ダメージレース
さて、各地への伝令に向かっていたキンカクたち三人は、一旦チョーアンに戻っていた。
クラウドラインほどではないが、足が速い方のドラゴンを借りることができたため、往復もスマートであった。
とはいえ、その往復が彼らにとって、気晴らしになることなどないのだが。
「そうか……南は比較的優勢、北は守勢に回っている状態、東は膠着……なるほど、西以外は想定通りか」
その三人から報告を受けるのは、執務室にいる現大王ジューガーだった。
獅子子の報告や西の動きから、他三か国の動きは想定できていた。
だがそれでも、四方向から同時に攻め込まれている、というのは気が滅入る話だ。
それはキンカクたちも同様であり、状況が苦しいものであると、確認してきたことで表情は重い。
「西の大王は、愚かではあるが無謀ではなかったな。やはり動くに動けんか」
コホジウなる若き大王は、その優れた外交的手腕を発揮していた。
元から同じく央土へ攻め込んでいたとはいえ、互いにも攻め合っていた国々が和合している。
その手腕だけ見ても、彼の有能さは計り知れない。
これは、戦況を把握すればするほど思い知らされることである。
「キンカク、ナタはどうしていた」
「……戦線への参加を希望しておりました」
「そうだろうな……奴が一番つらいだろう」
「いえ……ダッキ殿下や陛下に比べれば……」
キンカクたちは、最初自決、殉死を望んでいた。
自分たち以外の十二魔将が戦死し、大王が崩御したのであれば、自分たちが生きていることに耐えられなかった。
それでも奮い立っているのは、現大王に奮起を促されたから。そしてダッキが立ち上がり、なんとか成長しようともがいているから。
そして、西重との戦線に参加できるから、であろう。
怨敵を討ち滅ぼし、王都を奪還する戦いに身を投じる。
武人として、これ以上ない戦いであろう。そこから先のことなど、一切考える必要がないほどに。
だが、それにさえ参加できないナタは、果たしてどれほど苦しんでいるだろうか。三人は、後輩の苦悩を憂いている。
「……お前達は、新しい十二魔将をどう思っている?」
大王は、あえて私情を聞いていた。
もちろん大王が彼らを問いただしたところで、本音が返ってくるとは限らない。
それに話をしたところで、解決できない問題が露見するだけかもしれない。
それでも聞くのは、聞かずにはいられないからであろう。
「……本音を言わせていただければ」
口を開いたのは、キンカクだった。
他でもないナタへ、訃報を伝えに行った男だった。
「このような状況でなければ、到底受け入れることができない人選です。我等にとって斉天十二魔将とは、首席であるギュウマ様あってのもの」
ギュウマと三人は、それこそ義兄弟のような関係であった。
ギュウマが引退する時、共に職を辞して、アッカのように引退生活を楽しむつもりだった。
彼ら三人は、それだけ慕っていたのである。
「新しい首席である狐太郎様、ご本人に非はないとしても……ゴクウやコウガイ、ナタの三人ではないことが許せません。ギュウマ様に鍛えられたあの三人以外に、ギュウマ様の後継者は考えられない」
「ナタも、そう思っているか」
「無論です。ナタは首席を目指してはおりませんでしたが、十二魔将という組織を愛しておりました。ゴクウかコウガイ、どちらが継ぐとしても問題はない。そう信じるからこそ引退したのであり……あの二人以外など、許せますまい」
キンカクは、本音を語っていた。
それに対して、ギンカクもドッカクも、異論はないようだった。
しかし現状がそれと著しく異なるにも関わらず、彼らは怒りをあらわにはしていなかった。
それは怒りを隠しているのではなく、単に怒っていないだけだった。
「……そうであろう」
「ですがそれは、平時であれば、のことです。狐太郎様をはじめとするお方々には、感謝しかありません」
もしも平時であれば、政治的な理由で狐太郎が首席に選ばれたのであれば、それこそ三人は怒り狂っただろう。
それにはナタも同調し、国家が割れた可能性さえあった。
だが、今は違う。
斉天十二魔将が事実上壊滅し、その役割を果たせなくなったからこそ、狐太郎たちに役目を押し付けることになったのだ。
はっきり言えば、十二魔将が負けたから、その立て直しを彼らにやらせることになってしまったのである。
「順調に航海している船の船長になることと、嵐の中で転覆寸前の船の船長になることでは、まるで話が違うでしょう。同じだと考える方がどうかしている」
仮に、死者と話ができたのであれば。
ギュウマやゴクウ、コウガイと話ができたのであれば、彼らは伏して力不足を詫び、狐太郎たちに後を託すだろう。
どう考えても、敵と戦って壊滅した組織に、名誉も価値もない。
そんな組織の名前を引き継がせたことに、罪悪感さえ覚えるほどだ。
「あの時……陛下と共に頭を下げたことは、けっして偽りではありませぬ」
「そうか」
狐太郎が逃げようとしたことも、咎められるものではない。
リァンも言っていたが、まともな考えの持ち主なら逃げるのが当たり前だ。
むしろ、一度渋ったあとに請け負って、きちんと仕事をしてくれている。
それが異常なのであろう。
「では……他はどう思っている?」
狐太郎が弱いのは今更だが、他の面々はどうか。
任命権はジューガーにあるが、不満はないのか。
先日の状態では、それを判断する力などなかっただろう。
思うところがあっても、言葉や形にする余裕もなかっただろう。
だからこそ一応は、聞いておく必要があった。
「……」
三人は少し不思議そうに、顔を見合わせた。
そのうえで同時に気付いたのか、代表してドッカクが話し始めた。
「大王陛下……失礼ですが、先代であらせられる兄君や、先々代である御父上から、十二魔将の条件に付いては聞いておられますか」
「いや……申し訳ないが、私は聞いていない」
元よりジューガーは、大王になる気などなかった。
この状況でごねるほど意固地ではないが、十二魔将を選ぶ立場になると思ったこともないので、その条件を知ろうともしていなかった。
「さようですか……では恐れながら……十二魔将の条件をお教えしましょう」
「うむ」
どうにも、十二魔将には選考基準があるらしい。
今更それを聞いても、態々選びなおす余裕はないし、そもそも人材に遊びがない。
それでも現大王として、ジューガーはドッカクの言葉を待った。
「強さです」
「……個人としての?」
「そうです」
「……他には一切ないと?」
「ええ、人間に限りますがね」
強い人間なら、誰でも十二魔将になれる。
なんとも剛毅な話だが、大真面目にギンカクは言い切っていた。
ある意味既知の条件ではあったが、他に一切基準がない、というのは驚きであった。
「先々代であらせられる御父上も、先代であらせられる兄君も……先代首席であったギュウマ様も、それこそが十二魔将の誇りであるとおっしゃっておりました」
「カセイの討伐隊と同じだな……なるほど、それならば不満はないか」
「ええ。大王陛下がお選びになった十二魔将に、我等も不満などないのです。基準が同じですので」
西重のウンリュウ軍を打ち破った討伐隊、その主要な面々が十二魔将を引き継ぐ。
それは実力の証明としては十分であった。
共に轡を並べて戦線へ身を投じた三人は、それを強く理解している。
「首席であらせられる狐太郎様には、少し思うところがありますが……あれだけのモンスターを従え、他の魔将たちからの信頼も厚い。であれば口を挟む余地はありませぬ」
例外と言えば、やはり首席の狐太郎だろう。
だが彼は押し付けられた生贄だ。にもかかわらず、健気に頑張っている。
生き恥を晒している古株が、偉そうに文句を言うのは筋違いだ。
「アッカ様の弟子ガイセイ、悪魔使いのルゥ伯爵、スロット使いのホワイト。彼ら三人は、ゴクウ達にも劣らぬ強者です。二席、三席、四席の座に相応しいでしょう」
西重の英雄を討ち取った、無名の英雄三人。
彼らはゴクウやコウガイ、ナタにも見劣りしない新星。
この三人であれば、その席に不当とは言えないだろう。
「五席に就いたシャイン殿も、当代きってのスロット使い。六席の原石麒麟も、我等の格上。それだけの戦力を既に従えておられた、現大王陛下には頭が下がります」
「うむ……そうか」
結局、大王の人事で問題があったのは、やはりコチョウ一人なのだろう。
将軍と言うか、狐太郎の補佐、程度にしておいたほうが良かったのかもしれない。
彼らの心中はそれであり、何の不満もなかった。
「強いて申せば、残った席に座る予定の、ルゥ伯爵の姉君と兄君。その腕前を実際に見たいという程度でございます」
「うむ……そうか」
自分の部下がべた褒めされているのに、ジューガーの顔は曇っていた。
曇っていたというか、歯に何かが挟まっているかのような、なんとも言えない顔をしていた。
「ギンカクよ、お前は先日の戦いで麒麟と共に戦ったな」
「ええ……ガイセイに代わって抜山隊を率いる彼が先頭を行き、その殿を務めました」
「恥ずかしい話なのだがな……私は、彼のことを良く知らんのだ」
「は?」
「もちろん、強いとは聞いていた。人柄もガイセイから聞いているし、ショウエンたちと同じ時期に森へ入って、頭角を現したとも聞いている。だからこそ六席を任せたが……彼がどんな風に戦うのか、実際に見たことはないのだ」
これには、ギンカクも驚きである。
しかし新しいAランクハンターならともかく、抜山隊に加入した麒麟を一々精査するわけがない。
豪傑ぞろいの討伐隊の中でも、さらに抜きんでた強者である、というだけで十二魔将の六席を任せるに値するだろう。
非常事態であるし、一々確かめる暇もあるまい。
だからこそ、実際に一緒に戦ったギンカクへ、恥を忍んで聞いているのだろう。
「一度も、戦うところを見たことがないので?」
「いや……究極と呼ばれるモンスターを相手に、戦うところは見た。スロット使いとは違うが、ササゲ君と同様に多くの属性を操る事は知っている」
「ええ、私も実際に見て驚きました」
黄金世代と呼ばれる、多くの精鋭。それが配置されていた軍勢に対して、討伐隊は戦力を分散させつつも、各隊に抜きんでた強者を複数配置することで対応した。
なんとも無茶苦茶な話だが、後になって武将や十二魔将に選ばれる面々が多くいたのだから、それを思えば最初から豪華な軍勢だったのだろう。
「西重の黄金世代は、まだ若い者たちばかりでした。それでも三人も集まれば、私でも手こずる新鋭です。それを彼は、たった一人で蹴散らしていきました」
狐太郎と同郷であり、同じ人種であり、小柄で細い若者。
それが麒麟の姿であり、正直に言って見くびっていた。
こんな小僧を、なぜジョー達は信じているのか、疑問に思っていたほどだ。
だが実際に先陣を切って暴れだしたとき、それは吹き飛んだ。
ジョーやショウエンにも見劣りしない精鋭を、ある時は切り散らし、ある時は焼き払い、ある時は殴り殺した。
二人三人と襲い掛かってくることもあったが、それでも周囲の雑兵もろとも消し飛ばした。
彼はほぼ一人で、兵力で劣る抜山隊の快進撃を支えていたのである。
「私は隊の後方にいたので、その姿を見ることはできませんでした。そのように人影に隠れるほど小柄な身で、私が不要に思えるほど無双の働きをしたのです」
「……そうか」
「もちろん、若さはありました。本人は努めていましたが、どうしても雑になるところがありました。ですが、それは本人に余裕がありすぎたからです」
今回将軍に抜擢された三人。
彼らと実際に戦場で戦ったキンカクやドッカクたちは、彼らが効率的に、合理的に動く姿を見ていた。
油断もなく慢心もなく、広い視野を保っていた。まさに武将のそれだった。
麒麟は違う。
縦列に伸びた隊の、その側面を狙われたこともあった。
抜山隊の隊員でもどうにかできる相手だったので問題なかったが、奇襲に気付かなかったことは事実であろう。
強大なモンスターと単独で戦うことが多かった彼にとって、あの戦場は緩かったのだ。
真面目に戦おうと思っても、余裕がありすぎて気が抜けてしまうのだ。
「十二魔将になる基準は、本来厳しいものです。ですが彼は、それを軽々と超えている。アッカ様の弟子であるガイセイの影に隠れてはいますが……」
まだまだ若く、経験が足りない。
緩く、甘く、雑になっている。
しかし、そんなことは問題ではない。
普段のように、苦戦を強いられる強敵と戦うのなら。
彼は油断も慢心もなく、危うげもなく戦えるだろう。
「彼に比べれば、むしろ我等三人こそが見劣りするでしょう。それほどの実力者です」
※
Bランク上位モンスター、サイクロプス。
この世界でも有名な、強力なモンスターである。
他の同ランクモンスターがそうであるように、軍が出動しなければ勝てない化物である。
各地の領主が抱えるBランクハンターでも、単独では足止めさえできない怪物である。
これを持ち込んだ西重軍をして、完全に制御できていたわけではない。
ある程度敵味方の区別はついていたようだが、そこまで融通が利いたわけでもない。
ましてや、ここには西重軍などまったくいない。
ただ無思慮に、野生に返ったように、自由に暴れるだけだろう。
「ははははは!」
山賊の頭は、大いに笑っていた。
自分が助かったわけではなく、今この瞬間踏みつぶされるかもしれないと分かったうえで、麒麟の失敗を笑っていた。
「ははは! さあ、どうする? どうするんだよ、十二魔将様!」
「……」
「十二魔将なら、倒せるんだろ?! あんなモンスターはよう!」
悲鳴にも似た嘲りに気付かぬほど、カリやウンサクは腰を抜かしていた。
巨大なモンスターの足元にいる、それを知っただけで絶望したのだ。
象がいることに気付いた鼠のように、大きい存在はそれだけで恐ろしい。
「それとも! 助けてくれって泣きつきに行くのか?! 本物の十二魔将様のくせに!」
客観的な事実として、逃げるかどうかはともかく、先代の十二魔将の半数以上が、Bランク上位モンスターを単独で撃破できない。
仮にキンカクたち三人がそろっていても、勝ち目の薄い相手と言わざるを得ないだろう。
ただ一体のモンスターは、それだけの力を持っている。だからこその、Bランク上位なのだ。
「……失敗しましたね」
麒麟は、素直に失敗を認めた。
麒麟が余計なことをしなければ、避けられた事態である。
「ははは! どうだ、本物! お前らなんて、大したことねぇんだよ!」
「失態は認めますが、うるさいですよ」
「はは……ぐぁああ!」
ごきり、と骨が折れた。
細い骨ではない、太い骨が折れていた。
「貴方には聞くことができました、大人しくしていてくださいね」
「あ、あ、あぐ、あぐ!」
両手両足の骨を、力まかせで雑に折った。
当然猛烈な痛みが襲うだろうが、死にはしないだろう。
この世界の住人は頑丈であるし、出血もない。もちろん、内出血はすさまじいことになっているのだが。
「……まずい、本当にまずい」
もちろん、山賊の頭を動けなくしたところでもう遅い。
既にサイクロプスは解き放たれているのだから、なんの意味もない。
それが分かっているからこそ、麒麟は余裕を失っていた。
見上げたそこには、やはり股の下。
周囲を見渡しているらしく、わずかに動いている。
このサイクロプスが、この森の木を跨ぐほど大きい以上、先ほどの村を『気付かずに』踏んでしまう可能性もあった。
本当に、大問題である。これでは何をしに来たのかわからない。
そんな心中が、彼の表情に現れていた。
それを見て山賊の頭は、激痛に悶えながらも笑う。
カリとウンサクは、縋るべき十二魔将が青ざめているところを見て、いよいよ希望を見失いかけていた。
「転職武装、勇者」
その次の瞬間だった。麒麟が輝き、武装していたのだ。
先ほどまでは変な恰好ではあったが、普段着であることは明らかだった。どう見ても、武器も防具も持っていなかった。
この世界の理屈で言えば武器を一瞬で装備するのは異常なのだが、それを思い返すよりも先に気付くのは、麒麟が今まで普段着で戦っていたことである。
「……早く倒さないと、大変なことになる! もう大変なことになっているけども!」
そして、サイクロプスが足を動かす。
巨大で汚らしい足の裏が、倒れている山賊たちや、カリ、ウンサクの上に落ちてくる。
「キョウツウ技、フィジカルチャージ。ショクギョウ技、勇気の輝き!」
あまりにも単純な、攻撃ですらない加重。足下のアリに気付かない、巨大な象の一歩。
それに対して麒麟は、自己強化を重ねる。見るからに重く、大きい足。それを力で迎え撃つ。
「キョウツウ技、ジャンピングアッパー!」
大きさの比で言えば、針を踏みつけたようなものだろう。
素足で岩山を歩くサイクロプスが、針を踏んだぐらいで痛みを感じるわけもない。
それこそ、針の方が折れ曲がるだろう。
だが、その針が鉄ではなく、もっと硬ければ。早く力を込めていれば。
強化に強化を重ねた、跳躍しながらの一撃。
それを足の裏に食らったサイクロプスは、絶叫しながら仰け反った。
転倒することこそないものの、大きく下がる。
そしてその大きな目で、地上を見てくる。
一つしかない巨大な目が、麒麟たちを見ていた。
それは足下のアリに対して、怒りを燃やしている顔だった。
同じ視界に入っている、山賊の頭と少年二人はそれどころではない。
「倒す……のはまずいか。このまま、できるだけ……立ったまま倒す!」
そんなことは、麒麟もお構いなしだった。
一切の余裕がなくなったからこそ、この男に容赦は一切ない。
「キョウツウ技、マジカルチャージ。ショクギョウ技、勇気の輝き!」
彼の掌に現れたのは、白い炎。
触るまでもなくわかる、熱量がこもった炎。
それが、麒麟の小さな掌から放たれた。
「キョウツウ技、ホワイトファイア!」
強化を重ねた炎が、サイクロプスの顔を焼く。
それは人間に似ているサイクロプスにとって、重大なダメージになるかと思えた。
山賊の頭や二人の少年は、そう思ったのである。
だが、そんなことはなかった。
サイクロプスは、顔を押さえていた。
叫びは上げていた。
しかしそれは、人間で言えば顔を強くぶつけた程度だった。
断末魔の叫び、には程遠い。
ある意味元気に、地団太を踏んでいる。
「ああ、まったく……これだからBランク上位モンスターは!」
そして麒麟も、まったく驚かなかった。
装備していた剣を、今更のように構える。
「ショクギョウ技、多重魔法剣!」
彼の剣から、六属性の魔法が吹き上がる。
それは、この世界においてスロット技とされる高位の技だった。
もちろん、麒麟の世界においても、上位とされる希少な技である。
「キョウツウ技、フィジカルチャージ。キョウツウ技、マジカルチャージ。ショクギョウ技、勇気の輝き!」
麒麟の表情に、余裕など一切ない。
彼は持てる力を全てぶつけるべく、巨体に向かって跳躍した。
「ショクギョウ技……クリティカルスラッシュ!」
それは、余りにも奇妙な光景だった。
サイクロプスと人間の大きさの比は、それこそ人と蚤である。
蚤が跳びあがって、人を斬った。
人は袈裟に斬られて、大量の血を噴出していた。
皮が切れたとかではない、肉が深々とえぐられていた。
普通の人間なら、明らかに致命傷である。
蚤が人間を斬って、致命傷を与えた。これは尋常ならざる事態であった。
だが、蚤が蚤ではないように、人もまた人ではない。
袈裟に斬られたことで、明らかなダメージを受けたことで、サイクロプスも本気になっていた。
それこそ、ハエでも叩くように、巨大な掌を振り回して、叩き落としたのである。
「ショクギョウ技、シールドガード!」
とっさに、麒麟は防御をする。
巨大な掌に向けて、強化された盾を向ける。
それがどの程度の軽減を発揮したのかわからないが、麒麟は地面へと衝突した。
「ひぃ!」
サイクロプスの動きが、意識の有る三人には見えていた。
麒麟が叩きつけられたのだと、彼らは理解していた。
明らかに、麒麟はダメージを与えた。
あの小さな体からは、信じられない破壊力を発揮していた。
だがそれでも、サイクロプスは倒せなかった。
一つ目の巨人は、ダメージを受けながらも反撃し、麒麟を叩き潰したのである。
しかも、ただ叩き落としただけではない。
まるで人間の子供のように、地面を勢いよく踏みつける。
Bランク上位モンスターによる、重量を活かした踏みつけ。
周辺が揺れて、木が軋んでいる。
それは大人も子供も、等しく恐怖に落とし込む存在だった。
(俺は、なんてものを解き放ったんだ……!)
山賊の頭は、今更後悔した。
一軍をもってしなければ勝てないモンスター。
そうだとは聞いていたが、実物を見たのは初めてだ。
今痛めつけられているのは、憎らしい敵のはずだ。
だがその暴れている様をみるだけでも、彼は完全に後悔していた。
「ひぃ……!」
「あ、あんなもん、勝てるわけがねえ……!」
正真正銘、本物のモンスター。
ウンサクが倒したCランクモンスターとは、一段階違うだけのBランクモンスター。
その脅威は、地面だけではなく彼の心も揺らしていた。
自分の小ささ、弱さ。
それが骨身へ染みていった、刻まれていった。
どうあがいてもどうにもならない、歯向かう気さえ起きない脅威。
その存在を、彼は思い知ったのだ。
「キョウツウ技、マジカルチャージ。ショクギョウ技、勇気の輝き! キョウツウ技、ブラックトルネード!」
それを、黒い嵐が吹き飛ばした。
周囲の木々を大いに揺らしながら、黒い竜巻が巨体を切り裂いていた。
「ああ痛い……!」
それが、麒麟の反撃だと気づいた。
あの小さい身体で、彼は。
ただ相手を痛めつけるだけではなく、それどころか攻撃に耐えていたのだ。
その上、平然と反撃したのである。
「これだから上位は……」
サイクロプスの巨大な目に、どれだけ視力があるのかわからない。
しかしその目が麒麟を見ていれば、そこには絶望的なものが見えただろう。
「まあでも……これしか芸がないのなら、行けるかな」
渾身のストンピングを食らっても、ほとんどダメージを受けていない麒麟の姿があった。
「キョウツウ技、フィジカルチャージ……!」
絶望を理解できる知能が、サイクロプスにあるのかはわからない。
しかし確かなことがあるとすれば、このまま戦えばなんの面白みもなく麒麟が勝つということ。
「キョウツウ技、マジカルチャージ……!」
麒麟の最大の一撃を食らっても、サイクロプスは大ダメージを受けるだけだった。
痛手はこうむったが、反撃はできた。
「ショクギョウ技、勇気の輝き!」
だがサイクロプスの猛攻では、麒麟に対してダメージが少なすぎた。
サイクロプスがどれだけ綺麗に攻撃をあてても、急所へ当てても、連続攻撃を成功させても、麒麟に大ダメージを与えられないのである。
「ショクギョウ技、クリティカルスラッシュ!」
再びの跳躍、逆袈裟の一撃。
先ほどと比べて、大きく威力が上がったわけではない。
だが、先ほどと同じく、大ダメージが刻まれる。
もちろん、まだ死なない、まだ倒れない。
しかし、確実に死が近づいている。
サイクロプスは、躊躇した。
もしかしてこのまま戦っても、自分は勝てないのではないか。
このまま真正面から殴り合っていれば、先に倒れるのは自分ではないか。
サイクロプスは、確かに強い。
鈍重で大味で、細かい動きは苦手だが、真正面から殴り合うことには優れている。
だがしかし、それだけである。
毒を浴びせて、時間経過によって有利になっていく、ということはない。
シンプルゆえに強いが、シンプルゆえに大物食いに位置する能力を一切持たない。
「この手ごたえ……あと十発は必要ですね」
そしてこのモンスターは頑丈であり、巨体であるがゆえに、あと十回もこの攻撃を受け続ける。
「よし、このまま押し切る!」
三人は見た。
巨大な怪物が、絶望を認識したその瞬間を。
己が強大であることを呪う、その瞬間を。




