弱り目に祟り目
一辺が崩れた城壁の上で、兵士たちは戦いを見ていた。
ある意味では、戦いがまだ続いていること自体が、既に驚くべきことである。
戦力差は百倍を超えているだろうに、討伐隊の攻勢は止まらない。
「頼む……勝て、勝ってくれ!」
「こ、このまま勝ってくれ!」
西重が弱いわけではない、無策で薙ぎ払われているわけではない。
だが討伐隊が強い、強すぎた。めまいを起こしそうな戦力が、何もかもを貫いていく。
大将軍たちの戦いも苛烈を極めているが、明らかに討伐隊の三人が押している。
敵方の大将軍が、遠目にわかるほど弱っている。距離を置いて休んでいた上に、その後も動きが冴えない。
勝てる、勝ち目が見える。
城壁が粉砕されたカセイではあるが、このまま敵軍がかく乱され、さらに大将軍たちをこちらが討ち取れば、そのまま一掃できる。
だがしかし、少し考えてみるべきではあった。
西重という小国が、央土という大国に全面戦争を仕掛けたその根拠。
絶対に負けるわけがない、という自信ゆえの短期決戦。
それは、ついに姿を現した。
「……」
城壁の上に立つ兵士たちが、視線を平行にした。目が合いそうなほどに、同じ目線になっている。
巨大、ただ巨大。Bランク上位モンスター、サイクロプスはただ巨大だった。
筋骨隆々たる大男を、そのまま肥大化させ、巨大化させた怪物が、戦場へいきなり出現した。
それも、戦場の一か所に一体ではない。四方を見渡せば、十体のサイクロプスが出現している。
「……だめだ、間に合わない」
彼らは知っている。
Aランクハンターや大将軍ならば、どれだけ強いモンスターも敵ではないと。
今まさに、それが自分たちの近くにいると分かっている。だが、手がふさがっている。同じように最強の存在と、しのぎを削っていて手が離せない。
細かいことはわからないとしても、これが詰みの一手であることは、余りにも明白だった。
「姐さん」
「ああ、そろそろ来るよ」
だが、ハンターたちは違った。彼らは、彼らだけが知る事実が、この状況を絶望だと考えさせない。
ましてやキョウショウ族を束ねるピンインは、この窮地が、誰にとっての窮地なのか知っている。
「討伐隊の総大将……虎威狐太郎様の……魔王様の、お出ましだよ」
※
カセイ周辺の主戦場で、巨大なモンスターが現れたことは、当然ながら討伐隊の本陣も把握していた。
動揺がないわけではなかった、だがしかし、やはり落ち着いている。
彼ら彼女らは、最初の采配の段階から聞いているので、何も不安はない。
もうすでに、手は打ってある、札が伏せてあるのだ。
「四人とも、バリアを外してくれ」
少し落ち着いたダッキをなだめた狐太郎は、重い腰を上げていた。
戦闘が始まってからずっと座っていた彼は、足を震わせながらも立っていた。
彼は自分の護衛達に、バリアの解除を指示する。もちろん、相当に危険だ。なにより、なんの意味もない。
だが侯爵家の四人は、彼の指示に従っていた。
四人が構築していた光の壁は、ここに消える。
そしてなんの役にも立たない一人の男が、無防備に晒されていた。
彼は、大きく息を吸いこんだ。
小さな体の小さな肺に、空気を押し込む。
そして、叫んだ。
「アカネ! コゴエ! クツロ! ササゲ!」
絶対に届かないと、誰もが確信するほど小さな声だった。
そもそも野原で大きな声を出したところで、それが彼方まで届くわけがない。
ましてや戦場ならば、蚊が飛ぶほどの音とさえ認識されまい。
「頑張れ~~~!」
稚拙、余りにも稚拙。
茶番どころかお遊戯の域だった。
この鼓舞が、届くわけもない。
だがそれを言い出せば、そもそも応援自体に何の意味があるのか。
応援したいから、彼は応援しているのだ。
雪が降り始めた。
戦いは、終わりに向かう。
※
各隊の集団に隠れていた、潜んでいた最後の戦力が、その中から一歩出た。
狐太郎が保有する最大最強の戦力、突入部隊にかけておいた保険。
大将軍以外には、絶対に負けないコマが姿を露わにする。
「人授王権、魔王戴冠」
魔王が、その冠を被った。
その瞬間、戦場にモンスターが出現する。
「タイカン技! 竜王生誕!」
「タイカン技! 鬼王見参!」
「タイカン技! 氷王顕現!」
戦力の逐次投入などではない。
最初の最初から、突入したその時から、彼女たちは狐太郎の下を飛び出していた。
まさに攻め偏重。
敵にしてみれば余りにも無体な『討伐』の戦術。
攻撃に使えるコマは、すべて攻撃に注ぎ込む、防御を蔑ろにした猛攻。
だがしかし、そんな理屈など重要ではない。
カセイの兵士たちが、民衆が、ほぼ全員把握していなかった、脅威の存在が目の前に現れていた。
最初、西重の更なるモンスターかと勘違いしたほどだ。
余りにも暴虐を極める威容は、まさにモンスターの王。
絶望に絶望を塗りたくったような、心を殺す光景だった。
『るぅおああああああああああ!』
竜王が咆哮する。
Aランクモンスターが、その威厳を解き放つ。
ずしんずしんと、より大きなサイクロプスへ向かっていく。
その歩みに、サイクロプスが後ずさった。
何が起きているのかわからなかった、西重の軍勢は、やはり後ずさった。
いいや、腰を抜かした。何が起きているのか、彼らこそが教えて欲しかった。
両陣営の大多数が、その光景を前に混乱だけしていた。
こいつらは一体誰なのか、央土も西重も、まったく知らないのだ。
『サウンドエフェクト、ヘブンボイス!』
それを切り裂くように、戦場へ声が響き渡る。
王女の声が、再びこだまする。
『見るがいい! 央土の民よ! これなる三体のモンスターこそ、シュバルツバルト討伐隊の切り札である!』
本人もまた、その姿を今知ったばかり。
だがそれをおくびにも出さず、彼女はそのモンスターの価値を告げる。
『大公直属のAランクハンター虎威狐太郎に従う、最強のモンスターたち! Aランクモンスター、魔物の王!』
カセイの味方、大公の手勢、央土の守護者。
余りにも恐るべき存在が、敵ではなく味方だと全員へ宣言した。
『魔王たちよ、狐太郎様の僕よ! 主からの命を伝える!』
そして、魔王たちに伝える。
彼の、伝えたいことを。
『頑張れ!』
余りにも稚拙な鼓舞を聞いて、誰もが困ったほどだ。
だがしかし、知る者は知っている。
それを彼が口にするとき、それは命を賭けているのだと。
心臓が止まりそうな中でさえ、彼はそれを振り絞るのだと。
『任せて! ご主人様!』
人の言葉が、竜の口から出た。
それは彼女たちが、真に人間の僕である証明だった。
『こんな奴ら……焼き殺してやる!』
こんな奴ら、という言葉を理解できないサイクロプスたちは、しかし理解している。
この竜が、自分たちを殺そうとしているのだと。
「ひ、ひ、ひ……!」
本能的に腰を抜かした西重の軍勢は、理性的に肝をつぶした。
Aランクモンスター。英雄ならざる者が、どれだけ束になっても敵わぬ怪物。
まさに逆転と言っていい、大将軍たちが全員抑えられている今、自分たちがどれだけ頑張っても勝てるものではない。
それが、三体。
こちらのモンスターが、ただの雑兵にしか見えない格。
それを備えた歴戦の魔王が、脅威の存在しない戦場に君臨する。
「あああ……あああ……」
雪が勢いを増していく。
戦場を包む白い雪が、天から降り注ぎ続ける。
『お任せあれ。この程度の輩、春の雪よりも儚く溶かしてみせましょう』
まだ秋に入り始めたばかりだというのに、その雪は降り積もり始める。
世界が急速に、西重の軍勢を追い詰めていく。
『鬼より怖い者はなし……鬼の折檻、お目にかけましょう』
大地が揺れる。鬼の力で、鬼の一歩で、戦場が震動する。
積もった雪が揺さぶられる。兵士たちの体に乗っていた雪が、地面へと落ちていく。
本陣も大将軍たちも一般の兵士たちも、本当に今更理解した。
まったくもってこれっぽっちも、最初の最初から。
拮抗さえしていなかった。
勝ち目がなかった。
無理だった。
来てはいけなかったのだ、この街に。
この街に来てしまったこと自体が、戦略的な大失敗だったのだ。
『ぎゅうああああああああ!』
巨大で獰猛なサイクロプスたちが、賢い選択をした。
躾がどうとかではない、彼らは格上を相手に逃げ出そうとした。
本能がそれを選んだ、絶対に勝てない相手からは逃げるしかない。
包囲網の内側で出てきた彼らが逃げるのだから、包囲網を構築していた西重の軍勢こそが、その脅威にさらされていた。
逃げ出したサイクロプスたちが、足下を注意する余裕を持つわけもなし。
央土を滅ぼすために運び込まれたサイクロプスたちは、央土へ一切損害を与えることもなく、逆に西重の軍勢へ踏み込もうとした。
『逃がすかああああ!』
皮肉にも、それを救ったのは魔王たちだった。
元より彼女たちはハンターの猟犬、国内への外来種など看過する道理はない。
『シュゾク技……ドラゴンキック!』
普段の彼女たちはBランク上位モンスター如き、魔王の姿で戦うことはない。
なぜなら普段の彼女たちでも、一対一なら十分倒せるからだ。
今回は一体ずつで三体、或いは四体倒さなければならないので魔王になった。
つまりは……なんの面白みもない結果になる。
アカネが跳躍し、その巨大な足でけり込む。
Aランク相応の攻撃力をもった『通常攻撃』が、野生から毛の生えた程度のBランクモンスターの頭を一撃で粉砕した。
所詮、Bランク上位。
一撃で頭部を粉砕された一つ目巨人は、すべての力を失って地面へと倒れる。
「ひゃああああああ!」
かろうじて、その巨体につぶされる西重の兵はいなかった。
だがしかし、倒れてきた巨体から、大量の血が溢れてくる。
余りにもおぞましい血液の奔流が、西重の軍へかぶさっていく。
「ひ。ひ。ひ。あああああああ!」
地獄だった。
モンスターから噴き出る血が、彼らを染めていく。
絶叫が絶叫を生み、恐怖が恐怖を生み……希望が、優勢が、絶望を生む。
だがそれは、虎の口の序の口だ。
まだ九体も、サイクロプスはいる。
魔王が戦う相手は、九体もいるのだ。
つまりは、九回は魔王が攻撃を行うということである。
『シュゾク技……ドラゴンファイヤー!』
燃え盛る炎が、ただのブレスが、彼女の口からあふれ出る。
それによって、巨大なサイクロプスは一瞬で炎上し、肉と皮を焼き尽くされ、血さえも煙に変えられていた。
残ってばらまかれるのは、高熱を帯びつつ乾燥した、図太い骨ばかり。
炎の圧力によって吹き飛んだそれらは、陣形の乱れた戦場へ散らばった。
熱せられた『新鮮』な骨が、ただでさえ陣形の乱れている包囲網を寸断していく。
逃げ惑うことができた兵士たちは、その直撃こそ避けていた。だが闘志もへったくれもない、ただ命が惜しくて、武器を放り出して逃げているだけである。
『シュゾク技……ドラゴンバイト!』
巨大な大顎が、さらに巨大な巨人ののど元に食いつく。
ただそれだけで、いともたやすく重要部位がえぐり取られた。
サイクロプスは体から血をまき散らしながら、踊るようにもがき、倒れきる前に死んで、地面に転がった。
「う、うあああああ!」
巨大だったもの、強大だったもの、その死を間近に見るだけで、兵士たちは壊乱していく。
幾千幾万の戦地を駆けてきた古参兵であっても、手に負えぬモンスター同士の死闘など見慣れている道理はない。
だがどこへ逃げればいいのか、巨大なモンスターの死闘は、三か所同時に起きている。
『シュゾク技……鬼拳一逝!』
巨大な拳が、巨大なだけの巨人を打ち砕く。
逃げ惑うだけの巨人たちが、容赦なく狩られていく。
『シュゾク技……鬼の金棒!』
巨大な金棒の一振りで、一国の切り札が死ぬ、殺される、砕かれる。
いつものように、業務的に、脅威のモンスターを始末していく。
「鬼王クツロ様!」
「クツロ様! 我らが王、偉大なる亜人の王!」
「鬼神! 大鬼! 百足退治のクツロ様!」
その姿に、キョウショウ族が喝采を上げる。
王の戦いに歓声を上げる。
『シュゾク技、一面吹雪花畑……!』
今、コゴエの周辺は、完全に雪景色に覆われていた。
彼女の足元、大地には白銀の華が咲き誇っている。
大量の雪を吐き出す花々によって、世界は低温下へと墜ちていく。
もちろんそれだけなら、怪物たちはひるまない。
この程度の寒さで、彼らの巨体は凍らない。
しかしこれは、ただの自己強化。世界を凍り付かせているのは、ただ己の力を強化するため。
『シュゾク技、大寒波!』
恒温動物の体内から、一切の熱を奪う極寒の風。
それは逃げようとするサイクロプスの背から浴びせられていき、皮や背骨などを壊死させていく。
地形も季節も、何もかも変化させる氷の王の前に、彼らはただの脆弱な、一匹のネズミに過ぎなかった。
「あ、アレがAランクハンターの飼っているモンスター……?」
「じゃ、じゃあ本人は、どれだけ強いんだよ……!」
観戦している兵士たちは、言葉もない。
低温で凍えて震えながらも、それ以上にモンスターたちの脅威に怯えていた。
サイクロプスが逃げ惑い、あっさりと殲滅された。その光景を見て、喜ぶことなどできはしない。
「こ、これで……もう終わったのか? 敵は、もう逃げるのか?」
城を破り軍を砕き、何もかもを粉砕するはずだった一つ目の巨人は、完全なる上位互換に狩られている。
そう、この戦場に於いて、サイクロプスも魔王たちも、同じ意図で運用されている。
つまりは、大将軍が動けない状態での決定打。
敵の大将軍が不在か、或いは動けない状態になった時に、大将軍以外が倒せない戦力として投入する。
なるほど、有効な戦術である。
そして、勝つのはやはり強いコマだった。
三対一、或いは四対一という数は、質の差を埋めるには少なすぎた。
いいや、そもそも。
士気。
バカにされがちな、ただのやる気。
知性でもなんでもない、ただの気力が、根底から違い過ぎていた。
結局、付け焼刃だったのだろう。
強大であるというだけの生物に、首輪をはめて籠に入れて、戦場まで運んで。
それで命を賭けて戦えなど、通るわけがなかったのだ。
結局、サイクロプスたちは戦わなかった。
十体も連れてこられて、同時に戦線へ投入されたにも関わらず、抵抗もせずに殺された。
焼かれて、砕かれて、凍らされた。
西重の最後の手は、何の意味もなさず殲滅されたのであった。
※
「……ぐぅああああああ!」
本陣で、シュショセイは悶えていた。
軍師たるもの冷静であるべきなのだが、この状況で冷静である方が間違っている。
こればかりは、伝令を待たずともわかってしまう。
王女ダッキの叫びが誇張ではないと、遠くから見えるサイクロプスの死体が教えていた。
苦渋の決断、苦肉の策、最後の手段。
西重にとって重大な一手が、しかしまたも上回られた。
事ここに至って、やはり認めるしかない。
戦術どうこうではない、相手はこっちよりずっと強かったのだ。
千にも満たない討伐隊の総力が、十万の軍勢をはるかに超えていたのだ。
ある意味で、シュショセイは貧乏くじを引かされたに等しい。
こんなもの、誰がどう指揮をとっても勝てるわけがない。
「……撤退だ」
だからこそ、もうそれしか手がなかった。
彼は苦悶の末に、それを決断する。
勝ち目があるのならともかく、完全にないのなら退くしかない。
もっと早くそうしていれば、と思わないではないが、そんな後悔になんの意味があるのか。
「いますぐ全軍へ伝達しろ! 四方八方へ、散り散りになって逃げろとな!」
およそ、軍が兵士へする指示ではなかった。
この指示が最適である時点で、既に負けきったようなものである。
だがそれでも、彼はそう指示した。
「極めて申し訳ないが……こうなっては大将軍を待つしかない……!」
大将軍以外では、絶対に勝てないモンスターの出現。
それがかえって、戦況を単純にしていた。彼の決断に、誰もが頷く。
「本陣も動かすぞ! 急げ!」
なるほど、バラバラになって逃げる。
最悪の手段ではあるが、意外とバカにできない。
組織だった逃走ができないとしても、どのみち組織だった行動のすべてが無意味なのだから、相手にとっては嫌な手だろう。
「それは困るわね」
伝令の一人が、女性の声でそうしゃべった。
なぜだか知らないが、部屋の中の誰もが、その伝令に注目した。
「……ジョーさんの指示では、一か所にまとめろってことだけど。どこがいいかしら」
その伝令は、横柄にも本陣の中央へ歩いていく。
それを幕僚たちやシュショセイが止めようとするが、しかし口から声が出なかった。
体の動きが、どんどん鈍くなっていく。肌の色が、変色していく。
「ここなどどうでしょうか、比較的周囲への影響も少ないかと」
まるで、本陣の幕僚が入れ代わったようだった。
本陣の幕の中に控えていた兵士たちが、倒れていく者に変わって、地図の上でコマを動かしている。
「そうね、じゃあここにしましょうか。ここに兵士たちを集めておけば、あとでまとめて始末できるわね」
そう、入れ代わっていた。
焦点が定まらなくなっていく視界の中で、シュショセイは気づいた。
少なくとも先ほどの段階、自分へ質問を返したあの伝令が、今本陣で指揮を執っていると。
そう、この軍を壊滅させるための指揮だった。
「難しいことをおいておいても、逃げろと言えば逃げそうですがなあ」
「いえいえ、普通に逃げられると困るので、まとめてもらおうという話ですよ」
信じられなかった。
この本陣は、厳重に守られている。
外では多くの精鋭が、この苦境でも正しく防御してくれている。
それを力づくで突破するならともかく、複数ですり抜けるなどありえなかった。
だがしかし、Aランクモンスターが出現するよりは、まだありえたのだろう。
とはいえその効果は、下手をすれば魔王たちよりも劇的だった。
「では、獅子子さん。そのように行きましょう」
「私に敬語なんて使わなくていいのよ? 蛍雪隊の隊員も、貴方達ネゴロ十勇士も、私の部下じゃないんだから」
特に騒ぎが起きることもなく、本陣の幕僚たちが全員死にかけている。
それをしり目に、この軍を壊滅させるための伝令をもって、偽物たちが天幕を出る。
まずい、止めなければ。
そう思っても、指一本動かない。
「天幕の中では、撤退に合わせて重要な資料の廃棄を行っている、中へ入らないように」
念入りに、護衛へ言い含めていた。
そして護衛達も、この状況では伝令を疑えまい。
幕僚たちは世の理不尽を嘆いて、この世を去っていく。
なるほど、その通りではある。十万からなる侵略者よりも、討伐隊のほうがよほど理不尽な存在であった。
(なぜだ、なぜ討伐隊に……凄腕の暗殺者などいるんだ……!)




