便りがないのは元気な証拠
当然ではあるが、ナイトとパンシーの事情など、四人はまったく知らなかった。
彼らが状況を把握したのは、パンシーの両親が隠居した後、問題が解決した後である。
「パンシーの両親へ、大公閣下と大王陛下のお手紙が届いたそうだ。内容は取るに足りないものだったが、どうやらご両親に心境の変化があったらしい。お父上は家督をパンシーの兄へ速やかに継承させ、別宅で静かに暮らすことにしたそうだ。お母上もご一緒だという。いやはや、仲睦まじくて何よりだ」
担任教師と六人の生徒は、面談室で話をしていた。
もちろん世間話であって、一切やましいところはない。
バブル以外の五人の顔色が悪いが、まあ些細なことだ。
誰も傷ついていないし、誰も死んでいない。父親が予定通り、息子へ家督を譲っただけだ。
むしろ、なぜ落ち込むのかがわからない。
「パンシー君へ戦地へ赴くように叱咤激励していること、狐太郎殿へ心を配るように命じたこと、中心人物であるロバー君と仲良くするように勧めたこと。それらをつづったうえで、パンジー家の次期当主が有望だと褒めることや、パンジー家の所有する別荘の風景は素晴らしいとまとめただけだそうだが……なぜ隠居したのか、まったくわからないな」
なぜ担任教師が、大王や大公がパンジー家に送った手紙の内容を詳しく知っているのか。
それが、五人の生徒にはわからない。いや、理由はわかっているのだが、わからないふりをしたかった。
「もしかしたらパンシー君のご両親は、その手紙を読んで家族の大切さを思い出したのかもしれないな。息子を信じる気持ち、娘を愛する気持ち、夫婦のお互いを想い合う気持ち。それらを手紙から読み取って、少々早いが隠居を決めたのだろう」
(無理やりすぎる……)
ともあれ、ここまで言われればバブルでも状況は察した。
つまりパンシーの両親がパンシーへ無茶な命令をして、それに憤ったナイトが四人へ文句を言おうとしたのだ。
それを教師たちが解決するべく、大公や大王を動かして、両親を隠居に追い込んだのだろう。
解決方法が陰湿で荒々しくて、抵抗の余地を与えないものだった。
家庭内問題を解決する、圧倒的な権力を感じてしまう。
「こうなってしまえば、引退しなかった場合どうなったかは、考える必要がなくなったな」
なぜそんなことを考える必要があるのか、匂わせるだけでも効果は抜群である。
やはり大人は怖かった。
「まあここまで聞けば十分だろう。両親からプレッシャーをかけられたパンシー君がナイト君へ相談し、先走った彼が君たちへ抗議するべく手紙を送ったのだ。問題は解決したので、抗議する理由はなくなった。なに、手紙が届かなくなっただけで、パンシー君のご両親は生き続けているさ」
恐ろしいほど淡々としていた。
皮肉を込めているのに、なんの嘲笑もない。
この教師の恐ろしさ、或いは貴族の恐ろしさを五人は学んでいた。
バブルは学ばなかった。
「パンシー君、ナイト君。四人に謝りなさい」
「はい! すみませんでした!」
「はい、ごめんなさい!」
「よろしい。君たちも、もう二人を責めないように」
謝ったので仲直り。
それがこんなにも空恐ろしい。
ある意味二人は誠心誠意謝っているのだろうが、おそらく恐怖からくるものだろう。
後悔は間違いなくしているはずなので、繰り返されることはないだろうが。
「さて……普通の教師ならここで〆るだろうが、私は貴族の教師として君たちに指導をしなければならない」
バブル以外の五人は賢明なので、ここまでの時点で普通の教師が絶対にやらないことを執行し終えていることを理解している。
「どうやらパンシー君は『こんな時どうすればいいのか、誰も教えてくれなかった』と思っているようだからね」
「……!」
「学校で教えるようなことではないし、積極的に教えると悪用されかねないので控えていたが、生徒が教育を希望しているのなら、教えざるを得ないな」
担任教師は、パンシーに怒っていた。
まさか一度も質問をしていない生徒から『誰も教えてくれなかった』と言われるとは思わなかったのだ。
「どうやらこちらから気を利かせて、積極的に問題解決のためのノウハウを教えないといけないらしい」
間違いなく、パンシーが一番聞きたがっていない。
だが他でもないパンシーが教師たちへ『だって~~教えてくれなかったんだも~~ん』と言ったので止めることができなかった。
彼女は自分でパンドラの箱を開けてしまったのである。その箱の中に、希望はない。
「まず、パンシー君。今回の件で、一番大事なことはなんだかわかるかね?」
「は、はい……まず、先生にご相談するべきでした」
「違う」
一番教わりたがっていた生徒へ、熱烈に指導をする教師。
あんまり教えたくないことだが、彼女に一番必要なので仕方がない。
「君は物事のうわべだけ見て理解した気になっているな。だが根本的に間違っていると言わざるを得ない」
「こ、根本的にですか……」
「では何が一番大事だと思う?」
「あ、あの……」
「君は熱心に私へ指導を求めているのだ。予習はおろか、復習もしていないとは、言わないだろうねえ? 君の問題なのだから、君が一番考えるべきなのに」
両親という重石は去ったが、もっと恐ろしい者が待ち構えていた。
しかも形式上恩人であり、自分が希望したことなので、逃れることはできない。
「まあいい、君は一番大事なことが『まず教師へ相談するべきだった』と思っているようだ。では二番目はなんだ? 一番大事なことだけではないだろう?」
「そ、その……な、ナイト君を巻き込んでしまいました……彼を、その巻き込むべきではありませんでした」
「それも違うな、根本的に違う。ナイト君に相談したこと自体は、君の失敗ではない。ナイト君へ指示をしたわけではないのだから、彼がやったことは彼の失敗だ」
教師の圧は、極めて論理的であった。
「君は、悪くないんだよ」
恐ろしい『君は悪くないんだよ』であった。
「まあこれ以上問い詰めても仕方がない。君は基本的なことが分かっていないのだから、そこから教えよう。国語を習う時に、文法よりも先に字を習うのと一緒だな。イロハのイだと思って欲しい」
パンシーに圧をかけていた担任は、四人の生徒へ目を向ける。
彼らに対しては、圧をかけなかった。
「キコリ君、マーメ君。君たちは最初に面接練習をした時のことを覚えているかね?」
「は、はい……よく覚えています」
「面接の作法よりも、胸を張って説明できることを準備することが大事だと教わりました」
「その通りだ」
多少歩き方や座り方、しゃべり方に問題があっても、咎められることは少ない。
だが相手へ『自慢できること』が何もないということは、合否に著しくかかわる。
「今回のことで私たち教師が動いたのは、突き詰めれば君たち四人のためだ。それどころか、私たちだけではなく、大公閣下や大王陛下が動かれたのも同じだ」
侯爵家の両親が娘へプレッシャーをかけても、大王や大公が動くことはない。
誰がどう考えても当たり前だ、だから手紙が届いた時はパンシーの両親はさぞ驚いただろう。
だがそれでも動いたのは、ドルフィン学園の教師たちが嘆願したからであり、もっと言えば一生懸命頑張っているバブルたちのためであり、ひいては狐太郎のためであり……最終的にはカセイの民のためである。
「こう言っては何だが、以前のバブル君……つまり授業をまともに受けてもいない彼女が相談してきても、私たちはまともに取り合わなかっただろう」
あけすけなほどに『こう言っては何だが』だった。
「今回私たちがこれだけ迅速に動いたのは、バブル君達が早急に報告をしてきたからではない。もっと前段階……つまり普段から彼女たちが頑張っているからだ」
ここは、淡泊ではなかった。
しっかりと、情念を込めていた。
「確かに、動機は夢のようなものだろう。だがどんな動機であれ、カセイという大都市を防衛する最前線へ、身を投じるために努力をしていることは本当だ。そんなバブル君達に、余計な負担はかけさせられない。だから大王陛下も大公閣下も判を押してくださったのだ」
依怙贔屓でも不公平でもないと、彼は言い切る。
努力へのささやかな見返りでもなく、単に必要なサポートを受けただけだった。
「こ、媚を売れということですか?」
「ずれているな、ナイト君。君が思っているほど、媚を売るということに価値はない。媚を売られている方は、媚を売っている方に一々思い入れなどしない。大事なのは、利益か信頼だ」
コネを作れと受け取ったナイトに対して、呆れたように応じる。
コネを作ることに、彼はネガティブが過ぎた。
「ナイト君やパンシー君が私たち教師に相談できなかったのは、突き詰めていえば私たちと親しくなかったからだろう。自分たちの繊細な問題を、相談できるほど信頼していなかったからだろう」
困った段階になってから頼る、という段階で間違っている。
普段から困ることを想定して、親しくなっておくべきだったのだ。
そうすれば、相談することへのハードル自体が低くなっていたはずである。
「それが、君の本質的な失敗だ。ナイト君しか相談できる相手がいなかった、それ自体を反省しなさい」
「はい……でも……」
「今教えているんだが?」
「わかりました……」
困ったときに助けてくれるのが真の友達だというが、困ったときにいきなり『助けてくれ』と言ってくるのは余りにも厚かましい。
「友人や恩師を得る、その必要性を理解したまえ」
「はい……」
「もう一度言うぞ、『誰も教えてくれなかった』だったな? 『こうなる前に友達や恩師を作れ』だ」
「わかりました……」
教師が生徒へ『友達や恩師を作れ』という、詰め込み教育であった。
「ナイト君。君も彼女をあまり甘やかさず、ちゃんと友達付き合いをさせなさい。それで傷つくことも、必要なことだ」
「はい……」
「想像したまえ、四十歳になっても、こうしている彼女を。嫌だろう」
今の年齢なら引っ込み思案も可愛いものだが、四十歳になってもこれでは流石に問題がある。
彼女のためにも、今から矯正する必要があると理解するナイトであった。
「さて、一応念のため釘をさしておくか」
担任教師は、頑張っている四人への態度を改めた。
「今回私たちは、君たちの全面的な味方になった。だがそれは、君たちが一方的な被害者だったからだ」
彼らは確かに頑張っているが、目標はあくまでも護衛である。
彼ら自身が特別なのではなく、彼らが守るべき狐太郎が特別なのである。
「君たちが今回のことに味をしめて、周囲へ度を超えた振る舞いをしたならば。その時は君たちに護衛の資格なしと判断せざるを得ない。もちろん事がエスカレートする前に注意はするが、今の段階でもはっきり言っておく。まあもっとも……」
四人が頑張っていることを知っている担任は、ある種の敬意をこめてこう〆た。
「特訓で疲れている君たちに、そんな暇はないだろうが」
(はい、無いです……)
他人をいじめる時間的余裕も精神的余裕も、四人にはまったくなかったのであった。
もちろん、他人の家庭問題を解決する余裕もまた、最初からなかったのである。
※
さて、東方戦線である。
リァン達の草の根運動『徘徊するボスキャラ』によって、各地は大幅に安定していった。
僻地へ威力偵察をしていたら、いきなり斉天十二魔将が現れるのだから、相手にしてみたらやってられまい。
必然的にリァン達への救援要請も減り、基地で長く滞在することも増えていた。
だがそれは、東方戦線の人々と接する時間が増えるということ。
リァンやジューガーが誅した、メンジ将軍が在籍していた東方戦線で、である。
鍛錬の合間に休憩をしていた一灯隊へ、数名の竜騎士が訪れていた。
誰もが精悍な顔つきをしており、ショウエンにも劣らぬ気風を持っている。
おそらく、彼と共に戦場の空を駆けていた、ワイバーンにまたがる上級の竜騎士だろう。
きっと、メンジとも親しかったに違いない。
「失礼、公女様。お時間はよろしいでしょうか」
「ええ、もちろんです」
ジューガーも東方のウメイたちに謝っていた。
同様にリァンも、東方の兵たちに、求められれば謝罪するつもりだった。
それはリゥイ達にも言い含められており、何を言われても手を出さないと約束している。
「……ケイのことは、確かに私が殺しました。彼女を殺さなければことが大きくならず、結果としてメンジ将軍への処罰が起こらなかったかもしれません」
狐太郎への侮辱を、狐太郎本人の前で言った。
一番配慮すべき相手へ言ってしまった時点で、リァンは殺すしかなかった。
だがそれはリァンの理屈であって、彼らには関係ない。
非がないにも関わらず、被害を受けた。それは謝るべきことだった。
「お怒りは、ごもっともでしょう」
「……公女様、そのことはいいのです。メンジ将軍も処刑を受け入れたのですから、納得済みでしょう。それに、攻め込んだ敵軍が悪いに決まっています」
一灯隊の面々が驚くほどに、彼らは怒っていなかった。
むしろリァンへ気遣う程であり、それは取り繕ったものではなかった。
「ただ……ショウエンはどうしていますか? ウメイ殿からは、いろいろと聞いたのですが……」
「ショウエン、ですか」
なるほど、共に空を駆けた者を心配しているのだろう。
無礼を働いた男の下で働くのだから、肩身の狭い思いをしていると考えても不思議ではない。
「彼は……よく働いてくれています。森の中ではワイバーンではなくアクセルドラゴンに乗って戦っていますが、前線基地の防衛ではワイバーンにのって上空から射撃を行い、果敢に戦ってくれています」
リァンにとっては悔しいことに、ショウエンはとても強い。
それこそ白眉隊隊長であるジョーにも勝るとも劣らぬ実力者で、防衛の一翼を担っていると言ってもいい。
きっと今も、その実力を発揮しているだろう。
「そうですか……」
それを聞いても、彼らは何も安心していなかった。
本題を聞いたはずなのだが、まだ望んだ回答を聞けていないような、そんな落ち着きのなさである。
「あの……公女様」
「はい?」
「シュバルツバルトにクラウドラインなどの伝説の竜が、頻繁に訪れているというのは本当ですか?」
「……はい?」
最初、何を聞かれているのかわからなかった。
しかししばらくすると、彼らが『竜騎士』であることを思い出した。
つまりショウエンと同様に、『竜が大好き』なのである。
「トライホーン、グレイトファング、ケツアルコアトル、アシッドバルーン、シェルターイーター! それらの求愛行動を見れたというのは本当ですか?!」
「クラウドラインだけではなく、ハイエンドにヌーンムーン、グラスブルーを引き連れて飛んだというのは?!」
「ドラゴンズランドに住まう竜の、その習慣などを多く教わったというのは?!」
もしもここにジョーがいたのなら『あの手紙を書いたのは彼らか』と思ったに違いない。
「え、ええ……」
まさかメンジ将軍が殺されたことよりも、竜のことを聞かれるとは思っていなかった。
あまりのことに、彼女も一灯隊も硬直している。
「もちろん、本人にも手紙を送って確認したんです! 俺達全員で!」
「なのにアイツときたら……!」
さて、情熱をこめて質問を送った彼らである。
その返答はどんなものか、口語訳しよう。
『みなさんお元気ですか、私は元気です。こうして別の地へ送られた私へ、手紙を送ってくれてありがとうございます』
『皆さんからの変わらぬ友情に、深い感謝を』
『ドラゴンズランドの竜についてですが、多くはお答えできません。また、皆さんをここへお迎えすることもかないません』
『文書に機密を書けないという、職務上の問題と理解していただきたいです』
『もしもお会いできたときには、胸襟を開いてお話ししましょう』
『武運をお祈りします、ショウエン・マースー』
口語訳ではあるが、それでも堅かった。
実際の文章は、もっと堅かったのである。
「これ! 絶対アイツが書いたんじゃない! 別の人に文面考えさせたんですよ?!」
「許せねえ! 竜騎士の風上にも置けない奴だ!」
「伝説のドラゴンと一緒に飛べる職場を独占とか……死ね!」
当たり障りのない文章が手紙に書かれていても、真意は伝わってくる。
つまり、代筆を任せてしまうほど、まともに文章が書けなくなるほど、自慢話ばかりしてしまうほどに、彼は舞い上がっているのだ。
大正解である。
「ウメイ殿は『彼も辛いのです、多くを呑み込んでいるのです』とか言ってたけど、あれは絶対見栄だな!」
「ああ! あの竜好きが、竜王と一緒の職場で憤っているわけがない!」
「へらへら笑って、特権を満喫してるに決まってる!」
この、分かり合える友人たち。
届いている呪詛と、伝わる優越感。
「そ、そんなことはないです」
リァンは覚えていた。
彼が初めて戦場に立った時、彼が冷たい目をしていたことを。
『邪魔です』
あの最低限の言葉に、多くの呪いが込められていたことを。
「彼は……多くを呑み込んでいました」
「ちがう! そんなことはない!」
「少なくとも、クラウドラインと一緒に飛んでいる時は、そんなことを忘れてます!」
「貴女はあいつのことを全然わかってない!」
方向性の違う怒りが、リァンにぶつけられていた。
一方そのころ……。
※
(いぃいいやっほ~~!)
白眉隊所属、不落の星、竜騎士ショウエン・マースー。
彼はワイバーンにまたがって、カセイの上空を飛んでいた。
『竜王様のお傍での働き、いつもながら大義である。こうして儂を案内することも、感謝しておるぞ。雑竜の背に乗る者よ』
「いいえ! 仕事ですから!」
クラウドラインに話しかけられて、テンションが上がりに上がっている彼。
物凄くウキウキしながら、彼をできたばかりの着陸場へと誘導している。
『うむ、よくやっておる……その雑竜も含めて、感心じゃのう』
「はははは! 光栄です!」
『いや……思えば名も聞いておらんかったな。お主たちに敬意を示すと言っておきながら、情けないことじゃなあ』
「ええっ?!」
声が思わず裏返った。
これは、名前を聞かれる流れではないか。
そう期待して、声が上ずってしまう。
『あの忌々しい大百足の棲む森を守る者よ……名は?』
「ショウエン・マースーといいます! ショウエンと憶えください!」
『ショウエン……うむ、覚えておこう』
(やったああああああああ!)
もしも彼が配慮に欠けていれば、叫んでいただろう。
あるいは竜から落下していたかもしれない。
それほどに興奮して、大喜びしていた。
『してな、ショウエンよ』
(クラウドラインが、俺の名前呼んでるぅうううう!)
妹と父親を失った悲劇の竜騎士、ショウエン・マースー。
『実は今回竜王様のところへお伺いしたのは、情けないことを報告せねばならんからなのじゃ……実は掟を破ったものが出てのう……』
(ドラゴンズランドの掟?! そんなのもあるんだ~~!)
多くのことを呑み込んでいる彼も、今だけは様々な苦しみを忘れることができていたのだった。
次回から新章『井の中の蛙大海を知らず』始まります。
今回も短編の予定です




