敵に塩を送る
コンコウリは、驚いていると言えば驚いていた。
驚いていないと言えば、驚いていなかった。
現状では、央土が『穏当』にことを治めたがっていることは確実である。
この場合の穏当とは、大戦力のぶつけ合いを避ける、という意味である。
間違っても『暗殺などをしない』という意味ではない。
よって、凄腕の暗殺者が現れることには驚かなかった。
だが、いきなりなんの前触れもなく現れれば、驚かないわけもなかった。
(……やってられんな、この女一人で全部ひっくり返るぞ)
詰み、を彼は意識した。
暗殺を警戒するのは、狐太郎だけではない。
極論、敵の国民を皆殺しにしたとしても、彼女一人で王侯貴族を逆に殲滅されかねない。
ちゃぶ台返しもここに極まれり、大将軍が束になっても大王を守れまい。
とはいえ、その段階ではない。
ある意味最強最悪の切り札は、しかし一番穏当な役割を任されてここにいた。
「密使か……離間の計か?」
「いいえ、央土の大王陛下は、可能ならば穏当な決着を望んでおります。西重の大王陛下がおっしゃったように、我等こそ実質的な最終戦力ですので」
「……使い潰したくないか」
やはり、先ほどの会議を聞かれていた。
それを暗に示されて、背筋が凍る想いだった。
シャインが使える属性の一つに、迷彩属性というものがある。
当然、視認性を下げる技だ。これが存在する以上、逆もまた存在する。
探知属性。つまり隠れている相手を見つける、探す能力である。
当然ながら、珍しいわけではないが、有用性が高い。
要人の警護は当然のこと、会議室の機密を保つためにも雇われている。
当然昼の会議でも、彼らによるクリエイト技による探知網が形成されていた。
それさえ彼女は潜り抜けていたのだろう、最大に警戒しても気付けないなど無茶苦茶だった。
「我等、か。ただの密偵ではないな」
「ええ、密偵ではありません。密使でございますので」
「そうだったな、失礼をした」
とりあえず、良かったことがある。
おそらく彼女に嘘はない。央土の新大王は、戦争による決着を避けたがっている。
何が何でも避けたがっているのか、あるいはできれば避けたいのか。大きな差はあるが、とりあえず交渉できるということだった。
「……難しいぞ」
獅子子は優秀だった。
一人しかいない接触要員として、最適な人材を引いていた。
大王に意見をすることが許されていて、しかも方向が違うもの。
コンコウリこそ、清濁併せ吞む政治家であった。
彼は是非を語る前に、難易度を語った。
少なくとも、全否定ではない。
「それにだ……私はまだ、大王陛下を見限ってはいない。あの方の器量が試されるのはここからだ。仮に暗殺をするというのなら、無駄と知っても止めるぞ」
「……器量ですか」
「そうだ、王の器だ」
コホジウは、偉大な王である。
若い身ではあるが、同年代の黄金世代たちを束ね、さらに大将軍たちも彼を支えたいと思っている。
先ほどでも、彼は決して『王』の立場を忘れなかった。私情をぶちまけていれば、それこそ失望しただろう。人として、どれだけ正しかったとしても。
「負け戦を治めることができるかどうか、それを見極めねばなるまい」
コンコウリは、この戦争が負けだと考えていた。
これで勝ったとは、毛ほども思っていないらしい。
「まだ戦う力はありますが、それでも負けですか」
「逆だ。まだ戦う力があるうちに、負けなければならない。大王陛下もおっしゃっていたが……我らに戦う力があるからこそ、相手は和睦を申し出たのだ」
大王は言った。
央土に余力はなく、西重に残った軍隊を一蹴することはできないと。
だから、和睦を申し出たのだと。
「戦う力がなくなれば、こちらが土下座をしても叩頭をしても、和睦の余地はなくなる。陛下のおっしゃったように、一方的に殴り殺してくるだけだ」
逆に言えば、西重に戦力がなくなれば、もう話し合いの余地はなくなる。
王都に集中している戦力を、一網打尽にしてしまうだろう。
「進める余地があるからこそ、戻る余地もあるのだ。ここで戻れば、まだこの国は存続できる」
「……それが分かっていない大王だとは思いませんが」
「あの方は誠実だ。誰かと約束をすれば、それを守ろうとする。だからこそ、三つの国を動かすことができたのだ。だが……」
誠実であることは、間違いなく美徳だ。
だがしかし、それで国家が滅びれば元も子もない。
「央土の王都を占拠している十五万の兵、そしてそれを率いる七人の将軍。それが、正真正銘、我が国の全戦力だ。私たちの裁量で動かせる、絶対に裏切らないと信じられる、最後の戦力だ。これを失うことに比べれば、負けることなど大したことではない」
まともだった。
少なくとも、論理的に矛盾はない。
危機感を、しっかりと持っている。
「私は、今回の戦争に賛成した。大王陛下は、当時の時点で最善を尽くした。だからこそ今でも、決定的な破綻には至っていない。今の結果は不本意ではあるが……だとしてもそれは、全員の責任だ。私が大王様を見限る理由にはならない」
「では、見限る時とは?」
「誘惑に、負けた時だ」
コンコウリは、大王を慕っていた。
だが大王と国家であれば、国家が大事だった。
それこそ、比較にもならないほどに。
「戦争は賭博ではない、それ以下だ。賭博ならば確率上は、勝てば逆転できる。賭けたもの、失ったものが戻ってくる。だが戦争にそれはない」
文官は、文官として、冷静に戦争を見ていた。
「死んだ兵士は、生き返らない。どれだけ勝ってもな」
もしも勝ちに固執するのなら、その時は見限る。
「不利から互角へ、互角から有利へ押し返す……ではない。不利になったら、さっさと終わらせる。負けの痛みを減らす。それが真の王というものだ」
どんな戦いにも勝てる王などいない。
現にジューガーも、既に兄を殺されている。負けている。
だからこそ、負け戦を終わらせようとしている。勝ちにはこだわっていない。
果たして、コホジウの決断は如何に。
「だからこそ、情報の収集も無意味ではない。何もせずに『もう駄目だ、降参だ』と言っても、結局臣下に見限られるからな。自分や他人を納得させるための材料集め、という意味がある」
「……ふふ」
「どうした?」
獅子子は笑いを漏らした。
それは小ばかにした笑いではなく、自嘲に近かった。
「いいえ……その材料集めは、まずうまくいかないでしょう」
「防諜に自信があるようだな……お前のようなものが多くいるのか?」
「違います、こちらの戦力は……いろいろな意味で、常軌を逸脱していますから」
彼女の自嘲の意味を、彼が知るのは相当後のことである。
だが彼女の漏らした笑いが、それだけ彼に印象を残したことは事実だった。
「では……まずはお時間を頂けて感謝しております。私どもとしても、其方に大きな混乱が起きることなく、穏当に終戦を迎えたいと思っておりますので……しばらくは、控えさせていただきます。できれば、再会がないことを祈っております」
「そうだな、お互いにそれが一番だ」
「ですが……一つ、お聞きしたいことが」
まずは、コホジウの決断を待つ。
コンコウリの選択に、獅子子は異論を唱えなかった。
おそらくジューガーも、接触できただけでも満足だろう。
だが、獅子子にはそこから踏み込んだことがある。
「あの荷車と飼料……そして瓶。アレは誰がもたらしたものですか」
「……そこか」
返答は期待していなかった。
だが、実にスマートな問いだった。
そして、おそらく獅子子がその気になれば、探ることは可能だった。
であれば、少しでも恩を売っておくべきだった。
「祀と名乗っていた。人間ではない、亜人よりは悪魔に近い輩だった」
「……ありがとうございます。即座にお返事が頂けるとは、思ってもいませんでした」
「別に……私にとってどうでもいいことだからな」
とても、酷薄な顔をしていた。
自国の勢力ではないだとか、亜人だとか、そういうレベルではない『どうでもよさ』があった。
「あの連中とは、同盟ですらない。いろいろと技術や道具を渡してきたが……いびつさが否めない。信用することはできない相手だ」
「よろしいのですか、背反行為では」
「大王様も、連中のことは軽蔑している。いざとなれば、あいさつもなく逃げ出すだろう。そんな輩に、通すべき筋などない」
祀、当然聞いたことのない組織である。
しかしながら、その存在を確かめることができたことは大きい。
彼女にとっては、十分な収穫だった。
全面協力しているわけではない、ということも合わせて確かめられたのだから、十分以上であった。
「感謝いたします。……返礼というわけではありませんが、私が知っている情報をお教えします」
「個人的な興味の対価としてか?」
「ええ、意味があるとは言えないものですから」
戦術的、戦略的価値のない情報も、使いようでは意味がある。
そしてそれは、彼女自身にとっても意味がある。
「私はそちらの大将軍である、ウンリュウ様の遺体を弔いました。これはこちらの大王様も存じておりません」
「!」
「加えて……盗み見る形ですが、ギョクリン将軍がお亡くなりになるところにも立ち会いました」
この情報は、彼にとってどうでもいいこと、ではないようだった。
ここに来て、彼は初めて動揺をしていた。
「お眠りを妨げることになるのであれば、ここまでに致しますが」
「いいや……教えてくれ。国士たちの死に様を」
コンコウリは、続きを促した。
目を閉じて、情景を浮かべようとしている。
あるいは既に、彼らを戦地へ送った時のことを、思い返しているのかもしれない。
「大将軍ウンリュウ閣下は十万の兵を率いて、ジューガー陛下が治めるカセイへと侵攻し、私共と衝突いたしました。私の上官であり、現十二魔将二席であるガイセイ様と戦い……見事な戦死を遂げられました。命が尽き果ててなお、倒れることはありませんでした」
「……」
「ガイセイ様は侵略者であるウンリュウ閣下へ敬意として、誰にも知られぬように弔うことを選び……獣が掘り起こせぬほど地中深くへ、私が葬らせていただきました」
酷な事実だったのかもしれない。
殺しておいて、勝手に埋めたのだと言っていたのだから。
「そうか、死体が辱められることはなかったか……では、ギョクリンは」
「王都を攻略するため十二魔将とアッカ公爵と戦い、勝利をおさめ占領に成功するも深手を負い、お倒れになりました」
知っていることではあった。
だが手紙を読むのと敵から聞くのでは、感じるものが大きく違う。
「そして……私が見たものは、既に息絶える直前に、最後の大将軍となられたチタセー様へ後を任せるお姿でした」
「……」
「気遣われるチタセー様は、なんとか安心させようと、取り繕ったことを伝えていたのですが、ギョクリン様はそれを見破り……嘘や冗談が下手だと、気遣いに感謝して……最後まで、この国のことを案じながら息を引き取りました」
嘘や冗談が下手。
なるほど、真実であろう。
確かにチタセーの戯れを、ギョクリンはそう言っていた。
「……私は、中央で政治を務めていたが、彼らの活躍は知っていた。央土だけではなく、北笛や南万との戦線も支えてくれていた……彼らは死んだか」
ああ、死んだんだ。
彼は、胸にすとんと落ちていくものを感じていた。
「はい」
「……そうか、ありがとう」
影に溶け込むように、獅子子の姿が消えていった。
残されたのは、途方に暮れるように立ち尽くす、一人の男だった。
「……陛下、我が国は限界です」
二人の英雄の死を、誰よりも身近に見た密偵。
その彼女から聞いた『死』は、どんな文章よりも重かった。
二人は、本当に英雄だった。
だからこそ、その死は、取り返しがつかないほど重かった。
コンコウリでさえ、耐えきれないほどに。
次回より新章
盗人を見て縄をなう




