし炎の精霊にとっては、最悪の環境と言っていい。
「氷の精霊がAランクに達しているのであれば、コチョウの持つ炎の精霊は近づくこともできないだろう」
「ふふふ……風の精霊なら、特に相性が悪いということもありませんからね」
「それが君を選んだ理由だ、納得できたかね?」
「ええ!」
現地にAランクの氷の精霊がいるのに、炎の精霊使いを送り込むわけにはいかない。
何のための精霊学部、何のための学部長なのかわからない。
「もしかしたら大公様が少々不満をもらすかもしれないが、そういう理由だと説明してくれたまえ」
「はい!」
学部長から資料を渡されたランリは、興奮気味にその場で目を通す。
すると、今までの会話を覆す内容が出てきた。
「……あの、学部長。この資料なんですけど、おかしくないですか? 本当なんですか?」
「大公様の資料に不備があるのかね?」
「だって……氷の精霊と、火竜ですよ? 火竜が火を噴いたら、氷の精霊が弱っちゃうじゃないですか」
確かに資料にはおかしいところがあった。
戦術的な不合理、精霊使いから見れば意味不明な話である。
周囲の温度を下げるほど強くなる氷の精霊が、高熱の炎を吐く火竜と一緒なのはおかしい。
「ああ……それは確かだ。他の資料にもきちんと、氷の精霊と火竜と書いてある」
「おかしくないですか? 最上位の氷の精霊が、火竜と肩を並べるなんて」
「確かに不合理だな、だがその理由に察しはつくよ」
首をかしげている若者に、学部長は回答を示す。
「戦術的な幅を考えたまえ。氷の精霊とかみ合う氷竜を連れていればさぞ強いだろうが、もしも氷だけで倒せない敵に遭遇したら? 両方をそろえておくのは、決して見当違いではあるまい」
学部長の話は、決して見当違いではない。
お互いの力を高めあうだけがチームワークではない。
複数の属性をそろえることで、対応の幅を広げているのなら不合理でもない。
「それにどちらもAランクなら、力を高めあう理由もないだろう? 贅沢な話だとは思うがね」
「う~ん、もったいないな……氷の精霊は、それで納得しているんですかね?」
「気にしていないだろう。氷の精霊は気難しい、嫌ならとっくに去っているさ」
風の精霊使いランリ・ガオ。
彼はまだ見ぬ雪女に、思いをはせていた。
※
マースー家。
武官の家であり、竜騎士の家系である。
騎乗用の竜を多数飼育しており、戦時にはそれにまたがって戦場を駆けるのだ。
騎乗用とはいえ、竜は竜。通常の馬でさえ気難しいが、竜はそのさらに上を行く気難しさである。
己が認めた戦士以外は、背に乗せることを許さない。もしも新兵がまたがろうと近づけば、ただそれだけで食い殺されることもしばしばだった。
その一方で、機動力や体力、戦闘能力は通常の馬とは比べ物にならない。
最低でもDランクの上位、最も質のいい竜ならばCランクの上位に相当する。
それに乗り込むのは、その竜よりも強い竜騎士。
マースー家の武勇は、長くこの国を支えていた。
「ジューガーは強い竜騎士をお望みだ。だが我が家の誇りである『不落の星』ショウエンは、あいにくと忙しく長期的に戦線を離れることができん。よって……私の娘であるお前を向かわせる。異論はないな?」
「はい、父上! ケイ・マースー、必ずや責務を果たしてみせます!」
マースー家の当主にして将軍であるメンジ・マースーは、大公ジューガーと個人的な友好関係にある。
友人から戦力をよこしてほしいと言われれば、自分の娘を差し出すこともいとわなかった。
もちろん自分の娘にならば、シュバルツバルトと言う魔境でも生き残れるという確信があってこそだが。
「昔のお前は、リァンと一緒にお転婆をしていた。正直止めたいと思っていたが、今は止めなくてよかったと思っているぞ」
「父上、昔のことをいつまでも……」
「資質に恵まれなかったリァンはジューガーに強く止められ、もう戦線に立つことを諦めていた。だがお前は投げ出さずにやってきた、それが実を結んだということだ」
「ええ……リァンは、リァン様は本当に悲しんでいましたよ」
父親同士が友人であり、身分も比較的近い。
大公ジューガーの娘リァンと、将軍メンジの娘ケイは幼いころからの友人だった。
共に蝶よ花よと育てられていたが、二人とも戦場に立つことを熱望していた。
だがリァンは結局あきらめざるを得ず、ケイはついに竜に乗って戦うことができていたのだ。
「リァンの分も、私は戦ってみせます」
「その意気だ、それでこそマースーの竜騎士……」
武骨なメンジは、こみあげてくるものを抑えられなかった。
思わず涙がこぼれてしまう。
「竜に認められるための努力は尋常ではなく、男子でさえ途中で挫折するのもが多い。それをお前は、その年で、女の身でやり遂げた……」
娘が努力をしてきたこと、それを近くで見てきた父が泣く。
如何に友人とは言え、大公に紹介できるほどの騎士になったのだ。
感極まらずにいられない。
「ち、父上、泣かずとも……」
「ふん、泣いてなどいるものか。お前の前にいるのは一国の将軍だぞ? 泣いているように見えるだけだ」
竜騎士の親子は、互いに照れてしまった。
素直になれずとも、伝わるものは確かにある。
「とはいえだ、シュバルツバルトはこの国の魔境、猛獣の地獄だ。お前やお前の竜を疑うわけではないが、決して甘く見るなよ」
「はい!」
「あそこは……努力が意味を成す場所ではない。報われるなどと、期待は捨てることだ」
そのうえで、厳しいことも言わなければならない。
彼女にとって初めての重要な任務であり、『失敗』は許されるものではない。
「あそこにいるハンターは誰もが化物だ。Aランクに達さないBランクでも、実力は群を抜いている。お前より弱いハンターが、一人でもいると思うな」
「……はい、もちろん知っています。私もリァンと共に、あの森で戦うことを誓っていたのですから」
世のBランクハンターは、一定の信頼を持つ者しかなれない。
もちろん雇う側としてはどこの馬の骨とも知れぬ輩よりも、出自のはっきりしている者がいいのだろう。
だがしかし、『Bランクは生まれで決まる』という意味でもある。
実力で決まる筈のハンターランクだが、Bランクになるには貴族や大商人の家族でなければならない。
もちろん当人たちも相応に強いのだろうが、Cランクに甘んじているハンターから懸絶した強さを持っているわけではない。
「あそこで戦うハンターこそ、真のハンター。Bランク、Aランクに相応しい者だけが集う地です。あそこでは、地位も金銭も意味を持たない。真の実力と名誉は、あの地にこそあるのです」
「重要さはわかっているようだな、頼んだぞ」
「ただ……だからこそ私は疑問に思います」
彼女は疑問に思うことがあった。
それは依頼の内容そのものである。
「Aランクの火竜と言えば竜の王と呼んで差し支えない存在です、Aランクの中でも最上位に位置するはず。現にAランクでも上位に位置するはずのベヒモスを、蛍雪隊の援護があったとはいえ焼き殺している」
「蛍雪隊隊長、スロット使いのシャインか……」
「彼女の拘束能力は国内屈指です、それが有効に働いたことに疑いはありません。ですが凡庸な火竜では、ベヒモスの皮膚に焦げ跡をつけることしかできません」
狐太郎が従えているという火竜に比べれば、マースーの飼っている竜など子犬のようなもの。
だがそれでも、Bランク相当の実力を持つに至ったケイをして、乗りこなすために血のにじむような努力を要した。
「だからこそ、Aランクハンターなのではないか?」
「大公様は、狐太郎なる男が凡庸以下、赤ん坊並みと称しています。ですがそれは本当でしょうか?」
竜の専門家である、ケイだからこその疑問であろう。
まだ見ぬAランクハンターが、弱者だとは信じられなかった。
「Aランクの火竜を従えるほどの男、何かあるとは思いませんか」
「不敬だぞ、ケイ! ジューガーが自ら確かめたと言っているのだ、それを疑うなど……分を弁えろ!」
だがしかし、信じないことは大公への侮辱である。
これに対しては、メンジも激怒していた。
「奴にとって、シュバルツバルトはもっとも心を配っていること。ましてAランク認定をするほどの相手を観るに、手抜きなどするわけもない! そして友人である私に、隠し事などするものか!」
「もちろんです。大公様を疑うわけではありません……疑っているのは、狐太郎と言う男です」
「……意図して、力を隠していると?」
「Aランクの悪魔がいるのです、そう考えても不思議ではないかと」
大公がどれだけ真剣に探っても、Aランクの悪魔が隠そうとすれば暴けないだろう。
まして狐太郎は外国人、疑われても不思議ではない。
「私は、この目で見てきます。竜王を従える男の、その本当の姿を」




