狡兎死して走狗烹らる
「いやあ、凄かったねえ。Aランク上位モンスターを単独撃破なんて、そうそうできることじゃないよ」
「そ、そうですよね。でもこれはササゲさんがいてこそなんです……別に僕とルゥ家の戦力だけで、Aランクハンターの力が出せるわけじゃなくて……」
「それでも凄いものは凄いさ。当てにさせてもらうよ」
「……で、ですね! 実は僕、今回の戦いぶりがひどすぎるってことで、姉さんが戦闘の指導をしてくれることに……ありがたいことに……」
「そっか~~」
「た、たす、助けて……くれませんか?」
「俺はもう、できることはやったよ!」
「……そうでしたね、頑張ります」
※
アクションゲームで言えば、勝ちはしたけども点数が低かった。
体力ギリギリで時間もいっぱいいっぱいでクリアした、そんなブゥは姉から指導を受けていた。
「いきますよ」
「はいっ!」
とはいえ、魔王になった後である。
Bランク中位、下位の悪魔たちは全員ダウンしていた。
どうやら格の高くない彼らにとって、魔王の力は過分であるらしい。
短時間でも相当の負担がかかったらしい。
セキトやアパレ、ササゲは無事だったのだが、彼らの力を使って稽古をするとなれば、ズミインの方が持たない。
よって、お互いに普通の武器を持っての試合である。
訓練用の木の棒を使って、打ち込みあうことにした。
「はっ」
「あだっ!」
なお、ズミインはブゥと違って、個人でも強い。
ブゥ本人が疲れていることを抜きにしても、圧倒してぶちのめしていた。
「ふっ」
「いだっ」
「やっ」
「えぐっ」
とんでもないダメージ描写があるわけではないのだが、通常の範囲でも友人が痛めつけられていると気分が良くない。
助け舟を出してあげればよかったかなと思いつつ、しかし実際には何もしない狐太郎である。
(俺はもうできることをやってあげたから、もう何もしてあげられないなあ。やっといてよかったなあ)
なんのことはない、ブゥが苦手な相手は狐太郎も苦手なのである。
それにブゥの戦闘スキルが低いことは狐太郎もよく知っているので、それを鍛えようとしてくれている彼女を止める理由が見つからなかった。
既に最善を尽くしているのはブゥも承知なので、流石にこれ以上文句は言えない。
ブゥは泣く泣く稽古に臨むことになったのだった。
(結局稽古をつけてもらうことになったけども、一ヶ月じゃなくて数日に短縮されたし、まあ悪くないだろうな)
「ご主人様、ちょっといいかしら」
高みの見物をしている狐太郎の横に、少し疲れた様子のササゲが来た。セキトやアパレも休んでいるので、彼女は少し無理をしている様子である。
二人で並んでブゥのことを眺めているが、別に彼がいじめられているところを見て楽しむ趣味はない。
「今回ね、アパレのことを騙したじゃない」
「ああ」
「……正直驚いたわ」
フーマが気付いていたように、ササゲもまた気付いていた。
アパレが一ヶ月という期限を切ったのは、その期間を使って楽しむためだと。
何度挑戦してもいいし、失敗しても罰則を設けなかったのは、何度も挑戦するところを見たかっただけだと。
気づいたうえで、何も言わなかったのだ。
(まあ、それはササゲのせいじゃないしな)
ササゲの役割は戦うことになった時倒すことと、相手を交渉のテーブルにつかせることである。
最初の時点で、契約の内容や契約そのものの是非に関わらないとは言っていたので、文句をつけることはできない。
そもそも交渉するのはルゥ家の役割であって、何も警戒せずに条件を受け入れたルゥ家の失態なのだ。
それで損をするのはルゥ家だけだったので、その点を含めてもササゲに非はない。
「ご主人様がどんなにいい騙し方をしても、気に入るだけでそのまま負けを認めることになるとは思っていなかったわ」
「……そうだったな」
負けを認めなきゃ負けじゃない。
なんともズルい考え方だが、あの時は全面的に正しかった。
ブゥにも狐太郎にも処分する気しかなかったので、彼女が合格の基準を独占していることにも文句を言わなかったが、それさえ彼女は見抜いていたのだろう。
必死で騙そうとする姿を気に入って好感度が上がることはあっても、何か難癖をつけて騙されていないと言い切る筈だったのだ。
狐太郎の一発ギャグがなければ。
「自分で考えて自分で騙しておいてなんだけど……どうやら俺のやり方は、彼女の好みだったらしい」
「そうだったわ……あの満足そうな顔……! 思い出しただけでも羨ましい……!」
(羨ましがり過ぎている……)
ハンカチを噛んでひっぱるしぐさでもしそうなほど、わかりやすく嫉妬にもだえているササゲ。
その姿を見て、狐太郎は今更早まったことをしたと思っていた。
コイントスで人生を賭けられる悪魔は、逆に言えばコイントスに価値を見出すことができるのだ。
(俺はああすれば物語の悪役は引っかかると思った。というか空気を読んで、誘導に乗ると思った。だが……それは悪魔にとっては……最高のご褒美だったのかもな)
あの日、あの時、あの場所で、あの状況でなければ成立しない誘導だった。
彼女はあの下ネタに、一期一会を感じたのかもしれない。
あの馬鹿々々しさ、滑稽さ、間抜けさに、命を賭ける価値を見たのかもしれない。
一ヶ月だらだら苦しませるよりも、よほど価値のある一瞬だったのだろう。
「……悔しいですけど、私はそれを知ることができません。力づくで鵺から聞き出すこともできますが、それは悪魔にあるまじきことです」
「そうしてくれ」
狐太郎にしても、ふんどし一丁で女性の前に立ったセクハラは、記録に残したくないことだった。
できれば記憶からも消したかった。
「それに……きっと私にやっても、意味のないことだったのでしょうね。その勝負はきっと、彼女のためにだけ用意されたイカサマだったんです」
美学美意識に殉ずることを良しとする悪魔、その頂点であるササゲはその尊さを知るものだ。
誰かのために書かれたラブレターを読んでも、自分自身には響かないのと同じである。
「めちゃくちゃ悔しいわ……!」
「そ、そうか……」
「ご主人様にそんな才能、才覚があったなんて……! いえ、もちろん、ご主人様のようなお人がやったからこそ引っかかったのかもしれませんが……とにかく、そんなことができるなんて、傍にいても気付きませんでした……このササゲ、一生の不覚!」
悪魔にあるまじき情熱を感じさせる発言だった。
何一つ偽りなく、ササゲは興奮しているのである。
「だからね、ご主人様。心にとめておいて欲しいのだけど」
「……お前を騙せって?」
「ええ、お願い」
勝ちに徹したいわけではなく、むざむざ負けたいわけでもない。
たとえ自分の人生がかかっているとしても、運ではなく悪知恵による、納得のいく結末を見たい。
それは悪魔の美であり、価値観だった。
「……そうか、あんまり期待しないでくれ。騙してくれ騙してくれって言われたら、ハードルが上がりすぎる」
「それを! ご主人様は! もう超えたじゃない!」
(ますますハードルが上がっている……)
ますます悔やむ狐太郎。
自分の従者が求める、カネでは買えない要求に困るばかりである。
(ことあるごとに言われそうだな……)
そう都合よく騙すトリックなど思いつかない。
ましてや彼女が納得するほどのトリックなどめったにないだろう。
期待が上がりすぎて、窮地に陥っていた。
「お願いするわよ! 眷属が騙されているのに、私が騙されていないなんて、魔王の沽券にかかわるもの!」
(普通逆じゃなかろうか)
文句を言うだけ言って、彼女は帰っていく。
帰りはふらふらしているので、やはり辛かったらしい。
「では、ここまでとします」
「はいぃ……」
「治療が終わり次第、再開します」
「ひぃいいいい!」
ササゲが去ると同時に、ブゥたちも小休止に入っていた。
もちろんすぐに再開する予定のようである。
その空いた時間に、ブゥは治療を受け始めた。
本人はできるだけ時間をかけて治してほしいようだが、疲労しているだけなのですぐ治りそうである。
その間に、ズミインは狐太郎のところへ来ていた。
「狐太郎様、お時間よろしいですか」
「え、ええ……」
ズミインは狐太郎を知る気がない。そのことに時間を割きたくないからだ。
だが狐太郎もまた、別の意味で彼女を知る気がない。
おそらく見たままの性格である。
才能がある弟に嫉妬しているとか、実は弟を溺愛していて愛情の裏返しであるとか、そんなことは一切ない。
単に必要なことをしているだけであると、振る舞いを見るだけでわかった。
ある意味、裏表がないのである。
「既にご存知だとは思いますが、弟は強いのですが護衛には不向きです。戦闘能力はともかく、判断力がなく機転も利きませんからね」
「ええ……知っています」
よく守る強さだとかなんだとか言っているが、要は現場の対応力である。
危機に対して速やかに動く、そんな強さがあると狐太郎は知っている。
なぜなら、四体の魔王にそれが備わっていないから。
(レンジャー職入れておけばよかった……っていうか、雪女を忍者にしておけばよかった……)
ブゥは純粋な戦闘要員であり、危機感知能力は誰も最初から期待していない。
だからこそネゴロ十勇士が準備されていたのであるし、危機に鈍くても誰も怒らないのである。
「また戦いにおいても、基本能力こそ高いものの、判断の遅さが災いして一手も二手も遅れます。それでも負けない程度には強いのですが、やはり不覚を取りやすいでしょうね」
「それは知っていますが、ブゥ君に文句はつけられませんよ」
文句の付け所は多いが、それが問題にならない程、ブゥの域に達している戦闘能力の持ち主は少ない。
ササゲやアパレを抜きにしても、Bランク上位を倒せるのだからやはり破格なのだ。この基地でもそれができるのは麒麟とガイセイだけである。
「ですがみっともない。それも事実です。悪魔たちからも、その不満はありました」
「まあ……そりゃあしょうがないでしょう」
天は二物を与えずというが、ブゥは二物を持っている。
そのうえで家庭環境も、彼を育てることに向いていた。
だがそれでも、やはり不足はある。
ガイセイに比べれば、劣っている点が目立つ。
「私もその点は理解していました。解決するために鍛えましたが、それでも限度はあります。結局才能がないのです」
「……玉にきずとは言いますが、大きい傷なんですねえ」
「ええ、ですが……だからいいのでしょう」
合理的な彼女らしくない、欠点の肯定だった。
もちろん、みっともないところが彼の美点だと思っているわけではない。
「狐太郎様。ブゥはみっともない、だからこそ私は不安を受けていません」
「?」
「周囲から嫉妬されることがないのです」
彼女は社会人であり、だからこそ人間を知っている。
この世には悪魔のような人間がいる一方で、悪魔にも劣る人間がいることを知っている。
「狐太郎様。功績をあげた人間は、相応の報酬を受け取り、相応の地位につくべきです。そういう意味では、貴方は適切で適正でしょう」
(俺自身には不適格だけどね)
「ですがそれを周囲がどう思うか。あるいは、もっと遠くの誰かがどう思うか。それは忘れてはいけません」
(シャインさんやジョーさんもそう言っていたな……まあそりゃそうか)
やはり異世界でも、人間は人間らしい。
他人が得をしているところを見れば、ただそれだけで妬みそねむ。
「そうした輩はこう思うのです。何か悪いことをしているに違いない、あるいは特権に許される範囲で好き勝手しているに違いない……と、相手の悪いところを探ろうとする。しかも少数ではなく、かなりの割合で存在します」
「……」
「そうした輩に絡まれるのは、労力の無駄です。適当な弱点があれば、探るまでもなく彼らは満足する。分かりやすい汚点ですからね、機転が利かないというのは」
ブゥがどれだけ強くとも、どれだけ成果を上げても、どれだけ大公に気に入られても。
それでもブゥがおどおどしているところや、背が低いことや、戦闘でドジをするたびに思うのだ。
こいつは俺の下だと。
「彼らはブゥの醜聞を聞くたびに、酒を呷って笑うのです。そして、それで満足して寝ます」
(えぐいお姉さんだ……)
「怖い姉がいて頭が上がらない、というのもその一つです。なのでもしもブゥをバカにする輩がいても、相手にする必要はありません。それで満足してくれているのですから、一々相手にすることはないのです」
要約すると、ブゥが馬鹿にされても波風を立てないでね、というものだった。
やはり悪魔使いなりの処世術、貴族なりの考え方だろう。
「厄介なのは、彼らが行動に移すことです。下に見ている者がどれだけ功績をあげても認めませんし、相手にもしません。ですが反抗してくれば別です、無駄に敵視してくるでしょう。そうなれば面倒どころではなくなります」
「……」
「我等悪魔使いは、有害さを打ち消すほどの有用さを求められますが、度を越えてはいけません。危険視されれば、それこそ周囲に謀殺されます」
強くなり、功績をあげれば、必然的に人気を得る。
だが人気を得すぎると、かえって周囲が敵になる。
世の中の物語には、活躍した英雄が、戦争が終わると同時に殺されるか放逐されることがある。
しかしそれは、物語の中でだけ起きていることではない。むしろ世の中のいたるところで起きていることだ。
「狐太郎様。貴方はこれから公爵となり、王女殿下とご結婚なさり、大金を得て、悠々自適な暮らしをなさるお人です。それに嫉妬するような輩が間の抜けたことを言ってきても相手にしない、身分相応の度量を得るべきです。護衛が笑われても、流す度量が大事です」
(いやあ俺は気にすると思うけどなあ……)
人間、悪口を言われると傷つくものだし、どこかで誰かに笑われていると思うだけで辛いものである。
それに傷つかない心を持つことが度量だというのなら、一生身につきそうになかった。
「目の前でまた誰か殺されます」
「度量を持ちます」
でもまあ目の前で人が死ぬことよりはましだと気づいたので、思い直した。
度量、大事。殺人、駄目である。
「一罰百戒とは、突き詰めれば見せしめは一人で十分ということです。歯向かう者を片っ端から叩きのめしていれば、狭量で危険だと認識されます。我らはあくまでも『傷のある飼い犬』であり、『気高いオオカミ』であってはならないのです。殺されます」
「切実ですね……」
「ええ、切実です。成り上がりは所詮成り上がり、周囲に敵を作らないことが大事なのです」
同じ悪魔使いとしての忠告だった。
それはやはり合理的で、頷くしかないことだった。
「醜聞は聞き流せばいいのですが、無能は見逃せません。劇的に成長できずとも、多少マシになれば意味はあります。なので私は弟へ稽古をつけに戻りますので、失礼しました」
「あ、はい……」
「ぎゃあああああああ!」
最強の悪魔使いの、絶叫が響く。
それはまさに醜態であり、情けなさの極致であり……。
風聞なら笑えても、直接見れば笑うに笑えなかった。
次回から新章、ゴールドラッシュです