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 強大を極めた不死身の怪物が、この森にいくらでもいるBランクやCランクのモンスターに捕食されている。

 その光景を眺める狐太郎は、もはや吐き気さえ忘れていた。

 そう、結局のところどれだけ強かったとしても、ただの野生動物でしかない。

 誰かが葬式をしてくれるわけではないし、誰かが泣いて悲しんでくれるわけでもない。もちろん神様が現れて、星座にしてくれるわけでもない。

 前線基地やこの国の人々は喜んでくれるが、それでも一時的なものだ。ラードーンは絶滅したわけではなく、まだいくらでも生息しているのだから。


(諸行無常か)


 周囲に雪が降り積もっていることもあって、狐太郎は詫び寂びともいうべき心境になっていた。

 もちろんあのラードーンはただの怪物で、死んだことが惜しいというわけではない。

 だがしかし、強敵ではあったのだ。世界を終わらせる力をもった、どうしようもない災害に思えていたのだ。

 実際には、本当に、ただの獣でしかないのだが。


「珍しいかね、こういう光景は」

「……はい」

「私にとっては見飽きた光景だよ。生きていればとんでもない脅威だが……死んだら他のと同じ、腐るのを待つ肉だ」


 今の狐太郎がある程度余裕を持っているのは、蛍雪隊の隊員がいるからだった。

 ステルスエフェクトなる迷彩能力によって姿を消すことができており、加えて話す相手がいるという安心感もあった。


(この世界に来て初めて人を傷つける経験が、医療行為になるとは思わなかったが……)


 狐太郎は、既に治療を施している。

 深く刺さった棘の周りの肉をえぐり、消毒の薬を塗り、さらに止血用の粘土のような『肉』を傷口に埋め込んで、最後に包帯を巻いていた。

 

(なかなか本格的な外科手術だった気もする……麻酔なしの気合任せなのは驚いたが……)


 手術道具が普通の短剣であることを除けば、まあまあ狐太郎も知っている処置に近かった。

 ただ麻酔、痛み止めの類はなく、蛍雪隊の隊員は歯を食いしばって耐えていた。

 それでも、微動だにしなかったのはさすがだが。

 なお、狐太郎はものすごく怖かったこと、覚悟を要したことは伝えておく。


(それにしても、お祖父ちゃんと孫が動物園に来たような状態だな……)


 どうやらステルスエフェクトはマントに施されているらしく、狐太郎はそのマントに包まれていた。

 蛍雪隊の隊員はどっかりと腰を下ろしているので、子供が大人のマントに隠れているような状態になっている。


「こんなことを言ったら君は困るかもしれないが」

「なんでしょうか」

「さっきから眠くてね。眠ってしまったら、エフェクトを維持できなくなってしまうんだよ」

「それは困りますね!」


 狐太郎の気が抜けているように、蛍雪隊の隊員も気が抜けているようだった。

 死ぬというわけではないが、気が抜けて失神しそうになっているようである。


「どうだね、少し話でもしないか?」

(雪山で遭難したみたいな状況だけれども……口説かれているみたいだな……)


 共に身動きが取れず、救助を待つだけの身。

 話をして気を紛らわせるのは良いのかもしれない。


「お願いします」

「そうかしこまらなくてもいいのだがね……まあ正直、君の話を聞く側になると、そのまま寝てしまうかもしれないから、私が話すのを君が聞くことになるのだが」


 この世界の人々が、どれだけ寿命があるのかわからない。

 しかし、間違いなく狐太郎より年上だった。


「信じてもらえないかもしれないが、私も昔はAランクのハンターでね……英雄と呼ばれたものさ」

「そうなんですか?!」

「……いや、冗談だよ。そんなに本気にしないでくれたまえ」


 笑いを取ろうとボケたのに、狐太郎が本気にしてしまったので驚いている隊員。


「信じてもらえないかもしれないが、とか言ったじゃないですか……」

「法螺とラッパは大きく吹けというだろう? 期待させて申し訳ないが、私はそんなに大したものではなくてね」


 自然と、二人は顔を合わせなくなっていた。

 二人そろって雪の中で座り込み、ラードーンの死体に群がるモンスターを眺めていた。


「元々私は、Dランクのハンターだった。それも性格や素行に問題があったわけではなく、Dランクのモンスターしか倒せないので、Dランクのハンターだったのだよ」


 二人とも死体が貪られる光景を見ているが、観察しているわけではない。

 隊員は己の過去に思いをはせ、狐太郎はその情景を想像していた。


「だがね、そんなに苦労も貧乏もなかった。私は運のいい男でね、危険な仕事をしても怪我をすることはほとんどなかったし、気立てが善くて財布のひもがきつい女房にも恵まれた。息子だって健康だったし、不自由もさせずに済んだよ」


 文章にしてしまうとあまりにも短い、壮年男性の半生。

 悔いがないからこそ穏やかな、平坦な言葉だった。


「私は、運のいい男なんだ。普通はこうもいかなかった……たまたま高ランクのモンスターに出会ってしまったり、あるいは狩りの最中別の獲物に背中を狙われたり……ハンターをやって、大けがもなく引退ができるものなどそうはいない。女房に叱られながらも、悠々自適な日々を過ごしていたのだよ」


 だが、平坦な人生の持ち主が、ここに居るわけもないのだ。


「まあ……私に憧れてハンターになった息子は、あっさりと死んでしまったのだがね」


 息子の死を受け入れている、どうにもならないと諦めている、それどころではないと思っている。

 そんな顔をして、静かに語っていた。


「……息子にも、女房がいて小さい子供もいた。私のたくわえも、子供が大きくなるまでもつものじゃない。幸いまだ体も動いたのでね、ハンターの仕事に復帰することになったが……流石に昔ほど稼げるわけじゃなかった」


 絶望も悲観もしていない、強さのある顔をしていた。


「だが、蛍雪隊の隊長殿が私の経験を買ってくれてね。老いてから今更のようにBランクのハンターになってしまった……おかげで昔よりずっと稼ぎが善くてね……女房にはもう帰ってこいとまで言われているよ」


 自分の命を惜しんでいない一方で、生きることを諦めていない顔をしていた。


「蛍雪隊の隊員は、みんな私と同じさ。逃げて隠れること、待ち伏せや罠が得意なだけの、とっくに隠居しているはずの老いぼれたハンターの集まりでしかない」


 自虐はしているが、それでも気骨がある。

 決して世を嘆いていなかった。


「だがそんな私でも、役割をもらえた……ふふふ、眠気をごまかす、というのは言い訳でね。実は自慢がしたかっただけなのかもしれないな」


 誇らしげに、笑っていた。


「私がここにたどり着けなければ、今頃前線基地は壊滅していただろう」

「……はい」

「その程度のことでも、私には誇らしいのさ」


 二人は、今更のように目の前の存在を認識する。


「私にとって、ハンターの仕事はただ金銭を得る手段でしかなかった。だがね、この森に来てからは少し違うのだよ。今までがそうでなかったわけではないのだが……モンスターは駆除しなければならない」


 ハンターの使命、モンスターを狩ること。

 それを直視する壮年の男性には、決然とした戦意があった。


「息子が殺されてしまったから、なのかもしれない。今更のように、私は仕事の意義を知ったのだよ」

「他の人を、守るために」

「そうだ……私はそのために走り、役割を果たした。達成感がある……それこそ、大物を仕留めたような気分だ」


 どうでもいい仕事をしたのではない、多くの人を守るための仕事を達成した。

 だんだんと息が荒くなり、意識が遠のいている。

 それでも彼は、穏やかに笑っていた。不安や恐怖など、微塵も見せていない。


「君も……達成したのだよ」


 隊員は、狐太郎を褒めていた。


「誇り給え、君は彼女たちを送り出して……私を助けた。それで君は、君の仕事をこなしたのだ……」

「あ、あの……」

「心配いらない……いつもそうだった。私はいつでも、運のいい男だ。私はどんな時でも、助けが来るんだ……私の傍にいれば、君も助かる……そうだ、ずっとそうだったのだ……私は、私だけは……」


 壮年の男は、既に目がうつろだった。

 それが毒によるものか出血によるものか、あるいは疲労によるものか、治療に使われた薬の効果によるものか。

 いずれにせよ、残っている時間は少ない。


「あ、あの……その……!」


 そんな彼へ、何をすればいいのか。

 狐太郎には、ちっともわからなかった。


「……笑ってしまうだろう?」


 死にかけたとき、こぼれた言葉。

 それは彼の、本音の本音だった。


「幸運に助けられてばかりだった私は、ようやく、いまさら……誰かを助けることが大事だと知ったのだ」


 糸が切れる音がした。

 もちろん、糸が切れたわけではない。

 ただ意識が途切れたことで、壮年の男性から力が失われたのだ。


 狐太郎にできることは、必死で声を殺して壮年男性を支えることだけだった。

 狐太郎には知覚できないが、確信はある。おそらく今の狐太郎たちは、周囲から丸見えなのだ。


(……ここまでか、まあそんなもんか)


 狐太郎に恐怖がないわけではない。

 ただ先ほどまで話していた壮年男性の気持ちが、今ならよくわかるのだ。


(無駄死にじゃないんだもんな……)


 自分のためではなく、誰かのために。

 その成否はともかく、意味や理由のある行動だった。

 危険を承知、後悔すると理解して、自分で判断したのだ。

 諦めるには、十分だった。


(……あいつらは泣いてくれるだろう。それだけでも、まあまあ満足だ)


 強大なラードーンが食われているが、誰も悲しまないだろう。

 しかし弱い自分が食われれば、きっとたくさんの人が惜しんでくれる。

 それは、死ぬ間際に見出せるささやかな救いだった。


『お前たちの楽園であるこの世界から、別の世界へ……!』

『魔族と人間が殺し合う、正しい世界へ、お前たちを送ってやる!』

『そして絶望しろ!』

『孤独の中で、狂って、もがいて、世界を呪って死ぬがいい!』


 そして、脳裏によぎる言葉がある。

 とても哀れな、どうしようもない言葉だった。


(世界……呪うほどではないな)


 もちろん不運は呪っている、こんなところで死にたくないとも思っている。

 しかし世界を、社会を憎むほどではない。


『彼が何よりもつらかったのは、孤独……。魔王である彼の傍に、誰もいなかったからかもしれませんね』


 今狐太郎のそばには、力尽きて気絶した男が一人いるだけ。

 彼の名前さえ知らないのだが、それでも一人ではなかった。

 お互いを助けあった、戦友だった。


(孤独を生むのは、理不尽や齟齬なんだろう)


 狐太郎はこの世界に来て、理不尽な正義(・・)に打ちのめされたことはない。

 宗教上の戒律に触れてしまったとか、よくわからない風習を強要されたとか、意味不明な社会制度による罰を受けたことがない。

 この世界における秩序はある程度合理的で、納得できるものだったからだ。


 だがしかし、魔王は違った。

 封印されていた彼の価値観は、現代ではまったく通じなくなっていた。

 自分の部下だったはずのモンスターが全員人間に隷属し、家畜やペットとして扱われていたのに、それが正義だったのだ。

 魔王は善意や義務感からモンスターを人間から解放しようとしたのに、モンスターの側からさえ拒絶されて打倒された。

 

 理不尽であろう。

 魔王は魔王なりにモンスターを救おうとしたのに、幸福にしようとしたのに。

 モンスターたちは、人間に従ったほうが幸福だと言ったのだから。

 

『私たちが人間に従う方が得だから』

『だって考えてもみてよ、悪魔が全ての生き物を支配したって、どのみち他の悪魔と上下関係が発生するでしょう? ほとんどの悪魔にとって、従う相手が変わるだけじゃない』

『正直言って、人間が支配している世界の方が楽だし』


 悲しいことに、それは真実だった。

 魔王が封印されるずっと昔の時代を知っているササゲさえ、魔王を討つことになんのためらいもなかった。


 自分の正義が、客観的に間違っていると、既に証明されている。

 こんな理不尽は、そうそうないだろう。


(俺がここで食われて死んだとしても、それは俺が異世界の人間だからじゃない。誰かに陥れられたわけでもない……まあ、納得できる)


 現代によみがえった魔王は、現代によみがえった魔王だからこそ討たれた。

 納得できなかったのだろう、だからこそ最後に自分たちを追放したのだ。


「悔いはあるけれども……情けない話だなあ」


 魔王は哀れだったが、狐太郎は自身のことも悲しんでいた。

 これから死ぬかもしれないのに、特に大事なことが思い浮かばなかった。

 何が何でも生きてやるだとか、生きる動機が見当たらなかった。


「もしも次があるのなら……」


 傍らにいる男性を見る。家族を養うために、人々を守るために、大切な人のために頑張っていた人だ。

 自分にはないものを、たくさん持っている人だった。


「……自分に酔っぱらい過ぎだ、恥ずかしいよ」


 巨体を誇っていたラードーンだが、大量のモンスターが群がればそのうち食い尽くされてしまう。

 満腹になれたモンスターもいるだろうが、そうではないモンスターも多かった。

 そんな彼らがふと周りを見れば、そこには狐太郎と気絶したハンターがいたわけで。


「最後の後悔が、誰かを愛しておけばよかったなんて……」


 狐太郎は知っている。

 彼女たちがタイカン技を使ったならば、自分を助けに来るだけの体力が残っているわけがないと。

 狐太郎は期待を捨てて、ただ諦めていた。


「くっさい話だ」


 腹をすかせたCランクのモンスターが、大きな口を開けて食いついてくる。

 狐太郎は逃げようと思うこともなく、それを受け入れていた。


「スラッシュクリエイト、クレッセントムーン!」


 そう思っていたのだが、目の前を良く知る斬撃が通り過ぎていった。


「……すごく恥ずかしい」


 辞世の句を詠むような気分だったのに、なんか助かってしまった。

 もはや確認するまでもなく、頼りになる人が来てくれたのだから。


「狐太郎君! よかった、無事だったね!」


 前線基地で一番頼りになる男、白眉隊のジョーが慌てて走り寄ってきた。


「おう、狐太郎! まだ食われてないみたいだな!」


 前線基地で一番強い男、抜山隊のガイセイも走ってきた。


「ああ、はい。無事です」


 白けてさえいた狐太郎は、なんとか返事をする。


(誰も聞いてなかったけど……すごく恥ずかしい……)


 誰かを愛しておけばよかったとか、最後の最後で言うならともかく生き残ってしまうと恥ずかしい。

 中学生のようなポエムを今書いて、ふと素面に帰ったような恥ずかしさだった。


「こちらの人は蛍雪隊の隊員だね? 二人とも、よくやってくれた……! 君たちが身を危険にさらしてくれなかったら、今頃前線基地は崩壊していただろう!」

「その話はあとにしようぜ、ここに長居は危ないだろ。俺が二人とも抱えてやるから、とっとと戻ろうぜ」

「そうだな! ああ、まずは基地に帰ろう。崩壊してしまっているが、少なくともここよりは安全だ!」

「あ、はい」


 やはり、狐太郎と周囲の温度差が著しかった。

 ふざけている言動の多かったガイセイでさえ、とてもまじめである。

 二人とも万全とは程遠く、傷を負ったままここに来てくれたのだ。


(死にたい……)


 洒落にならないので言えるわけもないが、思わず顔を抑える狐太郎であった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新お疲れ様です。 人が魔王になる冠を授けるってのがいいですね!オシャレです!
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