不撓不屈
かくて、厄介事は去った。
今回はお土産やらなんやらがなかったものの、おそらく今後に帳尻合わせがあるだろう。
そう思いながらも、一行は自宅に戻って休憩をし始めた。
「いや~~。長老のお孫さんが臆病だなんて、初めて聞きましたよ~~」
同郷のサカモが、配膳をしながら彼のことを話した。
毎度のことながら、お味噌汁とごはんであり、特に贅沢なものはない。
ある意味『古来の日本食』なのだが、ぶっちゃけ肉はあるのでおかずには困らない。
もちろんこの世界の肉は硬いのだが、ひき肉にしたりすればまあ食えなくもない。
というか毎日硬いものばっかり食べているので、結果的に顎の筋肉が鍛えられていた。
それでも、この世界の水準では顎もかなり弱いのだが。
「お前同郷だろう」
「いやいや、私は丙種の鵺ですからね。所詮あっちじゃ二流の魔物ですよ」
(インフレしてるなあ)
どうにもドラゴンズランドにおける鵺は、人間の国における亜人のような扱いであるらしい。
餌扱いではないが、特別強大な魔物だとも思われていないようだ。
「とはいえ、あの坊ちゃんも大変ですねえ。この森で竜が生きていこうと思ったら、それこそ竜王様並に強くないと駄目なのに」
「……だろうな」
彼は幸運だった。
もしも竜の天敵、エイトロールだったなら、悲鳴を上げるより早く食い尽くされていただろう。
Aランク上位モンスターは伊達ではなく、この森の中でさえ『脅威』と呼ぶに値する。
「……なあコゴエ、あの子……って俺が言ってもいいのかわからないが、あの竜がこの一年でどれぐらい強くなれると思う?」
「恐れながら、ご主人様。こうお考え下さい」
コゴエは、残酷なことを言った。
「一般的な中学生が、一年で、一般的な格闘家に勝てますか」
「無理だな」
人間はどれだけ鍛えても、素手で虎や熊には勝てない。
だが同じ生き物だったとしても、鍛えているものとそうではないものには大きな差がある。
それこそ一年かそこら、まじめに鍛えたぐらいでどうにかなるわけもない。
「ましてやこの森では、Aランク中位が大量にいます。たとえ百年真面目に鍛えても、一対一以外では勝てませんね」
「悲しい現実だな……」
もしもこの森に、Aランク中位が数体だけ『森の主』のように生息しているだけなら、そこまで問題ではないだろう。
だが悲しいかな、この森ではAランク上位さえたくさんいすぎて、主不在の戦国時代である。
これでAランク中位が一体いても、単独ではさほどでもあるまい。
(まあ人間百人食うよりも、あの竜一体の方が魅力的だわな。人間が森に入るのとは、また話が違う)
アカネやクツロ達は、ある意味変身しているので普段はそこまで(餌として)魅力的ではない。
だがあの竜は、常にあの姿なのである。鵺の様に、都合よく小さく変化できるわけでもない。
「はっはっは! いやあ、偉い竜様は大変ですねえ」
(飯炊きだもんな、お前……)
そう考えると、鵺は相当に要領がいい。
まともに戦っても英雄以外にはまず負けないし、格上が相手なら最初から逃げの一手である。
その上、今は狐太郎の飯炊き。魔王四体に守られる立場であり、戦う必要性がまったくない。
まあこの森の近くで生活するというリスクはあるが、最悪逃げて戻ってくればいいだけである。
「それじゃあ、これから一年頑張っても無駄ってこと?」
クツロは彼のことを案じているわけではないが、それはそれとして徒労に終わることは問題に感じるらしい。
「そうでもないし、あの長老への礼儀もある」
「……そうね」
ドラゴンズランドの長老は、孫を片手でつかんで帰る際に、一度、深く、長く頭を下げていた。
彼とて、孫を殺したくもなかったのだろう。
孫を殺すことが賢いことだとしても、胸を張れる賢さではない。
あるいは、胸を痛める賢さ、と言ったほうがいいか。
罰を与えて生きながらえるのなら、それの方がいいのだろう。
「我等も嫌な気分になるが、長老もここに来るたびに親友や孫のことを思い出すようでは、気が滅入るだろう」
「……ありがと、コゴエ」
「気にするな。お前やササゲが怒る気持ちは理解できる」
長老は立派な竜である。
その点だけは、終始一貫している。
臆病であることを自覚し、この森で戦う雑竜や人間にも敬意を惜しまない。
そうした態度を含めて、ショウエンは長老を崇めているのだろう。
行動に対して敬意を向けてくれる相手には、やはり敬意を向けやすいものだ。
だからこそ逆に、あの若い竜に腹が立つのだろう。
「本当だよ……お爺ちゃんも言ってたけど、竜の恥だよ」
「まったく同感ね、何一つ褒めるところがなかったわ」
アカネもササゲも、やはり怒っている。
一年真面目に鍛えてきても、よほど変わっていなければ態度は悪いだろう。
なんだかんだいって、アカネは竜という種族に対するこだわりが強い。
ラードーンを見れば「あんなの竜じゃない」というし、若い竜が盛れば「みっともない」と怒るし、アクセルドラゴンたちと一緒に走ることを喜びとしている。
その彼女からすれば、彼は怒りの対象だった。
「要するにさ、自分よりも強いのが現れたらご主人様を置いて逃げるんだよ? 最悪じゃん」
「悪魔の価値観において、あれは賢いとは言わないわ。それこそ意地がないって言うのよ」
突き詰めれば、責任感の欠如であろう。
やると言ったからには、途中で嫌になっても投げ出してはいけないのだ。
もちろん投げ出さなかった場合高確率で死ぬが、投げ出せば社会的な制裁が待っている。
やめるにしても、筋を通すべきなのだ。
(ブラックすぎるが……擁護の気持ちがわかないのは、俺もここに染まっているからか)
そもそも、『戦う』ことを志願したのである。
最初の最初に敵前逃亡されては、庇う気も失せようというものだ。
(俺が逃げないのになんでお前は逃げるんだと……いやはや)
嫌な大人だ。
狐太郎はアカネとササゲを咎めないが、しかしせめて自嘲する。
ここで彼を叩くには、狐太郎は何もしていなすぎる。
狐太郎もまた、恥を知っていた。
「それで、コゴエ。貴女は『そうでもないし、あの長老への礼儀もある』と言ったけど……そうでもないってことは、どういうこと?」
クツロは本題に戻そうとした。
コゴエは、彼に何を見出したのか。
「大したことではない。先のことを考えれば、クラウドラインを一体手なずけることは有用だ。あの侯爵家の子供四人への義理も果たせる」
「……?」
「憶えているか、あの長老は『人間を連れて外出しないとはどういうことだ』と怒ったのだぞ。つまりクラウドラインたちには、人間を安全に運ぶ手段があるということだ」
アカネは大喜びして、狐太郎は苦笑いをした。
「そうだよ! よく考えたら、最初に来た人たちはどう見ても弱そうだったもん!」
アカネに狐太郎が乗れないのは、端的に言えば体が弱いからである。
アカネが速く走ったり急に曲がったり、上下に激しく揺れると、それだけで骨が折れてしまうのだ。
だからこそ、ケイやショウエンたちは屈強なのである。
兵士だから当たり前だが、竜に乗るには最低限度の頑丈さが必須だった。
もちろん、上位の竜ほど速く走れるし、体も大きくうねらせる。
にも関わらず、彼らは人間を同行させているのだ。
まさか人間の歩幅に合わせるわけもなし、普通に考えれば竜自身が運んでいるのだろう。
つまり、ドラゴンズランドには、竜が人間を安全に運ぶ手段があるのだ。
多分。
「何かあるんだよ、きっと!」
「人間側が特殊な訓練を受けている可能性もあるが」
「あるんだよ! きっと!」
(ないほうがいいなあ)
現状の足は、鵺で十分である。
やる気を出しているアカネに、狐太郎は不安しか感じない。
「ともあれ、あの四人をドラゴンズランドへ送る算段はたったということだ。ここでの仕事ももうすぐ折り返し、終わった後のことを考えても損はない」
「コゴエはそこまで考えてくれてるんだな……ありがとう」
「いえ……必要なことです。ササゲが彼に嫌悪感を抱いていた以上、私が考えなければなりませんでしたので」
相変わらず、頼りになる雪女であった。
※
さて、ショウエンである。
不落の星、ショウエン・マースーである。
今回の件で、彼は長老からいろいろと話を聞くことができていた。
なにせ長老にすれば『人間とケンカしないためのルール』を人間に伝えているだけなので、まったく問題ではない。
むしろ知ってほしいぐらいだった。
そう、『むしろ知ってほしいぐらいだった』。
「竜の長老が、ドラゴンズランドの掟を、周囲に知ってほしいと思っている……! ならば、私の使命は! これをこの国に知らしめること! そう! 使命! 決して私欲とは関係ない!」
ドラゴンズランドの竜たちが、如何にして人間と共存しているのか。
その株を維持するために、どれだけ苦労しているのか。
それを伝えることこそ、彼の使命であった。
なお、モチベーションは極めて高い。
「いやあ~~まいったな~~! こんなどうしようもない、落ちぶれた男が竜の掟を明文化して、周囲に知らしめないといけないんだもんな~~! 私は武官であって、文官でも芸術家でもないんだがな~~!」
彼は困っていた。
果たして自分は、こんなに幸せになっていいのだろうかと。
葛藤していた。
表面上は。
「ドラゴンズランドの竜は、人間を支配しているが、同時に人間へ敬意を抱いている。人間ならばどんな相手にも敬意を抱くわけではないが、敬意を抱くべきだと思った相手には礼節をもって接する」
彼はウキウキしながら、長老から聞いていた掟などを書いていた。
もちろん夢は、書籍化である。
竜の文化、法律、秩序、精神性を伝えたいのだ。
まあ、それを知ることになったことを自慢しつつ、知識をひけらかしたいという原動力がないわけでもないのだが。
動機はどうでもいい、正しい知識を伝えることが大事である。
「ぐ、、ぐぅううう! か、書きたい! 『筆者はシュバルツバルトでの働きを認められ、ドラゴンズランドの長老に敬意を示された。名前を聞かれて、憶えられた』って書きたい~~!」
力を込めすぎて、筆を折りそうになる。
筆者の私情をつづりたい、そんな欲求と戦っていた。
なお、もちろんちゃんと書いてある。
「書いちゃったな~~! 後で、後で修正しよう! どうせ修正するなんて、横棒一本で簡単だもんな! まあ修正し忘れるかもしれないけど!」
他の人に校正をゆだねる場合、高確率で消されるだろう。
だがそれでもいい、わずかな可能性にかけたかったのだ。
「さて……ドラゴンズランドから外へ竜が出るとき、若い者は人間を供として連れることが定められている。彼らは人間を従者としているが、その指示に従うことになっているのだ。若い竜を導く任務を帯びた従者たちは、代々家業としている者たちであり、非常に高い教育を受けているという。……こ、ここで! ここで! 私が最初に狐太郎様たちと一緒に、ドラゴンズランドの竜たちと出会った時のエピソードを……!」
ただ事実だけを書き記すことの、なんと難しいことか。
彼は思いっきり自分の私情を尊重して、体験談という名の自慢話をたっぷりと書き始める。
「嘘は書けないからな~~! 真実は隠せないからな~!」
彼の筆は踊るようだった。
上質な紙の上に、羽ペンが足跡を残していく。
それは戦車の轍がごとく彼の戦果を明示するものであり、勝利の凱歌のように戦いの歓喜を表すものだった。
彼は決して文章が得意だったわけではないが、楽しく書いた文章は必然的に読むほうも楽しくなるもの。
ショウエンのことなどまったく知らない人間からすれば、ただ竜の掟を書いてあるだけの文章よりもよほど面白い読み物だった。
他にも友人に自慢できなかった『クラウドラインがその名称を気に入っていること』や、『子供の成長を願って、名のある竜にブレスで焙ったり噛みついてもらう』ことなどを、学術的な史料のように書いていく。
後に、ため込んだお給料でそれを本にして売り出すのだが……。
結構売れたという。
後に、自慢話だけを書いた絵本と、学術的なものだけ書かれた本に分かれて出されることにもなった。
それを知った母親から『何をやっているのですか! 貴方は! そんなことよりもやるべきことがあるでしょう!』というお怒りの手紙をもらうことになる。
不落の星、ショウエン・マースー。
その名の由来は、決して落とされないという意味だったのだが、あるいは一敗地に塗れても立ち上がる心の強さを表す二つ名だったのかもしれない。
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次回から新章、三匹の山羊のガラガラドン




