百獣の長
世の中の物語には、仮想戦記というものがある。
日本全体が異世界に行って、その先で戦争をする、という種類の物語もそれなりに存在している。
大抵の場合、日本が侮られて、戦争を仕掛けられ、一方的な技術格差で圧倒して勝利する。
相手が魔法文明とかで『魔法がない国なんて大したことねえよ』と勘違いして攻め込んでくるのならまだしも、おなじ科学文明の国なのに『俺の国が一番に決まっている』と思い込んで攻めてくる国もある。
なぜか。そういうお話だからである。
仮想戦記を読みたがる読者は、とにかくさっさと戦争をして欲しいのである。戦争に一切つながらない話をだらだら続けているのは、恋愛小説で主人公が恋人に出会うまでの十数年間を詳細に描写するようなものである。
圧倒的な戦力差が彼我の国に存在していたとして、それが事前にわかって『じゃあ戦争しないほうがいいな』ということになったら、それこそ物語にならない。
そしてもっと言えば。
歴史を調べれば、そういうことが実際に起きた、ということも事実なのである。
相手のことを良く知らず、あるいは知っていたとしても、戦争を仕掛けるのはよくあることなのだ。
※
央土国には、国境を接する四つの国が存在する。
東威、西重、南万、北笛。
四異国と総称される四つの外国は、いつの時代も央土の領土を欲しがっていた。
理由は単純である。地形的、気候的に、人間が暮らしやすいからだ。
もちろん央土にも魔境はあるし、どこもかしこも暮らしやすいわけではない。
だが他の国々の暮らす土地に比べれば、格段に豊かである。
だからこそ四つの国は、それぞれの国境を押し込もうとしていた。
しかし、豊かな国ということは、それだけ人口が多く、それだけ軍事力が大きいということである。
四つの国が一気に攻め込んできたとしても、それなりに耐えることは可能だった。
もちろん、誰もが疑問に思うだろう。
大将軍やAランクハンターのような強者がいるのに、数的な不利が問題になるのか。
答えは簡単、人口が多いほどそうした強者の数も増えるからである。
極端な話、一万人に一人大将軍が生まれるとして、百万人の国には百人いて、十万人の国には十人しかいないのだ。
もちろん極端な話ではあるが、納得できる理屈ではあるだろう。結局人口が多い国が強いのである。
豊かな国から国土を奪いたいが、豊かな国は強いので奪えない。仮に一度奪っても、全力で奪い返しに来る。
幸い自国領はうまみが少ないので侵略されることはないが、それでも相応の報復を受けることも確かだった。
つまり央土国が内的理由で弱らない限り、四異国が付け入る隙は無いのである。
そう、誰もが思っていたのだ。一部の者を除いては。
『だが、それはできなかった。あまり大きな声では言えないが、こちらにも事情はある。キンカクたちならともかく、大将軍に比肩する三人は送れなかった。ナタに関しても、海沿いへ配置することに意味があった』
央土より西、西重国。
その国で近年、統計的な偏りが起きていた。
才気あふれる人材、若者たちが一気に増えたのである。
黄金世代と呼ばれる彼らは、他の国家とのパワーバランスを乱すほどに多かった。
そう、数が多かった。大将軍よりも強い人間が生まれたとかではなく、大将軍になりえる才能を持った者が例年よりも圧倒的に多かった。これは武将も同様で、大国である央土に比肩する数になっていた。
もちろん人口がいきなり増えたわけではないので、総兵数に大きな変化はない。
加えていえば、黄金世代以降の子供たちの才能は、平均的な数に落ち着いていた。
これを央土国の首脳部が知った時、激震が走った。
もしも増加傾向にあるのならそれはそれで問題だが、一過性の増加であればそれはそれで問題である。
その黄金世代が全盛期を迎えるか、或いはその前段階で、一気に侵略戦争を仕掛けてくるのではないかと。
だからこそ、西側の国境をしっかりと固めていた。
だがしかし、それさえも西重は超えてきた。
黄金世代を主力とし、それの前世代にあたる大将軍たちが率いて、一気に攻め込んできたのである。
それも国境を荒らすのではなく、一気に奥まで踏み込んできたのだ。
意図は明らかであろう。央土の国土を切り取るのではなく、央土そのものを滅ぼしてすべてを得ようとしている。
黄金世代という戦力だけではなく、なにがしかのブレイクスルーが起きたことは確実だが、それは今関係ない。
確実なことは、カセイが脅かされているということ。戦わなければ、守ることができない。
※
カセイはその存在意義、および成立の過程上、防衛に適しているわけではない。
しかし周囲が平地であることや、高い建物があるということによって、接近してくる敵影に対しては発見が早かった。
敵の接近を知らされた大公は、即座に警鐘を鳴らさせ、すべての門を開放し、門の外にいた民をすべて収容した。
その程度には時間的に余裕があったのだが、さりとて援軍を周囲へ呼べるわけもない。
常駐している兵士たちも、賊相手ならまだしも侵略してきた軍勢相手に立ち向かえるわけもない。
大公は収容が終わると同時に門を閉めさせ、定石どおりに籠城の構えを取った。
ただ一騎の、伝令を走らせた後で。
「こ、公女リァン様……王女ダッキ様……か、カセイは……現在襲撃を受けております……雲霞の如き敵軍……西重国の旗を掲げた軍勢が……私が離れるころには、完全に包囲を……!」
その伝令は、当然のように前線基地へたどり着いていた。
まったく障害はなく、一切追い立てられることもなく、速やかにたどり着いていた。
だがたどり着いた彼は、まるで死神に取りつかれたかのような顔をしていた。
如何なる証拠も必要ない、伝令兵の顔を観れば真実だと分かってしまう。
カセイが侵略を受けている、という真実が。
「わ、私は……お、恐ろしくて……恐ろしくて……!」
役場の中に集まった、前線基地の主だったメンバー。
これにダッキとキンカクたちを加えた面々は、伝令の話を笑わずに聞いていた。
ダッキたちがカセイを出た翌日に、カセイが包囲されるなどできすぎた話だ。
だがだからこそ、真実だと分かってしまう。
「あ、あの規模の軍勢です……ま、間違いなく、大将軍が率いております……もしもその気になれば、城壁など一撃で粉砕されるでしょう……そうしていないのは、カセイを無傷で手に入れたいからでしょうが……い、いつ、いつ、その気になるか……!」
震える彼を、ジョーは慰めた。
彼の肩に手を置いて、しっかりと安心させる。
ほんの数秒だった。誰もが黙ったのは。
ほんのわずかな間だけ、誰もが黙っていた。
ダッキやキンカクたちは、ジョーやリァンたちに話をしようとした。
ホワイトも同様で、前任者たちに意見を聞こうとした。
だが、表情こそ違えども、各隊の隊長たちは一様に狐太郎を見ていた。
黙っていた彼を注視して、彼の一言目を聞こうとしていた。
数秒、されど数秒。
ホワイトやダッキたちが彼を注視するのに、必要な時間は存在していた。
果たして彼は、何を言うのか。誰もが何を待っているのか。
新参者たちは、古参に倣った。
「全員で行こう、今すぐに」
あっけにとられるほど、単純な答えだった。
この言葉を、一々待つ必要があったのか、と思うほどだ。
この国を滅ぼすべく編成されたであろう、大将軍の率いる侵略軍に対して、この前線基地の面々だけで戦争を仕掛けるのに言葉が事務的すぎた。
いいや、事務的ならば、もう少しいろいろと説明をするだろう。彼の言葉は、勇気を奮い立たせたり、大義を語ったり、恩義を語るようなものではなかった。
この言葉だけ聞いて、なぜ死地に向かえるだろうか。
Aランク上位モンスターさえもしのぐ、最強の人間が従える軍勢に、どうして立ち向かえるのだろうか。
「よし、そう来ないとな!」
だが、抜山隊のガイセイは拳を自分の掌に打ち付けた。
この場で最強の男は、己よりも強い男と戦うことに震えている。
しかし、それはまだわかる。彼は、彼自身が、大将軍に比肩しうる実力者なのだから。
「ジョーさん。流石に一般職員は戦闘に巻き込みたくない、できれば避難させたいんだが……この基地に残すわけにもいかない……どうすればいいと思う?」
一灯隊隊長、リゥイ。
狐太郎へ反発している彼は一切異論を述べず、作戦ともいえぬ提案を詰めていく。
「竜の発着場があったね。あそこにいったん避難してもらおう。ここやカセイよりは安全だし、何よりも彼らだけで逃げられる」
白眉隊隊長、ジョー・ホース。
この基地の実質的な指揮官は、まったくもって現実的ではない作戦を実行に移すために、現実的な提案をしていた。
「やれやれ……しょうがないわね……こんな日は来てほしくなかったんだけど」
蛍雪隊隊長、シャイン。
戦争に参加したくない、という理由で東方戦線へ向かうことを拒否していた彼女は、誰に強要されることもなく覚悟を決めていた。
(……なんで?!)
ダッキは、目の前の光景を疑っていた。
ダッキだけではなく、伝令の兵士も同じように状況を疑っている。
今死地に向かおうとしている彼らは、伝令の言っていることを真実だと理解したうえで、しかし一切もめることなく全員での突撃を受け入れていた。
狐太郎の発言に、何か魔法でもかかっていたのではないか、と疑う程である。
カリスマ性はなく、起死回生の策もなく、恐怖による強制もない。
彼が全員で向かうと決めただけで、全員がその気で動き出している。
(なるほどな)
ホワイトは、その理由が分かった。
なぜ狐太郎の発言を待っていたのか、なぜ従っているのか、その理由が理解できた。
なぜなら彼自身、その気だったからだ。
(信じられねえ……)
十二魔将の三人も、同じように気付いた。
気づいたうえで、現実を疑う。
(こいつら全員、最初からそのつもりだったんだ!)
なんのことはない、狐太郎は全員を奮い立たせたのではなく、意見を変えさせたわけでもない。
彼らは最初から狐太郎がそう言うと分かっていて、自分たちもその気だったのだ。だから一切もめていない、それだけである。
各隊の隊長は、自分の隊の隊員に一々許可を取る気がなかった。
異論が出るわけもないと、部下を信じているのである。
「ダッキ、貴女はどうしますか」
一方で、ダッキはまだ状況がつかめなかった。
だがつかめなかったとしても、誰も待たない。とにかく動かなければならなかった。
「貴女と十二魔将の三人は、狐太郎様の指揮下にありません。もちろんカセイを守る義務もない。むしろ、王都へこの状況を伝える役目もある。決断しなさい、今すぐに」
「え、え、え?」
ダッキは、斉天十二魔将を見た。当然ながら、応えてくれない。
ああしましょうこうしましょうと、教えてくれない。
ここから王都に逃げるのも、カセイに向かうのも、どちらも王族として正しいからだ。
「だ、ダッキは……」
彼女は、答えを求めて狐太郎を見る。
だが彼も、何も言わない。それどころか、明らかに気が急いている。
今この瞬間にも、大公の下へ向かいたいと、全身で焦っていた。
ああ、この人は英雄なのか。
彼女がそう理解したのは、今この瞬間であろう。
こんな自分よりも背が低く、よわっちくて、何にもできない男が、侵略者に包囲された大公を救いたがっている。
彼に比べて、王族である己の、何たる卑小なことか。
「……キンカク、ギンカク、ドッカク!」
勇気のいる決断だった。
だがここで勇気を出さないことが、なによりも恥ずかしいと彼女は感じた。
「今から、虎威狐太郎の指揮下に入りなさい!」
「……!」
羽化の瞬間があるのだとしたら、今なのだろう。
キンカクたちは、王族の翼が広がることを感じた。
「聞こえなかったの?! 狐太郎様の指揮下に入るの! 返事は!」
彼女は恥を知ったのだ。
この土壇場で、恥ずかしくない道を選んだのだ。
「承知いたしました、王女殿下」
敗色濃厚と知ったうえで、自分も死地に行くと決断したのだ。
逃げ道があるのに、言い訳ができるのに、賢さに逃げなかったのだ。
「狐太郎様、これより我等は貴方様の指揮下に入ります。どうか、ご命令を」
「……ジョーさん、指示を」
斉天十二魔将から指示を乞われる、向こうから指揮下に入ってくる。
その事実に感慨を得るまでもなく、狐太郎は実質の指揮官にすべてを預けていた。
「わかった……だがその前に……!」
ジョー・ホースは部屋の扉を開けた。
そこには役場の人間が、そろいもそろっている。
無理もあるまい。狐太郎たちの決断によっては、自分達だけこの基地に残ることを強制されるのだから。
「あ、あの……ジョーさん」
「皆さん、聞いてほしい」
ある意味で、この基地で一番どうでもいい連中だった。
一種の囚人であり、死を待つだけの咎人だった。
彼ら彼女らのことなど、誰も配慮していない。
この、ジョー・ホースを除いては。
「聞いての通り、我等は全員前線基地を離れます。これに異論は挟ませません。当然皆さんは、この基地で無防備になる」
「そ、それは……」
この基地で、すべてのハンターが留守になる。
それは正に、この基地が餌箱になる瞬間だった。
「一般の職員は、家族を連れて避難してもらう。だが君たちは、法的にそれが許されていない。この基地を出れば、そのまま死刑になるだろう」
「うう……」
「だが、我等と共に戦地へ向かえば、それは恩赦が期待できる」
罪を帳消しにするほどの武勲。
それを彼らが立てるなど、本来はありえないことだ。
だが今は、そのありえないことが起きている。
「前線基地から、合法的に脱せる可能性もある」
その可能性を知って、彼らは思考が止まった。
まさに藁にも縋る想いだろう、何があってもここから出たかったのだから。
「あいにくだが、君たちと議論している時間はない。だがやる気があるのなら、今すぐ門の外に集合するんだ! 全員にそう伝えろ!」
「はい!」
かくて、本来無人になる筈のない前線基地から、人が一切いなくなることになった。
それはカセイの終焉を意味し、この基地が役割を終えたことを意味している。
だがそれは、誰も望まなかった形であろう。少なくとも大公でさえ、こんな形での放棄は望んでいなかったはずだ。
※
会議に参加していなかった侯爵家の四人は、話を聞いて全員青ざめていた。
つまり正真正銘、狐太郎とダッキを守る最終防衛線となった四人は、その責任の重さに失神しそうだった。
(……まさか本当に、そのまんまの意味で、国家の命運を背負う戦いに身を投じるなんて)
初陣で国家の存亡がかかった戦争である。しかも総大将の護衛である。
武人冥利に尽きるどころではない大任に、ロバーでさえめまいがしていた。
(あれ~~……なんでだろう……予定と違う……これ以上悪くなり様がないと思っていた戦いが、さらに悪化している……責任が増えすぎている……)
(石碑が増えるわ……銅像が増えるわ……これって、本当に英雄譚よ……無理、歴史に名前を刻むとか無理!)
ましてやキコリとマーメは、あまりの急展開に脳がついて行かなかった。
超強力なモンスターと相手をするはずが、それよりもはるかに強い大将軍の軍勢と衝突である。
ただの一兵士という枠でも、ありえないほどのことである。
もうすでに、誰もが前線基地から出ている。
もちろん四人も、基地の門の外に待機している。
実質的なこの基地の総戦力は、それこそ千人に届かない。
それで千や万の軍に挑むのだ、どう考えても自殺である。
にもかかわらず、ハンターたちは気を高ぶらせていた。
毛の色が違い過ぎて、普段は同じように動かない彼らが、全員精神を高揚させたまま黙っている。
全員、一切逃げる気がない。
(これが……大公直属のBランクハンターか……)
実際に戦うわけでもないであろう役場の職員たちをして、汗を流しながら震えている。
避難するはずの一般職員たちでさえ、世界が終わったかのように絶望している。
そんな彼らよりさらに弱いはずの狐太郎は、いつかのように静かだった。
(そして、Aランクハンターだ……)
自分の命、仲間の命を、完全に諦めていた。
全員死んでも、それは仕方がないと諦めていた。
そんな彼の隣に、ダッキがいる。
彼女は狐太郎のすぐ傍に立って、できるだけ近くに寄っていた。
これだけそうそうたる顔ぶれがいる中で、わざわざ狐太郎の傍にいた。
それが何を意味するのかなど、説明することさえ無粋だ。
「よし、これで全員だ……狐太郎君、もう基地には誰もいない」
「そうですか」
内部を確認してきたジョーは、それを狐太郎に報告する。
それを聞いた彼は、何も言わずにサカモの背に乗る。それに続いて、ダッキも彼の後ろに座っていた。
一般職員たちは、手に持てるだけのものを持って、竜の発着場を目指して歩いていく。
各隊の隊員は、隊長を先頭に前へ進む。
それに遅れまいと、役場の職員たちも走ろうとした。
その時である。
「狐さん!」
サカモの背に乗っている狐太郎を、下から呼びかける声がした。
ホーチョー、狐太郎専属のパン職人である。
彼は手に、明らかに大きな包丁を持っていた。
「あっしも……その……」
蛍雪隊の隊員と大差のない、老齢に差し掛かったパン職人。
彼が何を言おうとしているのか、狐太郎ならずとも察する。
「あ、あっしだって、腕っぷしなら若いのには……」
「……ホーチョーさん、俺の仕事にケチをつける気ですか」
上から突き放す彼の言葉を聞いて、しかしホーチョーは理解する。
差し出がましい真似だったと頭を下げて、一般の職員たちの元へ駆けていった。
「……行くぞ!」
今度こそ、進軍が始まる。
王族さえも従えて、一匹の狐が軍を率いる。
それは正に、虎の威を借る狐であろう。
【虎の威を借る狐】
『狐は虎にこう言いました』
『私を食べてはいけない。天帝は私を百獣の長に選んだのです。もしも疑うのなら、私の後についてきなさい。どんな獣も道を譲るでしょう』
鵺の背に、狐が乗っている。
鵺は走り、彼の足となる。
その彼に、虎たちが続く。
死をも恐れぬ、脅威の虎たちが走って続く。
憤怒に染まった、殺意を抱いた虎たちが続いている。
その前に、如何なる獣が立ちふさがれようか。
心胆並々ならぬ豪傑も、その進軍には道を譲ろう。
果たしてこの先に待つ敵は、この怒りを予測していたのだろうか。
ただ一体の虎が向かっているだけだと、勘違いをしているのなら。
狐が率いる虎の群れに、引き裂かれる運命だけが待っている。
 




