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剛毛大熊。
ギガントグリーンの半分ほどの大きさだが、それでも人間に比べればはるかに大型である。
熊特有の四足歩行と二足歩行を切り替える骨格を持ち、四足歩行時でさえ象よりもさらに大きい。
動物型であるがゆえに高い機動力を持ち、飢えている時は非常に獰猛で危険である。
加えて番いで行動する生態があり、二頭そろって遭遇することも珍しくない。
念のため明記するが、二頭合わせてAランクではない。
片方であってもAランクに相当し、他のAランクモンスターにも勝利できる。
それが二頭そろって『協力』をするのだから、恐ろしいという他ない。
「アレがハードベアー……」
公女リァンは、その姿を見て震える。
なまじ知識があるからこそ、遭遇したことへの恐怖が増すのだ。
「おお……ギガントグリーンを食っている!」
大公はAランク同士の捕食をみた。
地に倒れうごめいているギガントグリーンを、二体のハードベアーが食べ始めた。
枝葉を食べているわけではない、既にコゴエが全て切り裂いている。果実の類は最初からない、よって食べているのは、硬質な樹木そのものだった。
アカネやクツロが必死になって破壊した大樹を、ハードベアーの強靭な顎はかみ砕いていく。
著しい生命力を持つギガントグリーンにとどめをさしたともいえるが、さらなる強敵の出現としか思えなかった。
ガイセイのような例外を除けば、誰もが『満腹』を期待してしまう。
Aランクを認定するという意味では、むしろハードベアーが襲い掛かってくることを期待するべきだ。
だがこの怪物を相手に、戦わずに済むことを期待せざるを得なかった。
ギガントグリーンに比べればあまりにも小さい人間たちなど、見逃してほしいと思ってしまう。
しかし、そんなうまい話はなかった。
上半身と下半身を分け合った二体の巨大な熊は、そのまま人間たちに視線を向ける。
彼らは、飢えていた。
「デカい熊ねえ……この世界のモンスターは、本当に野生動物って感じで風情がないわ」
ササゲは余裕のない顔で、二頭の熊を見上げる。
クツロが一撃を受けたことを除けば、ギガントグリーンとの戦闘で怪我はない。
しかし体力を消耗している、という点は大きかった。特にアカネとクツロはひたすら連続攻撃をしていたので、息がとても荒くなっている。
「泣き言は聞かないわよ、アカネ」
「わかってるよ、クツロ。私はまだまだ全然平気!」
しかし魔王を倒した四体である、この程度の消耗で弱気になることはなかった。
なによりも、この四体には『得意分野』こそあっても、『専門分野』というものが存在しない。
アカネとクツロが少し疲れているのなら、コゴエかササゲが主体となって戦うだけの話だった。
「仕方ないわね……私がタイカン技を使うわ」
「承知した。苦戦すれば言え、私もタイカン技を使う」
「そうならないようにしたいわね」
前回と明らかに違うのは、狐太郎がこの上ないほど完璧に守られていることだろう。
ガイセイがいる以上は不意にAランクモンスターが襲ってきても問題はなく、Bランク以下なら白眉隊で対応でき、それでもだめなら一応は抜山隊の隊員も動く。
目の前のAランクモンスター二体に集中すればいいだけなので、焦る必要性がまったくない。
「ご主人様の前だもの……張り切っていくわよ!」
両の拳をぶつけ合わせて、ササゲが笑う。
「人授王権! 魔王戴冠!」
圧倒的な魔の流れが、ササゲから吹き荒れる。
「タイカン技、魔王降臨!」
人間の味方とは思えないほどの、禍々しい暗黒の力があふれ出す。
タイカンを終えたササゲは、恐ろしいほどの美しさをもつ悪魔に進化していた。
先ほどまでは、Bランクの上位に収まっていた彼女が、Aランクに達した瞬間である。
「敵ではなかったことを……喜ぶべきなのだろうな」
ジョーたち白眉隊が、今のササゲを観るのは二度目である。
それでもやはり、全身の毛が逆立つことを感じていた。
ましてや、他の面々は恐怖する。
ただの野生動物ではなく、知性のある悪魔がAランクに達している。
恐怖を感じるな、という方が無理だろう。
Aランクのハンターになるには、Aランクのモンスターを複数倒せることだけが条件である。
では逆に、Aランクのモンスターはいかにして定義されているのか。
矛盾しているが『Aランクのハンターでしか倒せない』ことだけが条件である。
しかしこれは、極めて単純で明確な基準である。
つまり『伝説の英雄』と『伝説の怪物』が、共にAランクを与えられるからだ。
努力や戦術、知恵や相性。それらではどうにもならない、ただの実力差。
生まれながらに最強となることを運命づけられたものたちに与えられる階級こそ、Aランクなのである。
この場の人間たちは、ガイセイを見てしまう。
この場で唯一、Aランクに対抗できる人間にすがりたくなってしまう。
もしもの時は、この男に頼るほかないのだから。
「頼られる男ってのも考えもんだな、狐太郎よう?」
「え、ええ?!」
「ほらほら、応援ぐらいしてやったらどうだ? お前のために頑張ってるんだし」
なお、ガイセイは緩かった。
他の面々と同様に恐怖している狐太郎へ、難易度の高いアドバイスをする。
(え、ええ?! 俺も怖いんだけど! むしろこの場で一番怖がってるんだけど!)
当たり前だが、狐太郎もまた怖がっていた。
初めて見る戴冠した姿に、生物としての恐怖を感じてしまう。
(普段の姿には慣れてきたけど、魔王になったら怖いに決まってるだろ! 絵じゃないんだぞ、実物の魔王だぞ!)
しかしそれはそれとして、感情や理性的には応援したほうがいいと思ってしまう。
(でも怖がったら悲しむだろうし、場合によっては俺を嫌うかもしれないしな……)
怖い相手に怖いと言う、恐ろしい相手に恐ろしいと言う。
それは大抵、善くない結果を生むものだ。
「あ、う……」
喉が詰まりかけるが、なんとか声を絞り出す。
(何もできないけども……せめて、応援ぐらいは……!)
応援することしかできないが、応援をすることさえ困難だった。
ササゲ本人が放つプレッシャーが、狐太郎の体力を削っている。
その彼女を応援しなければならない、なんという苦行だろうか。
(今までテレビの中でヒーローを応援する一般市民のことをバカにしてて悪かった……! あと悪役っぽいヒーローを応援しなかった市民にも悪かった……!)
しかし、それでも、なんとかする。
(ここで応援しないとヤバい! いろんな意味で!)
保身の意味もある、だがそれだけではない。
「さ、ササゲ……! ササゲ~~!」
狐太郎は、勇気を振り絞っていた。勇気だけでは足りないので、損得勘定や自棄なども合わせて叫んだ。
「頑張れ~~!」
子供じみた応援は、なんとかすることができた。
(よくやった! よく頑張った! 凄いぞ! 本当に、我ながら尊敬する!)
狐太郎は、反応を見ることもなく自分を褒めていた。
相手が喜んでいるのか、そもそも聞こえていたのか。
それらさえ確認せずに、地球の平和を守り切ったかのような疲労と充実感に浸っていた。
(俺は……もう駄目だ。限界を超えた反動で……意識さえ……)
なお、ササゲはその声を聴いていた。
ちらりと見れば、自分のことを怖がっている狐太郎がいて、そのうえで応援していた。
(流石に怖がられたものよね~~)
狐太郎のために戦っているのに、狐太郎に怖がられている。
その状況に対して、彼女の内から湧き上がってくる感情。
(不謹慎だけど、そそられるわね~~)
それは歓喜だった。
今はそれどころではないと分かっているが、やはり嬉しいらしい。
悪魔である彼女は、自分の不利益にならない範囲で、怖がられるのが好きだった。
とはいえ、それどころではない。魔王の姿で巨大な二頭の熊と対峙する。
「いいな~ササゲ。私も応援された~い」
「……そうね、正直うらやましいわ」
「後にしろ」
不満そうな同僚からの嫉妬も快く、彼女は万全の心境だった。
「じゃあ……やりましょうか」
目の前の熊は、今にも襲い掛かろうとしている。
さて、如何に料理すべきか。ササゲは遊びを捨てて、真剣に向き合う。
目の前の巨大な熊は、決して痛めつけて遊ぶような相手ではない。
「キョウツウ技、ホワイトファイア」
突如として、閃光が走った。
超高温の炎が一瞬で発生し、巨大な熊を二体まとめて呑み込んだのである。
魔王の姿で放てば、キョウツウ技でさえも通常の比ではない。
むしろ基礎力の圧倒的な向上こそ、魔王の真骨頂ともいうべきなのだろう。
タイカン技の火力など一発芸。普通の攻撃が強大になっていることこそ、相手にとっては深刻なことだろう。
だがしかし、それは相手も同じことである。
「……こんなんで死ぬなんて思っていないけど、まさか焦げもしないとはね」
全身を体毛でおおわれているハードベアー。
常識で言えば、白熱の炎に呑まれれば、焦げるどころか炎上するはずだった。
しかし、現実はどうだ。ハードベアーの体毛一つさえ、燃やせていない。
剛毛大熊。
すなわち強い体毛に守られた熊である。
打撃斬撃への硬度、耐性で言えばフルアーマーレオに劣るだろう。
しかし、その分厚くも密度の濃い体毛は、特殊な脂が張り付いている。
ハードベアーはそれによって、熱や冷気の攻撃をほぼ無効化する。
もちろんアカネの持つ火竜のタイカン技ならばその限りではないだろうが、火や氷を得意としているわけではないササゲでは荷が重い。
「……魔王になった私でも、キョウツウ技じゃ無理そうね」
些かプライドに傷がついた。
タイラントタイガーでさえ通常のホワイトファイアに耐えたのだから、Aランクのモンスターに魔王のホワイトファイアが効かなくても不思議ではない。
だが魔王になって尚、傷をつけられない野生動物がいることは、彼女にとって腹立たしかった。
しかし、怒っているのはハードベアーも同じこと。
ただでさえ腹が空いて気が立っているのに、小さい『羽虫』がいきなり光って焙ってきたのだ。これで機嫌が良くなるわけもない。
凶暴な熊は、二体そろって襲い掛かる。
技と言えるほどのものではないが、しかし陣形と言う名の戦術はあった。
二体が同時にとびかかり、左右から挟みこむ。巨体を生かした挟撃、突撃は、さながら巨岩が高速で飛んでくるようだった。
「まず一体潰すわ、合わせなさい!」
その速さに、ササゲは背筋が凍る。
魔王にあるまじきことだが、当たれば無事では済まないと分かってしまう。
情けなくも苛立たしいことに、仲間の力を勘定に入れざるを得なかった。
「シュゾク技……陰気な悪魔!」
彼女が使った技は、攻撃ではない。厳密には、弱体化ですらない。
武器などの武装を重くする陽気な悪魔と対を成す、肉体そのものを軽くする陰気な悪魔。
本来なら、ハードベアーほどの巨体を、風船の如く浮かび上がらせるほどの効果はない。
しかし魔王になったササゲのシュゾク技である。その効果は、まさに劇的であった。
それを受けた二体のハードベアーは、自分の体が浮き上がっていくことを感じていた。
突然の浮遊感に困惑するが、それに気を取られたこと自体が既に遅かった。
「シュゾク技、鬼拳一逝!」
跳躍したクツロの拳が、ハードベアーの内一体を吹き飛ばす。
軽くなっているということは、簡単に弾き飛ばされるということ。
自分よりもはるかに小さいはずのクツロに、殴り飛ばされるという理不尽。
せめてもの抵抗とばかりに手足を動かすが、それでも翼をもたない熊はただ後ろへ飛んでいく。
「ショクギョウ技……厳冬一割」
孤立し、浮かび上がるハードベアー。
それに対して、コゴエは刀を突き込んだ。
彼女の持つ刀そのものに、鋭利な氷の刃が構築されていく。
「石突凍滝!」
それは、一振りで砕け散る一刀。地面にまで伸びた氷が固定の役割を果たし、熊を迎え撃つ塔と化していた。
あまりにも大振り故に、本来なら回避が可能なはずの一撃。相手の突撃を迎え撃つ以外には、役目を持たない技。
しかし、浮いている熊は気づかない。自分のさらに上空に、火竜が跳躍していることに気付かない。
「ショクギョウ技……ドラゴンメテオ!」
上空から、全体重を込めて突撃をするという単純な攻撃。
しかし死角をとり、不意を突き、何よりも急所であるはずの頭部を狙っている。
「シュゾク技、陽気な悪魔!」
そして、ササゲの呪詛が追加される。
武装を重くするという技が、重武装をしている空中のアカネにかけられた。
その意味するところは、落下技の威力上昇であった。
「だあああああああ!」
何もかものタイミングが一致する。
下から切り上げる巨大な刃、頭蓋に突き刺さる火竜の槍、そしてハードベアーにかけられた軽量化の解除。
ハードベアーは腹部に当たった巨大な刃へ、自分の全体重をかけてしまう。
それがただの冷気ならばさほどの効果もないが、自分の体重を利用された刺突ともなれば話は別である。
腹に深々と突き刺さり、体毛や毛皮をぶち抜いて体の内側へ達してしまう。
そして、それさえも些事。
後頭部に着弾した、加重された槍。
それは大熊であっても急所たる脳を突き刺さり、さらに攪拌していく。
巨大な熊はしばし体を痙攣させ、まるで虫けらのようにじたばたともがき、程なくして停止した。
脂分を含んだ体毛は、あふれる体液によってさらに汁気を増していく。
「クツロ! わかってるわね!」
「言われるまでもないわ!」
後方に吹き飛んでいたハードベアーが、怒りに燃えて突撃してくる。
それは自分を吹き飛ばされたが故か、あるいは片割れの死を知ったからか。
いずれにせよ、飢えを満たす以外の目的を得て、さらに怒り狂っている。
「キョウツウ技……ゴールドブロック! ブラックトルネード!」
しかし……それは、死への突撃である。
全力疾走をしている、四足歩行の熊。
それは必然的に、とても不安定な状態だった。
足元に出現した金色の土塊に加えて、上空へ巻き上げていく黒い竜巻。
それは巨大な熊を躓かせ、さらに巨体を一瞬だけ浮かせていた。
「ショクギョウ技、鬼炎万丈」
その一瞬さえあれば、クツロには必殺の一撃が使えた。
「ショクギョウ技、鬼相転涯!」
浮いている前足を両手でつかみ、ひねりながら投げる。
相手の勢いを利用した、必殺の投げ技。
それは相手が重いほど、速く動いているほど、力が強いほどに効果を増す。
怒りに燃えた熊は、その怒りで自らを滅ぼす。
投げられた熊は、受け身を取ることもできずに脳天から地面に衝突した。
その勢いたるやすさまじく、大量の体液をばらまきながら、地面に長い轍を刻んでいった。
さしものAランクモンスターも、自分自身の全力を無防備な急所で受ければ、そのまま死ぬしかなかった。
「ふぅ……まあまあスマートだったわね」
魔王の姿を解除したササゲは、肩で息をしながら地面に降りる。
タイカン技とは、魔王になる段階と、魔王の全力を発揮する二番目の段階がある。
ただ魔王になって戦うだけならば、その消耗はある程度抑えられる。
とはいえ、今すぐに魔王になることは流石に不可能だった。
それでも他の三体はまだタイカン技を使える、この後もAランクとの戦闘は十分可能だった。
「すばらしい……なんという、なんというモンスターたちだ」
大公は求めていた結果を得て、興奮と感動を禁じえなかった。
やはり心のどこかで不安に思っていた。Aランクに相当するモンスターを四体も従えている無力な男など、本当に存在するのか。
それが証明された今、彼は何も恐れていなかった。
「狐太郎君! 君こそまさに、Aランクに相応しい!」
隣にいる狐太郎へ、偽りのない称賛を向ける。
「……」
今まで誰も気づいていなかったが、狐太郎は倒れて動かなかった。
「狐太郎君?!」
彼は耐えられなかったのだ、この戦いに。
やはりついてくるべきではなかったのだ、この森に。
「ヒールエフェクト、ライフセイバー!」
倒れている狐太郎へ、リァンが必死の救命を試みる。
温かくも柔らかな光が、彼の体を包み込んでいた。
「ど、どうしました、ご主人様?!」
「どうやら、Aランクの圧に負けてしまったようです……今、私が治しておりますので……!」
自分の護衛が強すぎて、虚弱な狐太郎は見ていることもできなかった。
泡を吹いて倒れてしまったのである。
「……大丈夫です、もうすぐ息を吹き返すかと」
「息止まってたの?!」
見ていた誰もが、唖然とする緊急事態である。
まさか傷一つ負わずに死ぬとは、流石に想定外だった。
「……命がけで応援してくれたのね」
流石にこれは笑えないササゲであった。




