一念発起
ずいぶん昔の話であるが、ササゲは悪魔が支配する世界についてこう語った。
悪魔が人の地位を奪っても、ほとんどの悪魔は別の悪魔に従うことになると。
まあそうであろう。地球は人類が支配していると言って過言ではないが、大抵の人間は別の人間に支配されている。
ただの事実として、支配種族側になっても、それだけで幸せになるわけではない。
なんのことはない。どれだけ強くて偉い種族に生まれても、同族相手には通じないのだ。
侯爵家の威光が侯爵家に通じないように、竜の威光も同じ竜には意味がないのである。
竜が人を支配している土地、ドラゴンズランド。
しかしそこで暮らすすべての竜が、幸福な日々を過ごしているわけではない。
※
「はるか古の時代。あるモンスターが『人間の国』へ対抗するために、『強大な力を授ける王冠』を四つ作ったという」
雲海さえ見下ろすほどの高い山で、長老であるクラウドラインはとぐろを巻いていた。
彼は山頂付近に巻き付き、さながら人間が玉座に座っているかのように振舞っている。
そんな彼の周囲には、多くの若いドラゴンが飛行していた。
もちろん、長老の話を聞くためである。
「その王冠を被ったものは強大になるだけではなく、老いることがなくなり、人間に殺されぬという不死の力を得たそうな。しかしその王冠をもってしても……人間の英雄や、あの忌まわしき大百足共をはじめとする、『甲種』には勝てなんだ」
もちろん、話の内容自体は、人間でいうところのおとぎ話か、あるいは逆に歴史書に書いてあることである。
全員が既に知っているので、長老がありがたい話をしているので聞いている、という以上の意味はない。
「むろん、一度や二度倒すことはできた。だが王がどれだけ強くとも、広大な『国』のすべてを守ることはできなんだ。己の無力さを嘆いた王は、その力を持ってこの地を去り……いつか更なる力を蓄えて、この地へ帰還すると言い残したという。かくてモンスターの国は滅び、言い伝えに残るだけとなった」
普段なら、或いは数年前なら、ここまでで終わっていた。
「しかし、この地に王は帰られた。王冠を頂く四体の王は、たった一人の人間に仕えておられる。しかし、決して奴隷に堕したわけではない。多くの人間を率いて『甲種』の住まう森を封じておられる」
語る長老にも、熱が入っている。
「その中には、我らが竜の王もおられる。天真爛漫なる乙女でありながら、その炎は日輪の如し。人間や他の王と共に、あの大百足さえ焼き払って居る。その勇猛さたるや、この老いぼれの体がうねるほどであった」
聞いている若人たちも、飛行しながら騒いでいた。
激しく上下する者がいれば、体を揺する者もおり、或いはその場で横回転する者もいた。
「そして、竜王様のおそばには、人間を背負う雑竜共もおった。大百足に怯えながらも、竜王様のおそばで戦う姿は、まことに天晴れである。恐れて何もせぬ己が恥ずかしく、貴竜の名を返上しようかと思ったほどであった」
長老は、遠く、雲海を眺める。
彼は友を失った、かつてのことを思い出していた。
「よいか、若人よ。勇気を持て。己よりも強大なものに、けっして負けぬ心を持つのだ! あらゆる『甲種』を息吹で焼き尽くす、あの竜王様のようにのう!」
さて、今更であるが『Aランク上位モンスター』というのは、ローカルルールによる区分である。
別にこの世界のあらゆる土地で、その区分けが成立するわけではない。
カセイの近くではモンスターをAからFの六段階で分けているように、この周辺一帯では甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の十段階に分けている。
とはいっても、AランクとBランクは更に上・中・下の三段階に分かれているので、実質十段階であることに変わりはないのだが。
つまりAランク上位のエイトロールは甲種、Aランク中位のクラウドラインは乙種ということになっている。
「では、解散とする。儂の話を忘れず、勇気を持つことを大事にしながら過ごすのじゃぞ」
ゆったりととぐろを解き、雲海へ向かっていく長老。
その姿は竜たちからしても壮大であり、『乙種』でしかないことが信じられない程だった。
「いやあ~~なんど聞いても長老のお話はありがたいな~~」
「しびれるわよね~~。あの大百足の近くで暮らしているだなんて~~」
「俺んところの親戚なんて、度胸試しで近くまで行ったはいいが、匂いがしただけで尻尾を巻いて逃げたんだと!」
「あの匂いは怖いよな~~。全身の鱗がひっくり返りそうになるぜ」
話を聞いていた乙種(Aランク中位)、あるいは丙種(Aランク下位)の竜たちは、大百足を日常的に狩っているという己たちの王が誇らしかった。
恐れるものがほとんどない竜たちだからこそ、エイトロールのことは極端に怖がっている。
その匂いを嗅ぐだけで、全身に不調をきたすほどなのだ。
だからこそ、そのエイトロールを焼き払う同種が誇らしい。
人間に仕えていることが問題にならない程、その勇敢さを崇めたくなるのだ。
「はあ……でもそろそろ飯にしないか?」
「そうね~~。人間が夕餉を作ってる匂いもしてきたし、そろそろ狩りに行きましょうか」
「どこ行く? 俺あっちの島」
「俺もそっちにしようかな~~」
さて、ドラゴンズランドの地形について語るとしよう。
本当の意味で竜の巣、竜の生まれる魔境は、非常に高い山のある土地である。
シュバルツバルトが広大であるように、ドラゴンズランドも空間が歪んでいるとしか思えないほど『高さ』のある山なのだ。
その魔境のふもとでは竜の威光によって守られている人間たちが生活しており、時折貢物などを献上している。
そして、そのすぐ外には海があり、周辺一帯には魔境の有る小さな島々がある。
もちろん、シュバルツバルトのように、甲種(Aランク上位)が大量に生息しているわけではない。
島によっても異なるが、強くとも丁・戊・己(Bランクの上中下)ぐらいしかいないのだ。
それでも人間にとっては危険だが、乙種(Aランク中位)、丙種(Aランク下位)にとってはただの餌場だ。
むしろそれぐらい強く大きいモンスターがいなければ、竜たちはたちまち飢えてしまうだろう。
やはり、ドラゴンズランドは竜たちの楽園である。
自分たちを捕食しうるモンスターは滅多に現れず、しかし食べるに十分な大物が周辺に多く生息している。
彼らは争うことなく、楽しく生活できているのだ。
とはいえ、それでも下に見られる者はいるのだが。
「今日は丁(Bランク上位)にしようぜ。がっつり食っておきたいからよ」
「んじゃあ俺もそっち行くわ。どっちがでっかいのを捕まえるか競争だな」
「おい、あの坊ちゃんはどうする? 誘うか?」
「バカ言うなよ、あの坊ちゃんは丁を狩ったことが一度もないんだから」
彼らの視線の先には、まだ若い、幼いクラウドラインがいる。
同種である長老が去っていく姿を、今でも見ていた。
その視線は、尊敬よりも羨望に寄っている。
「え、噂じゃなくて? マジで?」
「本当本当! だって本人が言ってたからな~~」
「雲を縫う糸なのになあ……丙種にも負けてるじゃねえか」
呆れている同胞たちの声は、彼の耳に届いていた。
しかし何も言うことができず、ただ黙ることしかできなかったのである。
※
戊種(Bランク中位モンスター)、バルクホース。
非常に肥大化した筋肉と、それに負けない太い骨格を持つ、非常に強力なモンスターである。
その脚力は当然強い。逃げれば追うことはできず、蹴られてしまえば同格でも死にかねない。
草食でありながら凶暴で、縄張りに入ってくれば相手が肉食獣でも襲い掛かる。
集団ではなく個体で生活しており、同種であっても殺し合う。
そのバルクホースを、若きクラウドラインはもしゃもしゃ食っていた。
「はぁ……」
強大であるはずのバルクホースを片方の前足であっさりつかむと、抵抗する余地も与えず握って骨を砕き、さらにその大きな顎で丸ごとかみ砕いていたのである。
もちろん、太く頑丈なはずの骨もサクサクと切り裂いて。
「またこんな馬か~~」
だが当然と言えば当然。
如何に若いとはいえ、Aランク中位がBランク中位に負けるわけがない。
それどころか、狩りに失敗するわけもない。
並のハンターではまず勝てず、精鋭であっても苦労する強敵。
しかしこの竜からすれば、木っ端な雑魚でしかない。
「こんなんじゃあ、お嫁さんも卵を産んでくれないよなあ~~」
いいや、この竜というよりも、竜全体からしてそうなのだ。
飢えた狼がカエルを食べているようなもんである。到底褒められることではない。
「僕がもっと狩りが上手ければなあ……」
彼はまたゆるりと飛んで、適当な獲物を追う。
風の精霊や雷の精霊を身に纏う彼は、それを使うまでもなくまた別のモンスターを片手で捕らえていた。
やはりBランク中位、人間の基準なら大物である。
「やっぱり……最低でも丁(Bランク上位)じゃないと駄目だよな……。お爺ちゃんも若いころは、丙(Aランク下位)どころか同格の乙(Aランク中位)だって狩ったらしいし……」
狩りが下手だというのは、人間の基準で言えば、物凄い貧乏人である。
如何に長老の孫とはいえ、貧乏人では嫁もこない。
何分竜たちにとっても、それぐらいしか価値の基準がないため、嫁が来ないというのは人生の否定に近かった。
人間なら未婚でも子供がいなくても、別のことに価値を見出せるだろう。だが竜はそうもいかないのである。
「でも怖いしなあ……丁に噛まれたら痛いし……」
なまじ知恵があり、なまじ力があり、なまじ飢えないからこそ。
彼はどうしてもBランク上位モンスターを狩ることができなかった。
人間の基準で言えば、まったく訓練されていない普通の野犬と、完全防備の上で武器まで持って戦うようなものである。
相手が逃げないという前提があれば、戦えばまず負けないだろう。
だがそれでも、噛みつかれればそれなりには痛いのだ。
ちなみにAランク下位と戦う場合は、防具をつけないで戦うようなもの。
Aランク中位と戦う時は、それこそ武器を持った人間同士の戦いそのまんまである。
「でもこのままだと、結婚できないまま、お爺ちゃんや父さんや親せきから叩かれ続けることに……」
つまり今の彼は圧倒的に弱いモンスターを食べて、かろうじて生きているだけなのだ。
これでは夢がなさ過ぎた。
「……お腹いっぱい食べて、いいお嫁さんをもらって、卵を産んでもらいたいなあ」
彼は沈み行く太陽を見ながら、心中を吐露する。
他の竜のほとんどが出来ることを、自分だけ出来ていない。
明日も明後日もこんなことを考えながら生きていくのだと思うと、心がますます荒んでいく。
「丁種の獲物を狩るなんて、丙種の竜でもできるのに……」
このままではいけない。
祖父である長老に恥じぬ、立派な竜にならなければならない。
偉大な竜になるにはどうすればいいのか。
決まっている、一番偉大な竜に習えばいいのだ。
「決めたぞ……竜王様に会いに行く!」
なお、相手の都合は考えていない模様。




