永田町には鵺が棲む
ドルフィン学園の職員会議室に、不満そうな様子のナイト・ダンディラと、泣いているパンシー・パンジーが連れてこられていた。
この二人が職員会議の場に連れてこられたのは、当然生半ならぬことである。ごく一部の問題を起こした生徒以外は、この部屋に入ること自体ないからだ。
ある意味では、もうすでに二人の進退は決定している。
疑わしい、という程度なら、この会議室に入ることはない。
既に有罪が確定しているからこそ、この二人は案内されたのだ。
「二人とも、先に言っておくことがある。この会議は、非公式のものだ。君たちの発言が記録されることはないし、少なくとも何かの証拠として押さえられることもない。だがそれは私たちも同じだ」
普通に過ごしていれば、生徒が関わることのない部屋。
そこに連れてこられた二人は、周囲の視線が非常に攻撃的であることを感じ取っていた。
「私たちがここで何を言っても、君たちは周囲へしゃべる意味がないということだ。精々私たちの心証が悪くなる程度だろうが、そもそも『この部屋を出た君たち』が何かを言っても、誰も聞いてくれないという可能性は理解して欲しい」
二人の担任教師が、代表として話している。
しかし彼の顔は、極めて険しいものだった。
「そもそも、この場が非公式だということは、現時点で既に証拠が十分集まっているということだ」
「なんの証拠がですか」
ふてくされた様子のナイトが反発する。
「ふぅ……ナイト君。君は勘違いしている。私たちは別に、君たちをリンチしようというのではない。ここは学校であり、私たちには学校の教師に許されたことしかできない。君たち二人に罰を与えると言っても、それが限界だ」
担任の教師は、心底から呆れていた。
「逆に言えば、証拠なんてその程度で十分なんだよ。君たちを退学にするに十分だ、と私たちが判断すればそれまでだ。根回しに関しても、大公様や大王様に軽く通しておけば済む」
「どういう意味ですか」
「君たちを退学、と言わずとも停学に追い込むには十分ということだ。もちろんそれは、周囲にもちゃんと説明する」
「!」
「実行に移されていないから大丈夫だとでも思ったかね? 今回君たちが首を突っ込もうとしたことの重さを思えば、未遂でも停学には十分だ」
罪が軽い、罰が軽いということは、そこまで入念な調査を必要としないということである。
全寮制の学園内で、生徒のいじめ未遂があったのなら、疑わしいことをしたことを教師たちが咎めてもおかしくはない。
そこまで証拠がそろっていなくても、本人の自供がなくても、停学にする程度なら問題ないのだ。
「まあもっとも、この学園で停学になったことを君たちの実家が知れば、君たちに対してなにがしかのペナルティを与えるだろう。それは私たちがどうこうできる領分ではないがね」
「俺達が家から追い出されるかもしれないと知ったうえで、停学にするって言うんですか!」
「私たち教師に認められた正当な権利だ。それとも何かね、君たちはそうなるなんて思っていなかったと?」
あの四人が教師や有力者たちに気に入られていることが気に入らないとしても、その気に入られている本人へちょっかいをかけたらどうなるか考えないのだろうか。
まさにこの状況は、想定できたことである。
「まあまあ、そこまでにしましょう。話を進めようじゃありませんか」
一番年配の男性、この学園の最高責任者である学園長は、厳かに話を進めようとした。
そう言われれば、担任教師など引っ込むしかない。
「バブル・マーメイド、ロバー・ブレーメ、キコリ・ボトル、マーメ・ビーン。君たちのクラスメイトである四人へ、匿名の手紙が届けられた。その手紙には日時と場所が指定されており、なおかつ我々教師を含めた第三者へ知らせないように、という但し書きまであった」
何よりも、この学園長も怒っていた。
口調こそ穏やかだが、怒りを通り越した憎しみがある。
「その場所に、ナイト・ダンディラ君がいた。明らかに、誰かを待っていた。手紙が届けられた昨日、その彼の部屋へ泣いているパンシー・パンジー君が入っている。ああ、ついでに君が手紙を挟むところの目撃情報もあった」
「だ、誰ですか!」
「もちろん匿名だ。少なくとも君に教えることはないが……というよりもだ、寮の部屋に手紙を挟むところを誰にも見られないとでも? 特に女子寮なら尚のことだ」
もしかしたらはったりかもしれない。
しかし手紙の現物は教師にあり、現場にナイトがいたことも事実だった。
それで言い逃れできるかと言えば、流石に否であろう。
「先ほども伝えたように、君たちには疑いがかかっていて、証拠は十分だ。少なくとも、停学程度の罰を与えるには十分だろう」
「その停学一つで、俺達の人生が台無しになるとしても、ですか」
「それはもう言ったはずだが?」
学園長は、特大のため息をついた。
「いろいろ置いておいてだね、君はバカなのか? なんで侯爵家の子息が『自分で書いた手紙』をドアに挟んで、本人たちを呼び出して文句を言おうとする? それでも貴族なのか? もっと頭を使いなさい」
いっそ白けるほどに、馬鹿々々しい嫌がらせだった。
現状が示すように、まったく言い逃れができていない。
「学校で教えるようなことではないが、カリキュラムに『暗躍のしかた』を入れようかと思ったほどだよ」
場の空気が、やや変わった。
本当に、手口が間抜けすぎた。
「……暗躍して、何か変わったと思いますか」
「ほう」
「そりゃあ俺だって親の嫌な面を見ています。相手を陥れるための、権謀術数も知らないわけじゃありません。ですが、それでは時間がかかりすぎるし、この学園の中でやっていたらすぐに失敗すると思いました」
「……なるほど、そこはわかっていたと」
そこまで聞くと、会議室から『悪い意味で頭の悪すぎる子供』という評価が消えていた。
「それに……俺は自分が間違っているとは思っていません。あの四人に、直接はっきり言いたかったんです!」
「何をかね」
「バカなことをするなと! あいつらが馬鹿な真似をしだしてから、実家からうるさく言われている生徒がたくさんいるんです! それに……パンシーは……!」
悔しそうに、彼は拳を震わせる。
「パンシーは、実家から戦場に赴くことを強要されて、ずっと泣いていたんですよ!」
今も泣く彼女を、彼は庇っていた。今でも、守ろうとしていた。
「そうか、あの四人を祭り上げるから、他の家も躍起になっていると」
「はい!」
「他の生徒たちも、肩身の狭い思いをしていると」
「はい!」
「それを私たちが知らないとでも?」
「……はっ?」
「私たちはむしろ、君たち全員に前線へ行ってほしいと思っているぐらいなんだが」
学園長の言葉を聞いて、パンシーはこの世が闇だと気づかされてさらに泣いた。
「君たちは何かを勘違いしているようだが、戦地へ行くことの何が『悪い』のだね? 別に『夜の悪所』に務めろと言っているわけではあるまい。まあその道にも色々と段階はあるだろうが……とにかく、戦地へ行くことに何の異論があるのかね」
「危険地帯に行くことを強要されているんですよ?! 普通じゃない!」
ばん、という音がした。
立ち上がったのは退役軍人であり、四人への実技を担当している教師だった。
「もういい、殺す」
その表情には、憎悪しかない。
もはや生徒を見る目ではなく、敵を見る目でもなく、犯罪者を見る目だった。
「しゃべるな、いいな、しゃべるな。そこを動くな」
クリエイト技を使おうとした彼だが、流石にそれは周囲が止めた。
「まあ待ちたまえ、君がここで手を汚せばあの四人にも被害が及ぶぞ。どうしても殺したいのなら、ちゃんと場を用意するから抑えたまえ」
「……わかりました」
「君はもう教員で、彼らはまだ生徒だ。私たちは生徒を罰するのではなく、導く立場だということを忘れないように」
周囲の教師が体を抑えて、学園長が言葉で止めて、それでようやく彼は椅子に座った。
「ナイト君」
「……はい」
先ほどまで勇敢だった彼は、一気に委縮していた。
「言葉を選びなさい、ここは非公式の場なのだということを忘れないように」
「わ、わかりました……」
パンシーは涙が引っ込んでいた。青ざめてさらに震えている。
実家から送られた手紙が落書きに思えるほど、実技担当の教師が恐ろしかった。
彼を前にすれば、ナイトがいてもまったく安心できなかった。
「……君の言葉に、私たちは怒る権利を持たない。私たちもまた、君たちと同様に安全地帯の人間だからだ。だが……彼ら四人と、退役軍人である彼には、怒る権利がある」
学園長は、努めて冷静に話していた。
「君の発言は、貴族のものではない。無学で無責任な民なら口にしても見逃されるが、学園に通っている貴族の子息が口にしていい言葉ではない」
「……」
「危険地帯で命を賭けて戦うことが愚かで卑しくて、安全地帯で守られている者が賢く尊いとでも? そう思うのなら、今すぐ東方前線で犠牲になった遺族のもとに行って、高らかに持論を明かせばいい。危険地帯に行くなんて普通じゃない、行ったやつが悪いんだとね。殺されても弁護する気はないがな」
「……無神経でした、すみません」
彼が謝ると、退役軍人の教員は侯爵家らしからぬ舌打ちをした。
明らかに下品なふるまいだが、誰も咎めなかった。
「そもそもだ、戦地へ行くことを強要することが悪だというのなら、国家自体の否定になる。今回多くの血を流した東方戦線だけではなく、各地の前線では将兵が今も命を賭けて国土を守っている。彼らは志願兵だけではなく、強制的に徴兵された者も多い。君が平素から徴兵制に反対していたのならともかく、自分たちに火の粉が飛んできた時だけ憤るのなら勝手という他ない」
この生徒を殺すのはまあ仕方がない、止めたのも同僚を想えばこそだ。
だが殺すとしても、非をはっきりと認めさせる必要がある。
「君は自分が正義だと思っているようだが、違う。君たちこそが悪であり、怠けているのだよ。公爵に次ぐ地位である侯爵家の人間が、自ら武勇を磨いたうえで前線へ向かう。それはとても正しいことであり、周囲は見習わなければならないことだ。それこそが、貴族本来の姿なのだよ」
「……ドラゴンズランドに行きたいという、不純な動機だったとしてもですか」
「何をいう。この場の私たちの先祖も、『出世して子孫を幸せにしたい』という動機で戦場に立ったのではないのかね」
「それは……」
「君は、本人へ文句を言うことが『正義』だと思っているようだが、それならばなぜ公の場で言わない? 自分の主張に恥じるものがないのなら、それこそ人前で堂々と言えばいい。それをしなかった時点で、君は後ろめたさを感じていたのだよ」
どう言い訳をしたところで、人気のない場所に呼び出す時点で、自分の行いが間違っていると自覚しているとしか言いようがない。
「不満を感じているのは君だけではない、と言っていたね? だが本人へ直接言おうとしたのは君だけだ。彼らは恥を知っている、自分たちに勇気がないだけだとね。それに比べて君は安易だな。他人の足を引っ張り、自分のことしか考えていない。君はまさに悪人だ、罰を受けても文句は言えない」
「そ、そんなことは……」
「ではあの四人を諦めさせた場合のことを考えていたかね? 彼ら四人の人生が、台無しになるとは思わなかったのかね? これだけ多くの人が動いていて、多くの金も動いていて、やんごとなきお方も期待している。それをいきなり唐突に、甚大な怪我を負ったわけでもないのに、なんの理由もなく投げ出せばどうなるか」
キコリとマーメは理解していたが、諦めていい一線はとっくに超えている。
具体的に言うと、シュバルツバルトでモンスターに襲われて、帰ってきた時である。
あのタイミングでなら、大公も諦めてくれただろう。だがそれでも折れなかったから、格段の期待を寄せているのだ。
それを通り過ぎて『理由は言えませんけどやめます』なんて言えるわけがない。
「それは……」
「自業自得だとでも」
「……はい」
「話にならないな。それで反発し合えば、その場で殴り合いになったかもしれない。そうなれば、いよいよ許されなかったぞ」
実際のところ、ありえないとは言い切れなかった。
ロバーが懸念していたように、退路を失っている四人と義憤に燃えているナイトでは、衝突が避けられなかった。
実際に殴り掛かってくる可能性も、十分あり得た。流石にそうなれば、もう退学どころではない。
バブルの判断は正しかったのだ。やたら早すぎた気もするが、正しいからロバーは賛成したのである。
「まあいい……ナイト君はもう十分だろう。ではパンシー君」
「は、はいっ……!」
「別に、君が彼へ具体的な要求をしたわけではないだろう」
「……」
「こんな言い方はどうかと思うが、君が今回の件を具体的に指示していれば、むしろ逆にナイト君は止めただろうしね」
もしもパンシーが『あの四人が悪いんだから、人気のないところに呼び出して文句を言って、止めさせてきて』とか言おうものなら、むしろ『いやだ、お前が自分で言え』となっただろう。
普通に嫌である。
「おそらく君は、何とかしてほしい、と言ったのだろう。具体的にどうするかは、ナイト君が決めたはずだ」
「……」
「はい、俺が……」
「私は、パンシー君に聞いているのだよ?」
やんわりとしていた学園長は露骨に苛立っていた。
「パンシー君、君が暴行をそそのかしたとは思っていない。だがきっかけになったことは事実だ。少なくとも説明はして欲しい」
「……」
「はっきり言え!」
会議室が震えるほどの大声を、彼は吐き出していた。
「君は貴族の娘として……学校に通い勉強をしている生徒として! 何も知らない小娘の様に振舞うことは許さない!」
「こ……こんなことになるなんて、思っていなかったんです!」
彼女は涙を流しながら抗議する。
「だって、ナイト君しかいなくて……ナイト君に頼むしかなくて……何とかしてくれるって言うから……」
学園長の言う通り、彼女は具体的な指示をしなかった。
それどころか、具体的な絵図を持たなかった。
正真正銘、なんでこんなことになったのかわからない。
「お母さんもお父さんも、私に死ねとしか言わないし、兄さんも助けてくれないし! こんなときどうすればいいかなんて、誰も教えてくれなかったんです!」
この期に及んでも、ナイトは彼女の味方だった。
無力な彼女を、ナイトは守りたかった。
「今教えているんだが?」
だが守れていなかった。
学園長から会話の権利を受け取った担任教師が、ざっくり切り捨てる。
「勘違いしないで欲しい、あの四人も君たちに厳罰を課すことは望んでいない。むしろ嫌な気分になるからな。今回君たちを呼んだのは、しでかしたことの重大さをはっきり伝えるためだ」
「じゃ、じゃあ俺達は停学にならないと……」
「罰を課すと言っても、精々在学中毎日トイレ掃除をしてもらう程度だ」
(凄い嫌……)
現実的に実行可能な範囲なので、むしろ現実的に嫌だった。
流石にこれを聞いて、安堵できるわけはない。だからこそ、罰と言えるのだが。
「あ、あの……」
「それから並行して、君には処世術を教える必要もあるようだな。教えてもらえなかったのがそんなに苛立たしいのなら、嫌という程教えてやろう」
「うっ……」
「学校というのは、学校を出る準備をするところだ。ただ何となく過ごしていても、立派な貴族、立派な大人にはなれない。今君はナイト君にすがることで問題解決をしようとしたが、そのやり方を何歳まで続ける気だ」
子供が子供のままであることを、彼は許容しなかった。
パンシーは泣きつくことで状況を変えようとしたが、それがいつまでも通じるわけがない。
「君は二十歳になっても三十歳になっても四十歳になっても、子供が生まれてもそうやって誰かに泣きつくつもりか? 時間が経てばそのうちどうにかなると思っているのなら、勘違いも甚だしいぞ。今変わりなさい」
「あ、あの……でも」
完全に空気は変わっていた。
まあ退役軍人の先生はその限りでもなく、普通にまだ怒っている。
「わ、私の両親のことは……」
結局のところ、根源的な問題は一切解決していない。
両親が無茶なことを言い続けてきているから、彼女は困っているのだ。
まさかこの流れで『君も前線に行きなさい』という話になるとは思えない。
「だから、それを実技で説明すると言っているんだ」
「え?」
「君は両親からの手紙を受け取っているのだろう? もちろん捨てていないはずだ」
「はい……?」
今更だが、ここにいるのは全員侯爵家である。
同じ侯爵家の人間に、侯爵家の威光は一切通じない。
「全部よこしなさい。娘に当てた手紙だ、どうせろくでもないことが書いてあるんだろう」
「え?」
「具体的に言おうか。『ロバーを誑し込みなさい』とか『狐太郎という人に抱かれなさい』とか、『恩を売る形で死になさい』とかだ」
「……はい」
「世間から抹殺するには十分だな」
「え? え?」
さて、婚約者のいる侯爵家の男性を、誑し込むのは合法だろうか。
王女と婚約が内定しているAランクハンターへ、積極的に色仕掛けをするのは合法だろうか。
護衛として赴く身でありながら、積極的に危険な行動をとるのは合法だろうか。
それを、侯爵家の人間が、書面で、娘に、指示をするのは、合法だろうか。
「犯罪教唆の証拠があるんだ、何を恐れることもない。君には……私たちがついている」
(え……お父さんとお母さんが酷いことになる流れなの?)
(先生を敵に回さないほうがいいな……)
生徒を守るために、教師が保護者を陥れる。
娘に対して、親を陥れる見本を示す。
これが、貴族。
これが、大人。
これが、教育。
「あ、あの……私の両親に酷いことは……」
「パンシー。君の両親は君が指示通り動いても、適当な理由で怒鳴るぞ」
(私の親への理解力が凄い……)
パンシーを守るために、両親は犠牲になったのだった。
※
後日、パンシーの実家に大公と大王の「判子」が捺されている手紙が届いた。
口語訳は以下のとおりである。
『娘への手紙を読ませてもらった』
『家督を息子に譲って隠居しろ』
パンシーの両親は、早すぎて寂しい老後を過ごすことになったのだった。
今回の教訓、手紙は残るものです。




