18
「みんな、わかっているわね」
森の中を駆ける四体のモンスター。
気性も様々な彼女たちは、一様に同じ表情をしていた。
その中で音頭を取るのは、悪魔であるササゲだった。
「タイカン技を使うわよ」
タイカン技、と聞いてアカネやクツロは緊張を強めた。
今日と言う日まで一度も使ったことがない技だが、その一方でどれだけ強大な技なのかは知っている。
「タイカン技……魔王が使っていたアレだよね……」
「魔王の魔王たるゆえん……モンスターの王者にしか使えない技……」
「ええ……今の魔王は、私たち四体よ」
なぜ、魔王は四体を異世界へ追放したのか。
それは四体が全員モンスターであり、しかも人間へ服従を誓っていたからである。
「魔王は人間に倒されても死ぬことはない。封印状態になって、復活の時を待つだけ。でも同じモンスターが殺せばその限りじゃない……その時魔王は死んで、殺したモンスターが次の魔王になる」
魔王を倒したモンスターは、次の魔王になる。
であればこの場にいる四体が、次の魔王に他ならない。
人間に服従を誓い、人間が支配者として君臨する世界を肯定している者たち。
そんな彼女たちが魔王になるなど、旧世代の魔王には耐えられなかったのだ。
「魔王の力か……私でさえ少々のためらいがある、だが」
「ええ、四の五の言っている場合じゃない」
この場の四体は、ある意味人間に近い姿をしている。
人間の文化、人間の技術、人間の武器、人間の魔法。
それらを用いて戦っているが、タイカン技はその対極に位置する技だ。
「わかるでしょう、そんなことを言っている場合じゃないのよ」
「……うん」
ただ勝つだけでいいのなら、今の状態でも不可能ではない。
現地で既に戦っている四つの討伐隊がいるのだ、彼らと連携を取ればほぼ確実に討ち取れる。
そこまで行かなくても、追い返すことぐらいはできるだろう。
だがそれでは、ほぼ間に合わない。
「……やるわよ」
恐怖はある。
今の姿を捨てることへの恐怖、今の自分を失う恐怖。
そしてそれを命じた狐太郎への怒りも、やはりどこかにはあるのだ。
だが、それでも。
ここで保身に走るような男なら、恥も外聞もなく自分や四体のことだけ考えられる男なら、自分たちはここまで付き合わない。
「私たちは! 私たちの意思で! 世の為人の為に!」
魔王になるために、何をすればいいのか。
四体は既に知っている。
「人授王権!」
走る四体は、職業の状態を解除した。
拳を握り合わせて、胸の前で叩き合わせる。
「魔王戴冠!」
火竜が、大鬼が、悪魔が、雪女が。
それぞれが、本来持つ力を爆発させる。
四体にあった、少なからずあった人間に似ている部分。
それが失われ、よりモンスターとして強大になっていく。
「タイカン技! 竜王生誕!」
アカネの全身が膨れ上がる。
少女のようだった上半身までが竜そのものとなり、二足歩行の巨大な火竜として完成する。
その顔はまさに竜、爬虫類の頂点同然の大きな顎と牙は、あらゆるものを破壊する力を表している。
「タイカン技! 鬼王見参!」
比較的人間に似ていたクツロもまた、人間離れしていく。
美しい女性だった顔は太くなり、巨大になった牙は口に収まらず飛び出ていた。
屈強だった全身がより骨太に、筋肉が膨れ上がり、皮膚は粗さを増していく。
「タイカン技! 氷王顕現!」
コゴエの場合は、より顕著だった。
大きさこそはほぼ変化がないものの、顔がなくなっていく。
もとより生気の無かった顔から、目や鼻、口などが消えて、つるりとした氷の面だけが残っていた。
指先までもただの氷同然となり、雪女どころか氷の人形だった。
「タイカン技! 魔王降臨!」
ササゲの背中にあった翼が、その数を増やした。
臀部から出ている尾も太く長くなり、頭部から出ている角は複雑に伸びながら大きくなっていく。
肉体はより豊満となり、妖しい雰囲気が増していく。
「……これが、魔王の力」
爆発的に増した力を感じながら、ササゲは拳を握った。
その表情は、明らかに曇っている。
「皮肉なものね、本当に今更だわ」
かつて望んだ王の力、モンスターを支配する不死の力。
とっくの昔に欲しくなくなっていて、その存在さえ忘れていたのに。
「魔王になってやることが、人間への奉仕だなんてね……」
自嘲はするが、悪い気はしない。
王の力を求めたのも、要は面白おかしく暮らしたかったからだ。
誰かを支配しなければ、支配する立場にならなければ、幸せになれなかったからだ。
「もう森を出る……行くわよ!」
今は、もっといいものがあると知っている。
※
五体ものAランクのモンスターによって、襲撃された前線基地。
その守備を行うハンターたちは、命を賭けて立ち向かっていた。
普段相手をしているBランクのモンスターとは、比較にもならない怪物たち。
Bランクのハンターでしかない彼らは、それでも食らいついていた。
「フィフススロット! バインド! スロー! スティッキー! ショック! ドレイン!」
城壁の外で戦うのは、蛍雪隊だった。
スロット使いのシャインが、予め仕掛けていた大量のトラップを総動員して、モンスター一体の動きを封じている。
いいや、封じようとしている。
「ヘルプリズン!」
この前線基地において、防衛を担うシャイン。
彼女の操るスロットは、わずかな足止めにしかなっていなかった。
地鳴りのような、低く長い声。
大量の拘束が体に絡みついて尚、そのAランクモンスターは前進を止めなかった。
わずかに遅くなり、わずかにうっとうしそうにしており、そして振りほどけずにいる。
それでも、前進さえ止めることができなかった。
Aランクモンスター、ベヒモス。
城壁を跨いで越えるほどの巨体を持つ、四本脚の獣である。
鼻の短い象、古代の巨大な哺乳類の特徴を持つ怪物は、何の特殊能力を発揮することもなく前に進んでいた。
「ボムエフェクト! ピンポイントブレイク!」
蛍雪隊の隊員は、比較的柔らかいであろう腹部へ、エフェクトを込めた矢を放っている。
力こそ他の部隊に大きく劣るものの、全員の精密な射撃は一点へ集中し続けていた。
どれだけ非力であっても、再生能力があるわけでもないならば、直に穿たれるはずだった。
「くそ! 全然効いてないぞ!」
「焦げ跡さえつかない……化け物め!」
「わかり切ったことを言うな! 隊長を援護するんだ!」
だが、それは儚い夢だった。
この巨大な怪物は、巨大でありなおかつ堅牢なのだ。
さながら城壁に石をぶつけているようで、何の意味も効果もなかった。
「ああもう……こんなの、どうしろって言うのよ」
拘束してなお留めることができず、一方的に攻撃し続けてなお傷をつけることができない。
そして一歩一歩が大きいベヒモスは、あと数歩で前線基地に達するだろう。
その未来を変えられないと察しているからこそ、シャインは笑うしかなかった。
「アッカ様は、よくもまあこんなのを倒せていたもんだわ……」
そう、笑うしかない。
ここで一体を足止めしているが、それだけなのだ。
既に四体は前線基地の中に侵入し、他の部隊と戦っている。
職員や一般の作業員にも、多くの被害が出ているのだろう。
全力を振り絞っても、被害を遅らせることしかできない。
これで笑う以外に、何をしろと言うのか。
「……みんな! もうすぐ応援が来るはずよ! もう少し持ちこたえて! できることを一つでも……!」
諦めないことに全力を尽くす。
矢を射る手を止めようとしている隊員へ、かろうじて激を飛ばす。
「狐太郎君たちが、戻ってくるはず!」
戻ってくればどうにかなるかもしれない。
その希望にすがって、彼女は叫んだ。
そして……。
「うううあああああああ!」
森から出てきたのは、彼女の知る四体ではなかった。
巨大な竜が、シャインの知らない赤い火竜が、火を吐きながら現れたのである。
「シュゾク技……! ヘルファイア!」
使用した技は、彼女の得意とする火の息吹。
しかしその火力は、普段のそれとは比較にならない威力だった。
巨大を極めるベヒモスの脇腹に放射され、そのまま背面までなでるようにこびりついた。
この世の者とは思えない巨大な悲鳴が、ベヒモスの口から吐き出された。
四本の足を固定されていなければ、そのまま倒れてもがいていただろう。
そう思うほどに、苦悶の絶叫を上げていたのだ。
「え、え、え?」
シャインは混乱していた。
既に五体に襲撃されている状況で、さらに新手が現れたのかと思ったのだ。
だがあろうことか、同じモンスターを襲っている。
彼女が知るモンスターの生態からすれば、ありえないことだった。
「大丈夫ですか、シャインさん!」
竜の口からは、流暢に人間の声が出ていた。
そのしゃべり方は、シャインも知っている竜の者である。
「もしかして……アカネちゃん?!」
「はい! 隊員さんが私たちを呼んだので、あわてて戻ってきたんです!」
「そう、よかったわ!」
「ほかの三体も、中に入って応援に行ってます!」
「そ、それは……!」
ありがたい話だった。
アカネのブレスは、ただ一撃でベヒモスの堅牢な外皮を焼いている。
それはこの場の全員が待ち望んでいた、圧倒的な攻撃力の到来だった。
(まず間違いなく、彼女たち全員がAランクのモンスター! 相性云々は置いておくとしても、同格が参戦してくれればこんなにありがたい話はない! でも、確実性に欠ける!)
しかし、シャインの脳内には不安もあった。
(戦力を分散させるのは危険! 相手は五体のAランクモンスターで、こっちには四体しかAランクのモンスターがいない! 確実に倒すには……!)
Aランクのモンスター同士がぶつかり合えば、どちらもただでは済まない。
場合によっては、狐太郎のモンスターが負ける可能性もあるだろう。
その可能性だけは、絶対に避けなければならなかった。
「アカネちゃん! よく聞いて!」
大きくなっているがゆえに頭が遠くになっているアカネへ、シャインは叫んでいた。
「ここはもう少し持たせるわ! だから一旦中に入って、貴女の仲間と合流して……」
「しません!」
狐太郎のモンスターは、知性を持っている。指示を聞き、協力することもできる。
だからこそ、四体で一体を袋叩きにして、それを五回繰り返せばいい。
その最善を、アカネは退けた。
「ご主人様が待ってるんです! 森の中で、私たちを待ってるんです!」
「なんですって?!」
最善の道は、最速ではない。
そんなことをしていたら、誰も助けに行けなくなってしまう。
この状況では、巧遅よりも拙速を選ばざるを得なかった。
(自分は残って、四体全員を救援にくれたって言うの?! 私の隊員はステルスエフェクトを持っているけど、それでも危険なことに変わりはない……狐太郎君!)
シャインは状況を理解した、であれば報いるしかない。
「わかったわ!」
これは時間との戦いである、どれだけ早く倒せるかの戦いである。
「アカネちゃん、私たちが全力をもってベヒモスを拘束するわ! 貴方は攻撃に専念してちょうだい!」
「わかりました!」
「蛍雪隊! 攻撃はもういいわ! 残っている拘束用の矢を使って、わずかでもいいから止めるのよ!」
「了解!」
アカネの攻撃は、確実に効いている。
シャインの拘束は、相変わらずベヒモスを封じている。
その両者がそろったことで、隊員たちの士気も回復していた。
あらかじめシャインから渡されている、拘束用のスロットが込めてある矢をつがえ始めた。
「行きます!」
巨大な竜と化したアカネは、さらに巨大なベヒモスへ更なる攻撃を加えようとしていた。
※
「ちぃいい……どうだい、兄貴。ちっとは効いてるか?」
「いいや……まったく効いていない」
前線基地の内部で戦いを繰り広げていたハンターの内、一灯隊は比較的善戦できていた。
リゥイとグァン、ヂャンがそろっている一灯隊の戦力は高い。
負傷者を出すことなく、Aランクのモンスターを抑えこんでいた。
だが、決定打を与えることはできず、追い返すこともできていなかった。
Aランクモンスター、ケルベロス。
三つの首を持つ巨大な犬は、既に全身へ大量の剣や斧が刺さっているが、平然としていた。
この場のAランクモンスターの中では比較的小さいが、それでも前線基地の中にある家よりは明らかに大きい。当たり前だが、リゥイ達をして見上げる相手だった。
「包囲を解くな! いいか、食らいついてでも逃がすんじゃねえぞ!」
恐れるべきはその俊敏性である。
Aランク相当の頑丈さを持っているうえで、尋常ではなく速い。
その敏捷さたるや、走っているグレイモンキーを追いかけて食い殺すほどである。
「こいつをここから動かすんじゃねえ!」
ヂャンの指示は必死だった。
このケルベロスをこの場から逃がせば、次の瞬間には『満腹』になって悠々と帰りかねない。
今この場の面々で抑え込めているのは、一時的にシャインのスロットに引っかかり動きが鈍っていたからだ。
そして今は、ヂャン達自身の力で抑え込んでいる。
「動きそうだぞ! ヂャン!」
「わかってるぜ兄貴! コネクトクリエイト! グラビティチェーン!」
ヂャンは手にした巨大な鉄槌で、地面をぶっ叩く。
相手がどれだけ大きくとも、あるいは速くとも、地面を蹴っていることに変わりはない。
コネクトクリエイトとは、繋ぐ力の具現。四本の足で立っているケルベロスのすべての足を、大地に縫い付けていた。
「んんぐうぐぐぐぐ!」
この拘束は、地面やら土台やらと繋げているわけではない。
大地そのものと接続することによって、力まかせに引っこ抜くというわけにはいかないのだ。
だがしかし、接続している力そのものはヂャンの自力である。
スロット使いのシャインが複合的に拘束しているのとは違い、ただ繋げるだけでは限界はある。
Aランクのモンスターと、一人で力比べは不可能だった。
「ストップクリエイト! スタッカートプレイ!」
巨大な青龍刀を手にしたグァンが、もがいているケルベルスの背中へ連続で斬りつけていく。
腰の入った全力の一撃ならともかく、連続攻撃では毛皮をなでるのが精いっぱいだった。
だがそれによって、ケルベロスの黒い体毛にいくつもの光る線が走っていく。
「これで、気休めにはなるか!」
「ああ、なんとかな!」
ケルベロスは、相変わらずもがいている。
この忌々しい拘束を脱して、餌を食べようとしている。
だが、一向に拘束を断ち切れなかった。
ストップエフェクトは、止める力。
触れた相手を意識ごと停止させ、行動不能にする力。
その発展形であるストップクリエイトは、効果を実体化させ対象に付着させる。
そして術者が狙ったタイミングで発動し、相手を停止させるのだ。
格上相手には、停止させられる時間は短い。
しかし十回も相手に斬りつければ、相手を十度止めることができる。
ほんの一瞬しか止めることができなかったとしても、力比べの最中で十度も動きが止まれば勝負になるわけもない。
「ウェーブエフェクト! ソニックエッジ!」
そして、その隙をリゥイが突く。
手にしている巨大な槍の穂先を振動させながら、全体重を込めて突撃する。
「……刺さりもしないか、だが!」
Bランクのモンスターなら、強固な鱗や甲羅に守られていようとも貫通することができる刺突。
しかしケルベロスの毛皮には、穂先が刺さりもしなかった。
だがそんなことはわかり切っている。穂先が触れているのなら、攻撃は続行可能だった。
エフェクト使いは、触れてさえいれば攻撃を通せる。
「ウェーブエフェクト! ハードロックビート!」
槍の刃を揺さぶるのではなく、刃の触れているケルベロスの体を揺さぶる。
その衝撃波は、拘束されているケルベロスをさらに前後不覚にしていく。
「……!」
だが、リゥイの表情は曇っていた。
全身全霊の力を注ぎ込んでいるにも関わらず、ダメージを与えることができていない。
巨大な大岩さえ破壊するハードロックビートを受けても、肉も骨も臓器も、脳髄さえも堪えていない。
文字通り、ただ揺さぶっているだけなのだ。
「何やってるお前ら! 叩き込め!」
ヂャンの号令によって、一灯隊の隊員たちが攻撃を仕掛ける。
炎や氷、斬撃や硬化。様々な効果を込めた槍や斧が投擲され、さらに鎖や網も投げられる。
「ヒートエフェクト!」
「ファイアエフェクト!」
「ホワイトホット!」
「コールドエフェクト!」
「アイスエフェクト!」
「スピードフリーズ!」
一人で鎖や網を持つのではなく、二人三人で効果を重ねる。
それは疑似的なスロット使いと同義であり、威力は増していく。
だが、それがAランクのモンスターに有効かといえばその限りではない。
「ぐぁああああ!」
うっとうしいとばかりに、ケルベロスは身震いをした。
ただそれだけで、リゥイを含めた全員が弾かれる。
「兄貴!」
「ヂャン! グァン! 手を止めるな! 何があっても、こいつを動かすな!」
攻撃があたっていないわけではなく、無効化されているわけではなく、無意味なわけでもない。ただ威力が不足している。
あるいはこの攻撃でも続けていれば、いつかは倒れてくれるのかもしれない。しかし明らかに、一灯隊が先に力尽きるだろう。
「わかっているだろう! 他の部隊は既に別のAランクと戦っている、誰も助けに来れない! 俺達が諦めたら、この前線基地の人たちはどうなると思っているんだ!」
その現実を、リゥイは認めることができなかった。
「この前線基地で暮らしているからって、モンスターに食われてもいいなんておかしいだろうが!」
その言葉を聞いて、一灯隊の隊員たちは立ち上がる。
互いに支え合いながら、再び襲い掛かろうとする。
だがケルベロスは、もう面倒になっていた。
元々空腹だからこそ人里へ来たのであり、効いていないとはいえ袋叩きにされていれば、面倒に思うのは当たり前だろう。
タイラントタイガーがそうであるように、猛獣型のモンスターには全力を発揮する形態がある。
全身の体毛を逆立たせる程度の変身なのだが、それによって一時的に自分を強化できる。
異形とはいえ特別な能力を持たないケルベロスの、少ない能力である。
そしてそれは、この状況では完璧なほどに最悪だった。
「不味い!」
ストップもコネクトも、他のあらゆる拘束も無意味だった。
バネのように身を縮め、一気に脱出する。
この場を離れて、周囲の人間を食い散らかして、そのまま逃げる。
ケルベロスの三つある頭は、三つの鼻で匂いを嗅ぎながら三つの口を開けて、付近の『家』に食いつこうとした。
「シュゾク技、猛獣吹雪」
そのケルベロスを、さらに巨大な獣の頭が飲み込む。
雪で構築された巨大な虎の頭が、高速移動していたはずのケルベロスへ放たれたのだ。
その雪が、一瞬で圧縮される。
元より雪とは細やかな氷の粒、それが圧縮されれば巨大な氷塊に変わる。
ケルベロスは完全に氷の中へ閉ざされていた。
「てめえ……雪女か」
「そうだ」
ヂャンが睨んだ先には、普段以上に人間離れしているコゴエの姿があった。
それは正に氷の化身、雪の権化、冬そのもの。
ケルベロス同様の、Aランクに相応しい威厳を備えていた。
「誰がお前に助けてと……」
「黙れ」
自分たちが倒せなかった相手を、あっさりと倒されてしまった。
そう思ってしまったヂャンを、コゴエが止める。
「これで終わればよかったが……そうはいかないようだ。芯まで凍っていない上に、窒息した様子も見えない」
魔王の力を得ているコゴエが、全力で氷漬けにしたケルベロス。
その封印が、内側から破壊されつつあった。
「力を貸せ一灯隊、私だけでは手こずってしまう」
「わかった!」
あまりにも一方的な要請に対して、リゥイは即座に応じる。
反論しようとする隊員たちを、大きな声で威圧する。
「俺達には覚悟がある! モンスターに助けられるぐらいなら、死ぬ覚悟だ! 俺にも、お前達にも、全員そうだ! それが一灯隊の心意気だ!」
この窮地で議論をする気はないと、彼は決断したのだ。
「だがこの前線基地の人にそれはない! 俺たちは死んでもいいが、この基地の人はそうじゃない! 俺たちの覚悟に、この基地の人たちを付き合わせるな! 他のことは、あの犬を殺してから考えろ! 俺への不満も文句も、殺してからゆっくり考えればいい!」
「……潔いな。では私も本気で雪を降らせる……凍えて死ぬなよ」
極めて局所的な雪が降り始める。
ドカ雪どころではない、雪の塊がそのまま降ってきているようだった。
もはや穏やかな雪崩のようである。
「全員建物の屋根に上れ! ヒートエフェクトとファイアエフェクトの使い手は他の隊員を温めろ! そろそろケルベロスが脱出するぞ! 急げ!」
音を吸う雪が降りしきる中で、リゥイは負けじと叫ぶ。
もはや逃げられぬと悟ったケルベロスは、氷を内側から破壊すると怒りの咆哮をぶつけていた。
「一刻も早く腹を満たしたいようだが、それはこちらも同じこと。一秒でも早く殺させてもらうぞ、痩せ犬」
それに怯えるコゴエではない、だが時間を費やすことには恐怖を感じていた。
表情の読み取れない氷の面は、しかし必死の吐息が聞こえてくるようだった。
※
一般人が多くいる区画を守っていたのは一灯隊であり、役場付近を守っていたのは白眉隊だった。
もちろん最初は外壁の付近で押しとどめようとしたのだが失敗し、ここまで押し込まれてしまっていた。
当然ながら、白眉隊にとって役場の人間を守ることは本分ではない。
少なくとも、目の前のモンスターを始末することに比べれば優先順位は低い。
そして、ここの役人は基本的に『クズ』である。
狐太郎が察したように、彼らは半ば死刑に近い形でここへ送られている。
例えば公金の横領、あるいは家の仕事での怠慢、悪質な賄賂の受け取り、もしくは浮気や不倫。場合によっては、それらすべて。
当人たちにしてみれば『どうでもいいこと』、『ここまでされるようなことではないこと』によって、この場所で仕事をすることを強いられている。
反省の色もないような、死んでも家族さえ泣かないような連中である。
だがそれでも、白眉隊やジョーは守ることを怠らない。
「いいか、ここを死守するぞ! もう下がる場所はないと思え!」
この世の誰が見捨てても、彼は見捨てることがない。
そしてそんな彼だからこそ、誰もが信頼を置いている。
「私たちの後ろには人がいる! 私たちは人を守るためにモンスターと戦っている! その原点を忘れるな!」
白眉隊の面々は、誰よりもこの役場の人間の卑しさを知っている。
許可されている範囲とはいえ強権を振るい、弱みのある相手を貶めるために知恵を絞り、罪に対する反省が一切ない。
だがそんな輩を見捨てられないジョーのことを慕っている。ここで彼らを見捨てるようなら、ジョーはすべての信頼を失うだろう。
「いいか、我ら白眉隊は区別なく守る! 貧富や貴賤の区別なく、全力を賭して戦うのだ!」
本人が本気でそう思っているからこそ、彼の部下は奮い立つのだ。
しかし、相手はAランクのモンスター。常に最前線で戦っているジョーは、周囲の隊員同様に傷だらけである。
(下がって下がって、ここまで押し込まれたが……! 消耗も限界か!)
ここまでジョーや白眉隊の攻撃を受け続けて、それでもなお傷一つなく健在な怪物。
Aランクモンスター、フルアーマーレオ。
レオと名がついているが、獅子ではない。
通常の動物に例えれば獅子に似ているというだけで、実際には獅子どころか普通の動物にも見えない。
本来の獅子ならば鬣のある場所に、大量の牙が生えている。
それどころか、全身の至る所に甲羅や鱗、ヤマアラシの針にも似た物が生えている。
まさに全身凶器を地で行く怪物であり、その凶器の鋭利さは白眉隊の持つ最上級の鎧さえ貫通する。
そして当たり前すぎることに、この怪物は筋力さえもBランクをはるかに超える。
その怪物は、お腹を空かせていた、苛立っていた。
うなり声をあげて、ゆっくりと前進している。
獅子の名を持つ怪物は、苛立ちながらも跳躍の機会を計っていた。
そして、その視線を上に向ける。
何かに気付いて、全身の凶器を逆立たせた。
「ふぅん、タイラントタイガーよりはマシそうね」
そこには、全く笑っていないササゲが飛んでいた。
役場を見下ろす形で浮いている彼女は、既に多くの技を準備している。
「狐太郎君のモンスターか!」
ササゲだけは、普段と容姿に変化がない。
加えて悪魔と言う、この森にそぐわない存在であることが一目でわかったからだろう。
その禍々しい姿を見ても、ジョーはただ歓喜した。
「白眉隊とジョーさんね、少し体を貸してもらうわ。ご主人様を森に置いてきたの、大急ぎで倒す必要があるってわけ」
「……! わかった、私たちの体を貸す! 皆、構わないな!」
悪魔に対して『体を貸す』という言葉が、どれだけ致命的なことか。
それは教養のある者なら、誰でも知っていることである。
悪魔のささやきによって、周囲を巻き込んで自滅した者の話はあとを絶たない。
だがそれでもジョーは許可した。
破滅の可能性を恐れて、確実な破滅を見過ごせば意味はない。
「話が早くて結構よ……! タイカン技、マクスウェルの悪魔!」
同等の存在が現れたことによって、その威容を注視するフルアーマーレオ。
獅子の名をもつ怪物は、決してササゲを侮らない。
この怪物にとって、同等の存在は決して珍しくない。
同種は当然のこと、森にはAランクのモンスターがひしめいている。
初めて見る種族ではあるが、殺される恐れがあると理解していた。
しかし、それは意味がない。
フルアーマーレオがどれだけ警戒をしても、魔王としての呪詛には逆らえない。
フルアーマーレオがどれだけ強大な獣であっても、全く知らない術には対抗できないのだ。
そして、それ以前に、ササゲの提案を白眉隊が受け入れた時点で、攻撃は完了している。
「な、なんだ? 傷が治っていく……?」
ジョーだけではない、白眉隊の面々が負っていた傷が消滅していく。
まるで何もなかったかのように、元の状態に戻っていく。
「ど、どうなっている?!」
だが、それだけではなかった。
白眉隊の負っていた傷が消えると同時に、フルアーマーレオの全身に傷が刻まれていく。
彼の全身を覆う大量の凶器が、攻撃を受けているわけでもないのに破壊されていく。
まるで白眉隊の傷が、フルアーマーレオに移動しているようだった。
「与えた傷を、当人へ移動させるタイカン技……! 初めて使ったけれど、負担が凄いわね」
ただ一度の使用によって、魔王に達したササゲは大きく消耗していた。
浮いていたはずが地面に降り立ち、その息を荒くしている。
「よくわからないが……感謝する! 肩を貸すか?」
「いいえ、その必要はないわ……! まだ一度はタイカン技を使える……急いで倒さないと!」
「……そうか、わかった!」
まさに状況は逆転していた。
白眉隊の受けた傷は消え全快し、フルアーマーレオの凶器は砕かれ切った。
そのうえで、消耗しているとはいえAランクたるササゲが補助を務める。
己の誇りを砕かれた怪物は怒り狂っているが、それでも戦いの天秤は大きく傾いていた。
「悪魔の献身を無駄にするな! 私に続け!」
※
「おおおおおおお!」
流石という他ないだろう。
抜山隊の隊長であるガイセイは、対峙しているAランクのモンスターと互角以上に戦っていた。
Aランクモンスター、ミノタウロス。
二足歩行の雄牛を相手に、ガイセイは握りしめた拳だけで立ち向かう。
当然ながらミノタウロスもまた反撃をしてくるのだが、体格では大きく劣る筈のガイセイに押し込まれている。
「どおるああああああ!」
前線基地内部の家々を破壊しながら、ぶつかり合う牛と人。
城壁さえ破壊する化物たちの、怒涛の激突。
人間離れした体格を持つガイセイは、巨体に見合わぬ跳躍によって、自分の五倍は大きい相手の胸板をぶんなぐる。
通常の人間や動物ならば一瞬でひき肉になりそうな打撃は、ミノタウロスを大きく転倒させた。
ただ転んだのではない、地面に衝突するような転倒だった。ミノタウロスの胸板は陥没し、地面にぶつけられたことで全身を痛めている。
それでもミノタウロスは起き上がってくるが、その動きはAランクのモンスターと思えないほどに緩慢だった。
「はあ、くそ……もうちょいか」
ガイセイは息を荒くしながらも勝ち目を見出していた。
このまま殴っていれば、応援がなくとも倒せる。確信しているからこそ、心に焦りが生まれている。
「お前ら! もう少し持たせろよ!」
そう、この前線基地には五体のAランクモンスターが襲来している。
狐太郎が不在の状況では、抜山隊が二体を相手にせざるを得なかった。
「無理だ! もう無理!」
「隊長と一緒にしないでくれよ!」
「クソ、こんな基地にいるんじゃなかったぜ!」
Aランクモンスター、マトウ。
角こそないものの、ミノタウロス同様に二足歩行の獣である。
牛ではなく馬に似ているこの怪物を、抜山隊の一般隊員はなんとか抑え込もうとしていた。
ガイセイがミノタウロスを倒すまで抑える、という具体的な目標はある。その一点では、他の隊よりも救いはあった。
だが悲しいかな、抜山隊の隊員は白眉隊や一灯隊にはやや劣る。隊長たるガイセイが抑え込むことに参加できない以上、マトウの抑え込みは極めて困難だった。
「はあ……クソ! こいつぁちっとヤバいかもな……」
疲れているガイセイは、起き上がったミノタウロスとほぼ消耗のないマトウに挟まれていた。
二足歩行以外に特殊な能力や特徴がないこの二体は、一体ずつなら負けることのない相手である。
しかし挟まれれば、この基地最強の人間であるガイセイをして、死を覚悟せざるを得なかった。
「シュゾク技、鬼の金棒」
マトウの後頭部を、マトウの頭と同等の大きさがある金棒がぶっ叩いた。
それは分厚いはずの頭蓋骨を陥没させ、ほぼ無傷だったマトウに致命傷を与えていた。
「五体と聞いた時はどうしようかと思ったけど」
轟音とともに着地する、魔王となったクツロ。
通常ならば同じ目線であるガイセイを見下ろす形で、その強さに感心する。
「お前になら一体は任せてよさそうね」
自分の倍ほどもある大きな亜人を見上げるガイセイは、その声を聴いて安心した。
「どうした、クツロ。髪型でも変えたか?」
「ふん」
後頭部を陥没させられ、鼻や耳から出血しているマトウは、それでも怒りと共に立ち上がる。
手負いの猛獣に挟まれたクツロとガイセイは、互いに背中を預け合った。
「そっちは任せたわ、弱っているのなら倒せるでしょ」
「バカいえ、俺が弱らせたんだよ」
傷つき倒れている抜山隊の隊員は、固唾を呑んでその戦いを見守っていた。
人知を超えた怪物たちの戦いは、もはやBランクのハンターでさえ立ち入ることができない。
「私はこの馬面をぶっ殺すわ」
「そうしろ、こっちは牛面だ!」
次が、決着だった。




