私の辞書に不可能の文字はない
狐太郎が鬱憤を爆発させたことを、誰も咎めなかった。
そりゃあそうだろうなあ、と全員が思っていたからである。
まあそもそも、大抵の討伐隊志望者たちが、最初の段階で逃げ出している。
クリエイト技が使えるほどのハンターたちをして、こりゃあ駄目だ、と逃げ出しているのがシュバルツバルトなのだ。
不満を口にしても、異常とは言うまい。
「……はあ」
もう彼女たちから体は離れているが、それでも温かさがあった。
改めて思うのだ、お見舞いに来てくれたありがたさを。
もっと言えば、自分が多くの人によって生かされている事実を。
この世界では、こうして助けてもらうことさえ、とても贅沢なことだった。
ましてや大公が自らの城にベッドを置いてくれるなど、普通では考えられないことであろう。
「人に恵まれているな、俺は」
自分が誠意を尽くしてきたとは思っているが、その誠意が必ずしも誠意で返ってくるとは限らない。
仮に胸を痛めても、仕方がないね、で見捨てられることもしばしばだろう。
教養があるからこそ、空恐ろしい。賢いからこそ、知っているからこそ、この状況がありがたかった。
『もったいないお言葉です』
自分で言ったことを反芻する。
何一つ間違いなく、自分にはもったいない状況だった。
「生かされているなあ……」
多くの人の手の、温かさを感じた。
物凄く今更のように、気づくことが遅くなってしまったことが呪わしいほどに、愛に甘んじていた。
それが、とても申し訳ない。
「ご主人様! 私リンゴ切るよ、うさぎちゃんだよ!」
「いや、いいよべつに……」
浸っていたのに、台無しにされた。
別に彼女の好意もありがたいのだが、少し押しつけがましかった。
(そうだった、こいつはこういう奴だった)
今に始まったことじゃねえしなあ、と諦める狐太郎。
実際リンゴを食べたくないわけでもない。
「アカネ、じゃあ頼む。一応言っておくが、そんなにたくさんは……いや、ちょっとまて」
「わかりました、私に任せて!」
「クツロ! ササゲ! コゴエ! 止めろ!」
走り出そうとするアカネを、慌てて三体が止めていた。
「ちょ、ちょっと、なんで?! 私別に、ドアを蹴破ったりしないよ?!」
「許可しかけた俺が言うのもどうかと思うが、そもそもここ大公様のお城だろ?! 勝手に動くな!」
いつもと同じ調子で許可を出した狐太郎だが、途中で気付いて慌てて止めた。
他の三体も、大いに慌ててアカネを抑えている。
「いい、ここは前線基地じゃないのよ? 大公様のお城で、たくさんの人が暮らしているの。貴女がどたばた走り回ったら、ご迷惑どころじゃないのよ!」
「ええ~~? でも、ご主人様が、うさぎちゃんを食べたいって……」
(そういうことを言うと、本当に兎のミートパイとか出てきそうで怖いな……)
狐太郎も自分の失言は理解しているので、とりあえずそれ以上怒れなかった。
かなり落ち着きに欠けていることは仕方ないのだが、だとしてももう少し彼女には落ち着きを持ってほしいところである。
「あ……」
さて、大きな声を出した狐太郎は、寝たままめまいを起こしていた。
それを察したのか、コゴエが掌を首や額に乗せてくれる。
「アカネ、病室では静かにしろ」
冷たい突っ込みであった。
これには火属性のアカネも、意気消沈である。
「ちょっと、フーマさん。果物をもらってきてくれる? そんなにたくさんじゃなくていいから、できるだけたくさんの種類を一つずつ。それぐらいの融通は利かせてもらえるでしょう?」
「承知いたしました」
クツロの指示に、侍女役のフーマが頷いていた。
この城の人たちは皆、アカネたちがAランクモンスターだと知っている。
そんなAランクモンスターから、『果物ちょうだい』とか言われたら、『心臓の隠語か?!』と早とちりされかねない。
とくにササゲの場合は、悪魔の総大将である。それはもう、話しかけられるだけで呪われたと勘違いしかねないわけで。
(悪魔がぎっしりだもんな……この城)
労働環境を急激に悪化させている自覚はあるので、狐太郎の顔は渋かった。
(まじめに仕事をしていた俺が倒れたのに『他の奴が怖がるから適当なところに行ってね』とか言って僻地の別荘に押し込めたら、それはそれで角が立つと思ったんだろうけども……)
狐太郎には、大公の気持ちが分かっていた。
もしも四体の魔王が『散々こき使ったあげく僻地へ飛ばすの?! 絶対に許さない! タイカン技! キンセイ技!』などぶっこみ始めようものなら、それこそカイの悲劇であろう。
だが狐太郎の体調がある程度回復した今は、むしろここは窮屈であった。
というか、アカネが何かしないか、とんでもなく怖い。
「なあみんな。周りの人にご迷惑だし、ある程度俺の体調が戻ったら、とりあえず引っ越ししないか? 引っ越しって言うか、転院なのかもしれないけども」
大公が『お前僻地な』というのと、狐太郎が『静かなところで休みたいっす』というのでは、まるで意味が違う。
その辺りも理解しているので、狐太郎はやんわりと提案していた。
「そうですね……このままだと悪魔の城になってしまいますし……」
クツロが真剣にこの城の人を案じていた。
多分国中の悪魔をかき集めても、ここまで大量で質のいい悪魔は集まるまい。
それぐらいの悪魔密度である、周りの人はもう気が気ではあるまい。
「そうだね! お金はあるんだし、どっかに行こうよ! 私火山の近くがいい! できれば火口付近がいいな! レンガのお家!」
「お前さ、俺がなんで倒れたのか憶えてるのか?」
アカネは火竜であり、その自治区は火山地帯だったという。
当然彼女は火山の近くで暮らしたがるのだが、狐太郎は空気が悪いところにいたので死にかけたのだ。
活火山の火口付近で生活したら、普通に火山性のガスで死にそうである。
ある意味、シュバルツバルトよりも危険だ。
「それにコゴエがいるのよ? ちょっとは気を使いなさいよ」
「私は構わないが……いや……弱体化は著しい、気になるな」
周囲の気象条件、地形環境によって力が左右されるコゴエは、当然ながら火山地帯が苦手である。
それはもう、火山に氷の彫像を置くようなものだ。
「普通でいいじゃない、普通で。どっか湖の近くにある、没落した貴族が建てた、長く誰も住んでいない屋敷でも買い上げて、そこで療養しましょうよ。どうせ護衛は、アパレとセキトがやるんだし」
ササゲの提案を聞いて、狐太郎は想像した。
なるほど、悪くない優雅な雰囲気である。
悪魔の軍勢が護衛をしていなければ。
(人が暮らさなくなった屋敷に、大量のモンスターが住み着くとか……悪魔の館だな……)
アカネの挙げた『活火山の火口から徒歩十分』という、火山観測員でもなければ暮らさないような土地はともかく、ササゲの提案ならばさほど難しくないだろう。
まあ湖云々は自重するとしても、さほど難しくないことは確実である。
戦力も安定しているらしいし、まあ大丈夫だろう、たぶん。
「……しばらくはゆっくりしたいな」
とにかく、のんびりしたい。
狐太郎は、誰にも気を使わない生活を、ひと時求めていた。
悪魔に守られた館は、なんか呪われそうだが、それは今更であるし。
「みんなで、な」
リンゴを待つ間、狐太郎たちはのんびりと暮らしたい条件を語りあった。
「温泉がいい!」
「いや、だからそれはだな……」
「コロッセオの近くで!」
「……まあそれなりに現実的だな」
「賭博場の近くで、素寒貧になった人を見たいわ」
「……最悪だな。コゴエは? なんでも言うだけ言ってみてくれ」
「では……高い雪山が好ましいと言えば、好ましいですね」
(アカネよりハードかもしれん……)
※
さて、大公である。
この城の主である彼は、一人の女性と話をしていた。
顔を隠している、亜人風の服を着た女性。つまり、トーキローチである。
「今、この城に魔王が四体とも来ているそうだな」
「誰から聞いたのだ?」
「城中で噂されているぞ。悪魔が来たので包丁で指を切ったとか、火竜が来たので火事になりかけたとな」
「その手合いは、不安に思ったことを口にしているだけだ。別に検証して欲しいわけではない」
本来であれば、亜人に育てられた娘と大公が、一対一で話し合うなどありえないことだ。
だが、そのありえないことが起きている。
一応の保証として、連動して爆発する首輪は着いている。だがそれだけであり、危険と言えば危険だった。
まあ大公の傍に、本当に誰もいないのか、という話だが。
「一応言っておくが、挑むなよ」
「……物事には順番がある。流石にデット技が使えない状況では、私も勝ち目などない」
「使えたところで、勝てるとは思っていないがな」
限界を超えた力を発揮できる、古から伝わるデット技。それには長年使いこんだモンスターの死骸が必要なのだが、当然すべて取り上げられている。
「Aランクのモンスターでデット技を使って、それでも勝てなかったという話か? 確かに一考に値するな」
「……成長したものだな。以前のお前なら、根拠もなく自信満々だったはずだが」
成長を喜んでいるような大公だが、もちろん声色は突き放している。
ようやくこの程度のことが分かるようになったのか、という呆れだった。
そしてそれを流せる程度には、彼女も大公のことを知っていた。
「……で、魔王の主はこのまま隠居か?」
「ありえるな、止める気はない」
元々、ずっと無理をさせていたのだ。
ここで狐太郎が怖気づいても、それは決して『役立たず』ではない。
狐太郎がここ数年カセイを守っていた事実は、決して消えないのだ。
「もちろん欲を言えば、しばらく休んでもらった後に復帰して欲しい。なんだかんだ言って、ガイセイ君もホワイト君も、Aランクハンターの手前だからな」
狐太郎が去った後も、二人は命を賭けて戦うだろう。
だがまだ実力不足は否めない、できればもう少し働いてほしいところではある。
とはいえ、自分から言い出せることではなかった。
「だが隠居するのなら、止める気はない。重傷を負った退役軍人のような扱いで、彼らに引退してもらうのもありだ。もちろんその場合は、公爵になることはできない。玉手箱に関しては……まあ兄上と相談だな」
非常に都合がいいことに、玉手箱に関して誰もが執着していなかった。
とりあえず『これを差し上げますので、引退をお許しください』という形にすれば、まあ筋は通るだろう。
「もちろん、別の道もある。彼が弱ったと言っても、いきなり彼のモンスターまで弱くなるわけではない。別の地でAランクハンターとして働くのなら、それはそれで推薦するよ」
「任期を途中で投げ出した腑抜けでもか?」
「それぐらい希少なのだ、Aランクハンターはな。腐らせるのは惜しい」
もちろん、大公が推薦しても、嫌がるところはあるだろう。
だがそれはそれでかまうまい、それもまたこの地の決断の結果だ。
彼に非があるわけではない。
「それにだ……彼には世話になったのだ、今後も友人でいたい」
「で? 私や私の部下にも、そうなってほしいとでも?」
見下すような、見透かすような発言だった。
当然ながら、攻撃的である。
「うぬぼれるな、小娘。お前如きが、友人だと? 罪人の分際で、よく言えたものだ」
大公もまた、攻撃的だった。
「どう言い訳をしたところで、お前たちは亜人の法も人間の法も破ったのだ。まさかもう全部チャラになった、と思っているのか? 甘えるなよ」
その口調には、尊大さがあり、敬意は欠片もない。
だがそれを聞き流す程度には、彼女も『寛大』だった。
「そうだな、まったくだ」
不敵に、自分の首輪を撫でる。
おそらく致命傷か、それに近い威力のある爆発属性のエンチャント品だった。
「おかげで、ろくに首を長くすることもできない」
「それが罪人のあるべき姿だ」
「だが勝っていれば……と夢見るぐらいはいいだろう」
魔王を従えている狐太郎は、なんとも敬われている。
それを羨ましく思う程度には、彼女にも憧れが残っていた。
「ずれた話だ。お前が思っているように、お前が思っているほど、王冠に価値などない」
「なんだ、その言い方は。いきなり矛盾しているぞ」
「お前が矛盾しているからだ」
大公としては、倒れた者が別のハンター、Bランクハンターであったとしても、同じような対応を取っていた。
もちろん大公の城にいきなり通すことはないが(狐太郎が実感しているように、そっちの方が迷惑である)、できる限りの保証はした。
だがそれを口で言っても、ただ言っているだけなので、説得力はあるまい。
「お前は自分に勝った一灯隊に、敬意を向けているか?」
「……ああ、向けている。正直に言うが……集団として、長として負けていた。それは、もう認めた」
「では故郷の連中はどうだ? デット技を抜きにすれば、お前よりも強い連中は」
「奴らに褒めるところなどない」
それは憎悪だった。
人間でありながら亜人に育てられた彼女は、『家族と同じように』、という日々ではなかった。
だからこそ、中身のある憎悪が燃えていた。
「つまりだ、お前は嫌いな輩が王になっても、認める気がないということだ」
「……」
「人間であるお前は、魔王になることもできないらしいが……」
「私は亜人だ!」
「そうだったな。では訂正するが……仮にお前が魔王になっても、誰もお前を認めんよ。お前が嫌いだからな」
説得力はあった。
彼女は故郷の亜人たちを憎んでいるが、それは彼らを下に見ているということである。
なるほど、彼女が出世しても、それを喜んで恭しく崇めることなどあるまい。
なぜなら、彼女もそうだからだ。
「つまりはまあ、最初からずれていたのだ。お前が王になっても、何にも変わりはしない。暫定的な王である諸種族の長を、お前たちがちっとも敬っていなかったようにな」
群れの長になりたいと願うのは、それこそ群れをつくる動物の本能である。
だがそこに理性が理屈を加えると、どうしようもなく矛盾する。
自分は既にいる王を崇めていないが、自分が王になったらみんなが自分を崇めるだろう。
そんな、矛盾しきった考えを信じ込んでしまう。
「ではどうしろと? まさか誠心誠意仕えていれば、そのうち認められたはずだとでも? 全力で奉仕するのが当たり前だと思っている連中だぞ!」
「そうだな、それはそうだ」
その点に関しては、大公も認めるところだ。
世の中には養子ならば何をしてもいい……あるいは実子さえも、自分の意のままに動いて当たり前だと考える大人もいる。
彼女の『恩人』も、同じ類だろう。もちろん、当人には当人の理屈もあるのだろうが。
「では言ってやる。どうしろと? などと聞く王は、王ではない」
「……そうだな」
王の役割は、民を導くことである。
その理屈に関しては、トーキローチも認めるところだった。
これからどうすればいいのかわからない、あの時どうしたらよかったのかわからない。
それを聞いている時点で、既に王としての力不足を認めている。
「……少々癪だが、私は自分の過ちを認めている。少なくとも……いきなり一気に、全員で外に出たのは失敗だった。特に先導する人間は、信用できるものにするべきだった」
「ようやく認めたな。そのまま迷子になっていれば、さぞ面白かっただろうがな」
「まったくだ、ありえないとは言い切れなかった。いや……十分あり得た」
自分の強さ、自分たちの強さに自信があるからこそ、とりあえず脅せば言うことを聞くだろうと思っていた。
呆れるほどの浅慮さである。
「一つ言えることがあるとすれば……いろいろと、一気にやろうとし過ぎた。それが明確に失敗だ」
誰も教えてくれなかったのだから仕方ないが、計画性という言葉が彼女の辞書にはなかったのだ。
「私は、自分に不可能がないと勘違いしていたのだ」
強いんだから何とかなるだろう、というのは亜人蛮人以下であろう。
それを憎い相手に認める程度には、彼女は成長したのだ。
「お前に不可能がなかったとしても、お前の部下には不可能があった。そういう意味でも、お前は未熟だ。己の万能性を信じている限り……王として、将としては未熟だ」
そういう意味でも、狐太郎のことを大公は信頼している。
彼はきっと、自分の万能性など、かけらも信じていないだろう。
「今のお前には、お前達には、利用価値さえない。そのまま罪を償って、ただの労働力として終わるか……その先を見るかは、お前次第だ」
「お前に利用されるためにか? ……まあ現実的には、そうなるんだろうさ」
彼女はもうわかっていた。
結局のところ、この男から認められない限り、自分たちに未来などないということを。
「精々、偉そうなことが言える立場を守るんだな、大公閣下」
去っていく彼女を、彼は見送らなかった。
なるほど、その通りである。
彼は知っている、この盤石に見える都市が、何時崩壊してもおかしくないということを。
だからこそ、全力を賭して守らなければならないということを。
そして……その努力もむなしく。
遠くない未来、カセイは崩壊する。
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