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エンディング 敗者なき世界

 人間同士の戦争など、大したものではない。所詮絶滅戦争ではなく、同種同士の馴れ合い。

 長く続いたということが、その証明。すぐさま決着しなかったのだから、大したものであるわけもない。


 そう考えても、そこまでおかしくはない。しかし実際は違う。

 戦争とは、長引くほど凄惨になり、エスカレートしていく。


 この世界の人間が覇を唱えることができたのは、突き詰めれば『できることの幅が広い』からである。

 ドワーフもエルフも吸血鬼もサキュバスも、平均的な能力値であれば人間よりも優れていたが、特定の分野にだけ秀で過ぎていた。

 要するに一種族に対するメタを張るだけで、あっさり倒されてしまったのである。

 曲がりなりにも複数の種族を従えていた魔王軍と違って、単独種族の弱みであり悲哀だと言えるだろう。


 だが人間同士となれば、話は違う。

 お互いにできることの幅が広すぎて、際限なく対策を立て合ってしまった。

 その上、相手と同じ生物であるため、簡単に相手の真似もできてしまう。

 まさに鼬ごっこ。互いの尾を呑みあう蛇のように、戦争は過熱していった。


 なまじ同じ生物同士だからこそ絶滅させることが政治的に難しく、とどめを刺せないがゆえに相手に反撃の力を蓄える時間を与えてしまい、戦争の連鎖は続いたのである。


 そしてそれが終わった時、世界は燃えるものがないほど燃え尽きていた。


 ある天使はこう語る。


「モンスターたちが人間に尽くし、人間を守ろうとするのは、人間を戦わせないため」


「人間が戦わざるを得ない時代が来れば、再び人間は凶暴化する」


「誰にも止められない、災いの軍神。それは人間そのものだ」


「だからこそ……三人目の英雄の功績は軽くない。人間自ら戦う時代など、決して来てはいけないのだ」



 カセイ兵器、最後の勝利者。

 その暴虐は各地に放映され、都市部の誰もが息をのんだ。


 異世界から召喚された、巨大モンスター。

 それは正に世界を滅ぼす怪物にしか見えなかった。


 だがその巨大モンスターをして、カセイ兵器の敵ではなかった。

 幾多の特殊防御に守られた軍神の、その塗料さえ剥がすことはできなかったのだ。


 教科書に子細が書けない、歴史の闇。

 最強の破壊兵器は、悠久の時を超えてその役割を果たした。

 つまりは、敵の殲滅。

 その一事のために設計された、大量破壊兵器。


『私は、石』


 巨大な風穴をあけられた融合体は、急速に風化していく。

 全身が砂になり、生命力を失い、風の中に溶けていく。


『私は、棍棒』


 一体どれだけの殺意が、あの砲口に込められていたのだろう。

 一体どれだけの攻撃性が、残虐性が、殺意が、砲塔を生み出したのだろう。


『私は刃、私は火、私は弾』


 圧倒的な生命力も、この超兵器の前には無力。

 駆除の対象でしかない。


『私は、力』


 カセイ兵器、ナイル。

 極めて高性能だが、しかし原始的でもあるその頭脳が、勝利を宣言していた。


『私を構成するすべての部品は、分子構造に至るまで(ヒト)の創造したもの。今回の作戦が達成されたことに、幸運が入り込む余地は一分たりとも存在しない』


 精緻にして粗雑、叡智にして野蛮。

 完成にして途上、最強にして無敵。


『遠い時の果てに去った、私の創造主たち。科学者、設計者、技術者、労働者、製造者、監督者。その働きが私を構築しました』


 そのカセイ兵器は、世界を滅ぼした獣を消失させていた。

 もはやカセイ兵器が暴れたこと以外に、何の痕跡も残っていない。


『私の勝利は宇宙の摂理によって、最初から定められていたこと』


 その映像を観測していた人造種たちは、喝さいを上げていた。

 自分たちの改修は、決して無意味ではなかった。

 神の創造した『玉体』に手を加え続けたことは、決して改悪ではなかったのだ。


『人間に服従せぬ生命は、人間の力によって駆除される』


 この世でもっとも容赦のない存在は、勇壮に宣言する。


『それが、この世界の摂理です』


 あまりにも、格が違った。

 召喚者は、嗚咽さえできなかった。


 あの巨大な兵器に比べれば、自分たちの文明は矮小だったのだ。


『さあて……今度はお前さんだ』


 巨大兵器から、外部音声が聞こえてくる。

 それは幼い少年の声だった。


『この世界は、人間にも容赦しねえぞ』


 恐怖しかなかった。

 あの超兵器は、元は人間を倒すために作られたという。

 それが自分に向いている。

 彼は絶叫した。


「~~~!」


 そして、姿が消える。


『なに?! あいつの足元に魔法陣はなかったはずだ!』

『おそらく、呼び出す形の空間転移かと思われます』

『空間転移技術だけなら、本当に向こうの世界の方が上みたいだな!』


 この世界における転移技術は、基本的に入り口と出口がなければ成立しない。

 狙った場所へ移動するには、その狙った場所に出口がなければならないのだ。


 だが彼らの世界の技術は違う。

 入り口側でも出口側でも、片方に魔法陣があればそれだけで成立するのだ。

 そうでもなければ交流のない異世界へ行くなど、到底不可能であろう。


『異世界へ逃げたか?! 流石にそうなれば追えないぞ!』

『検索開始……ターゲットロック済みの為、衛星視点から検索可能です』


 三人目の英雄が新人類の最高幹部を追えなかったように、異世界へ移動されれば追う手立てなどない。


『標的を確認しました。遠距離ですが、巡航形態なら追跡可能です』

『よし、追いかけるぞ! 必ず始末はつける!』


 ある意味では、最後の生き残りの余裕の根源は、まったく失われていない。

 ヤバくなったら異世界へ逃げればいい、その根拠だけはまったく覆せていないのだ。

 つまり最後の生き残りは、最初から予定していた通りに、この世界から逃げる手段を使用すればいいのである。


『巡航形態に移行! 一気にケリをつけるぞ!』

『了解。居住区画と再度連結し、最大速度で追いかけます』



 こんなはずではなかった。

 最後の生き残りは、まだ書きかけの魔法陣の上にいた。


 別の世界へ移動するための、この世界に存在しない魔法陣。

 その優位さだけが、彼のよりどころだった。

 逃げれば追いつかれない、なるほどそれも生存である。


 だが、逃走の屈辱は、決してぬぐえないのだ。


「なんなんだ……いったい!」


 こんな気持ちは、元の世界から逃げてきた時もなかった。

 仕方がないと、諦めることができていた。

 もう歯向かう気持ちなど、最初から残っていなかった。


 だが、この世界はそれに冷や水を浴びせた。

 モンスターは、絶対無敵ではない。倒せる手段は存在したのだ。

 それが、彼の心に潤いを与えてしまっていた。

 乾いていれば耐えられたことでも、湿り気を帯びれば耐えられない。


 自分たちは、どうしようもない運命によって滅びたのではない。

 単に弱いから滅びたのだ。


 自分達は劣っていた。

 生まれた世界の人々は、あんなに一生懸命頑張っていたのに。

 あのモンスターに必死で抵抗していたのに。

 それが、劣っていた。


 この世界の方が優れている。

 あんなに適当に生きているのに、優れている。


「ああああああ! 役立たずめ!」


 彼は、自分の種族を滅ぼした怪物を、力の限り罵倒した。

 自分で呼び出して、自分で戦わせて、何の対価も支払わなくて。

 それでも、罵声を浴びせたのだ。


「なんで私たちは滅ぼされたのに、アイツは滅ぼせないんだ! 不公平だ、不均一だ、不公正だ!」


 自分たちが滅びたのなら、この世界だって滅びるべきだ。

 なのに現実は、まったく違う。


「……この音は!」


 車輪の音が聞こえてくる。

 空中に線路を引いて走る、恐るべき列車の音が近づいてくる。

 そして今ここには、未完成の魔法陣しかない。

 ゴーレムは規則正しく魔法陣を描いているが、絶対に間に合わない。


「嫌だ……絶対に嫌だ!」


 このまま逃げ切れば、引き分けに終わる。

 ここまで必死に追ってくる相手から逃げ切れるのだ、さぞ悔しがらせることができるだろう。

 引き分けなら、負けではない。それなら後で自分を納得させることができる。

 だが負ければ、それどころではない。


「まだ完成していない、このままワープすれば……!」


 現在ワープの魔法陣を描いているのは、多くのゴーレムである。

 しかしそれは、例えるのならプログラムをプリンターで出力しているようなもの。

 プログラム自体を組んだのは、最後の生き残りである彼自身。


 この描きかけの魔法陣を見れば、今強制的に作動させればどうなるのか、きちんと理解できる。


「そうだ、このままワープすれば!」


 もう、守るものなどない。

 彼はいくつかのゴーレムを強制的に停止させ、あえて未完成の魔法陣を発動させる。


「範囲の制限を取り払い、移動先をあいまいにして……これならば!」

『待ちやがれ~~!』


 それは、皮肉にもこの世界でもできること。

 移動先を指定しないワープによって、どこに行くのかわからない状態にする。

 そしてそれに、相手を巻き込めば。


「私の負けではない……引き分けだ」


 勝者がいない代わりに、敗者もいない結末に至る。



 そこは、海の上だった。

 不意の空間移動によって、巡航形態のナイルは海面に向かって直進し、そのまま衝突してしまった。

 周囲の状況に適応しきれなかったナイルは一旦停止し、海上へ浮上する。各車両は一旦停止し、海の上で立ち往生となっていた。


「異世界か……お前がいたところとも違うのか?」

「ああ、そうだ。行き先を指定しなかったのでな、どこなのか今の私にはわからない」


 その車両の上で、狼太郎たちと最後の生き残りは対峙していた。

 ずぶ濡れの負け犬は、それでも引きつった笑いを浮かべている。


「もっとも、私にとって問題ではない。私には転移の技術があり、移動先を調べることもできるからな」

「……なるほど、俺達には無理だな」

「その通りだ。お前たちはもう、元の世界には帰れない。とはいえ……」


 それは、観念した顔でもある。


「流石に私も、これから生き残れるとは思っていない。この海の上ではゴーレムなど作れないし、作れたとしても身を守れるとは思えない。そして……君たちが今更、私と交渉をするとも思っていない」


 もしかしたら、互いに手を取り合えるかもしれない。

 物理的には可能だが、摂理としては不可能だ。


「私は死ぬ、お前たちは帰れない。勝者不在の決着だ」

「……」

「認めよう、お前たちの世界は強い。私たちの世界には、お前たちの兵器一つにも勝てるものがいない」


 狼太郎たちも、このナイルも、元の世界にとって絶対必要というわけではない。

 今現在の科学技術をもってすれば、カセイ兵器を再現することは十分可能である。

 法律を変えれば、ナイル二号機を作れるのだ。

 帰らなくてもいいと割り切れば、それで話は終わりである。


「だが、私とお前たちの戦いは、引き分けだ」

「……」

「どうした、何か言いたげだな」


 現実は残酷だ。

 もう決着はついてしまった。


 狼太郎が何を言っても、この男を曇らせることはできない。

 彼は圧倒的な戦力差を超えて、引き分けに持ち込んだのだから。


「言いたいことがあるのなら、言ったらどうだ?」


 ここで狼太郎が何を言っても、負け犬の遠吠えである。

 少なくとも最後の生き残りは、そう思っていた。


「これを、読んでみろ」


 狼太郎は、紙の束を彼に投げ渡した。


「教科書が読めたんだ、新聞だって読めるだろう。その中の記事を読んでみろ」

「……?」


 それは、ただの新聞だった。

 しいて言えば、彼が各地でテロを起こした当日の、朝の新聞というだけで。


「……これが一体なんだ?」

「その記事にある、モンスターに乱暴した奴。お前だろ?」


『新人類の再来か?』

『昨日の朝。人間に飼育されているモンスターが、先祖返りと思われる男性から暴行を受けて、近くの警察に逃げ込みました』

『その暴行犯はそのまま確保されましたが、取り調べ中に脱走しております』

『付近では警戒を呼び掛けています。くれぐれもご注意を』

『その暴行犯は「モンスターを殴って何が悪い」という主張をしており、新人類のような危険思想を持った集団の構成員ではないかと疑われ、現在捜査中です』


 物凄く陳腐な、どうでもいい記事だった。

 もちろん暴行が行われたことは痛ましいが、それでも大事件には程遠い。


「お前言っていただろう、この世界が私を拒絶したってな」

「……!」


 その記事を読んだ当事者は、顔を赤くして体を震わせていた。


「何から何まで情けない奴だ。お前、この世界に来てやったこと、全部見当違いじゃねえか」

「違う! こんな記事は、真実ではない!」


 彼は叫んだ。

 敗者であり犯罪者であり、暴行犯の彼は叫んだ。


「真実は……もっと悲劇だった!」


 被害者からしてみれば、この記事は余りにも軽いだろう。

 だが加害者である彼にしても、その記事は余りにも軽かった。


『あのねえ……おじさん。いい年したおっさんが、こんなかわいい女の子を叩くなんてどういうこと?』

『先祖返りだから力を持て余しているっていっても、もういい年でしょうに』

『まったく……同じ人間として恥ずかしいよ、分別が付かない犯罪者を見ているとねえ』


『え? 何? モンスターを殴って何が悪いんだって?』

『そういう差別的は発言は、罪が重くなるだけだよ?』

『ご家族も泣くし、友人だって呆れるよ。そんなバカなことを言ったらね』

『人間がモンスターに勝ったなんて、何千年前の話だと思っているんだい?』


『別におじさんが戦ったわけでないし、おじさんが勝ったわけでもないでしょう』

『昔の偉い人だって、同じにされたら嫌な顔をすると思うよ?』

『こんな平和な時代に生まれて、こんな幸せな世界に生きていて、それでバカになるんだから世の中は困ったもんだよ』

『あのねえ、モンスターにだって心はあるし、命があるし、涙だってあるんだ』


『人間ってだけで、偉いわけがない。そうだろう?』



「奴らは、私を侮辱したのだ!」


 屈辱に、震えていた。

 敗者は敗者であることを思い出していた。


「あの平和な世界に生まれて、何一つ苦労をしていない連中が、私を軽蔑して侮辱して説法までしたのだ!」


 お互いに無知だった、それ故に地雷を踏みあったのだ。


「この私を……同じ人間でありながら、この私を……モンスターよりも下に扱ったのだ!」


 彼の尊厳は、それによって傷つけられた。


「人間は、人間であるというだけで尊いのだ!」


 海面で揺れる車両の上で、彼は泣いていた。


「人間の命は、星よりも重いのだ!」


 自分の悲しみを、誰も理解してくれないことに泣いたのだ。


「人間を侮辱するなど、同じ人間でも許されない!」

「……だから、テロを起こしたと? 阿呆じゃねえか」


 当然、狼太郎も理解しない。


「他所の世界にきてやることが、弱い立場の奴に当たり散らしていきり散らすことか? それこそお前のお友達や家族が見たら泣くだろうぜ」


 辛く悲しい過去があることは、免罪符にはならないのだ。


「殴っていい奴を探して殴るなんてな、それこそ負け犬なんだよ」

「違う……違う、違う!」

「じゃあお前は、天国で親族になんて言うんだ? 異世界に逃げて、無抵抗のモンスターを殴ったら警察に捕まって、逃げ出してテロを起こしてまた逃げたってな」

「それは、真実ではない! それは、私の真実ではない! それは、真実の私ではない!」


 だが哀れなる者は、哀れだからこそそれを欲する。

 自分の行いは、罪ではなく義挙だと信じる。


「私は、最後の生き残り……私は、人類の希望……私の名前は……『ホープ』だ!」

「そうか、ようやく名乗ったな。最後の恥さらし」

「違う! 私は、私の世界の絶望を!」

「俺が嫌な思いをしたから世界中がみんな不幸になればいいってのはな、恥ずかしいことなんだぜ?」


 ホープと名乗った濡れ犬は、やはり孤立していた。


「お前の価値は、俺が決めてやる。魚の餌になって自然に優しい人間になりな」

「は……ははは!」


 劣る者、情けない者、自分に自信がない者は、相手の弱みを探る。

 それが実際に弱みである必要はない、難癖なのだからそれでいい。


「この平和な時代に生まれた、自分一人では何もできない小僧が! この私に何を言う!」


 ここで、お前もモンスターをけしかけただろう、と言っても意味はない。

 私の技術によるものだ、と言い張るだけだろう。

 結局のところ、強がりだ。彼の話す言葉そのものに、大して意味はない。


 俺は悪くない。


 そう主張したいだけなのだから。


「自分の力では何も成し遂げていない、英雄の遺産で暴れただけだろうが!」


 狼太郎は、無言だった。

 彼はただ手を軽く動かして、三体を下げる。


 チグリスも、ユーフラテスも、インダスも。

 全員キンセイ兵器で武装したうえで、ゆっくりと下がった。

 狼太郎だけを残して。


「お前さ、強いんだろう?」


 一対一で、二人は対峙していた。


「は?」

「先祖返りと間違えられたぐらいだ、お前の世界じゃあ人間は強いままと見た」

「……何が言いたい」

「ゴーレムだの空間移動だのは置いておいて、お前の身体能力もそこそこあるはずだ」

「……あの平和な時代の生まれよりはな」


 見るからに痩せているホープだが、過酷な世界の住人である。

 その基本的な性能は、狼太郎たちの世界の住人を大きく超えている。


「ああそうか。そりゃあ良かった、じゃあ弱い者いじめにはならねえな」

「おい、小僧。お前まさか……」


 モンスターが下がり、一対一の状況。

 まるで決闘である。


「まさか、先祖返りだとでも?」


 ホープも、ある程度は歴史を学んでいる。

 戦乱の時代から弱くなっていた人類の中で、稀に生まれる強い人間。

 それの存在は知っている。


「そして、身体能力に特化しているタイプで、その姿に見合わぬ力があるとでも?」


 ホープは、いらだった。


「私が魔力に長じているタイプなので、殴り合えば勝てるとでも?!」


 ここに、勝機が生まれた。今ならば、狼太郎を殺せる。

 そのあと三体か、或いはナイルに殺されるとしても、それは勝利と言えるだろう。


「舐めるなぁ!」


 彼は、土でできた剣を生み出した。

 それを構えて、人間とは思えない速さで突っ込む。


「私は最後の希望……自分一人でも戦える! お前と違ってなあ!」


 渾身の一撃。首を切り裂く一撃。

 それが、空振りしていた。


「お前は、何から何まで大間違いだ」


 狼太郎の髪が、赤く染まっていく。

 同時に、肩まで伸びていく。


「俺は、平和な時代の生まれじゃねえし」


 手足が伸びていく。


「俺は、人間じゃねえし」


 声が変わっていく。


「男でもねえよ」


 半ズボンに短い袖の服。

 それらの(たけ)は一切変わらなかったため、まるで下着を着ているようになっていた。


「な、なんだ……?」


 背が高く、美しい、赤い髪の女性。

 それが、彼の前に立っていた。


「なんだ、お前は……!」

「ホープ君、自己紹介してくれてありがとう。今度は俺が自己紹介する番だ」


 その姿の変異以上にホープを戸惑わせたのは、そのあふれ出る魔力。

 彼が見た、どんな人間よりもすさまじい、ありえないほどの禍々しさ。


「前の時には、俺の自己紹介を聞いてくれなかったが、今は聞いてくれるみたいだな」


 細い手足はすらりと長く、その胴体は男を誘い女に嫉妬される。

 あまりにも美しい、人を惑わす女性。


「俺の名前は、羊皮狼太郎。だがそれは、世を忍ぶ仮の名だ」


 チグリス、ユーフラテス、インダスと共に封印されていた、最後の生き残り。


「本名は……人間だと発音できねえ。なにせ名付けたのが人間じゃないんでな」


 教科書に記されなかった、歴史に名を残さなかった怪物。


「俺は、魔王軍四天王が一体、『魔王の娘(プリンセス)』だ」

「プリン……セス……」


 羊の皮をかぶった狼の正体は、お姫様。

 あまりにも美しい姿には、その高貴さがにじみ出ている。


「歴史の教科書には書いてねえが、俺もアイツらと一緒に黄河に拾われた口でな。あいつが爺さんになって死んだ後から、ずっと一緒に当てもなく旅をしていたのさ」

「……では、お前は」

「ああ、負け犬っちゃあ負け犬だ」


 語りながら、プリンセスは前に進む。

 ホープは、一歩後ずさった。


「バカな、カセイ兵器は人間でなければ扱えないはず! それに……なぜ今まで正体を隠していた?!」

「それが呪わしい話でな……俺の両親は人間だが、魔王に仕えていた。生まれたばかりの俺にいくつか特殊な体質が備わっていたことが分かったんで、両親は魔王に俺を献上したのさ」


 絶世の美女である彼女は、親切に自分の出生を明かしながら前に進む。

 それに対して、ホープはおびえながら下がっていく。


「俺の体質を面白がった魔王は、タイカン技っていう魔王だけの力でモンスターと俺を融合させた。おかげで俺は、人間でもモンスターでもない怪物になった。だから……人間のふりもできる」


 その粗暴な言葉遣いとは裏腹に、あまりにも美しい所作だった。

 その歩みもまた、まるでモデルのようである。


「そのせいで、俺は情緒不安定でね。まあつまり、惚れっぽいってことさ。特にこの姿になると、大抵の相手に惚れちまう」


 その女性は、男を蔑んでいた。

 一切の価値を認めていなかった。


「こう見えても尽くすタイプなんだぜ、俺は。だから不味い相手に惚れないように、普段は力を隠している。だから、真の姿をさらす相手は……」


 あまりにも冷酷で、残酷だった。


「万が一にも、惚れない相手の時だけだ」


 下がっていたホープは、ついに最後尾の車両の、そのヘリについた。

 これ以上下がれば、海に落ちるだろう。

 もちろんそれだけなら、さほど問題ではない。吸血鬼ではあるまいし、海に落ちれば死ぬということはない。

 だが、周囲に陸地の見えない状況では、それは死を意味する。


「さて、絶好のチャンスだぜ、ホープ君。俺を殺せれば、逆転勝利だ」

「あ、ああ!」


 如何に優れたゴーレム使いでも、空間移動技術の持ち主でも、陸地がなければ何もできない。


「それとも人類の希望は、弱い者いじめ以外できないのかな?」


 活路は、前にしかない。

 この女を殺すしかない。


「あああああああ!」


 再びの突撃。

 ゴーレム技術を応用した剣で、斬りかかる。

 それに対して、彼女は静かに受け入れる。


 がきんと、音を立てて、剣が折れた。


「……情けない」

「ひ、ひぃいいいい!」


 勝利歴以前に勇者と戦って敗北した女は、人間の恥さらしを見下していた。

 腰を抜かして後ずさろうとして、しかし下がることもできない男を見下していた。


「せめてもの慈悲だ」

「はっ……はっ……」

「何か、言い残すことはあるか?」


 今この場にいる、唯一の人間。

 彼の口から出た言葉が、人間の言葉となる。



「こ、殺さないでくれ、死にたくない!」



 真実の言葉は、真実だからこそありふれていた。


「断る。殺す。死ね」


 返答もまたしかり。

 真実だからこそ、ありふれている。


 彼女は、この形態でだけ使える、古代の禁呪を発動させる。

 それは彼女の生まれた世界では、とっくにすたれた技だった。


「ギフトスロット・レギオンサキュバス」


 彼女の影から、膨大な女性の(あやかし)があふれ出る。

 彼女が隠していた、モンスターの一面が、膨れ上がって飛び出ていた。


「ああああ!」


 赤い影、赤い女、赤いモンスター。

 彼女の身の内に沈んでいた、モンスターが一人に向かう。


誘惑(ルアー)


 魔物が、正体を現した。

 魔王軍四天王が一角、魔王の娘(プリンセス)。丙種モンスター、サキュバスクイーン。


 人間を惑わすサキュバスの、膨大な集合体。

 それをたった一人の人格が、武力として使用する。


「お、俺が……俺が悪かった! だから……」


 怪物を前に、英雄ならざる人間は許しを請うことしかできず。

 怪物は決して、それを聞くことはない。


「ギフトスロット・レギオンサキュバス……無関心(アビュース)


 青龍戟(せいりゅうげき)の形に変わった魔力の塊を、彼女は振るった。

 それは生き残っただけの男を、一瞬で魚の餌に変える。


「……最後の最後まで、恥を晒しやがって」


 蔑みさえ向ける価値のない相手に、楽園は乱された。

 そのことを、彼女はただ無念に思う。


「お見事です、プリンセス。流石は魔王の娘にして英雄の妻」

「お綺麗でしたよ~~残酷さも全盛期並みでした」

「昼なのが残念ね、夜なら良かったんですけど……」


「能天気だな、お前ら。元の世界に帰る手段がなくなったんだぞ」


 元の世界に帰る手段は、完全に失われた。

 それ自体に後悔はないが、今後の指針は失われている。


「別にいいじゃないですか、時間はいくらでもあるんですし」

「そうそう、そのうち帰れますよ。帰れなくてもいいし」

「封印が解除された時に比べれば、全然余裕ですよ」


 人間に負けた者たち、その生き残りは皆笑っていた。


『状況を把握しました。航行に問題ありません』


 人間に生み出され、用済みとなった者にも問題はなかった。


「……そうか、じゃあ今まで通り旅をするか」


 負けて悔しそうなものなど、ここにはいなかった。


「いつか、アイツに……黄河のところに行ったときに、隠すことなく話せるように……胸を張って生きて行こうぜ」


 望まずして訪れてしまった新世界。

 青い空と青い海、見渡す限り何もない。

 しかしそこに臨む彼女たちは、何も恐れずに笑っていた。



『先日の戦いの後、カセイ兵器ナイルと搭乗者は、異世界へのゲートに巻き込まれて消失しました』


『これによって私たちの世界は守られましたが、その功労者もまた姿を消したのです』


『人造種の自治区は、カセイ兵器の搭乗者の名前や所属を明かそうとせず、このまま終わってしまいそうです』


『おそらく、以前の四人のように……名もなき英雄として語られるのでしょう』


『今回の出来事で、多くの人々が傷つき、多くの物が壊れました。その被害額は、途方もないことになるでしょう』


『ですが、それを請求できる相手は、もうどこにもいません』


『私たちは、それでも立ち上がらなければなりません』


『人は時に、責任を押し付ける誰かを求めます』


『何もかもこいつが悪いのだと、すべての罪を押し付けて、楽になろうとします』


『ですが、それはできません。少なくとも、今回の事件に限っては』


『……私たちは、それでも生きていくと決めたのです』



『誰かを悪者にしない……敗者のいない世界を……』

羊皮狼太郎

丙種モンスター サキュバスクイーン。


元はブゥ・ルゥと同じ体質を持っていた女の子。

強化に上限がなく、悪魔の魔力に侵されることのない二重の特異体質。


両親が売渡し、魔王によって改造された。

反乱されないように、悪戯心のある悪魔ではなく、心酔しやすいサキュバスを詰め込まれて固定された。つまり究極のモンスターと同じである。

サキュバスたちの自意識はなく、力と本能だけが残っている。


魔王が負けて封印された後に、別の者に封印され、インダス達と一緒に封印されていた。


しかし勝利歴末期に、英雄となる黄河によって解放され、彼に従うことになる。

魔王がいなくなって不安定になっていたところ、解放してくれた黄河に惚れてしまい、子供も産んでいる。

その彼の死後は操を立てようとしているが、本能的な惚れっぽさはまったく消えていないため、気心の知れたものと旅をしている。


彼女が名前のない五人目の英雄となっているのは、出生や封印などのセンシティブな理由である。

彼女は英雄になる前から、歴史に名を刻まなかった。他の英雄たちとは、根本的に異なっている。


人造種のつながりで狗太郎と知り合い、

魔王が存命だった時は敵対していた天使たちとは顔見知りなので猫太郎と知り合い、

シルバームーンの新しい長になった馬太郎とは、ナイルが改修の時に知り合っている。


三人とはそれなりに友好的な関係なのだが、狼太郎はチョロいので会うとまずいことになりかねないので、狼太郎側から接触を避けている。

実は狗太郎にときめくことが多かった。危ないところである。


ナイル 実は一番若い。封印が解除された後に製造されている。

インダス 魔王軍に属していて、形式上は狼太郎の部下だったが、下っ端だったので面識はなかった。

チグリス、ユーフラテス 魔王軍に属していたため封印されるが、狼太郎と知り合ったのは封印が解けた後である。

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― 新着の感想 ―
[一言] このあと一般概念装甲イカに激突されるんだよね……。 というか章タイトルの羊の皮をかぶった狼は、夜にやたらと弱いってそういうことかよ!?? 章タイトルがそう言うなら夜に弱いんだろうね……この…
[一言] 今回を読む以前は、モンスターパラダイスの世界はヤンチャしてた過去を持つほのぼの系の世界だと認識していました。ですが今回を読んでからは、ヒトという荒魂をモンスターたちがいくつかの種の絶滅という…
[一言] ギフトスロット、ルアー、アビューズ これら全てブゥくんが使ってたので もしかしたら…
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