木を見て森を見ず
罠か囮か、トラップかデコイか。
ただでさえ寡兵だった討伐隊は五つに分かれ、そのうちの一つはまったく動かなかった。
普通に考えて、罠か囮だと想定するだろう。少なくとも、そのまま王女がすんなり捕まるとは、流石に誰も信じていない。
しかし陽動のための囮だったとして、どんな効果を期待しての囮なのかわからない。
ここまで数に開きがあれば、少々の部隊を少し離れたところへ動かしても、まったく問題が起きないだろう。
まさか十万の軍が、すべて殺到するとは思っていないであろうし。
であれば、罠と考えるべきか。
しかし罠があるとしても、一体どんな罠を仕掛けるのだろうか。
西重軍の頭脳を結集しても、さっぱりわからない。
結集させた武将を一網打尽にされたと知らぬ彼らでも、既に敵が馬鹿でもあほでもないと知っている。
王女が本当に来ていると仮定した場合、わざわざ劣勢の戦場に王女を連れてきたのだから、何か意味があるのだと考えるだろう。
戦略上の必要性は一切なく、ただ士気高揚と見栄のために前線へ来た、などとは想像もすまい。
だがそれがシュバルツバルトの討伐隊なのだ、恐ろしい職場である。
とはいえ、敵が迷ったのも当然だ。奇策を行うとしても、マンパワーは膨大に必要になってしまう。
仮に『まきびし』のような簡易なトラップを仕掛けるとしても、百人相手に有効なほどの量を用意することも、それを撒くことも簡単ではない。
油を用意して火計を行うとしても、やはりそれなりの量の油を用意しなければならないし、もちろん自分たちが燃える可能性も存在している。
そして仮に成功したとしても、鎮火するまで下がって待つ、という初歩的な対処法を相手が取ればそれまでだ。
もしも王女が本物だったなら、それこそ大将軍に匹敵する戦力でも置いていなければ、逃げるか降参するしかないだろう。
そんなことはありえない、いくらなんでもそんな戦力がいるとは考えにくい。
現時点で、大将軍たちと拮抗する戦力がそろっている。その時点でおかしいのに、さらなる戦力がいるなど想像の外だ。
だがしかし、逆に。
大将軍に匹敵する戦力が三人、武将に匹敵する格の持ち主が十人近く、精鋭たちが百人以上。
既にこれだけそろっているからこそ、『それだけ』の戦力がまだ潜んでいる可能性も、考慮しなければならなかった。
※
十万の軍の内の千。
全体からすれば百分の一という小戦力だが、役場の職員を合わせた討伐隊の総数よりも遥かに多い。
一般の兵士たちばかりではあるが、武装している兵士というだけで既に恐ろしいだろう。しかも全員が、報酬に目がくらんで全力疾走してくる。
仮に地雷の類が仕掛けてあると知っても、そのままつっこんできそうなほどだった。
疑似的なスロット技による防御壁に守られているとはいえ、殺到してくるところを見れば恐怖は著しいだろう。
(ちょっと大きくて武装しているだけの、普通の人間が千人ぐらいか……それでも怖がれるなんて、俺にもまともさが残っているんだなあ)
狐太郎も怖がっているのだが、それなりに傍観できていた。
恐怖に我を忘れかけているのは、隣のダッキであろう。
「うっうっ……ううっうっ!」
狐太郎の胸に顔を押し付けて、鼻水などをこびりつかせている。
だがしかし、誰が咎められるだろうか。武装している千人の男が、自分めがけて襲い掛かってきている。
それが妄想ではなく、ただの事実なのだから救えない。
「……大丈夫だ、もう少しの辛抱だ」
狐太郎は、それを慰める。
何が始まって何が終わるにしても、それはすぐにわかることだ。
決着までの時間は、そう長くないだろう。
(ね、ねえ、バリアってどれぐらい持つ?)
(供給しているお前次第だ……攻撃されたら、長くは持たないな)
(ちくしょう……石碑になりたくねえ……銅像になりたくねえよ!)
(言いたいことはわかるけども、もうなってるじゃないの……!)
そのバリアを張る四人も、正直に言えば泣きそうだった。
特にキコリとマーメは、バブルに石を投げられていた時のことを懐かしむほどだった。
バブルの投石など、この状況に比べればまさにお遊びだろう。
武将でも精鋭でも正規兵でもない、千人の兵士。
それは十分に脅威であり、ダッキを奪うには十分な戦力に見えた。
「まったく……敵も味方も、私のことを軽く見過ぎじゃないかしら」
現在この本陣には、女子供しかいない。狐太郎は子供と言い難いが、見た目は完全に子供である。
だがしかし、この場に戦力が残っていないわけではない。
一人は究極。大将軍たちからの流れ弾を防ぐ役割を持ち、絶対的な盾として存在している。
次いで、蛍雪隊のコチョウ。当然ながら、火の精霊を従えており、場合によっては彼女が攻撃を行う予定になっていた。
しかし、その出番は来ないだろう。
「まあ敵は仕方ないとしても、味方にまで軽く見られるのは少し嫌ね……狐太郎君も、私が信頼できない?」
「いえいえ、そんなことはないですよ」
軍務につくことを嫌がっていた、蛍雪隊隊長シャイン。
まさに魔女という恰好をした彼女は、バリアの前に立ちはだかっていた。
「さてと……軍が嫌いで、あの僻地に閉じこもっていた私を、ここに引っ張り出したんだもの……何かできると思わないことね」
彼女も美しい女性である、捕まればそのまま不幸な目にあうだろう。
だがしかし、一切の怯えを彼女は見せない。
まだ遠くに見える千人の男たちを、まさに蟻のように眺めていた。
「停止」
立ち上るエナジーは、あまりにも膨大で濃厚だ。
それだけならばさほど驚くことではないが、恐るべきはその『性質』。
通常は一種類しか使えないはずの属性を幾重にも混ぜていく。
「接続」
その光景を、他でもない四人のクリエイト使いは見ていた。
それこそ教科書でしか見たことがないような、伝説級の大技である。
「吸収……疲労……」
まさに、目を疑う光景だった。
今まさに六人の強者がぶつかり合っているのに、それよりもなお恐ろしい光景である。
「低速……五重属性!」
四人は、この数年間真面目に努力をしてきたつもりだった。
教師たちからは『秘めた才能などない』と言われていたが、心のどこかで期待をしていた。
修行の成果である四重属性を、たった一人であっさりとぶち抜く大天才。
実質的に一人でここの守りを任された、当代きってのスロット使い。
「真冬の誘い!」
武将が行えるレベルさえ、はるかに飛び越えた広範囲へ渡る大規模のスロット技。
おそらく戦場全体の、その半分までも呑み込んだ、あまりにも規格を外れた『一網』による打尽。
城壁の上からでも観測できる、一人の人間が使っているとは思えない複合技。
「あ、あっさりと五重属性のスロット技を……ホワイトさんだって三重が限界なのに!」
「凄い……レベルが違う……」
放たれたエナジーの網は、接近してくる男たちを全員絡めていた。
停止、接続、吸収、疲労、低速。五つの属性がすべて同時に発現している、具現化したエナジーに触れた者たちは、突如として体の変調を覚えていた。
「あ、ああ……?」
「な、なんだ……あ、あれ?」
「ち、ちくしょう……な、なんだよ……」
「ま、前に……」
体の動きがゆっくりになって、断続的に停止する。
光る網が、体にくっついて離れない。
力が吸われていく気がする、どんどん疲れていく。
一攫千金を求めて突っ込んできた男たちが、道半ばで力尽きて倒れていく。
体の熱が抜けていき、指一本動かす力さえ消えていく。
もはや彼らは、呼吸する力さえなくなっていき、そのままゆっくりと疲労の雪に溺れていった。
「えぐい……」
同じようなことができる究極をして、規格の違いに劣等感が否めない。
もちろん無敵という意味では自分の方が上だが、広範囲の敵を拘束して無力化することにかけては、彼女の右に出るものはいまい。
体の中に二十もの属性を宿し、そのすべてを実用化させ、なおかつ最大六つまで併用可能。
最大最強のモンスターであるベヒモスさえも、力づくで抑え込む拘束力の持ち主。
あらゆるエナジー技の中で、最も高度とされるスロット技。
その使い手の中でも、『当代きって』と言い切れる至極の使い手。
まさに、魔女。その手から逃れるには、人間では小さすぎる。
「お見事です、隊長」
「こんなことで評価されても困るわよ……いつもの方が、よほど頑張ってるわ」
コチョウから賞賛されたシャインは、今も術を使い続けている。
もちろん、死ぬまで続ける所存だ。侵略者相手に手心を加えるほど、彼女に博愛の精神はない。
「でも嫌なものねえ……こうやって人をあっさりと殺すのは。価値観が狂って仕方ないわ」
何が何だかわからぬ間に、倒れて殺されていく千人の男たち。
彼らは先ほどまで故郷のために戦う兵士であったのに、もう死んで動かない。
まだ助かる見込みはあるのに、助けてもらえない。人の命が、あまりにも軽すぎる。
「コチョウちゃんも気をつけなさいよ。こうやって人を殺すのが得意になると、軍人さんに目を付けられちゃうから」
「は、はい……」
蛍雪隊に入隊して以降、コチョウは今まで何度も思い知ってきたことだが、討伐隊の隊長の中でも彼女は本当に格が違う。ある意味では、ガイセイ以上に特別だろう。
そんな彼女から『こんなに便利な使い手になるな』と言われても、それこそ大将軍やAランクハンターから『似てるね』と言われるぐらいの齟齬を感じる。
「すげえ……道理でここの守りを、たった三人に任せるわけだ……」
「私たち、本当に置物だわ……」
もちろん、そのコチョウよりもさらに格下の四人は、自分たちの意義さえ疑い始めていた。
最初こそほぼすべての戦力をここへ残さないことに抵抗を感じていたが、今となっては極めてまっとうな采配だと分かる。
大英雄の攻撃さえあっさりと受け止める究極と、どれだけ大勢の兵士もからめとるシャインがいれば、それこそ総攻撃を受けてもどうにかできそうである。
「そんなに持ち上げても何もできないわよ? どうせ結局のところ……あの戦い次第で、何もかも決してしまうんだから」
だがそのシャインをして、この戦場では決定打ではない。
この戦場の命運を決するのは、あくまでも最大戦力六人のつぶし合いだった。
できれば支援をしたいが、あの領域に踏み込めるものはほぼいないだろう。
むしろ、近づくだけでも邪魔になってしまう。
真に選ばれし者たちの戦いを、彼女は眺める。
それは正に、眺めることしかできない戦いだった。
「まあもっとも……ジョー様の作戦が通じるのなら、そろそろ効果が及ぶはず」
「……きっと通じるさ」
未だに抱きしめられたままの狐太郎は、ジョーの作戦が成功すると確信していた。
相手が大将軍である限り、ジョーの策から逃れることはできないと、Aランクハンターである彼こそが確信していた。
※
武将と、彼らの率いていた部隊の壊滅。
加えて、本陣を守るスロット使いの存在。
それを知った西重の本陣では、絶叫が響いていた。
それを諫めるべきシュショセイさえも、らしくもなく頭を抱えていた。
「なんだそれは……!」
戦術の基本は、やはり『敵より強いコマ』か『敵より多いコマ』をぶつけることである。
そして現状、敵はこちらの対処に対して、単純に強いコマをぶつけてきた。
「一体どうなっているんだ、この街は……!」
シュショセイや幕僚たちの頭から、包囲しているはずのカセイが抜けていたことは事実だ。
だがまさか、デット技の使い手が二十人以上いるなど、想像できるだろうか。
本陣へ威力偵察を試みたら、凄腕のスロット使いが待ち構えていたなど、想像できるだろうか。
道のわきにあった小屋から、敵の大将軍が出てきたようなものである。
そんなことを想定していたら、戦術など成り立たない。
「ここは王都じゃない、ただの交易都市のはずだ……なんでそれだけの戦力が常駐しているんだ!」
央土は大国である。これだけの戦力が存在すること自体は、そこまで驚くことではない。
だが交易都市、商業都市、大公が治めているというだけの都市であって、王都のように外国からの襲撃を想定しているわけではない。
Aランクハンターが一人いることは想定できるが、他にもこれだけの戦力を集中させておく意味が分からない。
「我らがここへ来ることを想定していた……にしては、道中での迎撃がなかった……我らがカセイを包囲してから、慌てて来ていた……その時点で、我等のことを知らなかったと考えるのが自然だ。ではなぜ、アレだけの戦力が……」
余りにも不可解で、合理的な理由を見出すことができなかった。
なにか大いなる陰謀か、運命か何かを感じてしまう。
しかし実際には、隠されてもいないことを、誰もが知っていない、知ろうとしていないというだけのことだった。
なおのこと、余計に知り様はあるまい。
「いいや、そんなことを考えても意味はない……それよりも……武将、黄金世代の喪失が大問題だ……負けることはないとしても、このままでは……いいや、もうどうしようもなく……!」
戦力の逐次投入は、無駄に戦力を消耗させるだけだとされている。
しかしそれはそれとして、威力偵察を怠れば、集中投入した戦力を喪失することもある。
それを正しく警戒した結果、シャインによる喪失は最小限に抑えられた。
だがしかし、正規兵を従える武将たちは、実質的に主戦力だった。だからこそ、何があっても負けることがないと、勝手に思い込んでしまっていた。
その結果が、一切の喪失である。もしも投入する戦力を限っておけば、一度しか使えないであろうデット技の被害を、その分だけ減らせただろうに。
武将だと言っても、大将軍に比べれば雑兵と大差はない。
それでも大将軍が軍を率いて戦うのは、征服や占領の為である。
如何に大将軍が強くとも、一人や三人で複数の街を監視下に置けるわけではない。
カセイを占領するため、一般の兵士たちを戦わせたように、大将軍だけで軍隊の役割をすべてこなせるわけではないのだ。
その中核を担う人材が、一切喪失されてしまった。余りにも大きすぎる失態である。戦略的に見れば、もう負けたようなものである。戦う意味さえ失ったようなものだ。
「いいや、それ以前だ。我らはAランクハンター一人と戦うことは想定していたが、それ以外にもこれだけの戦力がいるとは思っていなかった。正規軍と戦う前に、これだけ消耗するなど、完全に想定外だ。もう絶対に、この国の大将軍と戦えるだけの体力がない!」
西重軍は討伐隊を倒してカセイを占領すれば、目標を達成できるわけではない。だが討伐隊は、最悪自分たちが全滅してもいいと思っている。
その点が、決定的な差となって現れていた。
「……ちがう!」
そうした過去や未来への思考は、ノイズでしかない。
重要なことは、現状の打破、次の指示である。
シュショセイは己を叱咤して、コマの置かれた地図を見る。
敵は最初からちっとも減っておらず、味方はどんどん減っていき、陣形は崩れていく。
目をそむけたくなる光景だが、だからといって責任は放棄できない。
「そうだ、私は大将軍代理。この戦場をウンリュウ様から預かっている! 後で殺されるとしても、役目は最後まで果たす……?」
彼は、改めて盤面を見た。
そのうえで、不可解な状況に気付く。
「皆、聞きたいことがある」
絶望していた幕僚たちを集めて、シュショセイは根本的な疑問をぶちまけた。
「なぜ敵は、こんな作戦を取った。破格のスロット使いがいるのなら、それを軸に戦えばいい。それこそ防衛線に徹していれば、こんな無謀な突撃をする意味がなかったはずだ」
先ほどまでは想像もしなかったが、敵にはスロット使いがいる。
であれば、普通に戦っても良かったはずだ。カセイが陥落寸前だったならともかく、まだ持ちこたえていたことは遠目でもわかったはず。
ではなぜ、可能とはいえ戦力を分散させた突撃を行ったのだろうか。
「スロット使いの体力に不安があったのでは? つまり本陣が盤石に見えるのはブラフで、二度三度突撃を仕掛ければ突破できるかもしれません」
「ありえなくはないな……だが理由としては弱い気もする。それに……それならむしろ、防衛線で使い潰したほうが良かったはずだ。なぜ精鋭を危険にさらしてまで……」
シュショセイは、自分が言いかけたことにハッとした。
「なぜ自軍を危険にさらしてまで、私たちを攻め立てているんだ?!」
直後である。
戦場全体にとどろくほどの、幾重もの轟音が響いた。
「ほ、報告いたします!」
簡素なテントの中にある本陣は、衝撃によって崩れかけていた。
そのテントの中へ、見張りが慌てて入ってきた。
「だ、大将軍閣下が、負傷なさいました! まだ戦っておられますが、かなり重い怪我のようで……」
「ば、バカな……クモンとキンソウがいるのだぞ、同数なのだぞ?! なぜ閣下が追い込まれる!」
彼の頭の中で、ピースとピースがはじけ合っていた。
無理もあるまい。彼はまだ討伐隊が、格下だと思い込んでしまっている。
一国を滅ぼす軍勢が、負けるわけがないと思い込んでいる。
だからこそ、ジョーの策に気付けない。
既に必要な材料は、彼の頭の中にそろっているのに。




