蝶のように舞い蜂のように刺す
突然の乱入者、サンショウ。
彼とクツロの戦いは、安定してクツロ優勢になっていた。
動きが早すぎてよくわからないところもあったが、しかしクツロが一方的に叩きのめすところだけは理解できている。
当然ながら、選手たちはそれを見て喜んでいた。
あまりにもわかりやすい、善玉と悪玉の戦い。仕込みなのではないかと疑うほどに、サンショウは悪としての振る舞いをしていた。
しかしデット技を匂わせた段階で、亜人たちから非難の声が上がる。
「てめえ、何考えてやがる! 失礼ってレベルじゃねえぞ!」
「どこの世界に試合でデット技を使う奴がいるんだ!」
「負けそうだからって、んなもん持ち出すか! 潔く負けを認めやがれ!」
「それで勝ってうれしいのかよ! 誰に自慢できるんだ?!」
「それを使ってみやがれ! もし勝っても、終わった後に俺達でぶちのめすからな!」
まあ無理もない話であろう。
デット技とは、亜人にとって戦争のための技である。
一族の存亡がかかった時でもなければ、まず使われない奥の手の奥の手。
何が何でも勝たなければならない、そんな時のための最終手段である。
そもそも素手の戦いに、エナジーを使った技を持ち出すなど無粋の極み。
反則負けとして、周囲から袋叩きにされても文句は言えない。
覚悟がどうとか決意がどうとか以前に、レギュレーション違反である。
クツロが受けて立つ構えを見せていなければ、どうなっていたかもわからない。
「……あのさあご主人様。さっき私が乱入者が出るかも、とかいったけどさ……された側ってこんな気分なんだね」
「まったくだな」
実力に自信の有る者が、レベルの低い大会などに乱入して大立ち回りを見せる。
それは漫画の最初期の時代から存在する、格闘漫画のお約束であろう。
道場破りのようなもの、と考えれば江戸時代にはもうあったのかもしれない。
ともあれ、それは大抵乱入する側が主人公であり、苛烈な戦いぶりで勝つからある種のカタルシスが存在する。
しかし格闘技の大会に乱入した側が、劣勢になったとたん武器を持ちだしたら完全に悪役、というか犯罪者だった。
もうこちら側としては、完全に白け切っている。なまじ対応できる範囲だからこそ、もう全員で袋叩きにしようかとさえ思っていた。
少なくとも、手を取り合って和解という雰囲気ではなくなっている。
「あの人の中では、自分の行動がどう映ってるんだろうね。こっちから見てると凄い恥ずかしいぐらいなんだけど」
「脳内で優勢に転ずるBGMが流れて、悦に浸ってるのかもな。俺もそういう時はあった」
「え、どんな時?」
「お前らを送り出して、森の中でボケっとしてた時。バッドエンドのスタッフロールが決まってた」
禁忌の力に手を染めてでも戦う己に、サンショウは酔っているのだろう。
きっとそれを使って勝つことで、周囲に己の強さを知らしめられると思っているのだろう。
だがマラソン大会で自転車に乗るようなものであり、ただバカを晒しているだけである。
(主人公が落ちこぼれの仲間とかに『戦場の戦い方』とかを教えて試合で勝たせて、でも後で文句をつけられて反則負けにされるとかがあるけども……そりゃあ反則負けになるわな)
大会の格式を損なったとか、周囲の規範にならないとか、礼節のない戦い方だったとか、そういうものの大事さを思い知る。
大会に参加するからには、まず周りに合わせることが大事なのだろう。
少なくとも、お客さんや主催者の意向に反することは控えるべきである。
「……ご主人様」
そんなことを考えていると、コゴエが声をかけてきた。
「今のところはクツロに任せますが、いざという時は私どもが対応します。よろしいですね?」
そう言って、彼女は周囲を見させた。
大公は泰然としているが、他の面々はすがるような目でこちらを見ている。
(そりゃそうだな……デット技云々を知っているかはともかく、なんかヤバいってのはわかるしな)
狐太郎は、自分の客観視が足りないことを自覚した。
確かにこのまま戦いが激化すれば、こちらにも被害が及びかねない。
そうなれば、今後以前にこのまま死んでしまう。
「ああ、頼む」
そう言ってから、狐太郎は大公に声をかける。
しかし声は少し大きめにして、皆へ聞こえるようにしていた。
「大公閣下。あの乱入者はクツロが対応しておりますので、暫しのお時間を。もしもこちらへ被害が及びそうになれば、速やかに他の三体で『始末』しますので、どうかご猶予を頂けないでしょうか」
「構わない。だがこちらへの被害、というと選手がかわいそうだ。選手にも気を配ってくれたまえ」
「承知しました」
その話を聞くとコゴエとササゲが無言で前に進み、貴族や商人たちを守るように立った。
それを見てから察したのか、アカネも選手たちの方へ走っていく。
クツロの強さをすでに見ている誰もが、クツロと同格とされている彼女たちの姿に安心を覚えていた。
「……一応言っておくけども、彼らの声は聞こえたかしら。デット技のデメリットは、みんな知っているみたいよ」
「だからなんだ」
「私に勝つことができたとしても、殺されるわよ」
デット技は、エフェクト技やクリエイト技とは明らかに異なっている。
はっきり言って、命の危険がある。
余力があるうちに技を中断しないと、エナジーをモンスターの死骸に吸い尽くされてしまうからだ。
「つまりなんだ、俺がお前に手こずると?」
「現状を見て言いなさい、それでよく勝ち誇れるものね」
デット技は、使えば勝ちが確定するという便利な技ではない。
少なくともササゲの使う即死攻撃の様に、即効性が高いわけではない。
「……なんだ、怖いのか」
「忠告を聞いてそう思うのは、決まって愚か者よ」
「愚か者とは、負けた奴のことだ。勝てば問題ない、勝ちさえすれば何も問題ない!」
「……負けたらすべてを失う時点で、無意味な仮定だわ」
「勝つ! 俺が勝たない理由がない! お前に、お前なんかに、負けるわけがあるか!」
善悪の基準は、人それぞれ。
クツロからすればサンショウは、お祭りを台無しにした無礼者である。
しかしサンショウからすればクツロは、格下を集めてお遊びに興じている堕落者だった。
彼の基準において、クツロは間違いなく極悪人である。
「……こじらせているわね」
もはや、語る必要性がない。
クツロは黙って、彼の行いを見守るだけだ。
「いくぞ! 大戦体! 剣牙闘猿士!」
やはりと言うべきか、タイカン技による魔王化に似た現象だった。
クツロから見ればはるかに小さかったサンショウは、見る間に見上げる巨大な大猿と化した。
体格の差は見てのとおりであり、馬力の差も逆転し、もはやクツロの優位はないも同然である。
「どうだ……Aランクモンスター、サーベルチンパンジーの牙によるデット技だ! この俺とつながった、俺の力だ!」
「そうね」
その強さを、彼女は否定しなかった。
「ええ、私よりも強くなれたわね」
「開き直りか?」
「まさか」
何の憂いもなく、彼女は拳を構える。
先ほどまでと違って、職業の力を得ており、籠手などで武装している。
もちろんそれがささやかであることは、見るからに明らかなのだが。
「貴方が言ったことよ、勝つなら問題ないと」
「ふ……勝てるとでも」
牙の生えた骸骨の猿は、話の最中に拳を振るう。
「思っているのか!」
その拳は、非常に速かった。
選手たちも他の観戦者も、巨体の動きを見失う。
「キョウツウ技、ゴーストステップ」
しかしクツロは、軽やかなステップで回避する。
彼女がいた場所には、深く穴が穿たれていた。
その威力がどれほどなのか、もうすでにわかってしまっている。
「キョウツウ技、ファストナックル」
先制効果を持つ拳が、骸骨のアバラにあたった。
籠手に覆われた拳なら、容易く砕けるはずの死骸の骨。
しかしまるで生きているAランクモンスターの様に、堅牢さと重量感を持っている。
彼女の鉄拳を受けても、デット技による剣牙猿闘士は微動だにしなかった。
「ははは、無駄だ無駄。この体は、Aランクの……」
「シュゾク技、鬼拳一逝」
話を聞くことなく、二発目が当たる。
そしてその二発目は、連続攻撃への布石であった。
「ショクギョウ技、鬼拳二逝!」
がいんと、連続攻撃が当たり始める。
当然ながら、まったく損傷はない。
「無駄だと……」
「ショクギョウ技、鬼拳三逝!」
「まさか当て続ければ壊せるとでも……」
「鬼拳四逝! 五逝! 六逝! 七逝! 八逝!」
雨垂れ石を穿つ。
尋常ではない破壊力を持つであろう彼女の拳は、同じ場所へ正確に当たっていた。
「ショクギョウ技、鬼拳九逝!」
だが、石は穿たれず。
最後まで当て切ってなお、一切傷はなかった。
「ショクギョウ技、鬼拳全逝!」
両腕を使った連続の乱打。
しかしそれをもってしても、デット技を発動させたサンショウにはダメージが通らなかった。
「何かしたか?」
平然として、反撃する。
懐に飛び込んでいる彼女を捕らえて、先ほどされたことをそのまま返そうとする。
「キョウツウ技、ゴーストステップ」
「何度も同じ技を!」
巧みなステップで回避しようとする彼女だが、しかし見逃すことはない。
追いすがり、捕らえようとする。
先ほどとは違って、体のどこを掴んでもそのまま破壊できる。
強大さの高揚に包まれたサンショウは、反撃を恐れずに猛攻する。
「ショクギョウ技、鬼相天蓋!」
クツロはその腕をつかむと、大きく背負いながら放り投げた。
巨大な骸骨の怪物は、ひっくり返って地面に倒れる。
それを見て、感嘆のため息が観客たちから漏れた。
だが当然ながら、転んだだけである。
骸骨の猿は、やはり起き上がってきた。
「こんなことに、何の意味がある」
まさに鬼のような猛攻だが、見た限り有効には程遠い。
じわじわと効いているのかもしれないが、それでも倒しきれるとは思えなかった。
「お前は! こうなった俺に! 何もできない!」
いやらしい攻め方に転じる。
サンショウは巨大な拳をつかって、小刻みなジャブを放ち始めた。
もう捉えることさえしない。軽めの攻撃でさえ相手への有効打になると断じて、大振りをやめていた。
「ショクギョウ技、ピーカーブー」
それに対するクツロの行動は、あまりにも消極的だった。
顔をしっかりと両腕でガードしながら、ステップを刻んで回避する。
防御と回避を同時に行うこの技だが、しかし確実にダメージを蓄積させてしまう。
「はははは! どうしたどうした!」
先ほどまで手も足も出なかった相手が、軽く小突くだけで仰け反っている。
その手ごたえに高揚し、彼は更に打撃を重ねていく。
「ショクギョウ技、スタンブロー」
しかしそれは、打撃が雑になるということだった。
クツロはその隙を逃さず、冷静に一発当てる。
スタンブロー。
それは、当てた相手の次の行動順を、大幅に遅らせるもの。
つまり次の自分の攻撃が、先になるということ。
「ショクギョウ技、鬼斧侵攻!」
長く太く、しなやかな脚による上段回し蹴り。
体格差ゆえに頭へ当たることはなかったが、胴体へ綺麗に当たっていた。
「おっ……少しは効いたぞ?」
装甲貫通効果を持つ上段蹴りは、わずかだがサンショウへダメージを与えていた。
だが、わずかである。連続で当て続ければ話は違うが、一対一でそれは望めない。
「このデット技の元になったモンスターが相手なら、もしかしたら勝てたかもな」
防御力の優位を活かして、確実に反撃を当てる。
しかも今度は、しっかりと腰を入れたフックだった。
「ぐぅ! ショクギョウ技、受け身!」
吹き飛んだものの、即座に復帰する効果を持った防御技で体勢を立て直す。
その眼には闘志が燃えているが、しかし体にはダメージが蓄積しつつあった。
「くっくっくっく……自分より大きい相手と、格闘戦をしたことがあるか? あろうがなかろうが、意味はないがな!」
「まだまだ……シュゾク技、鬼気壊々!」
特殊な地形効果を破壊する、大地への攻撃。
それはサンショウではなく地面を揺さぶり、その体勢を崩させた。
「シュゾク技、鬼拳一逝!」
「くだらん!」
「ショクギョウ技、鬼拳二逝!」
「そんなことをしても……!」
「三逝! 四逝! 五逝! 六逝! 七逝! 八逝! 九逝! 全逝!」
「無駄だと言ってるだろうが!」
猛攻が途切れた瞬間を待ってからの、渾身の平手打ち。
それを食らったクツロは、大きく吹き飛んで地面に転がっていく。
彼女が打ち負けていく姿を見て、誰もが悲鳴をあげそうになっていた。
だが、コゴエとアカネ、ササゲは違う。
狐太郎でさえ、震えながらも彼女を信じていた。
「ふぅ」
そして、彼女は起き上がる。
吹き飛ばされたその場から動かず、しかし拳を構えていた。
「なんだ、休憩か? だがこっちは待つ気なんかないぞ」
サンショウは、流石に頑丈だな、と感心する。
クツロに当てた平手打ちは、確かにクリーンヒットしていた。
もちろん全身全霊の一撃ではないが、それでもAランクの攻撃を食らって立ち上がるとは、クツロも大概タフである。
この戦いを見ているだけの独活の大木たちがくらえば、死ぬことはないとしても動けなくなっていたはずだ。
だがそれでも、ダメージレースなら負けはない。
どう考えても、こちらより相手の方が多く喰らっている。
このまま続ければ、確実に自分が勝つ。
そう思った一歩目が、よろめいた。
「?!」
ほぼダメージは負っていない、少なくともよろめくようなことはない。
先ほどまでのダメージの蓄積も、ここまでではないはずだった。
「な、なんだ?!」
「なんだもないでしょう、知っていることが起きただけよ」
狙い通りの展開になったことを確信して、クツロは状況を明かす。
「デット技を維持するエナジーが尽きつつある、それだけよ」
「バカな?! まだ持つはずだ! 以前に試したときは、もっと長い時間維持できたんだぞ!」
「それは、相手の攻撃を一切受けなかった場合の話でしょう?」
相手が「生きているAランクモンスター」なら、今の攻撃を食らっても大して痛くはなかったはず。
しかし悲しいかな、今のサンショウは「死んでいるAランクモンスター」を、エナジーで維持しているのだ。
相手から攻撃を受ければ、当然その分余計にエナジーを消費する道理である。
「私は虎威狐太郎様のモンスター、大鬼クツロ。与えられた職業は格闘家! 純粋な自己完結型物理アタッカー!」
種族、大鬼。
品種改良によって生まれたこの種族は、優れた身体能力を持っている。
自分よりも重いものを持ち上げる怪力、強固で強靭な耐久力、瞬発力と持久力を兼ね備えた機動性、武器と格闘の双方への高い適性。
クツロ個人に限らず、大鬼は前衛として一切不足のない能力を誇っている。
その職業適性は、格闘家と重戦士。
機動力を犠牲にして、攻撃力と防御力をさらに上げた重戦士に対して、格闘家は更なる万能性を得ている。
武器適性が下がっていることを除けば、すべてが通常の形態よりも上がり、さらに回避などの適性も向上する。
その攻撃パターンも豊富で、対応できない状況はほぼないと言っていいだろう。
「先制攻撃から連続攻撃、妨害に遅延、回避に防御、ダメージ軽減にカウンター! 私は貴方に攻撃を当てながら、時間を稼いでいたのよ。そのエナジーが尽きるまでね」
大鬼クツロは、四体の魔王の中でも特に単独性能に優れている。
単純に打たれ強く、単純に馬力があり、防御技や回避技もあり、自分で自分を強化できる。
たった一人で強敵を相手にしても、一切問題なく普段通りに戦えるのだ。
「そろそろ限界なんじゃないの? 聞くところによると、デット技は限界を超えてもしばらく維持できるけど、その代わり技が終わった後に力を吸われ過ぎて死ぬとか」
「!」
「まあ気付いたところで、諦めないところで、勝負はもうついているわ」
エナジーが尽きかけていることに気付いたサンショウの脳裏に浮かんだのは、降参でも死でもない。敗北の二文字である。
問題なく解除できる一線を越えてはいるが、しかしそれでも退く気はない。
何よりも敗北を恐れる男は、死骸を奮い立たせて走り出す。
「キョウツウ技、ゴーストステップ」
「お、お前!」
「ショクギョウ技、ピーカーブー」
「逃げるな! 待て! 戦え!」
「ショクギョウ技、スタンブロー。からの……キョウツウ技、バックステップ」
「ふざけるな! おい!」
この上なく、露骨に時間稼ぎだった。
追いすがるサンショウに対して、クツロは時折反撃しつつ逃げていた。
元より防御に徹すれば、綺麗にもらうことはない。当たったとしても、持ち前の頑丈さでこらえることができる。
「お、お前は! それでも王なのか!」
「貴方が言ったことでしょう、サンショウ」
つまり、ダメージレースによって、勝負は決していたのだ。
「勝てばいいって」
「!」
「とにかく勝てばいい、勝てばすべて許される」
「!」
「勝つために最善を尽くすことを、貴方は良しとしていたんじゃないの?」
「それは……!」
「それともなに? 貴方まさか、さっきの彼らみたいに……私に攻撃をわざと受けて欲しいの?」
違う、そうじゃない。
そう叫びたかった。
「甘えないでよね、坊や」
言葉に詰まったところを、クツロの打撃が捕らえる。
ただでさえ尽きかけていたエナジーが、さらに消費されてしまう。
「真剣勝負で、勝ちを乞うな!」
三度の、鬼の猛攻。
それは維持の限界を超えていた死骸を粉砕し、その内側にいたサンショウを捕らえ、さらに追撃を加え続ける。
「ふぅ……小物が」
吐き捨てて、籠手に覆われた拳を掲げる。
地面には仰向けに倒れた、意識のないサンショウが転がっている。
それを見て、選手たちが喝さいをあげた。
「鬼王! 鬼神! 我等の王!」
「クツロ! クツロ! クツロ!」
「おお! なんという強さ!」
「冠を頂く、四体の王の一角!」
勝者を、王者を、誰もが称える。
危うげのない完全勝利を見て、誰もが彼女の最強を確信する。
亜人も人間も、同じ背丈でありながら、比較にもならぬ強大な戦士を称えていた。
「……ふぅ」
その姿を見て、狐太郎は安堵した。
勝つとは思っていたが、それでも不安はあったのだ。
深刻な怪我を負わなくて、本当に良かった。
心から、彼女の無事を喜ぶ。
「……だだ」
だが、喜ばない者が、まだいた。
エナジーが枯渇し、生命力を吸われ続けてなお、サンショウはうめいた。
「まだだ」
執念が体を動かす。
他の誰もが戦いの続行を望んでいなくとも、彼だけは続行を望む。
「まだ、俺が勝ってないだろうが!」
勝つまで戦う、負けと思わなければ負けではない。
少なくとも彼は、そう思っているのだ。
もう、ただただうっとうしい。
誰もが呆れ、うっとうしがり、面倒がった。
ただの甘えた馬鹿に、構う気さえわかなかった。
どうせ立てないのだから、無視してしまえ。
彼を放置しようとしたその時である。
「十!」
選手の中の一人が、そう叫んだ。
腕を壊されたウチの一人、拳闘士が身内にいたという戦士である。
「九!」
最初、彼がなぜ数を数え始めたのか、誰にも分らなかった。
クツロでさえ、その意図を図りかねる。
「待て!」
一番最初に気付いたのは、負けを認めていなかったサンショウだった。
「八!」
「待て! 待て! カウントダウンなんて、決めてないだろうが!」
「七!」
「勝手に数えるな!」
元とはいえ、拳闘士である。
彼にとって、このカウントは敗北の決定を意味している。
「六!」
「あ、ああ、くそ!」
「五!」
「う、うぅう!」
「四!」
カウントに意味がないと、彼自身が言ったにもかかわらず、彼こそが一番こだわっていた。
なんとしてもカウント以内に立ち上がろうとして、しかしもがくだけだった。
「三!」
なんだか知らないが、嫌がっている。
それを理解して、選手たちもカウントする。
「二!」
最後の一瞬まで、彼は諦めない。
だがそれは、彼がそれを「最後」と認めているということだった。
「一!」
ついに、その時が訪れる。
「あ、あああああああああ!」
ついに、彼は負けを認めてしまっていた。
デット技の自滅をもってしても止まらなかった彼は、取り決められてさえいなかったカウントによって破滅したのである。
「負けを、認めたようね」
ただ憐れんで、彼女は視線を切った。
 




