試合に負けて勝負に勝つ
(な、なんてことなの……! これは、悪魔の生態を知っていなければ打てない一手!)
基本的に、悪魔は増殖しない。
男や女のような姿をしている一方で、交尾で産卵や出産をするわけではないのだ。
あくまでもそう見えるというだけで、男であることや女であることに意味はない。
だがしかし、振る舞いに関しては話が違う。
女に見える悪魔は女らしく振舞うし、男に見える悪魔は男らしく振舞う。
少なくとも狐太郎が見た限り、無性的な振舞いをする悪魔はいなかった。
とはいえ、普通に考えてふんどしに下がっているカードをめくるのが女性的か、といえばさにあらず。
この場に人間がいて、男であれ女であれ、自分の進退がかかった状況でふんどしをめくる者はほぼいない。
いるとしたら、物語の中の登場人物ぐらいだろう。
(大当たり……そう、大当たり! 気づくべきだったわ、このお方は最初から私に『大当たりを引かざるを得ない状況』を作るつもりだったのよ!)
悲しいことに、悪魔は物語の登場人物なのである。
女性は男性に対して性的に接するもの、を誇張して表現してしまうのだ。
(私にとって負けを意味するのだから『外れ』をひけば負けにして、当たりを二枚作ればいいだけのはず! でも大当たり……私にとっても大当たり!)
ふんどしをぺろりとめくって、そこから出てくるのが『大当たり』。
あまりにも美しい、完璧な下ネタである。
(あの下着の形状から言って、カードをめくっても『中身』は見えない……これは、下品に走り過ぎない、エロではない下ネタ……! そこまで計算されているというの?!)
また、体勢も、絵面として洗練されていた。
本人が貧弱な体格であることを含めて、滑稽ではある。
だが変に奇をてらうこともない、王道をいく滑稽さだった。
(シンプル……! 事前の説明、私の視界を一旦奪ったこと、下着姿であること、一対一であること、カードが三枚であること……最小単位の美! これから一つでも要素を抜けば成立しなくなる、無駄を省いた頓智の理想形……!)
もしもカードが二枚で、片方を手で持っていて、もう片方をふんどしに下げていれば、あるいはどちらが外れかわからない可能性もあった。
だが三枚だからこそ、両手に一枚ずつ持っているからこそ、孤立している一枚が大当たりであることは明白。
むしろ手に持っている左右どちらかが当たりの方が、よほど恐ろしいことだ。
(なによりも恐ろしいのは……このお方ご本人が、普段からこんなことをするような人ではないということ! 普段から下品に振舞う人なら、事前に予測できるのなら、脱ぎ芸として行き過ぎた下品さで白けてしまうもの……! でもこの人は、恥じ方から言っても、普段からこんなことをするわけじゃない……! 予測できなかった……おそらく私だけじゃなくて、他の誰も……はっ!)
悪魔は、思わず舌を噛みそうになっていた。
彼女はあることに思い至ってしまったのである。
(この真面目そうな人が、たぶん自分で思いついたネタを、相談なく実行している?! ということは、私以外誰も知らないということ?! ふ、二人だけの秘密……どうでもいい、バカな秘密……! 甘い誘惑だわ!)
もしも失敗すれば、何がどう失敗したのか、周囲に教えざるを得ない。
下ネタは嫌いなようだ、と言ってしまう。
だが成功すれば、彼は墓までもっていくだろう。
だとすれば、自分と彼だけがこれを知る。
これから、この小柄な男の股間に手を伸ばす、自分の絵面。
それを想像するだけで、笑みが収まらない。
それを、誰にも知られずに……!
(大当たりをめくるしかない……私には、この美を崩すことなんてできない……!)
コントに誘導されていた、あくまでも下ネタだった。
だが、物語の悪役には、滑稽なことが大好きな悪魔にとっては、ご馳走だったのである。
(これをめくるしかない、今すぐに!)
長く悩めば、一気に腐ってしまう。
鮮度が命の、一発勝負。
これはめくらねば……悪魔が廃る。
「はあ!」
ぺろり。
出てきた文字は、大当たりだった。
「……おい、もういいだろう、どけよ」
「はい」
終わった。
完璧に終わった。
この「しょうもなさ」も含めて、完璧に馬鹿々々しかった。
奇抜さも派手さもない、ひねりもなく意外性もなかった。
だが、だからこそ、ただのゲームの勝利があった。
「魔王陛下の主、虎威狐太郎様」
敗者は頭を垂れ、勝者に敬意を示すのみ。
「大変お見事でございました」
「服着るからあっち行ってくれ……」
※
しばらくして……ゲームをしていたとも思えない短い時間で……。
具体的には、いったん服を脱いで、そのあと服を着なおす程度の時間で。
狐太郎と悪魔は出てきた。
しんどそうな顔の狐太郎の、一歩後ろを悪魔が歩いている。
その姿を見ただけで、多くの者は勝敗が決したことに気付いていた。
「どうも皆さま、あらためまして……悪魔のアパレと申します、どうか今後よろしくお願いします」
悪魔が名を名乗る、人間に発音できる名前を晒す。
それは途方もない意味があった。
「ブゥ様、どうかよろしくお願いしますね」
「お……ああ……!」
Bランク上位の悪魔が、ルゥ家に屈していた。
忠誠を誓い、臣下となることを受けたのだ。
それを見て、ブゥは安堵にむせび泣いた。
「狐太郎さん、ありがとうございます! まさか本当に悪魔を騙せるなんて……!」
(騙したって言うか……あれ、騙したと言えるんだろうか……?)
終わってみるとあっさりしたものだったが、狐太郎の顔は歯になにかが詰まったような顔だった。
なぜこんなことになったのか、これで上手くいってしまったのか、彼にはまるでわからなかった。
(まあ結果がすべてなわけだが……いや、過程も大事だし手段も大事だな……)
この世界で初めて自分の知恵と力でなにかを成し遂げた気がするが、気のせいにしたかった。
できることなら何も成し遂げられなかった方がいいような気がしている。
「ブゥ君」
「はい! おかげで助かりました~~!」
「そう、俺は君の恩人だ。全力で寄りかかるから、本当に頼むよ」
「えっ……」
「返事ははいだ」
せめて採算を取るべく寄りかかる狐太郎。
その思いに偽りはなかった。
「俺は、君のために頑張ったんだ。無償じゃない、いいね?」
「はい……」
「よし」
失ってはじめてわかることがある。
なぜこのブゥを姉と稽古させないためだけに、あんな大恥をかかなければならなかったのか。
多分中長期的にいじられるだろう。それを含めて、あの悪魔は自分に屈したのだから。
何が何だかわからなくなってきたが、恥をかくことを対価として命を賭けて戦ってくれる。
それが悪魔の決断だった。
(一刻も早く死んで欲しいな……)
もう何が何だかわからなくなってきた。
狐太郎は己の行いによる波紋が、将来に良くない波を作ったことを理解して苦悩した。
「……ご、ご主人様……お、お見事です……!」
そして、ササゲである。
物凄くもどかしそうな顔をしたササゲが、興奮気味に称賛していた。
「ま、まさか本当に悪魔を騙し、名を与えるとは……!」
「ああ……失ったものも大きい気もするけどな……」
「あの晴れがましい顔を見ればわかります。彼女は命を賭ける理由を見つけたのですね!」
「……そうらしいな」
「流石はご主人様です……!」
彼女は、必死でこらえていた。
悪魔の理性と本能、或いは美学と欲望がせめぎ合っている。
(すごい聞きたそうだな……)
狐太郎が如何にして高位の悪魔を騙したのか。
というか、悪魔が喜んで騙されることを選ぶ、神算鬼謀を練りだしたのか。
それを聞きたいと思っている一方で、聞いたら駄目な気がしているのだろう。
「ねえねえご主人様、何があったの? どうやったの?」
アカネが無邪気に聞いてくる。
興味深いというより、少し気になった程度なのだろう。
だがそれを、ササゲは止めなかった。
(直接は聞きたくないけども、耳に入ってきたなら仕方ないわね、って顔だな……)
今まで見たことのない顔をしているササゲだった。
ある意味悪魔らしいが、今まで彼女が築いてきたイメージが崩壊している。
口まで出かかっている言葉をアカネが言ってくれているので、なんとかこらえている状態だった。
「まあ……ちょっとな、現代知識で俺ツエーしたんだ……」
「え~~? 具体的には?」
「聞くな」
「そっか~~、なんか恥ずかしいことをさせられたんだね……」
狐太郎が青ざめたり赤くなったりして忙しそうなので、アカネも概ねを悟っていた。
もとより彼女は、鈍感ではあっても性格が悪いわけではない。
ここまで嫌がっているのだから、無理に聞き出すのは悪いと判断していた。
「ごめんね、ご主人様。言いにくいことなら言わなくていいよ」
「もっと頑張りなさいよ! 普段の図々しさはどこにいったのよ!」
なお、ササゲは性格が悪い模様。
「わ、私の時はそんな風に騙してくれなかったのに……!」
「あのさあ、ササゲ。ご主人様が言いたくないんなら、聞き出さないほうがいいよ? 嫌がってるじゃん」
「貴女は普段からご主人様が嫌がっても背中に乗せて走ろうとしているじゃない!」
「それはそれだよ。大体そんなに聞きたいなら、自分で聞けばいいじゃん」
「それができれば苦労はないわよ! 魔王の体面を考えなさい!」
かなり魔王の体面を犠牲にしているが、それでも聞きたいらしい。
「いやあ……完敗でした……私に最初から勝ち目なんてなかったんですよ……」
なお、そんな魔王に対して、アパレと名付けられた女悪魔はマウントを取ってくる。
「流石は魔王様を従えていらっしゃるお人……私など及びもつかぬ叡智をお持ちでしたね……」
にやにやと笑う姿。
それは正に優越感に満ちていた。
「こんな素晴らしいお人を、知恵のない獣の餌にするわけにはいきません。ブゥ様、私をどうぞお使いくださいね」
「あ、はい……あの、アパレ……」
ブゥも悪魔使いである。
アパレが何をされたがっているのか、大体わかっていた。
「狐太郎さんに、どうやって騙されたの?」
あんまり聞きたそうではないが、それでもあえて聞いた。
「それがですね~~? 言えないんですよ~~! 申し訳ありません~~!」
「そ、そっか……」
「ブゥ様がどうしてもと言っても~~ダメなんですよ~~!」
「じゃあいいです」
「もっと聞いてください! お願いします!」
「……はい」
なおブゥは、今の時点でアパレと契約することになったことを後悔していた。
もう手遅れだが、これなら姉との特訓に一ヶ月耐えたほうが良かったのかもしれない。
「興味ありますね……アパレがそんなにも喜ぶなんて……僕には想像もできません」
「そうでしょう?! そうなんですよ! 私も想像していませんでした!」
「きっと、凄い知恵比べだったんでしょうねえ……」
「ええ、ええ! 本当に、人間の知恵の深さを思い知りました! アレに勝てる悪魔など、一体どこにいるでしょう!」
「え、演出とかもこってたんでしょうね……」
「それです! そう、それなんです! 私、人間の演出に気を使うところが大好きなんです! あのお方も、私を騙すために最高の演出を……!」
悪魔に関わるとろくなことにならない。
それを今更痛感しながら、ブゥは新しい悪魔を接待していた。
「ぐぎぎぎ……」
それを羨ましそうに見ているササゲ。
おそらく本気で、相当聞きたいらしい。
「……鵺、言っておくけど、本当に黙っていなさいよ」
「へ?」
「ご主人様が貴女に用意させたものよ。絶対に言ってはダメよ」
「しょ、承知です!」
クツロは直属の部下である鵺に、きつく言い含めた。
正直まったく興味はないし、むしろ知らないままでいてあげるべきだと思ったのだ。
「貴女は口が軽いんだから、何かあったら口を閉じて私のところかコゴエのところに行きなさい、良いわね?」
「はいっ!」
狐太郎が何をしたのか、唯一知りえる立場にいる鵺。
彼女が用意したのは三枚のカードと、ふんどしである。
悪魔のことを良く知らない彼女は、狐太郎がふんどしをどう有効活用したのか知らない。
しかしおそらく聞くものが聞けば、その時点で推測できるのだろうとは思っていた。
「大丈夫ですよ~~お酒飲んだら忘れますから~~!」
「はぁ……私が残しているお酒、半分あげるわ」
「きゃ~~! クツロ様、太っ腹~~! 話が分かりますね~~!」
何気に彼女がいなかったらふんどしは作れなかったので、最大の功労者である。
口止めを抜きにしても、お酒を飲ませるぐらいはいいだろう。
(ご主人様がこいつに何を用意させたのか知らないけども、用意できなかった方が良かったかもしれないわね)
果たして今回の件で、一体だれが幸せになったというのか。
考えるまでもない、アパレの一人勝ちであった。
※
狐太郎は、悪魔へアパレという名を与えた。
亜人などの様に己の名前を持つモンスターならともかく、竜や悪魔のような人間に発声できない言葉を持つモンスターたちにとって、名前を人間からもらうということは特別な意味を持つ。
今までただ封じられてきただけの悪魔は、アパレとなって人間に従う悪魔となったのだ。
そして彼女に従っていたすべての悪魔も、同じように配下となっている。
その知恵比べから丸一日経過して戻ってきたズミインが見た者は、まさに倍となった悪魔の群れだった。
「契約に成功したようですね、ブゥ」
「はい! 狐太郎様が助力を買って出てくださいまして、アパレの名を受け、当家に仕えてくれるということになりました!」
ズミインを基地の外で迎えるブゥの背後には、セキトとアパレが控えており、さらに眷属の悪魔たちが膝をついている。
まさに悪魔を統べる悪魔使い、その戦力そのものだった。これらが全てBランクモンスターだというのだから、敵にしてみれば恐ろしい軍勢と言えるだろう。
もちろん、味方にとっても、当人にとっても、恐ろしい怪物なのだが。
「……」
「あ、あの、姉さん?」
「情けないことですね、ブゥ。よりにもよって、主の力を借りるとは」
そのブゥが、悪魔よりも恐れたもの。
その姉が、静かに叱責する。
「恩義の有るお人に、悪魔と関わらせる。尻をぬぐわせること……許しがたい」
「ひぃ!」
「しかし」
叱責はするが、怒ってはいなかった。
わかりにくいが、一応怒っただけである。
ここで怒らないと、主である狐太郎に申し訳が立たないから、一度怒っただけなのだ。
「しかし、魔王を従えていらっしゃる狐太郎様が、自ら進んで悪魔と知恵比べをしてくださった。それはつまり、貴方を評価しているということ」
「そ、それは……」
「貴方が今日まで奮戦してきたことが、悪魔と取引をする価値を生んだのです」
「そ、そうなんですよ!」
「貴方は、強くなるために鍛錬を積んだ。貴方は、狐太郎様を守るために強大な敵と戦った。それを狐太郎様は高く評価しておいでのようですね」
狐太郎は、ブゥを評価している。
だからこそ、自ら知恵を絞ってくれたのだろう。
それは彼女の評価ではなく、ただの事実だった。
「より一層努めなさい。それが貴方の義務です」
「はい……」
「封印されていた悪魔は、あくまでも狐太郎様に屈したのです。貴方のことを、まだ認めてはいません。セキトとは違うことを理解し、真摯に接しなさい」
「あ、はい……」
その話を聞いていて、悪魔たちはあくびが出そうになっていた。
困っているブゥは少し面白いが、これではただの業務連絡である。
(悪魔に対して誠実であれって……意味は分かるけども)
悪魔はどこまでいっても悪魔。
自分の命令を聞いてくれる、都合のいい相手ではない。
決して甘く見てはいけない、決してゆだねてはいけない。
心を許すことと、何もかも任せることは別である。
そういう意味でも、狐太郎は悪魔を使う者であった。
だからこそブゥやセキトも、彼に敬意を惜しまない。
「しかし……結果から言えばこれで良かったのでしょう。アパレが貴方を裏切ることはあっても、狐太郎様を裏切ることはなくなりました」
ズミインの言葉を聞いて、アパレは不敵に笑った。
彼女の言葉を聞いて、ブゥが苦笑いをしたのを感じたのである。
「貴方が悪魔によって破滅することは仕方ありませんが、狐太郎様が巻き込まれてはいけません。貴方と狐太郎様の利害が常に一致するとは限らない以上、この契約形態のほうが貴方の代では正しいのかもしれませんね」
今回ブゥは、労せずしてアパレと契約することができた。
しかしそれは逆に言って、アパレから敬意を得る機会を喪失したということである。
今のアパレは、『狐太郎の部下だから』という理由で、ブゥに従っているだけなのだ。
もしもブゥが狐太郎と利害が対立すれば、契約に反さない範囲でブゥの敵になるだろう。
それこそ、自らの破滅さえいとわずに。
もちろん逆だった場合は狐太郎が怖いことになるので、仕方がないともいえる。
「しかし……これだけ早く契約が成立するとは思っていませんでした。その点も含めて、狐太郎様は私たちよりも優れた悪魔使いですね」
「そ、そうですね」
「一月の間貴方へ稽古をつけるつもりでしたが……それは……さてどうしましょうか」
ブゥは今更気付いた。
ズミインがその気になれば、今から一ヶ月ここに残ることもスケジュール上は可能ということを。
「とはいえ、まずやるべきことは決まっていますね」
「な、なんでしょうか?」
ズミインは壺の中の悪魔たちがどうなるのかを見届けに来た。
全員まとめて処分するのならそれもいいが、配下になるというのなら戦力を確認しなければならない。
「ブゥ。今あるすべての悪魔を背負って、その性能を見せなさい」
ブゥが望むか望まないかはともかく、今この基地に、長く不在だった者が現れる。
Aランク上位モンスターさえ打倒する、最強の人間の帰還。
絶対的な強者が、新しく現れようとしていた。
祝、5000pt突破!
応援ありがとうございます!