善は急げ
狐太郎も懸念していたが、今回の要求は要するに『金持ちの道楽』である。
強いモンスターを飼っているので、他の金持ちの飼っているモンスターと戦わせてみようという趣旨だ。
なんだか物凄い悪い言い方になっているし、実際成金趣味極まりないのだが、逆に言えばその程度のことだった。
武器を持たせて殺し合うとなれば悪趣味では済まないが、素手で試合をするというのならただの興行である。
それにクツロ本人がそうであるように、力に自信のあるものは大抵力比べが好きである。
シュバルツバルトに行ってモンスターを狩ってこいとかではなく、一度鬼の王と四つに組みあってこいとかならば、話のタネに引き受ける者も多かった。
とはいえ、それも声をかける相手がいればである。
今回の条件である『クツロと同じ体格の者』がいなければ参加自体が無理だった。
※
「……はぁ、まいった」
カセイに本店を置く豪商ギョージは、今回の件で声をかけられた有力者の一人である。
主に織物などを扱う彼なのだが、不運にもクツロと同じ体格の者を見つけられなかった。
見つけられなかったというよりも、身近にいなかったというべきだろう。
彼は専属で抱えているCランクハンターがいるし、親戚に亜人を雇っている豪農もいる。
だから最初は簡単に見つかるだろうと思っていたのだが、あいにくとクツロほど大柄なものはいなかった。
もちろん全く同じである必要はないのだが、不運にも同等と言えるほどの者さえいなかったのである。
その報せを聞いて、本店の自室で彼は嘆いていた。
その嘆いている彼を見て、妻はやや呆れている。
「どうしたのですか、貴方」
「ううむ……いや、なに……大公閣下から、まあその……拳闘の試合をするので、選手を用意して欲しいと言われたのだ」
「あら、なんでそんな話を貴方に? そういうのはそれこそ、軍人さんやハンター、あとは亜人を扱っているところに言えばいいじゃないですか」
妻の疑問ももっともである。
なんで織物屋に拳闘の選手を出せという話になるのか、説明をする方も大変だった。
「いや、それがな……これは一種の、税金の還元なのだ。お前も知っての通り、このカセイでは税金が重い。特に高額納税者には、大きな負担になっている」
「ええ、ここに来たときは本当にそう思いました。高いとは聞いていましたけど、実際の税率を見たときは目を疑ったものです」
「そうだろう。だが大公様もバカではない、むしり取るばかりでは我らも、まあ……大きな声では言えないが、脱税に手を染めかねないからな。そこで拳闘の試合を催し、その賞金という名目で、私たちが納めた税金の何割かが戻ってくるというわけだ」
そう言って、ギョージは「参加賞」の書かれている紙を見せた。
最初はなんとも思っていなかった妻なのだが、その額を見て目玉が出そうになっていた。
無理もない、ギョージも最初は目を疑ったのである。
もちろん最初は彼が納めた税金なのだが、それでもずいぶんと還元されていたのだ。
もうここまでの額だと、合法的な脱税や賄賂に近かった。
「こ、こんなに戻ってくるんですか?!」
「ああ。だが……」
「だがも何も! 早く用意しないと! こんなにお金が戻ってくるのなら、新しいことに手を伸ばせるかもしれないじゃないですか!」
妻が興奮しているのもわかる。
ギョージも最初はそうだったのだ。
「条件が厳しいのだ。選手は最低限、この背丈でなければならない。いないわけではないが、流石に珍しい。少なくとも私は、条件に合う者を見つけられなかった」
イメージとしては、身長二メートルの肉体労働者、と言えば大体わかるだろう。
いても全く不思議ではないが、探して見つからなくてもまあそうだろうなというレベルである。
「それじゃあ、他の家も選手を見つけられなくて、そのままお流れになる可能性も」
「いや、それはないのだ。もうすでにいくつかの家は、参加者を選出している」
おかしくもなんともない話なのだが、いくつかの家は最初から条件を満たす者を抱えていた。
「抱えているCランクハンターの中に背の高いものがいたり、農園に大柄な亜人がいたり、或いは用心棒として雇っている中で体格の良いものがいたりと……まあ苦も無く見つけていた」
妻が最初に疑問に思ったことが、そのまま現状を示している。
背の高い肉体労働者と織物屋が、そこまで縁があるわけもないのである。
「それこそ、最初から拳闘士を抱えている家もあるし、亜人の護衛を雇っている者もいる。最初から条件が違い過ぎるのだ」
「それはそうでしょうけども……」
どういう形式かはわからないが、このままだと他の家が得をして、自分たちが相対的に出遅れる。
そうでなくとも、逃すには惜しい金額だった。
「なんとかできませんか?」
「……できなくはないが、難しい」
「あるじゃないですか」
「まあ落ち着いて聞け。いいか、私の知り合いにはもう声をかけた、もちろんお前の実家にもだ。だがそれで見つからないということは……信用できない者を選手として推すことになる」
人間がいきなり大きくなることなどないのだから、身内にいない以上、外の誰かに頼らざるを得ない。
しかしその誰かは、信頼できるものではない。
「いいか、公ではなく小さなお遊びとはいえ、大公閣下の前に出すのだぞ? そりゃああくまでも試合なんだから少々荒れてもいいだろうが、それにも限度はある。この大金は惜しいが、それでも大公様に粗相をする可能性を考えるとなあ……」
「それはそうですねえ……」
大公は親しい将軍さえ殺した男である。
彼の前で自分たちが推したものが粗相をすれば、それこそ家族全員殺されかねない。
普通に懸念すべき案件であった。
「でも、この条件に合う者を探す当て自体はあるんでしょう?」
「ああ、ある」
「それなら、一度会いに行ってはいかがですか」
「……まあそうだな」
ギョージも豪商であり、無能ではない。
信頼できない人間とは取引をせず、信頼できる人間とだけ取引をする……ということはなかった。
確実に信頼できる人間とだけ取引をしていれば、いずれ先細りになってしまう。
新しく会う相手を見極める眼力や、信頼できない相手とどこまでの線で取引するのか見極められないと、商人を続けることは難しいのである。
「……結局それしかないか。お前にそう言ってもらえるのを待っていた気もするよ」
「それでこそです! で、どこに行くんですか?」
ギョージは抱えているCランクハンターに話をした時、『自分達では条件に合う者を用意できないが、知っているかもしれない者は紹介できる』と言われた。
「ピンインというCランクハンターが、亜人に対して顔が利くらしい。特に、傭兵などをしている大柄な亜人たちと交流があるそうだ」
普通の人間の中で大柄なものを探すよりも、平均値が高い亜人の中から探す方が相対的に簡単だった。
とはいえギョージに亜人の集落とつなぎがあるわけもないので、誰か仲介役を頼まないといけないのである。
「あら、それなら期待できますね。たしかにちょっと心配ですけど……」
「できるだけ真摯に対応してくるつもりだ。場合によっては、この報酬のうち半分は渡すことになるだろうが……全部受け取れないよりはマシだろう」
参加賞だけでも結構な額であり、できれば全部欲しいのが人間である。
しかし今回のことで、有力者たちはほとんど苦労をしない。
疲れるのはあくまでも実際に試合をする選手なので、半分渡しても損はないのだ。
損はないが、やはり面白くないのも事実であるが。
「半分……まあぼろい儲け話が現実的になったと思うべきでしょうねえ」
「そういうことだ。では私はそのピンインに会ってくる、しばらく留守にするぞ」
※
どうしてこうなってしまったのだろうか。
カセイで護送隊に所属している、Cランクハンターピンインはそう思っていた。
堅実な仕事が認められてCランクハンターになった身であり、しかし抜きんでた才能を持っているわけでも、野心を秘めているわけでもない。
ある意味普通で、何の変哲もないCランクハンターである。なのになぜだか、最近ややこしいことに巻き込まれていた。
「姐さん……」
「ああ、悪いと思ってるよ……小物が大物に関わると、ろくなことにならない」
現在彼女は、キョウショウ族を引き連れて亜人の集落を目指していた。
もちろん遊びでも里帰りでもなく、普通に仕事である。
護送隊らしいことに、ギョージという商人を連れていくことになっていた。
問題なのは、彼だけではないということである。
ギョージ以外にも、五人ほどの商人や貴族がおり、彼らは自らの護衛と共にピンイン達の後をついてきているのだ。
(いくらアタシが亜人と契約しているっていっても、他にもいるだろうに……)
もちろん仕事の内容に不満はない。もしもあったら、適当な理由をつけて断っている。
だが今回の仕事はあくまでも仲介と護送である。その程度のことなら、請け負わない理由がなかった。
しかし五組も同時に案内するとなると、やはり大ごとに巻き込まれてしまったと思うのだ。
一回往復して仲介するだけで五組から報酬を頂けるのはありがたいが、それでも心中は穏やかではない。
(このままだと、後々面倒に巻き込まれそうだよ……)
なにやら縁ができている気がする。
近くて遠いカセイと前線基地だが、ピンインと狐太郎で奇妙な縁のつながりさえ感じた。
(まあいいか……とにかく今回のことは、みんな真剣な一発勝負だ。おべっかぐらい言うだろうしねえ)
以前の様に、ピンインはキョウショウ族の内何人かを先遣隊として派遣している。
状況を説明して、話を円滑にする手はずになっていた。
おそらく既に、候補に該当する者が名乗り出ているころだろう。
(アタシの連れているキョウショウ族は、一族の中じゃあ大したもんじゃない。もちろん落ちこぼれでもないが、出稼ぎに出られても困らない程度だ。でもあの鬼王様と同じ体格の亜人となれば、アタシでもそうは見ない。出てくるのは、各部族の代表だろうね)
重ねて言うが、今回のお祭りは亜人の価値観から言っても「楽しいイベント」である。
鬼王とちょっと試合をするだけで大金をもらえるのだから、地位と名誉がいっぺんに、しかも安全に手に入るのだ。
(出られるのは五人だけども、名乗り出るのは五人どころじゃないだろう。その分選べるだろうし、厄介なことにはならないと思うけども……)
大公に選手を出すように言われた者たちは、選手を用意することは当然として、その選手にある程度の礼儀を求めている。
すくなくとも、ピンインが見たあの二人みたいなことを言わない者だ。
だがその基準を満たしている者が、候補者の中に一人でもいるだろうか。
もしも一人しかいなかったら、この五人の中で争いになりそうである。
人間同士の争いなど、見て楽しいものではない。
(まあそれはこの方々も承知の上だろうけども……)
できれば取り合いだけは避けたい。
五組全員へ候補がいきわたることを願う他なかった。
「あ、姐さん! ちょ、ちょっと!」
そんなことを考えて歩いていたピンインの前に、大慌てで走ってきたのは先行させたキョウショウ族だった。
彼は汗だくになりながら身振り手振りを交えつつ状況を伝える。
「どうしたんだい? なんか面倒ごとでもあったのかい」
「そ、それがですね……!」
息を切らしながら、要点を伝えた。
「部族間で戦争になりそうなんです!」
「……なんだってぇ?!」
※
鬼王がケンカする相手を欲しがっていて、亜人たちが多く暮らす森の中からも数人選ぶらしい。
雑にそう解釈していた亜人たちの中で、我こそはと思う者は大いに挙手したのである。
なにせシュバルツバルトに行くのではなく、その近くにある会場でやるのだ。命の危機はないと知れている。
しかもなんか人間が大金をくれるらしい。亜人たちにとって大金とは、人間に渡すとなんにでも交換してくれる便利な金細工だった。
この間ピンインが大量の肉を持ってきたように、大きな宴を開けるのである。
うまくすれば、一生遊んで暮らせるかもしれない。それも、鬼王と戦った勇者として。
情報伝達が雑だったため、身長が及ばない者さえ巻き込んで、部族間で戦争寸前に発展したのだ。
「いいか、今回のケンカにゃあ俺らの部族からだけ出す! お前らは引っ込んでろ!」
「ああん?! ふざけんな、ウチから出すだけに決まってるだろうが!」
「おおぅ?! ここで全員ぶちのめしてもいいんだぞ!」
喧々囂々だった。
人間たちがその場にたどり着いた時、部族の長老たちが宣戦布告に近いことまで言い合っている。
周囲にいる若者たちも、既に棍棒を構えていた。人間で言えば、武器を鞘から抜いているようなものである。
悲しいかな、亜人も愚かである。
ここに五つのケーキがあったら、全部自分の物にしたくなるのだ。
五つの部族で分け合う、という発想は全員にない。
ある意味心は一つになっていたのだ。
その光景を見た商人たちは、無言で立ち去ろうとする。
「ちょっと待ちな、旦那方。アタシに仲介を任せてくれたんじゃないかい?」
「それはそうだが……これはもう無理だろう?」
慌ててピンインは止めた。
このままだとキョウショウ族は、大ぼらを吹いて戦争を起こした大罪人扱いである。
彼らが帰りたくなる気持ちもわかるが、少なくとも無言で返すわけにはいかなかった。
「まあまあ、アタシに任せて。責任を持ってちゃんと治めますし、何なら道中の保証もしますから」
「……信頼できるんだな?」
「ええ、ええ。その準備もしてきましたから」
思ったよりもひどいことになっている現状だが、それでも対応できないほどではない。
ピンインは商人たちをなんとか引き留めると、長老たちのところへいった。
「おっと、長老方! ずいぶん盛り上がってるねえ!」
仲介係を請け負ったのは、それができる自信があったからである。
そもそもピンインがもたらした情報を真実だと思ったからこそ、彼らも戦争寸前になっていたのだ。
そのピンインが戦争前に現れれば、もはや争っている場合ではなかった。
「おらおら、どいつもこいつも頭に血を上らせて! みっともないったらないね! 話し合いをするときは酒を飲むのがアンタらの礼儀だろうに!」
彼女はキョウショウ族に大量の酒だるを持たせて、それを長老たちの前に並べた。
「まずは酒だよ! 全員飲んでからだ! アタシの酒が飲めないってんなら、とっととお家に帰りな!」
大量の酒と売り言葉を聞いて、全員がとりあえず怒鳴り合うことを止めた。
このまま暴れれば、今この瞬間酒が飲めなくなる。その程度には冷静さが残っていたのである。
もちろん大はしゃぎをするほどではないが、とりあえず落ち着いていた。
各部族の戦士たちは黙って酒を飲みながら、長老たちと人間の商人たち、ピンインの話を聞くことにしたのだ。
「どうにも勘違いしているようだが! 鬼王様はチビとはケンカができないって言ってるのさ! まずは、鬼王様とにらみ合える大男を並べな、話はそれからだ!」
最低限の条件を叫んだピンインだが、それさえ聞いていない者がほとんどだったらしく、顔を見合わせてがっくり来ていた。
なにせ亜人の価値観でも、大きいことは正義であり偉いことである。デカくないと駄目だというのなら、諦めるしかなかった。
だが逆に言えば、この亜人たちの中でも抜きんでて大きい者たちは、かえって自信をみなぎらせているということだった。
長老たちのすぐ後ろに、各部族で一番大きい男たちが現れる。
互いににらみ合い、今すぐにでも殴り合いを始めそうであった。
だがそれは先ほどに比べれば、ずいぶんと小さい火である。
戦争という大火に比べれば、試合やケンカレベルだった。
それであれば、選手を選びに来た人間たちも一安心である。
安心して、彼らが納得できる条件を出した。
「十人候補がいるようだ……では二人一組になって戦い……勝ち残った方を連れていくということにしようではないか」
本当はもっといろいろ条件を出したかったが、とりあえずそうしたのだった。