ピュロスの勝利
獅子子は鮮度の高い情報を持ち帰ってきた。
もちろんその情報を知ったところで、いきなり圧倒的優位に立てるわけではない。
しかしそれでも、いくつか懸念事項が減ったことも事実だった。
「そうか……王宮は無事で、中に人を匿ったか……ありがたい話だ。アッカには後で何かをしなければな」
大将軍としての格を持つ者たちが七人いる。
それはある意味、想定の範囲内だ。十二魔将が壊滅していることも含めて、悲しいが仕方がない。
「とりあえず、最悪の事態は避けられそうだな」
「最悪の事態、ですか」
「自暴自棄になった西重軍が勝ちを放棄して、全員がバラバラになって暴れまわることだ。一人でも一国を滅ぼせる大将軍たちが、国家を滅ぼすことを目的にして暴れまわるんだぞ? 最悪と言わず、なんという」
敵軍のトップは、自国の滅亡を覚悟していない。
大将軍の下で自分たちが全力を尽くせば、まだ希望があると信じている。
これで大将軍が三人とも死んでいれば、誰が指揮を執るのかでもめて崩壊する……という都合の良い可能性も存在する一方で、ジューガーの懸念した可能性も発生する。
統率が維持されるのならば、なるほどありがたい。
「一人でも大将軍が生きていれば、しっかりまとめてくれるだろう。敵ではあるが、こういう時にはありがたいものだ」
「……そうですね」
彼女は老雄チタセーを見た。
引退したアッカよりもさらに高齢だったが、それでもしっかりとしていた。
アッカ同様に心の弱さもあったが、だからこそ六人の将軍たちをまとめていた。
「では、次は如何しましょう」
「しばらくはここで待機してくれ。敵が王都を占拠し、本国の意思を仰ぐ段階になった以上、私たちもとにかくカセイを出なければならない。私もしばらくはそれに集中するつもりだ」
「承知しました……敵の斥候などは如何しますか?」
「防諜は君の仕事ではない。できればやってほしいが、そこまで負担を強いる気はない。休めるときに休んでくれ」
獅子子が優秀であることは、今更ながら思い知った。
敵が占領している都市に侵入して、中の協力者と接触して、さらに敵の大将たちの話を聞いて帰ってきたのだ。
常軌を逸した怪物ぶりである。
だがしかし、だからといって無理はさせられない。
彼女には今後も活躍してもらわないといけないのだ、休憩も仕事の内である。
「それにだ……ウンリュウ軍を滅ぼした討伐隊の総力など、どれだけ頑張っても調べようがない。私も把握していないぐらいだからな」
「そうですね……」
シュバルツバルトの討伐隊は純粋な実力によってのみ選出され、通常のBランクハンターたちと違って素性や行状を一切問われない。
特に狐太郎と麒麟は、十二魔将になってもなお、一切経歴が分からなかった。
大公も知らないのだから、誰も調べようがなかった。
当人たちしか知らないのでは、裏などとれない。裏が取れない情報は、報告しようもない。
相手の諜報員たちが、今からかわいそうだった。
特に獅子子は、その潜伏能力、索敵能力を、ジューガーやガイセイでさえ長く知らなかったほどである。
「君たちも知らないぐらいだからな」
「そうなんですよね」
そして、それは継続している。
全体像を正しく把握している者は、いまだ誰もいなかった。
(いいのだろうか)
(いいのかしら)
今更実情を思い出して、少し不安になる二人だった。
※
手紙なども渡し終えた獅子子は、様々なことを反芻していた。
電撃的な出だしに比べて、ここからは政治や諜報の入り混じった長期戦になりそうである。
というよりも、短期決戦で終わらせようとしていた敵の目論見を、討伐隊がとん挫させたというべきだろう。
世間から全く評価されていなかった討伐隊の存在が、かくも戦局に影響を及ぼすとは。
世の中、何がどう役に立つのかわからないものである。
「……まあアッカ様から伝言も預かっているし、隊長へ報告しに行きましょうか。麒麟も蝶花も、心配しているかもしれないし……」
復興を諦めたので当然だが、カセイで瓦礫を片付けている区画はほとんどない。
食料などもほぼ発掘され、あとは運送の準備に入っている。
人々の心は既に、次にどの町で過ごすのか、へ興味が移っていた。
よく考えるまでもないことだが、大抵の民衆はカセイで暮らさなければならない理由などない。
ここまで完璧に崩れ切った街を再建するよりも、攻め込まれていない街に移り住むほうが楽だった。
もちろん現地では、街を広げるためにいろいろな問題が起きるのだろう。だがそれでも、相対的にはマシだった。
そして、正しく独裁者になったジューガーの命令である、という点も大きい。
命令なら仕方ないよな~~、逆らえないよな~~、一人じゃないしな~~、という奴である。
行った先でもそれなりに仕事が保障されるだろう、それを想えば多少は気が紛れていた。
「……果たして王都と、どっちが良かったのかしらね。比べるのも、失礼な気がするけど」
同じ街にあって、いつでも見ることができるけども、別の世界と言っていい王宮。その中へすし詰めにされて、すぐ外にいる敵に怯え続ける日々。
あるいは、逃げた先も崩壊していて、直ぐにまた別の街へ行かなければならない。
どちらかが王都の民の道だ。
「戦争ね……」
獅子子は、倒壊した街へ近づくときの気持ちを思い出した。
全力で戦ったけども、守るために最善を尽くしたけども、それでもどうにもならなかった。
敵は倒せた、人々も救えた。しかし……街は守れなかった。
「アッカ様は……これより辛いんでしょうね……」
誇れない気持ちが分かる。
誇れないままで、勝ち誇らなければならない。
それが英雄の在り方ならば、なるほど茨の道である。
「まあ無事ではあったのだし……ガイセイ隊長はきっと喜ぶ……あら」
抜山隊の天幕に近づくと、とんでもないことになっていた。
「……あらあら……って言っていいのかしら」
抜山隊の天幕が見えなくなるほど、たくさんの女性たちでごった返していた。
彼女たちは汚れているものの『派手な服』を着ていて、しかも『おめかし』までしている。
年齢層も幅広く、娘らしき小さな子を連れている女性までいた。
「……普段以上ね」
察するに余りある、とはこのことだった。
彼女にとっては他人事だが、この場の女性たちは全員が真剣であろう。
プロであろう女性たちに交じって、そうではない人たちもいる。初めてこういう恰好、こういう試みをしているであろう、慣れていない女性がいるのだ。
戸惑っている、恥ずかしそうにしているのだが、しかし逃げる気はない様子である。
取っ組み合いのケンカになっていないだけ穏当だが、だからこそ全員が石のように動かない覚悟を持っていた。
おそらく、道を譲ってもらうように言っても、絶対に通してくれないだろう。
「ねえ貴女、順番は待ちなさいよね」
そう思っていると、後方、一番外側にいる女性がそう言っていた。
その表情は、まさに鬼気迫るものがあった。
「わ、私は……」
「事情は全員一緒なのよ、私だってあの就任式からずっと並んでいて、何周かしているんだから!」
「そ、そうなの……」
「だから待ちなさい!」
気の強い女性だった。
おそらく本人も相当うっぷんがたまっているのだろう、イライラを獅子子へ遠慮なくぶつける。
どうやら、獅子子が亜人だと気づいていないようだ。
獅子子は背が高い方なので、『背が低い女性』だと認識している様子である。
もちろん、亜人だと気づいても、対応を変えることはないだろうが。
「もしも飛び越そうとすれば、衛兵が飛んできて捕まるわ! もう何人も、何十人も捕縛されているんだから!」
「そ、そうですか……」
おそらく、彼女も他の女性同様に、人生がかかっているのだろう。
もしかしたら、彼女だけではなく他の家族の人生もかかっているのかもしれない。
そう思うと、むしろ逆に抜山隊の隊員だとは名乗りにくかった。
(私が抜山隊だってわかったら、それこそシャレにならないわね……)
一旦退散して、土遁の術で地面を移動しようか。
そう思っていた時である。
「あ、アンタ! 麒麟様の御付きの!」
「……!」
彼女は、自分のうかつさに気付いていた。
遅かったが、気づいた。
よく考えれば、彼女もそういう場所に同行していて、それを覚えている人もいるはずだった。
「……」
「え? 麒麟様って、斉天十二魔将の……」
「……え、えっとですね」
周囲から、視線が一気に集まった。
そのうちの半分以上、獅子子を遠くから見たことのある女性たちが反応した。
「あ~~!」
(あ~~あ……)
彼女は、この後何が起きるのかを概ね察した。
そして、実際に、直ぐにそうなった。
「貴女! 抜山隊の隊員で! 麒麟様の御付きの人よね!」
「もう一人の人と一緒だったから、よく覚えているわ!」
「西原のガイセイ様と、麒麟様の二人と親密なのよね!」
「私のこと憶えてる?! 憶えてるでしょう?!」
圧力が凄かった。
狐太郎も何度か味わった、人の意思の力である。
「ねえ! お願いがあるの! ちょっとでいいから、後で私のことを……」
「ず、ずるいわよ! それは私が……」
「こんなところでこんなことをしてても、意味がないってわかってるの!」
順番待ちをしていたであろう女性たちの流れが、一気に反転した。
ほぼ全員が獅子子より大きい上に、全員が必死である。
失礼な言い回しだが、獅子子を地獄へと引きずり込む亡者の群れに似ていた。
「お前達! 何をしている!」
「十二魔将二席、西原のガイセイ様、同じく六席、原石麒麟様方のいらっしゃる天幕の前で騒ぐとは何事だ!」
「全員連行だ! そもそも毎日押しかけてくるな!」
控えていたであろう兵士たちが、慌ててかけてくる。
女性たちも必死だが、彼らも必死だった。なにせ十二魔将二人が控えているのだ、何かあれば責任問題である。
近衛兵が一般兵に守られているわけなのだが、立場や身分の差を考えれば当然だろう。
一般兵たちにしても、ガイセイ達に嫌われるわけにはいかないのだ。
「ちょ、放しなさいよ!」
「私たちが誰だかわかってるの?! ガイセイ様にお酌したことがあるのよ!」
「私なんて、お店で相手をしたこともあるんだから!」
「だからと言って、暴れてよいわけがあるか!」
「どんな事情があろうが、暴れれば犯罪者だ!」
(それをガイセイ隊長や麒麟の前で言うのは如何かしら?)
もみくちゃにされながら、獅子子は過去を省みていた。
特に理由もなく暴れていたのは、ガイセイだった気がする。
大義を掲げていたとはいえ、暴れていたのは自分や麒麟だった。
「お前も来い……ん? もしや千尋獅子子様では?」
「これは失礼をしました、どうぞ中へ……」
「これはご丁寧に……」
流石に獅子子ごと連行、ということはなかった。
兵士たちは獅子子に気付いて、彼女だけを天幕へ案内した。
まるでVIP扱いである。というか、VIPである。
(めっちゃ疲れたわ……)
もみくちゃにされていた彼女は、解放されても体力を吸われた気分だった。
王都からここまで往復で走ってきた疲労が、一気に襲い掛かってきた気分だった。
そしてようやく休めると思って天幕へ入ると……。
「おう、お疲れ……」
「し、獅子子さん……」
そこには、ガイセイと麒麟がいた。
麒麟もガイセイも、まるで戦争が終わった後のように、物凄くやつれていた。
「……実はな、獅子子……俺も最初は、どんだけ来ても捌けると思ってたんだよ。俺だけじゃなくて麒麟もいるしな……でもなあ……終わりがねえんだ……」
豪傑ガイセイが、疲れ切っていた。
それは愛する妻に囲まれて困っていた、アッカにとても似ていた。
流石師弟、失敗も似ている。
「隊長が見栄を張るから……女が来すぎて無理とか言えないから……僕も巻き込まれて……!」
麒麟が泣いてた。
終わりの見えない求愛行動に、心身ともに疲れ切っていた。
「初日はげらげら笑えたんだが……何日たっても途切れなくてな……」
「人生がかかっていますからね……」
ガイセイも同様で、『女性』に負けていた。
おそらく彼の人生で、初めてのことであろう。
「それはそうでしょう……女性を侮りすぎですよ」
彼女たちは商売ではなく、遊びでもなく、全力でガイセイや麒麟に縋り付いたのだ。
完全に逆効果であり、別の意味で攻略しかけていた。
「全然楽しくなかった……」
「それはそうでしょう……」
ガイセイが女性に恐怖を抱きかけていた。
麒麟も、大分前にそうなっていた。
間違いなく、女性たちの勝利である。
彼女たちは何も得ることができなかったが、ガイセイを倒したのだった。
※
元Bランクハンター、抜山隊隊長。
現Aランクハンター、十二魔将二席、西原のガイセイ。
いつも大金をもっていて、それをばらまいてくれる。
子供でも知っているような伝説のモンスターを倒したという大ぼらを吹いていて、何をしているのかわからない。
そんなガイセイが本当に実力者で、侵略者を打ち砕き、斉天十二魔将の二席にまでなってしまった。
それだけなら、ここまでの事態にはならなかっただろう。
だが王都にまだ敵が残っていて、しかもカセイは放棄するという。
これで、明るい未来、あるいは昨日までの日々が戻ってくると思う人はいない。
そういう商売をしていた女性たちも、そうではない女性たちも、同じように不安だった。
だがその不安を解消し、さらに逆転する方法が一つだけある。
普段から遊び歩いていた、女好きで知られるガイセイである。
彼に取り入って、彼の妻……とは言わないまでも、専属の情婦にでもなれれば、そうした不安から逃れられる。
それどころか、物凄い豪邸的なところで優雅に暮らせて、家族もみんな幸せ(ふわふわとしたイメージ)。
そして実際、その通りだった。
アッカの周囲にいる女性たちは、アッカによって子供と一緒に守られていた。
敵軍に攻め落とされた街の中でも、安全が全面的に保証されていたのである。
それを知るわけがないのだが、彼女たち全員がそれを求めていたのだ。
人間として、生き物として、当たり前のことである。
「お忍びで遊ぶお貴族様の気持ちが分かった……多い……」
「大きな娘さんがいらっしゃる女性の方が、薄い服を着て四方八方から……そして娘さんも四方八方から……そうじゃない人も四方八方から……それが四六時中……トイレに行こうとしたら、トイレの中でも鮨詰めで……」
数に物を言わせたかったわけではないだろうが、結果として女性たちの数の暴力が、大将軍さえも倒したガイセイを倒していた。
誰もが手を取り合わなくても、多数で間断なく攻め続ければ、屈強な戦士も倒せるのだ。
(不毛だわ……)
「他の奴ら……全員初日で逃げやがった……俺を置いていきやがった……」
「蝶花さんも逃げました……なんか『ごめんなさい! 困っている人がたくさんいたの!』とか言って……」
幸せになりたいという女性たちのエネルギーには、死地へ飛び込む抜山隊の隊員も、次元を超えても断ち切れなかった仲間の絆も敗北していた。
どうしてこうなったのだろうか、誰もが幸せになりたかっただけなのに。
「畜生……格好悪いぜ……西重の奴らが、カセイを滅ぼしたからこうなったんだ……」
「違います……ガイセイ隊長が『どんどんこい!』って言ったからです……降参しなかったからです……」
(男の見栄って大変ね……)
人間は愚かだ。
獅子子は呆れながら、人間の愚かさを見つめていた。




