鏡写し
非常に今更ではあるが、シュバルツバルトは何かと特別な地である。
普通Bランクハンターになるには、保証人となれる身分の者から信頼を得るところから始まる。
だがシュバルツバルトは実力さえあれば認められる、大公に会う必要はない。
狐太郎が大公に会ったのも、Aランクハンターとしての頭角を示した後だった。
本質は同じなのだが、順番が違うということだろう。
普通は実力と信頼を権力者に認められてからBランクハンターになるが、この森では実力だけ認められればBランクハンターになる。その後実績を重ねてようやく権力者に会えるのだ。
しかし今回シュバルツバルトへ来た彼は、少しばかり事情が違っていた。
Dランクハンター、ホワイト・リョウトウ。
狐太郎と同じ日に試験を受け、彼のモンスターに救われたうちの一人である。
「お初にお目にかかります、大公閣下。ホワイト・リョウトウと申します。この度はDランクハンターの身でありながらシカイ公爵様の使者として、ここに参りました」
「うむ、話は既に聞いている。容易ならざる事態のようだな」
彼がここに来たのは試験とは関係がない。
たまたまシカイ公爵の下で働き、たまたま異常事態に居合わせて、しかも実力があるということで大公の元へ来ただけだった。
大公ジューガーにしても、ホワイトのことを試験を受けた者だと思って会っているわけではない。
そのつもりがあることぐらいは知っているが、だとしてもそれを理由に会っているわけではない。
「私はアッカのことを知っている。奴が壊せないものを、誰かが壊している。その誰かが分かっていない以上、情報を集めようとするのは当たり前だ。端的に言って、Aランク上位モンスターを討伐できる未知の存在がいる、ということだからな」
もとより、公爵であるシカイからの正式な使者である。大公であるジューガーをして、会わないわけがない相手だった。
まして、その内容が『Aランク上位モンスターが何者かに討伐された』では、その緊急性は高い。
「異常が分かっているという意味では、殻が砕かれていて助かったほどだ。もしも他の手段で殺されていれば、他のAランク上位モンスターに殺されたと思って終わりだからな」
「……おっしゃる通りかと」
「安心して欲しいが、別に君へ解決を願っているわけではない。君の従えているモンスターなら壊せるらしいが……それとこれとは話が違う」
現状では、『未知の脅威の可能性』というだけである。
未知の脅威でも、脅威の可能性でもない。
脅威とは、つまりこっちに襲い掛かってくるものだ。
今回ノットブレイカーが倒されたのは、状況から言って『襲われたから撃退した』程度であろう。
相手がモンスターなのか人間なのかわからないが、こっちの敵になると分かったわけではない。
もしかしたら無関係のままでいてくれるかもしれないが、敵対した場合を考えればどんな相手なのか知っておきたいのだ。
だが、あくまでも知っておきたい、である。
これは『できれば知りたいけど無理だったらしょうがねえや』というレベルでもある。
なにせ相手は最低でもAランク上位モンスターを倒せるのだ。それを探すなり何なりするなど、最低でもAランクハンターや斉天十二魔将クラスが必要である。
そんな希少な者に、クソ広い大海原のどこにいるのかもわからない相手を探させるなど、人材の無駄遣いも著しい。
なにせ相手が『未知のAランク上位モンスター』である可能性さえある。しかも海なら、深海まで探さないといけない。
不毛極まりないだろう。
「あくまでも狐太郎君たちや麒麟君達に、それができるのかを確認して、できることならその傾向や対策を練りたいということだ」
「賢明と存じます」
「うむ……ただ、一応これだけは言っておく」
大公は賢明な男だが、原則を重んじる男でもある。
有事の備えとして情報が大事であることは知っているが、信頼関係が大事だとも知っている。
「シュバルツバルトの討伐隊は、実力さえあれば前歴は不問ということにしてある。だからこそ脛に傷のある実力者が集まってくるのであり、狐太郎君や麒麟君もそのうちの一人だ。彼らへ質問をすること自体は仕方がないが、嫌がられたらそれまでだ」
未知の脅威を探るために、自分の最高戦力を手放すなど本末転倒であろう。
軽く聞くのならともかく、無理強いはできない。
「その上で、シカイ公爵の懸念、ナタ君やアッカの懸念は正しい。君がここに来たことも正しいだろう」
「……知っている可能性、あるいはできる可能性が高いと」
「その通りだ。なにせ彼らの『技』は、私たちの知るものとは著しく違う」
大公は思い出して苦笑いをする。
麒麟の仲間である、千尋獅子子。
彼女一人にネゴロ十勇士が音もなく捕縛されたことは、今でもよく覚えている。
「単純な力だけならアッカやナタ君どころか、君やガイセイにさえ及ばないだろう。だが技の性能、いや、性質と言ったほうがいいのだろうな。そちらに関しては、はるかに上だろうな」
「それは、アイツの飼い主である私もよく知っています。おそらくスロット使いや悪魔使いでさえ、その技のバリエーションでは遠く及ばないでしょう」
「そうだったな……ともかく、彼ら自身が『無敵』とやらになれるかもしれないし、それを破る手段を持っている可能性もある。少なくとも、その情報ぐらいは知っているはずだ」
その一方で、知っていれば対応が可能だとも思っている。彼らは特異なのであって、最強ではない。
狐太郎にAランクハンターが務まっているのも、魔王が四体そろっているからだ。もしも一体なら、少々力不足だったと言わざるを得ない。それでも大したものではあるだろうが。
「残骸にも『複数の痕跡』があったのだろう? Aランクハンターなら一人で倒せるモンスターを、集団で囲んで倒したのだ。つまりAランクハンターよりは弱いと考えるのが自然だろう。少なくとも、倒せないとは思えない」
「ですが……」
「わかっている。不覚を取る可能性はある……だからこそ、情報が大事だ」
他でもない獅子子こそが、その気になればいつでも大公や大王を殺せるのだ。
悲観と楽観の間には、正しい危機感というものがある。
「狐太郎君は動かせないが、麒麟君とガイセイはすぐに動かせる。なに、数日後にはここに来れるさ。それまで君と、君のモンスターにはここで待ってもらう。それとも、直ぐにあの森に行きたいかね」
「……そうですね」
ホワイトは、ただ力を蓄えていたのではない。
シュバルツバルトで戦えるようになる、という目標を立てていたのだ。
そして、それだけの実力を得ている。ある意味ではどうでもいい、大して重要ではないことに巻き込まれてしまっている。
「それがないわけではないです。あそこに戻り、雪辱を果たす……私の夢でした」
「私や、娘の夢でもあった」
力なきもの、大公はそう愚痴る。
「もしも私にガイセイやアッカ程の才があれば……そう思わなかった日はない」
「お戯れを」
「戯れなものか、ナタ君などそうだろう? 私も若いころは戦場に立ったが……十分な働きはできなかった。今も、外国人である狐太郎君に依存している。情けないことだよ……だが君やガイセイを見ると、この国の人間も捨てたものではないと思える」
当然だが、Dランクハンターでしかないホワイトが、上流階級の中でも特級に位置する公爵と、そんなに付き合いが深いわけではない。
しかし先日会ったシカイと比べて、ジューガーは大分違っていた。
「とはいえ……すぐに向かいたいわけでもないと?」
「ええ。私自身、気持ちの上ずりを感じます。今狐太郎様に会えば……どんな顔をするのか、想像もできない」
ホワイトは若い。
英雄としての道を順調に歩いてきたが、その間に顔を緩ませかけることは何度もあった。
だが、それを狐太郎にだけは、そのモンスターにだけはできなかった。
「私もアイツも……心の準備をしたいのですよ」
「……そうか。君のモンスターには、記憶がなかったのだったね」
「ええ……もしかしたら自分の正体を知っている誰かに会えるかもしれない。そう思うと、浮ついているかもしれませんね」
※
さて、彼女である。
未だに名のない彼女は、流石に大公に会っていなかった。
その必要がないということで、とりあえず別室で待っていたのである。
やはりと言うべきか、とてもウキウキしていた。
「ねえねえホワイト! シカイ様からたくさんお金をもらってるんでしょう? だったら、この後街に遊びに行こうよ!」
「お前はなんで子供になってるんだ、はしゃぐな」
「ひどい!」
もしかしたら、自分の正体を知っている人に会えるかもしれない。
そのはずなのに、彼女はカセイという大都市に浮かれていた。
たしかに国内屈指の大都市ではあるし、数年はここで働くことになるのだから、気分が盛り上がっても不思議ではない。
だが能天気が過ぎるので、少しばかり白けていた。
「まだ俺達は、シカイ公爵の仕事を終えていないんだ。あの人の顔を潰さないためにも、失礼なことはするなよ」
「わかってるけど~~……」
「わかってるのなら、少しは落ち着け。もうちょっと落ち着きのある年齢に……ないか」
「ひどくない?」
彼女は肉体年齢と精神年齢が、ある程度リンクしている。
だが根っこの部分の人格は同じなので、今落ち着いていないのなら別の年齢になっても大体一緒だろう。
「……なあおい、これは俺にしては珍しく、まったくの無償の善意からの慈愛による思いやりを込めた忠告なんだが」
「普段全然愛してないって自覚があるんだ……」
「お前、自分の正体なんて、もうどうでもいいと思っているだろ?」
彼女はそれを否定しなかった。
「知らないほうがいいんじゃないか? 俺はお前の能力を知った時からずっと思っていたんだが……多分、お前を作った連中は、ろくでなしだ」
人間にも、不義の子というのはいる。
当人にまったく非がなくても、生まれてきたことを呪われている者がいる。
彼女はおそらく、それに類するものだ。
「どうしても知りたいわけじゃないのなら、知らないままの方がいいだろう」
「えへへへ……」
ホワイトに心配されて、彼女はご満悦だった。
本人が前置きしたように、ホワイトにしては珍しく、意識した愛情だった。
彼女を思いやっていなければ、絶対に出てこない言葉だった。
「へらへらすんな、こっちは真面目なんだぞ」
「ご、ごめんなさい……」
ホワイトが真剣に案じているからこそ、彼女は嬉しいのだ。
嬉しいので笑うのだが、だから怒られるという循環である。
「でも、やっぱりうれしいな、ありがとう! でね……アタシの正体についてなんだけど……やっぱり知っておきたいんだ」
「なんで」
「名前だよ。流石にこのままだと、不便かなって」
二人っきりの時は、なあとかおいとかで通る。しかし今後は、良くも悪くも集団生活である。名前がないのは流石に問題だった。
「名前を嫌がっているのはお前だろ」
「もちろんだよ! アタシだって流石に悪いかな~~って思ってるもん」
ホワイトが不機嫌になっているのは、彼が彼なりに名前を考えてくれているのに、それを三つの年代の好みで文句を言っているからだ。
流石にこれは、ホワイトでなくとも怒るだろう。正直、彼女もそれはわかっている。だからこそ、解決を求めていた。
「だからさ、名前を決めるにしても、種族とかそういうのが分かれば、『私』も『僕』もアタシも納得できるかなって」
「……どうだろうな」
「アタシだってそこまで期待してないよ、名前って言えるものが製造番号とかだけかもしれないし。でもさ、それでもいいかなって思うんだよね」
子供だから楽観している、ではない。
おそらくどの年齢になっても、彼女は同じことをいうだろう。
どうしても知りたいから知ろうとしているのではなく、どうでもいいけどちょっと聞いておこうという認識なのだ。
今言った様に、自分の名前を決める参考にしたいだけなのだろう。
「だってアタシも『私』も『僕』も、ホワイトのパートナーだもん」
「……そうか、ならもう止めない」
その楽観を、ホワイトは危惧していた。
(お前は、どうでもいいと思っているから、どんな残酷な真実にも耐えられると思っているんだろうが……それはお前の考えが浅いからだ)
ホワイトには、教養がある。
教養があるからこそ、世の中の残酷さを知っている。
今の彼女の楽観が、ただの蛮勇だと察している。
なぜなら、自分もそうだったからだ。
他でもないこの地で、自分は勇敢だと思い込んで森に入って、食われそうになって恐怖したことを覚えている。
(……もしもの時は、流石に慰めてやらないとな)
ホワイトは優しかった。
それは彼女に伝わっていて、だからこそ彼女は喜んでいる。
だが、それは。
普段から彼女を雑に扱っているホワイトをして、危ぶんでしまうほどに最悪な状況なのだった。
※
数日後にガイセイや麒麟が来るということだったが、実際に来たのは翌日だった。
なんのことはない、彼らは休日を申請していたのだ。ちょうど予定が合っていたので、そのまま宮殿に来た次第である。
「すまないな、ガイセイ。せっかく休日を申請してくれたのに、つき合わせてしまった」
「なに、仕事って扱いにしてくれるんだろ? 部下たちは普段通り遊べるんだし、俺だって用件が済めば遊ぶんだ。むしろラッキーだと思ってるよ」
宮殿の中での一室、比較的広いスペースに、一行は集まった。
大公は当然のこと、ガイセイと麒麟たち三人。加えてホワイトと彼女もいる。
なんとも皮肉なことに、Aランク候補と異界のラスボスが二つセットになっていた。
「それにだ……アッカの旦那からの用件もあるんなら、まあ、むしろ俺も興味津々さ」
その一室には、ホワイト達が持ち込んだ、ノットブレイカーの殻の破片がある。
かなり大きいが、それでも比較的小さいものを選んでいた。
「ずいぶん傷だらけだが、これが本当にノットブレイカー……アッカの旦那でも壊せない代物なのか?」
「先ほども説明したが、その通りだ。何であれば、君自身で試せばいい。殻が壊れても文句はないが、部屋は壊さないようにね」
「おう」
強者は、強者を知っている。
ホワイトとガイセイは、お互いに力量を察していた。
ガイセイとしては同僚にして好敵手となるであろうホワイトと一戦交えたかったが、それよりもアッカでさえ壊せないという殻への興味が勝っていた。
「サンダーエフェクト……ゼウス!」
当然のように、アッカと同じ技を使う。
室内ということ、大公の前ということで手加減はしているが、それでもかなりの音がしていた。
にもかかわらず、その殻に一切傷はついていなかった。
「……なるほど、こりゃあ確かにAランク上位だな」
手ごたえがおかしかった。
触れているのに、衝撃が通っていないという感触である。
「どうだ、麒麟。お前なら……っておい、どうした?」
ガイセイがホワイトに興味を持ったように、麒麟たちもまた彼女へ興味を持っていた。
そのうえ、ノットブレイカーの殻よりもさらに興味を持っている。
むしろ、何も聞こえていない程に、彼女を凝視していた。
「あ、アタシの顔に何かついてる?」
「い、いえ……おそらく、同郷かと思いまして……」
「ええ……私たち、故郷ではけっこう悪いことをしていたの。だから同郷の人はちょっと怖くて……」
「……あ、貴女、記憶がないって話よね? ってことは……」
三人とも、猛烈に嫌そうな顔をしていた。
それこそ、絶対に関わりたくないと思っていた有名人に、偶々遭遇したようなものである。
「おい、そっちのちっちゃい子を口説く暇があったら、まずはこれをどうにかできるか試してみろ」
「そ、そうですね! では……」
麒麟は、剣を構えた。
なんとか雑念を振り払って、一応切ってみる。
「クリティカルスラッシュ!」
バフを一切せずに、とりあえず切ってみた。
しかし当然ながら、まったく傷はついていない。
「この手ごたえ……やはり『無敵』ですね。では……蝶花さん、お願いします」
「ええ、わかったわ。ショクギョウ技、侵略すること火の如く!」
ガイセイも知っている、全体の攻撃力をあげる技が発動した。
何か確信でもあるのか、蝶花も獅子子も迷いはない。
「ふん!」
麒麟は普通に剣を振るった。
それは本当にただ剣を横薙ぎにしただけであり、先ほどよりもどう見ても威力が低い。
しかし、新しく傷が一本走っていた。
切断とはいかないが、ガイセイでも傷をつけられない殻に、一本の溝が刻まれたのだ。
「おお……」
「へえ、やるじゃねえか」
それを見ても、その場の誰も驚かなかった。
ある意味期待した成果であり、彼女のアイドルパンチと違って粉砕するほどではなかったからだろう。
「僕らだと、これが限度ですね」
「いいや、十分だ。それにしても……どうやったのかね?」
「侵略すること火の如しに付随している、低数値の固定ダメージです。どれだけ硬くても、無敵でも、一定だけはダメージを与えるという効果を込めました」
「すまない、全然わからないが……原理を君たちが知っているのなら結構だ」
よくわからないことだが、麒麟たちの『技』なら、ノットブレイカーの殻に傷を刻むことぐらいはできると分かった。
であれば、ノットブレイカーを撃破したのは、麒麟たちと同郷だと察することはできる。
それだけでも、大きな進捗と言えるだろう。
「これと同じことができる者は、君たちの故郷にたくさんいるかね?」
「傷をつけるだけなら、それなりに。ただ……」
「ただ、なにかね?」
「これが生きていなければ、です」
「なるほど、道理だな」
仮にノットブレイカーの殻に傷をつけることができる者がいても、海の上でできるかと言えば話は別だろう。
間違いなく、相当の実力者である。
「では、君の故郷の実力者なら、海上でもある程度戦えると?」
「実力者……いえ、英雄と呼ばれるようなものが、特殊な準備をして、人数をそろえてようやくでしょうか」
「なるほど……」
大公の想定と一致していた。ノットブレイカーを倒した者たちは、相当苦戦したのだろうと麒麟は推測している。
「……ただ、アイツじゃ無理でしょうね」
「そうね……あの人たちじゃあ、防戦がやっとね……」
小判猫太郎を思い出している獅子子と蝶花は、そうしめた。
おそらく、彼らよりも数段上の英雄が、この殻を持つモンスターを仕留めたのだろう。
そう思うと、元の世界がどれだけ可能性を秘めていたのか、今更後悔してしまう。
自分たちが、落伍者であることを思い出していた。
「ねえねえ、麒麟さん!」
そして、それを打ち破ったのは。
「もしかして、アタシの名前知ってる?」




