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騎虎の勢い下ることを得ず

 役場の職員たちは、戦場に来たことを後悔していた。

 なにせ大将軍と実際に戦っているのだ、命がいくつあっても足りない。

 しかしよくよく考えてみれば、あの基地も大概だった。おそらく大差がないだろう。

 そう考えれば、希望がある分マシだろう。そう思わないと、やっていられなかった。


(しかし……聞きしに勝るとはこのことだな)


 彼ら彼女らは、まずここに来るまでのマラソンで疲れ切っていた。

 すっかり息を荒くしていた面々は、もう息が止まりそうになる戦場で、狐太郎の後ろ姿を見ていた。


(ほとんど全員戦力として送り出すなんて……意味が分からない!)


 現在討伐隊は、戦力を五つに分けている。

 大将軍と戦う三人、三つの突入部隊、そしてがら空きの本陣。

 狐太郎とダッキは、限りなく戦力の少ない本陣に座っている。

 なにせ役場の職員という、盾にもならない役立たずの集まりが主だったメンバーだ。

 もちろん侯爵家の四人は全員ここにいるが、おそらくまったく役に立つまい。


 作戦の立案自体は、ジョーが行った。

 しかしその作戦の許可自体は、他でもない狐太郎がしている。

 狐太郎が許可をしてしまったので、ダッキも見栄を張って斉天十二魔将を手放さざるを得なかった。


 まさに本陣は、飾りだった。

 女子供だけで構成されており、どう見ても戦える雰囲気ではない。


 彼はそれを許可して、請け負っていたのだ。

 彼は何もしていないが、ここにいる。

 ここにいて、泰然としている。それだけでもう、一種の英雄めいたことであろう。


「……」


 見ようによっては、狐太郎の姿は堂々としたものだろう。

 彼は地面に置かれた簡素な椅子の上で、怯えもせずに戦場を俯瞰していた。

 それこそ、恐怖を通り越した諦念である。


 侯爵家の四人は、彼のその顔を知っている。

 あの雪洞の中で、孤独ではないと言って死にかけていた、彼のことを覚えている。

 もうやれることをやり切って、結果を待っている顔だった。


「……ねえ、狐太郎様」

「なんですか」

「怖くないの? わ、私は怖くないけど」


 ダッキは、狐太郎の隣に座っていた。

 彼女もまた野外用の、折り畳み式の椅子に腰を下ろしている。

 しかし泰然とは程遠く、とてもではないが、落ち着きがない。

 だがそれは正常であろう、少なくともこの状況では安心などできまい。


「怖いか怖くないかで言えば……まあ怖いのだろうけども」

「な、なんだ、怖いのね! み、みっともないわ! ね、ねえ……怖いんだったら、戦力を戻さないの?!」

「なんで」

「なんでって……」


 戦力を手元に置きたがるのは、貴人として、人として、生き物として当然のことだ。

 少なくとも、このままここにいるよりは安心できる。


 いいやそもそも、この戦場でほとんど戦力を吐き出したまま、というのは正に正気を疑うことだ。

 提案したジョーも大概だが、まったく悩まなかった狐太郎は本当におかしい。


「……俺達は何もしてない。いいや、俺は何もしてない。だったらまあ……命を賭けるぐらいはしよう」

「そ、それでいいの?」


 ダッキは、死ぬのが怖い。

 今更になって、どこにでもいる誰かのように、死ぬのが怖かった。


「……ダッキちゃん、怖いかい」

「う、うん! 怖い!」

「そうか」


 懐かしい、何もかも懐かしい。

 狐太郎は、蛍雪隊の隊員、老いたハンターと共に雪に埋もれていた時のことを思い出していた。


「手」

「え?」

「手を取るかい? 気休めにはなる」


 狐太郎は、左手を彼女に向けた。

 彼女はそれを、少し迷った後握った。


「こ、怖いよ……これぐらいじゃあ、全然だよ……」

「そうか、そうだよなあ」

「そうだよなあ、じゃないよ!」


 手を取ったぐらいで、どうにかなるような恐怖ではない。

 この危機的状況を、どうにかできるほどの力強さはどこにもない。


「じゃあ一緒に我慢しよう」

「なによそれ!」

「大丈夫、直ぐに終わる」


 勝つにせよ、負けるにせよ、戦いは終わるだろう。

 それも、この二人がこれ以上何かをすることもなく。


「俺達は怖いし、命を賭けている。でもあそこで戦っている人たちは、怖くて命がけで、しかも疲れて苦しくて痛いんだ。だったら、せめて怖い思いは一緒にしよう」


 ああ、どうにもならないのだ。

 生物がもつ、根源的な恐怖は。

 どうにかして、安全で安心を得ようという、その心が既に卑しいのだ。


 自分は、この苦しみと悲しみに耐えなければならない。

 彼がそうしているように、ただ耐えるしかないのだ。


「嫌だよ……死にたくないよ……痛いのは嫌だし、捕まりたくないよ……」


 狐太郎の手を、彼女の手が強く握る。

 その嗚咽は、まさに本音であろう。


「捕まったら、ひどい目にあうんでしょう?!」

「そうだ、死んだほうがマシなぐらいなことになると思う」

「そんなの嫌だよ!」

「だから戦っているんだ、あの人たちは」


 狐太郎は知っている。

 今あの場所で戦っている人たちは、決して狐太郎の命令に従っているわけではないのだと。

 だが、だからこそ尊い。


 カリスマというものがある、カリスマ性という言葉がある。

 他人を魅了し、夢を与え、未来へ導き、大勢を従える力がある。


 だがそれは、信念のない者にしか通じない。

 既に夢を持ち、やるべきことを定め、誇りを持っているものには通じない。


 何をしていいのかわからない、何もしていない者だけが、その力を欲しがる。

 己にも、他人にも。自分にそれがあればと憧れ、他人にそれがあれば信じたくなってしまう。


 だがそれは、欺瞞だ。

 結局、烏合の衆をまとめているだけだ。


 狐太郎に虎が従っているのは……。


『私たちが、ご主人様に触りたかったからです』


 虎と狐のやるべきことが、一致しているというだけなのだ。

 命令されるまでもなく、彼らは命を賭けて戦いたがっているのだ。


「君のことを守りたいから、君を守るために戦っているんだ。だから、信じてあげよう、一緒に怖がろう」


 虎の群れの中にあって、主だと認められた男。

 虎と同じ仕事に就くことを、認められた狐。

 彼は静かに、自分の運命を待っていた。


 逃げることができたのに逃げなかった、自分の身を守ることができるのに守らなかった、諦めていいのに諦めなかった男は、同じように立ち向かう彼らの結果に命をゆだねていた。


「……大丈夫、一人じゃない。孤独に死ぬわけじゃないんだ、寂しくはないだろう?」



 迷彩属性を持つ斥候が、大急ぎで情報を持ち帰ってきた。

 その内容は、なんとも恐るべきものだった。


「報告いたします! 敵本陣と思わしき場所には、非戦闘員と思われる者たちだけがおりました! 防御属性らしきバリアで守られている者が数名発見でき、そのうちの一人の特徴は第一王女ダッキと合致しました!」


 聞いた西重軍の本陣は、何度か目の困惑を味わっていた。


「十中八九罠……いいや、十中十罠だ」


 シュショセイは、そうつぶやいた。誰がどう考えても罠である。

 今も行われている、常軌を逸した分散突撃も、戦力を配分した上での分散だった。

 到底信じられないことだったが、分散した隊それぞれに複数配置できるほど、相手には武将が在籍していたのだ。


 であれば、ほぼ間違いなく。いいや、間違いなく、本陣にも戦力が配分されているのだろう。

 現場を確認してきた斥候自身、迷彩属性を使っている。向こうにもその使い手がいない、とは言い切れまい。

 あるいは、その非戦闘員に見える者の中に、それだけの実力者が紛れていないとも限らない。


「だが……どんな罠なのか、確認する必要はある」


 非情な決断だが、軍隊には必要なことである。

 罠だと思ったから放置した、では軍隊は通らない。

 もちろん放置していい案件ならその限りではないが、捕縛するよう命じられている王女が現場にいると認識してしまった以上、確認をしないわけにはいかない。


「……比較的本陣に近い場所の兵を動かせ。もしも実際に王女を捕縛すれば、一生遊んで暮らせる額……いいや、末代まで遊んで暮らせる額の報酬を約束し、なおかつ歴史書に名前を刻んでやると伝えろ」

「……わかりました」


 シュショセイの発言に嘘偽りはない。というよりも、一々言う必要がないほどだろう。

 なにせ一国の王女を捕縛するのだ、それぐらいの報酬は支払われる。加えてその成果を、歴史に残すぐらい大したことではない。


 だが問題なのは、それが途方もなく難しいということだ。

 まさに宝くじが何十回も当たるほどの幸運があって、ようやく叶う奇跡だ。

 なにせ最初から戦場に王女がいない、という可能性もある。

 そもそも先ほどの音声属性による宣誓以外に、彼女がいるという証拠はない。言ったもの勝ちであるし、王女ならばよく似ている影武者ぐらいいるだろう。


 だからこそ、まさに兵を騙すに等しい行為なのだが、そうでもしなければ兵は動けない。

 また先ほども言った様に、本当に王女がいて本当に捕縛したのなら、大手柄として本当に報酬を支払う。

 だから嘘ではない、というのは欺瞞だろうか。

 欺瞞ではないが、詐欺だろう。リスクを話していないのだから。


「では、何名ほど」

「……」


 これは威力偵察である。当然十人かそこらでは、何が起こったのかわからない。というよりも、普通に考えて十人で捕縛をするのは無理だ。

 とはいえ、一万も動かせない。なにせその近くでは、六人の大将軍格がぶつかり合っている。そこまでの規模の数を動かせば、被害は甚大になるだろう。

 なにせ相手にしてみれば全員敵だが、こちらの大将軍からすれば全員味方だ。足を引っ張る形になるだろう。


「千名だ。全員雑兵でかまわん、とにかく罠を確認しろ」



 戦況は、しばらく一方的だった。

 ある意味作戦通りではあるが、突入した部隊は対応をされなくなってきた。正規兵が立ちふさがることはなく、実力者が背を追ってくることもなくなった。

 そして、雑兵は逃げていく。当たり前すぎることだった。


 プルートに率いられた虫型モンスターなど最たる例だが、シュバルツバルトのモンスターは恐怖で逃げることがほとんどない。上位であればなおのことだ。

 だが普通の人間は逃げる。雑兵であれば、当然だ。そしてジョー達にしても、雑兵にかまって体力を消費するわけにはいかなかった。

 ある意味、双方の利益が釣り合っている状態と言える。


 だがそれが維持されるのは、あとどれぐらいだろうか。

 刻一刻と変化する戦況は、やはり相手に依存している。


「隊長。やはり敵は、戦力を集中させ始めましたね」

「当然だ、確実を期するのなら私でもそうする」


 共に戦場を駆けるショウエンは、ジョーの戦術に敬服していた。

 今のところは、何もかもジョーの想定通りである。


「結局戦術というものは、相手のコマが強ければこちらも強いコマを用意するしかない。相手より強いコマがないのなら、相手より多くコマを用意するしかないのだ」


 極端な話、大将軍が一人でも手を空けていれば、それをこちらにぶつけてきただろう。

 だがそれができないということは、やはり相手には最大戦力が残っていないのだ。


「そして……自分で言うのもどうかと思うが、武将格の戦力はできるだけ使い潰したくあるまい。可能ならば、絶対に勝てる状況を作るだろう。一度戦力を喪失していれば、当然のことだ」


 雑兵が惜しくないわけではないだろう。

 だが戦力の逐次投入を避けて、可能な限り被害を抑えつつ勝とうとする。

 それが軍師というものだ。


「だが、そこが付け目だ。効率よく合理的に攻めてくれば……」

「攻めてくれば……なんでしょうか」

「強い方が勝つ」


 いっそ、犠牲上等で削りに来られた方が厄介だった。

 だがそれはできない、無理だ。

 そこが、決定的にこちらの有利な点だ。


「強さをぶつけ合うのなら、私たちに負けはない……!」



 城壁の上では、ほとんどの兵士たちが観客に近くなっていた。

 もちろん弓兵などは矢を射かけているが、乗り込んできた兵士たちと戦うはずの白兵戦要員たちは、大いに暇を持て余していた。

 眼下では大量の軍勢を、蹴散らして進軍する頼もしい友軍が見える。


 まさに痛快であろう、今まで調子に乗っていた敵が、一気に瓦解していくのだから。

 城壁の上からは、戦況を一望できる。敵の本陣が把握するよりも、ずっと早く正確に、自分の目で見れるのだ。


 雑兵とは格の違う正規兵の武装をした一団が立ちふさがり、しかし進軍を止められず一瞬で吹き飛ぶ。

 騎兵隊が背を追うが、しかし部隊から飛び出た武将が薙ぎ払う。


 まさに鎧袖一触、もはや敵は逃げ出していた。蜘蛛の子が散るように、膨大な兵が逃げ惑っている。

 先ほどまで絶望的な戦いを演じていた彼らにとって、これほど喜ばしいことはないだろう。


「いいぞ! いけええ!」

「西の侵略者を蹴散らせええ!」

「仲間の仇だ! そのままやってくれ!」


 だがしかし、敵は本気で動いてきた。

 上から見れば明らかだが、進撃を続ける一団へ大量の正規兵が殺到している。

 大勢の自軍を下がらせて、強力な兵ばかりで逃げ道をふさいでいく。

 それは、まさに包囲網だった。アリの逃げる隙間も与えない、絶望的な壁だった。


「くそ、敵も動き出しやがった!」

「だ、駄目だ……もう動きが取れてない!」

「逃げ道をふさがれた……ここまでか……」


 その動きを嘆く者も多いが、一部の者は別の動きに気付いた。


「み、みろ、あっちを!」

「大将軍たちの戦いか?」

「違う、その奥だ!」


 未だに減らぬ敵のその先に、討伐隊の本陣が見える。

 そこへ向かって、まとまりに欠ける雑兵たちが殺到していた。

 おそらく、その数は千にも及ぶだろう。十万の軍勢からすれば微々たるものだが、それでも千という数はバカにできない。

 バカにする者がいるのなら、実際に戦わせればいい。どうせ一人も倒せずにやられるだろう。


「おい! あそこは王女様のいらっしゃるところじゃないか?!」

「くそ、侵略者どもめ! 王女様まで狙うんなんて!」

「逃げろ、逃げてくれ!」


 城壁の上に立つ者たちは、同時に危機を視認していた。

 一灯隊と本陣、その両方へ敵の手が伸びている。


「おい、人間ども。そこを退け」


 だがそれはつまり。

 城壁の上で待機していた戦力ならば、どこへ向かえばいいのかすぐにわかるということだった。


「人間どもって……ひぃ?!」


 兵士たちは、振り向いて慄いた。

 野蛮な武装に身を包んだ、普通の人間の男よりも大きい、戦闘を生業とするであろう女の亜人たち。

 数十人という『寡兵』ながら、しかしその圧力は極めて強い。


「ふん……大公も中々粋な計らいをしてくれるな。確かに一灯隊が狙われて、包囲されている」


 その集団の長は、顔を隠した仮面の奥で笑っていた。

 それはもう、意地の悪い笑みである。


「あの連中を助けるのが、私たちの仕事だ。分かるか? あの、かわいそうな、困っている、助けを求めている連中に、愛の手を差し伸べるのが私たちの役割だ」


 皮肉を込めた言い回しに、彼女の部下たちは大いに笑う。



「一灯隊に借りを返すぞ、お前たち!」


 

 大公がここまで温存していた、城内最大の戦力。

 全員がデット使いという、破格の爆発力を持つ亜人の集団。

 かつて一灯隊と互角の戦いを演じた、女傑の集まりレデイス賊。


 久方ぶりに拘束を解かれ、大一番での大暴れであった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 狐太郎はさ 立派な男だよ、うん
[一言] 鵺と究極はどこに行ったんだろう。本陣に居るのかな。それなら、最低限の戦力は確保できそうだけれど
[良い点] 相手の手札は全オープンされてるのに対し、こちら側はちょっとずつ札を引っくり返して行く展開が良いですね まだ魔王3体以外にも隠れてる札が… [一言] 果たして、レデイス賊に活躍の場は来るんだ…
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