試金石
例えばの話だが、海洋学者が『物凄い高性能な潜水艦』が完成したと聞けば、普通に乗りたがるだろう。
似たような例として、火星の研究をしている学者が『火星と地球を往復できる宇宙船』が出来上がったと知れば、普通に乗りたくなるはずだ。
もちろん、全員ではないだろう。
あるいは『俺は自分で作りたいんだ』という志を持つ方もいらっしゃるだろう。
それはそれで、とても立派だ。
しかし大半の方は、乗りたがるはずだ。
さて、以前バブルはこう言っていた。
一生を費やしたところで、ドラゴンズランドへ行けるかどうかわからない。
数年命をかけるぐらいで行けるのなら、逃す話はない。
なるほど、これも正しい。
そして目の前にクラウドラインが降り立って、周囲に大量の精霊がいて最強の精霊がいて、『この国を守るために戦おう』と言ってきたのだ。
これを断るのは、とても難しい。
なにせ現物であり、逃せば二度はないであろう状況だった。
老若男女、貴賤を問わず。腕に自信のある精霊使い達は、嬉々として、目をランランと輝かせて、少年のように乗り込んでいった。
もうクラウドラインの背中は、満員電車に近い。
それでも悠々と空を飛べるのだから、流石はAランクモンスターである。
しかしそれでも、飛行に繊細な神経を割いていることは想像に難くない。
人間でたとえれば、両手と両肩、頭にコップを乗せて歩くようなものだ。
できなくはないだろうが、それでマラソンをさせられているのなら、さぞつらいだろう。
頭に乗っている狐太郎は、健気に頑張っているウズモを気にかけていた。
「大丈夫か、ウズモ。もう何日もこんな調子で、きついだろう」
『いえいえ、この程度ならなんということもありませぬ。お気遣い、かたじけのうございます』
「ご主人様! 私は何日もご主人様の隣に座っているんだけど?!」
「嫌なら止めていいぞ」
「そういうことじゃなくて!」
なお、アカネは自分を気遣って欲しかった。
「私もかたじけのうございますって言いたい!」
「……あのなあ」
間違いなく、今一番ぶっちぎりで頑張っているのはウズモだった。
彼を褒めるのは、今後のことも考えて当たり前のことである。
しかし、アカネをこの流れで褒めることは難しかった。
「ドラゴンを褒めるときは、私も褒めないと!」
「お前の言ってること、無茶苦茶だぞ」
『ははは! ようやく竜王様のお役に立てたのです。私などにかまわず、どうか竜王様をお褒めください』
「……ウズモは賢いな」
「またウズモを褒めた! 私も褒めてよ~~!」
どうやら退屈になってきたらしい。やっていることは単調なので、飽きてきたようだ。
なにせアカネは何もしていない、何もしていないので退屈なのである。
もちろん風景は綺麗だし、コゴエと戯れている精霊たちも優美なものだ。
だが狐太郎たちにとっては、これからいくらでも見れる光景である。
なにせウズモもコゴエも、どっちも『身内』だ。この央土とは、なんの関係もない。
ネゴロ十勇士や侯爵家の四人と違って、純粋に狐太郎の配下である。
よって、いくらでも融通が利くのだ。
「……なあみんな。どう思う?」
狐太郎も退屈なので、左右と背後の三体へ話しかけた。
アカネをどう褒めていいのかわからなかった、からでもある。
「少し前に大公……今は大王だけども、陛下から『亜人の兵を集めてくれ』って話があっただろう? その時にクツロと俺は『まずこの国の人間で何とかしろ』とか『亜人を扇動したくない』って言ったじゃないか」
基本的に、今回の出来事は央土の問題である。
央土が悪いとか良いとかではない、単純に外交問題であり戦争である。
そこに狐太郎は一切かかわっておらず、極論逃げてもそこまで良心は痛まない。
というか、実際逃げかけた。
「いまさあ……この国の人間を集めてるだろう? 突き詰めると、この人たちに死ねって言ってるようなもんじゃないか」
狐太郎は、無関係な亜人よりも、関係しているこの国の人間が先に死ぬべきだと言った。それを大王も認めている。
だがしかし、実際に死ぬべき人間を集めていると、罪悪感がとんでもない。
彼らが軍人ならいいのだが、学者か生徒、教師たちである。戦っても強いのだろうが、戦闘の専門家ではない。
「シャインさんが見たら、どう思うかなあ……」
思えば、蛍雪隊の隊長、シャインも軍に関わることを嫌がっていた。
彼女は十二魔将に選ばれるほどの実力者だが、人を殺すことを生業にしたがらなかった。
そしておそらく、今ウズモの背に乗っている者たちも、同じようなものだろう。
精霊使いとしての実力が備わっているのだから、ギフト技、クリエイト技が使えるのだろう。
だが、戦争が、人殺しがしたかったわけではないだろう。
「これじゃあ、玩具で子供を騙しているのと同じだ」
その言葉は、彼の護衛全員に聞こえていた。
もちろん、ダッキも聞いている。
「……俺は、罪深いな」
彼の嘆きは、深い。
今彼らは、まさに千載一遇の好機を得ている。
まともに生きていたら、生涯をかけても得られないものだ。
だがしかし、いざ現場で死にかけたとき。
あるいは英雄と遭遇したとき。
後悔しないだろうか。
それを思うと、狐太郎はやり切れない。
「ご主人様……ご心痛、お察しします」
アカネの反対側にいるクツロは、彼の苦悩を理解する。
むしろここで大喜びし、自分の手柄であると喜ぶ方がどうかしている。
「しかし」
「なんだよ」
「別にご主人様の私利私欲ではないのでは」
「……それはそうなんだけども」
もちろんクツロの指摘も、全員聞いていた。
「提案したのは大王様だし、指示したのも大王様だし、そもそもこの国を守るためだし……」
ダッキと侯爵家の四人は、顔を引きつらせていた。
「なんで俺の為じゃないのに、嫌な思いをしないといけないんだろうなあ……」
多少心は軽くなったが、別の苦悩が生じていた。
まったくもって、なんの解決にもなっていなかった。
これから人が大勢死ぬかもしれないのに、心が軽くなるほうがどうかしているのだが。
「でもまあ……大王様は、その辺りどう考えてるんだろうな? 精霊使いだからって、いきなり戦場に出て使い物になるんだろうか」
自分では使い物にならず、むしろ足手まといの極みのような狐太郎だが、指摘はもっともである。
コチョウ将軍も、それには内心賛同していた。
(流石はAランクハンターね……ごもっともだわ)
彼女もシュバルツバルトの討伐隊として、数年間戦ってきた女傑である。
だが彼女が戦えたのは、単に強いからではない。言ってしまえば、罪悪感だ。
あの地獄でも戦える実力がある、だけでは不足だ。それこそAランクハンターでもなければ、実力だけで長続きはしない。
戦場で戦いたいと思う強烈な理由、それがあるかどうかだった。
(侯爵家の四人は……その理由を見つけたみたいだけど……他はどうかしら)
今、竜の背中には膨大過ぎる精霊使いが乗っている。
彼らのうち、どれだけに戦場に立つ度胸があるのか。
戦場で、狂いなく精霊を操れるのか。
将軍を任されたコチョウは、実際のところ『戦争経験者』であった。
おそらく竜の背に乗っている中では、随一だろう。
英雄同士のぶつかり合いも、既に体験している。
だからこそ。
退く道がある人たちは、退いてしまうのではないか。
彼女の懸念もそこだった。
一体どれだけの精霊使いが参加して、どれだけ生き残るのか。
大量に集めているのは、つまりそれだけ期待値が低いということでもあった。
(ああ、でも……それでも、必要なことではあるのよね……)
状況としては、戦う心得のない者たちに戦いを強要しているわけだ。
まともではないが、状況がまず異常なので仕方がない。
ただの事実として、今の『軍』では四つの国からの侵攻を抑えきれない。
だから討伐隊がそのまま軍に昇格し、戦力集めに奔走しているのである。
精霊使い達は夢を見ているが、現実は過酷だ。
いいや……その温度差こそが、狐太郎の罪悪感の根源かもしれない。
もしも彼らが決死の覚悟を固めていれば、こうも思い詰めはしなかっただろうに。
しかし。
この時。
そもそも、そのコチョウが、気を抜いてた。
ここから先のことを想像していても、今この瞬間が危ないとは思っていなかった。
「……あら?」
だからこそ、驚いた。
他の精霊使い達同様に、精霊のざわめきを感じて、困惑した。
精霊たちが、何かの接近を察知したのだ。
「ササゲ、ご主人様を連れて飛び降りろ」
「……は?」
「急げ。アカネとクツロ以外は、全員ウズモから降りろ」
平坦な声で、コゴエはとんでもないことを言った。
今のウズモは、雲の上を飛んでいる。
ここで飛び降りればどうなるか、考えるまでもないことだ。
にもかかわらず、なぜそんなことを言うのか。誰もが、まず首をかしげていた。
「……ササゲ! 早くしろ! コゴエの言う通りにするんだ!」
「……そうね!」
大慌てで、狐太郎はササゲへ指示をした。
ササゲも何かを察したのか、狐太郎を抱きかかえたままウズモから離れる。
しかし、他の面々はそうもいかない。
なぜコゴエがそんなことを言ったのか、なぜ精霊たちが騒いでいるのか。
それが、まったく、見当もつかなかった。
『あの、コゴエ様? どうされましたか?』
「ウズモ、気をしっかり持て」
『は?』
なぜコゴエが慌てているのか、ウズモにはわからなかった。
なまじコゴエが雪女で、感情が平坦だからこそ、とんでもなく慌てているのだと、理解できなかった。
「下からエイトロールが跳んでくるぞ」
彼女が、信じられないことを言った、その直後だった。
すさまじいほどの風を、精霊たちが巻き起こす。
雨や雹さえ混じった大風は、竜巻のように周囲の大気を乱した。
そして、その風にあおられながらも、平べったい胴体を持った怪物が体を伸ばしてきた。
『……』
その姿を見たウズモは、体を硬直させていた。
ゆっくりと動かしていた体が急に止まったので、乗っていた人間たちは大いに揺らされた。
そして、踏ん張れなかった。
まったく、これっぽっちも、想像をしていなかった展開に、脳が追い付かなかった。
あるいは、このままクラウドラインに乗っているよりも、飛び降りたほうが助かると思ったのかもしれない。
『あ、あああ……あああ……!』
ウズモは、そのモンスターを見上げた。
飛行能力を持たぬ一方で、山などを足場にして胴体を伸ばし、空を飛ぶ竜さえも餌食にする怪物。
竜の天敵、最強種、大百足、エイトロール。
本来なら、真下から胴体に食いついて、そのままむさぼっていたであろう。
大風によって煽られて、軌道が逸れたことが、救いではあった。
だがしかし、少し仰け反っただけの大百足は、その鋭い顎をかみ合わせながら、大好物をにらんでいた。
本能で理解していた。
食われて死ぬと。
ここまで至近距離に達されてしまえば、逃げることなど不可能だと。
祖父が友人を置き去りにして逃げたことを思い出しながら、生存のための行動が何一つできなかった。
一言で言えば、腰を抜かしていた。ばらばらと人間を落としながら、彼は開いた口をふさぐこともできなかった。
節足動物型モンスター、最強種。Aランク上位モンスター、ドラゴンイーター。あるいは、エイトロール。
シュバルツバルトに於いてさえ最強の一角であるこのモンスターは、非常に珍しいが他の魔境にも生息している。
たまたま偶然、その珍しい個体に見つかってしまった若き竜は、抵抗をすることさえできなかった。
「人授王権、魔王戴冠」
自分の頭上に、竜の王と亜人の王が現れる、その前までは。
「ウズモ、聞こえる?」
『は、はい! アカネ様!』
「ご主人様はお前を、人間同士の戦争に使いたくないって言ってたよね? で、お前はそれに賛成したよね?」
『は、はい!』
「でもさあ、アレとは、元々戦う予定だったんでしょう? まさか、逃げるとか言わないよねえ?」
『もちろんでございます!』
彼は思考を放棄した。命令に従う、その一つに心を決めた。
己の頭上に位置する、百足殺しの竜王に、意思決定権を差し出したのだ。
「まったく、アカネは同族に厳しいわね……ウズモ、安心しなさい。貴方のことは、私が守るわ。だから足場に専念してちょうだい」
『し、承知です、クツロ様!』
二体の魔王は、飛行能力を持たない。
今まで何度か戦い勝ってきた相手だが、空中で戦うのは初めてだ。
足場がなければ、話にならない。
二体の魔王は、クラウドラインを足場にしつつ、巨大な百足へ立ち向かおうとしていた。
「ああああああ!」
「きゃああああああ!」
そして、落ちていく精霊使い達は、悲鳴を上げていた。
いきなり落とされたあげく、視界には大百足の胴体が映っている。
巨大な百足の胴体は、ただそれだけでもおぞましい。
そのうえでAランク上位モンスターだと知っているのだから、なお恐ろしかった。
Aランクの竜を、好んで食らう化物。
それが自分たちの近くにいる。
それが怖くて、恐ろしくて、落下どころではなかった。
「人授王権、魔王戴冠」
しかし、その恐怖を、圧倒的な存在感が塗りつぶしていた。
落下していく精霊使い達を、下から雪風が押し上げていく。
膨大な精霊たちが、落下速度以上の風圧をもって、人間たちを逆に上昇させていく。
まさに、竜巻。自然の猛威が、重力を振り切っていた。
「おおお……!」
雪女、コゴエ。
彼女が魔王の姿をさらし、同時に周囲の精霊たちへ大雑把な指示を出していたのだ。
荒れ狂い、竜巻となれ。
それに従って、興奮を通り越して熱狂した精霊たちは、数にあかせて瞬間的に大嵐となっていたのだ。
「こ、これが……精霊の王!」
精霊使い達は、見ほれていた。
膨大な精霊たちを束ねても、なお圧倒的な存在感を持つ魔王。
Aランクの精霊が、竜巻の中心に顕現していた。
「聞くがいい、精霊使い達よ。見ての通り、大百足、エイトロールがウズモを狙っている。Aランク上位モンスターであり……私たちでも手こずる相手だ。ましてやこの高空では、普段通りに戦うことなどできん」
精霊の王は、精霊使い達へ語り掛ける。
暴風によって上昇していく精霊たちは、加速さえしながら元の高度へ戻っていく。
そう、クラウドラインを狙う、エイトロールの前へ。
「だが、所詮はAランクモンスターだ。我らが相手どる、英雄に比べれば格下でしかない」
やんわりと地表に下ろし、逃がしてやろう、などとは毛ほども思っていない。
むしろ全員を、死地へと引き上げるつもりだった。
「火の精霊使いは、コチョウの指示のもとアカネを補佐しろ。風の精霊使いは、エイトロールの体に風を浴びせて体勢を崩せ。雷の精霊使いは、ウズモの掴んでいる雷の精霊を補強しろ。そして氷や水の精霊使いは、私の援護だ」
不意の接敵、高空での戦闘、Aランク上位という大物。
しかし、コゴエはこれを好機と見る。
「価値を示せ」
彼女の昂りを、猛りを、精霊も精霊使い達も感じた。
これは扇動か、それとも奮起か。
ただコゴエに見ほれた精霊使い達は、子供の顔から専門家の顔へ切り替わる。
「さあ……行くぞ!」
風が吠えた、雷が吠えた、水が吠えた、火が吠えた、人が吠えた。
アカネとクツロを乗せたクラウドラインの周囲へ、膨大な精霊と精霊使い達が、星のように布陣する。
対するは、頭を伸ばしただけで雲の上へと達する、正真正銘の大百足。
シュバルツバルトを離れてなお、モンスターの脅威はなくならない。
Aランクハンター、虎威狐太郎の、新しい『配下』たちが試される。
『大百足などなにするものぞ……我こそはウズモ! 竜王様の僕なり!』
竜の歴史に刻まれる、高空での大決戦が始まった。




