弁慶の立ち往生
ジョーは本陣へ向けて、刺客を放っていた。
軍を生き物に例えれば、本陣とは脳である。伝令とは、神経に等しい。
しかし軍は生き物ではないため、当然無茶な命令には従わない。
極論『全員自殺しろ』という命令をしても、絶対に従わない。
伝令が偽者、指示も嘘、そのように一発でばれてしまう。
もちろん、それはそれで本陣の指示をかく乱することができるのだが、全体の統率が失われるとそれはそれで厄介である。
兵たちが完全に士気を失って四方八方へ逃げ出すと、確実に山賊になって、周囲の治安を悪化させてしまう。
それをできるだけ避けるために、ジョーは一塊になって逃げるように、敵を誘導させたのだ。
とはいえ、そううまくいくという保証はなかった。
むしろ敵兵をかく乱し、右将軍や左将軍を陥れるという作戦上、早い段階で逃走兵が多く出ても不思議ではなかった。
だがそれも必要なリスクである。
敵の最強戦力を落としきれず、ガイセイ達が負けて討伐隊も負けて、カセイが取られるという状況に比べれば大したことではない。
しかし近くに避難している一般職員たちは、その逃亡兵に襲われる可能性があった。
もちろん可能性は極めて低いが、それでも可能性が存在している以上無視はできない。
かといって、大戦力は残せない。しかし本陣へ同行させることもまた、恐ろしいことだった。
特にそれを懸念したのが一灯隊であり、隊長のリゥイだった。
彼は恥を忍んで、狐太郎へ依頼した。
『お前のところのサカモを、一般職員のところへやってくれ!』
サカモはAランク下位であり、英雄以外には負けない怪物である。
一旦狐太郎たちを本陣へ移動させた後、竜の発着場へ向かわせてほしいということだった。
『いいですよ』
狐太郎は快諾していた。
『英雄の戦う戦場に行かなくていいんですね!』
サカモも快諾した。
『ええ~~?!』
なお、十二魔将とダッキはものすごく驚いていた。
※
「終わったみたいだなあ……」
「ですねえ」
本陣もカセイから離れたところではあったが、竜の発着場は更にカセイから離れている。
その分戦況はわからなかったが、流石にアルティメット技の衝突は観測できたし、それ以降静かになっていたこともわかっていた。
戦いは終わったのだ。それは確実だが、どちらが勝ったのかまではわからない。
竜の発着場にたどり着いた一般職員やその家族は、さてどうしたものかと悩んでいた。
ジョーが指示したとおりに発着場へ来てみれば、そこにはサカモが待っていた。
普段飯炊きをしている彼女が、実際には一灯隊と白眉隊が総出でも敵わない相手、というのは聞いていた。
もとより一般職員とその家族は彼女を信頼していたため、むしろほっとしていたほどである。
とりあえず見捨てられたわけではない。いざとなれば戦ってくれるし、最悪子供だけでも逃がしてくれるだろう。
そう思って、戦いの轟音に耐えていた彼らは、当然この後のことを聞かされていなかった。
なにせジョーにもリゥイにも、その余裕がなかったのだ。決して咎められるものではない。
「なあサカモよう、あっしらはどうしたらいいと思う?」
ホーチョーは、らしくもなく自信がないようだった。
王都で生まれ育ち、戦火とは無縁だった彼である。
この状況でどうすればいいかなど、考えたこともなかった。
「そりゃあ、ご主人様のところへ行くしかないのでは?」
当人は『最悪一人で逃げよう』と思っているので、サカモは余裕である。
待っていてもいいが、やきもきする。実際待っているのも怖いので、一行はサカモが誘導するままに本陣の有る場所へ向かっていった。
結論から言えば、向かって正解だった。
非戦闘員たちは、討伐隊の勝利を知って喜んでいた。
「大将軍が率いる十万の敵をあの数で?!」
なお、カセイから来ていた伝令はものすごく驚いていた。
割と普通の反応であった。
「き、狐さん! 大丈夫ですかい?!」
「死にかけました……」
今も治癒を受け続けている狐太郎に、ホーチョーが近づく。
しかし狐太郎だけではなく、他のほとんどの者も疲れ切っていた。
非戦闘員として避難していた治癒所の職員たちは、慌てて各隊の治療に参加する。
十万の軍勢へ孤軍蹂躙をした彼らは、割と余裕そうだった。
特に一灯隊の面々は、今すぐ戦えそうなほど、余力を保っている。
白眉隊や抜山隊は走り回って疲れているようだが、休めばまた戦えそうだった。
「大将軍が率いている十万の兵っていっても、大したことなかったな」
「確かに、プルートの軍勢の方が辛いですね。人間は怖いと逃げますから」
「黄金世代以外は、東方戦線と変わらなかったなあ」
リゥイ、グァン、ヂャンの言葉に、各隊の一般隊員たちも頷いている。
どうやら討伐隊にとって、今回の戦いは温かったらしい。
実際怪我よりも疲労の方がつらそうなので、本当にそんなものだったようだ。
「私たちも、魔王になってモンスターちょっと倒して終わりだったもんね」
「ええ、張り切ったのに空回りだったわ……それがいいんだけど」
「ほぼ他の隊で切り抜けられたな。黄金世代に囲まれた時は手を出そうと思ったが、結局レデイス賊に救われた」
白眉隊に同行したアカネ、抜山隊に同行したクツロ、一灯隊に同行したコゴエ。
彼女たちもBランク上位モンスターを三体か四体倒しただけなので、余り疲れていなかった。
もちろん、これにも十二魔将たちは慄いている。
「……そっちは楽だったみたいね、羨ましいわ」
とはいえそれも、敵の主戦力を抑えていた、三人と悪魔たちがいてこそである。
この場に戻っているホワイトとブゥは疲れ切っており、地べたに腰を下ろしていた。
体にも多くの傷が刻まれ、人相が変わるほどに疲弊している姿は、やはり敵の主力の恐ろしさを物語っている。
「はあ……ご主人様も、この通り……終わった後だから言わせてもらうけど、戦力の分配が偏っていたんじゃないの?」
タイカン技を使っていなかったまでも、長時間魔王として戦っていたササゲは、活気のない顔で恨み言を言う。
そのうえで、狐太郎に前から抱き着いて、両手を掴んで、彼を起こしていた。
「……ねえご主人様、もっと命令して?」
「ああ、うん……このまま一緒に横になってくれ」
二人そろって死にかけた主従は、とりあえず焼け野原で横になった。
まだ熱い地面にごろりと倒れて、そのまま空を仰いでいる。
「ササゲ……本当に大変だったんだな」
「ええ、本当よ……消えてなくなるかと思ったわ」
何度か抱き着かれている狐太郎は、ササゲが疲れていることを理解していた。
今の彼女は、それこそずっと横になりたいほど疲れている。
それは、臨死体験をしていた狐太郎も同じだ。とにかく体がもたなかった。
「あのゴミ……仕掛けるのが遅すぎるのよ……もっと早く倒せたでしょうに……」
そして、敵よりも味方の不始末を嘆いていた。
まさに恨み骨髄である。
「だって……怖かったんですよ……あの逆切れ侵略者、何考えてるのか全然わからなくて……」
ブゥ本人も、疲れ切って倒れている。
地面に、うつぶせで。
顔も腕も動かさないままに、なんとか抗議をしていた。
「あれだけ怒らせたんだから、何を言っても良かったでしょうに……」
「失敗したらもっと怒らせると思っちゃいまして……」
「悪魔使い辞めなさい……」
勝つには勝ったが、相性が良かった割に手こずったのだろう。
ちなみに悪魔使いにとって相性がいい相手は、正直で口数が多くて怒りやすい者である。
なおブゥの口調も、素であることを含めて、そういう相手を怒らせやすいものである。
性格的な意味でも、かなり才能があると言えるだろう。
しかし、他の人や悪魔にとっても、かなり腹立たしいことは事実であった。
「さてと」
「ねえねえ! 聞いてくれないかな? 僕は今、君に抱きしめられているんだけども!」
現在ホワイトは、究極を抱きしめていた。
それはもう、とくにおかしなことをするわけでもなく、真正面から抱き着いていた。
「そうだな」
「そうだなって! そうだけども! いや……これはさ、抱きしめ返してもいいってことだよね?!」
「違うな」
「どうして?!」
「お前鼻息荒いぞ」
数万人、殺してしまった。
ただの結果ではあるが、殺し過ぎた。
ハンターの仕事はきれいごとではないが、きれいごとではないことに手を染めるのは、心苦しいものがあった。
「頼むから、性欲を忘れてくれ」
「そ、そんなことを言われてもだね! 僕にだって、ほら、僕の心は準備なんてしないからさ! いつでもオーケーだからさ!」
ホワイトは究極を抱きしめて、究極との旅を思い出していた。
楽しいことばかりではないし、バカなこともあったし、あほなこともあった。
だが、綺麗なことだってあった。悪魔から街を救ったり、たまたまであった猿を倒したり、悪党を気持ちよくぶちのめしたり、困っている子供たちに施しをしたり、引退したAランクハンターや現役のAランクハンターと共闘したり。
なかなかできない、綺麗なことがたくさんあった。
もちろん今回の戦いも、栄光ではある。
ホワイトが強者としてここにいたことが、街の人たちの利益につながり、結果として救われた人も多いのだろう。
だが、綺麗というには、少し、血が流れ過ぎた。
大量の人間を殺したことを、綺麗だとは思いたくなかったのだ。
「ぼ、僕はもう我慢できないよ! これはもう、二人で人気のないところに行ってだね! そのまま天井のしみを一緒に数えるんだよ! 天井ないけど! この場合は石ころを数えよう! 一緒に!」
「白けた」
このバカが勝手に盛り上がっているので、悩みが小さく思えてきた。
あれだけたくさん人が死んだのに盛り上がっている彼女を見ていると、自分のやったことが大したことで無かった気がしてくる。
「ありがとうな、元気をもらったよ」
「僕の中からあふれてくる元気はどうすればいいんだい!」
「自分で解決してくれ」
「酷い!」
問題が矮小に思えてきた。
やはり白けるという感情は、人間を強くするらしい。
たまには鈍感になるのもいいものだ。
「さてと……これであと本陣に戻ってないのは、ガイセイと私のところのオジサマたちと……獅子子さんかしらね」
不完全燃焼組の一人であるシャインは、燃え残った戦場を俯瞰した。
一番危なかったのが、後方でバリアと究極に守られながら俯瞰していた狐太郎であり、彼は危うく死ぬところだった。
ホワイトとブゥが疲れつつも自力で戻ってきたところを見ると、ガイセイも狐太郎ほど酷くはないだろう。
(アルティメット技……やっぱり反動が重いみたいね……アッカ様は五連発していたけど、あれはアッカ様だからだし……)
ガイセイが、いよいよAランクハンターになってきた。
時間の流れを感じて、魔女である彼女も少し浸っていた。
※
ガイセイは、立ったまま動けなかった。
座るとか倒れるとか、そんなこともできなかった。
体が硬くなって、身動きが取れなかった。
(やべえなあ……流石にきついぜ)
そもそも火炎属性の使い手二人と戦っていたのだ、脱水症状が起きても不思議ではない。
この世界でも屈指の巨漢であるガイセイだが、それでも体の中の水分を使い切っていた。
アルティメット技の反動もあって、体の不調が本格的になってきた。
脳内物質によって麻痺していた、疲労や苦痛もだんだんと効いてくる。
(ああ、ちくしょう……これで終わりかよ……)
気力を使い切っていたこともあって、意識が遠のいていく。
少なからず、達成感があった。アルティメット技を発動できたこともそうだが、ウンリュウに勝てたことが嬉しすぎた。
満足が終着ならば、彼はそれにたどり着いてしまったのかもしれない。
生きなければならない、と思えないまま、意識が遠のきつつあった。
終わりか。
そう思った時である。
「隊長、ご無事ですか」
とても仕事のできる女が、頭から水をかけてくれた。
本陣を暗殺するという任務を達成した獅子子が、術を使って水をかけてくれたのである。
火傷を負った体には、とてもありがたい水だった。
「お前、水流属性の使い手だっけ?」
「水遁の術ですよ。それよりも、凄いものですね……彼が、その……敵の大将ですか」
「おう……ウンリュウっていうらしいぜ」
既にこと切れているウンリュウは、炭化しかけた体のままで死んでいた。
立ったまま死ぬというのは、なんとも豪傑らしい『生きざま』であろう。
結局ガイセイは、彼に土をつけることも、倒すこともできなかったのだ。
「……」
「……」
獅子子は、その死に圧倒されていた。
この周辺の破壊も含めて、余りにも膨大な力を感じてしまう。
彼女がそうして感じ入ることは、ガイセイにとっても誇らしく思えていた。
「これだけの男が率いる軍に、よく勝てたものです」
「逆だろ。これだけの男がいたから……気が緩んでたんだろうな」
大将軍の弱点は、大将軍であること。
懸絶した実力をもち、他の誰も追従できなかった。
だからこそ、外堀を埋められた、そぎ落とされてしまった。
「なあ、獅子子。もしもこの旦那が見つかれば、どうなると思う」
ガイセイの質問は、疑問に思ったからではあるまい。
彼はもっと、本質的なことへ切り込んでいた。
「……そうですね。とりあえず、本国へ帰ることはないと思いますが」
「だろうな」
獅子子は、この世界の常識を知らない。
だがしかし、どう言いつくろっても、彼は侵略者の親玉だ。
このまま綺麗に死なせることは、まずないだろう。
「そりゃあそうだろうな」
おそらく、彼はそれを受け入れていたはずだ。
彼はきれいごとに逃げなかった。自分の行動が、正義だと酔いしれていなかった。
加害者として、犯罪者として、辱められることも受け入れているだろう。
「ふぅ」
どっかりと、ガイセイは腰を下ろした。
頭が冷やされたからか、体も動いていた。
「獅子子、水筒もってるか?」
「ええ、どうぞ」
ガイセイが飲むには、ガイセイが必要としている量には、足りなすぎる水筒だった。
彼はそれを一気に飲んで、改めてウンリュウを見た。
彼と酒を飲んだ気がした。
彼と問答をした気になった。
彼に断られた気がしたが、それでも押し付けることにした。
「獅子子。まあそのなんだ……見なかったことにして、埋めてくれ」
「……わかりました」
誰がなんと言おうと、彼を汚したくなかった。
彼を汚すのは、嫌だった。
別にいいではないか、自分の手柄を埋めようが燃やそうが。
ウンリュウの体をどうにかする権利は、ガイセイにだけある。
ウンリュウにもジューガーにも、口を挟ませる気はない。
「ショクギョウ技……土遁の術!」
ウンリュウの足元から、土煙が上がる。
彼の体は、わずかに揺れながら地面に沈んでいく。
それは彼の体が、日の目を見る最後の時だった。
「じゃあな、大将軍。ゆっくり休みな」
歴史が彼をどう評価するのか、それはガイセイにはわからない。
だが今この瞬間、ウンリュウをガイセイがどう評価するのか。
それはガイセイだけが決めればいいことだ。
数多の生者を埋める、一人の死者を埋める。
結果は同じかもしれないが、明らかに違うのだろう。
獅子子はガイセイと一緒に彼を弔いながら、刻まれない歴史に立ち会ったと感じていた。
しかし、いつまでも浸っているわけにはいかない。
彼女は話を切り替える。
「隊長……後で、お話が」
「ん?」
「私の指揮下になっている、蛍雪隊の隊員と十勇士に回収のお願いをしているのですが……敵の残した資料の中に、おかしなものがありました」
「おかしなもの?」
「ええ……即座にどう、ということではないのですが」
この戦いは終わった。
獅子子はそれを理解している。
だが、何もかもが終わったわけではない。
彼女は、それに真っ先に気付いていた。
「あの封印の瓶……気付いていらっしゃったかはわかりませんが、あれについて……おかしなことが」
「サイクロプスが出てきたあれか? そうか、瓶に……瓶に?」
獅子子の世界にも、この世界にも、モンスターを封印する技術は存在している。
ランプの精霊や、悪魔の壺など、それなりの種類が確認されている。しかしそれらは、どちらかと言えばモンスター側が特別だからだ。
もしも『普通』のモンスターを長く封印、保管するのなら、それこそ冷凍睡眠のような技術が必要になる。
起こしていきなり戦わせる、というのは不可能だ。
サイクロプスのような『普通』の動物を、瓶に収めて持ち運び、なおかつ呼び出した瞬間から戦わせる技術などない。
その原理さえ、勝利歴の人類にも編み出すことは不可能だった。
「瓶に入るようなもんじゃないだろ、アレ」
「そうなんです。現物は割れたので、その破片を一部確認したのですが……」
なんとも恐ろしいことに、それは……。
「アレは、私が知っている技術の延長線上です」
もしかしたら、自分たちの敵は『西重』ではないのかもしれない。
彼女はその予感に、身を焦がされていた。
 




