竜驤虎歩
それにしても、この世界の住人は強い。
前線基地よりもさらに大規模なカセイが、人の手によって復旧されていくところを見て、狐太郎はそう思っていた。
とてもではないが、同じ人間だと思えない。
物凄い馬力で、瓦礫を持ち上げて、運んで、外へと放り捨てていた。
安全な作業を心掛けるという前提がないので、見ていてハラハラする。
正直冷や冷やするが、仮に誰かが怪我をしても、怪我をした人が悪いのだろう。
「やっぱりさ~、シュバルツバルトっておかしいんだね。壊れたものが直ってないのが普通のはずなのに、今はなんか不思議」
一方で、狐太郎と一緒にいるアカネは、カセイの外を見ていた。
今までは魔境で戦っていたので、どれだけ暴れても数日で戻っていた。
だが目の前にある普通の土地は、荒れたままだった。
もちろん彼女にとってもそれが普通のはずだが、ここ数年で感覚がマヒしている。
「そうね、これが当たり前。だけど……これをやったのが六人だっていうのが特に驚きよ」
クツロも一緒にいるのだが、彼女はまた別のことで驚く。
この世界で一番強いのが人間だとは知っていた。
立場的でもなければ文明的な意味でもなく、極めて物理的な意味で人間が強いと知っている。
実際に戦って負けたこともあった。
だがしかし、ここまでは想像できなかった。
自分たちが必死になって倒してきた、Aランク上位モンスター。
それよりもさらに一段階上の怪物。なるほど、国家を左右する力であろう。
「……ご主人様。お気遣いはありがたいのですが、ササゲと一緒に寝ていたほうがよろしかったのでは」
なお、コゴエは狐太郎の心配をしていた。
「そうしたいのはやまやまだけども……そもそもこの状況だと、どこも変わらないだろう」
狐太郎は現在、がれきの上に置かれた椅子の上で横になっている。
砂浜で使うような、折り畳みのできる椅子であり、座るというよりは寝転がるためのものである。
復興作業が行われている中で優雅に寝転がっているのなら、むしろ引っ込んでいた方がいいだろう。
だが彼の顔色を見れば、相当無理をしていることが分かるだろう。
「私もよ……まったく、あのクズに力なんか貸すから……」
ササゲは現在、狐太郎と同じ椅子で寝転がっている。
遠くからならば、狐太郎と愛を交わしているようにも見えるだろう。
だが今の彼女は、とてもではないがそんなコンディションではない。
体調の具合で言えば、それこそ雪山で遭難して温めあっているようなものだ。
二人とも死にかけていて、同じ病室のベッドに寝ているのと大差ない。
「お前たちだって、俺が一緒にいた方がまだやる気も出るだろ」
傲慢きわまる発言にも聞こえるが、ただの事実である。
究極もそうであるが、主人が近くにいないとやる気が出ないのは普通だ。
「だいたい昨日だって、俺が安全なところにいて死にかけなかったら、ササゲが俺を呪ってたかもしれないし」
「当り前よ……」
「だって」
そんな物騒な会話を、侯爵家四人組も聞いている。
なんとも恐ろしい内容だが、一定の理解はできた。
突き詰めると四体の魔王が、まず狐太郎をそばに置きたがる。
狐太郎は魔王に気を使って、四体のそばにいようとする。
その狐太郎に気を使って、大公が護衛を配置する。
その護衛になるために、四人は努力してきたのだ。
なるほど、負の連鎖であり、気遣いの連鎖だった。
誰かの誠意のために、誰かが犠牲になっているのだ。
いやそもそも、この都市を守ること自体が、既にこの国の願いなのだが。
「今Aランクが来たら、お前たちが頑張るしかないんだ。ガイセイもブゥ君もホワイト君も、ササゲよりひどいことになってるからな……」
大将軍左将軍右将軍を討ち取った三人は、ササゲよりもさらに死にかけていた。
三人とも体に気を使って、一滴も酒を飲まずに、早めに就寝したのだが、起きたら起き上がれなかったそうだ。
無理もあるまい、それだけ全員、力を振り絞って戦い抜いたのだ。
以前はできるだけ醜態をさらすまいとしたガイセイとホワイトだったが、今回は倒した相手に対して思うところがあったらしく、素直に治療を受けている。
なお、ブゥはずっと文句を言っているらしい。
「戦場で荒れた分、モンスターの襲撃があっても不思議じゃない。いつもよりも水際で戦っていることを考えて……うん、しんどいだろうけども頑張れ」
後半、気力が尽きた。
いつでもそうだが、頑張れというのも命がけである。
「うん! 任せて! 昨日は活躍してないのにパレードしたから元気が余ってるの!」
「魔王になったばかりなので体調に少し不満がありますが、いざとなればタイカン技を使用しますので、ご安心を」
「あの三人とササゲに恥じぬ、魔王の威厳をご覧に入れましょう」
万全とは程遠いコンディションではあるが、他の面々よりはましだった。
やはりこうした時に、Aランクを複数抱えている狐太郎は、総じて戦力の柔軟性が違う。
一体が疲れ切っても、ほかの三体で対応できる。一体でもいれば、なんとかAランクモンスターに対応できるのだ。
その代償が狐太郎の命ならば、相対的に安いのかもしれない。
「がんばれ~~……」
もう狐太郎が頑張れと言われる立場なのだが、それでも声援を送る。
これはもうがんばらざるを得ない。
(なんで十万の敵を迎え撃ったのに、翌日に余力があるんだろう……)
四人がふと周りをみると、狐太郎と同様に奮起している討伐隊の姿が見えた。
倒れている三人以外の全員が、モンスターの襲撃に備えて荒れ果てた土地で陣形を組んでいた。
正に常在戦場の心意気である。
(とんでもないところに来てしまった……)
改めて、とんでもない軍団に入ってしまったものである。
侯爵家四人は、そろって奮起を通り越した心境になっていた。
「狐太郎様! ここにいると聞いて、驚きました!」
そして、それどころではない人物も来た。
キンカクたち三人を従えたダッキが、しっかりおめかしをして走ってきた。
おめかしをしたうえでがれきの上を走れるのだから、やはり彼女もこの世界の住人であろう。
足腰の安定感が違う。
「さすがは討伐隊の隊長様ですね! こうしてお倒れになっても、戦場へベッドを持ち込んでまで指揮を執るなど! さすがはAランクハンターです」
「……ああ、うん」
今、誰の相手もしたくない狐太郎は、王族であってもぞんざいに対応している。
そもそも彼女が言うように、病人をベッドに乗せて前線に持ってきたようなものである。
誰かの相手をしている場合ではなかった。
傍らにいるササゲもまた、悪態をつく気配さえない。
(キンカクさんたちが引き返してくれないだろうか……)
いつもなら嫌そうな顔をしているはずの、ダッキのおつき三人を見る。
普段のように、気を使ってくれると嬉しいのだが。
「ダッキさまが、相対的にまともに……」
「英雄に気を使われている……すごい進歩だ……」
「玉手箱のことを話題にしていない……マシだ……マシになった……」
(ダメだな)
病人に気を使うという配慮がないのだが、それはそれとしてダッキの成長がうれしいらしい。
果たして喜ぶに値することなのだろうか、狐太郎とササゲには疑問である。
前よりはマシだとしても、世間と相対評価をすればダメになると思われる。
「あ、あの……リァンさまはどうされていますか」
「リァンお姉さまですか?」
露骨に不満そうになって、狐太郎をにらむダッキ。
ある意味、幼女を卒業したのだろう。だとしても、狐太郎に一切の利益はない。
「ダッキが……私が来ましたのに、なぜお姉さまを……」
「いえ、何をしているのかなと」
「お姉さまなら、一灯隊と別れてがれきの撤去をしております。職員の方々を率いて、誰よりも精力的に働いていらっしゃいますわ。王族でありながら、肌を多くさらすのはよくないと思いますが……」
リァンの場合、露出度を上げても肌より筋肉に目が行くだろう。
きっと眼福ではあるのだろう、その趣味の人にとっては。
「一般職員の方はまだ頑張っていらっしゃるのですが、案の定役場の職員の方は手抜き気味でして、お姉さま自ら監督していらっしゃいます。鉄拳で指導しているそうですわ」
(死体が増えるな)
死んでもいいや、という鉄拳は恐ろしい。
何分彼女は友人でも撲殺するので、役場の職員など平気で全員殺すだろう。
むしろ精力的に殺して、無縁仏にする気なのかもしれない。
「そうですか」
だが狐太郎は助けに行く能力がない。
いやあ、命を救えないのは無念である。
「ダッキ様、私は」
「ダッキちゃん、でも構いませんよ? 私としては、ダッキ、と呼び捨てにしても構いません」
そのうち『卵産ませてよ踊り(隠喩)』を始めそうだった。
オスの体調をみる努力をするべきではないだろうか、狐太郎は達観しつつそう思った。
「ササゲ」
「……すみません」
狐太郎は事の発端の一端を担ったササゲのほっぺをつまむ。
もちろん痛くないだろうが、彼女は自分の失態を認めていた。
彼女の未来絵図と、この状況には著しい差がある。
少なくとも、今のダッキが狐太郎の好みからほど遠いことは明白だった。
(顔とか体とか種族とか良いから、病人に配慮する思いやりが欲しい……)
まだ結婚していないのに離婚経験者のようなことを考える狐太郎。
やはり愛は、一方通行ではないのだ。
ささやかな成長を喜ぶ十二魔将の三人だが、もう少し成長してから喜んでほしい。
「……ひぃ!」
そんなことを考えていると、悲鳴が聞こえた。
まともに動けない狐太郎に配慮して、ネゴロ十勇士が現れて彼とササゲを起こした。
荒れた土地を越えて、死肉をむさぼり命を奪うため、森を出て基地を越えて。
カセイに、モンスターが接近していた。
目視できるほどにモンスターが接近するなど、本当に久しいことであろう。
「君たちはアレと縁があるな」
悲鳴を上げたのが侯爵家の四人であり、その理由がモンスターであることを理解した。
「Aランク中位モンスター、ビッグファーザー……」
インペリアルタイガー、タイラントタイガー、デスジャッカルを従えた、虎の中の虎。
なるほど、恐るべき敵である。
森がなく遮蔽物が無いだけに、その威容も最初から明らかになっていた。
にわかに、カセイの中が騒がしくなってきた。
無理もないだろう、昨日の今日でモンスターに襲撃されて、平静を保てるわけもない。
「見える? マトウとミノタウロスもいるわ。下位とはいえ、Aランク……私たちで抑えるわよ」
その群れに交じって、巨人にも似たAランクモンスターが二体も進軍していた。
大きさこそサイクロプスに劣るが、しかし、十体が束になっても、この二体に勝てるかどうか。
牛の頭と馬の頭。地獄の鬼がごとき二体もまた、すさまじい存在感を放っている。
この状況に気付いて、カセイの中へ逃げていく民衆。
大戦力が抜けていることを知っているからか、恐怖に震える声も聞こえてきた。
十二魔将の三人も、ゆるんでいた顔を緊張させる。
ダッキはその威容にひるんで、狐太郎にしがみついた。
結果的に狐太郎を支えているネゴロ十勇士の負担がまし、狐太郎は板挟みになっていた。
「無論だ。最初から魔王になるぞ、アカネ」
しかし、三体の魔王がいる限り、討伐隊に負けはない。
鬼の王も氷の王も、死肉は食わせても生者を喰らわせる気などない。
「うん……あれ?」
しかし、竜の王は、においに気付いた。
彼女だけではなく、アクセルドラゴンやワイバーンも、それに気づいた。
「……うそ」
バブルは、見上げた。
天空から、黒い雲が下りてくる。
その雲を纏う者は、まぎれもなく竜だった。
『この都市のありようを見れば、私とて何かあったと察するには十分でございます。お体の具合も万全とは程遠い様子……ここはお任せください』
角は鹿、頭はラクダ、目は鬼、腹は蜃、鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、耳は牛。
首から腕の付け根、腕の付け根から腰、腰から尾までの長さが、それぞれ等しい。
まさに、三停九似の姿は、龍以外の何物でもない。
『少々お待たせしてしまいましたが……故郷での修行を終え、これより参陣仕ります』
以前とは比べ物にならないほど精悍になった若き竜が、その顔を大地にゆっくりと下ろしていた。
Aランク中位モンスター、クラウドライン。
狐太郎の配下に加わることが約束されていた、最大級の戦力。
以前なら逃げだしていたであろう、同等の脅威を相手にも牙を剥く。
『相手は虎の親玉! 相手にとって不足なし! 行くぞ、貴竜の群れよ! 我に続けぇ!』
都市を大回りして、五体の竜が姿を現した。
崩れた都市に目もくれず、己たちにとっても容易ならざる敵と対峙する。
ある竜は、四足歩行だった。
ある竜は、二足歩行だった。
ある竜は、細長い体に大きな翼をもっていた。
ある竜は、まるで水風船のように弾力をもった体をしていた。
ある竜は、巨大な貝殻を背負っていた。
「トライホーン、グレイトファング、ケツアルコアトル、アシッドバルーン、シェルターイーター……どの竜も伝説に語られるAランクモンスターだ!」
興奮したバブルが叫ぶ。
この都市を襲おうとしてきた、虎の総大将を相手どるのは、討伐隊であって討伐隊ではない。
狐太郎、アカネに忠義を誓う、Aランクの若き貴竜だけで構成された、竜王の尖兵であった。
「……狐太郎様、アレは」
「ええまあ……アカネの部下です」
ありえざる光景だった。ドラゴンズランドの貴竜が群れを成し、シュバルツバルトの虎の群れと対峙している。
それは討伐隊ですら見たことがない、余りにも強大な侵略的外来種の到来であった。
『おおおおおおおおおお!』
竜と虎。
共に強大な象徴である。
並びたてぬ、共存できぬ怪物たちは、威嚇すらそこそこに、命を賭けて真っ向からぶつかった。




