身から出た錆
さて、大戦略は理解できた。
少なくとも、聞いている限りでは、死んで来いという命令ではなかった。
狐太郎に役職という名の箔をつけたのも、つまりは重用の証でしかない。
ここまで聞けば、狐太郎の特異性が改めて求められている。
彼が首を上下に振るか左右に振るかで、国家の命運が左右されるだろう。
(なんで俺が国家の命運を上下左右させなきゃならんのだ)
改めて、狐太郎に視線が集まっている。
先ほどのことを想えば、彼の発言に文句をつけられるものはいないだろう。
極論大王がその気になれば、この央土が本気になれば、それなりに傷を負うが勝てるのだ。
むしろそちらの方が、正しいと言えるだろう。大王もリァンも、ダッキもそれに不満を言える立場ではない。
「みんな。俺は昨日、結論を先送りにした。それでこれだ……一体でも嫌がるのがいるのなら、俺は誰がなんと言おうと逃げる。もちろん俺自身も、嫌だと思えば逃げる」
狐太郎は、不動の覚悟を込めていた。
「結局、やることは人殺しだ。褒められたもんじゃない」
あえて、酷薄なことを言う。
狐太郎は、やると決めたら続ける男だ。
だが今は、続けるかどうかの分岐点である。
ならば、止める可能性もあった。
「どう言いつくろおうが、それが本当のことだ。とんでもなく恨まれるだろう」
それを聞いたホワイトは、先日のことを思い出す。
他でもない己自身が、数万の敵を埋め殺したときのことだ。
あの時の迷いを、今の彼もしているのだろう。
「ここで逃げても、同じことだろうな。それなら……人を殺して嫌な気分になるよりは、人を殺さなかった方がいいだろう」
悲鳴のように懇願をしようとしたダッキの首を、リァンが片手で絞める。
首の骨が折れてもいい、その覚悟で絞めていく。
狐太郎の発言は、的外れではない。
起きて然るべきことへ、当然の危惧をしているだけのこと。
もしもここでごまかしても、後で確実に向き直すことになる。
だからこそ、狐太郎にも、四体の魔王にも、迷う権利があった。
時間が過ぎていく。
貴重な時間が、慎重に消費されていく。
ダッキの顔が、段々青くなっていく。
「ご主人様。おっしゃる通り、この件は慎重に決めるべきことでしょう」
最初に切り出したのは、大鬼のクツロだった。
「特に私やアカネにとっては、同種を死地へ誘う行為。冠の権威を笠に着て、特に関係もなかった者たちに負担を強いる行為です」
もちろん、相手の了解は得る。
だがしかし、それは洗脳や扇動と変わらないだろう。
魔王と一緒に戦える栄誉を上げるから、初めて出会った私のために命をかけてね。
それは余りにも、不義理で横暴だ。
そもそも彼女たち自身が、それを振り切っている。
王冠の権威を交渉のきっかけにすることはあったが、少なくともそれでそのまま命をかけさせたことはない。
だからこそ、四体の魔王は健全でいられたのだ。
「それ故に、前提から検討する必要があります。大王陛下、失礼を承知で伺いますが……そもそも、戦わずに済む方法はないのですか?」
大王が立てた作戦そのものには、そこまで無理がない。
しかしそれは、王都に立てこもっているであろう、西重の軍と戦うことが前提だ。
もしも西重の軍と戦わずに済む手段があるのなら、この議論自体が無駄である。
そして、西重憎しで戦う結論ありきならば、それこそ力を貸すに値しない。
「……!」
しかし、その質問自体が、ある意味では挑発的だった。
キンカクたちやリゥイ達には、戦わずに済む方法を探ろうとすること自体が腹立たしかった。
「ある、と言えばある」
にやりと、彼は笑って答えた。
「もちろんあるとも。というよりも……今回の作戦は、それがあるからこそ成り立っている」
憎い敵との戦いを避ける方法、それを語るにしてはあくどい顔だった。
「まず……ウンリュウ軍の全滅を知れば、王都の敵はなによりも分散を恐れる。二手に別れれば、我等に各個撃破される可能性があるからな。実際のところ、そうしてくれればありがたい。ご希望通りに各個撃破してあげよう」
おそらく王都に残っている敵は、ウンリュウ軍よりも多い。
だからこそ大王も速攻での対決を避け、戦力を用意しようとしている。
「だがそうなると、二十万からなるであろう軍が足を引っ張る。王都には備蓄や居住区があるが、他の都市にはまずないからな。分散できない以上、敵は王都からうかつに動けない」
如何に戦力的には低いとしても、二十万の軍はすなわち二十万の国民でもある。
戦争に勝ったけども二十万の兵士が死にました、ではシャレにもならない。
どうやって兵を維持するか考えれば、王都をうかつに動けないのだ。
「さて、その状況を把握した西重の政治家はどう考える? 想定外の戦力によってウンリュウ軍を喪失し、残った軍もうかつに動けない。そして……私たちが、いつ本国へ奇襲をかけるのかもわからない」
この場の面々でがら空きの西重本国へ奇襲をかける。
それはもう、あっさりと陥落させられるだろう。
「まあ……まともな考えの持ち主なら、私たちとの和睦を考えるだろう。王都を占領している軍を撤退させるので、今回の戦争は終わりにして欲しい、とでもな」
なるほど、まともな話である。
大王を殺された央土が、受け入れるかはわからないが。
「だが……それはそれで、西重にとっては不都合なのだ。なにせ西重は、他の三つの国を既に動かしているからな。もしもこのまま戦争が終結すれば、三つの国はまったく領地を広げられず、軍隊を動かした戦費を消費しただけになってしまう」
敵の敵は味方、ではない。
敵の敵は、やはり敵でもある。
むしろ、自分以外は敵なのだろう。
「当然、戦争を求めた西重へ戦費を要求するだろうな。今回の戦争で得をしたわけでもない西重が、払いきれないほどの額を。自分の分を含めれば、小国四か国分の戦費……恐ろしい」
自分以外の力を利用した報いだろう。
約束していた利益が空手形に終われば、後に残るのは返せなくなった借金、不良債権である。
「もしも払えなければ、ウンリュウを失った西重へ他の国が攻め込むだろう。そうなれば、結局同じことだ」
なるほど、聞いている方が哀れになるほど、気の毒になる詰みっぷりだった。
まさか防衛戦争で戦力を集中させられるわけもなし、ゲームなら投了するところだろう。
だがこれは、ゲームではない。取り返しがつかない。
「とはいえ、何もかもが決定的に破綻しているわけではない。憎らしいことに、敵が王都を占拠していることは事実であり、この場の討伐隊の総力を超える戦力が残っていることも確実だ。よって……こちらもうかつなことはできない」
人間が皆頭がいいのなら、そもそも戦争など起きない。
こうなっている時点で、既に敵の頭は悪い。
だからこそ、賢明な選択だけをする、ということは期待できなかった。
「私たちが報復として敵本国を蹂躙すれば、相手が勝ちを放棄して命をかけて嫌がらせをしてくるかもしれない。例えば全軍がバラバラになって、央土の各地を襲う……などな」
ある意味では、お互いに『犠牲を減らしつつ優位を保ちたい』という希望があるからこそ、被害が抑えられている。
双方が『無力な敵』を大量に殺せる状況だからこそ、膠着状態に陥りえる。
「向こうから攻めてきたのに、勝手だとは思わないかね」
素の、素朴な、軽蔑だった。
ある意味、ブゥに近い。
「とはいえだ、私も同じだろう。報復できるのなら自国民がいくら死んでもいい、と思っているわけではない。クツロ君が言うように……相手が損を受け入れて引き下がるのなら、それはそれでアリだ。不本意な者もいるだろうが、相手が馬鹿だからと言って、こちらも付き合うことはない」
今のジューガーにとって、この場の面々こそが権威の裏付けである。
討伐隊に見限られたり、或いは戦争で失えば、そのまま彼の失墜を意味している。
うかつに死なせられないし、できれば戦わせたくもない。
その意味では、大王も狐太郎も大差などない。
「これから私は、時間稼ぎも兼ねて西重と和平交渉をする。もしも相手が王都を放棄して大人しく引き下がるのなら、そこから先の追撃は考えない。もちろん、相手がツケの支払いに困っても助ける気などないがな」
「なるほど……承知しました」
大鬼クツロは、理性的に大王の策を理解した。
「できれば殺したいが、相手次第だ、ということですね」
「そう思ってくれ。戦争の準備自体はする、が……戦争するかどうかは、西重の決断に任せる」
クツロの質問は、正しく返答された。
迂遠ではあったが、必要な説明だった。
ある意味当たり前の話だ。
相手が攻め込んできたのだから、戦わずに済むかどうかは相手次第だ。
「卑怯とは言わせんさ、私たちの国の中で軍隊を動かして何が悪い。交渉の期日は明確に設けるし、それを一日でも過ぎれば攻撃する、とも伝えておく。それが我慢の限界だよ、王都を占領されている者としてはね」
今、カセイの人々はかろうじて行動できている。
既に王都が落ちていることを知っている者もいるが、しかし現に一度殲滅している事実が支えになっている。
だからこそ、瓦礫の中でも茫然としないのだ。
だが王都の人々は、どうか。
逃げてきている人たちは、残っているかもしれない人たちは。
今すぐ助けて欲しいぐらいではないか。
大王ならば、そうするべきではないか。
「作戦は以上だ。娘も言っていたが、君には権利がある。この戦略を決め、君に、君のモンスターに、何もかもおっかぶせている男に、何を言っても許される。言ったうえで……逃げることもできる。この場の誰も、君を追うまい」
長い話が終わった。
さて、決断は如何に。
「わかりました。嫌ですけどお受けしましょう」
消極的に、彼は運命を受け入れた。
「ただし、クツロが言うように……亜人の傭兵に関しては、余り無茶はさせたくありません。この国の人間で賄えることは、極力この国の人間で何とかしてください」
「うむ、当然だな」
「ドラゴンズランドのドラゴンたちも……」
狐太郎は、クラウドラインの長老の言葉を思い出していた。
人間と直接の利害がないからこそ、遠くから眺められるだけにとどめられているのだと。
彼の想いを、無駄にしたくなかった。
「人間を殺させない、殺す現場にいさせない、ということを相手にも言ってください。もちろん、遵守もしてもらいます」
「そうか……些か残念ではあるが……結果は同じようなものになるだろう、構わない」
極論、相手から疑念を引き出すだけでも十分だ。
そもそも竜の長であるクラウドラインを従えている、というだけでも破格なのである。
その事実が、彼をより大きく見せるだろう。実際に戦わせる必要さえない。
「それでいいか、みんな」
狐太郎は、改めて四体に問う。
この条件でいいのかと、魔王たちに問うた。
「……ドラゴンの扱いが情けないんだけども」
「じゃあ戦わせるのかよ」
「それは嫌なんだけども」
アカネもまた、狐太郎の意見に賛成ではあった。
ドラゴンズランドのドラゴンは、基本的に遠い存在であるべき。
ただの縁起物として、見上げられるだけの存在であればいい。
もしも利害が発生すれば、それだけで彼らの立場を危うくしてしまう。
なので戦争に参加させないことは正しいのだが、つまり彼ら若人を保護するということである。
Aランク中位、下位のドラゴンが戦わないのに、亜人たちは戦うのかもしれないのである。
ましてや、精霊や悪魔は、ほぼ動員が決定している。
「めちゃくちゃ格好悪い……!」
アカネは竜王として、体裁を大事にしていた。
やはり面子は大事、ということだろう。
なお、ショウエンは凄く頷いていた。
「わかった。では君のドラゴンには、すごく目立って、人の役に立って、人から尊敬されて、人と戦わない仕事を割り振ろう」
「……文章にするとめちゃくちゃ情けないですね」
「そう言わないでくれ、実際必要な仕事なのだ。請け負ってくれないと困るのだよ」
超強いドラゴンが、超甘やかされている。
この現実を、竜王アカネは受け入れかねていた。
「では改めて……狐太郎君の要求は、極めてまっとうだと思っている。私はすべてを受け入れるが、君たちもそれで構わないか」
一同は、沈黙で応えた。
「では……王都からの避難民を受け入れ次第、私は大王として名乗りを上げ、この国に安定を取り戻す! 我が将たちよ、力を貸してくれ!」
狐太郎たちを含めて、討伐隊は拍手を以ってジューガーを称えた。
大公から大王になった、カセイの主から国家の主になった、偉大なる長に敬意を示す。
それを見て、改めてキンカクたちは震えた。
これだけの傑物が、新しい大王を支えている。
この国はまだ負けていない、まだ立て直せる。
大王が死んでも王都が陥落しても、まだ立ち直れるのだ。
「キンカク、ギンカク、ドッカク! お前達も泣いている場合ではないぞ!」
己の背後に控えていた三人へ、大王は檄を飛ばした。
「私の即位を終え、獅子子君が戻り次第、現在の状況を、東、南、北の大将軍たちに伝えるのだ! 兄の代から十二魔将であるお前達にしかできないことだ、任せたぞ!」
「はっ!」
「それからリァン!」
「はい、大王陛下!」
父親の即位ではなく、即位が認められるほど尊重されている、その事実に感動しているリァン。
そんな彼女へ、父親は命令を下した。
「そろそろダッキの首を解放しろ、次の女王なのだぞ」
「ああ、そうでした」
この世界の住人は頑丈なので、なんの問題もなかった。
 




