濡れ手に粟
この世には、不毛な争いというものがある。
つまり全力で戦っているのに、なんの利益も得られない状況だ。
これに対して「もうやめて、こんな戦いになんの意味があるの」と叫ぶお約束がある。
多くの兵士たちが少数を囲んで殺し、あるいは超強力な武器を持ち出して、さもなくば敵意がないほうを一方的に攻撃して「もうやめて、こんな戦いに何の意味があるの」と叫ぶこともある。
さて、この状況である。
「おあああああ!」
「があああああ!」
クツロと組みあえるほど大きな男たちが、一対一で、素手で、極めてまっとうに戦っている。
それが五組同時に起きているだけなのだが、十人全員手加減を忘れている。
そのため十人が厳正に試合をしているだけなのに、途方もなく凄惨であった。
それを見せられている商人や貴族たちは「もうやめて、こんな戦いに何の意味があるの」と喉元まで来ていた。
自分たちが焚きつけたようなものなのに。
「……少なくとも、彼らで興行は無理ですな」
「そうですね」
その代わり出た言葉は、「見世物にするのは無理」というものだった。
完全に頭に血が上っていて、ついでに大量の血が流れている。
それはクリーンファイトではなく、泥臭い殺し合いだった。
彼らは強いのだろう。
ピンインが従えているような「出稼ぎ組」ではなく、部族を率いるべき強者たち。
屈強な亜人たちの中でも特に秀でた者である彼らは、Bランク中位のモンスターさえ単独で撃破できる勇者である。
鍛えているとはいえ、鼻つまみもののレデイス賊ですら一灯隊と競り合えたのだ。
彼女たちよりも大きく、さらに競争も激しい彼らが、彼女たちより弱いわけはない。
今この場にいる十人の亜人は、亜人が支配するこの森の生態系の頂点に立つ者たちである。
大公の前、あるいはAランクハンターの望む実力者としては、申し分ないだろう。
だが見世物にする、というのは止めた方が良かった。
正直なところ、今回の話を聞いて「見世物にしてカネ取れるんじゃないか?」「今回うまく行ったら今後は商業展開を」と思っていた者たちも、これを見れば全員諦めていた。
プロの格闘家において、大事なことはお客の目線である。
単に目の前の相手を殴り倒せばいいというものではない。
突き詰めれば客が喜ぶかどうかが大事なのであって、客が見えないほどの速さで動くとか、客が見ていて怖くなるほど痛めつけ合っていたら、やはりプロ失格なのである。
傭兵としてはむしろ優秀だが、選手には不適当だった。
「いけええ! ぶっ殺せ!」
「なにやられてるんだ! とっととぶちのめせ!」
「絶対負けるなよ! 何時もデカい顔してるんだから、こういう時ぐらい勝ちやがれ!」
そして、周囲も煽っている。
必死になって戦っている自分達の部族の勇者へ、何があっても勝てと叫んでいた。
もうすでに血まみれなのに、諦めろとかもう頑張らなくていいとか、そんなことは誰も言っていない。
当たり前だ。
これはもう完全に代理戦争である。
勝てば大量の食糧が手に入る上に、他の部族に対して勝ち組であると自慢できる。
それはメンツが意味を持つ社会において、途方もない報酬だった。
なまじ、戦力的にほぼ互角だからこそ、諦めることも許されない。
二体一だとか卑怯な横やりだとか、そんな要素が一切ないからこそ、逆に弱いから負けたという事実だけが残ってしまう。
彼ら勇者たちも、消えない烙印を一生背負って生きていくことになるのだ。
「……勇者って大変っすねえ」
なお、半分ぐらい他人事であるピンインの部下たちは、勇者じゃなくて良かったと生まれて初めて思っていた。
一族の名誉を背負うとはよく聞くが、この瞬間ほどそれが重大になることはないだろう。
勝って得る物も、負けて失う物も大きすぎた。素面のままだと、見ている方が哀れになってくる。
「……やはり多少無理をしてでも、農園から引っ張ってくれば良かったか」
ピンインに案内されてここにきた貴族や商人たちは、まずこの状況になってしまったことを嘆くのだった。
※
大きくて力があれば、偉い。
その価値観には、明確に根拠がある。
それは狩猟や軍事だけではなく、労働力にも言えることだ。
農業用の重機がないこの世界において、人力の重要性は大きい。
いくらこの世界の住人に力があると言っても、より力のある亜人の方が重宝されるのは当然だった。
そして一旦農園などで労働力となった亜人は、たいていの場合農場主を慕う。
いっぱい働くためという目的ではあるが、それでも腹いっぱいになるまで食事をくれるし、住処も清潔で世話もされる。
そのうえ一般の従事者よりも重宝されるのだから、優越感さえ得られるのだ。
結局、雇用主にとって大事なのは「使えるかどうか」である。四六時中一緒にいるわけでもないのだから、容姿の違いなど大して意味がない。
亜人だろうがなんだろうが、仕事ができるのなら愛着もわく。同じ種族の人間だったとしても、仕事ができないのならさほどかわいがろうと思わない。
むしろ下手に扱ったら殴り掛かってくるかもしれない、という危機感もあるので、積極的に気を使うこともあるのだ。
つまり、どのような出稼ぎだろうが奴隷だろうが、特別に力の強い亜人は、農場主にとっても替えの利かない大黒柱なのである。
いくら知り合いだろうが出資者だろうが、「金持ちの道楽で殴り合わせるから貸してくれ」と言われて頷けるわけもない。
実力的にも心情的にも効率的にも、怪我のリスクは抑えたいのである。
「……アンタには世話になってるがね、その話はちょっとなあ」
「だ、旦那様? あっしは出たいんですがねえ」
「そりゃあそうだろうけどもなあ……」
カセイから離れた、リョーゴ農場。
非常に広い麦畑をもつ麦農家であり、豪農と言える自作農だった。
そこの主であるリョーゴの元に、知り合いの貴族が訪れて、一番大きい亜人を貸してほしいと言ってきた。
この農場で一番大きい亜人と言えば、幼いころから両親と一緒に働いていた「ギューバ」である。
既に十年以上働いているベテランであり、農場の仕事をよく理解しているうえで、他の十倍は働ける主戦力だった。
もちろん他にも亜人は居るし、人間の労働者も多い。いなくても農場が翌日壊滅するということはないが、それでも貸したがることはなかった。
「でっかくなったお前が、力比べする相手がいなくて寂しそうにしているのは知ってるけどもよ。でも怪我したらどうするんだ、お前」
いくら回復の術があったとしても、後遺症が残ることは十分にある。
流石に殴り合いで腕がちぎれるとか足がもげるということはないだろうが、骨が折れる可能性は十分にある。
治りきらず、今までの様に働けないということもあり得た。
そんな危険性が示唆されている状況で、仕事の付き合いがあるだけの相手に貸せるだろうか。
(つまり、ほぼ初対面のランリが狐太郎へコゴエを貸せと言ったことが、どれだけ非常識なのかということである)
「……まあそうだろうな」
それを聞いてもお願いをしに来た貴族は驚かなかった。
これが傭兵だとか用心棒だったのなら、最初から使い潰すことを両者が合意している。
相応の報酬さえ約束すれば、さほどもめることなく乗ってくれるだろう。
だが農夫となれば、今後十年以上もの間労働力として計算されているのである。それが全部吹っ飛ぶとなれば、慎重になるのも当たり前だろう。
「……怒らないんですかい?」
「自分で言うのもどうかと思うが、金持ちの道楽であることは全員が知っていることだ。それに付き合いたくない気持ちもわかる」
リョーゴの拒否的な姿勢に、貴族はむしろ申し訳なさそうだった。
「だいたい考えてもみて欲しい、私だって君たちとの付き合いは今後も続けたいのだ。もしも今回ギューバ君が大けがをしたら、今まで通りの付き合いは望めないだろう? それは私にとっても損だ」
額が額ではあるが、それでもただの税金還元である。
選手を選ぶ者たちからすれば、ただ金が戻ってくるだけなのだ。
選手本人にとってならともかく、選出者たちからすれば一攫千金というほどではない。
一時的な報酬を目当てにして、継続的な収入に支障が出れば目も当てられない。
「私も農業には素人だが、それなりに理解もある。仕事のわかる働き盛りが、どれだけ替えが利かないのかもわかっている。仮に今回の報酬で君たちに代わりの亜人を都合してきても、直ぐに戦力になるわけではないのだからね」
貴族が代わりとして亜人を十人ぐらい連れてきても、全員が真面目に仕事を覚えるとは限らないし、まじめだったとしても向いていないかもしれない。
優秀な人材は貴重であり、なおかつ既に仕事を覚えているとなればなお貴重なのである。
「つまり、私としては君たちが拒否してもいいと思っている。できれば参加してほしくはあるが、粘って交渉をして、君たちに嫌われたくもないのだ」
粘り強い交渉が、相手に対して悪い印象を与えることもある。
特にまったく専門外のことで交渉をされれば、なおのことだった。
「私がここに来たのも、半分は言い訳のようなものだよ。君たちという当てがあるのに、なにもしないまま『選手を見つけられませんでした』では大公に顔が立たないからな」
「……そういうことですか」
リョーゴは安心した。
貴族側にしても農園と縁が切れることはよくないが、農園側にしても貴族と縁が切れるのはよくないのだ。
ギューバが可愛いリョーゴとしては、強硬に来られたらどうしたものかという苦悩もあったのである。
「だ、だけども、あっしは……!」
しかし、選手候補本人だけは乗り気だった。
当たり前である。亜人の要求で始まったことなのだから、大抵の亜人は乗り気になるだろう。
「あっしは……やってみたいです!」
「お前なあ……」
「亜人の王様にも会ってみたいですし、他の力自慢にも会ってみたいです! おねげえします! もうすぐ収穫も終わるんですし……ご迷惑はおかけしませんので!」
これが戦争だったなら、リョーゴも強硬に反対できただろう。
だが基本的には試合であり、素手であり、しかも治療班は充実しているという。
捕まえたモンスターと戦わせるのではなく、他の亜人や大柄な人間が参加するだけなのだ。
もちろん血気に逸ったものも多いだろうが、それでも強硬に反対しにくい。
(これでダメだって言ったら、脱走しかねねえなあ……)
今後の関係を保つという意味では、リョーゴもまた考えるべきことである。
悪魔の力で行動を強制しているわけでもないのだ、逃げようと思えば逃げてしまえる。
なんだかんだ言って、ギューバも若い。成功率を度外視して、脱走することもあり得た。
そうでなくとも、ずっとリョーゴへ反発することもあり得る。
「よし、それなら私も腹をくくりましょう。ただし……私も同行します。もしも話が違ったり、とんでもない奴らが出てきたら、直ぐに帰らせてもらいますんで!」
「もちろん構わない。元々来てもらうつもりだったからね。所詮は道楽だ、嫌々参加するほどではない。大公閣下は、自分の戯れにケチをつけられても怒る方ではないからね!」
「やった、ありがとうごぜえます! 旦那様方!」
大喜びしているギューバを見て、貴族はリョーゴに軽く頭を下げた。
大人である二人は、純朴な若人が夢を見ている姿がまぶしく、危うく見えたのだ。
明るく楽しい力比べであればいいのだが、参加者次第ではそうなるとは言い切れないのだから。
※
さて。
ある者は縁をたどって、ある者は既に抱えている者を使って、またある者は亜人の里へ向かって。
各々のやり方で、選手を選びつつあった。
しかし中には、自分の選手を決めること自体を、既に興行としているものまでいた。
カセイとつながりのある地方都市で、選手を決める大会が開かれていたのである。
『大柄な力自慢よ、集まれ。強者には即金金貨五袋と、重用を約束する』
即金金貨五袋。
それは魔法の呪文よりも強く男たちをひきつけた。
普通なら選抜に時間や手間がかかりすぎるので、大規模に募集をかけることはない。
しかし今回は身長制限という、ごまかしがきかず、しかも学のないものでもわかる制限があったのであっさりしたものだった。
既定の長さに棒を切って、街において「この棒より背が高ければいい」と言えば終わりだからである。
だがしかし、大々的に募集をしたということは。
「身長制限ねえ……」
資格のないものであっても、その試合の存在を知ってしまうということだった。
趣旨には反するが、力自慢は大柄なものだけではない。
小柄で、しかし力自慢の亜人もまた、この世界にはいるのだった。